「君の名は。キルヒアイス」   作:高尾のり子

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第18話

 

 キルヒアイスは四葉と一葉の三人で朝食を摂っていた。すでに髪を整え、きっちりと制服を着て正座して食べている。凛とした雰囲気の姉の姿を見ると、実姉が布団に潜り込んだまま出てこない姿と対比して、重いタメ息が出そうになるけれど、白米とともに飲み込んだ。三人が食べ終える頃、克彦と早耶香が訪ねてきた。

「おはよう、三葉ちゃん」

「おはよう、三葉。お、今日は元気そうな」

「はい、おはようございます、サヤチン、テッシー。わざわざのお訪ね、ありがとうございます」

 不登校になるのではないかと心配して来てくれた二人へ礼を言う。克彦も早耶香も、もう慣れてきて三葉が中傷されるとしても頑張って登校する日と、気力が尽きてしまうのか布団から出られなくなる日があるのだろうと、解釈している。四葉は三人が仲良く登校していくのを見送りつつ、自分も小学校へ向かった。

「今日はプールがあるし、嬉しいな」

 四葉は小学校の3時間目にあるプールを楽しみに待ち、2時間目が終わると、すぐに着替える。学校指定のスクール水着を着て一番にプールサイドへ立った。風のない真夏のプールは波一つなく凪いでいる。

 ドボン!

 まだ教師が来ていないので本当は入水してはいけないけれど、四葉はプールへ飛び込み、少し背泳ぎすると、全身を流体へ預けるように浮いた。

「……あ………今なら……飛べそう……飛べるかも……」

 赤ん坊が立つ日がくるように、雛が飛ぶ日がくるように、四葉はできなかったことができるようになる予感を覚え、目を閉じた。

 

 

 

 立花瀧の頭が居眠りでもしているように一瞬ふらりと揺れた。

「っ……」

 飛べた、四葉は視界に入ってきた神宮高校の3時間目だった古文の授業風景を見て確信した。

「少納言の乳母とぞ人言ふめるは、この子は後見なるべし。尼君、いで、あな」

 源氏物語の若紫が説明されているけれど、そんなことは、どうでもいい。瀧の制服やカバンを教師に気づかれないよう探ってスマフォを見つけた。

「………たった3年……」

 スマフォのカレンダーで日付を確認すると、少し落胆したけれど気を取り直す。

「一回目は、こんなものかな……」

 わずか3年未来の2016年に来ている状況を冷静に受け止め、さらにスマフォを操作して糸守町のことを調べてみた。なんとなく知っておいた方がいい気がして調べたのだけれど、すぐにニュースが何個も検索結果にあがってきた。

「隕石落下……秋祭りの日……あ、もう無理かも。くっ、あと少し!」

 ニュースの表題を読んでいるうちに、息を止めていられる時間に限りがあるように四葉は瀧の身体にいられなくなる予感を覚えた。

 

 

 

 立花瀧は糸守小学校のプールで浮かんでいた状態から驚いて溺れた。

「うごっ?! ぶは!!」

 手足をバタつかせるけれど、どうにも短くて小さい。それでも溺死せずに済んだのは水深が浅くて、足が着いたからだった。

「げはっ! ハァ…ごほ! ハァ…ハァ、死ぬかと思った!」

 とりあえず命の危険を脱して、周囲を見ると、なぜか見慣れない学校のプールだった。

「どうなってるんだ……授業は古文だったはず……」

「四葉ちゃーん! だいじょうぶー?!」

 四葉の同級生が心配しているけれど、瀧は手で顔の水を拭いて、その感触に違和感を覚えた。

「オレの手……」

 まるで10歳の女児のような手だった。

「オレの身体……ええ?!」

 なぜか、女児のスクール水着を着用している。

「いったい、どうなってるんだ?!」

 胸に触れてみると、まだ小さくて揉むほどはない。それでも感触を確かめていると、キラキラと陽光を反射するプールの水面がスーッと遠くなっていった。

 

 

 

 瀧は自席でスマフォを放り出して絶叫した。

「なんでオレは女子のスク水を着て、小学生女子になってるんだぁぁぁ?!!」

「「「「「……………」」」」」

 教師とクラスメートが外宇宙のように冷たい目で瀧を見ている。藤井司がタメ息をつきながら言う。

「お前、どんな夢を見てたんだよ」

「お? 戻ってる! 教室だ!」

 教室には戻っていたけれど、教室での立場は戻りそうになかった。

 

