九番目の少年   作:はたけのなすび

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申し訳ありません。前話で一区切りと言っていましたが、誤りでした。こちらがそうです。
とんでもない間違いに関してはご容赦を。

では。


act-8

 

 

 

 どこからともなく、雫の落ちる音がする。

 一定の感覚で響くそれを聞きながら、ノインの意識はぼんやり形になった。

 頬に感じるのは冷たさ。頭の芯には爆発しそうなほど熱さ。

 手足の感覚を探りながら、ノインはゆっくりと身を起こした。

 じゃらり、と耳障りな音がする。眼を擦ると、手首に嵌められた枷が見えた。

 

「……」

 

 直前の記憶がどうも曖昧で、ノインは熱のある額を押さえた。

 眼の前には鉄格子があり、床は冷たい石が敷き詰められている。自分の手首には鎖の付いた枷がついていて、片方の足首にも鉄枷が嵌められている。そこから伸びる鎖は壁に打ち付けられた鉄輪に結ばれていた。

 それを見て、ノインはまた眼を擦った。

 後は、体中が怠かった。

 有り体にいうと、魔力が全身に回らない。サーヴァント化もできなくはないだろうが、実行する気にはなれなかった。

 

「ノイン?起きたのかい?」

 

 鉄格子の向こう、通路を挟んだ牢屋からから聞き覚えのある声がする。

 

「らい……ライダー、か?」

 

 自分のものと思えないような嗄れた声が出て、ノインは咳き込んだ。血の混じった痰を吐いて口元を拭う。

 前を見ると、ライダーがいた。

 ただ見た目は痛々しい。手を杭で貫かれて壁に縫い止められ、流体ゴーレムで動きを封じられている。

 それでもライダーは、笑っていた。ただ、いつもとは少し違っている。涙を堪えるような、無理をしているような、そういう笑顔だった。

 ライダーの隣の部屋には、同じく流体ゴーレムで固められた“赤”のバーサーカーがいる。こちらも笑っていたが、彼からノインはきっちりと視線を外した。

 

「うん!で、ちょっとキミ、大丈夫なのかい?」

「……体が怠いがそれくらいだ。ライダーは?」

「ボクはサーヴァントだからね。平気だよ」

 

 そうだった、とノインは頭を振った。

 記憶を辿るために、少年はこめかみを指で叩く。

 

「おーい?」

「問題はない。……俺はどれくらい寝ていた?」

「一時間、くらいかな。多分だけど」

 

 そんなものかとノインは思いながら、立ち上がった。手足を振ってみると、問題なく動いた。

 何があったかを思い出す。

 一時に瀑布のような怒りと、氷のような視線と、喜悦で光る瞳とを思い出し、ノインは呻いた。

 

「……もう、二度とごめんだ。あんな怖いの」

 

 思い出してノインは呟く。

 それでも、ゴーレムに放り込まれていないだけマシだなと思う。

 

 ライダーとノインは今、城塞の地下牢にいた。彼らは共に“黒”のセイバー消滅の叱責をされる形で、幽閉されている。

 ライダーは流体ゴーレムとランサーの杭で封印され、霊体と比べれば傷の治りにくい生身のノインはそこまでされていないものの、やはりサーヴァント化を封じる特製の枷が嵌められていた。

 セイバー消滅を知ったランサーは当然激怒し、その結果がこれだった。

 セイバーの真名は、ネーデルラントの竜殺し、ジークフリート。

 それほど名高い勇者が戦いもせずに自害を選んだのだ。それも消耗品だったはずのホムンクルスを一体救うためだけに。

 ライダーと、それにノインはセイバーの自害を止められずに唆したということになり、罰を受けて閉じ込められることになった。

 

 だが激怒していたのはランサーだけでは無かった。

 ノインのマスターであるダーニックは、ライダーと共に状況の説明をするノインを見、ただ聞いていた。

 聞いて、それからダーニックは淡々とライダーとノインを地下牢へ移送し、彼らを封じ込めた。

 立ち去る寸前、彼はついでのように令呪を使い、ノインに魔術に抵抗するなと命令を下した上で、セレニケに引き渡したのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()、と言い置いて。

