夕暁のユウ   作:早起き三文

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第53話 十年の刻

「ほい、これでオーケー」

 

「ありがとうございます、モーラさん」

 

 そう言いながら、大柄な女性はユウの短く髪を刈ったばかりの頭を軽く叩

く。

 

「これで白髪が目立たなくなる」

 

「うちのバカ旦那のボサボサ髪で、散髪は慣れているからね」

 

「果報者の旦那さんだ」

 

 少し羨ましそうにユウはそう呟き、連邦軍の技術士官である女性へ軽く髪を切ってもらったばかりの頭を下げた。

 

「変わっているねぇ………」

 

 その二人の様子に、やや軽薄そうな面持ちをしたパイロットが軽く首をひねる。

 

「そうですか、モンシア少佐?」

 

「良い御身分なのに、威張りの一つもしねぇな」

 

 モンシアと呼ばれたティターンズのパイロットは、ユウの口から出た返事に不満そうに鼻を鳴らす。

 

「人格者の大佐さんは、あんたとは違うんだよ、モンシア」

 

「ヘッ……!!」

 

「あんたの部下達はさ、あたしの旦那とその相棒の昔、それと同じくにイビられている、だろ?」

 

「言ってくれるぜ、モーラ……」

 

 昔の馴染みらしいその二人は、そう言って軽く笑い合う。

 

「目下の奴をイジッてやるのは、上官の心意気の一つだぜぇ?」

 

「そうなのですか、モンシア少佐殿?」

 

「ティターンズの二階級上の扱い、ありがてえよ、なあ?」

 

 そう言って、モンシアは口を挟んだそもう一人の連邦パイロット、偉丈夫であるその男へ口を歪めて見せた。

 

「そんなあんたに、嫁さんが出来た事の方が不思議だよ、あたしはね」

 

「一応、昔からのお相手だったからさね、モーラおばさぁん?」

 

 モンシアの言葉と共に放たれる下品な笑い声に、モーラはその彫りの深い顔を軽くしかめる。

 

「実に男を見る目のない女だねぇ……」

 

「俺は自分が誠実な男だとは思っているんだがね?」

 

「ハイハイ……」

 

 そのモンシアとモーラの会話に、ユウと連邦のパイロット、サンダースという男は顔を見合せて笑う。

 

「ユウ大佐さんよ」

 

「なんだい、モンシア少佐」

 

「病気、らしいな」

 

「ああ」

 

 ニヤつきながら放たれるモンシア少佐の言葉には、嫌みな意地の悪さがある。

 

「ちょっと、モンシア」

 

「良いんだ、モーラさん」

 

 だが、モンシアのその言葉のどこかに真意さの欠片があるように感じたユウは、眉間に眉をよせたモーラへ両手をなだめるように振ってみせた。

 

「おまけにパイロットの寿命」

 

「誰に聞いたか? モンシア少佐」

 

「盗み聞きは俺の得意技、なんだよ」

 

 少し得意そうにそう言いながら、ユウよりも僅かに歳が上と思われるモンシア少佐が、あまり上手くないウィンクをして見せる。

 

「このアーガマの奴等からな、耳へ入った」

 

「盗み撮りだけが得意じゃなかったようだねぇ、モンシア」

 

「目端が効くのは、エース、優秀なパイロットの証しだぜ?」

 

 皮肉げにそう言うモーラへ、モンシアは再び下手に片目を瞑ってみせた。

 

「安静にな、ユウ大佐さん」

 

「俺に気を使ってくれてるのですか、モンシア少佐」

 

「そういうヤバい感じのな、サインを無視すると、さ」

 

 そう言いながら、モンシアはテーブルへ置いてあったウィスキーボンボンを口へ放り込む。

 

「死ぬんだよ、ユウ大佐」

 

「死神の呼び声、ですか」

 

「俺の昔の上官殿みたいにな」

 

 モンシアのその言葉と共に、彼、そしてモーラの瞳に影がよぎった。

 

「真面目な奴ほど、死神さんの声が聞こえねぇんだよ、解るかい?」

 

「私には解りますね」

 

 そう言って話に割り込んだサンダース中尉へ、モンシアが口を歪めながらその彼の頬を人差し指でつつく。

 

「お前ぇさんには聞いてねえ、って言いたいとこだが」

 

 モンシアの人差し指が下がり、その手を広げてサンダース中尉の頑健そうな肩を強く叩いた。

 

「許してやる」

 

「どうも……」

 

「似てるからよ」

 

