夕暁のユウ   作:早起き三文

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第54話 火種

 

「脚がついていない機体に、よくよく私は縁があるらしい」

 

 ネオ・ジオンの超弩級戦艦「レウルーラ」の内部ドック、その広大な中空へと係留されている深紅のモビル・アーマー「ノイエ・ローテ」

 

「アムロの奴を侮っていたかな、俺は?」

 

 深紅の薔薇を思わせる機体へ遠目の視線を送りつつ、そう自嘲げに呟きながらも、その彼、シャア・アズナブルの端正な面には機嫌の良さが伺えた。

 

「シャア・アズナブル総帥に敬礼!!」

 

 敵機との交戦により中破してしまったその機体の修復過程の確認へと訪れたシャアへ、付近の兵達が敬礼をしてみせる。

 

「非人型のモビルアーマーには、脚などは本当に飾りであろう?」

 

 脇へ付き添っていたハマーン・カーンがそう笑いながら、少し癖のある自身の髪へその手を軽く撫で付けた。

 

「だが、その飾りをミィバ・ザムは付けているぞ?」

 

「ミネバ様、彼女の父上への思いがあのモビル・シップへ飾りの数々を付けさせたのであろうな」

 

「遠い昔の話のようだ……」

 

 主君筋にあたる小娘の父、かつてのジオン公国の名だたる猛将、彼の事を特に悪い男であるとはシャアも思ってはいなかったが、その彼の顔はもはやその脳裏には記憶されていない。

 

「しかしに、あやつの顔は覚えているとはな」

 

 自分のかつての復讐の為の踏み台としてしまった、誠実な人柄であった貴公子の顔、それは今のシャアでも思い出せる。

 

「ホログラフ、それと実物の顔と声の同期、お願い出来ますか?」

 

「頼む、ロベルト」

 

 ジオン、エゥーゴ時代からの股肱の部下へ頷きながら、シャアはハマーンがよこした手鏡で自分の身なりを整え始めた。

 

「いいぞ、ロベルト」

 

「カメラ、回します」

 

 軽い回転音と共に、クラシックに見えるロベルトが握るハンドカメラ、そしてマイクが動き始める。

 

「シャア・アズナブル!! 偉大なるジオン・ズム・ダイクンの宇宙の魂を受け継ぐ者!!」

 

「ギレン閣下、そしてデギン公王の御遺志をも継ぐ、星を継ぐ御方!!」

 

 レウルーラの大型投射器から浮かぶ、威風堂々としたシャアの姿に、ネオ・ジオン大艦隊の者達から歓声が挙がる。

 

「道化かな、私は?」

 

「カメラと付属のマイク、回っていますよ」

 

「スマン、スマン……」

 

 プロジェクターの大肖像と共にネオ・ジオンの各艦へ流されているテレビには、幸いな事にその彼のカリスマを損なう呟きは流れなかったようだ。

 

「スペースノイドの時代を我らに!!」

 

「ありがとう、皆の者」

 

 忠義と信念、慈愛や自由といった名前の美しき欲を心に灯すネオ・ジオンの兵達に見送られながら、鉄の仮面を小脇に抱えたシャアはカメラを通して将兵達へ手を振って見せる。

 

「スペースノイドの希望の星がシャア、か……」

 

 シャアの後ろへ控えているハマーンが、ため息をこぼしながらそう小さく呟く。部下の一人にカンニング・ペーパーを見せられながら朗々とした声で演説を行うシャアにはその声は聴こえない。

 

「赤い彗星も堕ちたものと言えるかな……」

 

 しかし、そのネオ・ジオンの兵や将校の中には、常識や良心を軸とした反意持つ、栄光あるジオンの理想に深い疑問を抱いている裏切り者共、それらが潜在的にかなりの人数として自軍へ内包している事をシャアは知らない。

 

「私やミネバ様の心を見抜けない程に、ニュータイプとしての目が曇りきってしまった男であるからな」

 

「耳障りの良い言葉や感情しか、今の彼には聴こえますまい」

 

 ノイエ・ローテのサブ・パイロットである男が、ハマーンの隣へ寄り、書類を渡す傍らに小声で彼女へ話しかけた。

 

