「君の名は。キルヒアイス」   作:高尾のり子

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第11話

 

 

 キルヒアイスの瞳がアルコールとサイオキシンと色香に酔っていた色合いから、熱い告白をされた余韻に浸っている乙女の色合いになって、そして今しも注射器で怪しげな薬物を投与されかかっている帝国軍大佐の危機感に満ちた目になった。

「やめなさい!」

 明らかに看護婦でも医師でもない妖艶なドレスを着たドミニクを平手打ちして倒すと、状況を確認するために周囲を見回すのと同時にブラスターを抜いた。

「くっ…」

 目まいがする。アルコールだけでない神経異常を感じた。

「何するのよ?! っ………」

 顔を叩かれたドミニクが激怒しているけれど、ブラスターの発射口を向けられて黙った。さっきまでの色香に惑ってくれていた様子とはまったく違い、下手に動くと撃たれると感じている。

「この注射器は何だ?!」

「……さあ?」

 ピシュン!

 威嚇だったけれど、ドミニクは顔の横を撃たれて、次の回答は慎重にしないと殺されないまでも膝や腿を撃たれるかもしれないと感じた。

「ラインハルト様は?!」

「………」

 ドミニクは視線をベッドに向けた。

「ラインハルト様!」

「急に威勢が良くなったな、坊主」

 坊主頭の美女がラインハルトを人質に取るようにしている。ラインハルトは意識がなく、ぐったりとしていたし、ルビンスカヤはスカートの中から小型ブラスターを抜いている。

「ラインハルト様に何をした?!」

「………うむ、貴様、夢遊病者か何かか。それともサイオキシンが、おかしな回り方をしたか…」

 ラインハルトを人質に取りながら、ルビンスカヤは銀髪のウィッグをかぶる。

「さて、どうする?」

「くっ…」

 ブラスターで狙いをつけているものの、目まいがする。ぐらぐらと頭が揺れて今にも意識を失うかもしれない。キルヒアイスはドミニクを人質に取った。状況は不明だったけれど、二人の女は仲間のように見えたし、その判断は悪くなかった。

「なるほど、では人質交換。そして解散といこうか」

「………わかった。ラインハルト様を無事に返すなら、それでいい」

「ドミニクと出口まで向かえ」

「ラインハルト様は?」

「部屋の奥に置く」

 そう言ってルビンスカヤはラインハルトを室内に残し、自分たちの重要な荷物だけを手にすると、ブラスターの発射口を天井に向けた状態でキルヒアイスと距離をとりつつ室内を時計回りに移動し、キルヒアイスにも同じように動くよう顎で指示した。

「………」

「………」

 お互いに一触即発を避けつつ、室内を迂回して距離をあけ、ルビンスカヤはドミニクのいる出口へ、キルヒアイスは部屋の奥へと動き、ラインハルトのもとへ辿り着いた。

「ラインハルト様、ラインハルト様!」

 呼びかけても意識はないけれど、呼吸はしてくれているし、顔色も悪くないので少し安心した。そしてルビンスカヤたちに問う。

「お前達は何者だ?! さっきの注射はサイオキシンなのか?!」

 けれど、すでに二人の姿は出口から消えていて、もう誰もいない。追いかけたいけれど、目まいがして歩くのも苦労する。なんとか、電話機まで辿り着くと警察署に連絡してホフマンを呼び出してもらった。

「ラインハルト様、ラインハルト様」

 ホフマンが来てくれるまで呼びかけていると少しは反応してくれた。

「ぅぅ…」

「ラインハルト様……よかった……ご無事で…」

 けれど、今度は自分の意識が朦朧としてくる。結局、意識を失ってしまい、駆けつけてくれたホフマンに事情を説明することができたのは、かなり時間が経ってからとなり、その頃にはルビンスカヤたちはクロイツナハⅢから消えていた。ラインハルトとキルヒアイスが不本意にサイオキシンを摂取させられたことは不名誉なことだったけれど、一昨日の警察への協力とホフマンの機転もあり、記録には残らないまま解毒剤をもらえたものの、もうクロイツナハⅢには滞在したくなかったので、すぐにオーディンへ帰還した。

 

 

 

