「君の名は。キルヒアイス」   作:高尾のり子

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第8話

 

 キルヒアイスは起き上がると、すぐに読めとばかりに枕元へ置いてあった手紙を開いた。

「……三葉さんを……怒らせて……」

 手紙は、かなり感情が滲む字で書いてあった。

 

 キルヒアイスへ

 あなたのしたことについて、私はとても怒っています。

 私たちと父の関係はとても複雑なんです。

 勝手なことをしないでください。

 学校でも家の周りでも、普通の高校生らしく過ごしてください。

 繰り返す!

 私はとても怒っている!

 以上!

 追伸、あなた宛にラブレターが来ています。私の生活を乱さないよう、丁寧な返事の手紙を書いて、断っておいてください。私は町のアイドルでも町長の娘でもなく、ごく庶民として生きたいんです! 目立つことは絶対にしないで! もちろん、身体にも触らないで! 以上!

 

 かなり感情的で追伸の方が長いくらいだった。

「………お父様とのご関係………」

 もう、この身体に入ったときは女性らしく振る舞うということが板に付いてきたので手紙を読み終わると、申し訳なくて祈るような形に手を組み、許しを請う。

「お許しください。三葉さん、私の配慮が足りませんでした」

 自分と父親の関係なら、何ら問題がないような行動でも、もしもラインハルトが誰かと入れ替わるようなことがあって、その誰かが父親と仲良くしていたりしたら、戻ったときラインハルトが、どれほど激怒するかは想像するのが怖いほどで、それぞれの家庭には家庭の事情があるのだと思い知り、三葉の怒気で乱れた字を見ると、日本式の土下座をしたいほどだった。

「………三葉さん、……本当に、ごめんなさい」

 起き上がって鏡を見ると三葉の顔に、バカ、圧政ボケ、と大きく油性ペンで書いてあった。

「…………ご自分の、お顔なのに……それほどにお怒りになって……」

 このまま登校すると、それはそれで三葉の名誉を損ねることになりそうなので急いで着替えて顔を洗う。油性ペンなので、なかなか落ちなかった。やっと、三葉の顔が元に戻った頃、四葉が起きてきた。

「おはよう、お兄さん。っていうか、もうお姉様の方がいいかな」

「おはようございます、四葉」

「顔、かなり赤いよ」

 擦ったので三葉の顔が赤くなっている。

「私は三葉さんを、とても怒らせてしまったようです。どのようなご様子でしたか?」

「激ギレで喚いてたよ。ギャーギャー! って」

「………どうすれば、良いでしょう? 少しでも、お怒りのとける行動を心がけたいのですが、まったく、わからないのです」

「う~ん……とりあえず、お父さんには、あんまり関わらない方がいいよ。あとは普通に授業を受けて普通に帰ってくればいいんじゃないかな」

「そうですか……そのように心がけます」

 申し訳なくて涙を滲ませながら、登校する。早耶香と克彦が声をかけてきた。

「おはよう、三葉ちゃん」

「おはよう、三葉。どうした? 泣きそうな顔して?」

「いえ、何でもありません。ご心配、ありがとう、テッシー」

 ハンカチで楚々たる仕草で三葉の目元を拭く。

「つらいことが、あるんやったら、相談してくれや」

「どうか、ご心配なく。お気持ちだけで私は十分に嬉しいです」

 湿った瞳で三葉の顔が微笑みをつくると、ぞくっとするほどの魅力があった。

「……選挙、終わったのに、そのモード出るんやな。まあ、可愛いけど」

「私も真似してみよっかな」

「サヤチンには似合わんて」

「なんでよ?!」

「ほな、やってみい」

「………おほほほほ! おはようございます、テッシー。ごきげんいかがかしら」

 やってから、早耶香は猛烈に恥ずかしくなった。

「う~……もういい、やめる」

「ほらな、照れがあるやん。三葉、ぜんぜん照れがないからな、すごいよな」

 三人で登校して、三葉の身体は静かに深窓の令嬢のように授業を受け、そして帰宅してからは一葉を手伝い、ラブレターに丁寧な断りの返事を書き、そして思い悩みながら、三葉へ謝罪の手紙を書く。

 

 宮水三葉様へ

 前略

 私の軽率な行動が、あなた様の逆鱗に触れたこと、深くお詫び申し上げます。

 ご家庭の事情を考えもせず、軽々にお父様と交わりましたこと、本当に申し訳なく思っております。

 この上は、いかなる罰でもお受けいたします。

 そして、私の行動に至らぬ点があれば、どうかご教授ください。

 ご意向にそえるよう全力で努力いたします。

 申し訳ありませんでした。

 どうか、お怒りが少しでもとけますよう、心よりお詫び申し上げます。 草々

 