 ライダーに固執し、彼と親しくしていたノインをセレニケは疎ましく思っていた。そこに下された命令に、彼女は嬉々として従ったのだ。

 同時に、殺さない程度に痛めつける、という指令をも彼女は守った。

 守ったからこそノインは生きていて、今、全身を鈍痛が苛んでいる。

 デミ・サーヴァントの体を本気で壊しにかかるとは、あの魔術師は何を考えているのか、とノインはため息をついた。

 

「ノイン?」

 

 鉄格子の向こうでライダーは不安げに見ていた。

 セレニケがノインの独房にいる間、彼はずっとそこにいるしかなかった。多分、それもセレニケは織り込み済みだったのだろう。

 残忍極まりない性格の黒魔術師で、少年趣味者というのがセレニケだ。

 彼女はライダーに執着し続け、けれど絶望や嘆きとは無縁な彼を嬲りたいと苛立っていた。

 アストルフォの理性は蒸発していて、自分に加えられる侮辱や痛みにはてんで頓着しない。けれどそれが、他の誰かだったなら話は別で、彼にとって親しい者なら猶更だ。

 実際、セレニケがノインの独房に入ったときも、彼は止めようとしていた。やめろ、そんなことするな、と。

 当たり前だが、セレニケが聞くはずもない。

 そんなことを言ったところで、彼女はライダーの嘆きを啜って喉の渇きを癒そうとするだけだ。

 自軍を乱した罰を受けるのは仕方ないにしても、ライダーが自分のことで嘆くのはノインには耐えられなかった。

 だからノインは早々に、自己暗示で意識を閉じて体の中に引き籠ったのだ。痛みを感じなくなるように、叫び声を上げなくなるように。

 拷問され続けるのに耐えられるほど、自分は強くないから。

 根負けしたのはセレニケで、適当に壊した所を治してから一先ず開放した、ということらしい。

 暗示を少しばかりやりすぎて記憶を呼び戻すのに時間がかかったが、まあこれだけで済んで良かったな、とノインはため息をついた。

 鉄格子にぎりぎりまで近寄って、不安そうにこちらを見ているライダーに手を振る。

 枷が邪魔だったが、仕方なかった。

 

「良かったよ。キミ、途中から人形みたいになっちゃったから……」

「ああ、それは自己暗示だ。そっちのマスター、怒ってなかったか?」

「……うん、かなり」

 

 言ってライダーは肩を落とした。彼も壁に磔にされているから、その動きは僅かなものだったが、ライダーの意気消沈ぶりはさすがに分かった。だからノインは先に言った。

 

「ライダー。俺は自分で行動して、こうなった。ライダーのせいではない」

「でも、ボクのマスターがキミにしたことは……ボクがキミのところに行かなかったら……」

「それはセレニケの性格だろう。それこそライダーのせいじゃない」

「でもさ!」

 

 言いかけて、ライダーは項垂れた。

 本気でそう思っていると、赤い瞳が言っていた。

 ノインもノインで、首を傾げる。

 ライダーにはむしろ感謝しているのに、謝られてもどうしたらいいか分からない、というのが本音ではあった。

 ダーニックに逆らったのは結局ノインだ。自分の意志で何かを選択し、行動した。

 何かを選択して行動したこと、それ自体が彼にとっては、変化だった。僅かばかりの自由な判断は恐ろしかったが、それでも同時にノインには清々しかった。

 だから、これで良いのだとそう思っている。

 

 無論、ダーニックやランサーにとって、”黒”のセイバーが脱落したのは許せない出来事だというのは理解できる。

 ただセイバーが脱落した理由は、ノインにも理解できていないのだ。

 

「なぁ、ライダー。セイバーはどうしてジークに心臓をやったんだ?彼にも聖杯に託す願いはあったんじゃないのか?」

 

 それを擲ってでも彼はジークを救った。

 彼の行動にはノインも感謝しているが、何故なのかが分からない。

 口を効いたどころか、まともに出会ったのもあれが初めてで、そして最後になってしまった。

 

「うーん、ボクにも何とも……。でもアイツは何というか……己の信念に殉じたってやつだよ。彼の信念に照らしてみたら、ジークをあそこで助けることは聖杯に託す願い以上に意味があったんだろ」

