では。
「う~ん……」
トゥリファス市街のとある屋内にて、頭を捻っている少年が一人いた。
“黒”のライダー、アストルフォである。
「どうした、ライダー?」
彼に問い掛けるのは、“黒”のバーサーカーのマスターのカウレスである。
街に“黒”のアサシンの調査のため赴いた彼らは、担当区域を分けて調査にあたっていた。
ケイローンと魔術に長けたホムンクルスは新市街。カウレスとライダーは旧市街をそれぞれ担当する。
理性蒸発のアストルフォと組んで動くのか、とカウレスは内心どうなるか心配したのだが、意外やライダーは案外普通に、むしろ精力的に動いた。
マスターの鬱憤が溜まることは今のところはなるたけしたくないし、と、ライダーがぽつりと出掛ける前に言った一言は恐らく彼の本音だろう。
ともあれ、消息を絶った血族の住居に赴いたカウレスたちは、そこで血族を発見した。
ただし彼らは、拷問されて殺された痕を残す骸になっていた。
その死に顔は凄まじく、焼き殺されたものすらあった。さすがにカウレスも肉の焼けた臭いに耐えられず、朝食を洗い場で吐き出してようやく収まった。
魔術の防御を紙のように破って彼らを殺した手口からして、これは“黒”のアサシンなのは間違いない。
まだ顔色がやや悪いカウレスと逆に、ライダーは珍しく厳しい表情で遺体を観察している。
「なぁ、何か分かったのか、ライダー?」
「いやぁ、こっちはえらく拷問されてるんだなぁって。一つ前の魔術師はただ殺されてただけだったろ?」
確かに、とカウレスは思い出した。魔術師は彼以外にも殺されていたが、そこの彼はただ心臓を抉られているだけだった。
「拷問された奴と、されてない奴がいるってことか。じゃ、アサシンは狂ってるわけでもない。……アーチャーたちの方も同じかもしれないな」
「連絡して聞いてみようよ」
アーチャーたちに同行したホムンクルスとの通信を繋ぐカウレスと共に、ライダーは家を出た。
外に出れば、遠くにミレニア城塞が見える。
「連絡が付いたぞ。ここから近い新市街にいるらしいから合流しようってさ」
「オッケー!」
ライダーは明るく言いながら歩き出す。
そのまま、何でもない風に彼はカウレスに問い掛けた。
「ねぇ、そう言えばバーサーカーとは大丈夫なのかい?」
「大丈夫って……どういう意味だ?」
「いやさ、大聖杯取られちゃっただろ?ボクは聖杯への願いとか特に無いからその分平気だけど、バーサーカーは違うし」
「ちょっと待て。お前、聖杯への願いとか無かったのか?」
願いがあるからサーヴァントはマスターに従うもの、というのが魔術師の常識だ。
特にライダーのマスターのセレニケは、真っ当な魔術師から見ても残虐過ぎる行為に手を染めている。
その彼女をマスターにし続けているからには、ライダーにも聖杯への願いがあるからかと思っていたのだが、違っていたのかとカウレスは驚いた。
「んー?特にどうしても叶えたい願いってのは無いよ。ボクはボクの力が必要って言ってくれる誰かの為に召喚された感じさ。あ、聖杯に第二の生を願うってのも考えなくはなかったけど、この状況じゃ言ってられないしねぇ」
「……へぇ、そういう英霊もいるんだな」
そう言うカウレスとて、聖杯への願いは実の所はっきりと決まっていない。根源に興味はあるが、戦いの中で例えばフィオレが生命を落とせば、きっと彼女の蘇生を願うだろう。
だから願いが無いというライダーのことも予想とは違ったことに驚きつつも受け入れられた。
ただ、彼のサーヴァント、フランケンシュタインの怪物は違う。
彼女は聖杯に自分の伴侶を願っている。生みの親、ヴィクター・フランケンシュタインの手で自分の伴侶となるべき相手を生み出してほしいのだ。
けれどそれは、死人に生者を生み出してもらうということで、正に奇跡でもなければ叶えられない願いだ。
「……必ず時間を作ってアイツと話すつもりだよ。この状況じゃ難しいってことをさ」
確率がどれだけ低くても、不可能だとは言い切りたくない。バーサーカーの願いを叶えられる可能性があるなら、カウレスだって掴みたいのだ。