 

 

 四葉は自分の手が胸を揉んでいる状況を認識して舌打ちした。

「ちっ……揉むなよ、ゲスが……」

 まだ思春期は迎えていないけれど、それでも女性として実に不快だった。姉がトイレの使用を厳禁している気持ちが少しわかった。

「……だいたい、あいつは毎回毎回、お姉ちゃんの胸を……え? ……この記憶……他の世界……多世界記憶……」

「宮水さん!! まだプールへ入ってはいけませんよーぉ!!」

「はーい! すみませーん!」

 教師に注意されてプールから揚がると、色々と考え込みながら放課後をむかえ、帰宅して高校が終わるのを待った。

「おかえりなさい、お姉様」

「はい、ただいま戻りました」

「ちょっと、お姉様にお願いがあるの」

「はい、どんなことでしょう?」

「私の部屋に来て」

 二人で四葉の部屋へあがった。

「ここに寝て」

「はい」

 素直に布団へ横になってくれたので、ゆっくりと抱きついた。

「……………」

「………………あの、これは?」

 いくら姉妹とはいえ、まだ夕方にもなっていない時間から布団の上で密着して抱きつかれ、やや困惑している。

「これはね、お姉様が、どこから来てるか、探ってるの」

「……私が……」

「そう、ジークフリード・キルヒアイスが来た時脈をね。私も辿りたいから」

「………………」

「このごろ、お姉ちゃんだと変な勘違いして、させてくれないからね」

 四葉は子猫が擦り寄るように姉の身体を探り、そして頼む。

「口の中に唾液を貯めて」

「…は……はい…」

 不可解に思いつつも、唾液を貯めると、それを直接に吸われたので、さすがに赤面する。

「あ……あの……これは……まだ私は日本の文化を深くは知らないのですが、こういったことは普通なのですか?」

「う~ん………したいとは想ってるだろうけど、テッシーくんとはお姉ちゃんがいいって言うまでしちゃダメだよ」

「っ…」

 ますます赤面したので、四葉は微笑して囁く。

「ま、すぐ近いうちにOK出るだろうけど」

「………………」

 どう返事していいか困り、されるままに任せ黙っていた。

 

 

 

 三葉はヤン艦隊と砲火を交えているキルヒアイス艦隊の様子を艦橋から見て怒っていた。

「結局は同盟軍と戦って……」

 自分の作戦を無視されたということより、姉の救出を後回しにして自分の野望を推進している男と、その親友に怒っている。キルヒアイスからの手紙にはアンネローゼへの気遣いに対する感謝と、意に添わぬ結果となったことへの陳謝があったけれど、続いてヤン艦隊との戦闘は現状の4分轄した分艦隊による交代の攻撃を継続して、無理をせず着実に相手を撃ち減らし消耗させてほしい、大胆な攻撃は無用、とあった。

「………車懸かりの陣か……また古くさい戦法を……」

 上杉謙信が愛用した戦術を飛騨地方が上杉武田戦争の影響を受けたこともあって三葉も軍事教育を受ける前から知ってはいた。メインモニターに映し出された4つの分艦隊がヤン艦隊へ回転しながら交代で攻撃をかけている。

「……4倍の戦力があって……いくら相手が魔術師でも、ちょっと消極的すぎ……」

「はっ、何かおっしゃいましたか?」

 ベルゲングリューンが問うてきた。

「一人言。もう、いいや。現状維持しておいて、私は休憩してくる」

 三葉は戦闘の行く末が、どうでもよくなった。ラインハルトとキルヒアイスの野望も、どうでもいい、姉を後回しにした男たちへ協力する意志は皆無だった。

「ヒルダも来て」

「はいっ」

「…………」

 ベルゲングリューンは女性士官を連れて艦橋を出て行く司令官の背中を黙って見送り、言われたとおり現状維持に取りかかる。三葉はヒルダと艦隊司令官としての広い居室に入ると、ヒルダの耳を甘噛みした。唇や舌、歯を使って、よく唾液を混ぜて、物をほどよく噛むのは特技でもある。

