「君の名は。キルヒアイス」   作:高尾のり子

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第3話

 帝国暦486年2月、ラインハルト・フォン・ミューゼル中将は定刻に艦橋へ踏み入れ、違和感を覚えた。ティアマト星域へ向かっている艦隊は整然と航宙しており、何ら異変はなく敵との遭遇にも、まだ数日は要するはずで昨夜までと変わったことは一つしかない。

「キルヒアイスはどうした?」

「それが、まだお見えになりません」

 夜間の艦隊指揮を代行していた高級士官が困惑気味に答えた。いつもなら必ずラインハルトが艦橋へ入る10分前には顔を出し、状況確認や引き継ぎなどを行っているはずが、今朝は何の連絡もなく、すでに定刻を数秒ほど過ぎている。

「めずらしいな……なにか、あったのか…」

「見て参ります」

「いや、私が行こう。今しばらく艦隊指揮を頼む。何かあれば、すぐ連絡するよう」

「はっ」

 ラインハルトは艦橋を降り、佐官クラスの士官室が並ぶフロアを進み、キルヒアイスの部屋の扉にある呼び出しボタンを押した。

「フフ、このオレが直々に起こしに来てやったぞ」

 幼年学校時代から寝過ごすことなど、ほとんどなかった親友の遅刻に何か言ってやろうと待ちかまえたけれど、返答がない。

「………おかしいな。本当に具合が悪いのか、あいつに限って連絡もなく…」

 起き上がって連絡することもできないほど体調が悪いのかもしれないと心配になってくる。ラインハルトは艦隊司令官である自分の生体認証を使って扉を開けた。

「おい、キルヒアイス、大丈夫か」

 室内に踏み込むと、心配して損をした気持ちになるほど、キルヒアイスの顔は心地よさそうに眠っている。パジャマを着て、ちゃんとベッドにいるだけだった。

「なんだ……本当に寝坊か。こいつめ」

 悪態をつきながらもクスクスと微笑み、ラインハルトは優雅に室内のイスに腰かけた。佐官用の個室といっても戦艦内のことなので艦長室ほど広くはない。ベッドと机、専用の小さなシャワー室があるくらいで、イスに腰かけたラインハルトは、すぐそばで眠る親友の顔を見つめた。

「ずっと激務つづきだったからな。疲れているんだろう」

「……すーっ……すーっ…」

 穏やかな寝息を聴いていると、起こす気になれない。それに目が覚めたとき、どんな反応をするか、ささやかな悪戯心も湧いて楽しみになる。寝顔を見ていたラインハルト自身まで眠くなるほど時間が経ってから、キルヒアイスの身体が寝返りをうち、目を開けた。

「……ん………」

「やっと起きたか。さて、言い訳を聞こう」

「っ?!」

 三葉は目の前に豪奢な金髪をしてアイスブルーの瞳も美しく白磁のような肌の整った顔立ちをした美青年がいたので驚いて飛び起きる。

「ひゃっ?! 痛っ!」

 狭いベッドで飛び起きて後ろにさがったので壁で頭を打った。

「うぅぅ…痛ァァ…」

「プっ…、アハハハハハ!」

 可笑しくてたまらないという様子でラインハルトが笑っている。

「ハハッハハハ! これは予想以上だ。ハハハハ、楽しませてもらった」

「うう…」

 住宅の壁ではなく戦艦構造物の壁なので、ものすごく痛い。三葉は呻き、ラインハルトは笑い、ようやく二人が再び目を合わせる。

「おはよう、キルヒアイス」

「……、あなたは、誰ですか?」

「プっ、くっ、アッハハハ! お前はオレを笑い死にさせる気かっ? ハハハハ! こ、これは記念すべき日だ。銀河の歴史に残るぞ。くっく…ハハハハ!」

 またラインハルトは笑い出し、それから妙に納得して頷いた。

「たしかに、ローエングラム姓に変えるという話もきているからな、もしも、そうなったら、お前へ一番に自己紹介するとしよう」

「………」

「だが、まだ気が早いな。今はまだ、ラインハルト・フォン・ミューゼルのままだぞ」

「…………ラインハルトさん?」

「クス……うむ、それもいいな。お前は、いつの間にか、様付けしていたが、オレたちは友人なのだから、そういう呼び方もいいかもしれないな。キルヒアイスさん」

「………」

「それにしても、クスクス…さっきの慌てようは…クスクス…打ったところ、腫れていないか?」

 半分は面白がって、もう半分は心配してラインハルトは彫像のように美しい手で、三葉が痛がっている後頭部を撫でると、ついでに赤毛の前髪を指先で親しみを込めていじり、涙目になっている瞳を見つめた。