 三葉は習慣になっていたのでヨガマットの上にいたけれど、もしかしたらトイレまで間に合ったかもしれないという違和感と、そして24時間前に着けていたショーツとは違うショーツを着けていることに気づいてギョッとした。

「なんで、私のパンツ替わってるの?!」

「お姉様がテッシーと噴水に落ちたらしいよ。で、お風呂に入ったの」

「お風呂に?!」

「ちゃんと目隠しして、私がいっしょに入ったから安心して」

「……それでも……勝手に……。ううっ……いいところで交代になるし……」

 ドミニクの姿態が脳裏によぎった。

「今日は、どうだったの?」

「はじめて遊びらしいことできたよ」

 ヨガマットを片付けつつ、今日の体験を語る。

「娯楽施設に行っててね。女の子とお酒を飲んだりプールで逆ナンされたりしたよ」

「……う~ん……なんか、それ、お姉様のイメージと違うなぁ……お互い、いろいろすれ違ってないかなぁ……」

「お風呂、まだお湯ある?」

「あるよ」

「じゃあ、入ろ」

 二度目になるらしいけれど入った実感がないので入浴するため脱衣所へ行って悲鳴に近い絶叫をあげた。

「なんで、このワンピが出てるの?!」

「お婆ちゃん寝てるから静かにね」

 四葉も二度目の入浴が習慣になってきたのでパジャマを脱いでいる。

「まさか、この乙女ワンピで出かけたの?!」

「デートとか言ってから、まあ普通のチョイスだと思うけど」

「デートじゃないよ、ただのお出かけだよ。うう……このワンピで外を歩くなんて…」

「それ、お姉ちゃんが中学の頃に買ったやつじゃん。自分で買ったのにダメだし?」

「あれは気の迷いだったの! 思春期の黒歴史だよ! こんな女の子っぽいの着てみたいな、って思わず買ったけど着てみたら、いかにも過ぎて恥ずかしくて部屋から出られなかったし、四葉にしか見せてないの」

「お姉様とお姉ちゃんの羞恥心は、いろいろと水準が違うんだね」

「あいつ、ホントに男なの?! よく、こんな女の子女の子したワンピでテッシーと……」

 そう言って湯船に入っていると、だんだん克彦と、どんな日曜日を過ごしたのか心配になってくる。さっと洗髪して、すぐに揚がると手紙を読んだ。

 

宮水三葉さんへ

前略、本日は大切な報告があります。ご予定通りにテッシーとデートいたしました。

 とても親切にエスコートしてくださり、楽しい一日を過ごすことができました。あれほど、すぐれた男性はそうそういないと感じております。優しくて頼りになって逞しくて、そして彼は三葉さんのことを好きでいてくださいます。

 これは憶測などではなく、確かなことです。

 はっきりと彼は私に、いえ、三葉さんに向かって、好きだと言ってくださいました。とても熱意のある告白で私が代わりに聞いてしまったことは本当に申し訳ないのですが、それだけに三葉さんにも伝えておきたいのです。あんなに感動的な告白をできる男性は、この宇宙にそうはいないでしょう。女の身になって受けても、男として見ても、とても尊敬に値する人であると感じております。

 もちろん、告白に対する答えは保留しております。

 明日、お答えいたします、と伝えて、お待たせすることも陳謝いたしております。

 あとは三葉さんのお気持ち次第です。

 ただ、差し出がましいようですが、テッシーは素敵な方だと思いますし、三葉さんのお相手として望ましいと感じます。また、青春の時間というのは、とても短いものです。とくに来年には大学受験を控えておられるのですから、お二人が楽しい時間を過ごせるのも今年の秋くらいまでかもしれません。そのことも含めて、テッシーの熱意に答えてあげてください。どうか、良い青春の思い出をたくさんつくってください。

 もう一つ、ご報告せねばならないことがあります。

 サヤチンのことです。これは憶測なのですが、おそらくは外れていないと思います。サヤチンはテッシーのことを好きでいらっしゃると感じるのです。

 それなのに、私はデートが終わった後にサヤチンからお電話をいただき、そのとき告白された嬉しさで軽率にもテッシーとのことを祝福してください、とお願いしてしまったのです。

 このために、彼女は大変に憤慨されてしまい、お詫びのしようもありませんでした。まことに勝手で申し訳ないのですが、サヤチンのことは、どう対応してよいかわからず、善処いただければ幸いです。 草々

