では。
旅とは、過酷なものだ。
日の下を歩き、乾燥した風を浴びるだけで体から水分は情け容赦なく奪われる。加えて荒野では、遮る物とてないのだ。
幼い兄妹から、アーチャーと呼ばれるようになった少年はそう思っている。
尤も、日差しのきつさや獣、喉の乾きなどは彼には何の妨げにもならない。生身でないサーヴァントとは、そういうものなのだ。
過酷なのは、彼が守っている兄妹にとってだ。
魔術で日差しと風を避け、水脈から水を魔術で引きずり出せるアーチャーがいても、一日中馬に乗って荒野を進み続けるのは、十歳になるやならずの子ども二人には厳しい。
自分なら多少の疲労を魔術で誤魔化すこともできるが、一度でも反動が出れば、調整を施されたわけでもなく魔力に耐性がない幼い子らは耐えられないだろう。
しかし、彼らの体調を慮りすぎてケルトに追い詰められたら元も子もない。
通常ならばまだしも、様々な要因で大幅に消耗している自分では、兄妹を護りながらケルトの英霊の相手をするのは危険だと理解していた。
だから彼らの旅は、常に体調と速度のぎりぎりの境界線にある。
時折、ケルトの本隊から離れたと思しき戦士や魔物に襲撃されることもあったが、単体かつ散発的で、アーチャーひとりで対処できた。
大の大人が何人でかかっても倒せないような化け物を、槍の一突きや小石の投擲で仕留めるたびに、彼らの返り血を浴びるたびに、アレンの視線が怯えを含むときがあったが、仕方なかった。
少年の視線が刺さるたび、心の奥がちくりと痛むような気がしたが、そういうものなのだと割り切る。
親がおらず、自分が妹を守らなければと気負う分だけ、兄であるアレンが身構えるのもわかるからだ。
襤褸雑巾のような状態から数日で動けるようになるまでに回復したり、疲れも見せず何時間も馬と並走したり、寝ずの晩をいくら続けてもけろりとしていたり、そんなことができるのは、まともな人間でないことなどすぐわかる。
幸いなのは、エミリーのほうにはそこまで怯えられなかったことだ。
無邪気なのかなんなのか、彼女のほうはこちらが避けようとしても懐いてくるのだ。下手に振り払って泣かれてはたまらないので、むしろアーチャーは彼女の扱いに困っていた。
そのまま、彼らは荒れた大陸の上で旅を続ける。
大地の上に人の痕跡が見えるようになったのは、旅を始めて二週間と少しが過ぎた頃だった。
轍の跡が見え始めたのだ。
アレンは喜びを顔に表し、エミリーも、兄の様子から何か良いことがあると悟ったのだろう。にこにこと笑顔になった。
「……」
逆に、アーチャーは浮かない顔になる。
轍の周りには、獣のものと思しき巨大な足跡と、人の大きさの足跡が無数にあった。そして彼の嗅覚と聴覚は、突如として大気に混じりだした血生臭さと、人々の悲鳴を感じ取ったのだ。
先へ行こうとする馬の轡を取って、アーチャーは岩陰に馬と兄妹を導いた。
不満げに見上げてくる少年の肩を掴んで、一言一言区切るように言った。
「アレン。いいか、俺の後ろから離れて来い」
「え、どうして?」
「いいから、言われた通りにしろ。もし俺が逃げろと叫んだら、ひたすら馬を西に走らせるんだ。振り返らずに、走れ。妹と自分のことだけ考えて、逃げろ」
言うなり、手の中に無銘の槍を顕現させた。
先へと走り出そうとした彼の服の袖を、アレンは掴む。
「ちょっと、アンタ……」
「車が襲われているかもしれない。俺が行くが、何かあれば逃げろ。妹を守るのはお前なんだろ?」
アレンの目が、兄の服の裾を掴んで、無垢に見上げている妹に注がれる。
「……わかった」
「よし、じゃあな」
言い終えるか終えないかで、地を両足で蹴った。
地を走るというよりは、空間を踏んで跳び越すような跳躍を繰り返して前へと進む。
そのままの勢いで、街道に集る兵士の群れに突っ込んだ。
槍を水車のように回転させ、まとめて兵士を空中に跳ね上げて突き殺す。
ヒトの形をしてはいても、ろくな理性も有さず、ただ命じられたままに殺戮するケルト兵は、アーチャーにとってはただ淡々と処理するだけの的だった。
ケルト兵たちは、一塊になっていた荷馬車の群れを取り囲むように襲っていた。
その土手っぱらに、アーチャーが砲弾のような勢いで踏み込んだため、彼らの間に動揺が走る。
