「君の名は。キルヒアイス」   作:高尾のり子

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第2話

 

 

 朝のHRが終わり授業が始まる前に早耶香が声をかけてきた。

「三葉ちゃんも、お父さんの選挙のためとはいえ大変やね」

 俊樹に胸を張りなさいと言われてから、ずっと姿勢正しく三葉の身体は背筋を伸ばしているので座っていても凛とした雰囲気が漂っている。言われて少し首をかしげて問う。

「選挙というのは政治的な代表者を選ぶ制度のことですか?」

「え…、うん、そういう言い方をすると、そうなるけど……今さら?」

「………」

 ということは、ここは同盟領内ということなのか、たしかに、さきほどの父親が着ていたスーツも、よく同盟の政治家が着ているものと同じタイプの服装だった、ティアマト星系は同盟領側だったから、やはり同盟領土内のどこかの星系で居住可能な惑星にいるということか、それにしても生徒たちは髪の色も瞳の色も同じで、ほぼ同一民族に見える、ずいぶんと偏った入植の仕方をしているようだ、と考えている三葉の顔が無表情なので早耶香が心配になる。

「そんなマジメな顔ばっかりしてんと教室の中くらいリラックスしてよ」

「え、ええ。ありがとう、サヤチン」

 周りと同じ呼び方で早耶香を呼んで安心させようと微笑む。その微笑み方が普段の三葉とは違って、穏やかで温かみがあって早耶香が同性なのにドキドキしてしまうほど好感のもてる笑顔だった。教室にユキちゃん先生が入ってきて授業を始めるので、周りが出しているのと同じ教科書を机に開き、やや困惑した。

「………読めない…」

 授業は国語で万葉集についてだったけれど、まったく字が認識できない。まるで見たことのない文字が羅列されていた。不安になって他の教科書も開いてみる。数学の教科書を開いて少し安心した。

「数式は読める……こんな古典的な定理を使っているのか……」

 さらに他の教科書を探り、英語を出した。

「読める……だが、これは同盟の公用語…」

 英語の教科書はスラスラと読めた。早耶香が小声で話しかけてくる。

「英語の教科書なんか出して、どうしたん?」

「いえ」

「宮水さん、名取さん、この問題を解いてくれる?」

 ユキちゃん先生が当ててきた。黒板に書いてある文字は、まるで読めない。立ち上がって教師に一礼した。

「申し訳ありません。頭が痛いので少し休ませていただいてよろしいですか?」

「それなら名取さん、保健室まで付き添ってあげて」

「はい」

 二人で廊下に出ると保健室に向かった。

「三葉ちゃん、大丈夫?」

「心配しないでください。授業を抜け出す方便ですから」

「きゃは♪ 悪いんだ」

「一応、保健室に行って頭痛薬をもらいます」

 方便を形に残しておくため保健室で頭痛薬をもらうと、早耶香に問う。

「静かなところで休みたいのですが、図書室は、どこでした?」

「そんなこと忘れたん?」

「やっぱり少し頭が痛いのかもしれません」

「……なんか、言い訳くさいというか……まあ、ええけど、あっちよ。うちも行くわ。なんか心配やし」

「ありがとう、サヤチン」

 礼を言って図書室に案内してもらうと、休むどころか本棚の間を歩き回り、洋書の棚から何冊も本を開いては閉じを繰り返していく。

「三葉ちゃん、何か調べてるん? それ、全文英語やん、わかるの?」

「ええ、少し調べごとを……あ、ドイツ語の本もある。こっちの方が…」

 独語の本を手に取り、読んでいく。英語よりも早く、まるで母国語のようにペラペラとめくって概要をつかんでいる。そうして、しばらく独語の本を何冊か目を通した後、三葉の顔が深刻そうに下を向き、それから周囲を見渡してカレンダーを見ると、さらに深刻そうに顎に手をあて考え込む。三葉の額に汗がうき、その滴が流れて落ちる。

