では。
“赤”のセイバー・モードレッドは、召喚されてから初めてサーヴァントと交戦した。
相手は“黒”、少年の姿をした槍を持ったサーヴァント。ただし彼女はそれを偽物と断じていた。
―――――正規のサーヴァントとデミ・サーヴァントはやはり違うのかねぇ。
セイバーのマスター、獅子劫界離はそう思う。
彼らは“黒”のサーヴァントとホムンクルス、ゴーレムたちとの前哨戦をトゥリファスで繰り広げた後、“赤”の陣に近いシギショアラへと戻っていた。
要件はシギショアラで起きている連続殺人事件。いずれも協会の手配した、バックアップのための魔術師が心臓を抉り取られて殺されており、獅子劫はそれを魔力供給目当てのサーヴァントの犯行と考え、これを倒すために行動することにした。
魔術師を殺し尽くした街に、再び魔術師が現れればまず襲われる。
詰まる所、獅子劫は大胆にも自分を囮にしたのだった。その方針をセイバーは面白がりつつ肯定している。
彼らはそういう関係で、それがうまく行っていた。
そうやって街を歩きながら、ふと傍らのセイバーを見る。叛逆の騎士は思い出したように口を開いた。
「なあマスター、前トゥリファスで襲って来たいけ好かない餓鬼のアーチャーがいただろ。あれ、また来ると思うか?」
「そうだろうな。あれは言ってみりゃユグドミレニアの一番目のサーヴァントだ」
デミ・サーヴァント、ノイン・テーター。
聖杯大戦開始前は、ユグドミレニアの最強の手駒として知られていた。
だが、あの少年をそもそも生み出した一派がユグドミレニア内で姿を消し、残された彼が当主ダーニックの擁するサーヴァントになったという噂が立ってからは姿を見せなかった。
実験体にでもなったのかと思いきや、サーヴァントの相手をする為に参戦していたとは獅子劫も予想外ではあった。
それにしても、九の殺人者とはよく言ったものだ、と獅子劫は思う。
数年前の仕事で見かけたことがあるが、小柄で痩せた幼い子どもが、無表情に魔獣の頭を殴って潰し、藻掻く魔術師を躊躇いなく槍で串刺しにする様は、いくら外道相手とは言え、獅子劫をしてなかなかにぞっとするものだった。
魔術師ならば外見年齢と精神が食い違うこともあるが、あれは中身と見た目は同じだろう。
だからこそ歪だったのだ。
おまけに正規のサーヴァント相手でも、ある程度戦えることが分かった。
マスターの贔屓目抜きに見ても、破格のサーヴァントであるセイバーを、デミ・アーチャーは傷を負いつつも正面から相手取って逃げおおせているのだから、警戒の度合いは上げておくべきだった。
「そんなにあのサーヴァントは気に触ったか?」
「当たり前だ。デミ・サーヴァントだと言うが、腑抜けた顔付きが気に食わん。ホムンクルスに英霊を被せた、鬱陶しい人形か何かかと思ったぞ」
「一応だがあいつはホムンクルスじゃない。噂ではデザインベビーという話だぞ」
「どっちでも良い。とにかく、次に会えばオレはあれを必ず仕留める」
科学と魔術を混ぜた異端の技術で造られた存在で、だからこそ彼を生み出した者たちは姿を消して、というより消されてしまったのだろう。
だがそんなことは、五世紀の騎士であるセイバーには関係ない。
彼女は槍を扱う弓兵という敵に逃げられたことが苛立たしいのだ。
確かに、まともに戦えば危なげ無くセイバーが勝つだろうと獅子劫は考えている。
だがそれはあちらも当然の様に理解しているはず。それならば、まともに戦おうとする訳がない。
むしろ彼を警戒するべきなのは、獅子劫の方である。あの少年がアサシンの真似事でも始めては厄介だった。
三騎士を模したサーヴァントとはいえ、彼はセイバーのように真っ向勝負に拘ったりはしない。無関係な一般人を巻込むことも、ユグドミレニアに命令されれば厭わない可能性もある。
ついでに彼は、獅子劫の扱う魔術も特性も理解しているというおまけ付きだ。
「魔術師ってのは変わらんな。何でそんな危険な紛い物をわざわざ造る?」
「まあ、降霊術の極点の一つでも目指して、ユグドミレニアの命令に忠実になるように造ったんだろうさ」
命令どおりに無感動に、敵を殺し続ける機械人形。それが獅子劫の記憶するノインという少年のすべてだ。
―――――だがそれにしては動揺していたか?