 書き終わると丁寧に机の上へ置き、ラブレターへの返事もそれとわかるように置くと、12時前だったので布団に寝た。廊下からバケツを床に置く音がして四葉が入ってきた。

「お姉様に訊きたいんだけど、いい?」

「はい、なんなりと」

「いつも入れ替わるとき、布団に寝るのは、どうして?」

「それは、ほんの一瞬くらいですが力が抜けて、立ちくらみのような感覚があり、立っていると危ないかと思いまして、こうしております」

「あ~……なるほど……力が抜けるんだ」

「はい」

「そっか……なら、仕方ないね……。どうぞ、横になって」

 四葉が見守る中、三葉の瞼は美しく閉じられた。

「………」

「………」

 このキレイなお姉様が、すぐにビービー泣くお姉ちゃんになるのか、と思いながら四葉はアクビを噛み殺した。

 

 

 

 三葉はリンベルクシュトラーゼの下宿にあるキルヒアイスの部屋で起き上がると、ドキリと緊張した。

「……ここ……どこ? ……艦内じゃない……」

 明らかに戦艦の中ではない。

「……地球……」

 窓を見ると、日が昇っている。

「…………いったい、どうなってるの? ……また、時代が…」

 窓から見える光景は中世ヨーロッパの街並みで石畳が続き、そして行き交う人々の服装も中世を感じさせる。

「……ハァ……ハァ……」

 心臓がドキドキと高鳴ってくる。いったい、どこの時代にタイムワープしたのか、恐ろしくて仕方ない。窓ガラスに映る顔を見た。

「キルヒアイスそっくり……ジークフリード一世とか、そういうつながり?」

 顔には見覚えがあった。背後のドアが開いてラインハルトが入ってくる。

「遅いじゃないか、キルヒアイス」

「あ……ラインハルトさん?」

「その呼び方は、フロイラインミツハか。お久しぶり」

「っ! 今は何年ですか?!」

「ん? 486年だが」

「……それは帝国暦で?」

「もちろん」

「…………えっと、第三次ティアマト会戦の後ですか?」

「そうだよ」

「じゃあ……時代は変わってない。よかったァ」

 へなへなとキルヒアイスの腰が座り込むと、ラインハルトは情けなくなった。

「まあ、立って。イスに座って」

「はい、ありがとうございます。それ、私服ですか?」

 ラインハルトは軍服を着ておらず平服だった。そのせいか、口調も少し優しい。軍人という雰囲気が薄れている。

「ああ、私服だよ」

「……もしかして、軍をクビになったの?」

「アハハハハハ! あいかわらずフロイラインミツハは面白いな。ただの休暇中だよ」

「休暇、それで……もしかして、ここはテーマパークか何かですか?」

「いや、ボクらの下宿さ」

「下宿……」

「まあ、それはいいから、そろそろ朝食を食べよう。ああ、そうだ。フーバー夫人と、クーリヒ夫人の前ではキルヒアイスらしくしてくれよ」

「は……はい……じゃあ、私が変なことを言ったら寝惚けているってフォローでお願いします」

 もう他人になりすますことに慣れてきた面もあるので外したときは寝惚けているで誤魔化すことにして朝食を食べて街に出た。

「あの、どうして、こんなに古いんですか?」

「古いって何が?」

「ここ地球じゃなくて首都オーディンですよね」

「そうだよ」

「街並みが古いのは、そういう地区だからですか?」

「う~ん……フロイラインミツハの言うことは、よくわからないな。別に、これが普通だけど?」

「じゃあ、帝国中が、こういう街並みなんですか?」

「いいや、もっと田舎に行けば農園もあるし別荘地だってあるよ」

「…………文化なのかなぁ……一周まわってこうなったのかな、千年は経ってるのに、この街並み……服装も、みんな……」

 行き交う人々の服装が、とにかく古かった。

「まあ、いいかな。これは、これで」

「お昼からは予定があるんだけど、それまでは、どうする?」

「また白兵戦とか言わないでくださいよ」

「しごいて悪かった」

 二人とも平服なので誰も敬礼してこないし、とても気楽に過ごせている。

「ああ、そうだ。これ、フロイラインミツハに」

 ラインハルトが5万2000帝国マルクを渡そうとしてくる。

「え…いえ、こんなのもらうわけには…」

「忘れたのかい? 報奨金だよ。防御側の勝利だったじゃないか」

