では。
カウレスとバーサーカーの案内に従って通された先は、ユグドミレニアの血族たちのための会議室だった。
整えられているが、ノインはシャンデリアやテーブルに魔術による修繕の痕を感じた。
ここにも“赤”のバーサーカーの一撃の余波が来て、それをフィオレたちが直したのだろう。
そう言えば自分の部屋はどうなったのだろう、と思う。
部屋と言っても、睡眠をほぼ必要としないノインにとっては、この城にいる間何もしない時にいた部屋でしかない。
だから、愛着のある場所ではないのだ。ノインが自分のものと言えるもの、大切なものはあの絵本だけで、それだけはルーン魔術で護った棚に入れているから大丈夫だと思う。
ただ部屋の方は、余波が来た方向から察するに多分無事では済んでいない。
ともあれ、これからのやり取り次第ではそもそもあそこに二度と戻らないかもしれないのだ。
ダーニックがいなくなった今、暫定的にユグドミレニア当主の座を継いでいるフィオレと、その隣に座っているカウレスとゴルドのやや強張った顔を見ながらそう思った。
彼らと対照的なのがセレニケである。先程からずっと彼女は無表情でノインとジークを凝視している。
そしてロシェだが、工房に引き篭もってここにはいなかった。
“黒”のキャスター消滅が衝撃でものを考える余裕が無くなっているのか、それともノインと顔を合わせたくないのか、どちらでもありそうなだけに、何とも判断がつかなかった。
「―――――以上が私の見聞きしたものです」
庭園での戦い、湖での一件を今まさにルーラーが語り終える。
自分が意識を失くした間に、もう一人のルーラー、天草四郎が現れていたことにノインは驚いていた。
そう言えば相対した“赤”のアーチャーが、神父がどうとか言っていたが、あれが天草四郎のことだったのだ。
しかも目的が、荒唐無稽にも全人類の救済と来ている。
彼はそのために、“赤”のマスターをすべて出し抜いてサーヴァントたちを配下に収め、大聖杯を強奪したのだ。
恐るべき所業と言わざるを得ない。
「全く以て馬鹿馬鹿しい!そんなことができる訳がない!」
実際ルーラーから二度目に話を聞いたゴルドはそう言ったし、大抵の人間なら、彼と同じ反応になるだろう。
そして無表情の下で、ノインは戸惑っていた。人類の救済など意味が分からなかったのだ。
アーチャーによれば、彼は極東の島国、日本の英霊。ジャンヌ・ダルクのように聖人として認定はされていないが、数々の奇跡を起こした逸話を持つ。
今から凡そ四百年ほど前に三万七千人の参加した反乱の旗頭となるが、敗れて彼を含めた反乱軍は皆殺しにされた。
アーチャーの説明の間も、ノインは首を傾げていた。
等しく万人が幸福になれる方法など、この世にある訳がない。できるとしたら、おとぎ話の中の機械仕掛けの神様だけだろう。
絵本の中にしかない幻想が、そこから抜け出して現実に立ち現れたような、そんな落ち着かない気分になる。
「できる、できないは問題ではないと思います。天草四郎は、人類の救済と願いを定めている。それを可能にする為の彼なりの方法を持ち、大聖杯によって叶えようとしているとみるべきでしょう」
“黒”のアーチャーが落ち着いた声で彼の見解を述べた。
「つまり、彼の方法が本当に救済になるかは分からない。それどころか、それが人類にとっての厄災になる可能性があることが問題……ということか?」
ノインが言うと、ユグドミレニアの魔術師たちは一斉に彼を見た。
まるで、人形が口を利くのを初めて見たというような顔をされているのは、あまり良い気分にならない。けれど考えてみれば、ノインは彼らの前でまともな口を利いたことがなかったのだ。
ルーラーは一向気にした様子もなく、ノインの言葉に頷いた。