遭遇戦での獅子劫の挑発に、明らかにノインは反応していた。以前なら一顧だにしなかっただろう。
内面に某かの変化はあったと考えて然るべきだが、自分たちにとってそれが良いか悪いか判断しづらいなと獅子劫は頭をかいて、街中へと進んで行ったのだった。
当たり前だが、閉じられた獄の中というのは時間の観念が曖昧になる。
空の見える窓でもあれば別なのだが、地下牢にはそれもない。
閉じられた何もない場所にいるのは、ノインには初めてのことではないし、半ば瞑想状態のようになってただぼんやり時を過ごすのは得意なことなのだが、ライダーはどうなのだろうかとノインは少し気にしていた。
何せ、シャルルマーニュ十二勇士のアストルフォは空飛ぶ騎士。何処までも自由で天衣無縫で、遥か月にまで理性をふっ飛ばしていた、ある意味規格外の存在だ。
そんな彼はライダーのサーヴァントとなっても、天翔るヒポグリフは宝具として持ち込んでいるそうだ。
「試し乗りもしたけど、やっぱり空飛ぶのは気持ち良いよねぇ。こう、ビューンと行く感じがたまんないよ」
空を飛ぶのはどういう風なんだ、とノインが尋ねてみた返答がこれだった。
それを聞いて何となく、アンデルセンのおやゆび姫が燕に乗った話を思い出すノインである。
「キミ、意外とファンタジーな発想するなぁ。ひょっとして絵本好き?」
「絵本はあまり読まない。あの話は何度も聞いたから覚えているだけだ」
そのような会話をするほど、彼らは時間を持て余していた。
その間も、兎にも角にもライダーはノインに話しかけて来た。
己のことを尋ねられて語ることだけでなく、誰かと他愛無い会話をすることにそもそも慣れていないノインは、話すのに頭を必死に使わなければならなかった。
何気ないところで詰まったり話が後戻りしたり、言葉が足らなかったりと、決して滑らかな語り手ではないのだが、ライダーは一向気にしなかった。
逆に、ノインはライダーからシャルルマーニュ十二勇士の話を聞きもした。
アストルフォは伝説の正に当事者な訳で、面白おかしく語るのも上手かったのだ。
横には、ローマ帝国史上最大の剣闘士反乱の当事者もいたのだが、そちらは敢えて聞かないことにした。
セレニケも拷問で多少は溜飲を下げたのか、またはランサーに止められたのか、一度訪れて以来来ることもない。
気にかかることと言えば、ルーラーとジークのことだ。彼女は彼を見つけたのだろうか、考えてもどうしようもないが、外の情報が無ければ気に掛かりもする。
ノインがそれを言うと、ライダーは逆に尋ねてきた。
「ルーラーが気になるのかい?」
「そうだな。ジークにはセイバーの心臓がある。英霊の体の一部は貴重な聖遺物だから、ルーラーがその危険をジークに伝えてほしいと思う」
「……そういう気にかけ方なワケか。いや、分かるんだけどもさぁ」
そのような会話を挟みつつも、囚人たちは波風立つこともなく、それなりに状況に適応していた。
とはいえ、それが一時だけのことなのだろうと誰もが分かっていた。分かっていて、口には出さなかった。
果たして、ホムンクルスたちが牢に現われて決戦を知らせに来たときも、彼らは大して驚かなかった。
「よーし。やっと自由に動けるのかぁ」
杭と流体ゴーレムから解放されたライダーは嬉しそうに腕を振り回し、ノインも枷が外れた手首を擦った。
直後に魔術回路を励起させ、ノインはサーヴァントの姿となる。槍は顕現させなかったが、革鎧、投石器などが問題なく現れるのを確かめた。
それを見届けたホムンクルスは、淡々と告げる。
「ライダー様、デミ・アーチャー様。空と地上からの敵影を既に多数を確認、他の皆様は城壁の上に集結しているとのことです。更に空中庭園の接近も確認されております」
「……空中庭園だって?」
「あんまり気にするなよ。空から大っきい敵が来たってだけじゃない?つまりそういうことなら、ボクとヒポグリフの出番だろうね。行こ、ノイン!」
気軽に駆け出すライダーの後を、ノインも追う。前のような“赤”のセイバーと同じか、それを上回っているかもしれない存在が攻め寄せてくるかもしれないのだ。
―――――怖い、な。
そう思いながら、彼は前へ行く足を止めることはない。
ちらりと牢の暗がりの中でまだ留まっているバーサーカーを振り返ってから、彼も何かを振り切るように前を向いてライダーの後に続いて地上への階段を駆け上がっていった。
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ルーラーはふと、遠くに聳えるミレニア城塞を見た。
「ルーラー?」
彼女の傍らには、ジークという名前を持つ少年がいる。“黒”のライダーたちに助けられてあの城から逃げ出し、けれど再び仲間たちのために戻ると決めたホムンクルスの少年だ。
「いえ、何でもありません。ジーク君」
未だ城の中で消費されている仲間を助けたい、という彼の決断をルーラーは止められず、こうして共にミレニア城塞を視界に収める場所にまで共に進んで来た。
ルーラーは聖杯大戦開戦からこの方、不可解な行動―――――ルーラーの抹殺指令、“赤”のマスターからサーヴァントへの指示の無さなど――――――を取る“赤”の陣営を問い質すため。
ジークは城に向かい、同胞のホムンクルスたちを解放するため。
キミが戻ってくるために助けた訳じゃない、と“黒”のライダーなら、ジークを見て言っただろう。
何故戻って来たのか、とノインなら無表情にジークに尋ねたことだろう。
ただし彼らはここにはおらず、ホムンクルスの少年はこうして剣を携え、裁定者と共に舞い戻って来てしまった。
「ジーク君、良いですか?私はこれから戦場に、貴方は城へと向かいますが、“黒”のサーヴァント又はマスターに会えば私の名前を出して下さい」
それで、少なくとも即座の誅殺は避けられる可能性がある。
彼を助けるために動いた“黒”のライダーとアーチャー、それからあの少年以外のサーヴァントやマスターがジークに対してどう反応するか、ルーラーには測りかねた。
ジークは頷き、ライダーから与えられたという剣を叩く。
ルーラーは頷いて、更に戦場へと近付くべく歩き出した。
彼女の勘はやはり、この聖杯大戦における何らかの異常を訴えている。そもそも、本来なら霊体として召喚されるはずのルーラーがフランス人の少女に憑依して現界すること事態がおかしいのだ。
―――――もしや、“黒”のイレギュラーな英霊召喚が関係しているのだろうか?