「あ、ああ、あの」

 それなら、と受け取ってポケットに入れた。お金があるおかげで買い食いもできる。屋台で売られていたクレープを買うと、ラインハルトに笑われた。

「似合わないな。キルヒアイスには」

「うう……この身体にいると、たしかに味覚も男の人っぽくなるけど、やっぱり見ると食べてみたいと思うんです。あと、私の三倍は食べられるし」

 道を歩いていると、ドレスを売っている店もあった。

「うわぁぁ……古いけど、いつか、こういうのも着てみたいな」

 赤いドレスを見つめていると、ラインハルトが、また笑う。

「その身体で着るのはやめてくれよ。どういう罰ゲームかと思うから」

「むっ……着てやろうかな。キルヒアイスへの復讐に!」

「復讐? キルヒアイスが何かしたのか?」

「聞いてくださいよ。ひどいんですよ」

 キルヒアイスの頬を膨らませて、三葉が語る。

「私の家、お母さんが早くに亡くなったんですよ。なのに、お父さんが、ちょっと勝手で私たち二人の姉妹のことより仕事のこと優先で家を出て行って。お婆ちゃんに育ててもらってるの」

「それは……気の毒に…」

 笑っていたラインハルトが神妙な顔になる。

「それで?」

「それで、お父さんとの仲は、微妙なんです。大嫌いってわけじゃないけど、素直に仲良くしようとは思えないでしょ?」

「それは当然だろう」

「なのに、キルヒアイスってば、お父さんのところに行って仲良く写真にまで写ったりして。お父さん、町長だから世間から注目されてイヤなんですよ。私は平凡な庶民でありたいのに」

「……そうか……すまない。明日、キルヒアイスには必ず言っておく」

「お願いしますね。私の家族関係を変に動かさないでください」

「ああ、悪かった。オレからも謝らせてくれ」

「ラインハルトさんが悪いわけじゃないから、いいですよ」

「…………。オレも父親が嫌いだ」

「そうなんですか?」

「ああ、フロイラインミツハと似たようなものだ。早くに母を亡くして、父は酒に溺れ、オレと姉さんを顧みなかった。それどころか、あいつは……」

 そこまで言ってラインハルトは迷い、やはり言うことにする。

「昼から会う姉のことなんだが…」

 ラインハルトは周囲に人がいないか、監視システムと連動したルドルフ像が無いかを確認してからキルヒアイスの耳元へ語る。

「オレの姉は後宮に捕らわれている。父に売られて」

「っ……」

「オレとキルヒアイスが力を欲しているのは、姉を救い出すためだ」

「………それって……皇帝に逆らうってこと…?」

「…………」

 ラインハルトは沈黙で肯定した。

「絶対に口外しないでくれ」

「わかりました」

「……意外に、オレとフロイラインミツハは共通点があるものだな」

「そうですね。千年経っても人は変わらないのかも」

 あれほど訓練させられた理由が少しわかって三葉はラインハルトに抱いていた反感が消え、再び好感をもち、そして迷惑をかけないよう訓練は頑張ろうと思った。そしてラインハルトは何かを思い悩み始めた。彼らしくなく決断に逡巡している。

「どうかしたんですか?」

「昼から姉に会うのだが、キルヒアイスもいっしょにという形で後宮へ申請してある」

「……私も…」

「迷うのは、連れて行くか、行かないか、そして連れて行った場合、フロイラインミツハのことを話すべきか、話さざるべきか、だ」

「お姉さんにウソをつきたくないんですね」

「……それもあるし……とはいえ、……連れて行かなければ心配をかけるし……」

 ラインハルトが爪を噛む。

「………どうすればいいか……」

「お姉さんに会える機会って少ないんですか?」

「ああ、めったにないことだ。実の姉なのに」

「…………。それなら、やっぱり言わない方がいいと思います」

「だが、フーバー夫人たちとは違うぞ」

「………何時間くらいですか」

「昼からといっても、皇帝への謁見があって、その後だから4時間もない」

「なら、少し心配をかけますが、戦闘中に頭を打ったことにして、頭痛薬を飲んで、ぼんやりしているとでも言えば。乗り切れると思います。その方が心配をかけないと思いますよ。入れ替わりなんて、普通、信じないですし、信じたら信じたで、めったに会えない分、とても心配すると思います」