「三葉ちゃん……」

 早耶香は本気で心配になってきた。

「大丈夫? やっぱり頭が痛いの?」

「いえ……」

 やや迷い、それから三葉の瞳がまっすぐに早耶香を見つめてくる。

「私はこれから変な質問をするかもしれませんが、まじめに答えてもらえますか?」

「う…うん、いいよ」

 早耶香も緊張しつつ頷いた。

「まず、ここは地球という星ですか?」

「……。そうだよ」

 かなり変な質問だと思いつつも、まじめに答えた。答えを聞いて三葉の喉が緊張してるのか、生唾を飲んでいる。また、三葉の唇が質問してくる。

「今は西暦の2013年ですか?」

「えっと……」

 あらためて問われ、早耶香もカレンダーを見る。

「うん、2013年」

「………そうですか……ありがとうございます……」

 お礼を言ってくれたけれど、三葉の顔は問題が解決したというより、より深刻化したという顔色で椅子に座ると両手を額にあてている。

「………」

「……み、……三葉ちゃん……大丈夫?」

「…ええ、…大丈夫です、…大丈夫」

 落ち着いているようにも見えるけれど、かなり動揺しているのを精神力で無理矢理落ち着けているという様子の三葉の顔に、早耶香は気分転換を提案する。

「なにか、飲む? 買ってきてあげるよ」

「……ありがとうございます……」

「何がいい?」

「……温かい……ココアのようなものがあれば…」

「すぐ買ってくるから、ここにいてよ」

 心配だったので早耶香は駆け足で自動販売機から、お茶とココアを買って戻ってきた。三葉の身体は考える人のように額に手をあて、何かを悩んでいる。

「はい、三葉ちゃん」

「…ありがとうございます」

 三葉の唇がココアを飲み、少し安心したように息をついた。

「はぁぁ……美味しい…」

「よかった」

「おかげで落ち着きました」

 そう言うと、また独語の本をパラパラと読み、それから独和辞典を眺めはじめた。しばらくして、また早耶香に質問してくる。

「Darf ich Sie etwas fragen?」

「え?」

「あ……。……。お尋ねしてよろしいですか?」

「う…うん…」

「私たちが今、話しているのは日本語ですか?」

「……そ…そうだよ」

 今度は早耶香が動揺してくる、もう医者に診せた方がいい気がしてくる、まっすぐ三葉の瞳は真剣に質問してくるけれど、それが心配でたまらない。早耶香の動揺を察したのか、三葉の顔が安心させるような笑顔をつくった。

「変なことを訊いて、すみません。冗談ですよ、冗談」

「…はは……冗談、きついわ…はは…」

「これらの本を何冊か、借りていきたいのですが借りられますか?」

「あ、うん。それなら……って、そんなことまで忘れてるというか、わからんの?」

「……。夕べ、少し強く頭を打ったみたいです」

 三葉の瞳がウソを考えているような動きをしてから答えてくれた。

「かなり強く打ったみたいやね……お医者さんに行った方がいいかもよ」

「考えておきます」

「とりあえず、自分の図書カードに本の番号を書いてみて」

「図書カード……?」

「これ」

 早耶香はカウンターから宮水三葉の図書カードを出した。小さな町の学校なので図書委員がいないときはセルフで貸し出すシステムになっている。三葉の手は言われるとおりに貸し出し手続きを行っていくけれど、数字はスラスラと書けても、宮水三葉という字さえ書き順が間違っていたりして苦労している様子だった。

「三葉ちゃん、頭痛とか、ホントに大丈夫? うちの親戚のお爺さんで脳溢血になったとき、話はできるのに字が書けないって症状から始まったらしいよ」

「会話はできても字が……なるほど……」

「頭、痛くない?」

「痛くないですよ」

「……こっち、見て」

 早耶香は三葉の瞳を見つめてみる。

「………」

「………」

 その瞳は澄んでいて、正常に見えるような、いつもと違うような、早耶香と三葉の瞳が見つめ合っていると、克彦が声をかけてきた。

「何を図書室で二人して見つめ合ってるんや? あやしい関係か」

「あ、テッシー、もうチャイム鳴ってた?」

「ユキちゃん先生が二人が遅いって心配して、見に行って言うから保健室を覗いたけど、おらんから、来てみたんや」

「そっか…」

「で、見つめ合って何してたんや?」

「何でもないよ」

「はい、何でもありません。私の頭痛をサヤチンが心配してくれただけです」

「そっか……。なぁ、三葉、その選挙用の喋り方なんかしらんけど、オレらにまで、そんなよそよそしいのは水くさいやないか。ちょっと悲しいわ」

「……。ごめん、テッシー」

 そう謝って親しみを込めて呼ばれて見つめられると、克彦は赤面した。

「…わ……わかってくれたら……ええねん…うん」

「サヤチン、テッシー、そろそろ授業に戻…」

 言いかけた途中でチャイムが鳴った。休み時間になり校舎全体が賑やかになる。借りた本をもって教室に戻ると、二年生の教室なのに三年生が3名も入ってきていてクラスメートの男子を脅して、金銭を巻き上げようとしていた。脅している方も、脅されている方も、どちらも素行の悪い生徒で上下関係のような仲間関係のような上級生にとって都合のいい、どこにでもある関係のようだった。

