九番目の少年   作:はたけのなすび

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では。


act-28

 

 

 

 あなたのサーヴァントはもういない、我々が討伐した、とフィオレはユグドミレニアの長としてその女性に告げた。

 そう、と美しく儚げな彼女は眼を伏せる。

 折れそうなか弱く見えるその女性、アサシンのマスター、六導玲霞は次の瞬間、フィオレを真正面から見た。

 狂気すら感じさせる澄んだ眼で見つめられ、フィオレは表には出さないながらも内心たじろいだ。

 けれど玲霞はフィオレを糾弾することはなく、ただあの子を殺した人たちの一人と話がしたい、とだけ言ってそれきり貝のように口を閉ざした。

 アーチャーに促されて、フィオレは部屋を出る。

 アサシンを討伐し、捕らえた玲霞を閉じ込めている部屋の外に出れば、佇んでいるジークとライダーがいた。

 

「何故貴方たちがここに?ルーラーたちは?」

「ノインがいないのでルーラーが探している。俺がここにいる理由は、まぁ……何となくだ」

 

 素っ気なく言うジークと部屋の扉をフィオレはつい見比べる。

 ジークは玲霞の要求通りの人間だった。フィオレが玲霞の要求など聞く必要はないのだが、彼女には玲霞の燃えるような瞳が忘れられない。その戸惑いをフィオレは表に出してしまった。

 車椅子の肘置きを握り締めるフィオレを、ジークは黙って視線を注いでいる。

 意を決して、フィオレは口を開いた。

 

「……アサシンのマスターがあのとき街にいた人と話をしたいと言っています」

 

 その言葉を予想していたかのようにジークは頷くと、扉の方へ向かった。ライダーが黙ってその後をついていく。

 

「ジーク、何も君だけが向き合うことはないのですよ」

 

 アーチャーの言葉にも、背中を向けたままのジークは軽く頷いただけだった。ぱたんと扉の閉まる軽い音がして、彼の姿はもう消えていた。

 フィオレは思わず、車椅子を押してくれているアーチャーを見上げる。

 

「……あの場にいたマスターとして、彼には思うところがあったのでしょう。マスター、けれどこれでアサシンは討伐されたのです。我々は庭園への対策を決定せねばなりません」

「そう、ですね。早く戻らなければ」

 

 自分はユグドミレニアの長なのだから。先程玲霞の視線に怯んでしまったが、あんなことは二度とやってはいけない。正しく長として在り続けるのならば。

 これから先きっとああ言うことは何度もあるだろう。

 長として振り切って、眼前に迫る空中庭園の問題を何とかしなければならなかった。

 それでも、車椅子で進みながらフィオレは閉じられた部屋の扉を振り返りそうになった。

 その少女の様子を、アーチャーは複雑な色合いの瞳で見下ろしているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 椅子と寝台だけの部屋で、玲霞は腰掛けることもなく佇んでいた。

 ジークとライダーが入ってきた物音を聞き付けて玲霞は振り返る。その気配はやはり何処からどう見ても、一般人で何ら魔術の気配は感じ取れなかった。

 立ち方や歩き方を見ても、彼女には武術の心得すらない感じがあった。それなのにアサシンの霧で自分が傷付くことを承知で踏み込んで来て、銃を慣れた様子で扱ったのは、驚きだった。

 六導玲霞にそれだけの願いがあったのか、それともアサシン個人に思い入れがあったのか。

 玲霞の瞳の異様な輝きを見れば、どちらなのかは明らかだった。

 

「あなたは……あのときのマスターね」

 

 玲霞は冷たい、けれどどこか霧の彼方を見ているような茫洋とした瞳のまま尋ねる。

 ジークは頷いた。

 

「“黒”のライダーのマスターのジークという」

「そうなの。それで、私を殺しに来たの?」

 

 玲霞は平坦な声で尋ね、ライダーは顔をかすかに歪める。ジークは首を横に振った。

 