「……そうだな。そうしよう」

 二人は決断すると、下宿に戻り軍服に着替えた。二人とも階級章が新しくなっている。大将と中佐だった。

「出世したんだ」

「ああ、いよいよ大将だ」

 やはり軍服を着るとラインハルトの雰囲気も少し堅くなる。

「行こうか」

「……皇帝か……怖い感じの人ですか?」

「いや、ただの年寄りだ。それに会うのはオレだけでフロイラインミツハは控えの間で待っているだけだから安心して」

「よかった」

 三葉は新無憂宮へラインハルトと出向き、控えの間で退屈な時間を直立不動で過ごしてからアンネローゼに出会った。

「姉さん、久しぶり」

「アンネローゼ様、お久しぶりです」

「いらっしゃい。ラインハルト、ジーク」

 基本的な会話は事前に打ち合わせているので自然にできた。

「………」

 なんてキレイな人なんだろう、と三葉が見惚れている。見ていると胸が熱くなって、抱きしめたくなる衝動が湧いた。抱きしめてキスをしたい、そしてまた抱きしめたいと、胸が熱くなってくる。

「ジーク、どうかしたの?」

「いえ…」

「こいつ、戦闘中に頭を打って、ぼんやりしているんですよ」

「それは大変、具合はどうなの? ジーク」

「たいしたことはありません。医者も異常はなく、頭痛薬で治るとのことですから」

「そう、それなら良かったわ。でも、気をつけて。ラインハルトのために無理はしないでくださいね、ジーク」

 あ、この人、キルヒアイスのこと好きなんだ、と三葉は呼びかけ方で感じた。とても感情を抑えて押し隠してはいるけれど、ジークと呼びかける声色で、もともとは同じ女性である三葉にはわかった。穏やかに談笑しつつ三人で夕食をともにして、アンネローゼは地下のワイン庫から銘柄を指定したワインを取ってくるようにラインハルトへ頼み、二人きりになった。

「ジーク、ラインハルトをお願いしますね」

「はい、アンネローゼ様。……」

 こんなにキレイな人が、この世に存在するんだ、高嶺の花っていうか、後宮にご指名で召されるくらいだから、帝国臣民の中でも選りすぐりの美人、やっぱり田舎の町娘とは違うなぁ、気品というか、オーラから違うし、三葉が見つめていると、アンネローゼは少し赤面して顔をそらした。

「そんな風に見つめないでください。ジーク」

「し…失礼しました」

 一礼して、少しさがる。近づいてしまうと衝動的に抱きしめそうだった。ラインハルトは本来のキルヒアイスがアンネローゼと二人でいるのなら気を利かせて、ゆっくりとワインを探したのだけれど、今は中身が三葉なので、かなり急いで戻ってきた。

「ハァ…見つけて来ましたよ、姉上」

「大将閣下ともあろうお方が、そんなに息を切らして」

 二人きりの時間が終わり、あとはラインハルトからのフォローもあって三葉は面会を乗り切った。ラインハルトと地上車で下宿先へ戻る道すがら言われる。

「よく姉上に気づかれなかったな。親しい仲は難しいだろうと思ったが」

「………親しくても、めったに会わない関係だと気づかないものですよ。私のお父さんだって、気づかないで万歳してましたから」

「そうか……そうだな。すまない」

「だから、ラインハルトさんが謝らなくていいですよ」

 地上車が下宿に到着すると、午後8時だったので三葉は提案する。

「あと4時間ありますし、白兵戦やりませんか」

「ここでか?」

「組み手くらい庭でもできますよね」

「そうだな、やってみるか」

 二人とも軍服から動きやすい服装に着替えると、庭で向かい合い、組み手争いをしたり、ナイフを持った相手と戦う演習をしたりする。前回のイヤイヤ訓練していたときと違い、三葉にやる気があるので習得が早い。