「シャアのサポート、難儀である」

 

「思っておられる程に、苦労はありませぬ」

 

「昔に主が乗っていた機体の後継機でおるからな、あの紅い花束は」

 

 そのややに皮肉が混じったハマーンの声に、ノイエ・ローテのサブ・パイロットに選別された男は軽く笑みを浮かべるだけである。

 

「オールドタイプである私にとっては、人の表面の声だけを受け取れれば良いだけです」

 

「浮わついたニュータイプには共感が出来ぬか」

 

「一応は武人、物事の表だけを見て生きてきた男であるます、私は」

 

「そのせいで、そなたはコロニー落としの正当化が出来たのであるかな?」

 

「数年も経てば、不遜な内省の心も芽生えて来ます」

 

 口からそうこぼしながら再び彼が浮かべる薄い笑みは、ハマーンにとっては苦渋の表情として見てとれてしまう。

 

「頼むぞ」

 

「オグス殿や海賊気質の女狐、そしてあの騎士道を掲げる男もジオンの呪縛を振り払っているのです」

 

 男にとっては、自分の肩へ手を置いてねぎらいの心を見せてくれるハマーンの姿、それはどこか昔に心酔をした上官の顔を思い出させてくれる。

 

「スペースノイド、我らを自分自身で縛っている、ダイクンやザビ家が投げかけた希望という名の縛鎖であるな」

 

「が、今はまだその鎖を武器と致します」

 

「鎖を真に握っておられるのは、シャアではなくミネバ様であるからな」

 

「ギレン閣下やドズル様の、苛烈な性格を受け継いだとなれば」

 

 最近、どうにも感性的に猛将であった父親の血を表へ表してきた、名目上ではネオ・ジオンの最大権力者である少女の名を、男は会話の隙間でその舌へ乗せた。

 

「あの方の言葉一つで、身が引き締まる」

 

「支え甲斐があるか」

 

「ジオン軍人としての意地を見せなくてはいけませぬな」

 

「ミネバ様への面子の事か?」

 

「それもありますが」

 

 この壮年の男が浮かべる笑みには、いつも、常にどこかな侘しさが含む。

 

「幼き女帝に脚で使われている、オグス殿に笑われたくない」

 

「あれはあれで、良い境遇におるぞ?」

 

「さすがにあの境遇は、私には耐えられぬかと……」

 

 その言葉に横目で可愛くウィンクをしてみせるハマーン。その彼女の顔を見て、男はこの女執政がまだまだ若いと言える歳であることを再認識させられる。常態では余りに大人びている女なのである。

 

「しかるに、こたびのアクシズを中核とする小惑星群、スペースノイドの怒りの意思を天雷として具現化した怠惰なる者達へのメギドの裁きは、えーと……」

 

「中継の即座編集で削除をされているとは言え、シャンと発言をしてくださいよ、総帥」

 

「字が小さいのだ、アポリー……」

 

 色々な意味で微妙な表情をしているハマーン達の前では、シャア専用の赤いマジックで文字を書かれてある長いカンニング・ペーパー、それを引きずっている昔からのシャアの部下の苦労の姿が目に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「元気そうね、思っていたより」

 

「立ち替わり入れ替わりが、以外と激しいからな、このアーガマは」

 

 今日のアーガマの食堂には人が少ない。先日に頭を丸めたユウは、昔馴染みのエゥーゴパイロットである「ハイリーン・ハイマン」 通称にはブルーとの名で通っている彼女へ笑みを浮かべている。

 

「気分的にはリラックスできるさ」

 

「あなたの前の髪形の方が好みだったのに」

 

「髪の白い物が目立たないようにするためだよ」

 

「あなたの今の状態、ブライト艦長から聞いたわ」

 

「がっかりしたか?」

 

「がっかりと言うより、心配」

 

「俺は皆へ迷惑をかける男だな……」

 

「けど、よかった」

 

 軽くユウの短髪をつまんでから、ブルーは微かに目尻へ皺がうかぶようになった瞳を細めた。

 

「思っていたより、遥かに元気そう」

 