「そういう……ものなのか?」

「アイツが志を全うできていてほしいっていうボクの願望も入ってるのは否定しないけど。でも最後にジークフリートが満足そうだったのは間違いないと思う」

 

 ネーデルラントのジークフリートといえば、非業の最期を遂げたことで知られている。

 そういう彼が召喚に応じたということは、何か大切な願いがあるからだとノインは思っていたのだが。

 

「それはどうなんだろう?伝説がどんなものであろうとも、自分の人生に満足してる英霊ってのは結構いるんじゃないかな」

 

 だってボクだって割と散々な戦いで死んだわけだけど、それをどうこうしようとかは思わなかったわけだし、とライダーは言った。

 

「……俺には、そういう捉え方は分からないな。自分が死ぬときに、そういう風には考えられないと思う」

 

 デミ・サーヴァントとはいえ、自分は力を借りているだけ。ただ、魂を受け止められるように造られているだけの人間だ。

 それで何となく黙ってしまう。けれど、ただでさえ薄暗く湿っぽい地下牢なのだ。何か話していなければ落ち着かない。

 

 というか、沈黙するとライダーの横のバーサーカーが微笑みながら叛逆だの、圧政だのとぶつぶつ言う声がやたらと響くようになるので、それは勘弁だった。

 

「そう言えば、ライダーの願いっていうのはあるのか?」

「ん?ボク?……特に無いかな。強いて言うなら第二の生を楽しみたいけど、もっと大事な願いを持ってる誰かになら譲るつもりだし。特にランサーとかさ」

 

 ライダーらしいな、と苦笑しかけて、ノインの耳はふと物音を捉えた。

 地上と地下牢を繋ぐ階段に、人影が一つ現れる。

 

「デミ・アーチャー。出ろ。公王がお呼びだ」

 

 温度をまるで感じさせない声で、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアは少年に告げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ノイン・テーターがダーニック個人のことに関して知っている事実は実の所然程無い。

 令呪を握っているマスターで、ユグドミレニア一族の長。

 放置しておけば、そのまま何処かへ流されただろう実験体だった自分を拾い上げた魔術師。長い時を生き、願いをいだき続ける男。

 それくらいだ。

 生命を救われたという意味では、恩人ではあるのかもしれない。

 セレニケに引き渡されたことへの恨みや憎しみを向けるには、ノインはサーヴァントとして生きてきた期間があまりに長かった。

 ランサーの部屋へ向かう間、ダーニックは何も言わない。廊下には、ノインの手枷に付いた鎖が立てる音しかしない。

 時々すれ違うホムンクルスがこちらを見ているような気もしたが、気のせいだろうとノインは判断した。

 振り向かず、不意にダーニックが口を開く。

 

「デミ・アーチャー。貴様は自分のしたことが分かっているのか?」

「……分かっています。ジ……ホムンクルスを助けました」

 

 瞬間、ダーニックは振り向きざまに、手にした杖をノインに振るう。咄嗟に腕で顔を庇ったノインの、手首の枷に杖は当たり、甲高い音が響いた。

 魔術師は少年を見下ろし、喉元に杖の先端を突き付けた。

 

「貴様……この戦が始まってより、何を考えている?サーヴァントとしての己を忘れたわけではあるまいな」

「……忘れて、いません。ただ―――――」

 

 一つくらい、自分で決めたことをしたかった。それだけだ。

 

「決めたこと、だと?貴様は所詮サーヴァント。我らによって造られた、英霊の紛いものだろう」

 

 それを聞いて、ノインは全身の血が冷えていくように感じた。

 彼がそう考えているとは思っていた。が、改めて叩き付けられた言葉は、予想以上にノインの胸を貫いていた。

 

「違う……違い、ます。俺は俺です。英霊でも何でもない、ただの人間です」

 

 首を振るノインに、杖を下ろしてダーニクは言葉を浴びせかけた。

 

「今更まともな人間を志すのか、使い魔風情が」

 