「おい、今月の上納金、出せよ」

「今月、もう払ったじゃないっすか」

「足りねぇよ」

「そりゃないっすよ」

「あん?」

 出し渋っていると、地味に蹴りを入れられ、仕方なく財布を出そうとしている。そのやり取りを見ていた三葉の瞳が怒りに染まった。

「やめなさい」

「ああッん?! 誰か何か言ったか?! コラっ!」

 上級生が悪いことをしている自覚があるので、制止されて余計に威嚇するような声をあげてきたけれど、三葉の足は3名に近づくと、はっきりと告げる。

「やめなさい」

「何だ、このアマっ! ひっこんどけや!」

 突き飛ばそうとしてきた上級生の手は三葉の胸に当たるはずが、さっと横へよけられて虚しく空を突き、上級生は苛ついた。

「よけてんじゃねぇぞ、コラ!」

 今度は三葉の頬を平手打ちしようと手を振ってくるけれど、それも頭をさげて回避されてしまった。

「なめんなッオラァ!」

 もう完全に頭に血が上り、相手が女の子なのに拳で顔面を殴ろうとしてくる。三葉の鼻先に当たるはずの拳は今度も回避され、逆に体重移動のタイミングを見切られて軸足を三葉の爪先に払われて、もんどりうって転がる。

 ドンガラガッシャン!

 教室に並ぶ机の列へ突っ込み、盛大に転んだ。それを見ていた他の二人の上級生がいきりたつ。

「宮水、てめぇ!」

「このゲロ巫女がっ!」

 小さな町なので一つ二つ学年が違っても、三葉の顔を知っている様子で罵り、逆上して殴りかかってきた。左右から襲ってくる二人に対して、三葉の身体は疾風のように右側から来る相手の横をすり抜けて、殴りつけている勢いをそのままに三葉の手が勢いの方向を変えるように背後から肩を押して、左側から襲ってきていた相手と衝突させる。

「「うわっ?!」」

 三葉の顔を殴るつもりが、お互いにぶつかってしまい、二人はからまって転がった。

「無益な争いはやめなさい」

 三葉の唇が、きっぱりと告げる。三人とも転倒したものの、擦り傷程度の軽傷で今なら学校内で問題になることもないレベルだったけれど、男のメンツとしては大問題だった。女子を相手に、しかも3対1で、いいように手玉に取られたまま引き下がるわけにはいかない。最初に襲ってきたリーダー格の男が立ち上がって構える。

「優しくしてれば、つけあがりやがって!」

 何一つ優しくはしていないけれど、たっぷりと油断はしていた男が今度は油断なく構えた。もう本気のケンカの構えで腰を落として攻防にそなえ、軽く足をかけられる程度で転ぶような体勢ではなくなると、三葉の腰も低く構え、両脚を前後に開いて立つ。

「やめなさいと言っても、わかりませんか?」

「上等だコラ!」

 何が上等なのか意味不明なまま、再び殴りかかってくる。そのパンチには、先ほどのような大きな隙がないので後退して避けると、すぐに黒板まで追いつめられた。

「オラっ!」

「はっ!」

 三葉の右脚がハイキックを放って、リーチと腕力の不利を補って男の顔面をカウンターで蹴った。しかも、短いスカートを着ていることを忘れていないので両手でスカートの前後を押さえて下着が見えないようにフォローまでしている。あまりにエレガントな蹴りに女子たちが感嘆の声をあげる。