 ブルーは先程の台詞を繰り返す。久しぶりに会った彼女へ見せるユウの顔色は確かに良い。面顔の色艶が悪くない。

 

「いろんなメンツに会うからな」

 

「この一帯の宙域は、ジャブローから打ち上げられた増援の、ちょうど中継地点になっているみたいよ」

 

「さすがに激戦区の宙域へジャブローの表面の密林が顔を出しているときは、ひたすら何も落ちてこないように、と」

 

「あそこのモグラ・イン・ジャブロー達は祈るしかないわよねえ……」

 

「それだけで、宇宙から見下ろすネオ・ジオン連中共の溜飲は少しは下がるだろうな」

 

「クワトロ、シャアの見込みが甘かったからね」

 

 そのブルーの台詞を聞いて、ユウは彼女が一時期の間、クワトロと名乗っていた頃のシャア・アズナブル、彼の部下の一人であったという話を思い出す。

 

「アースノイドを甘くみるのが、一年戦争から続く、ジオンの人間の悪い癖だ」

 

「ジャブローを狙ったフィフス・ルナの迎撃に地球勢力が成功したから、ね」

 

「それにしても」

 

 今は映像が消えている、食堂の大型テレビに指を差しながらユウは自身の丸めた頭へ片手を乗せた。

 

「よく戦略核の使用をためらわなかったな、迎撃部隊は」

 

「なりふり構っている暇はないわよ」

 

 そう愚痴るブルーの顔には疲労の色が強い。愛機のZⅡを破壊され、補充モビルスーツの授与の為に地獄の宙域、地球の裏側の激戦区からアーガマヘ帰ってきたばかりである。

 

「シャアはアクシズ群を停止させ、交渉を持ち出したか」

 

「単なる時間稼ぎよ」

 

「そうだろうな、全く……」

 

 そう口からこぼし、軽くため息を吐きながら脚を組み直してコーヒーを飲み干すユウの顔を、ブルーは何とも言い表せない表情でじっと見つめていた。

 

「ネオ・ジオンも連邦派も、態勢を整える時間がほしいんだな」

 

 そのブルーからの不可思議な視線に、ユウは自分の心の何処かが搔き乱れるのを感じたが、そのまま彼女へ向かって口を開く。

 

「シャアの意思、いや妄執は止まらない、か」

 

「ノイエ・ローテ、ネオ・ジオンのフラッグ・モビルアーマーのマシンがね」

 

「忌々しい、シャアの両手に余る紅く巨大な妖花だな、ブルー?」

 

 その真紅のモビルアーマーの名、それはユウにとってはちょっとしたトラウマである。

 

「アムロ・レイのν-GPに後退を余儀なくされたのも、彼のメンタルに一刺しを与えたのかも」

 

「あのバケモノを撃退できるとはな……」

 

 以前、モルモット隊総出、それにエースであるシロッコが加わっても痛み分けに終わってしまった紅いモビルアーマーの姿がユウの脳裏に浮かぶ。

 

「小休憩状態とは言え」

 

 気分転換にキッチンへ入っていたアーガマの艦長ブライト・ノアが自作のコーヒーを片手にユウ達の座っているテーブルへ近付いてきた。

 

「戦線自体が拡大し、今ではここアーガマは必ずしも後方とは言えません」

 

「だから、ゴップ元帥達はさらに後方のクラップ戦列艦隊へ?」

 

「ジャブローのモグラから、風見鶏になったと笑っておられました」

 

「単に、ジャブローから避難したかっただけでは、ブライト艦長?」

 

「言わないでやった方が良いでしょうに……」

 

 そのブライトの言葉に、ユウとブルーの口から笑みがこぼれる。

 

「まあ、そこもクルクルと戦列が回れば引っ越すかもしれませんが」

 

「大規模過ぎる地球をグルグル回るオールレンジ攻撃ってのは、厄介ねぇ……」

 

「永遠の厄介者、だな」

 

 その二人の会話に、ブライト手製のコーヒーを口へ含むユウは再び笑みを。

 

「ゴップ元帥を見送った時に」

 

「ほんの二、三日でしたね、アーガマにいたのは」

 

「マスター護衛長が、あなたへ言い過ぎたと伝えてくれと」

 