「ええ。私もそれを懸念しています。……それにルーラーがサーヴァントを率い、聖杯を用いて願いを叶えようとするなど既に道を逸脱した行為です。それに世界改変ともなれば、止めなければなりません」
だからルーラー、ジャンヌ・ダルクは“黒”に一時協力するという。
「ええ、協力を受け入れます。セイバーとランサー、キャスターを失った今、私たちに戦力は必要ですから」
フィオレが頷く。
“黒”はとにかく空中庭園に追い付き、大聖杯を取り返さねばならない。けれど当然、あちらも迎撃するだろう。
最大戦力の二騎が欠けた今、助力は必要だった。
「戦力で言うとさ、あっちのセイバー、手伝ってくれたりしないかな?」
そう言ったのはライダーだった。
“赤”のセイバーは庭園からの脱出の際にルーラーと“黒”のアーチャーに手を貸したがそこから別れてここにはいない。けれどルーラーの感知能力ならば探し出せる。
「協力とまではいかなくても、お互い背中を刺さないっていう不干渉の協定は結ぶべきだろうな。あっちだって庭園を追いかけなきゃならないのは俺たちと変わらないはずだ」
「……そうね。彼らには接触しましょう」
カウレスの言葉にフィオレは答える。
それから彼女は、ノインとジークの方を見た。
「ノイン・テーター。貴方がダーニックおじ様に刃向かった状況は理解しています。ですが、貴方が何故あのような行動を取ったのか。それを語って下さい」
視界の端でセレニケが忌々しげに眼を細めているのを見ながら、ノインは口を開いた。
「俺にとっては、あのときマスターの願いよりランサーの願いの方が重要だったからだ」
ダーニックがランサーの令呪を重ねて何をしようとしていたのか、ノインには判断できなかった。
ルーラーの『啓示』によれば、世界に悪しき影響を及ぼす何かが生まれかねなかったらしいが、それは結果論だ。
少なくともあの時、ノインはそんなことは考えていなかった。
ただあの誇り高い、ノイン・テーターを人間だと言った王の無惨な断末魔を聞いていられなかったのだ。だから主を斬った。
ノインは自分に向けられたダーニックの末期の怒りも忘れていない。後悔はしていないし、恐怖もない。
自分はランサーの誇りを選んで片方を斬り捨てたというその結果だけを、ノインは噛み締めていた。そうするより他にないのだ。
「では、おじ様が貴方に令呪で命令を強制したことで斬ったのではないと?」
「違うとは断言できない」
令呪で正気を奪われる寸前だったために、ノインの自我や理性もあのとき消えかけていた。
ランサーの声を聞いたことは覚えている。ダーニックの末期の瞳も覚えている。
正気と狂気と本能と、何もかもが泥のように混ざり合った状態での自分の心を説明するのは、難しかった。
「おい、真面目に答えろ。我々は本心を語れと言っているのだぞ。お前は自分の行動が自分でも分かっていないのか?」
ゴルドは苛立たしげに机を平手で叩いた。
けれど、本心を淀みなく語れるならノインにも苦労はないのだ。
「……確かに俺はマスターを恨んでいたかもしれない」
令呪で自我が壊れかけたから、箍が外れてその感情が吹き出したと、そう言った方が彼らにとっては納得しやすいのだろうと思う。
けれども、自分がダーニックを恨んでいるのかいないのか。ノインには本当に分からなかったのだ。だからすぐに答えられない。
これまでの自分の人生に、ずっとずっと影を落としていた人間だから。彼の影が消えることなんて決してないと思っていたし、まさか自分の手で消すことなんてあり得なかったからだ。
一つ一つあのときを思い出すように、ノインは言葉を継いだ。ルーラーやライダー、ジークたちがどんな顔をして自分を見ているかは確かめなかった。
「俺はあなたたちを裏切るつもりはない。自分が聖杯戦争の為のサーヴァントの一人だという自覚はあるし……戦いたいとも思う」