「俺たちはあなたをこれ以上害さない。その理由が無いからだ。戦いが終わるまではここにいてもらうが」

 

 玲霞を解放して魔術協会に身柄を押さえられでもしたら、諸々面倒になるかもしれない。

 そのためフィオレは戦いが終わるまで彼女を城塞内に留めおくことを決めた。聖杯大戦が終われば、密やかに日本に返すつもりなのかそれ以外の方法を取るのかは知らないが、フィオレには玲霞を粛清するつもりはないらしかった。

 その話を聞いたとき、フィオレは一族の長としては随分と甘い、とジークは先代の長の顔を思い浮かべながら思った。

 けれど今の玲霞は、自分のことなどどうでも良いと考えているように見えた。

 

「そう。あなたたちはもう、私を放っておくのね。あの子のことは消したのに」

 

 何故なら、生命が惜しいならこんな捨て鉢な物の言い方はしないだろうから。

 親を求めて泣き叫んでいたアサシンを、彼女は子どものように思っていたのだろう。

 ジークにはアサシンを討伐したことは間違っていたとは思えない。そうしなければ、被害はさらに拡大しただろうし、ジークも同胞を殺めたアサシンを憎んでいた。

 ただ、玲霞の持つ親から子への愛情とそれ故の憎悪をジークは感じていた。

 ジークにそういう愛情の実感はない。

 ホムンクルスに親はなく、幼い子どもとして生まれる訳でもない。だから根本から分からないのだ。

 幼子の霊魂たちと、眼の前のこの女性の間にあった母娘の絆など、理解できようはずもない。

 けれど、理解できずとも玲霞にとってアサシンが大切だったことは十分過ぎるほど感じ取れた。

 親はいなくとも、大切だと思える人々がいるからこその感覚だった。ジークもライダーやルーラー、ノインが殺されれば、物の道理などかなぐり捨てて怒り、殺した相手を憎むだろう。

 実際ジークは同胞を殺したアサシンを、生まれて初めて憎悪していたのだから。

 だからあの場にいて討伐に手を貸した自分が、玲霞に告げる言葉がないことも分かっていた。

 

「俺からはもう、あなたに言えることはない。ただ、アサシンは俺たちの側の人間を殺し、俺たちはあなた方を放置できなかった」

 

 だから戦い、だから殺した。それ以上でもそれ以下でもない。

 ジークが部屋を出ようとしたとき、視界に何かが閃いた。反射的に右手で受け止めて見れば、それは小さな携帯電話だった。

 子ども用にも見えるそれを投げ付けた玲霞は、燃え盛る炎のような瞳でジークを見ていた。

 

「ひと殺し。あなたたちはひと殺しよ。私を殺そうとして、あの子のことも殺して、願いを踏み躙った」

 

 あの子はただ、あたたかい所に還りたかっただけなのに、と玲霞は呆然とした顔の少年に指を突き付けて叫んだ。

 呆然としたのは一瞬で、ジークは眼の前が怒りで赤くなった。しかし玲霞の壊れそうな表情を見て、怒りはゆっくり鎮まった。

 ジークは何も言わないことを選んだ。

 手をきつく握り締め、彼は黙って部屋を出る。ライダーはジークの顔を覗き込んだ。

 

「マスター、大丈夫かい?」

 

 大丈夫、と答えようとして違う言葉が

口をついて出た。

 

「……分からない。分からないんだ、ライダー」

 

