「君の名は。キルヒアイス」   作:高尾のり子

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第4話

 

 

 ラインハルトの寝顔を見つめていたキルヒアイスの瞳が少女が美青年に見惚れているような色合いから、未知の体験をしてきた思慮深い青年の色合いに変わった。

「…………」

 ラインハルト様がおられる、ということは戻ってきたのか、しかし、なぜ、裸、とキルヒアイスは大きな安堵と大きめの疑問を抱いたけれど、声に出したりせず眠っているラインハルトを起こさないよう静かにベッドから離れた。

「………」

 私も裸なのか、いったい何が、数秒前までの私の身体は中身が17歳の少女だったはず、と疑問が大きくなりつつあるも、ベッドサイドに置かれた二人分の食事トレーなどで、なんとなく察した。キルヒアイスは静かに軍服を着るとラインハルトへ、私は資料室にいますがラインハルト様はお休みください、とメモを残してトレーを持って退室した。トレーを士官食堂に返却すると資料室に入った。

「日本……やはり実在している国家だったのか…」

 資料室のコンピューターで体験してきたことの真偽を見極めるため調べ物をしていく。

「王朝国家? そんな雰囲気では……なるほど、立憲君主制か、それ以前は征夷大将軍による幕府との並立……そこからの大政奉還……敗戦後は君主を象徴に……三葉さんがおられた時期で、すでに120代以上も……記録上は人類最長の王朝……現在も、同盟領へ亡命した者が、宗教法人日本皇統保存会、通称日本教を立ち上げて……よくルドルフ大帝の時期を乗り越えて……。八百万の神? ……なるほど、ルドルフ大帝の神格化に逆らわず、一柱の神として積極的に受け入れ、瑠怒流布大明神に………おおよそ、軍事的な名将も、すぐに神として祭るのか……かわった民族だ。そういえば、三葉さんも宮水姓が、そのまま神社としても……由緒ある血統の女性だったのかもしれない……黒髪の美しい凛とした女性だったから……」

 キルヒアイスは、あまり深く歴史に興味を持つ方ではなかったけれど、実体験してきた国のことであり、繰り返し入れ替わりが起こるかもしれないという一葉の言葉も気になっているので調べを進める。もう真夜中ではあったけれど、身体は十分に昼寝をした後のように疲れを感じていない様子だった。

「侍? 騎士道精神に類似した独特の戦士階層か……ラインハルト様が以前に決闘されたとき、剣術について調べておられたときも出てきたような気も……まあ、これは関係ないか。ん? 日本教の副会長に同盟軍のウランフ提督が登録されている……日蒙文化交流継承会を通じてか……人の縁というのは不思議なものだ。政治団体でもない、ただの趣味の集まりのようだな。さて、岐阜県飛騨地方については……町の名は、糸守町だったかな」

 さらにローカルな情報についても調べる。

「小さな町のことだから何の記録もない可能性も……あった」

 意外にも糸守町のことは、すぐに見つかった。

「ティアマト彗星の一部が落下……隕石の落下による犠牲者が出た例としては有史以来、最大規模……これ以後、宇宙から飛来する物体に対する防衛が各国で進み、ミサイル技術の進展と拡散……後の地球上での核戦争への遠因とも……」

 かなり歴史的な事件があったようで大きく記録が残っている。そして、読み進めるキルヒアイスの端末機を操作する指が止まった。

「落下は2013年………………まさかとは思うけれど…………犠牲者名簿がある。……っ…彼女たちも…」

 犠牲者名簿に三葉たちの名前を見つけてキルヒアイスは胸に痛みを覚えた。

「私が入れ替わった日から、あと、ほんの半年あまりで……まだ17歳の彼女は……フロイライン四葉なんて、まだ10歳くらいで…………サヤチン…」

 温かいココアの味を思い出して、キルヒアイスが涙を零した。図書室で様子がおかしいと心配してココアを飲ませてくれた早耶香、あの友人を思いやる少女も早世するのかと思うと目頭が熱くなる。お兄さん、と呼んでくれキルヒアイスの話を信じてくれた四葉まで犠牲になると知り、運命が呪わしくなった。

