では。
フィオレからの要件は二つだった。
一つ目は“黒”のアサシン、ジャック・ザ・リッパーの調査である。
アサシンは“黒”に合流していない。それどころか、シギショアラの魔術協会の魔術師や民間人たちを殺し回った後、トゥリファスにいるユグドミレニア一族の魔術師すら殺している可能性があるという。
既に十人もの血族と連絡が取れなくなっているのです、と言うフィオレの顔色は良くなかった。
“黒”のアサシンは日本で召喚されているはず。そこから辿って、日本からルーマニアのシギショアラを訪れた人間だけを探した結果、一人該当者が現れた。
名前は六導玲霞。
日本人の若い女性で、どうやら魔術を知らない一般人。アサシンのマスターとなるはずだった相良豹馬により、召喚の生贄とされるはずの女性だった。
相良豹馬はサーヴァントに殺され、六導玲霞がアサシンのマスターとなったということになる。
けれど、元が一般人ならばまず魔力の補充は見込めない。アサシンこと切り裂きジャックはそれ故に魔術師含む人間たちを襲って殺し、魂食いによって魔力を得ているのだろう。
これを放置しては神秘の漏洩どころではない大惨事な上に、既に魔術師以外にも犠牲者が出ている。
庭園に赴く前の三日。つまり乗り込むための手段が整うまでの三日で是が非でもアサシンを何とかする。
それがフィオレの下した結論だった。
二つ目の要件は、“赤”のセイバー。
彼らとは全面的な協力関係とまでは行かなくとも、庭園で他の“赤”を倒すまでは互いに殺し合わないという約定が要る。
よって“黒”から誰かが赴き、彼らを説得しなければならない。
時間が限られる今、どちらかを片付けてから片方に取り掛かるわけにはいかないため、解決は同時進行させることになった。
一つ目のアサシンの調査には“黒”のアーチャー、カウレス、ライダー、魔術に長けたホムンクルスたちが動く。
そして二つ目の説得だが、これはこれで妙な配役になった。説得役としてノイン。場所を導くためにルーラーが行くことになったのだ。
探知能力で協力してくれるというルーラーはともかく、何故自分がとノインは思ったのだが、マスターの獅子劫と面識があるでしょう、とフィオレに切り返された。
幸いにして仕事で鉢合わせして共闘したことはあれど、ノインと獅子劫は殺し合ったことはない。
聖杯大戦が開始された後は彼らとも戦っているのだが、それは“黒”のライダーにしろアーチャーにしろ同じことだ。
セイバーと因縁がないのはバーサーカーだけだがそもそも彼女は会話ができないし、フィオレの護衛に就くようカウレスが彼女に言った。そのために無理だった。
フィオレは当主代行の任がある上、礼装の形の問題で昼は派手に動けない。ゴルドはホムンクルス関連で駆け回っていたし、セレニケはどう考えても“赤”のセイバーのような騎士に嫌われるとアーチャーが判断した。工房に篭ったままのロシェは外される。
結果、それならマスターと繋がりがある人間が良い、ということになったのだった。
「口が下手なんだが、俺は」
引き受けたものの、ノインはまだ首を捻っていた。
外では目立つ赤い眼を隠すために目深に野球帽を被っていること以外、ノインの格好には特徴がない。
目立たないように敢えてそうしているのだが、人目を惹く美しさと千軍を率いたカリスマ性があるルーラーと動く以上全く意味がなかった。
「アーチャーによれば、虚飾ができないノイン君の方が“赤”のセイバーのような直情型に対して与える不快感は無いだろう、という話でしたよ。自信を持ちましょう」
「……ああ。……正直、早くこっちを片付けてライダーたちの方の手伝いに行きたいし、頑張るか」
調査だというのに可愛い服というのに拘って結局女物の服を持ち出し、ルーラーを呆れさせたライダーである。
心配と言えば心配ではあった。