「気にしてはいません、よ」

 

「ホウ?」

 

 ブライトが「味が濃すぎたか」と自身のコーヒーを飲んだ感想を呟きながらも、やや無理をしているとは言え、ユウの明るい表情をじっと見つめる。

 

「むしろ、彼の挑発で」

 

 一つブライトに礼をしてから、ユウはコーヒーへ水を継ぎ足し、その濃さを整えた。

 

「何か、パイロット寿命や病、それとは関係がない俺の精神的な問題が浮かび上がりましたから」

 

「解りきった事じゃない」

 

 コーヒーの苦味に顔をしかめながら、ブルーがどこか投げやりにそう言葉を放つ。

 

「良い機会ではないですか?」

 

「自己の分析、ですか」

 

「幸いと言うか何と言うか、今あなたにあてがうモビルスーツもありませんし、それに……」

 

 しばし、天井を向いた後、ブライトは目頭を軽く押さえながらユウの顔を見やる。

 

「あなたは私の部下、指揮下ではない」

 

「命令をする権限が無いと?」

 

「階級上では、あなたは完全に私よりも上なのですよ」

 

「そうでしたね」

 

 そのブライトの言葉を聞いて、ユウが以前に耳へ入れた噂話を思い出した。

 

「今は、どこもかしこも指揮系統が混乱しているようですね」

 

「はい」

 

 ブライトの返答に、ブルーも同意をするように真剣な顔で頷く。

 

「今の私、形式上はブライト艦長の指揮の下となっているけど、命令が伝わるルートはティターンズのジェリドから」

 

「なんだそりゃ?」

 

「ジャミトフ・ハイマンが何処かへほっつき歩いているお陰で」

 

 自分の父の名を言ったときに、ブルーの表情が何も変わらなかったのが、父親の事を心配をしている彼女の心情をかえって顕している。その場にいる二人の男達にもそれが解る。

 

「連邦本軍の揮下で命令ルートがティターンズとエゥーゴ、所属が新組織ロンド・ベルという部隊もあるわ」

 

「もしかして、そいつは」

 

「あんた、ユウ・カジマのモルモット隊」

 

 その自分の古巣を聞いた時のユウの顔、その時の彼の表情は眉の一つも動かない。驚くほどに何の感情も見せないユウへ、ブルーとブライトが何とも言えない視線を交わし合った。

 

「その指示系統の乱れから」

 

 自作のコーヒーの失敗の理由をその舌へ刻ませながら、ブライトはあまり手入れが良いとは言えない自身の面の髭を撫でる。

 

「単にエゥーゴの新名称だったはずのロンド・ベル、それが緩衝用の新組織になってしまいましたからね」

 

 ブライトは場を取り持つためか、あえて他人事のようにそう言い放ったのちに、キッチンへコーヒーをポットを下げにいく。

 

「あまり、昔の古巣への感傷が無いみたいね」

 

「すまない」

 

「あたしに謝ってどうする?」

 

 そのブルーの道理に対して、ユウの眉間へしわが寄った。

 

「俺は、冷たい人間なのかな?」

 

「ウーン……」

 

 疲れたようにそう口から言葉をこぼしたユウへ、ブルーが腕を組みながらその首を傾げる。

 

「それを知るためにも」

 

 ブルー、彼女のニックネームの通りの深く蒼い瞳が、ユウの困惑をした顔を覗き込む。

 

「心理分析だか、占いをするのが良いのかしら?」

 

「分析も何も無いだろう、な」

 

「見当もつかないのかしらね、あなた自身は?」

 

「何もない、中身のない人間だからな、俺は」

 

「自分の心、その部分ではそう自己の判断をしているか……」

 

 そのユウの言葉、その虚ろな響きを伴う内容にブルーがその頭を軽く頷かせ、なお深く考え込んだ。

 

「ユウ」

 

 ポットを片づけたブライトがキッチンから、何故か空の大鍋を片手に持ち、危なっかしくその底の深い鍋をブンと大きく振ってみせる。

 

「鍋?」

 

 そのブライトの謎の行動に、ユウ達は訝しげながらもキッチンへ足を運ぶ。

 