「金髪さんも、赤毛さんも、ご精が出ますわね」

「ホントお若いって羨ましいことです」

 二人の夫人が窓から声をかけてくる、すでに10時を過ぎていて、かなり非常識な行動になっていた。

「騒がしくして、すみません。どうしても今日、やっておきたくて」

「あらあら、では私たちは休ませてもらいますね」

 ご夫人方に頭をさげて、さらに白兵戦の練習をしていると、だんだん三葉はラインハルトの動きが読めるようになってきた。

「えいっ」

「おっ?」

 ラインハルトが投げられて驚いている。

「今の動きは、いいな。キルヒアイスらしい技のキレがある」

「もう一回、お願いします」

「ああ」

 さらに続けると、ラインハルトがだんだん本気になってきた。

「よーし、一度、本気でやってみるか」

「はい」

 本気で戦うと、むしろキルヒアイスの方が体格がいいので三葉が勝ってしまった。

「……フ、フフ。油断してしまったようだ。もう一度やろう」

「はい」

 再び二人が対峙する。今度こそと、本気の本気で構えるラインハルトと、やはり本気で構える三葉が夜中の庭にいると、練習ではなく酔ってケンカでもしているように見えたので訪ねてきたオスカー・フォン・ロイエンタールは声をかけるのを躊躇った。

「……。コホン」

 それでも火急の用件があるので咳払いして二人へ声をかける。

「ご決闘の邪魔をして申し訳ないが、ラインハルト・フォン・ミューゼル大将閣下とお見受けいたします」

「これは決闘ではない。ただの演習だ。卿は?」

「オスカー・フォン・ロイエンタールと申します」

「おお、卿が、あのロイエンタールか。武名は聞いたことがある」

「それはお耳汚しでした。私などより大将閣下の武名こそ轟いておりますれば、一つお願いいたしたいことがございます」

 いい声をした人だなァ、と三葉は思ったけれど、夜中の訪問なので油断せず相手が武器を持っていないか観察する。すでに宮廷内に敵が多いことは聞いているのでブラスターを部屋に置いてきたことを少し後悔する。そんな表情をロイエンタールは見抜いたようで頭をさげた。

「閣下は、よい部下をお持ちのようですな」

「卿の用件は?」

 すでに午後11時30分を過ぎている。演習も非常識だったけれど、訪問も非常識な時間だった。

「立ち話では、差し障りがございます」

「……。よかろう。入れ」

 ロイエンタールから並々ならぬ気配を感じてラインハルトは居室内に招き入れた。三人でテーブルを囲み、密談が始まると、三葉は日本語でメモを取る。もうキルヒアイスと入れ替わる時間が迫っているので大切な話なら、手紙にする時間もないので書いていたのだけれど、ロイエンタールの瞳が、やめてほしそうにしたので手を止めた。

「すると、卿の友人を助けるため、私に助力を請いたい、というのだな?」

「そうです」

「そのために帝国最大の門閥貴族と対立しろと」

 二人の話を記憶に残そうとするけれど、けっこう複雑な話だった。すでに12時近くて眠くなってくるし、一日の最後に白兵戦をしたので身体も疲れてきている。ついつい話が頭に入らず、ロイエンタールの瞳をぼんやりと見る。

「………」

 あ、左右で色が違う、視力も違ったりするのかな、なかなかハンサム、けど、この身体にいるときって男の人にときめかなくなってきたかも、どっちかというと女の子が可愛く見えて抱きしめたくなるし、食欲があるんだから性欲も、この身体からくるのかな、朝起きたときとかすごいことなってるし、と三葉が無関係なことを考えていると、ロイエンタールが聴いているのか、という目で見てきた。聴いてますよ、という顔を作って背筋を伸ばした。

「卿は現在の銀河帝国ゴールデンバウム朝について、どう思う?」

「五百年になんなんとする巨体には、様々な膿が溜まっております。大規模な外科手術が必要でしょうな」

「あ…」

 今の不敬罪っぽい、と三葉は声をあげてしまった。

「「「……………」」」

 微妙な間があり、三葉は空気が読めていないことに気づいて、視線をそらせ、そして時計を見ると、もう5分前だった。

「す、すみません。ちょっと休憩を10分ほど…」

「………」

 このタイミングでか、というロイエンタールの視線が痛いけれど、ラインハルトがフォローしてくれる。

「キルヒアイスは前回の戦闘で頭を打ってな。ときおり強い頭痛に襲われるのだ。だが、少し休んで薬を飲めば問題ない。悪いが、待ってやってくれ」

「それは、お大事に」

「失礼します」

 三葉はキルヒアイスの部屋に戻ると、紙に走り書きを残す。

 

 アンネローゼさんに会い、気づかれず、無事終了。

 夜中に訪問客あり、今もラインハルトさんの部屋で話し中。5分で戻った方がいい。

 話題は派閥抗争

 貴族の揉め事で友達を助けてほしい、みたいな。

 信用できそうな雰囲気もあるけど、不敬罪っぽいこと言ってた。

 名前はオスカー・フォン・ロイエンロールさん。

 捕まってるのはミッター・マヤさん。

 