 ウィスキーボンボンがまた一つ、モンシアの口へ。

 

「お前さんの馬鹿丁寧な所が、死んじまった昔からのダチにな」

 

「申し訳ありません、モンシア少佐」

 

「宇宙人のバケモノ、ニュータイプとやらが使うファンネルに囲まれちまってな……」

 

 そう言ったきり、モンシアはその目を瞑って何かを噛み締めるかのように口をモゴモゴと動かす。

 

「良いやつだった」

 

「良い人ほど、先に死にますか……」

 

「逆に言えば、俺は生き残る」

 

 そう言って「ヒヒッ」っと品の無い声を出したモンシアへ、瞳に影が射しこんだままのモーラが哀しげに微笑む。

 

「宇宙人共め、よくもな……」

 

「スペースノイドは嫌いですかね、モンシア少佐?」

 

「心の底からな、ユウさんよ」

 

 ユウの問いかけに、モンシアが吐き捨てるようにそう答えた。

 

「そもそもに、ニュータイプとやらが理解できないんだよ、俺は」

 

「私もです、少佐」

 

「そうかい、サンダースさんよ?」

 

「と、言うよりもですね」

 

 少し咳払いをしてからサンダース中尉は、その偉丈な体躯に相応しい堂々とした口調でモンシアへ告げる。

 

「話を聞く限りでは、エスパーは敵にも味方にもいてほしくありません」

 

「違いない」

 

 そのサンダースの言葉に、モンシアがニヤリと笑った。

 

「ん……?」

 

 テーブルを挟んで談笑をしている四人へ、二人の兵士が近寄ってくる姿がユウの目の端へ入る。

 

「面白そうな話、してますね」

 

「そう思うなら、よ」

 

 モンシア達の顔を覗きこんだ三十前後の歳と思しき金髪のパイロット風の男へ、モンシアは目を細めながら手をヒラヒラとぞんざいに振って答えた。

 

「茶か、何か摘まめるモンを持ってきてくれれば、お前達も混ぜてやる」

 

「私が持ってくるわ、アニッシュ」

 

 二人組の内、男と同じ位の歳であると思われる女性兵士がキッチンへ向かう。

 

「良い女だ」

 

「ミユの奴がですかね?」

 

「尻が良い」

 

 そう言って下卑た笑みを浮かべてみせるモンシアに対して、もはやユウ達は笑うしかない。

 

「あんたの頭には、それしかないのかい、モンシア?」

 

「それが若さの秘訣だぜ、ユウ大佐殿」

 

「ハハ……」

 

 モンシアへ軽く笑いながら、自分のクルーカットすれすれとなった頭を撫でつつ、ユウはアニッシュと呼ばれた兵士へ席へ座るように促す。

 

「ニュータイプ、おかしな話ですからな」

 

「確かに、理解が出来ない」

 

「私たちには縁がないのかも知れませんがね」

 

 そう話を切り出したサンダースへ、アニッシュと呼ばれたパイロットらしき男は同意をするように強く頭を頷かせる。

 

「けどさ、ユウ大佐殿は」

 

「俺を知っているか、アニッシュ君」

 

「ええ」

 

 ユウ達が囲むテーブルへ、ミユと呼ばれた女性がランチプレートに山盛りの菓子や飲み物を持ってくる。

 

「ニュータイプについて、結構に知っておられるみたいですな」

 

「巡り合わせでな、アニッシュ君」

 

「珍しい」

 

 菓子の包装をほどきながら、アニッシュが感嘆の声を出す。

 

「ユウ大佐のモルモット隊みたいな、そういう独立して活動をする部隊には、ニュータイプが寄り付かないそうです」

 

「そうなのかい、アニッシュとやらよぉ?」

 

「大戦、主戦場にしか、ニュータイプが姿を表さない」

 

「フウン……」

 

 ガィッ!!