 

 手紙を読み終えた三葉の手が震えている。

「……サヤチンに……なんてことを……」

「サヤチンさんの気持ちに気づいてなかったんだ。お姉様……そのへんは男っぽいね。あんなわかりやすいアピールに気づかないとか」

 横で四葉も手紙を読んでいた。

「う~……サヤチンに、なんて言って謝ろう?」

「それもあるけど、告白の方はどうするの?」

「……そんなこと言われても……私が告白されたわけじゃないし……」

「ぶっちゃけ、好きなの? 嫌いなの? 男子として」

「…………」

「……」

 あ、ちょっと赤くなった、でも真っ赤になるほどじゃないんだ、と四葉は姉の気持ちを計ったけれど、三葉は友情の破綻を心配している。

「ありえないよぉ……私たちは三人で、いい関係だったのにぃ……」

「そろそろ寝ないと遅刻するよ」

 そう言って四葉は退室し、三葉も悩みながら布団に入って朝を迎えた。あまり眠れずに布団を出て、休みたいけれど休むわけにはいかない、と登校する。いつもより早く出たり、遅く出たりして早耶香と克彦を避けようかとも考えたけれど、それをすると逆にあとあと話しにくくなると、四葉に言われて普段通りのタイミングで通学路に出た。

「………」

「………」

「………」

 通学路には同じことを考えた早耶香もいたし、克彦もいた。克彦は当然として、早耶香もタイミングをずらすのは負けを認めた気もするし、もう負けているけれど最後の意地で長年の習慣通りに登校している。早耶香と重苦しい雰囲気で歩いていた克彦が挨拶してくる。

「よ、よぉ、三葉」

「……うん……おはよう。……サヤチン、おはよう」

「……。おはよう」

 返事はしてくれたけれど、目は合わせてくれない。顔も見たくないという気配が漂っている。

「………サヤチン、あのね…」

「…………」

 黙って早耶香が歩調を早めた。遅れないように三葉も歩調をあげ、克彦もついていく。

「………」

「………」

「……そ、そうだ! お土産があったのに電車に忘れちまったろ? あれ、さっき駅に連絡したら届いてるって! 放課後、取りに行こうぜ!」

「「………」」

「マス寿司、美味かったぞ! ありがとうな。こっちも、お土産にクッキー買ってきたんだ。な、三葉」

「う…うん…」

 とりあえず頷いた。多めに買ってくるように伝えておいたお土産が無かったことには今になって気づいている。早耶香が、さらに歩調を早めた。話したくない、ついてこないでという背中を追いかけているうち学校に着いてしまった。早耶香と落ち着いて話すタイミングをもてずに授業を受け、昼休みになった。

「………」

 いつも通りなら三人で校庭で食べるけれど、どちらから誘うわけでもなく移動していたので、どうしようか迷っていると克彦が声をかけてくる。

「三葉、昼飯、行こうか」

「……。サ、サヤチン、お昼ご飯、食べに行こうよ」

 勇気を出して声をかけると、早耶香は弁当箱を出して考える。

「………いい。今日は教室で食べるから」

「そ……そう…」

「オレは先に行ってるぞ」

 克彦が行ってしまうと、三葉は二択を迫られた。校庭に行くか、このまま教室にいるか、場所の二択は、そのまま人との関係に反映されることが痛いほどわかる。三葉は恐る恐る弁当箱を持って、早耶香の机に移動した。

「い…いっしょに……食べていい?」

「………。……」

 いいともダメとも言わなかったけれど、早耶香は机上に少しだけスペースを空けてくれた。

「あ…ありがとう…」

「………」

「……。あの…ね……昨日は、私、どうかしてたと思うの……ごめんなさい…」

「…………早く食べたら?」

「う……うん…」

 二人で昼食を食べるけれど、あまり味は感じない。ちらりと校庭を見ると克彦が一人で食べながら月刊ムーを読んでいる。月刊なので一ヶ月間、ずっと同じ雑誌を読んでいることが多い。