「シロッコがこれでスープを作っていましたよ」

 

「へえ……」

 

 まじまじと、その深鍋を覗き込むユウ。

 

「戦争にあいつが生き残ったら、飲ませてもらおうかな」

 

「あの人、過労死するわよ」

 

 アーガマでシロッコが下働きをしていたとき、彼と少し面識が出来ていたらしいブルーが肩を竦めてユウへそう言い放つ。

 

「忙がしいのか?」

 

「ティターンズのトップ代理のバスク司令とやらが、人に命令を上手く伝えるのが下手らしいから」

 

「シロッコの奴だって、下手くそだぞ?」

 

「ティターンズのナンバーツーとして、あちらこちらを駆けめぐる羽目になっているわね」

 

 その必死なシロッコの顔を想像して、ユウの頬が僅かに緩んだ。

 

「彼には、良い社会勉強になりますよ」

 

「俗人に上手く使われる天才となってしまったな」

 

「そのシロッコ、凡人共がと例の常套句を愚痴りながら駆け回る姿と格好、それが彼に皆の信頼を集めさせています」

 

「やはり、人は行動か……」

 

「あなたの取ったプロレスと同じようにね」

 

 少し嫌みが入ったブルーの言葉に、今度はユウがその肩を竦める。

 

「がむしゃらに、何も考えずにやっただけですよ」

 

「その姿ですよ、ユウ大佐」

 

「はい?」

 

 そのブライトの言葉の中には、何かしらの強さが混じっていた。

 

「なりふり構わない姿が、皆の心を動かします」

 

「見苦しい姿が、信頼を集めると?」

 

「テレビ受けを狙った言動など、すぐに見抜かれますからね」

 

「そうかな……」

 

 どこか納得のしきれていないユウの顔を、暖かい視線でブライトが見つめている。

 

「ああ、この鍋の事なのですが……」

 

 ブライトが再び手に取った深い底の大鍋をユウとブルーが除きこむ。

 

「どの部分が一番大事だと思いますか?」

 

「ウン?」

 

 ユウには質問の意味自体も、答えるべき言葉も解らないが、とりあえず思いついた事を舌に乗せた。

 

「取っ手?」

 

「外れ」

 

「じゃあ、鍋の素材の材質」

 

「外れ」

 

 そのブライトの簡潔なノーに、ユウはしばし首をひねったあとにポツリと言う。

 

「ギブ・アップ」

 

「正解は」

 

 僅かに笑みを浮かべながら、ブライトが鍋へてのひらを差し入れ、その中間でその手をブラブラとさせた。

 

「鍋の底?」

 

「その上です」

 

「え、蓋?」

 

「その下」

 

「何を言って……」

 

 口を尖らせたユウは、そう言った後にあることに気がつく。ブライトの手の位置、それが意味する所。

 

「鍋の中、空洞……」

 

「そう」

 

「何もない所です」

 

 ニュータイプ能力とやらがあるのかは定かではないユウとブルーであるが、この二人の勘は鈍くない。

 

「中間、という意味もあります」

 

 その言葉に、ブライトが自分の連邦内での立ち位置、境遇をある程度は理解しているのだとユウには想像ができる。

 

「この何も無い部分、カラッポがなければ、美味しいスープはどんな天才でも産み出せません」

 

 鍋をコンロへ置いたブライトは、ユウ達を元の食堂のテーブルへ行くように促した。

 

「戦って、勝てとは言いません」

 

 歩きながら、ポツリとこぼれるブライトの言葉。

 

「病人ですからね、あなたは」

 

「一応は、ね」

 

「しかし、負けて得る物はありません」

 

「それは違います、ブライト艦長」

 

 キッチンの出口に置いてあった缶ジュースをくすねながら、ユウはハッキリとそうブライトへ告げる。

 

「俺はこの前のプロレスで負けた後、何かを掴みました」

 

「それならば」

 

 キッチン脇、そこの自動販売機にブライトがカードを走らせ、転がってきた飲み物をその両手に取った。

 

「部分的にあなたは勝っていた、という事ではないでしょうか?」

 

「部分的に?」

 

「カミーユの奴の言っていた、あなたとニムバスさんとやらのプロレスの感想」

 