 時間が迫ってくる。少しできるようになったドイツ語も混ぜて書いたけれど、スペルなどをチェックしている時間は無さそうだった。

「…ん~……こんなもんかなぁ……忙しい一日だった……午前中は、のんびりでよかったけど…」

 他に書くべきことを考えているうちに12時になった。

 

 

 

 キルヒアイスは目前にあった紙を読むと、すぐにラインハルトの部屋へ入った。

「お待たせいたしました」

「よく戻ってきた。座れ」

「はい」

「……」

 ロイエンタールは6分で戻ってきてくれたことはありがたかったけれど、内心では刻一刻を争っている。頼み事なので失礼の無いよう落ち着いているけれど、今すぐにでも駆けつけたい気持ちを押さえて話を続ける。

「大将閣下のお力添えをいただきたくお願い申し上げに参った次第です」

「うむ。……。キルヒアイス、話は覚えているか?」

「はい、こちらのロイエンロールさんからのご依頼でミッター・マヤさんを助けるという話でした」

「ロイエンタールだッ!」

 つい大きな声を出してしまい、ロイエンタールは詫びる。

「失礼、ロイエンロールではなくロイエンタールだ。できれば間違わないでいただきたい」

「これは失礼いたしました。ロイエンタール少将」

 キルヒアイスは立ち上がって敬礼した。

「あと、ミッターマイヤー少将の救出をお願いしている。こちらも間違わないでいただきたい。キルヒアイス中佐におかれては、よほど頭痛に苦しんでおられたとお見受けする。夜分の訪問、まことに申し訳ない」

「いえ、こちらこそ、失礼いたしました」

「うむ、キルヒアイスには私から話そう」

 そう言ってラインハルトは今までの話を、ほぼ丸ごと繰り返した。ロイエンタールの話が、本当のことなのか、それとも罠なのか、キルヒアイスの判断もほしいので繰り返しているけれど、ロイエンタールにとっては時間の空費に感じられる。

「どう思う? キルヒアイス」

「はい。では、ロイエンタール少将におかれては現在の銀河帝国ゴールデンバウム朝について、いかがお考えでしょうか?」

「……」

「キルヒアイス、それも訊いた。我々の考えと一致している」

 ラインハルトとキルヒアイスが目で会話する。そして頷き合った。

「キルヒアイス! ミッターマイヤー少将が、どこに捕らわれているか、すぐに調べてくれ」

「はい、おそらくブラウンシュヴァイク公の息のかかった軍刑務所でしょう。すぐに!」

 そう言ってからのキルヒアイスは迅速な事務能力を発揮してミッターマイヤーの居場所を突き止め、すぐに三人で駆けつけた。

「くくくっ…ここまで痛めつければ、もう後悔しただろう。死ぬがいい」

 駆けつけた刑務所の奥からフレーゲル男爵の声が響いてくる。

「悲鳴をあげなかったのは、たいしたものだが、もう私は眠い。貴族は健康管理も気をつけるのだ。もはや飽きた。殺せ」

 自分の手を汚さずに手下へ命じているところへ、ラインハルトたちが間に合った。

 バシュゥン!

 手下がミッターマイヤーを射殺しようとしていたブラスターを撃ち落とした。

「ミューゼルっ?! 貴様!」

「フっ」

 ラインハルトとフレーゲルが睨み合い、少し遅れてキルヒアイスが調査したことを知ったアンスバッハが現れ、両者を仲裁する。ロイエンタールは倒れている親友を抱き起こした。

「ミッターマイヤー! 傷は?!」

「ぐぅ……見ての通りさ」

 ミッターマイヤーは20分ほど前に胸部を狙ってきたブラスターの射線を見切って、致命傷をさけるため手のひらから肘までを射線に重ねて受け止めていた。二度の射撃を受けて両手が、まったく動かなくなったものの致命傷は受けていない。そこを電撃も付帯する鞭によって何十回も打たれたために、朦朧としていたけれど、ロイエンタールの顔を見ると、笑顔をつくってみせた。

「なんとか生きているさ。両腕も義手にすれば、なんということはない」

「……。そうだな。だが、ミッターマイヤー夫人には悪いことをした。抱きしめる両手が義手では、いささか、ものさみしいだろう」

 一人の漁色家として冗談を言って励ましたものの、あと10分、いや20分、早く到着していれば、ここまで酷い傷を負わせずに済んだかもしれないと思うと、睨むつもりはなかったのにキルヒアイスを見てしまった。

「……」

「……」

 これは、わだかまりが残るかもしれない、とキルヒアイスは思った。そして、ロイエンタールがブラスターを抜き、誰も止める間もなく撃った。

 バシュゥン!

