九番目の少年   作:はたけのなすび

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では。


act-45

 

 

 

 

 冷たい手だった。

 その手のひらには皺がほとんど刻まれておらず、傷痕だらけでざらついているわけでもない。真っ白で真っ更な、小さな子どもの手だった。

 皺は年月と共に刻まれる。傷跡も重ねていけば、いつか生きた証になる。

 だからどちらもない手は人形めいて硬質で、薄氷のように滑らかだが頼りなかった。

 柔らかく小さなその手のひらは、ルーラーの頬を包んでいた。

 すぐに振り払えてしまいそうな、細い腕を伸ばした痩せた子どもなのに、透明な瞳はルーラーとレティシアの二人の少女を捉えて決して離さなかった。

 片方の瞳には、ルーラー・ジャンヌ・ダルクを、それにレティシアを、問い質す意志だけがあった。

 

「あなたはホムンクルスの彼が、好きなのでしょう?それは、聖女の愛ではなくて、もっと……もっと、ちがうカタチをしています」

 

 あなたのそれは()です、と幼い少女は断言した。

 

「それは……それは……!」

 

 正しきルーラーであるならば、紛れもないサーヴァント/死者であるならば、認められるはずがなかった。

 現世の少年を────ジークを、人を慈しむべき(聖女)が、普通の少女のように恋い慕う。

 それは、あってはならなかった。あってはならないことと、ルーラーは己を律していた。

 

────恋をすべきは、あたたかな感情を得るべきなのは、今を生きるレティシアで……ノイン君で。

 

────だから彼ら二人の関わりは、私には守るべき善きもので。

 

 そう思っていたはずなのに、それなのにルーラー()は、彼らに対して何をしてやれた?

 何を、彼らに選ばせた?

 

 ルーラーの手は戦慄いていて、目の前の少女は哀しみすら感じさせる声で続けた。

 

「あなたが彼を愛すこと、それをわたしたちは……とがめません。誰かを愛して、そのひとの無事をいのる。それはすばらしいことと、おもうからです。わたしたちも、きょうだいには、ほかのだれより、しあわせになってほしいからです」

 

 斃れたそこで時が止まったわたしたちに、恋は、わからないことだけれど、と幼い少女は、ルーラーの頬から手を離した。

 たちまち世界が復帰し、舞台は終わる。

 場所は変わらない大聖杯の前。ルーラーにも、鎧と旗が戻る。キャスターと、アーチャーの気配も戻る。

 しかし、ジル・ド・レェと、幼い少女もまた、消えていなかった。

 

「否定を、しないでください。目を、そむけないでください。傲慢だからと、()の願いを、けさないでください」

「彼……?」

 

 ルーラーは項垂れてしまっていた顔を上げる。

 大聖杯の中から姿を現し、空間に降り立ったのは、天草四郎時貞その人だった。

 白い髪は長く伸びて束ねられ、赤い陣羽織を羽織っている。聖職者というよりも、さながら王の凱旋のような晴れやかな姿をしていた。

 姿を現した敵の首魁なのに、ルーラーは旗を構えられない。

 彼の願いを壊さないでと、少女がルーラーに哀願した声が耳の奥にあって、抗わなければならないという気力が、湧かなかった。

 

「天草……四郎」

 

 折れていた膝に力を込めて、ルーラーは立ち上がった。

 

「ええ。ルーラー、ジャンヌ・ダルク。今ならば、貴女には我が願いを告げられる。教えましょう。私が掴んだ、人類を救済するための方法を」

 

 輝く奇跡の盃を背にして、かつて自らを聖人の紛いと定義した少年は、高らかに告げた。

 聖杯を以て、遍くすべての人間に第三魔法を適用する、魂を物質化に踏み切るのだ、と。

 

「魂の、物質化?つまり……」

「そう。人は老いることも死ぬこともなく、あらゆる苦痛から解放される。激情は抑えられ────穏やかな悠久の生を、人々は享受することになる」

 

 それが、どれほど死に瀕した生命でも、苦痛しかない生を歩まされた者であっても、救われるのだと、天草四郎は告げた。

 

─────苦痛しかない生。

 

 その一言で、篭手に覆われた手がぴくりと動いた。

 天草四郎は構わずに続ける。その傍らにはキャスターが現れて羽ペンを走らせ、アーチャーは弓に矢を番えていたが、その眼はルーラーではなく幼い少女に注がれていた。

 