「キャー♪ カッコいい!」

「宮水さん、すごい!」

「「くっ………」」

 リーダー格の男が一撃で倒されてしまうと、残る二人は悪態をつきながら、倒れた仲間を支えて去っていった。早耶香が駆け寄ってくる。

「三葉ちゃん、すごいやん。そんな技、隠してたんや」

「いえ……。思わず、夢中で。……無益なことをしてしまいました」

「ちっ……余計なこと、しやがって」

 脅されていたクラスメートは立つ瀬が無くて悪態をついている。三葉の指先がハイキックで乱れてしまったブラウスの裾を直すと、軽く会釈して席に戻る。ちょうど、チャイムが鳴り数学の授業が始まった。静かな授業中、三葉の机には数学の教科書とノートが開かれているものの、机の下では独語辞典と、初歩的なドイツ語日常会話の教本、小学校レベルの漢字の本が開かれていて、こそこそと数学とは違う勉強をしている様子だった。早耶香は何をしているのか気になったけれど、あまりに三葉の顔が熱心なので声をかけるのを躊躇っていたものの、数学教師が不快そうに通りかかり、三葉の肩に触れた。

「授業を聴いていたのなら、設問3をやってみなさい」

「はい」

 あてられた三葉の手は難問だった微分積分の数式をサラサラと解いてみせたので教師は納得して机下での副業は不問として通り過ぎていく。そんな調子で昼休みになると、早耶香が誘って、いつも克彦と三人で昼食を摂っている校庭の木陰に行き、弁当を食べながら問う。

「三葉ちゃん、ずっと違う勉強してたけど、あれ、何?」

「少しドイツ語に興味をもっただけですよ」

「う……うまく、かわされた気がする…」

「かわしたといえば、三葉。三年の不良相手に余裕で攻撃をかわしてたな。舞いみたいに。あんなの、どこで習ったんだよ? 巫女の神業か?」

「もう忘れてください。はしたないことをして恥ずかしく思っていますから」

「その選挙モード喋りも、また復活するんや」

「すみません、つい」

「ま…まあ、…そ、それは、それで可愛いけど……三葉の新しい一面というか…」

 克彦が赤面して言うので、三葉の顔が穏やかに微笑むと、余計に赤くなっている。昼休みが終わり世界史の授業になると、三葉の机には世界史の教科書と国語辞典と独語辞典が並び、授業を聴きながら、ノートを書き、ときおり辞典を開いて調べている。教師にあてられても、ほぼ正確な書き順で答えを書いてみせた。物理と化学になると、辞典を開くことも少なくなり、放課後になって早耶香たちと帰宅する。

「じゃあね、また明日」

「三葉、勉強しすぎるなよ。急にガリ勉になると熱出るぞぉ」

「はい、では、また明日」

 三葉の手が上品に振られ、友人たちと別れると宮水家に入った。靴を脱いで居間にあがると、一葉が夕食の用意をしている。

「ただいま、帰りました。お手伝いします」

 手を洗って台所に立つ三葉の横顔を一葉は不思議そうに見上げる。

「ホンマに今日は、ええ子すぎて怖いくらいやわ」

「お姉ちゃん、なにかネダりたいものがあるんじゃない?」

「はははは。そうかもしれないね」

 笑って四葉の頭を撫でている。それでも夜になってくると、あまりに普段と違い、夕食の片付けから風呂の準備まで積極的にやってくれるので、一葉が心配になってくる。

「三葉、あんまり私の仕事をとってくれると、ボケるかもしれんよ。年寄りには、せいぜい家事仕事をさせておくくらいの方が孝行というのも一つなんよ」

「それは気がつきませんでした」

「………」

「お姉ちゃん、やっぱり変じゃない?」

「そうかな?」

 そう言って三葉の瞳はウソを考えるように室内を彷徨ったけれど、仏壇に置かれていた二葉の写真を見て止まる。

「………」

「三葉?」

「お姉ちゃん?」

「………」

 しばらく二葉の写真を見ていた三葉の瞳は意を決したように、一葉と四葉へ、まっすぐに向かってきた。

「大切なお話があります。お時間をいただいてよろしいですか」

「………あんまり年寄りを、からかうと怒るよ」

「真剣な話です」

 そう言って正座していた一葉の前に、真似をして三葉の膝が正座して相対する。空気感が深刻そうなので寝転がっていた四葉も正座した。

「今からする話は、とても驚くかもしれませんし、冗談に聞こえるかもしれません。ですが、本当のことであり、ご家族に対しては話しておくべきだと感じますから、どうか、落ち着いて聞いてください」