ただ誰かから愛されたかった、という相棒の少女の願いを叶えたいと思うのは人情というものだろう。
「……キミとフィオレちゃんは良い感じなんだよね。良いことだよ」
むむむ、とライダーは腕組みをしている。けれど、カウレスを眺める瞳は優しかった。
「アーチャーも願いがあるサーヴァントなんだっけ?」
「だと思う。流石に聞きづらいから確かめたりはしてないが」
「だよねぇ」
願いがない英霊と、願いのある英霊。
“黒”の中でもそれは別れている。同じことは、あっち側にも言えるんじゃないだろうか、とカウレスが呟くとライダーはさらに首を捻った。
「だよねぇ。“赤”のサーヴァントたちは、そこら辺どうするんだろ?だって人類救済っていう天草四郎のどデカい願いに聖杯使っちゃったら、他の願いを叶える余地とか無さそうだし、七人全員ボクみたいにお気楽って訳でも無いだろうし」
「令呪があるから言うことを聞かざるを得ない……ってことは?」
言ってしまってから、カウレスはそれも十分ではないと思った。
現に令呪を使われながらも、主を斬ったサーヴァントはいる。
彼も直後に自我は呑まれたらしいが、性能はともかく精神面が英雄の領域に到達していない少年で令呪にある程度逆らえたなら、完成した英雄たちに令呪が何処まで通用するか分からなくなってくる。
とはいえどれもこれも、ここで考えても想像にしかならない。
「結局、“赤”が一枚岩じゃない方が、俺たちには良いんだが、そう上手くいきゃ苦労はないよな」
違いないねと、ライダーは頷き、急にこめかみを押さえた。
「どうした?」
「ルーラーから通信だよ。“赤”のセイバーたちとは協力関係は築けたって。ノインはフィオレちゃんに報告するから城に戻るけど、ルーラーはこっちに合流するってさ」
「早いな。もっと手間取るかと思ったぞ」
「口下手ノインも上手くやったんだねぇ」
うんうんと頷くライダーを見て、ふとカウレスは、数日前に初めて会ったノインを思い出した。
無機質で冷淡で、正にそこにいるだけの人の形の使い魔そのもののような少年だった。あれで自分より歳下だと聞いたときは、カウレスは驚いたものだ。
その彼が当主に逆らい、ホムンクルスを庇い、まだこの戦いで生き残っている。先だっての会議でも、話し方にも変化はあった。
それはこのライダーやアーチャーたちとの接触が原因なのだろう。
ダーニックが令呪を斬り落とされることになったのも、多分その部分を見誤ったからだろうとカウレスは冷静に捉えていた。
魔術師として貴族としての長い長い人生を歩んだ故に、ダーニックは急に人間らしくなったデミ・サーヴァントを認められなかった。
それにカウレスは、ロシェがノインへ怒りを叩き付けた様も見ていた。彼もノインを人間としては見ることができていない。だから尚の事、師を奪われたと怒った。
ダーニックが令呪を斬られ、ランサーに殺されたときもきっとあんな風に起きたことを認められないままの最期だったのだろう。
結局、他者を認められなかった魔術師は対価を自分自身の生命で支払う羽目になった。
あれはただそれだけのことだと、カウレスはどこか突き放していた。
ノインを恨むこともないし、彼の過去に何があったとしても同情することもない。ただ味方の一人として見ればいた方が有り難い。そういう存在だ。
それにしても、とカウレスは一度思考を打ち切る。
早く“黒”のアサシンのこの一件を解決したいなと、カウレスは空を見上げてため息をついた。
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「そうですか、“赤”のセイバーとは―――――」
ミレニア城塞内部。
当主の執務室で、フィオレに獅子劫とセイバーとの話し合いの結果をノインは伝えた所だった。
フィオレは満足そうに頷いている。
彼女の傍らにはバーサーカーが護衛のように佇んでいて、虚ろな表情ではあるものの、ノインから眼を離してはいない。