「はむっ」

「んっ……キルヒアイス中将……今は戦闘中ですよ」

 二人きりとはいえ、同盟軍と戦闘中で、それも名高い名将ヤン・ウェンリーと矛を交えているのにキスしてくる司令官に困惑しつつも、やっぱり嬉しいのでキスに応えた。

「ヒルダ……すごい汗かいてる」

 軍服の上着を脱がせるとシャツが汗で濡れていた。

「あ、そっか。ヒルダにとっては初陣か。それは緊張するよね」

「は…はい。あの……これ以上されるのであれば、先にシャワーを浴びさせてほしいのですが…」

 女性らしく恥じらっている姿が可愛くて三葉は男の衝動が高まってくるのを感じた。ヒルダの胸へ顔をうめ、汗の匂いを吸った。

「う~ん……いい匂い」

「ィ…イヤです……やめてください」

「このアドレナリンの匂いとヒルダの匂いが混じると、最高に美味しそう」

「うぅ……」

 抱かれるのは嬉しいけれど、初陣の緊張で汗に濡れた身体を嗅がれるのは恥ずかしくてたまらない。逃れようとモジモジとしているのを長い腕で包囲するように抱いて離さない。

「ヒルダ、可愛い」

「………せ、せめて先にトイレだけ行かせてください」

「あ、戦闘中だったし、ずっと我慢してた? わかる、わかる、いくら吸収してくれるからって、初めてのときは抵抗あるもんね」

 戦闘の程度によるものの、持ち場を離れられないときは排泄もできるよう装甲服やパイロットスーツだけでなく艦橋要員も軍服の中に専用の下着を着けている。そういった訓練も当然に幼年学校や士官学校でも行われるけれど、その課程を無しにして戦場に立つようになった三葉も最初は激しく迷ったし、今はヒルダも同じく課程を飛ばして戦場に立っているので初体験に強く恥じらっているのが可愛くて、再びキルヒアイスの唇がヒルダの耳を甘噛みしてから囁く。

「何事も訓練だよ。触っていてあげるから、してみて」

「そ…そんな…」

「ほら、シーって」

「………」

「命令だよ。中尉。ほら、訓練。シー」

「……………ぅぅ……」

 ヒルダが顔を真っ赤にして震えながら済ませた。

「フフ、おもらししたヒルダ、可愛い」

 男になって見ると、恥じらいながら股間を濡らした女子は扇情的で、三葉は修学旅行で大失敗した体験から屈折した感情を抱き、ヒルダを見つめてキスを繰り返していく。

「ホントに可愛いね、ヒルダ。よし、これからは訓練として私が許可しないとトイレは禁止にする」

「そんな……」

「私がヒルダの身体を管理してあげる。喜びなさい」

 そう言って脱がせていき、抱き合った。ベッドの上で8時間あまり抱き合うことと訓練を楽しんでいると、艦橋から通信が入ってきた。

「キルヒアイス閣下、ご休憩中のところ失礼いたします」

「どうかした?」

 三葉は通信スクリーンをサウンドオンリーにして送信応答した。ベルゲングリューンの方は顔を見せているので、女性士官を同伴して居室へ入った司令官が何をしていたのか想像してしまう微表情を浮かべたけれど、報告すべき事態があるので淀みなく語る。