「男の戦いだったって、言ってましたっけ?」

 

「あなたに拍手をしながら、男泣きしていた為、皆からさんざんに冷やかされてましたよ」

 

「実に生意気な小僧だ……」

 

 コチ…… コチ……

 

「あのモビルスーツのプロレスはね」

 

 時計の針の音に、何か本当の意味での自分の動き始めた「刻」を感じるユウ。

 

「レコアの奴みたいに、あなたを無様な奴だと言った人はいましたが」

 

「シロッコの愛人となる位だから、気取った、キザな男が好きな人なんだろうな」

 

「彼女を始めにしても、馬鹿にした人間はいなかったようですよ」

 

「……」

 

 顎に手を当てているユウを先頭に、三人の男女は再びテーブルへ戻っていく。

 

「超高視聴率だったみたいです」

 

「そりゃ、よかったね」

 

「ホロテープの売れ行きも上々」

 

「めでたい、めでたい……」

 

 未だに投げやりな言葉を放つユウ、彼を睨み付けるブルーの顔へブライトはその細い目から僅かな光を疾らせ、彼女へ抑えろと無言の意思を告げる。

 

「ティターンズのジェリドも」

 

「ムラサメ・ジャンパーの一つもくれない男の誉め言葉なんぞ、どうでもいいですよ……」

 

 しかし、ブルーはブライトの視線をあえて無視をし、ユウへ挑発的にその口を尖らす。

 

「マウアーという、その彼の恋人さんも」

 

「単に恋人の機嫌を取っているだけでしょう?」

 

「そしてあの粗暴なパイロット、たしか名前はヤゾ、ヤジ……」

 

「もしかして、ヤザン・ゲーブル?」

 

「ええ、あの野蛮人が」

 

 そうイタズラっぽく唇を綻ばせながら、ブルーが微かに笑う。

 

「あそこまで出来る男だとは思わなかった、とね」

 

 ポゥン……

 

 食堂の古時計から、時刻を知らせる鳩の鳴き声が響いた。

 

「終わったのです、全て」

 

 そう力なく口から出るユウの言葉、しかしどこか、彼のその台詞には揺らぎが感じられる。

 

「嘘ね」

 

「そうですね」

 

 直後に放たれたその二人の断言に、ユウは鼻白むしかない。一つごまかすように彼はわざとらしく咳払いを放つ。

 

「あなたは今のガス欠を、大袈裟に捉えすぎているのです」

 

「断言してくれますね、ブライト艦長」

 

「一年戦争から、休み無しに任務を勤めるという恐るべき頑健な組織の歯車、しばしのユウ・カジマ・エンジンの焼き付き」

 

「おだてても、昔の力は出てきません」

 

「誰も出てきませんよ、そんな物は」

 

 ブスッとした顔をブライトはしながら、缶コーヒーの蓋を開ける。その音が何かユウの耳へ障る。

 

「昔の栄光にすがっても、何も生まれません」

 

「残り火の人間にも、意味があると?」

 

「残り火などありません」

 

「俺の言葉を否定して、俺の何を肯定しているつもりなので?」

 

 そのふて腐れたユウの言葉に、ブライトとブルーは呆れ半分、面白半分といった、苦い笑いをニヤリと浮かべた。

 

「火力、出力の差こそあれ、心臓が動いている限り、人の歳を無視した焔がそこから立ち上がります」

 

「人生にロートルも、寿命も、老害もないと?」

 

「それに加えて、余生、とやらも無いと思います」

 

 いつにないブライトの言葉に、今度はユウが苦笑いをしてみせる番である。

 

「生涯現役、ね」

 

「君の父上と同じように」

 

「勝手にロマンスに酔ってティターンズを創り、勝手に徘徊老人となって」

 

「若い老人だな」

 

 ユウの言葉に、ブルーが笑みを浮かべながら彼の胸を小突く。

 

「あなたの火の消えた空のコンロ、それに着火の実験をしてみましょうか」

 

「出来ますかね」

 

 不敵にニヤリとブライトへ笑ってみせる、青白ボウズ頭のユウ。

 

「苦労人とは言え、知り合ってそれほどでもないブライト艦長が」

 