「っ……」

 あまりに美しい美男子に見つめられて三葉は赤毛よりも真っ赤に赤面する。

「ん? 本当に熱があるんじゃないのか?」

「ひゃ…」

 そう言ってラインハルトの手が三葉の額に触れてくると、変な声をあげている。

「熱いな」

「あう…うわ、わ…」

 落ち着き無くドギマギしている様を見て、ラインハルトは決めた。

「今日は、このまま寝ていろ。お前は、ずいぶんと疲れているようだ」

「え……あの……、ここは…」

「ダメだ。反論は聴かぬ。おとなしく寝ていろ、いいな」

 念を押してからラインハルトは出て行った。三葉は一人になって室内を見回した。

「…ここ……どこ?」

 狭い個室には小さな窓があった。窓は本当の窓ではなくて液晶画面のような画像を映し出す装置が壁に設置されているのだったけれど、画像の鮮明さは見たことがないほどで本当の窓と違いがわからない。そして見えたのは宇宙空間と何千という数の宇宙船だった。

「………なにかの、デモ画面?」

 三葉は首をかしげ、そして違和感に気づいた。首をかしげたのに髪が肩を撫でたりしない。妙に髪の毛が軽い気がする。

「え……私の髪…」

 頭髪を手で触れると、男性のような短髪で少しクセ毛な感触がした。

「…ど……どうなって…」

 頭や顔を触ると、どうにも違和感が大きい。そして、その手も、まったく見覚えがないほど逞しくて力強そうな男性っぽい手だった。

「え? え? なに、この手……ど、…どうなってるの? これ、私の手?」

 確かめるように腕や胸に触れると、腕も硬くて太いし、胸にあったはずの膨らみが無くて、かわりに豊かな大胸筋の厚みがあった。お腹も腹筋の凹凸がわかるほど鍛えられていて脂肪がなくて、ついつい下腹部を触ると身に覚えのない一物があった。

「…お……男っ?!」

 声をあげ、そして鏡を見たくなる。シャワー室のような扉を見つけて入ると、洗顔向けの鏡があった。

「……これが……私………うそ………」

 鏡には見たこともない美男子が映っていた。さきほどの金髪の青年も美しかったけれど、どこか神々しいほど人間離れした美しさだった。彼に比べて、少し背が高くて穏やかそうな顔をしている。

「…………いったい、何がどうなってるの……」

 フラフラと三葉はベッドに戻り座り込んだ。

「これは………いったい、……どういうこと……」

 また手を見る、やっぱり男性の手だった。

「………………夢? ………そうだよ! きっと、夢だよ、これ!」

 あまりも不可解な状況なので三葉は夢だと思ってみるけれど、起きるという気持ちをもっても醒めないし、現実感が強すぎる。困惑して冷や汗がういてくるのに、急に艦内放送が響いてきた。

「本艦隊は予定通り10時20分よりワープを開始する。各員、留意されたし」

「……ワープ? ………10時…」

 三葉は顔を上げて室内に時計がないか探した。ベッドの近くに、それらしき表示がされたパネルがあった。時刻と日付を読んでみる。

「今は10時17分? Montagって何? 月曜日ならMondayだったと思うけど………スペル間違いなんてありえないよね……Februarって? 二月ならFebruaryでしょ。……486……って、これ年のこと? ……486年って……何? ………」

 読めるような読めないような表示がされていて、数字は理解できるし、アルファベットも読めるけれど、微妙に三葉が学習してきた英語とスペルが違うし、何より、おそらくは年を表示しているだろう欄に486という数字があり、わけがわからない。

「……あははは……変な夢……うん、そうだ……きっと、夢だ……」

「ワープ開始!」

 ふわりと三葉は身体が浮くような感覚を覚えた。

「あ、ほら、やっぱり夢だ」

 夢の中で歩いているときに似ている地に足がつかない感じのフワフワとした感覚が生じて、三葉は頷いた。もう目が覚めて、見慣れた天井と布団が迎えてくれると思ったのに、フワフワ感が終わっても、同じ部屋にいるままだったし、美青年のままだった。

「……………なんで……醒めないかな……この夢………」

 夢だと思いたいのに、やっぱり現実感が強い。しかも窓のような画面に映っていた宇宙空間の景色は少し変化していて、距離感はつかめないけれど、さっきまでと星の位置や密度が違い、ガス星雲のようなものも見える。