「敵艦隊に動きがあります」

「そう。……送ってみて」

 軍服を着て艦橋に出るのが面倒だった三葉が命じると、居室の三次元モニターにヤン艦隊の動勢が投影された。

「敵艦隊は後退しつつ見えますが、U字型に陣形を変化させつつあるようにも見えます。いかがいたしますか、閣下」

「…………」

「敵は魔術師と呼ばれる男です、何らかの思惑があると小官は愚考いたしますが」

「それは愚考じゃなくて、普通の考えだから。ちょっと待って。考えるから。…………………………あ、そうだ! これで、いこう!」

 しばらくモニターを見つめて考え込んだ三葉は閃いた。

「現在、敵と交戦している分艦隊へ、まったく同じ陣形に敵の真似して変化するよう伝えなさい」

「真似して……ですか?」

「ええ。まったく同じに」

「わかりました。……艦橋へ、おいでくださいませんか?」

「………ここで指揮するから、内線通信は開いたままにしておいて」

「はっ。……」

 三葉は椅子に座ると、ヒルダを膝にのせて抱きながら三次元モニターを見つめる。命令通り、交戦していた分艦隊はU字型へと陣形を変化させていく。

 一方で、この変化に気づいたヤンは艦橋の机に胡座をかいて座ったまま、後頭部を掻いた。

「こいつは……また……」

「敵はこちらの陣形と同じに変化しておりますわ……どういう意図でしょう?」

 フレデリカが心配そうに問う。このような問いが、ヤンの思考を整理するのに役立つとわかっていての問いだった。

「あまり深い意図はないだろうね。だが、こちらは手詰まりになった。三次元チェスや古い時代の盤上ゲームでも、相手と同じ手を打つという戦法はある。もちろん、後手に回る分、ずっと真似していては先手にチェックメイトされてしまうけれど、今の場合は相手は4倍、こちらは分艦隊の一つと戦っているにすぎない。その一つと真似っこ戦闘をしていれば、消耗戦になって終わりさ」

「敵の司令官は、どういった人物なのでしょう……このような手段をとる用兵家は」

「ああ、言いたいことはわかるよ。かなり大胆というか、むしろ用兵家としてのプライドの無い人物だろうね。たとえ思いついても普通は恥ずかしくてできないさ。真似していれば負けない。ジリ貧になっても残り3倍の戦力がある。そんな計算だろう。だが、おかげで私は、また悩まなくてはいけない。真似される前提で、どう対応していくか。こいつは難問だ。なにより相手は考えなくていい、私は考えなくてはならない、羨ましい身分だよ、いっそ代わってくれないかな」

 ヤンが後頭部から前頭部まで頭を掻いていると、フレデリカが通信文をもってきた。

「閣下。イゼルローンからの通信です」

「読み上げて」

「本月14日を期してアムリッツァ恒星系A宙点に集結すべく、即時、戦闘を中止して転進せよ、です」

「簡単に言ってくれるものだな。……いや、真似をしてくれるなら」

 ささやかな期待をしてヤンは艦隊に陣形を撤退に適した方陣へ変化させつつ、ゆっくりと後退してみるよう命じた。

 一方の、三葉は低速で後退していくヤン艦隊を見て、悩む。

「……これって逃げてると思う? ケンプ提督との戦闘と似たようなパターンかなぁ…」

「はい。ですが、あるいは反撃を前に距離を取っただけかもしれません。それもまたケンプ提督が警戒したのと同じことですが」

 ヒルダも抱かれながら真面目に考えている。ベルゲングリューンの声が問うてくる。

「どうされますか、閣下」

「………。真似させてた分艦隊は、とりあえず休憩に入らせて、次に戦う予定だった分艦隊を前に出して、相手と同じ陣形で待機させて。逃げるようなら追撃は………ほどほどで」

「……ほどほど、ですか…」

「うん、ほどほど」

「………もう少し具体的に言っていただけませんと、分艦隊司令も対応を誤るかもしれませんぞ」

「じゃあ、追撃するときは、こっちの被害を出さないよう艦列が乱れないよう意識しつつ、それでいてネチネチとしつこく女同士の嫌がらせや、からかいみたいに相手だけ被害を出させて、こっちは消耗しない、そんな女々しい追撃をするように言っておいて」

「……ネチネチとしつこく……嫌がらせや、からかい……ですか……」

「そう、逃げ切られそうになって射程距離圏外になっても、まだレールキャノンとミサイルは撃つだけ撃っておくの。少しは当たるし、轟沈させられなくてもストレスは、かなり与えられると思うから」

 三葉は学校で自分が受けている被害を艦隊戦術に形を変えて発案した。

「わかりました。疲弊している相手に効果はあるでしょうが、言い方が露骨すぎますな」

「わかりやすくていいでしょ」

 三葉の命令により、ヤン艦隊はアムリッツァ星系へ向かうのに、大変な苦労と疲弊を強いられることになった。

 

 

 

 キルヒアイスは三葉がヤン艦隊に取った対応には、まずまずの評価と感謝をしたけれど、その指揮を居室でヒルダと執ったことには複雑な想いを抱いていた。キルヒアイス自身、ヒルダへは義眼と身体の傷跡のことを気の毒には思い、同情もしているし、人としても女性としても評価はしているけれど、そのこととアンネローゼへの長年の想いは、まったく比較にならない。とはいえ、すぐに切り捨てるのは残酷だという三葉の主張もわかるにはわかるので、戦術的判断に比べて実に難しいと思いつつ、指向性ゼッフル粒子の準備をさせながら恒星アムリッツァを迂回していた。