 

「気の強い嬢ちゃんだ……」

 

「私達の部隊は一年戦争時、敵性のニュータイプ兵器と僅かに遭遇をしましたけどね」

 

 椅子へ座ろうとしたとき、尻を触ろうとしたモンシアの手にゲンコツをぶつけながら、ミユと言う名の女性はそのまま改めて座り直した。

 

「ユウ大佐、モルモット隊ほどではありません」

 

「そうなのか……」

 

 ミユへそう生返事をするユウの脳裏に「運命」という単語が浮かぶ。

 

 ピピッ……

 

「さて」

 

「行くのですか、モンシア少佐殿?」

 

「地球の裏側までのナイスなクルージングだよ」

 

 そう皮肉げにサンダースへ答えながら、モンシアは自身の腕時計のアラームを止め、少しだけランチプレート菓子をポケットへ詰め込んだ。

 

「保存食がわりに貰っておくぜ」

 

「ご武運を、モンシア少佐殿」

 

「任せなって……」

 

 軽くサンダースの肩を叩きながら、モンシアは自分が纏う黒いティターンズ色のパイロットスーツのチャックを上げる。

 

「部下に、良い女がいるんだ」

 

「あんたねぇ……」

 

「良いところを見せて、モノにしてぇ……」

 

 モーラの呆れた声を気にした風もなく、モンシアは軽く口笛を吹き鳴らした。

 

「奥さんを大事にするって発想は無いのかい?」

 

「そんなことをしても、アイツは喜ばねぇよ、モーラ」

 

「相も変わらず、ロクデナシな奴だ」

 

 そう言って顔をしかめながらも、どこかモーラはモンシアの顔を名残惜しげに見つめている。

 

「奥さんから、今に三行半を叩きつけられるね、これは」

 

「もう叩きつけられたぜ」

 

「そりゃ、めでたい」

 

 携帯端末に写し出される、自分にあてがわれたモビルスーツの機能をチェックしながら顔を向けずにモーラへそう答えるモンシア。

 

「どうせ、あの世で他の男とくっついているさね」

 

 その言葉の意味、それが解らないほど鈍感な人間はこの場に居なかったようだ。旨そうに菓子をつまんでいたミユの手が止まる。

 

「すまなかった、モンシア」

 

「気にすんなよ、美人なモーラ奥様ちゃん」

 

 軽く頭を下げたモーラへそう言ってから、ユウ達へ向けてモンシアが浮かべる穏やかな笑顔にはいつもの毒がない。

 

「事故ってのは、誰にでもある」

 

「不運、でありましたか」

 

「まぁな、サンダース中尉」

 

 いつものやや下卑た顔に戻ったモンシアが、パイロットスーツの胸の辺りから何かを取り出す。

 

「御守り、良いだろ?」

 

「御の形見、でありますか?」

 

「ちゃんと中に毛を入れてくれた本人の方があの世にいっちゃあ、世話がねぇ……」

 

「そっちの御守りでありますか、少佐」

 

 苦く笑いながらも、サンダースはどういう心境かモンシアへ向かって軽く礼をしてみせる。

 

「御守り?」

 

 そのモンシアの御守りを見て、ユウはアーガマに来た時に自分のベッドの近くに置かれていた、誰のものか不明な御守りをズボンのポケットから取り出した。

 

「ヒュー!!」

 

「おや、まあ」

 

 アニッシュとモーラがその二つの御守りを見て、歓声を上げる。

 

「二人とは、見かけによらずにやるねえ、ユウ大佐殿ぉ?」

 

「いや、そんなんじゃないと思うが……」

 

 モンシアのにやつきの笑いに、ユウは僅かに汗が吹き出したその首を慌てて振る。ミユとサンダースもニヤニヤと笑いながらユウの顔を見詰めていた。

 

「開けんなよ、ユウさんよぉ?」

 

「やるわけないでしょうに、女性達がいる前で……」

 

 そのユウの言葉に、モーラとミユがその顔を見合わせて忍び笑いをする。

 

「運が逃げるからよ……」

 

「誰がくれたのかすら、解りませんのに……」

 

「行きずりな女二人か、そりゃまいったぁ!!」

 

 そう言った後、品のない大笑いをして食堂から出ていくモンシア。

 

「この俺、ユウ大佐サマによる上官命令で、お前達に笑うなと言っていいか?」

 

「守れませんよ、そんなの……」

 

 情けない声でそう言うユウへ、アニッシュが頬を掻きながら薄く笑う。ミユは腹を抱えたまま笑いを堪えるのに必死で、顔を伏せたままである。

 

「全く……」

 

「申し訳ありません、大佐」

 

「ありがとう、サンダース中尉」

 

「ハッ……!!」

 

 そう微笑み返すユウの笑顔、その表情にサンダースは自分の記憶に残っている、昔の上官の顔を重ね合わせてしまう。

 

「しかし、今日は良い」

 

 誰にも聴こえないその声を、ユウは薄く目を瞑りながら口の中で転がす。

 

「俺の灰の海が穏やかだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「非殺、でありますか」

 