「城のジーク君も何かに巻き込まれたりしていないといいのですが……」
“赤”のセイバーの反応がある町外れへと進みながら、ルーラーは言う。
頬に手を当てて首を傾げている様子は、本当にジークを気遣っていると分かる。何の気無し、ノインは口を開いた。
「ルーラーはジークが好きなんだな」
途端、ルーラーが固まる。
「……ノイン君、それはどういう意味でしょうか?」
やや低い声で問い掛けるルーラーにノインは無表情のまま答えた。
「ジークを好いているんだな、という意味だが?気にかけているだろう?」
それこそライダーみたいに、とノインが言うとルーラーは赤くなって俯いた。
「ライダーみたいに、ですか……」
「……?まぁ、彼のような同性の友人という気安さは無いかもしれないが―――――」
ノインが言いかけ、ルーラーがまた固まる。今度は何だろう、とノインは不思議に思った。
「ノイン君、今何と言ったんですか?ライダーは『彼』なのですか?『彼女』ではなく?」
「ん?ライダーは男だろうと言ったんだが」
「え、えぇえっ!?」
そこまで驚くか、とノインが思うほどルーラーは大声を上げた。道行く人が振り返るほどの声に、慌てて二人は早足になり視線を躱す。
しばらく進んで人の目が遠ざかってから、ノインは改めて尋ねた。
「ルーラー、まさかライダーが少女だと思っていたのか?」
「……はい」
相対した全サーヴァントの真名を把握できるルーラーなのに、何故そんなことになるのだろうか。
若干白い目になったノインに、ルーラーは拳を握って言い募った。
「だってあんなに可憐なんです!間違うじゃありませんか!それに彼は宝具でステータスにイタズラ書きをしていて、性別を塗り潰しているから、分からなかったんですっ!」
「ま、まぁ……それは確かにそう……だな」
改めて聞くと何やってるんだライダー、とノインは今度は呆れて肩を落とした。
ステータスにイタズラ書きした宝具とは、十中八九魔術を無効化するというあの魔導書だろう。ノインもあれに助けられたから効果のほどは知っている。
ルーラーの眼ですら見抜けない隠蔽を可能にする宝具の性能に驚くべきなのか、それだけのものを持っているのに性別を隠すイタズラへ走ったライダーに驚くべきなのか。
気を取り直したのか、ルーラーはこほんと咳払いして続けた。
「逆にノイン君はどうして分かったんですか?」
「本人があの格好は女装みたいなもので、親友を落ち着かせるためにやったことだと言っていたからだ」
「ああ、なるほど。……いえ、待って下さい。それにしてはさっき、可愛い服にかなり拘っていましたよね?」
「単に好みの問題だろう。色が綺麗で派手な方が好きとか、そういうことなんじゃないのか?」
「何たる自由な……」
頭を抱えたルーラーは、頬を両手で押さえてほぅ、とまた安心したような息を吐いた。
今の会話の何に安心したのだろうかとノインは首を傾げる。
その疑問の視線に気付いたのかルーラーは、はっと我に返ったように眼を見開く。
一つ首を振って、彼女はノインの方を見た。
「話は変わりますが、ノイン君はレティシアとお話できたようですね」
「……できたが、怖がられたぞ」
「男の人に慣れていないだけですよ。だって彼女はノイン君個人が怖いとは言っていなかったでしょう?レティシアはとても……とてもいい娘です」
それは同じように思っていたからノインは頷き、ルーラーは微笑んだ。
「では、また話してあげて下さい。あの娘と話すことは貴方にとっても大切なことだと思います」
「は?いや、待っ―――――」
ルーラーが瞬きする。
開かれた紫の瞳には再び違う色合いの光が灯っていた。
「こ、こんにちは。ノインさん」
「……ああ、うん」
話すと言ったって何をどうしろと、とノインは頭を抱えたくなった。