「ルーラー、それでもあなたは、我が願いを否定しますか?死者が生者を導いてはならないという単純な理屈など越えて、私はすべてを救ってみせます。そうすると、決めたのです。あなたがたった今、失わせた生命に報いるのに、これ以上の(すべ)はないと私は断言します」

 

 どれだけ己の生を否定されようと、決して屈しなかったルーラーから、言葉はなかった。

 まだ狂気に呑まれる前の彼女の戦友は、痛ましげにその様子を見ていた。ひとりの、ただの少女のように、呆然と立ち尽くしたジャンヌ・ダルクに、ジル元帥は歩み寄った。

 

「ジャンヌ、彼の願いをよく聞くのです。彼の願いは悪ではない。彼の願いを受け入れ、救済を共に行う。そうでなければ私の罪も貴女の罪も、雪がれることはないのです」

「貴方の、罪……?」

 

 のろのろと繰り返したルーラーの目の前で、元帥の貌は変貌する。

 二つの眼球が膨れ上がり、笑みは不気味に落ち窪む。姿形が変わらないだけに、表情だけが狂気を孕むのは恐ろしい変化だった。

 瞬きの後、そこには救国の英雄ではなく、狂い果てた殺人鬼、数多の人々を欲望のままに虐殺したジル・ド・レェその人の姿があった。

 そこまで堕ちたのは、狂人になる道を選んだのは、彼自身だ。

 けれど、ジャンヌ・ダルクの死がなければ、彼女が己の運命を甘んじて受け入れなかったなら、或いは、この騎士はこうならなかったかもしれないというのも、事実だった。

 ルーラーの瞳が震えて、彼女は顔を手で覆う。膝から力が抜けたのか、床に膝を付いて頽れた。

 指の隙間から、彼女の嗚咽の声が響くのを聞き、“赤”のアーチャーは弓を僅かに下げた。

 

「これで聖女は終いか、マスターよ。必要ならばとどめを刺すが」

「いえ。今のルーラーは敵ではありません。我らの救済を破綻させようとはしないでしょう。これから来る者たちを考えれば、彼女を排除してはいけません」

 

 ふん、とアーチャーは鼻を鳴らし、ルーラーの傍らで呆と立つ少女に目をやった。

 

「キャスター、正直に答えろ。あの子供は誰だ?」

「おお、いつか尋ねられるとは思いましたが、やはり気になりますか。そうでしょうなぁ!我がマスターの願いに、すべての幼子の救済を願った貴女なのだから!」

「五月蝿い。いいから答えよ」

 

 アーチャーは苛立たしげに片脚を床に叩き付け、キャスターは一礼してから滔々と述べた。

 

「知れたこと。彼女はこの世のどこにでもある悲劇の犠牲。そのほんの一部に過ぎませぬ。かつて、消費されるために造り出された幼子たちがおり、彼らは無慈悲に使い潰された。彼女はその中のひとりで、今こちらの敵となっている槍使いの少年の、同胞(はらから)ですな」

「それは……草原で私の相手をしたあの者か?」

「如何にも!」

 

 そうか、とアーチャーは弓を完全に下ろす。

 草原で相手をしたサーヴァント擬きの少年を、アーチャーは覚えていた。目の前の幼い少女は、言われてみれば顔立ちに面影が色濃くあった。

 あの少年は既にアーチャーにとっては子どもではなく、敵の戦士のひとりだった。

 だが、この少女はアーチャーにしてみれば、守るべき子どもそのものだった。生きることを許されなかった、何の罪も犯していない、小さな子ども。過去のアーチャーと同じだったのだ。

 彼女らのような子を救いたくて、この世すべての子どもたちが愛される世界がほしくて、アーチャーは天草四郎に自らの望みをも託したのだ。

 思わず、少女の方へとアーチャーは歩み出す。

 

 ルーラーの嗚咽が止まったのは、そのときだった。

 顔を覆って泣き暮れていた聖女が、顔を上げている。顔を上げて、幼い少女を見ていた。

 アーチャーにとってその彼女は、折れた聖女ではない、別の誰かだった。

 けれどその気配が現れた瞬間に、幼い少女は肩を強張らせる。

 ルーラーと入れ替わりで現れた彼女は、その視線を受けても口を開いた。

 

「あなたは、ノインさんの妹さん……なのですか?」

 

 幼い少女はこくりと頷く。

 

「……はい。そしてあなたは……わたしたちのきょうだいに、世界を見せたひとですね」

 

 見せなかったらよかったのに、と少女は自分の二の腕を掴みながら言った。

 ルーラー─────否、レティシアはその目に、射抜かれたように思う。ノインと悲しいほどに面差しが似通った少女は、ルーラーではなくレティシアを真っ直ぐに見ている。そして、彼女はつい先ほど言ったのだ。