「くっ………」

「今日のお前は、泣いてばかりだな」

 不意にラインハルトが隣りに立って声をかけてきた。キルヒアイスの肩に手を置きながら、アイスブルーの瞳は端末機を見る。

「ティアマト彗星? ほお、泣いているかと思ったら何か作戦に使えそうな地形的条件を見つけたのか? ん? 違うな、これはティアマト星系ではない。どこの星系だ? ……地球? こんなところを調べて何を?」

 ラインハルトはやや早口気味に言った。日に二度も泣いていた親友は弱い男ではないはずなので気にかかり、その心配が口調に出ているのだとわかり、キルヒアイスは涙を拭いて微笑んだ。

「ご心配をおかけしました」

「心配などしていない。こんな古い時代のことを夜中に調べて何をしているんだ?」

「はい、少し気にかかることがありましたので」

「ほお。で?」

「………。黙っておくわけには参りませんね」

「当たり前だ」

「たしかに、話しておかなければならないことです。繰り返し起こる可能性もあるのですから」

 キルヒアイスは資料室に余人がいないか、しっかりと視線を巡らせる。その動作でラインハルトも極めて内密な話なのだと悟る。二人が内密な話をするのは、その多くが帝政に対する反逆についてなので、ラインハルトの顔も真剣になった。

「それで?」

「これからする話は、かなり荒唐無稽というか、信じがたく、また冗談のように聞こえるかもしれませんが、少なくとも私の主観にとっては真実と感ぜられることです」

「めずらしく前置きが長いな。早く言え」

「まず、昨日の私、12時以前の私は、かなり普段と様子が違いませんでしたか?」

「ん? ああ…」

 ラインハルトが記憶を振り返り頷いた。

「かなり普段と違ったな」

「まるで中身がフロイラインのようではありませんでしたか?」

「おお、そう言われると、そうだ。やや女々しい…いや、可愛い、というか…」

「昨日の私は私であって、私ではなかったのです」

「……というと?」

「まったく別の人格と、私の人格が入れ替わっていたのです」

「おいおい、そんなことが…」

「私も半信半疑です。ですが、資料室で調べて疑いようのない事実かもしれないと考えが変わってきています」

 キルヒアイスが端末機に映る宮水三葉の名を指した。

「昨日の私は、西暦の2013年に生きていた宮水三葉という女性と入れ替わっていたかもしれないのです」

「このフロイラインと?」

 ラインハルトも端末機を見る。キルヒアイスは犠牲者名簿だけでなく当時の読売新聞に掲載された、ティアマト彗星落下でお亡くなりになられた方々、という記事にあった三葉の顔写真を指した。その写真は糸守高校の修学旅行で撮影されたものを切り抜いたようで女子高生らしく写りを気にして顔の角度を工夫して撮られた可愛らしい一枚だった。その隣にある四葉の写真は小学校入学時の一枚で、一葉の写真は糸守町老人会のバス旅行で下呂温泉に行ったときのもの、克彦の写真は月刊ムーに投稿記事が載ったときの転載で、早耶香の写真は本人フェイスブックより、となっている。

「はい」

「……………そんな話を信じろというのか? いや……お前が、こんな冗談を言う人間でないのは知っているが……だが、しかしだ」

「私も最初は寝惚けているのか、変な夢ではないか、もしくは精神病にでも罹ってしまったのか、とも考えたのですが、こうして調べてみると、昨日体験したことと、この資料室にある情報が一致するのです。彼女の名前も、家族の名前も。知りもしなかった町の名も」

「…………よしんば、そうであったとして、どうだと言うのだ? 今のお前は、もうお前ではないか」

「人格が入れ替わる現象は、繰り返し起きる可能性があると、彼女の祖母に言われたのです」

「繰り返し………、そうなると、どうなる?」

「その日、一日、おそらく24時間、私はラインハルト様のお役に立てないでしょう」

「………それは………場合によっては、かなり困るな」

「そうです」

「………対策はないのか?」

「今のところ。ですが、ずっと続くわけではないとも言われています」

「続かれてたまるか。お前はお前だ。他の何者でもないはずだろう」

「そうありたいのですが………」

 キルヒアイスが視線を落とすと、ラインハルトが問う。

「それで泣いていたのか?」

「いえ。そのことでは……。むしろ、ただの女々しい感傷です。この入れ替わった女性が、その半年後に不条理な死を迎えると知り……つい…」

「フっ、お前らしいな。どのみち、こんな大昔の人間、100歳まで生きてもオレたちには擦りもしない」

「そう思っていたのですが、わずか半年の命と知れば…………妹もおられて10歳でしたし、私は先刻まで現場にいた、という感覚なので同情を禁じ得ないのです。女々しいとは思いますが…」