 告げられた一言は決定的だった。

 ダーニックにとって英霊の紛い物は、人間ですらないのだ。

 黒く深い谷が、自分とこの主の前に長々と横たわっているようにノインは感じた。

 何を叫んでも聞こえはしないほど、その谷の間は隔たっている。

 無言になる彼の前で、ダーニックは再び前を向いて歩き出した。

 靴音を響かせて歩くその背中に従って歩きながら、先程の一言がまたノインの耳に蘇った。

 

――――――()()()()()()()()()使()()()()()、だとこの人は言った。

 

 けれどダーニックは、“黒”のランサーに臣下の礼を持って仕え、彼を敬っている。

 その違いに、どうしようもなく嫌な予感がした。

 

「着いたぞ」

 

 だが思考は中断せざるを得なくなる。

 辿り着いたのは“黒”のランサーの私室である。

 ごくりと、ノインの喉が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋の中、ランサーは豪奢な椅子に腰掛けて鮮血のような色の葡萄酒が注がれた盃を傾けていた。

 鎖の音を立てながら、ノインは部屋に入る。

 背後で重々しい音がして、扉が閉まった。

 少年はたった一人で、この苛烈な王と向かい合わなければならない。

 ランサーは静かな調子で口を開いた。

 

「ノイン・テーター。その名の意は九の殺人者。……因果な名を持つ者よ。英霊の力を宿しながら、悍ましき化生の名を背負うか」

「……」

 

 玉座の上で嵐のような怒りを顕にしていた姿との違いに、ノインは戸惑う。

 

「答えよ。貴様は何故ホムンクルス一体を助けた?」

 

 盃越しにランサーはノインを睨めつけた。

 答えを誤れば、串刺しにされると予感がする。

 けれど、正解など分からない。心を正直に話すしかなかった。

 

「……助けたかった、からです。彼は生きたいと望んでいたから」

 

 魔力を与える為だけに生まれたとしても、それでも彼はノインを見て、眼で訴えていた。

 

「自分の生命の使い道を、最初から決められ消費されるのは嫌だと彼は思って、行動しました。だから……だから俺は彼を死なせたくなかった」

「では問おう。弱者を救いたいと願うその心、それは貴様に力を与えている英雄の誇りか?」

 

 ランサーは盃を傍らの机に置き、眼を細めて問うた。

 ノインは考える間もなく首を振る。結論は出ていた。

 

「いいえ。あれは俺の意志でしたことです」

 

 自分の裡にいる英雄の願ったことだと言えば、ランサーは納得するのかもしれない。

でも、それは嘘だ。

 ノインには英雄の声など聞こえない。《彼》の望みも誇りも分からない。借り物の力を振るっているだけなのだから。

 ただの人間の意志は、ランサーのいう誇りと比べれば矮小かもしれない。それでも、いや、だからこそ嘘は言えなかった。

 

「ライダーに唆された訳でもないと申すか?」

「ライダーは機会を見せてくれました。でも、俺を唆してなどいません」

 

 唆すなどという頭の良いことができるなら、アストルフォではないな、とそんなことをちらりと思った。

 

「……そうか」

 

 ランサーは盃を取り上げ、優雅に傾ける。

 それから少年を見た。

 

「牢へ戻れ。ノイン・テーター。セイバーを自害させた過ちは許さぬ。だが、貴様の誇りは感じ取った。ライダー共々、今後も我が配下として努めよ」

「分かり……ました」

 

 全身の力が抜けかけるのをノインは必死で止めた。

 ランサーが手を叩くと、待機していたらしい女性型のホムンクルスが現れる。

 公王が首を振る。ホムンクルスは恭しく礼をするとノインの手枷の鎖を引いた。

 

 扉が閉じられる刹那ノインは振り返りかけ、思い直して止める。

 軋む音とともに扉は少年の背後でゆっくりと閉じられたのだった。

 

 

 

 




デミ少年の口の拙さとダーニックの貴族意識の高さでは理解は一生不可能という話。

ちなみにノインテーターですが、ドイツ・ザクセン地方の吸血鬼から。疫病の流行と共に現れ、退治方法がレモンを口に詰め込むという謎。

ともあれ、チャプター1が終了。次でルーラーかなぁ、と。

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