 

─────あなたたちは、ノインに出会わなければよかったのに、と。

 

 あなたたち、と言ってはいたが、彼女の言葉の矛先は、ルーラーでなく自分に向いているとレティシアはあのとき感じた。

 

「どうして、ですか?わたしは……ノインさんと出会ったことを、間違いと思いません。思ってもみません」

「まちがいです。会わなければよかったんです。あなたがいるから、ノインはあきらめられなくなった。きれいで、やさしくて、わたしたちには手のとどかなかった世界に、あこがれてしまった!」

 

 小さな拳を振り上げて、少女はレティシアの胸を叩いた。痛みはなかったが、衝撃が胸を貫いた。

 

「あきらめれば、くるしむことも……つらいと感じる心を得ることもなかったのに!わたしたちのことを覚えていたから、あのホムンクルスを、あなたを助けて、たたかいをつづけることもなかったのに!」

 

 あんな怖がりなのに、と少女は涙でふやけた声で叫んだ。

 癇癪を起こしたように、ぽろぽろと泣く幼い顔は、確かにノインとそっくりだった。”黒”のアサシンを倒したあの夜の、儚く泣いたあのときの顔だ。

 

「……」

 

 幼い彼女の言葉は、レティシアに突き刺さっていた。訳がわからないほどの激しい哀しみで、胸が張り裂けそうだった。

 自分の無力を、心底憎みたくすらあった。

 それでもレティシアは、前に一歩進んだ。

 決して膝を折ることなく、話し聞くこと。それがただの人間であるレティシアにできるすべてだった。

 天草四郎や他のサーヴァントの視線は遠くにあって、彼女の目の前にはツェーンしかいなかった。

 

「……ツェーンさん、あなたは、本当にノインさんのことが好きなんですね」

 

 きょうだいで────半身で、きっとレティシアよりずっとノインのことを知っているはずだ。

 好きだから、愛しているから。苦しんでほしくなかったと少女は泣いたのだ。

 その気持ちはレティシアにも伝わった。痛いほどに。

 それでもひとつだけ、言わねばならなかった。

 

「ノインさんに残っていたものが、苦しみだけだったと……わたしは思わないんです。そうだったら、あの人はもっと……冷たかった。ジークさんのことも、わたしのことも、見捨てられたはずです」

 

 ノインは、いつもぎこちなく笑っていた。

 へらりとした笑いは、誰かを安心させるための精一杯だったが、それでも彼は誰かを気遣うあたたかみを、元から持っていたのだ。

 ひとりぼっちになって心を失くしたのではなくて、奥にしまい込んで鍵をかけていた。その鍵を、きっと自分たちは緩めただけ。

 心を守っていたのは、ノイン自身なのだ。

 世界の美しさ、なんてそんな大層なものをノインが自分から得たとレティシアには思えなかったけれど、彼の気遣いは感じていた。

 

「だから……あ、諦めたほうが良かったなんて、そんなことを、言わないでください。わたしのことはいくらでも嫌ってくれていいんです。詰っても、憎んでくれても構わない。……でも、わたしはどうしても……苦しみだけの生を……あの人は送っていないと思います。わたしは、あの人のすべてを信じています」

 

 あれっきりでノインが本当に死んでしまったと、何故かレティシアは信じられなかった。

 現実から目を背けたのではなく────と思いたかったのは確かでも─────ただ漠然と、まだこの世の何処かで彼が生きていると思えたのだ。

 レティシアは、裡の聖女が顔を上げたのを感じた。あたたかい雫が、頬を伝った。

 一心に駆けてくる足音が、耳に響いたのはそのときだ。

 レティシアよりも上の空間を見た天草四郎は、目を細めた。

 

「……ほぅ、生きていたのですか」

 

 その言葉に応えるようにして、かん、と盾が石の床を打つ乾いた音が、地下空間に木霊する。

 聖杯の間の入り口に姿を現したのは、大盾を携えた黒髪の少年であった。彼と共にいるのは、ホムンクルスと魔術師の少年。彼らも皆、無事だった。

 二本の脚でしっかりと立つノイン・テーターは盾を構え、大聖杯とその周りに集まる人々を眺め渡したのだった。

 

 

 

 

 

 

 





過去と未来が言いたいことをぶつけ合っているところへ辿り着いた当人。

ちなみにデミ少年にも、埋もれた願いがあります。
ただそれは、天草四郎の語る平和な世界では、決して叶わないものだったりします。

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