「今少しで敵の機雷原です! 急ぎつつ慎重に!」

 少し矛盾のある命令だとは自覚しているけれど、麾下の艦隊も艦橋から指揮を執るようになってくれた司令官に従い、作戦は進行している。

 しかし一方で、誤算も生じていた。ラインハルトはブリュンヒルトの艦橋で通信士官から不快な報告を受ける。

「閣下! ビッテンフェルト提督より通信、至急、援軍を請うとのことです」

「援軍?」

 ラインハルトは鋭く呻るように言い、通信士官はたじろいだけれど、律儀に答える。

「はい、至急、援軍を請うとのことです」

「私が艦隊の湧き出す魔法の壺でも持っていて、そこから援軍をさし向けるとでもヤツは思っているのか?!」

 怒鳴ったラインハルトは、それでも一瞬で怒りを抑制して冷静になった。

「ビッテンフェルトに伝えろ。余剰兵力は無い。……いや、ノルデンがいたな。ビッテンフェルトに伝えてやれ、ノルデン艦隊をさし向ける。それまで持ちこたえろ、と!」

「はっ」

 通信士官は命令を遂行するけれど、オーベルシュタインが確認するように問う。

「よろしいのですか。ノルデン中将の艦隊は補給部隊の護衛を主任務として、第1線への投入を予定しておりませんでしたが」

「それでも、窮地にあるビッテンフェルトへの助力くらいできよう。敵も疲弊している。一度も砲火を交えていないノルデン艦隊の使いどころとして悪くはあるまい」

「そのようにお考えであれば、何も言いますまい」

 戦局は帝国軍優位のまま進行するが、ヤン艦隊を中心として同盟軍も善戦している。ラインハルトは不意にオーベルシュタインを顧みた。

「キルヒアイスはまだ来ないか?」

「まだです」

「……」

 ラインハルトは自分の前髪を掻き上げた。

「ご心配ですか、閣下?」

「心配などしていない。確認しただけだ」

 その頃、ようやくキルヒアイスは予定の行動に出ていた。待っていた報告があがってくる。

「ゼッフル粒子、機雷原の向こう側まで達しました!」

「よし、点火!」

 キルヒアイスが命令すると、担当だった艦が発砲しゼッフル粒子を起爆させて機雷原に複数のトンネルを穿った。戦局は決定的になり、同盟軍は撤退し始める。その殿となったヤン艦隊を帝国軍で包囲しつつある。オーベルシュタインが戦況を見て具申する。

「キルヒアイス提督でも誰でもよろしいが、ビッテンフェルト、ノルデン両提督を援護させるべきです。敵は包囲のもっとも弱いところを狙って、一挙に突破をはかりますぞ」

「そうしよう。それにしてもビッテンフェルトめ、ヤツ一人の失敗に、いつまでも祟られるわっ!」

 ラインハルトからの命令を受けたキルヒアイスは援護のために艦隊を動かし始めた。

「全艦! ビッテンフェルト艦隊とノルデン艦隊の援護に向かいます!」

 命令しつつ、間に合わないかもしれない、と感じていた。すでにヤン艦隊も最後の力で包囲の突破をはかろうと、ビッテンフェルトとノルデンが守る宙域に突撃をかけ始めている。スクリーン上でヤン艦隊とノルデン艦隊が近接戦闘に入り、索敵士官が報告してくる。

「ノルデン艦隊がヤン艦隊と接触! ノルデン艦隊がジークフリード・ノルデンアタックを開始!」

「………」

 キルヒアイスは直立不動と無表情を維持したけれど、背中に汗が浮いた。恥ずかしい。まさか、二人の間で言い合うだけでなく帝国軍の戦術コンピューターに名称登録していたなんて、この状況だと他の提督たちの耳にも届いていると思われ、そのうち何人かには失笑された気がする、あの戦史に残るイゼルローン攻略をしたヤンでさえ、ヤン回廊などという妄言は吐いていないのに、とキルヒアイスの背中に羞恥心で汗が流れた。それでも、さながらアメーバのようなノルデン艦隊の艦隊運動はヤン艦隊を一時は混乱させた。