「ヒギィイアアア!」

 牢内にいた拷問係が悲鳴をあげている。この拷問係というのが、黒の編み上げブーツに、網タイツをはいて、黒皮のパンツをはいた大男でオフレッサー並みの体格をしていたけれど、自身の痛覚には弱いようで、ロイエンタールが一人の漁色家として急所を撃ったために、喘ぎ苦しんでいる。アンスバッハが眉をひそめて言う。

「私は自重を願ったはずですが、ロイエンタール少将」

「ああ、人として自重はするさ」

 ロイエンタールが平然と応答する。

「ただ、軍刑務所内にいるはずのない害虫がいたので殺虫剤をかけたまでのこと。フレーゲル男爵におかれては、身に覚えのない害虫であれば、実に申し訳ないが、今暫くお待ちいただければ、殺虫剤が効いて駆除できましょう。その上は死骸を捨てておいてもらいたい」

「……ちっ…」

 フレーゲルは舌打ちして手下に片付けておくよう命じると立ち去った。もともと、この拷問係を呼んだのも彼であったけれど、あまり気に入っていない依頼先で単に料金が安いということで使っていた。というのも、この拷問係の本業はマッスルジムの人気トレーナーで拷問係は趣味ということが大きかったけれど、趣味が災いして、ジムの生徒たちは愛好する講師を喪うことになった。

 

 

 

 三葉は自分の身体に戻った瞬間、妹が優しく抱き起こしてくれたので、なんとか立ち上がった。

「ほら、肩に手をのせて」

「ありがとう……ぅぅ…」

 妹を杖代わりに廊下まで出たけれど、そこで限界が来た。

「……ぅ~………」

「………」

「……ぁぁ………」

 大きな声を出さなかった三葉は静かに妹に頼む。

「……ごめん、ヨガしちゃった。タオルある?」

「はい」

 バケツと雑巾とタオルは廊下に用意されていた。

「…ありがとう……自分で片付けるから、もう四葉は寝て」

「手伝うよ」

 さすがに4回目になると泣かないんだ、と四葉は姉の成長を感じたけれど、泣きそうな顔はしている。落ち着かせて二人で入浴し、首都オーディンでの出来事を聞いた後、傷つけないように訊いてみる。

「お姉様は12時まで我慢してても、つらそうな顔は一回もしないけど、お姉ちゃんになると、いきなり限界になってるのは、どうしてか、わかる?」

 単に精神力の違いじゃないか、と言ってしまうと傷つくかもしれないので遠回しに訊いていた。

「それは……入れ替わった瞬間、ちょっと力が抜ける感じがあるから。立ちくらみみたいな」

「あ~……それはお姉様も言ってた。だから、なるべく布団に寝るって。でも、もう少しお姉ちゃんも我慢できない?」

「……。限界ギリギリまで我慢してる状態で一回、力を抜いた後に立て直すのって、すごい難しいよ。それにさ、朝からジワジワ我慢してたら慣れるかもしれないけど、いきなり猛烈に襲ってこられると、そんなすぐに対応できないし。遭遇戦みたいな感じだよ」

「じゃあ、お姉様にトイレの前か、トイレの中で12時を迎えてもらう?」

「それなら………イヤ。それもイヤ」

「なんで?」

「だって、それだと、私がヨガしたから、そうなったんだって、向こうも気づくもん」

「………まあ、気づくね。間に合わないことがあるんだって」

「それにトイレの中って密室だから、一人にはしないで」

「…………信用してないんだ?」

「男の人の欲望って、すごいんだよ。誠実とか、そういうのはあるかもしれないけど、健康な男の人だと、女の子を見ると、すごい抱きしめたくなるの。気を抜くと、抱いちゃいそうなくらい」