 手の中の小さな携帯電話を見下ろしてジークは言う。

 彼にとっては、アサシンは倒すべき敵でしかなかった。同胞を殺し、ノインのことも殺そうとしていた。ジーク自身、玲霞に銃で撃たれた。

 それでも六導玲霞には愛する子どもだったのだ。ひと殺しだと、自分が撃ち殺そうとした張本人である眼の前のジークを正面切って糾弾するほどに。

 それが逆恨みだと、簡単に断じることができれば良かったのに。

 彼女の激情と比べれば、殺そうとしたから反撃しても当然という理屈は頼りなく思えた。自分には感情が薄いと、ジークが自分で自覚しているからだ。

 大切な人を殺された故の憎悪は、理屈ではない。割り切りも諦めも、できる訳がない。

 これまでの短い生で、ジークも死ぬかもしれないと思ったことは何度もあった。

 ロシェや“黒”のキャスターは、ジークの生命を簡単に摘み取ろうとしたし、ゴルドにジークは一度殺された。

 でも彼らは、結局のところジークを道具として扱っていた。ロシェたちは言うに及ばず、ゴルドの怒りも急にそれまで何の問題もなく扱えていた道具が、急に制御不能になったことへの苛立ちが勝っていた。

 ジークは、自分で培った今までを肯定され許されることはあっても、否定されたことはなかった。絶対に許さないと、憎まれることもなかった。

 ジークという個人を一人の人間として憎いと断言し、感情の刃を叩き付けてきたのは、六導玲霞が最初なのだ。

 アサシンが消えたと言うのに、変わりにジークの心を占めたのは虚しさだった。仇を取れたという想いも実感も何処か遠かった。

 ふと、ロシェに罵られても何も返さなかったノインの姿を思い出した。

 彼に罵倒されたままで良いのかと、ジークは一度ノインに尋ねたことがある。昨晩、眠る前だったろうか。

 少し困ったように黙った後、ノインは答えた。

 

―――――俺はロシェの尊敬する人の悲願を壊したのだから恨まれるのは当然だ。大事な人を失くした痛みから立ち直れたなら、それは良いことじゃないか。

 

 と、ノインはへらりと笑っていた。

 あんたは俺よりずっと歳下なんだから、好きにこっちを頼れば良いのだと何時だったか言っていたノインの言葉も思い出した。

 その通りだったんだ、とジークはあのとき何の気無しに受けとっていた言葉の意味を噛み締めた。

 

「俺はまだこの世のことを、何も知らないんだな。……事の道理というのはもっと単純なんだと思っていた」

 

 決して割り切れない愛と憎しみと、それを向けられても尚、生きてゆかなければならない人の業があった。

 ジークはずっと自分は人に憧れていたのだと想った。これまで彼が深く関わって来た人々、ルーラーやライダーたちは、明るかったし強かった。

 ホムンクルスに縁遠い、確固とした自分の意志を持っていた。

 多分、人の光の部分を多く持つのが彼らだったのだ。

 そんな彼らでも、玲霞はひと殺しだと言うのだろう。私の愛したあの子を奪ったのだから、と。

 ルーラー、ジャンヌ・ダルクも、あんな風にどうにもできない人の憎しみをぶつけられて火刑に消えたのだろうか。

 そうやって誰かを殺して世界を回して行くのが、人間なのだろうかと一瞬思った。

 ジークには自分の中に生まれたこの感情を、言葉で表すことはできなかった。

 けれど、手放しで躊躇いなく人の世すべてを肯定することは、もうできないとだけ分かっていた。

 そう呟くジークの肩を、ライダーは優しさと親しみを込めて叩いた。

 

「うん。キミはまだ子どもなんだもの。好きなだけ悩めば良い。でもだからこそね、あんまり難しいコトばっかり抱え込むなよ」

 

 ね、とライダーは首を傾けた。

 その笑顔に、ジークはつられて小さく笑った。

 

「……ありがとう、ライダー」

「お礼なんて良いのさ。……ボクだって、本当は弱い未熟者なんだ。もっと強かったらさ、頼もしい言葉を堂々と言えるのに、こんな言い方しかできなくてごめんね」

 

 それでも荷物は一緒に持てるから、とライダーは笑って言い、ふと顔を曇らせた。

 