カウレスに置いて行かれたのが不満なのかもしれないな、とそんなことをふと思う。
「分かりました、ノイン・テーター。あなたはカウレスたちが戻るまで城で待機していて下さい」
「了解した」
一礼し執務室を出て、廊下に出る。
窓の外には“赤”のバーサーカーの一撃で壊された城壁が、傾いた日の光に照らされて無惨な姿を晒していた。
あれの修理でもしようか、とノインが思った所で気配を感じる。
「おい、もう帰っていたのか?」
廊下の曲がり角から現れたのは、トゥールとジーク、それにゴルドという三人である。見たことのなかった組み合わせに、ノインは一瞬呆けた。
「デミ・アーチャー、聞いているのか?」
苛立たしげにゴルドは腕組みをする。
「……すまない。少し見たことのない面子だったから驚いただけだ」
「そんなことで驚くのか、お前は」
それを言うなら、こうしてゴルドがホムンクルスの手助けをしていることの方が驚天動地なのだが、と言いかけてノインはやめた。
肩を竦めるだけに止め、セイバーとの協定が成立したことを手短に語ると、トゥールが様々な器具の入った箱を抱えた無表情のまま頷く。
「成功して良かったな。セイバーに斬られていないかと心配していたぞ……主にジークが」
「おい、トゥール……」
「事実だろう。しかし、それなら何故お前だけが戻った?アサシンの探索に行かなくて良いのか?」
答えたのはノインではなく、ゴルドだった。
「ああ。こいつとあのライダーを一緒にするとロクでもなさそうだから、止めた。お前たちは組ませると途端に行動の予想が付きにくくなると判断したまでだ」
それが理由か、とゴルド以外の三人は顔を見合わせた。
「……まぁそれはともかく、何か手伝うことはあるか?」
「それならジークと器具運びを頼む。負傷者も体の弱い者もまだいるからな」
トゥールから箱を渡され、嵩張りはするが全く重さは感じないそれをノインは受け取った。
彼らと別れ、ジークとノインは歩き出した。
「今更だが、ノインの力は凄いな。それは、俺やゴルドでは持ち上がらなかった箱だぞ」
ぼそりとジークに言われ、ノインは持った箱を見下ろす。それでトゥールが持っていたのかと納得した。
さっきの三人の中で一番華奢に見えるが、戦闘用ホムンクルスだった彼女の身体能力は寿命を犠牲にした分図抜けている。
研究者型魔術師のゴルドや、元が供給用ホムンクルスだったジークとは比べるまでもない。
「俺はデミ・サーヴァントだぞ。これくらい持てないと格好がつかない」
「格好の問題なのか……」
そうだ、と軽く言おうとしてノインは廊下の先に少し嫌な気配を感じる。
現れたセレニケにノインとジークは微かに眉をひそめ、彼女の方は露骨に舌打ちをした。
「もう戻ったのかしら、デミ・サーヴァント」
横を通り抜けようとして呼び止められ、ノインは仕方なし振り向いた。
セレニケの眼は変わらず憎悪で凍っている。何がどうしてここまで憎まれているのか、ノインに理屈は理解できても実感が湧かない。ジークも同じようなものである。
彼らは共に、愛憎の激しさを知らないからだ。
それ故に彼らがセレニケを見る瞳はどこか茫洋とした熱のないものになり、尚更彼女の堪に触った。
「……見ての通りだ」
「そう。それでお前はホムンクルスなんて道具と行動している訳ね。道具同士、情が湧いたのかしら?」
ノインにはやはり、セレニケの感情の激しさは分からなかった。
分からないために、返す答えもどこかずれていた。
「あなたがどう思おうがあなたの自由だ。でも城でホムンクルスたちにちょっかいをかけようとするのはやめろ。彼らはあなたの不満の捌け口ではない」
指摘され、セレニケは手にした木製の鞭の柄を握り締めた。彼女によって拷問にかけられたことも、少年は些細なこととして問題にしていなかった。つまり、相手にされていない。
道具風情がと思うが、ランサーの杭もダーニックの令呪も無くなった今、数日前のようにデミ・サーヴァントの体を壊すことはできない。それにこの状況で、フィオレが許すはずもない。