「そうだよ、サンダース中尉」

 

 艦長ブライト・ノアから少しなら酒の席を設けても良いと許可を得たため、四人のテーブルの前には軽いシャンパンが置かれている。

 

「モーラ技師は運が悪かったですわね、ユウ大佐」

 

「地球から支援物資が打ち上げられたからな」

 

「冷蔵庫のお酒、彼女は飲む機会があるかしら?」

 

「さあなあ……」

 

 モーラは地球から打ち上げられたモビルスーツの整備隊の監督の為、先程に愚痴りながらハンガーデッキへ降りて行った。

 

「非殺、パイロットを殺さないという意味ですか?」

 

「そうだ、アニッシュ」

 

「気に入らない……」

 

 反対側の席でアニッシュ大尉は、ユウのその言葉に軽く眉をしかめながら、自身の癖のある金色の髪をその手で軽く整える。

 

「圧倒的な強者のみが出来る、傲慢なる慈悲、だそうだ」

 

「なるほど……」

 

 夜の時刻となっているアーガマの食堂。照明が制限されて薄暗い灯りが灯る中、ユウの視線には自分の言葉に何かを納得させるように頷くアニッシュの姿が入りこむ。

 

「強者のみの特権、その言葉は一理ありますね」

 

「ほぼ退役が決まったロートル上官である俺の経験の話、為になるか?」

 

「俺の昔の上官にも、そのニムバスという人の理屈を聞かせてやりたい」

 

「ホウ……」

 

 そのアニッシュの言葉に頷きながら、ユウは再度茶を口へ運ぶ。

 

「非殺とやらを掲げた奴が、昔にもいたのか」

 

「理想だけ、ですけどね」

 

「心がけ自体は良いかもしれないな」

 

「冗談じゃありませんよ、全く」

 

 アニッシュのその悪態に、サンダースも何か同意を示すかのように目を細める。

 

「最低に近い上官でした」

 

「俺にはミリ単位のニュータイプ能力とやらがあってな」

 

 さすがに身体の調子を気遣ってか、ユウは酒に手をつけず、茶を飲む。

 

「何となく想像が出来る」

 

「超人でもないのに、自惚れていた人、かしら」

 

 シャンパンに頬を紅く染めたミユがそう言ってイタズラっぽく笑う。

 

「君にもニュータイプ能力とやらが?」

 

「女の勘と、人生経験」

 

 ミユのその艶っぽい声に、ユウはなぜかニムバスの恋人であるネオ・ジオン兵であるローベリアの顔を思い出してしまう。

 

「自惚れる人は、どこにでもいますからねぇ」

 

「自惚れ、かよ」

 

 アルコールに弱いのか、アニッシュの顔はこの程度の度量の酒にも赤く染めらされている。

 

「理想というものは美しいものですが、それを部下に押し付けるのはタチが悪い上官と言わざるをえませんね」

 

「解る? 解るのかい!? サンダース中尉さんはよ!?」

 

「私の一年戦争時の上官も、人道を重んじ過ぎる方でしたからね」

 

 酒が入り饒舌となったアニッシュが、サンダースの肩を叩きながら何度も頷いた。

 

「悪い人ではありませんでしたし、私のあらゆる意味の恩人でもありましたがね」

 

「俺だって、あの人、昔の上官を悪い奴だとはおもってねえよ……」

 

 トッ……

 

 食堂へ誰かが入ってくる足音が聞こえる。

 

「けどな、ニムバスって人の話を聞くと、何か薄っぺらく感じるんだよ、な」

 

「最初はむしろ、味方ですら邪魔とあれば始末を躊躇わない男が、確固たる信念を持って非殺に踏み切る」

 

「そうそう……」

 

 サンダースの言葉に頷きながら、アニッシュはユウの目の前に置かれたシャンパンの横取りをした。

 

「そういった、何でそうしなきゃいけねえんだって事を、俺様のオツムが納得が出来るように説明をして下さればりゃなあ……」

 

 コツ…… コッ……

 

 何か悪酔いを始めたアニッシュに笑みを浮かべながら、ユウは近づいてくるその足音に耳をすませる。

 

「人の命は尊い、その理屈は普通の人であれば誰だって解っているわよねぇ」

 

「その常識の逆の意味が今のシャアのやっている事だ」

 

 ポツリと言ったユウのその言葉に、ミユ達の視線が彼の顔に集まる。ジッと皆に見つめられたユウは僅かにその眉を上げた。

 

