感想、評価、誤字報告下さった方、ありがとうございました。
もしかしたらですが、操作を間違えて感想を消してしまったかもしれません。そうだったとしたら、誠に申し訳ございませんでした。
では。
―――――強い、人なのだろうか。
最初に、少女はその少年と出会ったときそう思った。
と言っても少女は少年と直に言葉を交わしたのではない。聖女ジャンヌ・ダルクという殻に守られながら、少女は少年を初めて認識した。
ぼさぼさの黒い髪の奥から覗いている、くすんだ赤色の眼が少し怖かった、と思う。
それこそホムンクルスたちの綺麗な紅玉のような瞳とは違っていた。喩えるなら、あれは血の色だった。
その血の瞳を細めながら、彼は最初にルーラーに問うていた。
そのとき、少年はまるで怒っているみたいに怖い顔になっていた。
けれど聖女が、私の中の彼女は守られています、というとすぐ目付きから険しさが取れたのを少女はよく覚えている。
少年は表情が和らぐと、印象が大分変わる人だった。
無表情で黙っているうちはぐんと大人に見えたけれど、笑えば多分そんなに怖くもない気がした。自分と歳もそれほど変わらないか、もしかしたら彼の方が歳下なのかもしれない。
そう思いながら直に話もせず、そのときはそれきりで別れた。でも別れ際に、聖女は彼に尋ねていた。
あなたも戦うのか、と。
戦う、と少年は答えていた。躊躇いなく、淡々と返していたように見えた。
彼は少女のように、聖杯によるルーラーの殻という奇跡で精神を守られていない。もちろん、並の人間とは比べ物にならない力を扱っているのだが、英雄豪傑と向き合い、彼ら相手に立ち向かう精神や心は彼自身のものだ。
だから、精神も強いから英雄のような強い力が使えるのか、とそんな風に少女は思ったのだ。
何故って、少女が彼のようにルーラーの力を与えられて、それをルーラーとして振るえと言われてもできはしないからだ。
インドの大英雄に槍を向けられたとき、串刺し公と相対したときの聖女のように毅然と立ち向かうなどできると思えない。
きっと心が先に負けてしまう。戸惑って怖くて、何も出来ない。少女はそう思う。
だからあの少年は、きっと強い人なんだろうと少女は感じたのだ。
それができる強い人だから戦えていられるのだろう、と。
あのホムンクルスの少年、ジークに会ったのはルーラーと彼が別れた後だ。
ジークは少女からすれば信じられないくらい純粋で綺麗な存在だった。仲間のために戻りたいというホムンクルスの少年と、少女の外側である聖女はしばらく共に行動していた。
彼も少女には眩し過ぎるくらいだった。
あの少年、ノインはまだしもデミ・サーヴァントである。でもジークは違う。
英雄の心臓が胸の中で鼓動しているが、だからと言って何も強くはない。せっかく、恐怖を乗り越えて掴んだ自由を仲間のために自分で手放す。何処か間違っているけれど、それでも少女はその行いを尊いと感じてしまった。
その少年とも、ルーラーは聖杯大戦最初の戦場となる草地で別れた。
―――――やっぱり、私にはできないことだ。
だから、ただ見届ける。目を逸らさないですべて見届けようと思った。それが、聖女ジャンヌ・ダルクの助けに応えた自分の成すべきことだから。
少女のそんな決意は、無為なのかもしれないと思えるほど聖杯大戦は一夜で激化した。
ホムンクルスたちが死ぬ。竜牙兵が、ゴーレムが壊れる。太陽の炎と大量の杭がぶつかり合う。果ては雷撃に魔術砲撃までもが所狭しと降り注いだ。
敵を倒すための手段には何でもあり得るとばかりに大地が蹂躙される。
戦のただ中でルーラーは走り続けた。
微笑み続ける巨人を掻い潜った先、別れた少年たちと一騎のサーヴァントがいたのには驚いた。