「まあ、目の前にいたフロイラインが…、となればわからんでもないが、ちなみに、どういう死に方をするのだ?」

「このティアマト彗星の一部が落下したのです」

「彗星の落下? そんなことも、この時代の人間は観測できないのか? 事前に観測できなくても自動防衛の人工衛星くらいないのか?」

「人類が宇宙へ進出して一世紀と経たない時期ですから」

「そうか。まあ、仕方ないのだろうな」

「………」

「キルヒアイス、お前、このフロイラインたちを救えないものか、と考えているな?」

「いえ……まさか…」

「フフン、では仮にフロイラインミツハと次に入れ替わったとき、彗星落下の当日だったとして、助けようとすれば、どう助ける? お前の身体は鍛え上げた帝国軍少佐ではなく、ただの女学生なのだろう? いかにする?」

「仮に、ということですか…」

「そうだ。まさか、星占いに出たと言い回るわけにもいくまい。まして未来から来たなんて言えば狂人扱いされるだろう」

「仮に落下まで12時間あるとして、協力者なく私一人、いえ、三葉さん一人の身体であれば…」

 キルヒアイスは糸守町の地図をモニターに映した。

「隕石の落下は、この地点です。被害は半径500メートルまで。ただ、事前に察知したと言っても、この時代の観測技術では確認できないでしょうし、確認できても迎撃はできません。落ちることは不可避です。となれば、避難させるしかありませんが、それを叫んでも少女一人の妄言で終わるでしょうから、実力行使します」

「フロイラインミツハ一人でか。どうやって?」

「町内で無人の空き家や倉庫などを2、3カ所、爆破します。その後、さらに大きな爆破を行うという予告電話を入れれば、避難せざるをえないでしょう」

「女学生が爆薬など手に入れられるのか?」

「この時代の地上車は排気ガスの匂いからして、揮発性の高い危険な燃料を使用していたようですから、倉庫などの密閉された空間で揮発させ充満させれば、ゼッフル粒子のように爆発させられそうですから簡単な起爆装置を作れば2時間もあれば。他に料理に使用していた燃料も可燃性のガスでしたから、そちらを利用しても良いでしょう」

「なるほど、即席爆弾か。ちゃちな爆発でもデモンストレーションの爆破があれば、予告電話を信じるだろうな。周辺一帯から避難させられるだろう」

「もし、即席爆弾でない実用的な爆薬が手に入り、男性の協力者が1名でもいれば、デモンストレーションも必要なく予告電話と、見つかりやすい場所に一つ仕掛けるだけで指定した時間までに避難してくれることでしょう」

「たしかに、フロイラインの声で予告電話したのでは当局が本気で捜査しないかもしれないしな。男の声なら動くだろう。それで一つ本物の爆弾が見つかれば、デモンストレーションがなくても避難は開始されるな。いい作戦だ」

「問題があるとすれば…」

「すれば?」

「地方警察の本部から爆発物処理班が呼ばれるでしょうから、彼らに犠牲者がでないよう予告電話のあとに道路を封鎖します」

「どうやって? 動員可能な人員は一人か、二人だろう?」

「幸い、この町は山奥ですから、この道路と、こちらの道路、この二つのルートを木を切り倒すなどの手段で封鎖すれば足止めをできます。あとは注意すべきは事後に三葉さんが当局から逮捕されないよう、目撃されても人相がわからないようにすることやアリバイ作り、現場に指紋、髪の毛などを残さないよう行動しなくてはならないでしょう。我々が普段やっている軍事行動とは違った注意力が必要になるでしょうね」