「………」

「朝も、すごい元気だし」

「…………お姉ちゃん、向こうで変なことしてないよね?」

「完璧に過ごしてるよ。白兵戦でもラインハルトさんと互角に戦えるようになったもん」

「へぇぇ……その分、男っぽさを感じるかも。逆にお姉様、しっかり女性っぽいし」

 午前1時まで話し込んでしまい、起床後バタバタと寝癖も直さないまま三葉は通学路を走った。少し走って、早耶香と克彦に追いついた。

「ハァ…ハァ…おはよう、サヤチン、テッシー」

「おはよう、三葉ちゃん」

「おう、おはよう。三葉」

 三人で歩いていくと、不意に三葉は早耶香の胸に触った。

「おお、いい感触だ」

「っ?! いきなり何するんよ?!」

「ちょっと触ってみたくて。友達だし、いいじゃん」

「………。今の触り方、友達って感じじゃなかった」

 早耶香が恥ずかしさと怒りで顔を赤くしている。三葉は次に克彦を見て訊く。

「テッシーってさ、私やサヤチンのこと見ていて抱きたいって思ったことある?」

「なっ………」

 克彦の顔が赤くなるので、悟った。

「あるんだ」

「「……………」」

「………。あれ、私、今、かなり変なこと訊いた?」

「「………」」

 二人が無言で頷くので、三葉も自分が女子であるということを意識し直してみて会話を振り返ると猛烈に恥ずかしくなってきた。

「ごめん! なし! さっきの無しで! お願いします!」

「ったく、お嬢様だったり変なこと言い出したり、三葉、大丈夫か?」

「えへへへ…、女心と秋の空、みたいな」

「はぁぁぁ……そろそろ夏だな」

 あきれられながら登校してラブレターをくれた相手の下足箱に返事を入れておき、昼休みになると、三葉は自分が女子であるということを、より強く意識させられながら女子トイレに入って確認すると、絶望的な気持ちになった。

「う~……来ちゃったよ……」

 いつも通りに対応してから、洗面台で手を洗い、やはり絶望的な気持ちで愛用のポーチを握って鏡を見る。

「うう~……鏡よ、鏡、私を私でいさせてください」

「三葉ちゃん、なに言うてんの?」

 早耶香も女子トイレに入ってきた。

「う~……来ちゃったの」

「あれが?」

 長い付き合いなので愛用のポーチに何が入っているか知っているし、身体の匂いも変化するので、早耶香は、すぐにわかった。ただ、ごく当たり前のことなのに三葉は激しく動揺している。

「うん、あれが来ちゃった。どうしよう?」

「………いやいや、来ない方がヤバイでしょ」

「それは、もっとヤバイけど、そんなことはしてないもん」

「だったら、当たり前に来るよ、そりゃ。温泉旅行でも行く予定だった?」

「う~………そんな感じ……」

「そっか、気の毒にね」

「ああ~……」

 絶望的な気持ちで帰宅して、四葉に相談する。

「来てしまいました。あれが」

「そっか。まあ、そろそろだとは思ったけど」

「どうしよう?」

「前に考えておいた通りにするしかないんじゃない?」

「ぐすっ……それしか、ない……かな…」

「他に手段がある?」

「………ない」

「じゃあ、一回は私も予行演習しないと、いきなりお姉様のときで失敗したら困るから、やっておくよ」

「うん………ごめんね、四葉……こんなことさせて……」

「別にいいよ。10年前にはオムツ替えてもらったお姉ちゃんだし」

「…………」

 三葉は申し訳なさそうな顔で自室の布団に寝転がった。そして、愛用のポーチを妹に渡す。

「………」

「お姉様のときは目隠しとイヤホンもしてもらう?」

「うん、そうして」

「音楽とか大きめの音でかければいいよね」

「うん。…………」

「じゃ、ちょっと腰あげて」

「…………。息も止めてもらって。今も四葉も」

「私、息止めは40秒が限界だよ」

「それでいいから」

「わかった」

「それ、すぐ丸めて捨てて。手を汚さないように」

「こう?」

「そう」

「で、新しいのを貼る、と。これを、こうして……こう?」

「うん、そう。それを表側に回して貼って」

「これでOK?」

「うん」

「じゃあ、もう一回、腰あげて」

「はい。…………」

「これで完了?」

「うん………ありがとう……ごめん…ごめんね、ごめん、四葉…っ…ひっく…ぅう…」

 起き上がった三葉が啜り泣き始めたので四葉は首を傾げる。

「ここって泣くところ? 問題なく交換できたと思うけど……」

「まだ来てない四葉にはわからないよ、この情けなさは……妹に替えてもらうことが……あるなんて……ううっ……ごめん、ごめん……」

「謝らなくていいよ。ほら、泣かないでお姉ちゃん」

「ぐすっ…ぐすっ…」

 そう言われても三葉は、しばらく泣いていた。


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