「出来損ないの人形風情が、信用されたいと言うのかしら」
セレニケの侮蔑に、隣のジークが身じろぎする。机の下で彼の手を抑え、ノインは首を振った。
「今更、あなた方に信用されたいとは思わない。俺がしたことを考えれば信じてほしいと言うことが欺瞞だろう。……それとも、あなたは俺があなた個人を恨んでないのか気にしているのか?」
セレニケの顔が怒りで歪む。
それを遮るように、フィオレが咳払いをした。
「セレニケ、そこまでです。……ノイン・テーター。今、私たちには確かに一騎でも多い戦力が必要です。あなたがこちら側について戦うと言うなら受け入れましょう。おじ様の件に関しては一時不問にします」
ですが令呪はどうしたのですか、とフィオレは尋ねる。
「それなら私が持っています」
ルーラーが湖から回収していた書物を取り出した。
「では、ルーラー。それは貴方が持っていて下さい」
「良いのですか?」
「ええ。本来、聖杯大戦のサーヴァントすべてがルーラーに令呪を握られているのですから」
だからデミ・サーヴァントの令呪も貴女が管理して下さい、とフィオレは言った。
彼女は改めてノインの眼を見る。
「……変わりに、私たちは貴方個人と魔術契約を結びます。対価として、
「え?」
ノインではなく、ジークとライダーが同時に声を上げた。
カウレスとフィオレ、“黒”のアーチャーとバーサーカー以外の全員が驚く。
ノインも勿論のこと驚いていた。フィオレとアーチャー、それから誰より呆気にとられている横のジークの顔を順番に見、彼は頷いた。
「……分かった。その話、受けよう」
「では、そのようにしましょう」
強張っていたフィオレの顔がやや緩む。
自分がジークたちホムンクルスに情が移っていることは、彼女に見抜かれていて、かつフィオレはそれを利用した方が得策と考えたのだ。或いはアーチャーが教えたのかもしれないが。
ともあれ確かに、ノイン・テーターというデミ・サーヴァントを繋ぎ止めておくには令呪よりも有効だった。
自分でそれは認めざるを得ない。
正式な契約は明日となったが、フィオレとノインは互いに簡易的に契約した。
ユグドミレニアはホムンクルスたちを今後搾取せず傷付けない。ノインは彼らに協力し、彼らを害さない。
そういう取り決めになった。
契約を終えたフィオレは皆の前で宣言する。
「空中庭園へ到達する具体的な方法は明日話し合いましょう。“赤”のセイバーへの接触方法は明日伝えます。今は体を休め、今後に備えるように。……空いている部屋は好きなように使って下さい」
皆頷くか、賛同の声を返す。
フィオレはアーチャーやカウレス、バーサーカーたちと共に退室し、ゴルドやセレニケも後に続く。セレニケだけは最後に振り返ってノインとジークに一瞥をくれたが、何も言わずに出て行った。
部屋にはルーラーとライダー、ノインとジークが残される。
ライダーが、ぱんと手を叩いた。
「とりあえず、みんなお疲れだね」
「ええ」
会議の間再び武装していたルーラーが、私服に変わる。ルーラーの私服というより、彼女の『中身』だという少女のものなんだろうな、とノインは思った。
「私は一旦逗留している教会に戻ります。明日、戻って来ますので。……良いですか、ジーク君にノイン君。貴方たちはよく休んでくださいね。二人とも生きている体があるのですから」
「……ああ」
「……分かった」
そうは言うものの、ジークはホムンクルスたちに何がどうなったかを伝えねばならないしそれが済めば彼らの面倒をまだ見るつもりだった。ノインはノインで、自室から絵本を回収した後はあまり休む気がなかった。
無論二人とも体も心も芯から疲れている。ただやることがあるのと頭が一杯なのとで、眠れそうになかったのだ。少なくともこの状態で眠れば確実に良い夢が見れないと思った。