彼らを滅ぼそうと“赤”の剣士が放った光線をすべて受け止めた巨人が爆散し、その際の破壊はルーラーが宝具で以て受け流すという結末が、“黒”と“赤”の全面対決初戦の幕引きになった。
幕引きと同時に大地には破壊の爪痕が残り、ユグドミレニアの城は抉れた。
そこまでやって、初戦の幕引きでしかなかったのだ。
二戦目は“赤”のサーヴァントが造り上げた空中庭園へ移行した。
ここでジークは仲間たちの為に城へ、“黒”のライダーとノインは庭園へ向かうことになった。
ルーラーはライダーの手を借りず独力で庭園へ向かうことを選んだ。
やはり少女はその内側からすべてを見ていた。
少女にとっては、とても怖いだけの微笑みの巨人が爆発して跡形も無くなったとき、ノインはどこか遠い眼で破壊の痕を眺めていたことも、彼女は気付いていた。
別れた後にあったのは、三度目の邂逅である。
ルーラーの辿り着いた庭園内は混迷を極めていた。ノインのマスターだった魔術師の男は赤く染まって死んでいて、ノインの意識はなくて倒れている。そして極めつけに、本物の吸血鬼が現れていた。
しかし、その吸血鬼はあの誇り高かった“黒”のランサーだったのだ。彼は英雄としての側面を保ったままの自死を選び、ルーラーによって消滅する。
ルーラーの視点を借りて俯瞰する少女の目の前で、そうやって次々誰かが倒れては消えていった。
果てはもう一人のルーラーまでもが現れ、少女は訳が分からなくなった。聖杯戦争に関する知識はある程度少女にも与えられてはいたが、それを整理する心のゆとりがない。
間近で安全に見ていられる自分の混乱がこれでは、渦中の人物たちは尚更のはず。
それでもやはり、事態は何一つ彼らを待たないのだ。
天草四郎というルーラーから誘いをかけられた“黒”のキャスターが、仲間を裏切って“赤”に付く。
そして裏切りの条件として、彼はノインを荷物のように持ち去った。
何のためにキャスターがそうしたのか、少女には分からない。分からないけれど、嫌な予感はした。
ここで見失ったらきっと、呆気なくあの少年も死んでしまうと感じた。
さっき光線を戦場に放った“赤”のセイバーの助力を得、“黒”のアーチャーとルーラーは庭園から逃走。立て続けに“黒”のキャスターを追撃した。
キャスターに追い付いた先の湖には、“黒”のライダーとノインがいた。まだ生きている彼らを見たときの暖かな安堵を少女はルーラーと共有する。
そうして、“黒”のキャスターの悲願であるという一際巨大なゴーレムは、その場のサーヴァント総出で叩き壊された。
そうしてやっとあのノインという少年は動けなくなったまま、へらりと笑ったのだ。
ルーラーの眼を通して、少女はその微笑みを見た。
道に迷って今にも泣き出しそうに見える、子どもみたいな笑みだった。楽しさも嬉しさも何も感じていないのに無理をして、自分じゃない誰かを安心させるためだけに浮かべた、他人のための微笑みだった。
壊れそうなのに、壊れかけの自分を繕って作り上げた優しいだけの空っぽの微笑みだった。
それを見て、少女は自分の勘違いを悟った。
この人は私が思っていたように強くなんか、無いのだ、と。
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道の先に抉れた城が現れ、ノインは眼の上に手を翳した。
ルーラー、ライダー、そしてノインは湖から一路ミレニア城塞へ戻っていた。“黒”のアーチャーは先に戻って事の次第を言っているらしい。
初戦を終え、てっきりルーラーは街へ戻るものとノインは思っていたのだが、どうもそう言っていられない異常事態が起こったため、彼女は一時“黒”と共闘するという。