「そらそらそらァ!俺はここだぞ、殺してみせろ獣共が!」
狂気的な笑みを────敢えて貼り付ける。返り血で黒い髪を真っ赤に染めながら、アーチャーは吠えた。
「戦いを挑まれて尚、弱者を的にするならやってみればいい!この腰抜けが!」
嘲笑うかのように言葉を吐き出し、走りつつ槍を振るいながら叫んだ。
荷車に取り付いていた彼らの耳にも、それは聞こえたのだろう。
雄叫びを上げて、アーチャーへと狙いを変えた。
「
笑みを吹き消しぼそりと呟いて、アーチャーは荷馬車の群れから、離れた荒野まで一直線に駆けた。
そこでやおら反転し、ケルト兵が身構えるより先に、槍の柄を地面に突き立てる。
「落ちろ、『
槍の穂先に雷が落ちて地面を走ると同時に、天空から地面に群れるケルト兵へ向けて無数の雷撃が降り注いだ。
地面からの感電と、天空からの雷撃に撃たれ、焦がされ、ケルト兵たちは体から煙を発しながら斃れる。
それでも完全な絶命に至らない彼らの足元に、アーチャーは作り出した水を流し込む。即席の水面に触れてルーンを刻めば、氷の槍が地面から生えて剣山をつくった。
当然、水に囲まれていた兵は氷で以て根こそぎ串刺しになる。
彼らの体はそのまま、光の粒子となって消えて行く。
魔力で編まれたモノたちが、魔力へ還る光景をアーチャーは見て、はぁ、と深く息をついて槍についた血を払った。血が大地に転々と飛び、不思議な紋様を描いたようになる。
「『
槍を肩に担ぎ直して、なるべく顔や服に飛んだ血を拭いながら元来た道を辿る。どうせ魔力になって消えるものだが、視界が赤くては邪魔だった。
荷馬車と馬でできた一団はまだそこにおり、槍を手にしたまま近付く少年の姿を見かけた途端、男たちは銃を携えて立ち上がった。
警告される前にアーチャーは足を止め、槍を離して地面に落とした。
「止まれ!何者だ、お前は!」
「俺の名はアーチャーだ。一応言うけど、アレらの敵。銃でもサーベルでも構えたままでいいし、これ以上近づかないから、俺の話を聞いてくれないか?」
数メートル離れたまま、アーチャーは叫んだ。
銃を構え、軍人然とした厳しい顔の男がひとり、集団から歩み出る。
「良いだろう!貴様は何だ?西部合衆国のサーヴァントか?」
ぴゅう、とアーチャーは口笛を吹いた。
少なくともサーヴァントの呼称と存在を知っている者が、西部にはいることになる。或いは、彼らを率いているのがサーヴァント本人なのかもしれないが。
「俺は、合衆国のサーヴァントじゃない。が、あんたらの敵でもない。だから、俺に構うより先に進むほうが良いと思う。追いつかれたくはないだろう」
軽い暗示の魔術を混ぜ込んだ言葉をアーチャーが言えば、相手は銃を下げた。
「……了解した」
「あー、ちょっと待て!もうひとつ!」
あんたらの中にアレンとエミリーという名の、幼い兄妹と逸れた親はいないか、と問うた。
本当はわかっている。彼らの中に、あの兄妹の両親がいることは、少し探索のルーンを使えば割れていた。
共に暮らした血を分けた親子ともなれば、気配は似てくるものだ。
果たして暗示の魔術を乗せた声に、再び男はかかった。
いるぞ、という返答に薄く笑う。
「じゃあ、その二人を連れてくるから、ほんの少しだけ待っていてくれ」
言って駆け戻って、鹿毛の馬とその上に跨る兄妹を連れて来れば、一団から中年の男女が飛び出して来た。
「おかあさん!」
小さな女の子はそうやって、解き放たれた仔犬のように母親の胸に飛び込む。
おかあさん、おかあさんと何度も言う声に涙が混じっているのをアーチャーは遠くから聞いた。
父親と思しき、中年に差し掛かりかけている男は、よくやったというように兄の髪をかき混ぜている。
その瞳に涙が滲んでいるのを、やはりアーチャーは見た。
彼らが顔を上げる前に、音も立てずに後ろへと下がり、そのまま自らの気配と姿を、砂の混じる風の中に溶け込ませた。
「あっ!アーチャー!」
そんな驚いた声を聞いた気がしたが、振り返らない。
これであの兄妹はもう大丈夫だった。
現在背後から接近してくる気配を、ここで迎撃できればの話だが。
「気づいていたか」
「……そりゃあ、な」
荷馬車の一群の姿が地平の彼方の点になるまで駆け戻ったところで、少年は止まる。