そうなると思い出されるのは、鉄格子越しにルーラーと向き合った少年である。
ノインと名乗った彼は初見でルーラーの中の少女、レティシアを感じ取って、ルーラーを睨んで来た。
けれど、彼にはルーラーへの敵意があったのではない。彼女の依代となって体を貸し与えている、レティシアの方を案じていたのだ。
ルーラーはジークに尋ねる。
「ジーク君、貴方はノインというデミ・サーヴァントの少年をどれくらい知っていますか?」
人と英霊の融合体、デミ・サーヴァントという特殊な事例は、聖杯によってルーラーに与えられた知識にもない。
だが、彼を生んだのは間違いなくユグドミレニアだ。ホムンクルスとは言え、彼らによって鋳造され、そこにいたジークなら何かを知っているかもしれなかった。
「あまり、俺も詳しいことは知らない。彼のマスターが当主のダーニックであることと、クラスがアーチャーだということくらいだ」
後は彼が俺を助けてくれたことだけだ、とジークは言った。
そうなのですか、とルーラーは答えて進みながら考えを続ける。
彼女の勘を刺激しているのは、果たしてあのイレギュラーなサーヴァントの少年なのだろうか。
俺に願いを叶える権利はなく、そもそも願いが無い、と淡白にノインは言っていた。そこに嘘はなく、ただ淡々と答えていた。
言葉や態度の通りに心まで冷めきっているのかと思えば、彼は自分が罰を受けることを見越してまでジークを庇ったり、サーヴァントの依代となっている少女をまず案じるなどという行動も取っている。
心の表し方が、何とも不器用な少年だとルーラーは思う。
ライダーと彼に勝利があらんことを、とルーラーは言ったが、ライダーはともかくノインが聖杯戦争で勝つことはユグドミレニアにとって想定されていない出来事だろう。
聖杯に見初められたマスターという訳でも、聖杯によって現界したサーヴァントという訳でもないのだから。
だから彼には、闘争で生き残ったとしても報酬も何もない。ただマスターに応えて敵を倒すこと。それだけのために戦うのだ。
聖杯大戦調律のためにのみ戦うルーラーと、どこかしら同じ孤独を抱えたサーヴァントとも言える。
―――――でも、彼について考えるのはここまで。
ノインはルーラーに“黒”の側で戦うと宣言した。ホムンクルスたちと同じように、彼は自らの意志で戦いに赴くと言ったのだ。
ならばルーラー、ジャンヌ・ダルクとして取るべき行動は見守るだけである。
故にそれ以上、彼に踏み入るべきではないとルーラーは思った。
思考を断ち切り、彼女は前を向く。
空には月を覆い隠さんばかりの巨大な空中要塞が浮かんでいる。
“赤”の陣営は、あれを用いてユグドミレニアの拠点に攻撃を仕掛けたのである。
“赤”の陣営に問い掛けるため、ルーラーが向かわなければならない場所もあそこだった。
そうして彼女とジークが遠目に見る中で、空中要塞から無数の光の矢らしきものが放たれ、戦場となっている草原に降り注ぐのが見えた。
「まさか、宝具―――――!」
ジークが呟く。
間違いなく、“赤”のサーヴァントの誰かが宝具を開放したのだ。
草原にはサーヴァントたちの他に、無数のゴーレムとホムンクルスが蠢いている。そのまま落ちれば、彼らは壊され矢で殺されるだろう。
だが、光の矢は地上から放たれた雷撃と無数の炎の礫によってその大半を迎撃された。
「あれは……」
恐らくは“黒”のサーヴァントたちによる宝具で、矢を迎え撃ったのだ。
ルーラーは武器でもある聖旗を召喚し、それを握り締めた。
「ジーク君、急ぎましょう。すでに戦端は開かれています」
頷く少年と共に、ルーラーは爆音が轟き、地響きの伝わって来る戦場へと駆け出したのだった。
槍を持った弓兵に逃げられたら叛逆の剣士は怒る話。
そして割りと時間は飛び飛びで大乱戦一歩手前へ。