魔術も神秘も一切を抜きにした話などできる気がしないのだ。
「ノインさん?どうかしましたか?」
「いや、何でもない……」
この少女は丁寧な物の言い方をするなぁ、とそんなことくらいしかノインは考えられない。
「あの、聖女様によるとこの先に“赤”のセイバーさんがいるようです」
どうやら、ルーラーは中でレティシアに助言を与えているらしい。それなら進むには支障はない。
「この先というと……墓地になるのか。ということは、死霊術師のマスターも一緒だろうな」
「ちょうど良かったですね」
「そうだな。街中でセイバー単体と出くわしたくない」
表面上、トゥリファスは穏やかだ。
草原の合戦は隕石の落下ということで隠し通したらしいが、さすがに住人たちも
ただここはユグドミレニアに支配されている街であり、誰も指摘しないためにいつもと変わらないような時間が流れている。
混乱を避ける為には、街中でセイバーと出くわして戦いになるのは避けたかった。
「そういえばレティシア、きみが住んでいる所もこんな街なのか?」
中世の気配がまだ残っているトゥリファスの街並みをノインは手で指し示した。
「ええと……私は宿舎のある学校に通っていて、そこに住んでいるんです。両親とは時々会えますが、普段は静かに祈ったり学んだりしているだけです。だからその……あまり街で遊んだりはしないんです」
「……」
少女が何気ない風で言った両親と学校という言葉が、ノインには少し刺さった。普段なら何とも思わないのだが。
帽子のつばを彼は半ば無意識に引き下げた。
迷う様子も見せず墓地へと向かう少年の後を、少女は付いていく。付いていきながら、自分より背の高い少年を見上げて彼女は尋ねた。
「ノインさんは街のことをよく知っているんですか?」
「地図は覚えている」
「お店とかは?」
「……そういうのは分からないな。ライダーと街に降りたことはあったが」
ほんの数日前、ライダーに付き合って街中に出たことと、あちこち連れ回されて彼が起こす喧嘩や巻き込まれた騒ぎを収めるために奔走したことを、ノインは思い出す。
「ライダーさんと、ですか?」
「彼が召喚された翌日のことだ。街に行ったんだが、あの通りの自由人だからな。行く先々のトラブルに片端から関わりたがったんだ」
口下手なノインでは言い包めて収めるのも上手く行かず、かと言ってデミ・サーヴァントの膂力で解決しようとすると怪我人が出かねないため、大体何かあればひたすら謝るか逃げるかの二択だった。
どうしてそこまで誰かと関わりたがるのかと聞けば、人が好きだからと言うのがライダーの理由だった。
自分が関わることで何かが変化するかもしれない人間たち。彼らに関わることで変化するかもしれない自分。
全て引っくるめてライダーは人間が好きで、だから関わりたがるのだ。
ライダーの人柄が分かった今なら、理由は彼らしいと納得できるものなのだが、初対面だったときに彼に巻き込まれた方は割りと溜まったものではなかった。
「それでも、きっとノインさんは楽しかったんですね。そんな風に見えます」
「ん……。まぁ、そうだな」
楽しいというには強烈で、疲れただけかというには色鮮やかな時間だった。
ただ、非常などたばた騒ぎではあった。どこを回ったかあまり覚えていないくらいには。
苦笑のようなささやかな表情が少年の顔を過る。それをレティシアは確かに見て取った。
いつか彼女が思ったときのように、小さくとも一度笑ってみれば少年はまた印象が異なった。
錆びた血の色みたいだと思った瞳も、午後の明るい光の加減なのかずっと優しい色に見えた。喩えるなら夕焼けのような、そんな何かだと少女は思う。
「レティシア?」
少女から数歩離れて振り返りながら、きょとんとノインが首を傾げていた。