「…………夢………きっと……夢……」

 もそもそと三葉はベッドに潜り込むとシーツにくるまった。けれど、そのシーツやベッドが知っている物より、はるかに肌触りが良くて、通気性もあるのに保温性もあって、見たことのないような生地で作られていて、ベッドマットの柔らかさも体験したことのない心地よさだったし、その他の室内にあるものも材質が粘土なのか金属なのか、それすらわからない物があったりする。照明も蛍光灯でもLEDでもない、なにか、ものすごい先進的な技術で作られているような雰囲気がする。部屋そのものは人類が居住するのに普遍的な間取りをしているものの、細部の品々が地味ながら圧倒的に違って感じる。そんな現実感をともなった未来的な感じに、三葉は泣きそうになってくる。否定したいのに、自分が百年か五百年、もしかしたら、もっと未来にいるのかもしれないという不安が襲ってきて怖くてたまらない。

「……ぐすっ………夢ッ………きっと夢……寝れば……醒めるから……」

 夢の中で寝れば目が覚めるかもしれないという現実逃避で三葉はプルプルと震えながら目を閉じた。起きていたのはわずかな時間だったけれど、とても頭が疲れてきていて、ベッドマットも心地よくて、目を閉じて泣いていると眠れた。そのまま夕刻まで眠っていると、ラインハルトが2人分の食事をトレーに載せて入室してきた。

「うむ、言われたとおりに寝ているな。起きて仕事でもしていたら怒ってやろうと思ったが感心、感心」

「………ぐすっ……」

 それほど深い眠りではなかったので気配を感じて三葉が目を覚ました。

「キルヒアイス………」

 目が合うと、寝惚け眼が涙に濡れていたのでラインハルトは優しく微笑んだ。

「どうした。悪い夢でも見ていたのか」

「……そんな感じです……今も…」

「そうか。たしかに、色々あったからな。オレも悪夢を見ることがあるよ」

 振り返れば、敵軍に殺されかけたことは当然としても、自軍にさえ裏切られたり陰謀によって窮地に立ったことが何度もあるし、何より10歳だった頃に姉を後宮に奪われてから、悪夢を見るなという方が難しい人生を生きてきた。ラインハルトは親友の隣りに座ると、優しく肩を抱いた。

「キルヒアイス」

「……」

 三葉は芸術的なまでに美しい美男子に肩を抱かれ、また赤くなって顔を伏せた。

「恥じることはない。泣きたいときは泣けばいい」

「…は…はい…」

 しばらく静かに抱かれていると、食事の匂いがして朝から食事を摂っていないこともあって、三葉はお腹が鳴って、ますます恥ずかしくなった。

「っ……」

「アハハハ、身体は元気なようで、よかった。食べよう」

 ラインハルトがトレーを渡してくれる。二人でベッドに腰かけて食べ始める。料理は欧風なだけで、三葉が見たことのある食材が使われていて、食べていると少し気分が落ち着いた。