「「………」」

「まず、私は、お二人が知っている宮水三葉ではありません」

「「…………」」

「見た目は宮水三葉さん、そのものに見えるでしょうが、まったくの別人です」

「………お姉ちゃん、じゃ…ない?」

 四葉は姉の瞳を見る。知っている三葉の性格なら、ここまで手の込んだ冗談は言わないし、言おうとしても、こんなに長いセリフを噴き出さずに言えず、途中で笑い出すのが関の山だったのに、覗き込んだ姉の目は真剣そのものだった。同じことを一葉も感じて落ち着いて先をうながす。

「それで?」

「なぜ、このようなことが起こったのか、それは私にもわかりません。ですが、私は宮水三葉さんではなく、ジークフリード・キルヒアイスという者です」

「ジーク…」

「……外人さんなの?」

「そうです。日本人ではありませんし、また冗談ではなく、この時代の人間でもありません」

「まさか、宇宙から来たとか言わないよね」

 姉の口から嘘とは思えない口ぶりで、嘘と思いたいような事態が話されることが空恐ろしくて四葉は茶化して訊いたけれど、三葉の瞳は肯定的に見つめてくる。

「私から見て過去、あなた方から見て未来の人間である私が、未来の出来事について細かく話すことは避けた方がよいと判断しますから、やや抽象的に言いますが、私は今から数百年先の未来、そして地球でないところから来ています」

「…はは……あははは……じゃ、どこの星から来たの?」

 四葉が脱力気味に問い、一葉は黙って聞いている。

「私は軍人であり、宇宙を移動する船の中にいることが多いので定住星を訊かれると答えにくいのですが、住所をおいているのは所属する国の首都星です。星の名や国名は、さきほど申しました通り、教えない方がよいと判断します」

「………軍人ってことは、どこかと戦争してるの?」

「はい」

「宇宙人と?」

「…………お答えしない方が、よいかと思います」

「う~ん……そう言われるとさ。じゃあ、私たちに話しておいた方がいいことって?」

「やはり、私が本当の宮水三葉さんではないということが第一です。今朝から演じてきましたが、ご家族を騙していくことは良心も咎めますし、無理もあります。ゆえに話しておこうと判断した次第です」

「あ!」

 四葉が大きな声をあげて、三葉の顔を指して言う。

「やっぱり、ウソだよね?」

「いいえ」

「だって、日本語を話してるもん。数百年先の宇宙から来た軍人が日本語って、無理あるよね。お姉ちゃん」

「その点については私も不思議に思っているのですが、会話は自然と成立するのです。まるで、私が箸を使うことを苦労しないように。ところが、文字を読む、書くとなると、脳の使う部分が違うのか、見たことも聞いたこともなかった日本語は始めのうちは、できませんでした。これは推測にすぎないのですが、私に宮水三葉さんとしての生活史記憶はないのに、箸を使うといった日常の動作に関する記憶はあるのと類似した現象ではないかと思っています。現に、私の母語であるドイツ語に関しては読み書きは容易でしたし、第二言語として学習していた英語についても同様でした」

「……う~ん………何か英語…じゃなくてドイツ語で喋ってみてよ」

「Ich freue mich, Sie zu sehen」

「……発音は本物っぽいけど、意味は?」

「お目にかかれてうれしいです、という意味です」

「………。軍人って、どんな軍人なの?」

「階級は少佐ですが、あまり細かいことは控えさせてください」

「少佐……歳いくつなの?」

「19歳です」

「………大学1年生くらいなのに少佐?」

「武運に恵まれました。上官にも」

「男の人?」

「男性です」

「……………お婆ちゃん、どう思う?」

 四葉が黙っていた一葉に問うと、目を閉じていた一葉は三葉の目を見つめて語る。

「お話は、よくわかりました。実は私にも似たような体験があります」

「ご婦人にも?」

「もう、はっきりとは覚えておりませんし、夢のようなものではと今まで思っていましたが、ジークさんのお話を聞いているうちに、もしや、と思うような体験は若い頃にありました。自分が自分でない誰かと入れ替わっていたような、そんな記憶です」

「ということは、これは元に戻るのですかっ?!」

 落ち着いて話していた三葉の腰が浮いている。

「おそらくは戻ると思います」

「それは、いつ?!」

「一日で戻ったような気がします。ただ、何度か繰り返し起こった気もします。このことは、あまり他人に話す気は無く、今まで誰にも言っておりませんでしたが、ジークさんのおっしゃりようが、とても誠実な方だと感じ入りましたので、お話ししました」