「……あっちも、キミくらい素直ならもうちょっと楽になるのにね。暗いところにいた方の時間が長いから、そう簡単に行かないのが問題だよ」

 

 でもそれは、あの子に任せるしかないなぁと、ライダーはため息をついてジークの髪をくしゃりと撫でたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ふと視線を下ろすと、床の上のガラス片に暗い眼をした少年の顔が映っていた。

 ぼさぼさの黒髪の隙間から見える瞳は血のように赤く、ただ痩せっぽちで小柄な少年だけがそこにいた。

 二つの赤いその瞳は、ひどく淀んで暗かった。

 頭を振って、ノインは顔を両手で覆う。

 彼が今一人いるのは、前の自室だった場所だ。

 ”赤”のバーサーカーの爆発で壊されて廃墟のような有様になっていたが、ただ一人になりたかったノインの行ける場所はここしかなかった。

 街から城に戻ってから、彼の耳の奥ではアサシンの声が木霊し続けていた。誰かに顔を見られたくなくて、ノインはここに来た。

 アサシンが消滅する最期のときまで直接触れていたからか、ノインの中をジャック・ザ・リッパーを構成していた魂たちは通り抜け、彼の中に爪を立てていたのだ。

 魂が汚染されている訳ではない。けれど彼ら彼女らがどういう存在だったのか、ノインには正確に読み取れてしまい、その声を聞き続けていた。

 彼らはただ自分たちを嘆いていた。

 

 どうして誰も助けてくれなかったのか、と。

 救って欲しかったのに、とても可哀想なわたしたちは、他にどうすれば良かったのか、と。

 

 悪ではなかった幼子の集合体。

 十九世紀ロンドンの暗闇の中、膨れ上がる大都市で声を上げることすらできずにすり潰された子どもたち。

 それがジャック・ザ・リッパーの正体だった。

 

 物として消費されていった彼らの記憶は、その嘆きは、英霊になるために造られ、一人また一人といなくなってしまった仲間たちにどうしようもなく似ていた。

 

 その共感のために、ノインは声をどうしても振り払えなかった。

 普通なら、低級な悪霊の憑依など黙殺することもできるのに、自分の中に彼らと同じ部分があると無意識に認めてしまったがために。

 振り払えない悪霊は怨念を増幅させる。ルーラーに浄化してもらえれば良いという、当たり前の考えも焦燥した頭には思い浮かんでいなかった。

 そしてジャック・ザ・リッパーに手を下した本人には、彼らを悼む資格もないと少年は定義していた。

 痛みはなく、ただ心の奥が軋んで罅が入って、暗闇から響く声がその隙間に染み込んでくるようだった。

 

―――――ころしてしまえ、うらんでしまえ。世界はみにくいものだから。

―――――あなたはそれを、よく知っているはず。なのに、まだ生きていたいの?

 

 囁きが途切れないのだ。

 自分の肩を自分で抱いて、ノインは床に膝を付いた。

 

―――――違う。そうじゃない世界だって、この世の何処かにはあるはずなんだ。

―――――俺はこの世界を恨みたくない。

 

 このたった数日だけでも、自分はそのあたたかい欠片に触れられた。

 だから、違うはずなんだと少年は聞き分けのない幼い子どものように頭を振り続けた。

 辺りには誰もおらず、沈黙だけが側にあった。この世にたった一人になってしまったかのような寂しさが骨身に沁みた。

 けれど、そのとき。

 何処からか、足音が聞こえる。きぃ、と音がしてがたついた部屋の扉が開いた。

 柔らかい手が肩に置かれ、ノインは顔を上げた。

 

「ノインさん……?」

 

 真暗な闇にも光を灯す星のような紫の瞳と金色の髪の少女が、そこにいた。

 

 

 




悩むジークと神経すり減っているデミ少年。

デミ少年は見下されることや、自分より格上の相手からの圧力には耐性がある。
ただそれ以外は……。

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