「ごちそうさまです……ご迷惑をおかけしました」

「いいさ。シャワーでも浴びて、すっきりしろ。ずいぶん、パジャマが汗に濡れているぞ」

「あ…はい…」

 言われてみると寝汗でパジャマが濡れている。顔も洗いたいので、三葉はシャワー室に入ってパジャマを脱いだ。

「……うわぁぁ…」

 鏡に映る裸体を見て感動する。触ったときも思ったけれど、鍛え上げられた若々しい肉体は圧倒的に美しかった。

「すごい筋肉……」

 とくに女性の身体と違うのは肩から胸にかけての筋肉で、くっきりと三角筋や上腕二頭筋のラインがみえ、大胸筋の厚みも体積としてなら三葉の乳房を大きく超えるほどある。

「お姫様抱っことか余裕でできそう」

 ぐっと力を入れてみると、大胸筋がピクピクと反応して嬉しくなった。

「うわ、すごい動く…ピクピク…」

 さらに力を入れると、筋肉のラインがあざやかになった。ついつい、ボディービルダーがやっているようなポーズをとって鏡で見てみる。

「腹筋もキレキレ、かっこいい」

 しかも鏡に映る顔も惚れ惚れするような美青年なので、スマイルをつくってみると、その笑顔にドキリとしてしまい、赤くなってから虚しくなった。

「なにやってんの私……。シャワー浴びなきゃ…」

 そんな場合ではないのに、あまりの肉体美に見入ってしまったことを反省しつつ、下を見ないようにしながら下着も脱いだ。

「…トイレ……」

 シャワー室にはトイレもあったし近づくと自動で便座の蓋があがり、座って用を足すと自動で流れてくれた。

「シャワーは、どう使うのかな……」

 トイレは全自動だったけれど、シャワーは使い方がわかりにくい。なにかパネルのようなものが設置されていて、それを触ると出てきそうでパネルには文字も表示されているけれど、やっぱり英語とは明らかに違うし、うっかり使って熱湯を浴びたり冷水を浴びるのは嫌だったので三葉はパジャマのズボンを再び履くと、扉を開けてラインハルトに問う。

「すいません。シャワーって、どう使えばいいですか?」

「……は? 何を、どう使うって?」

「シャワーのお湯の出し方がわからなくて、すいません。教えてください」

「………クス、変わった冗談を言うようになったな。いいだろう、付き合ってやる」

 少し不敵な微笑みを浮かべたラインハルトは、なぜか軍服の上着を脱いでシャワー室に入ってくると、パネルを操作して適温でシャワーを出しつつ、教えてくれる。

「これを、こう。あとは温度は、こうだったろ。で、どういうオチのある冗談なんだ?」

「い…いえ……冗談ではなく…」

「なるほど、お前、誘ったな。まあいい、少し狭いが久しぶりだ、いっしょに入ろう」

「へ…?」

 三葉が返事をしないうちに、ラインハルトも服を脱いでいく。

「っ……」

 顔も美しいけれど、その身体も全身が白磁で彫像されたのかと思うほど精巧な芸術品のようで三葉は見入ってしまう。この世に、これほど美しい人間が存在したのかと思うような完璧な身体で三葉が立ちつくしていると、先にシャワーを浴び始めた。

「お前を休ませて今日は正解だったかもしれないな。退屈きわまる航海で何もなかった。だが、明日からは警戒が必要だろう。ん? どうした、お前も入ってこいよ」

「…は……はい…」

 逆らいがたい雰囲気に圧倒され、三葉もパジャマを脱いでシャワーを浴びるけれど、もともと小さなシャワールームなので二人で入ると、かなり狭い。どうしても身体が触れ合ってしまうので、三葉はお湯の温度以上に暑く感じた。

「なつかしいな。こうしていると子供の頃を思い出す」

「…ハァ…ハァ…」

 美青年の身体になって美青年とシャワーを浴びるという女子として脳が腐りそうな状況に三葉は、まともに応答できない。

「やっぱり、まだ調子が悪そうだな」

「…ハァ…ハァ…」

「明日も警戒といっても、たいしたことは無いだろうから、調子が悪ければ艦橋に立たなくていいぞ」

「…ハァ…」

「もう揚がろう。ずいぶんと顔が赤い。のぼせているぞ」

「…は……はい…」

 シャワー室を出てバスタオルで身体を拭くと、ラインハルトはバスローブ代わりにバスタオルを腰に巻いたので、三葉も見習って同じようにする。ラインハルトの髪が濡れたことで、ますます美しく輝いているし、アイスブルーの瞳は子供時代を思い出したような無邪気さに光っている。イスに座って三葉にはベッドをすすめてくる。

「お前は横になっていろ。まだ、のぼせた顔をしているぞ」

「…す…すみません…」

 言われたとおりに寝転がった。さすがに、もう眠くないので目を開けていたけれど、むしろイスに座ったラインハルトの方が艦橋勤務の後に、怠りなく白兵戦の訓練もしたので眠気を覚え、うつらうつらとし始めた。

「…眠いな……オレも横になる」

 そう言ってベッドに入ってきた。当たり前のように寝始めたので三葉は困った。

「……………」

 どうしよう、何この状況、これが普通っぽい口ぶりだけど、っていうか、ここは、どこ、今は何時代なの、私は、どうしてキルヒアイスって呼ばれる男の人なの、と三葉には訊きたいことは山ほどあるけれど、すやすやと眠っている美しい寝顔を見ていると起こす気にはなれない。

「…………」

 こんなにキレイな人間いるんだ、金髪すごい、眉毛までキレイ、睫毛も、と三葉は状況の把握よりラインハルトの美しさに目を奪われ、時間を過ごしていく。起こさないように静かにしていても自分は眠くならないし、音を立てないように時刻表示をみると、もう夜の12時になろうとしていた。

 

 


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