「……」

 いけるか、と期待させてくれたけれど、一時の混乱をエドウィン・フィッシャーによる艦隊運用で立て直したヤン艦隊へ、ビッテンフェルト艦隊が槍のように鋭い紡錘陣形で切り込み、さながらジークフリード・ノルデン・ビッテンフェルトアタックの様相を呈している。

「……それでも、ダメか…」

 ここを突破しなければ明日はないという覚悟で挑んでいるヤン艦隊の各艦長たちの働きと、ビッテンフェルト艦隊が量において少なく、ノルデン艦隊が質において劣り、本来のホーランドが目指した速度と躍動性にすぐれた動きができないことで、ヤン艦隊は突破しつつあり、キルヒアイス艦隊も間に合いそうにない。

「戦艦タンホイザー信号途絶! ノルデン提督、生死不明です」

 ノルデンの乗艦はビッテンフェルトの協力をえてフィッシャーの乗艦と相打つように轟沈していた。

「敵艦隊が包囲を突破!」

「………。このまま追撃します。整然と、ただし執拗に」

 自分なら、ここで戦闘を終えていた、けれど、もしも三葉なら、きっと追ったに違いないと想い、命令していた。生死不明と報告され、シャトルの脱出が確認されなかった場合で生存していたことは、ほとんどない。三葉なら、きっとイゼルローン回廊まで追い続け、多少の反撃は受けるとしても、疲弊の度合いも、各艦の損傷も同盟軍の方がはるかに重い、追い続ければ、脱落艦や降伏も含めて、まだ2割は撃てる、とキルヒアイス艦隊は追撃戦に入った。

「閣下、深追いしすぎではないでしょうか」

 ベルゲングリューンが当然の進言をしてきた。

「そう思いますか」

「はい」

 執拗な追撃のおかげで、すでに数百隻の敵を討ち果たしてはいるし、降伏してきた艦もある。けれど、追撃しているのはキルヒアイス艦隊のみで、ラインハルトは何も言ってこないものの、キルヒアイスらしくない、と思われている気はする。まさか、このままイゼルローンまで追うのか、と自問自答していると、ヒルダが震えながら言ってくる。

「キ……キルヒアイス……閣下…」

「……。どうかしましたか? 中尉」

 あまりヒルダの方へ視線を送らないようにしていたけれど、指向性ゼッフル粒子を散布していた頃から、小刻みに震えていて、やはり女性ながらに戦場へ立つのが怖くなったのだろうと思っていた。いっそ、当初の三葉が望んだように居住区で過ごさせようかとも考えたけれど、本人から言い出すまでは、あまり優しい配慮はしないでおこうと判断していた。

「……ト……トイレに行っても……よろしいですか…?」

「…………」

 原則として戦闘配備中は持ち場を離れるのは厳禁だった。交戦中であれば艦隊司令とて艦橋でパンを片手にソーセージを囓ったりする。一瞬、今すぐ追撃をやめて戦闘配備を解こうかと考えたけれど、それでは一女性士官のために全艦隊の動きを変えたことになるし、またヒルダにだけ許可するのも、まるで艦隊司令に聖域があるようで周囲に与える印象が良くない。キルヒアイスは艦隊司令であることに徹した。

「その程度の判断は自分でしてください」

「っ……ぅ……」

 ヒルダが顔を真っ赤にして震えたのと、かすかに音が聞こえたので、わかりたくなくてもわかった。そして、やはり女性なのだな、とも思う。帝国軍には前線勤務の女性はほとんどいないし、そのため配慮もない。ヒルダは正規の軍人教育も受けていないので、初めての体験に強く恥じらっているのだろうと慮った。普通の女学生という立場なら、それが、どれだけ恥ずかしいことかは自分も知っているし、女性の身体の構造での長時間の我慢が苦しいのもわかる。それゆえ気の毒に思ったけれど、やはり優しい言葉をかけることは自制した。もうヒルダから視線をベルゲングリューンへ移して問う。

