春季東京大会の決勝戦の日を迎え、稲城実業の正捕手である多田野は昨年の秋の選抜東京大会での後逸を思い出し、これまで経験した事のない緊張で身体を固くしていた。
(大丈夫だ!俺はもう成宮さんのチェンジアップを捕れる!)
何度も繰り返し己に言い聞かせるが、かつての失敗は脳裏を去らない。
多田野の異変に最初に気づいたのは白河だ。
本来ならバッテリーを組んでいる成宮が最初に気づいたのだろうが、成宮は昨年のオフシーズンに複数球団のスカウトから接触を受けた事で、いつもよりもパワプロを意識してしまっているので気づかない。
パワプロと競うことで色々と成長をしても成宮はまだ十代の若者なのだ。
周囲の影響を受けて視野が狭くなってしまうのも無理はないだろう。
(あれじゃあ、また鳴のボールを後ろに逸らしそう。)
そう思ったものの、白河は多田野に声を掛けなかった。
(まぁ、多田野がボールを後ろに逸らして夏の大会のキャッチャーが代わってもいいか。鳴のボールを捕れるんならキャッチャーなんて誰でもいいしね。)
白河の考えの一つとしてキャッチャーは誰でもいいというのがあるが、これはリトル時代のパワプロが大きく影響している。
パワプロはリトル時代にクリスがチームを卒業してから組んだキャッチャーの時に、キャッチャーが捕れるように加減をして投げて全国優勝を果たしている。
この時のイメージが今もまだ白河に鮮明に残っているのだ。
(それよりも、パワプロからどうやって点をとるのかを考えないと、いくら鳴がいいピッチャーでも俺達が点をとらないと勝てないからね。)
多田野を一瞥した白河は、踵を返してカルロス達の所に向かったのだった。
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「『葉輪さん、フウロくんの事前登録は無事に完了しました。』」
「『ありがとうございます、ベックさん。』」
春季東京大会の決勝戦を観戦しにきた葉輪、藤原両家の両親と、ロジャーズスカウトのベックはにこやかに会話をしていた。
会話の内容はメジャーリーグの制度の一つである事前登録制度というものだ。
この制度は近年に導入されたばかりのものなのだが、これはメジャーのドラフトを受けたりトライアウトに参加する為に導入された制度だ。
事前登録制度が導入された経緯なのだが、これは出身国等を詐称する者が多かったのが主な理由である。
「『メジャーのトライアウトはアマチュアでも気軽に参加出来るとは思いませんでした。』」
「『むしろ僕は日本のプロ野球のトライアウトが、プロの選手しか参加出来ないのが不思議で仕方ないですね。』」
ここで日米のトライアウトの違いを簡単に説明しておこう。
二人の会話の通りなのだが、日本のプロ野球のトライアウトは日本のプロ球団に所属した事のある選手しか参加を認められていない。
対してメジャーのトライアウトはプロアマを問わずに参加を認められているのだ。
「『しかし、これで風路はドラフトで煩わされる事もなく、トライアウトに行けますね。』」
「『日本の野球は色々と面倒な規則が多いですからね。勘違いしてしまうのも仕方ないでしょう。』」
さて、ここでドラフトの事も簡単に説明しておこう。
現在のドラフトで指名を受けるにはプロ志望届を提出する必要がある。
つまりドラフトで日本のプロ球団が選手を指名するには、プロ志望届を提出している選手に限るとなるのだ。
ここまでの説明を踏まえて、パワプロと御幸のトライアウトに参加する道筋を確認してみよう。
1:メジャー側に事前登録をする
2:日本でプロ志望届けを提出しない事でドラフト指名を受けない
3:パワプロと御幸は来年の1~2月に行われるメジャーのトライアウトに参加する
4:トライアウトに合格したら青道卒業後にアメリカへ
これがパワプロと御幸の高校野球引退後の予定である。
以前にパワプロが『例えドラフトで指名されてもメジャーに行く』と発言したのは、メジャーのトライアウトがアマチュアでも気軽に参加出来ると知らなかったからだ。
「『やはりトライアウトに合格したらルーキーリーグからですか?』」
「『おそらく一也くんはそうなるでしょうが、フウロくんの実力なら2Aや3Aからのスタートもありえます。僕なら即メジャー契約を結びますがね、ハッハッハッ!』」
葉輪、藤原両家の両親とベックが和やかに会話をしていると、青道高校と稲城実業による春季東京大会の決勝戦が始まるのだった。
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