庭園で自分の自我が一時吹き飛んだ後何があったかを、ノインはまだ正確に分かっていなかった。一先ず城に戻り、生き残った“黒”の陣営の前で説明するとルーラーに言われたのだ。
それは了解したものの、ノインはひとつだけ尋ねた。
“黒”のランサーはどうなったのか、と。
一瞬躊躇った後、彼は英雄のまま『座』へと還りました、とルーラーは答え、ノインはそれを信じた。というより信じたかったのだ。
そうして彼らは、城への道を歩いている。
つい数時間前にヒポグリフの背中から眺めたときより、地上に立ったときの方がより城の傷口が痛々しいとノインは思った。
ひどい有様だな、と思わず息を吐くと、隣のルーラーがノインを覗き込む
「ノイン君?」
「何でもない。城の壊れ方が思ったより激しくて驚いたんだ」
バーサーカーの爆発は凄かったんだな、と言ってノインは道を塞いでいる瓦礫をひょいと乗り越えた。
乗り越えるとミレニア城塞正門が見える。そこには“黒”のバーサーカーとカウレス、ロシェがいた。
魔術師たちの表情は一様に固い。
三人が近寄ると、ロシェが動いた。
傷ついて埃まみれで感情が欠け落ちているような無表情だが、自分の足で立っているノインを見て彼は顔を歪める。
「なんで……何で君が生きてるんだよ、デミ・サーヴァント」
「……」
自分よりも小柄な少年に睨み付けられ、ノインは無言で眼を細めた。
尊敬していた師が自分たちを裏切ったことより、彼が死んだことの方がロシェには重要だったらしい。
「答えろよ!どうしてだよ、何で君が生きてて先生が死んだんだ!」
ライダーが気色ばみルーラーが口を開きかけたが、ノインは彼らの袖を引いて止めると、ロシェと目線を合わせた。
「そうだな。“黒”のキャスターは死んだ。でも、俺は最初にあんたに言った。ゴーレムになるのは御免だと」
だからその通りにしただけだと、ノインは淡々と言った。
「あれは……あれは
拳を握りしめて震える少年を、ノインは首を傾げて見つめる。
この様子では本当に、ロシェは知らなかったのだ。
師と自分の夢だと言っているその願いの為に、師は躊躇いなく裏切りをし彼自身も生贄にされかねなかったことを。
この少年にその事実を告げたら、彼はどうなるのだろうと純粋で残酷な疑問がノインにふと生まれる。
けれど、目尻に涙すら浮かべているロシェの顔を見るうち、その疑問を上回る温い悲しみと、ぼんやりした怒りが同時にノインの胸を刺した。
フレインの家の者はゴーレムに育てられ、ゴーレムを造り続ける。“黒”のキャスターは、ゴーレムしか知らなかったこの魔術師が、初めて認識しできた尊敬できる他人だったのだ。
ただし、キャスターはロシェが彼を信じていたほどロシェを信じていなかった。
自分が信じている相手が、同じく鏡のように自分を信じてくれているとは限らない。
ロシェという魔術師はデミ・サーヴァントでも知っていることすらも忘れていたのか。それとも、そんなことも知らなかったのだろうか。
「……優しい夢の中で生きてられるなんて、幸せな奴だな、あんたは」
つい、憐れむように哀しむようにノインは言った。言ってしまった。
激昂したのか掴みかかろうとするロシェを、カウレスが止める。
「もうやめとけって。……“黒”のキャスターは俺たちを裏切った。こいつやライダーやアーチャーたちがいなかったら、ここだって攻められてたかもしれないんだぞ」
“黒”のバーサーカーがカウレスの言葉を肯定するように唸る。
けれどロシェは収まらない。ノインに指を突き付け叫んだ。
「このデミ・サーヴァントだって、僕らを裏切った!アーチャーが言ったじゃないか、ダーニックを最初に斬ったのは、こいつなんだろう!」
カウレスが言い淀む。
けれどそのとき、旗の石突が石畳を叩く乾いた鋭い音が一同を打ち、静かな声が響いた。