「…………」

「気になるなら、行ってきたら?」

「ううん、そういうわけじゃ……ないから…」

「…………」

「ホントごめん! ごめんなさい!」

 手を合わせて頭をさげた。

「……………それで、私は謝ってもらったし許さないといけないわけ?」

「そ……そんな……つもりじゃなくて……ただ、謝りたくて…」

「…………」

 早耶香は食べ終わると、スマフォをいじり始める。三葉も食べ終えたので黙っているのも居心地が悪いのでスマフォをいじる。昨日のパンケーキの写真が出てきたので、あわてて閉じたのに、見られていた。

「カフェ、楽しかった?」

「ぅ……ううん! ぜんぜん!」

「…………」

 早耶香が立ち上がった。

「ど、どこ行くの?」

「トイレ」

「そ…そう…じゃあ、私も…」

 前の休み時間に済ませていたけれど、ついて行く。女子トイレで別々の個室に入ると、三葉は用がないので、そのまま便座に座った。かさかさと早耶香が入った個室から音が聴こえてきたので月経中だと気づいた。三葉ほど早耶香は重くないけれど、やっぱり機嫌は悪くなりやすい。しばらくして早耶香が個室を出たので三葉も出る。

「………」

「………」

「……と、富山、どうだった?」

「別に、普通」

「そっか。まあ、そうだよね」

 予鈴が鳴った。

「………」

「………」

 教室に戻ると、克彦も戻ってくる。三葉が目を合わさないようにしていると、克彦は黙って自席に座った。授業が始まっても、頭に入らない。先週にキルヒアイスが受けてくれた実力テストが返ってきて、先生に誉められても嬉しくない。そして、重い気分のまま放課後になり、早耶香が教室を出て行くので、あとを追った。

「ぃ、いっしょに帰ろうよ」

「………」

 早耶香は歩調を早めなかった。後ろから克彦がついてくる気配がする。三人で校門を出ると、いつも通りの道を黙って歩く。

「………」

「………」

「………」

 二つめの交差点まで沈黙のまま進み、克彦が口を開いた。

「駅にお土産を取りに行こうぜ」

「じゃあ、私は帰る」

 そう言って早耶香が別々の道を行こうとしたのを三葉の手が袖をつかんで止めた。

「ヤダよ! 私はサヤチンと友達でいたいよ!」

「「………」」

「私は三人がいいの!!」

 叫ぶと涙が溢れた。

「三人でいたい! 二人とも好きだもん!! バラバラなんてイヤだよ!!」

「「……………」」

「お願い! このままの三人でいよう!」

「…三葉ちゃん……」

「三葉………」

「サヤチンとテッシーと私の三人でいたいの! お願いだよ!」

 ぼろぼろと三葉が涙を零したので、早耶香がハンカチを出してくれた。

「ほら、そんなに泣かんで」

 そう言う早耶香も泣きかけている。克彦がタメ息をついた。

「泣く子と地頭には勝てない、ってか」

 これ以上、三葉を困らせたくなかったので克彦は戦術的撤退を決め、今しばらく三竦みは続くことになった。

 

 

 

 キルヒアイスは三葉の部屋で目を覚まして、手紙を読んで顔を曇らせた。

「……このままの三人で……」

 期待していた朗報と違う手紙だった。

 

 キルヒアイスさんへ

 私は今までの三人でいたいの。

 サヤチンは大事な友達だし、テッシーとも友達でいたいんです。

 今までの三人で、このままの三人で平和に、ずっと過ごしていきたいの。

 だから、必要以上にテッシーに近づかないで。

 二人きりで出かけるのは無しで、二人きりになるのもさけて。

 あと、お風呂に入るのも、よっぽどじゃない限りやめてください。

 入るとしても目隠しして四葉といっしょでお願いします。

 

 入浴については異存はないけれど、克彦のことについては残念でならない。

「……平和に、ずっと過ごして……、そんな時間は、もう……」

 できれば二人には数ヶ月でも幸せな日々を送って欲しかったのに、早耶香に遠慮しているのか、決断を先延ばしにしたのか、もどかしい答えが書いてあった。

「………テッシーの、あの告白を三葉さんにも聴いていただきたいくらいですわ。あんなに熱い想いを……」

 切なくて両手を胸の前で祈るように握った。三葉の胸の膨らみに手が触れているけれど、それさえ意識しないほど残念に思っている。それでも、いつも通りに身支度をして通学路に出た。