「一日で……だが、繰り返し………」

「さあ、もう夜も更けてきました。お疲れでしょうし、私も疲れました」

 時計を見ると、もう10時を過ぎている。

「お風呂に入っていただき、お休みください」

「……」

 三葉の指がブラウスの襟を少しつまみ、それから言う。

「入浴は遠慮させていただきます」

「遠慮など、無用ですよ。どのみち、もうお湯は沸かしていただきましたし、3人きりですから使わないと、もったいないくらいです」

「そういう意味ではなく、この身体は宮水三葉さんのもので、彼女は17歳。私は男です。彼女の気持ちを考えれば、今朝の着替えは目を閉じていたしましたが、入浴まで目を閉じて完遂することもできませんし、触れられたくない部分もあるかと思い、遠慮する次第です」

「「…………」」

 紳士だ、本物の紳士がいる、と四葉と一葉は女性として感心し、四葉は生まれて初めて異性へときめきを覚えたし、一葉は年甲斐もなく少し頬を赤らめた。そこに座っているのは、たしかに三葉の身体なのに、その向こうに誠実な青年がいるような錯覚さえ見える。一葉が頭をさげた。

「三葉も安心するでしょう。ありがとうございます。では、四葉、二人で入るよ」

「は~い」

 二人が入浴している間、静かに考え、揚がってきた四葉に頼む。

「四葉ちゃん」

「四葉でいいよ」

「四葉、少し頼みがあるんだけど、いいかな?」

「うん」

「夜更かしさせてしまうけれど、夜の12時になって、私が三葉さんと入れ替わるのか、どうか、見ていて確かめてほしい」

「あ~、なるほどぉ」

「そういうことなら、私が確かめましょうか」

 一葉が提案すると、首を横に振って遠慮する。

「ご婦人に夜更かしはさせられません。小さなレディにも負担かとは思いますが、ご婦人は、どうかお休みください。お体を大切に」

「そうですか……ありがとう。……よほど、育ちの良い家柄なのでしょうね、あなたは」

「いいえ、ごく庶民の出ですよ。では、お休みください」

 一葉が寝間に入ると、四葉と二人で三葉の部屋に入った。もう11時20分で、すぐに12時が迫っている。四葉が窓から星空を見上げた。

「お兄さんが来たのは、どのあたり?」

「そうですね。あの星と、あちらの星、その間くらいです」

「ふ~ん……戦争か……イヤだなぁ…」

「そうですね。日本が羨ましいです」

「あっ……やばいかも…」

「どうしました?」

「お婆ちゃん、さっき入れ替わりって言ったよね?」

「ええ」

「ってことは、お兄さんの身体に、今、お姉ちゃんが入ってるかもしれないってこと、だよね?」

「そうなりますね」

「それ……かなり、やばいかも……だって、うちのお姉ちゃんだよ。ごく普通の高校生で、お兄さんみたいに落ち着いてる沈着冷静な人じゃなくて、むしろ、落ち着きがないタイプ。しかも、訓練とか何もしてない。そのお姉ちゃんが、いきなり数百年先の宇宙戦争の中にって……」

 四葉の脳内にビームが飛び交う戦場で、逃げ回ってワンワン泣き出す姉の顔が浮かんだ。

「お姉ちゃん死んじゃうかも! お兄さんの身体で!」

「それは困ったことになるかもしれませんね。ですが、安心してください。すぐに会敵するような宙域ではありませんでしたし、ラインハルト様、あ、この名は私たちだけの秘密にしてください。私の上官であるラインハルト様は、とても優秀な方です。一日や二日、副官の私がいなくても何ら問題なく勝利してみせることでしょう」

「う~……部隊は勝っても、お姉ちゃん一人、死んじゃうってこともありそう……撃ち合いになったらパニック起こして走り出しそうだもん」

「ご安心を。四葉が想像しているような白兵戦が無いわけではありませんが、今回は艦隊戦が主になるでしょう」

「艦隊戦………どっちにしても、お姉ちゃん……かわいそう…」

 四葉が心配しているうちに、あと10秒で夜の12時になる。

「9、8」

 数えながら三葉の身体は布団の上に横たわった。

「「3、2、1」」

 夜の12時になった。


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