「……そこまでにしなさい。ユグドミレニアの魔術師。彼は、それと引き換えに貴方がたの君主であった王の誇りを守りました。……それに、ジャンヌ・ダルクとして断言しましょう。彼処で貴方がたの長、ダーニックを止めなければ、彼は暴走し、世界にとって致命的な何かが生まれていました。そうなった場合、私は彼を打倒したでしょう」
神からの啓示を聞き届ける、澄み切った救国の聖女の声に流石にロシェは怯んだようだった。手を下ろし、ノインをきつい眼で睨むと、城の中へ姿を消す。
辺りに、何とも気不味い沈黙が満ちた。
「……あいつはああ言ったけど、俺たち全員があんたのことをただの裏切り者って思ってる訳じゃない。ただ何があったか、正確に知りたいんだ」
カウレスが頭をかきながらやや躊躇いがちに言う。
「一応、さっきアーチャーから庭園で何があったかは大体聞いてるんだ。で、これからもう一度ルーラーとあんたの話も合わせて聞きたいんだが……」
「構いません」
「俺もだ」
ルーラーとノインは頷く。カウレスはついてきてくれと言いながら、バーサーカーと共に歩き出した。
ライダーは歩きながら、ノインの顔を覗き込んだ。
「ノイン、キミ、ホント大丈夫なのかい?……いや、待って。キミはそうじゃなくたって大丈夫としか言わないよね。ね、ルーラー?」
「ええ、でしょうね」
二人揃ってそれは酷くないかとノインが言いかける前に、足音が聞こえた。
「ライダー、ノイン、ルーラー!」
聞き覚えのある声に名前を呼ばれ、三人は振り向く。息せき切って駆けて来たジークにライダーがぱっと笑顔になった。
「ジーク!無事だったんだね!」
「それ、は、俺のセリフだ。……良かった。貴方たちが帰って来て」
そう言って笑顔を浮かべたジークの鈍い銀色の髪を、ライダーはがしがしとかき混ぜた。
ジークが戸惑ったように首を傾げる。
「なんでもないよ。……あ、ジーク。ちょっと頼むよ、ノインが無茶に動かないように抑えといて」
「は?いや、普通に歩けるぞ。俺は……」
言いかけたノインの肩をライダーが軽くどつく。それだけでノインの体がふらつき、顔が痛そうに歪んだ。
「ほら見ろ、足元フラフラじゃないか。ジーク、ちょっとこの頑固者に肩貸してやって」
「分かった」
「ちょっ!今のはそっちが叩いたからで……待て!平気だって……!」
ジークに思っていたよりも強い力で肩を掴まれて、珍しく慌てるノインをライダーはにやにやしながら眺めていた。
「おい、ライダー!」
「あーあー、聞ーこーえーなーいー!聞いてやらないぞ、ボクは」
「……ノイン、暴れないでほしいんだが」
ジークにぼそりと言われては、ノインも動きを止めざるを得ない。下手に暴れてはジークの方が怪我をするからだ。
毛を逆立てて威嚇する猫のようにライダーを睨んでいるノインと、頭の後ろで手を組み明後日の方向を向いて口笛を吹いているライダー、それにノインを不器用に引っ張り支えながら歩くジーク。
城へ歩いていく彼らの背中を、じっとルーラーは見ていた。優しさと穏やかさと、ほんの少しの別の何かが混ざりあった、そういう微笑みだった。
「ルーラー、どうかしたか?」
ノインの声に、ライダーとジークが振り返る。ルーラーは彼らに向けて首を振った。
「いえ、何でもありません。さ、行きますよ、皆さん」
鎧を解除して、ルーラーは先に立って歩き出し、その後を元気にライダーがついていく。一度顔を見合わせてから、ノインとジークも彼らに続いて歩き出したのだった。
相容れない相手というのはいる話。
ヒロインはいますよ、いますから。
ただデミ少年のコミュ力が上がって心が多少まともな形になってからでないと、どうにもならないので。