荒野にて立ちはだかるのは、兵士と魔獣、空飛ぶ飛竜を従えた男だった。
鎧を身に着けた筋骨隆々の戦士であり、肩には奇妙な形の剣を担いでいた。
「ドリル剣……じゃないか。あんたは、セイバー・フェルグス。螺旋剣カラドボルグの使い手だな」
アーチャーが呟いた言葉に男、アルスター伝説の英雄が一角、フェルグス・マック・ロイは片眉を上げた。
「そんなことを宣うお前は、何処の誰だ?その霊基は気配に覚えがある。だが、中身のお前の気配は知らんな」
フェルグスの鋭い視線を受けて、少年は口元を緩めた。
「だろうな。だけど、あんたに教える必要は感じないし、俺がどこの誰かなんてどうだっていいんだ」
ちょうどいい、
指されたフェルグスは、一瞬まじまじと少年の顔を見た後に、天を仰いで呵呵大笑する。
「面白いことを言う。だが当然、駄目だ。欲しければ奪え。それとな……その霊基も返せ。やらぬならばここで斃れろ。さすがに、その英霊を二度も
「どちらも無理だな」
「だろうな。是非もない」
フェルグスはカラドボルグを、アーチャーは無銘の槍を、それぞれ構えた。
空と地上に犇めくワイバーン、獣、兵士の敵意を総身に浴びて、アーチャーは眉をしかめる。肌がちりちり傷むようで、落ち着かなかった。
同時に、頭上を飛行して背後へ行こうと動いたワイバーンの頭を、槍の先端から生み出した雷が焼き焦がして、巨体を大地に落とした。
フェルグスが意外そうに細めていた目を微かに開いた。
「護るのか?あれらはお前の仲間ではないだろうに」
「恩がある子たちが混ざっててさ。護るって言ったから、果たさないと。ゲッシュでもなんでもないが、約束は大事だろ?」
軽口を叩きつつ、全身に薄っすらと紫電を纏う。
目の前の相手の格は知っていた。
真名はフェルグス・マック・ロイ。
赤枝の騎士のひとりで、アイルランド神話最大の大英雄クー・フーリンとも肩を並べる戦友だ。
彼の相手をしつつ、彼の従える怪物たちをも留める。
至難の業だが、あれらひとつでも後ろに行くと、恐らくあの避難民たちと、それに彼らと共にいる兄妹は襲われるだろう。
「初っ端の戦闘の次はこれか。こっちもこっちで余裕がないってのに、なぁ……。ははは、やっぱりどれだけ経っても兄妹には弱いや、俺」
自嘲するような軽い口調のまま、いっそう強く全身から雷を発した、そのときだ。
彼方から飛来した青い閃光が、彼らの頭上のワイバーンに突き刺さり、炸裂し、群れを消し飛ばした。
「え……?」
ぽかん、と間の抜けた顔で上を見上げる。
空をみっしりと埋めていた飛竜の身体は肉の欠片となり、ばらばらと地上に落ちて来る。血や肉の雨が魔力へと還る光の中、我に返って辺りを見渡した。
仮にも弓兵であるサーヴァントの視力は、すぐに矢が飛来してきた方向を見定める。
遥かな丘の上、弓を構えているのは白衣を纏った長身の青年である。
そして彼の身長ほどもある、長く大きな弓に、第二の矢が番えられているところまでが見てとれた。
「あ、ヤバ」
呟くと同時魔力を両脚に叩き込み、後ろに跳んだ。
次の瞬間、音よりも速い速度で放たれた矢は、地上に動いていた魔獣とケルト兵に着弾。そして爆裂した。
「……」
無言のまま、砂煙の向こうの気配を探る。
第二撃が弓から放たれた時点で、フェルグスは消えていた。気配の消え方の唐突な感じからすると、
視線をやれば弓を消すことなく、青年が丘から飛び降りるところだった。そのまま、こちらへ恐ろしい速度で接近して来るのを確認し、アーチャーは地面に座り込む。
あの射手は明らかに、こちらが巻き込まれても構わない勢いで矢を放ってきたサーヴァントである。だが、最大速度で逃げても、今の自分ではあの弓で撃たれるほうが早い。それなら、留まって話をしたほうがまだマシだった。
「……ま、あのふたりは逃げられたようだし、親と会えたみたいだし、いいか」
とりあえず約束は守れたようだと、そのまま後ろ向きに倒れ、手足を広げてごろりと地面に体を投げ出す。
大の字になって見上げるアメリカの空は、白い雲と光輪が浮かび、嫌味なほどに高く、青かった。
というわけで、現在は名無しのアーチャー、他サーヴァントと接触。誰なんでしょうね…?
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