「何か変な事を言ったか、俺は?」

 

「説明不足ですよ、ユウ・カジマ大佐」

 

「かも、しれないな」

 

 背中からユウへとかけられる、落ち着いた風の男の声。

 

「初めまして」

 

 黒髪を丁寧に後頭部へ撫でつけた、黒のスーツをその身に包む男がユウへ向けて片手を差し出す。

 

「連邦軍の内部監査官を勤めている、レオンと申します」

 

「ケッ、お巡りかよ……!!」

 

「はい、お巡りさんです」

 

 酔いが回ったアニッシュの言葉にもレオンと名乗った男は嫌な顔ひとつせず、丁寧にユウ達へ頭を下げる。

 

「……」

 

 ユウは無言でその男が差し出した手を見つめている。その不躾なユウの視線へ対してもその男の表情は変わらない。

 

「このアーガマに客人がやって参りました」

 

「何で、それをあたし達に?」

 

「連邦軍のトップの方ですので」

 

「フゥン……」

 

 ミユが何か、レオンの慇懃無礼な態度が気に入らないらしく、鼻を一つ鳴らしてから、中身を飲み干したコップにもう一杯シャンパンを注いだ。

 

「出会った時に、粗相がないようにと」

 

「そうそうに会う機会もないでしょつに……」

 

「向こうが会いたがっているのですよ、ユウ・カジマ大佐」

 

 ミユほどではないが、その男に警戒をしながらもオズオズと彼が差し出した手を握っているユウへレオンがニッコリと微笑む。その細く閉じられた彼の双眼からは感情が上手く読み取れない。

 

「今、かな?」

 

「出来れば、はい」

 

 その言葉に、一つ息を吐いてからユウは静かに椅子から立ち上がる。

 

「じぁあ、少し行ってくるよ」

 

「俺も行きますぜ、大佐殿」

 

 そのアニッシュの赤い顔を見返したユウの頭の中へ「へべれけ」という言葉が何処からか飛び込む。

 

「嫌だといっても、俺はついて行きますよ」

 

「何で、そこまで……」

 

「俺がついて行きたいっていってんですよ、タァイィサ殿」

 

 茹で上がったアニッシュの口からの呂律の回らない声、それと同時に放たれる酒臭い吐息、それらに対してユウは露骨に眉間へ強くシワを寄せながら、テーブルの他の面々へ助けを求めるような視線を向けた。

 

「つれていったらぁ?」

 

「彼が不祥事を起こしても、ユウ大佐の責任ではないでしょう」

 

 ミユとサンダースのどうにも無責任な言葉に、深くその口からため息を吐き捨ててからユウはレオン監査官の方へ向き直る。

 

「いいですかね、彼も連れて?」

 

「かまいませんよ、ユウ大佐」

 

 レオンは微動だにしない微笑みを浮かべながら頷き、ユウ達をエスコートするようにその左手を食堂の外側へ軽く下手に向けた。

 

「賑やかなのは、あの方もお好きですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロンド・ベル、良い名前をエゥーゴの新名称へと拝命をして頂けたものです」

 

「人命と地球の危機、それに即座に脚に付けた鈴を鳴らし、ステップをきりながら駆けつける」

 

「ローマンがおありですな、ゴップ元帥」

 

「そうだろう、ブライト君」

 

 アーガマのメイン・ブリッジに灯った常夜灯に地球連邦軍総司令「ゴップ・カジマ」の太った顔が浮かぶ。

 

「我々が必死の心構えで議論に議論を重ね、付けたのだよ」

 

「ブレックス准将もお気に入りの様子です」

 

「めでたい、めでたい……」

 

 アーガマの艦長ブライト・ノアのやや世辞を込めた言葉に、ゴップ元帥は満足げに頷いてみせる。

 

「ゴップ元帥」

 

 数人の漆黒のスーツに身を包んだSP(シークレット・サービス、護衛の意)に囲まれたゴップの元へ、レオンに先導されたユウ達が近づく。

 

「ユウ・カジマ大佐をお連れ致しました」

 

「御苦労でした、レオン君」

 

 部下を労うゴップの前で、ユウは正式の礼を掲げる。酔っ払ったアニッシュのそれは敬礼だか万歳だかよく解らない。

 

「これはこれは、ユウ君……」

 

 シャリ、シャリ……

 

 弛んだ手をユウの短く髪を刈った頭に乗せ、軽く撫でるゴップ。

 

「良い手触りだ」

 