結果、誤魔化すのが下手な二人はそれぞれ別の方向へ眼を逸らしつつの生返事になり、当然のようにルーラーに内心がばれた。
「ライダー、良いですか?この二人がくれぐれも何か引き起こさないように、巻き込まれないように見張りをお願いします」
「オッケー!……でもさルーラー。ボクが言うのもあれだけど、もうちょい人材選んだほうが良いんじゃない?ボク、自慢じゃないが理性無いんだぜ」
ライダーの言い分に、ルーラーは大きく頷く。
「分かっています!分かっていますし私も大いに不安です。ですが、貴女以外頼れる人がいないじゃありませんか……!」
「ちょっとそこまで言われたら傷付くよ!?」
ジークが微妙な顔でノインの方を見た。
「俺たちはここまで信用がなかったのだろうか?」
「……無かったみたいだな」
肩を竦めて答えると、ノインは立ち上がった。
「流石に俺も疲れてる。勿論無理にでも休むさ。あなたも……というか、あなたたちも休むんだろ?」
「え?―――――ええ」
「じゃあまたな。ルーラーもライダーもありがとう、さっき助けてくれて。嬉しかった」
ノインはそう言って部屋から出て行った。
ぱたん、と部屋の扉が閉じる。
そのあっさりした姿の消し方にしばらく誰も何も言えなくなる。
ジークも椅子から降りた。
「俺も行かないと。……本当にありがとう、二人とも」
ジークも部屋からいなくなり、ルーラーとライダーだけになった。
「じゃあ、ボクも行かなきゃ。ほら、ボクのマスターが何かやらかさないか気になるし」
「はい。……あ、あのライダー
霊体化しかけていたライダーは、ルーラーの最後の一言に動きを止めた。
「ん?なーに?」
「あ、あの……その、お二人をお願いします、ね」
先程までと違う、何処か頼りなげな風にルーラーは言った。
ライダーは一瞬きょとんと首を傾げ、納得がいったように頷いた。
「あ、そっか。そうかそうか。うん、分かってるよ、キミもね」
ばいばーい、とライダーは手を振って消えた。ルーラーは一人、自分を落ち着かせるように大きく息を吐いて部屋から出て行ったのだった。
「これ……ひどいな」
自分の部屋、だったはずの場所を見て、ノインは頬を掻いた。
軽く触れた途端にドアが音を立てて内側に倒れたから、嫌な予感はしていたのだが中は想像を超えていた。
壁には大穴が開いて、外が見渡せる。暴風が通り抜けた後のようにベッドと机と椅子は倒れ、一部が焼け焦げていた。
風が中を吹き抜けて、ノインの髪が巻き上げられる。一歩中に入ると靴の裏でガラスの割れる感触がした。
魔術を使えば直せるだろうがさすがにこれでは手間がかかる。何処かの部屋を借りようとノインは決めた。
「……まぁ、爆風にやられたんだから、こんなものだな」
それでも瓦礫を退けると無事な戸棚が見つかり、ノインは安心した。
解錠の呪文を唱え、中から絵本を取り出す。傷一つないことを確認して、ノインは絵本を胸の前で抱き締める。
ほっと息を吐いて、ノインは表紙を優しく撫でた。
「ノイン、部屋にいるのか?」
ジークの声に、いるぞとノインが答えるより先に、ばたん、と大きな音がしてドアが部屋の中に倒れた。
「……」
「……」
敷居のところに立つジークは、ちょうどノックをしようとしていたらしい。片手を丸めて上げた、正にその状態で固まっていた。
開いた穴からまた風が吹き込んで、部屋の埃が舞う。冷たい夜風にジークが小さくくしゃみをした。
「……とりあえず、話なら他の場所でいいか?」
「……そうした方が良さそうだな」
ドアを枠に嵌めなおし、絵本を手に持って、ノインは部屋を出て行くのだった。
少しだけ表に出てきた彼女。
多分次で出会う。
チャプター2がこれで終わり。