「おはようございます、テッシー、サヤチン」

「ああ、おはよう。三葉」

「…おはよー…三葉ちゃん…」

 克彦は何か期待した目で見てくるけれど、早耶香は冷めた目で見てくる。もう、そのお嬢様モードはやめてほしいんだけどな、という視線だったけれど、早耶香に会釈してから、克彦を見つめる。

「……」

「……」

 二人とも、夕日に照らされたお互いの顔を想い出してしまった。

「「………」」

 必要以上に近づくな、と呪縛されてしまい、まるで後宮にいるアンネローゼと自分のようだとさえ感じると、余計にもどかしい。けれど、このままの三人でいたいという気持ちにも共感できる、あのままの三人でいられたら、と10歳の頃を想い出しもする。ただ、似ているようで姉弟という家族愛がある三角関係とは、まったく違う部分もあるのだと考えれば、いつかは選択のときがくるかもしれないし、この三人には永遠に来ないのかもしれない。克彦を見つめる三葉の目尻に涙が浮かんだ。

「……テッシー…」

「…三葉……」

「サヤチン・ハンマー!」

 ハンマーと言ったのにチョップを頭頂部に受けてしまった。

 

 

 

 三葉はオーディン市街地で文句を言いながら買い物に出ていた。朝から夕方まで座学と訓練とサイオキシンの危険性について、みっちり学ばされて、かなり疲れている。

「好きなワインを買っていいとか言ってさ。エサがあれば頑張って勉強すると思う、その魂胆がイヤだなぁ……私は犬か」

 最近、妹からも犬を見るような目で見られることがある。

「この店かぁ…」

 教えられたワインの店に入った。

「どれにしようかなぁ……って、知識もないし。高ければいいってものじゃないかな」

 なんとなく手を伸ばしたワイン瓶を取ろうとして、同じく手を伸ばした隣りにいた客と手が触れ合った。

「「あ…」」

 二人とも手を引っ込めたけれど、三葉は相手が女性だったので譲る。

「どうぞ、フロイライン」

「ありがとう」

 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは快活に礼を言ってワイン瓶を取った。

「「………」」

 何か社交辞令でも言うべき場面だったけれど、三葉は不慣れだったし、ヒルダは若いのに大佐の階級章をつけていることに興味をもっていた。

「では、失礼します」

 それでもヒルダは胸や腰を見てくる男性らしい視線を浴びて、会釈して背中を向ける。お尻のあたりにも視線を感じるけれど、だいたいの男性は自然の摂理なのか、生理現象なのか、似たような反応をするので、もう慣れているし、それほど不快でもない。

「お父様の好きな銘柄があってよかったわ」

 あまりワインなどには詳しくないけれど、それでも父親の嗜好くらいは把握しているので会計を済ませ帰宅する。居間に入ると、フランツ・フォン・マリーンドルフは浮かない顔で何かを悩んでいた。

「どうされました? 浮かない顔をして」

「ああ。少し親類のことが気にかかってな」

「ハインリッヒのことですか?」

「いや、マクシミリアンのことだ」

 穏健な良識派で知られるフランツだったけれど、なぜか気がかりな親戚には恵まれている。

「マックが、どうかしたのですか?」

「ああ、財務省の調査官を追い払ってしまってな」

「彼なら、やりかねませんね」

 親戚なので子供の頃に遊んだこともある。あまり、いい性格でないことも知っているし、男勝りのヒルダとは外で遊んで衣服を汚し、いっしょに入浴したこともあるけれど、なぜか、まだ9歳だったヒルダの下半身をジロジロと見てきたことを印象深く覚えている。そして、ヒルダが15歳を過ぎると、もうパーティーで出会っても興味なさそうにしていたので、かなり残念な指向をもっているのだと、薄々察してもいる。

「やれやれ、近いうちに説得に出向かなければならないかもしれないな。隣の星系でもあることだし」

「そういうことなら、私もついていきましょうか」

「ヒルダが?」

「歳も近いですし、何より、こういったことを経験しておきたいのです」

「うむ、お前は、そういうことにばかり興味を持つなぁ……まあいい、では、つれていこう」

 フランツは激しく後悔することになる選択をした。

 

 

 


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