 そのどこかウサギか何かの小動物の手のひら、それを連想させるゴップの手の感覚はユウにとって必ずしも悪い物ではない。

 

「ちょっと、あんた……」

 

「やめろ、アニッシュ君」

 

 頭を撫でてくれるゴップの手の心地よさに目を細めながら、ユウは慌てながら真っ赤な顔のアニッシュを睨み付ける。

 

 タプタプタプゥ……

 

「オヤジさんであるあんたがどのくらい偉いのか知らんけど、ユウさんに対して失礼なんじゃないかい、え?」

 

「ホッホッホッ……」

 

 ゴップの顎に垂れた肉垂れをアニッシュに叩かれながらも、ゴップはその顔に浮かべた笑みを崩さない。

 

「彼をどう処分致しますか、元帥?」

 

 SPのリーダーの口から静かに放たれた、小声ながらよく響く声。その声の冷たさに、当の本人ではなくユウの顔が微かに強ばる。

 

「許してやりなさい」

 

「ハッ……」

 

 黒ずくめのリーダーの男が発した冷酷な言葉に、ゴップは軽く手を振ってみせながらそう答えた。

 

「寛容な精神で」

 

 その言葉と共に、SP達の中から一人の女性が進み出て、アニッシュのその腕へ強引に自身の腕を絡ませる。

 

「お、おいあんた……」

 

「いいから、私と良いことしましょ……」

 

 その女は艶然と微笑みながら、女の腕力とは思えない力の強さでアニッシュの身体を引きずり、ブリッジから出ていこうとする。

 

「ユ、ユウ大佐ァ……!!」

 

 ようやく己のしでかした事に気がついた、顔色が赤から青に変わったアニッシュ。ユウは彼の姿を見ながら、考えがまとまらないままゴップ元帥の顔を見つめようとした。

 

 ポン……

 

 SP達の内の一人が軽薄そうな、ニヤリとした薄い笑みを口の端へ浮かべながら、ユウの肩を叩く。

 

「お化け屋敷みたいなスリルを味わってもらうだけですよ、彼にはね」

 

「……」

 

 顔にかけているサングラスの為、目の感情までは解らないが、ユウにはどうも彼の言葉が信じられるような気がした。

 

「大佐、彼女の減速ができません、引きずり込まれます……!!」

 

 ビッ……!!

 

 ゴップの方へ顔を向いたまま、ユウは自分の背中へ回した左手、その親指だけを立ててアニッシュを見送る。

 

「思っていたよりも」

 

「はい、元帥」

 

 SPの女にドアから連れ出される、アニッシュの放った最後の悲鳴を聞き流しながら、ユウは姿勢を正してゴップの顔を実と見つめた。

 

「君がお元気な様子で、なりより」

 

「ゴップ元帥の事は、ジャミトフ閣下から色々と御伺いに……」

 

「フム……」

 

「ゴップ元帥……?」

 

 微かに眉をよせたゴップの顔に、ユウは怪訝そうな声を出す。

 

「ユウ君は知らないのかな?」

 

「何、をでございますか?」

 

「行方不明なのですよ、ジャミトフ君は」

 

「なんと……」

 

 初耳であるそのゴップの言葉に、ユウの面に翳りが差した。

 

「今、ティターンズ、連邦問わず、その手の専門家が捜索中です」

 

「そう、でしたか」

 

「まあ、間もなく見つかるとは思いますよ」

 

「ハッ……」

 

「安心なさい」

 

 眉間へ皺を寄せて考え込むユウをいたわるように、ゴップ元帥は彼の肩へ手をやる。

 

「君の体調、それにいささか不都合があることは承知しております」

 

「我ながら情けない限りです」

 

「くれぐれも、ご自愛をなさいよ、ユウ大佐」

 

「ありがとうございます、ゴップ元帥」

 

「ウム……」

 

 うやうやしく礼をし、その面を上げたユウへ黒服達へ混じったレオンがアイ・コンタクトを向ける。何となくにユウは彼の視線が意味することが解った。

 

「では、自分はこれで」

 

「パイロットをやるのが苦痛になっても、出来る限りに他に仕事を用意しておきます、安心を」

 

「度重なる御心遣い、本当に感謝致します、元帥」

 

「ナンノ、ナンノ……」

 

 もう一度、ユウはゴップへ敬礼をし、アーガマのメイン・ブリッジを立ち去っていく。

 

「マスター君」

 

「ハッ……」

 

 ブリッジのドアから出ていったユウを見送ってから、ゴップはSP達のリーダーへその顔を向ける。

 