「このまま追撃することを愚行だと思いますか?」

「それは…」

 ベルゲングリューンが考えをまとめる前に、ヒルダが言う。

「…ハァ…キルヒアイス閣下…。許可無く、おもらししたヒルダを…ハァ…叱ってください」

「「…………」」

 ベルゲングリューンが黙り込み、キルヒアイスは額に手を当てた。

「………三葉……」

 誰を叱りたいかといえば、一人しかいない。自分も女の身体にいるとき、男に抱かれたいという原始的な衝動を抑える術を学ぶのに苦労したし、生真面目に女であることに徹しているうちに、もう自分を見失いかけてもいるので、三葉が男の身体にいるとき、女性を抱きたいという衝動を持て余すのも理解はできる。また、そのためなのか本来の自分とは、かなり違う行動を取ってしまうことも共感してもいい。けれど、せめて変な癖はつけないでほしい。キルヒアイスが思い悩んでいるうちに、また5隻の同盟軍艦艇が索敵範囲に入り、射程距離に捉える前に降伏信号を送ってきた。それと同時にラインハルトから通信が入ったので、メインモニターに映してもらった。

「キルヒアイス、もういいだろう。戻ってこい」

「はい、ラインハルト様。私の戻るところはラインハルト様のもとのみです」

 キルヒアイス艦隊は追撃をやめ本隊へ合流した。

 

 

 

 三葉はヨガマットへ手早く用事を済ませる。もう装甲服や軍服の中に済ませるのと同じくらいの感覚で、さっと終わらせて片付けると、入浴も10分以内に終えて、布団に入って寝る。

「明日は長スパぁ~♪」

 早朝の始発で行くので、睡眠時間の確保を優先して目を閉じ、日の出前に起きると家を出た。まだ暗いので早起きな高齢者さえいない。駅へ向かっていると、約束していた早耶香と克彦たちと出会い、計画通りに始発へ乗った。町を離れると、三葉の気持ちも軽くなった。

「サヤチンは何から乗りたい?」

「う~ん……絶叫系は後がいいかな。お化け屋敷は絶対イヤ」

「オレは何でもいいぞ」

 保護者へ話は通してあるけれど、学校をサボって遊園地に行くという大胆な作戦に三人とも浮かれながら、岐阜から愛知の海沿いまで移動し、丸一日遊園地を楽しんだ。やはり夏休み前の平日だったので、どのアトラクションも混雑することなく乗れて休日に来る5倍は楽しめた。すべてのアトラクションを体験して、気に入ったものには2度、3度と乗って閉園まで滞在して帰宅する。けれど、名古屋を過ぎて岐阜市まで戻ってきて電車の遅延から、乗り換えるはずだった飛騨地方への電車に乗れなかった。

「テッシー、今、行ったの終電だよね」

「ああ……マズいな」

 以前のデートでも日暮れと同時に帰路についてギリギリだった。もともと、ひどいと一時間に1本もないくらいの山奥まで帰らないといけないので、まだ市内は賑やかな時間帯だけれど、三葉たちにとっての終電は出てしまった。早耶香がタクシー乗り場を指した。

「私、タクシーやったら、いくらになるか、訊いてくるわ」

「うん、お願い」

 すぐに戻ってきた早耶香は少なくとも6万円だと言われていた。克彦が他のタクシーへ交渉してみても、町の名を言っただけで勤務時間の都合で拒否されたり、6万円以上を言われることもあり、三人で悩む。

「いっそ、どこかに泊まって始発で戻ったら明日の学校、ちょい遅刻くらいじゃね?」

「検索してみるわ」

 始発で戻ることを調べると、それほどの遅刻にはならない。それを、お互いの保護者へ説明して外泊の許可をもらうと、逆に楽しくなってきた。

「サヤチンのお母さんも、あっさり許可くれたね」

「まあ、女の子だけ、とか、男の子と二人やったら、ここまで迎えに来てでもダメって言われたかもしれんけど、この三人やしね」

「次は宿探しやな」

 スマフォで検索してみたけれど、空室は多いのに、未成年だけの当日予約はできなかった。

「意外に無いな。サヤチン、あるか?」

「ううん、このサイトも未成年のみはお断り」

 三人で一時間ほどネット上と市街地を彷徨い、そして未成年のみでも泊まれそうな施設を見つけた。

「………ここ、どう思う?」

 早耶香がラブホテルを指している。

「…………料金的には手頃だな。……使ったことあるか?」

「「ないない!」」

「………だろうな」

「「テッシーは?」」

「無ぇよ。オレたちの町の近くに、こんなもん無いだろ」

「………でも、ここしか、無理かも……サヤチン、どう思う?」

「う~ん……三人で……」

 理想的にはシングルに克彦、ダブルに三葉と早耶香という予約がとれれば問題なかったし、それが無理なら旅館や民宿などに三人で一室も覚悟はしていた。路上で15分ほど話し合った後、どうせ三人一室も覚悟していたし、いいかな、という気持ちになった。そして、好奇心もある。決断して三人で入ると、カウンターには誰もおらず、部屋を選んでボタンを押すだけで鍵が出てきた。三人なので一番広めの部屋を選んで入室した。