彼は最初に会ったときと同じ無表情で、艶のない黒い髪もその隙間から覗く鋭い赤い瞳も何も変わっていない。それでも、もう怖い人だとは思わなかった。
そのとき、優しく穏やかな内側で見守ってくれている聖女の存在をレティシアは感じた。
「あ、な、何でもありません!さ、早く行きましょう!」
「それなら良いが……」
何故急に張り切るのだろうな、と少年は自分を追い抜いて進み出す少女に向けて一度肩を竦める。
それから早足で先に進む少女の小さな背中を、見失わないように追い掛けた。
予想通り、着いた先は墓地だった。
死霊術が潜むにはなるほど最適な立地だな、とノインは思う。
潜むとしたら地下の納骨堂だろうかとノインが入り口に視線を向けた途端、まさに中から扉を蹴倒して人影が現れる。
「よぅ、のこのこ何しに来やがった?偽アーチャー」
剣を引っさげ、不敵に獰猛に笑うのは少女、“赤”のセイバーだった。
何も持っていないことを示すため、ノインは両手を広げて上げた。
「こちらに戦う意志はない。それより、話を聞いてほしいんだが」
「……おい、それは同盟の話か?」
そうだ、と両手を上げたままノインが頷くとセイバーは舌打ちをした。
「やっぱりな。マスターの読み通りかよ」
その言葉に答えるように、彼女の背後の暗がりから男が現れる。
傷だらけの強面の魔術師、獅子劫界離は気楽そうに言った。
「な、俺の言った通りだろう?ユグドミレニアからの接触があるってな」
「うるせぇよ。つうか、こいつが出てくるとは聞いてねぇぞ」
「ま、そりゃ俺も予想外だったさ。よう、デミ・アーチャー、ノイン・テーター。まだ生きてたのか?大概悪運が強いな、お前さんも」
「俺は見ての通り生きているだけだ。獅子劫界離。それに悪運はそちらもだろう」
表情一つ変えずに淡々と宣ったノインを、獅子劫は意外そうな眼で見た。
レティシアからルーラーへ既に入れ替わりを済ませている少女は、死霊術師、デミ・サーヴァント、サーヴァントの間で視線を彷徨わせるが、静観を選んだのか黙っていた。
上げていた手を下ろして、ノインはゆっくりした動きでフィオレから預かった書状を取り出す。封筒を草地に置き、数歩下がった。
「ユグドミレニア現当主フィオレ・フォルヴェッジからの書状だ。読んでほしい。俺の役はそれを届けることだから」
セイバーは鼻を鳴らして拾い上げると、一度開封してから獅子劫に手渡した。
用心深いことだとノインは思う。
対魔力スキル持ちのセイバーが呪いがかかっていないか確かめるのは分かる。だが、それをこの誇り高そうな騎士が躊躇いなくやっていた。
獅子劫が手紙に目を通す間、セイバーは剣を持ったままでやはりノインを睨んでいた。
「マスターが同盟組むにしても、先に言っとく。―――――オレは貴様が気に入らん。オレの前に二度も立ち、宝具まで使わせて死にもしない。羽虫みたいで鬱陶しいんだよ」
「理解はしている。俺がアーサー王配下の騎士に勝てないのは道理だ」
それにしては些か嫌われすぎている気はしたが、多分こういうのを性格が合わないと言うのだろうな、と感じた。
「分かっていて、じゃあテメェは何でのこのこ来てんだ。そこのルーラー頼みか?」
「セイバー、それは……」
「そちらの隠れ方が上手く場所が不明だったために頼んだだけだ。協定云々に彼女は一切口を挟まない」
しばらく沈黙した後、セイバーは剣を消す。それだけで威圧感が多少なりとも減った。
獅子劫の方を振り返りつつ、彼女は
「おいマスター、返事はどうすんだ?断るってんならオレはすぐにこいつを叩き斬るぞ」
「やめとけセイバー。それは面倒だ。……話は受ける。ノイン・テーター。他の“赤”を倒すまで、我々は“黒”と敵対しないことを約束しよう」
「必ず、当主に伝える」
死霊術師は頷き、少年は了承する。彼らはその場で別れた。
早々にばれた、どこかの天真爛漫騎士の性別。