「ユウ・カジマ君とお話をする機会が出来ましたね」

 

「私は任務中ですので」

 

「時差ボケを直す為の休日、前倒しにして与えます」

 

「よろしいので?」

 

「ここアーガマなら、私には何も危険な事は訪れないでしょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユウ大佐」

 

「はい」

 

「カラ元気、良い心掛けです」

 

 深夜の常夜灯が灯ったアーガマの食堂、そこで眠たそうな顔をしているユウの顔を覗き込みながら、ブライトが目を細めて微笑む。

 

「出陣を前にした人間へ暗い顔を見せると、まるで葬礼になる気がしましてな」

 

「なるほど、ね」

 

 黒いコートを纏った男が自身のサングラスを外しながら放つ、ユウへの深く響く声。

 

「眠たそうだな、ユウ大佐」

 

「眠いのは確かですが」

 

 少しあくびをしてから、ユウはぼんやりとした目でテーブルのお冷やへ手を伸ばす。

 

「最近、なかなか眠れないみたいですからね。彼は」

 

「貴方はどうなのです、ブライト艦長?」

 

「先程に、仮眠を取りましたので」

 

「なるほど」

 

 サングラスを外したSPの男、彼のその顔から想像される歳はユウよりもやや上、ニムバスと同い年位であろうか。

 

「わたくしも、早く時差ボケを治さなくては、ね」

 

「ジャブローの時刻とは、完全に逆になってしまっておりますからな」

 

「難儀だなあ……」

 

 不満そうにそう口を尖らせるゴップ元帥のSP達のリーダー。

 

(最初に思ったよりも、人間的な人だな)

 

 彼のその仕草を見たユウは、どこか彼と自分が似ているような感覚を覚えつつつ、その唇をコップの水で濡らす。

 

「急だったので、地上で身体のタイムを慣らす暇がなかったのが痛い」

 

「アーガマを含むこの一帯の艦の標準時間、どうにか慣れて下さい。マスター護衛長」

 

「苦労をさせてくれますよ、艦長」

 

「新鋭のクラップ級には、最新の身体時差調整コントロール・ルームがあるらしいですが」

 

「ここでは、薬物も併用する必要があるな……」

 

 ぶつぶつと呟いてから、カップのコーヒーを一口含んだマスターの顔がユウの方へふと向いた。右手の指で一つ頭を掻いてから、ユウは不眠から来る疲れをなるべく隠して彼へ話しかける。

 

「俺に興味があったとか、マスター護衛長?」

 

「変な意味じゃないぞ、ユウ大佐」

 

「解ってますよ……」

 

 ニヤリと嫌な笑みを見せるマスターへ、不服そうな表情をユウは浮かべた。

 

「君とは、同郷の出身らしいな」

 

「アイランド・イフィッシュ生まれ?」

 

「ゆえに、連邦ではいささか肩身が狭い」

 

 真夜中の食堂では、テレビも放送を制限される。時計の針の音だけが薄暗がりに居る男達の耳へ届く。

 

「一応は、宇宙生まれのエイリアンだからね」

 

「故郷は地球の胎内、海の底ですよ、マスター隊長?」

 

「だから、さ」

 

 ブライト艦長は黙って二人の男、どこか似ている雰囲気があるユウとマスターの話に聞き入っている。

 

「そのコロニーが落ちたオーストラリアには格別な思いがある」

 

「故郷の眠る、お墓であるから?」

 

「それもあるが、ね」

 

 カチ…… カチ……

 

「一年戦争時、そこが私達の部隊の主戦場だったのさ」

 

「ホウ……」

 

 時計の針の音が響く中、ユウは目を擦りながら、マスター護衛長の言葉に相槌を打った。

 

「墓荒らしのジオンへ向ける、銃を握る手に力が入ったよ」

 

「故郷、か」

 

 その自分の呟きと同時に、以前に夢か何かで見た不可解な少年、または少女の姿がユウの視界に浮かぶ。

 

――あなたは、YOUよ――

 

 浮かんだ少女の幻影と共に、ユウの脳裏にその言葉が疾る。慌てて首を軽く振るユウ。

 

(疲れかな……?)