「うわぁぁ、中は、こんな造りなんやね」

「すごいすごい!」

「おお、こんな感じなのか」

 家族旅行や修学旅行で泊まる施設とは、まったく違うラブホテルの室内に三人とも興奮している。派手な色の内装、大きなベッド、液晶テレビ、よくわからないオモチャ、意味不明なオブジェ、いろいろあるゲーム機とカラオケ、そしてバスルームはガラス張りだった。

「三葉ちゃん、お風呂に入るとき、どうしたらいいと思う?」

「テッシーに目隠しすればいいよ」

 やや似たような状況に慣れている三葉の提案に二人が安心した。

「なるほど、それなら」

「安心やね」

 そう決まると、大きなバスルームに入ってみたい三葉と早耶香は、すぐに克彦の頭へバスローブの帯を巻いた。目隠しされた克彦はソファに座って待ち、脱衣所がないので三葉と早耶香は何度も克彦の目隠しを確認してから、裸になった。

「「「……………」」」

 三人とも頬が赤くなる。目隠しされていても脱衣の衣擦れの音は聞こえるし、見えていないとわかっていても三葉も早耶香も恥ずかしさを覚えた。

「早く入ろ」

「そうやね」

 バスルームに入ると、恥ずかしさが落ち着いてくる。二人で身体の洗い合いをして温まって出てくると、ガラス張りのバスルームが完全に曇っているのに気づいた。

「こうなるんだったら、先にテッシーに入ってもらえば、よかったね」

「うん、それは言えるかも」

「三葉、サヤチン、もういいか?」

「「まだまだ!!」」

 二人は急いでバスローブを着た。そして気づく。

「二人分しかないけど、テッシーには何を着てもらう?」

「そうやね。私、自分のシャツでもいいけど、下は……」

「オレが自分のシャツでいいさ。下は……トランクス姿で寝ていいか?」

「「……うん、それなら」」

 ようやく目隠しを外してもらった克彦が入浴し、三人でルームサービスの夕食を摂ると、三葉と早耶香がベッドに、克彦はソファへ横になる。

「「ごめんね、テッシー」」

「いいって。なんか、こう楽しいな」

「「うん」」

 色々と未体験で楽しかった。そして、部屋の照明を落として、三葉と早耶香が向かい合って横になる。

「…………」

「…………」

 静かになって実感した。同じ男を好きでいる二人が、こんなに仲良くしていられる不思議さを、そして三葉は女として男に抱かれたい衝動も覚えた。それは早耶香も覚えている気がする。丸一日楽しかったし、学校をサボって遊園地という背徳感も味わった。その非日常さが、さらなる背徳を誘った。

「ねぇ、サヤチン、いっしょにバージン卒業してみない?」

「……え、……それって……」

 二人とも17歳、ちょうど平均的な女子高生の体験年齢に達している。興味はあるし、三葉は男として女を抱いた経験はある。その逆を体験したいという気持ちが、むくむくと大きくなってくる。

「……三葉ちゃんが……それで……いいなら……あとはテッシーが…」

 一度は諦めがついた恋だったけれど、まだ克彦のことは好きでいる。克彦が三葉を好きでいても、三葉がいいと言うなら、どうせ、いつかは卒業する処女を初恋の相手と体験したい気持ちは小さくない。

「「………」」

 二人の女子が決めてから、ソファにいる克彦へ問うと、やや迷った男も、据え膳が2膳でも箸をつけることにした。そして終わってから三人とも、これが学校の校則でいうところの不純異性交遊ではないだろうかと思ったけれど口にはしなかった。そろそろ12時になる、三葉はペンを持って立ち上がった。

 

 

 


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