「うむ、意識のない間に、自分が爆弾魔になっていてはフロイラインミツハに気の毒すぎるからな」

 ラインハルトとキルヒアイスの脳裏に、修学旅行で撮影された微笑んでいる写真の三葉がキルヒアイスの意志によって覆面をかぶり隠密に行動し、燃料を盗み、町内を爆破し、予告電話によって町民を避難させ、爆発物処理班を倒木で足止めし終え、ほっと安堵の微笑をして隕石落下を待つ姿が去来した。

「さすが、キルヒアイスだ。たった一人の女学生でも実行可能な作戦だな。やはり、お前、オレが問う前から考えていたな。助ける手段がないか、その可能性を」

「はい……」

「だが、わかっているのだろう。聡明なお前のことだ」

「ええ……」

 少し沈黙した二人が異口同音する。

「「歴史を改変してはならない」」

 キルヒアイスが体験したことが本当に時間移動であるならば、なおのこと不用意に歴史へ介入してはならない、たとえ無名の少女とわずかばかりの町民を助けるだけであっても、後の歴史に、どんな影響があるかわからない。その認識を共通させた二人は資料室から出た。

「だいたい歴史を変えられるなら、ルドルフの出現前に戻りたいというヤツは何万、いや、何億人といるだろうな」

「ラインハルト様、お声が高いです」

「夜中だ、当直以外は寝ているさ。まあ、一国家の存亡とまでは言わなくても、フロイライン一人くらい助けたいと誘惑されるか?」

「………。もしも、ラインハルト様が、あと半年、一年の命であると、他人から真剣に告げられたら、どうお感じなりますか?」

「そんなヤツは殴ってやる」

「クスっ…たしかに、気分のいいものではありませんからね。やはり、たとえ繰り返し入れ替わりが起こるとしても絶対に教えない方がいいでしょう」

「ああ、黙っていてやるのが、フロイラインミツハのためでもあるだろう」

「そうします。それはそうと、私も訊きたいのですが、なぜ、私とラインハルト様は裸だったのですか?」

「ああ、いっしょにシャワーを浴びたからだ」

「………中身は三葉さんだったのですよ」

「う~ん……フロイラインミツハには申し訳ないことをしたな」

「他に、何をなさいました?」

「事情聴取か?」

「いえ、むしろ、私の身体は何をいたしましたでしょうか、昨日」

「まず寝坊だ。起きてこないから心配して見に行ったら寝ていた」

「それは、すみません」

「お前が謝ることはない。それで起きるまで寝顔を見ていたんだ。ククっ…」

 ラインハルトが意地の悪い笑い方をするのでキルヒアイスが問う。

「よほど彼女は驚いたのではないですか?」

「ああ、壁で頭を打ってな……ククっ……キルヒアイスのあんな顔を見ることができたのは収穫だったぞ」

「かわいそうに……」

「もちろん、ちゃんといたわってやったぞ。しばらく寝ていろと言ってな。で、夕方に食事をもっていってやったら、泣きながら寝ていた」

「無理もないでしょう。あんな平和な生活をしていたのに、いきなり軍艦の中、しかも宇宙ですから。パニックになったりしませんでしたか?」

「いろいろ起こりすぎて、ぼんやりという風だったな。それでシャワーでも浴びて、すっきりしろと言ったらシャワーの使い方がわからない、とか言い出して。オレは、まだキルヒアイスだと思っているから、何の冗談かと思って、まあ、それで、いっしょに浴びることになって……そうか、顔が真っ赤だったのは、のぼせたのではなかったのだな。これは真剣に詫びを入れておかねばならないな。伝えておいてくれるか?」

 写真で見た三葉の前で裸になったのだと考え直してみると、女性に対して悪いことをしてしまったと反省したラインハルトは不明を恥じて少し赤面した。キルヒアイスが微笑んで頷く。

「一応お伝えします。ですが、入れ替わることが繰り返し起きるなら、むしろラインハルト様こそ、三葉さんに出会うことができるのですよ。私は永遠に会えないでしょう」

「そうか、そうだな。………繰り返し、か。次は、いつになるのだろうな」

「その時が戦場でなければ、よいのですが」

「ああ、それについての対処を話し合っておこう」

 二人は入念に、もしも戦闘中にキルヒアイスが三葉として行動した場合について話し合いをもった。


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