 

 ユウは口の中だけでそう呟く。暗闇のせいか、ユウの不審な挙動には二人とも気がついていないようだ。

 

「いろいろと互いの境遇や環境が似ている為、君の活躍には関心があったよ」

 

「古い話ですよ」

 

 今の幻覚、幻聴まがいの物事はおくびにも出さず、ユウは笑みを浮かべてマスターへ答えを返す。

 

「そうかな?」

 

「はい、マスターさん」

 

 そうマスター護衛長へ細い声で答えるユウ。彼に最近付きまとっている暗い翳りは、真夜中の食堂の中でもブライトには見てとれた。

 

「もう引退の時期ですよ、俺は」

 

「私も一年戦争直後に、モビルスーツのパイロットから引退をしているんだ」

 

「そうなのですか?」

 

「当時の最後の戦いの時に、両膝に弾を受けてしまってな」

 

 そう言うマスターの声色には、微かに哀しげな響きがある。

 

「日常生活には支障がないが、モビルスーツのフットペダルが上手く踏みこめなくなってしまったんだ」

 

「そうですか、マスターさん……」

 

「レオン、彼のツテで新しい仕事につかせてもらったさ」

 

「良いじゃないですか」

 

「今では後悔している」

 

「そんな……」

 

「君の姿を見て、そのキチンと封を閉じたはずの感情が蘇ってきたんだよ」

 

 そうつまらなそうに、いきなりに吐き捨てたマスターの強い語調に、ユウとブライトが僅かに鼻白む。

 

「私のモビルスーツ乗りとしての生命は、不完全燃焼のままに幕を閉じた」

 

「自分で選んだ事でしょう?」

 

「その選択、今の君の不甲斐ない顔を見ていたら、やはり間違いであったのかなと、切に思う」

 

「何が言いたいのです?」

 

 そのマスターのあからさまに刺のある言葉に、ユウのその面が強ばり始める。今の自分の状態が責められているような気がしたのだ。

 

「同郷の者としての忠告だ、ユウ大佐」

 

「マスターさん……!!」

 

 その会話の雲行きの怪しさに慌てたブライトが、ゴップ元帥のSPリーダーへ宥めるようにその両手を振った。

 

「私の二の舞になるなよ」

 

「俺に喧嘩を売っているので?」

 

「売っているのは焔だよ、ユウ大佐」

 

「何ィ?」

 

 顔を歪ませるユウへ叩きつけるようにそう言いながら、マスターは席を立つ。

 

「今、ユウ大佐に燻っている灰の山を燃やし尽くす焔だ」

 

「あなたには関係がない、ないだろう!?」

 

「どのような事情があろうとも、一時の失速に抵抗する気力を持てない君を見ている私はね、立腹を防げない!!」

 

「病人、失意、一月あたりのブランク、それでも意地を見せる喧嘩くらいは出来る!!」

 

「SPの十八番である喧嘩、そいつでパンチの一発でも私に当てられれば、股潜りでもしてやるさ!!」

 

 ドゥ!!

 

「お止めなさい!!」

 

 強くテーブルへ両手を打ちつけるブライト。まさしく喧嘩腰となっていた二人の視線がその手に向けられ、彼らの口が閉じられる。

 

「真夜中です」

 

 怒鳴り声を上げていたユウ、そしてマスターを睨みながら、ブライトが静かに二人に向かって威圧を含む声を放つ。

 

「真夜中です、お二人とも」

 

 そのブライトの抑えた怒り、繰り返し舌に乗せた怒りの声に、ユウとマスターは無言でその背を向け合わせた。

 

「失礼する、ユウ大佐にブライト艦長」

 

 カッ…… カツ……

 

 そのまま二人に背を向けたまま、ブーツの足音を高く鳴らして立ち去るマスターの後ろ姿をユウはじっと睨み付けている。

 

「不眠症、その影響が出てますな」

 

「すみません、ブライト艦長……」

 

 深く息を吐いてから、ユウはブライトへ頭を下げた。

 

「今のあなたに必要なのは、休息です」

 

「はい」

 

「私は子供、子供達の相手には慣れている、つもりであります」

 

「申し訳ありません、ブライトさん……」

 

「医務室、今なら当直の者がいるはずですよ」

 

「相談に行ってきます」

 

「それが良い」

 

 いつもの穏やかな微笑みを浮かべているブライトに強い罪悪感を覚えながらら、ユウは力ない足取りで食堂から立ち去っていく。

 

「あのSPの方、彼の痛い所を突きすぎるよ、全く……」

 

 なかなかに気苦労が絶えないブライトは、そう愚痴を言いながらポケットから胃薬を取り出しつつ、暗い足元に注意をしながらキッチンの水道へ向かっていった。


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