「すでにいくつもの」

 

 そう言いながら、ブライトはまるでカードゲームの札を持つようにその片手の先を摘まんで見せた。

 

「着火材の手数、カードを持っております」

 

「分かりましたよ」

 

 尊大に、食堂の椅子へふんぞり返りながら、ユウはブライトの顔、いや目を覗き込む。

 

「俺のやる気の心を動かしてみて下さいよ、名キャプテン」

 

「その見え見えの子供じみた態度、解らない話ではないけど不愉快ね」

 

「俺は真面目なんだ、一応ね」

 

「腹が立つわぁ……」

 

 三十過ぎになって、苦労か何かの為に目に険が出てきたブルー、彼女がそう吐き捨てながら、ユウの隣の席へ座る。

 

「何だかんだ言って」

 

 ブライトの顔にはいつもの穏やかな笑み。

 

「すでに為すべき心は決まっているようですね、ユウ大佐」

 

「はい」

 

 そう答えるユウの笑顔も穏やかである。その彼の顔を見て、ブライトとブルーの瞳にも薄く光が宿る。

 

「自分で心の火種をどうにか作りましたか」

 

「一時期は、かなり気落ちもしましたがね」

 

「ゆえに、休息というものは必要なのです」

 

「なるほど、ね」

 

 ユウのその両目へ徐々に、静かに真意さの輝きが戻ってくる。首を一つ回しながら彼は両の手を組み直し、その口から大きなため息を出す。

 

「ですが、あと一押しを誰かに頼みたいのです」

 

「本当に、情けないほど腹の立つ言い分」

 

 缶コーヒーをその可愛く見える唇へとつけたまま、ブルーがユウを小馬鹿にしたように鼻を一つ鳴らした。

 

「でも、気持ちは解るわ」

 

「まだ、俺には何故今まで戦えたのか、その気力がどこから出てきたのか」

 

 呟きながらもユウのその両の目は、どこか別の場所を観ている。そのような不思議な感覚をブライト達は感じ取っている。

 

「そして、今なぜ再び戦おうとしているのか」

 

「出世じゃ、お嫌?」

 

「名前も解らない、どこか誰かの足長おじさんの手引きのお陰で出世は出来たが」

 

「パイロットで大佐の階級、そうそう有ることではありません」

 

「実感が全く無いですね」

 

 そのユウの言葉には嘘は無い。自分の力だけで一パイロットである自分、一部隊の隊長である自分がここまでの高階級を得られるなどとは思わない。いや、思えない。

 

「名誉、お金や女性への欲望はどお?」

 

「自分で言うのもなんだが、薄いな」

 

「地球を守る、ジオンが憎い」

 

「それも希薄だよ、ブルー」

 

「仲間、モルモット隊を守る」

 

「本当に悪いが、薄い」

 

 そう言った時のユウの顔には、言葉通り本当に強い苦渋の色が混じる。その彼を立て続けに質問を重ねたブルーが真剣な顔で見つめている。

 

「モルモット隊の皆を忘れかけてきているんだ、俺は」

 

「いつぞやの、蒼い宇宙の光とやらを信じている」

 

「多分、そいつも今では違う、違うんだよ、ブルー」

 

 その昔に、確かに自分の心を動かした蒼い、マリオンの宇宙。

 

「宇宙とは、あの蒼い光だけで語れるようなちっぽけな物ではない」

 

 何かを、何かに導かれるようにそう断言をしたユウ・カジマ。その彼から感じる強い意思にブライトとブルーが小さく息を呑む。

 

「様々な宇宙の心を見てきたからな、俺は」

 

「もしかして、その宇宙の心とやらのプリズムがあなたを惑わす一因となっているのでは?」

 

「かも、しれない」

 

 その言葉をブライトへ放ったときに、ふとユウの脳裏に万色の宇宙の心を持つシロッコの顔の輪郭が浮かぶ。

 

「晩節の戦いへ行く前に、迷いがある」

 

 ブライトからおかわりの缶コーヒーを受け取りながら、ユウが自身の舌へ乗せたその言葉は、歴戦の勇士だけが放てる強さに満ちていた。


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