セレニケは少年には敵わない。その事実が一層感情の昂りに拍車をかけていた。
「そう……。あくまでもセイバーを犠牲にしたそこの恥知らずの肩を持つのね。そうして脆弱な道具同士馴れ合っていなさい」
捨て台詞を吐いて、セレニケは廊下を曲がって消える。
彼女の姿が見えなくなってから、重い荷を下ろしたときのように、ノインは深く息を吐いた。
ふと横を見ると、ジークの顔がやや青褪めていた。黒魔術師の指摘は、確かに彼の急所を突いていた。
そのまま歩き出すが、しばらくどちらも何も言わない。ややあって、ジークがぽつりと言った。
「……改めると、やはりこちらの陣営はセイバーがいないのが致命的なんだな」
「……」
ノインは黙って先を促した。
「セイバーが死んだのは――――やはり俺がいたのが大きな理由ではあったことに、間違いはないんだな」
「なぁ、まさか心臓を媒介にデミ・サーヴァントのようになれないか、なんて考えているのか?」
問い返されてジークは黙る。その行動が答えだった。
箱を抱え直して、ノインは平坦な声で言った。
「成功例がいるからできると思ったのかもしれないが、誤りだ。心臓は確かに触媒になる。憑依ならできるかもしれない。でもデミ・サーヴァントにはなれない」
何故と言いたげなジークに、ノインは言葉を選ぶように一度片目を閉じてから語り始めた。奇妙に平坦な、感情を殺した声だった。
「……サーヴァントの依代として造られた存在たちでも、偶然に頼るしかなかった。十年そのために生きた人間でもそれなら、三ヶ月のジークにはできない」
人と英霊を融合させる、デミ・サーヴァント実験。その被験者が一例だけということは無論なかったと、ノインは淡々と語った。
「俺たちは十人いて、俺は九番目だった。末っ子さ」
けれど、ノイン以外は皆いない。この世の何処にも、彼らはいない。兄や姉は順に櫛の歯が欠けていくようにいなくなってしまった。
どうしてそうなっていったかは、忘れた。
「融合実験の後も生きていたのは俺と
優しくて儚くて、おとぎ話の絵本が好きで、どうしてもサーヴァントという戦う為の機構になれない少女だった。
そして融合は成ったはずなのに、ノインも
「英霊の魂は本人に悪意がなくても、ただ存在だけで人を殺してしまう。それだけ大きくて、途轍もないものだ。仮にセイバーを憑依させたなら、あんたは遅かれ早かれ自分でいられなくなる」
「死ぬ、のか……?」
「生命が削られ、魂が軋む。自分の中から何かが欠けて、壊れていく。……そうなりたいのか?」
死にたいのかと、遠回しにジークは尋ねられていた。
答えられない彼に、ノインは最後に言った。
「あんたには“黒”の九番目のサーヴァントになんて、なってほしくない」
前だけを向いて歩きながら、ジークの顔を見ずにノインは言った。
いつも淡々としているノインの、珍しい乱暴な語気だった。話したくないことを話したために、そういう口調になったのだ。
二人分の足音だけがしばらく磨かれた床に反響する。ジークの横を歩くノインの顔は人形に戻ったように、暖かみが欠片もなかった。
何か言おうとジークが口を開いた、そのときだ。ノインの足が止まった。
「待て……。何か不味い……!」
箱を下ろして、ノインが窓に駆け寄る。
そこには夕日に照らされる城壁と瓦礫を片付けるホムンクルスたちが見えていたはずなのに、今や何も見えなくなっていた。
濃く白い霧が、外に立ち込めていたのだ。
「霧……」
魔術を操る英霊の眼で、ノインは霧を見ていた。
「あれは……宝具だ!襲撃されてるぞ、この城は……!」
「誰にだ?」
「アサシン。―――――マスター殺しのサーヴァントだろう」
燐光を纏ったノインがサーヴァントになる。槍を持ち走り出す寸前、ジークに向けて叫んだ。
「外の仲間たちをどうにかしろ!こっちはマスターの方へ行く!」
風となってノインは消える。ジークも窓の外を見てから、彼とは逆の方へ走り出したのだった。
きょうだいがいたという話。
絵本は読まないと言う人間が、何度も読まれた本を大事に持っていたのは妹のものだったから。