「メモ?」
ラフな服装をしているユウは、アーガマの食堂、そのキッチンの脇に貼り付けられているメモ用紙をじっと眺めた。
「どこかで、この字を見たような……?」
「天才の、字ですよ」
背中にかかる声に、ユウが静かに振り返る。
「おはようございます、ブライト艦長」
「おはよう、ユウ」
お互いに軽く頭を下げて挨拶をする二人の男。
「天才の字?」
ユウの目が再びメモへ。
「パプテマス・シロッコ」
「ああ……!!」
その言葉に、ユウの顔が明るく綻ぶ。
「そういえば、一時期アーガマの捕虜になっていたとの噂が……」
「下働きをしてもらいました」
「ハァーハッ……!!」
シロッコのエプロン姿を想像したユウは、その可笑しさに腹を抱えて笑う。笑う彼の胃の辺りが微かに痛む。
「シロッコ、あいつか」
「お知り合い、らしいですな」
「気の良い男です」
ブライト艦長が微笑みながら、キッチンの冷蔵庫へ手を伸ばした。
「朝食、食べますか」
「はい」
「引退をしたら、カフェでも開こうかと思いましてね」
「旨い」
ブライトの作った朝食を本当に旨そうに食べるユウの顔を、アーガマの艦長である彼は嬉しそうに見つめる。
「フィリップの奴のパンより旨い」
「家内と一緒にね」
「うらやましい」
二枚目のパンへ取りかかりながら、ユウは軽く息を吐いた。
「俺など、汲々と日々を過ごしている内に、気が付くと嫁さんも貰っていません」
「プレイボーイが、何をおっしゃる……」
「プレイボーイ?」
その言葉に微かに首を傾げるユウ。この一月で頭髪に白いものが増し、痩せ細った彼の姿にブライトが目を細くに狭める。
「うちのブルー、ジャミトフの娘ともっぱらの噂の彼女、とですよ」
「昔の仲間、それだけの関係です」
「ですかねぇ……」
そのユウの言葉にニヤリと笑いながら、ブライトは手早く朝食を終え、愛読書の豆本を取り出した。
「この前のプロレスのビデオ、見ましたよ」
「プロレス?」
「モビルスーツ同士のプロレス」
「ニムバスとの戦いですか……」
食後のコーヒーを口へ含みながら、ユウは苦く口の端を歪める。
「賛否両論でしたね」
「俺の戦いが下手、だったからでしょう?」
「あなたの評判、ガタ落ちでしたよ、ヒールレスラー」
「悪うございました、ハイハイ……」
投げやりによう言い放ちながら、ユウは自分とブライトのランチプレートをキッチンへ下げに行く。
「その彼女、ブルーとカミーユの奴は拍手喝采を送っていましたが」
「あのZガンダムの小僧か……」
砂を使って食器を洗い終えた後、最後だけ水を流して仕上げをする。
「真の男の戦いだと」
「フン……」
直接に顔を会わせた記憶が無い、エゥーゴのアムロ・レイの再来と呼ばれた少年。彼の名をユウは軽く呟く。
「終わった話です」
「……」
「終わったのです、俺の戦いは……」
「家内達はね」
「はい」
テレビの再放送を眺めている二人の手元には茶が置かれている。
「地球に居ましてね」
「フム……」
筋肉が落ちた自分の腕を撫でながら、ユウはブライトの言葉にぼんやりと相槌を打つ。
「ブライト艦長」
「はい」
ブライトがユウの呼び掛けに、静かに茶をテーブルへ置いた。
「落ち着いてますね」
「駄目ですか?」
「地球が無くなるかもしれませんよ?」
「家族に冷たいと?」
「い、いやそうではなく……」
慌てた声を出したユウが軽く咳き込む。隣に寄ってブライトは背中を擦ってやる。
「私が落ち着いて見えると言うのであれば」
「はい」
「とても上手くに、艦長のあるべき、見せるべき姿を私は果たしていると言うことです」
「なるほど」
残った茶を飲み干しながら、ユウがその言葉に何度も自分を納得させるようにその首を振った。
「そうですか……」
「そう、見える振りをしているんです」
「……」
しばしの無言が、二人の間に訪れる。テレビからは賑やかなバラエティ番組が流されている。
「金持ちだけですよ」
そのブライトがポツリと漏らした言葉に、湯飲みを片付けに行こうとしたユウが再び椅子へと座った。
「地球からスンナリ出ていく事が出来るのは」
「まあ、確かに」
「シャアはそれで金持ちを釣って、金を出させていたらしいんですよ」
「金? 何の為の?」
「ネオ・ジオンの活動資金」
そのブライトの吐き捨てるような言葉に、ユウの顎が軽く引く。
「ジオンの敗残の者達だけで、何年も前からここまで続く戦争をやってみせる事は出来ません」
「地球からも、出資者がいたわけですか」
「連邦で主導権を握れなかった金持ち連中にとって、戦後のネオ・ジオンで良い立場に成れるということは」
「魅力的な賭け、かもしれませんね」
「彼らを見ていると、二股膏薬のアナハイムが真っ当に見えるのが不思議なものです」
「確かに」
そう答えながら、大人だけが出来る皮肉気な笑みをユウはその顔へ浮かべて見せた。
「彼ら金持ちは、宇宙でも上手くやっていける自信があるのかもしれません」
「金こそ、力の象徴ですな」
「そうとも、限りませんよ」
「ですかねぇ……」
白い物が眉へも混じってきたユウがブライトの言葉に首を傾げてみせる。
「シャア、そしてスペースノイドが彼ら地球の者を御大切に扱う理由はありませんから」
「使うだけ使って、ボッ?」
「だと思います」
ちびちびと茶を飲んでいたブライトが静かにその湯飲みを自分の両手で包む。
「文字通り、物理的に宇宙空間へ」
「そこまで、いわゆる性の根が悪い人間へ対してだと言っても、酷い仕打ちが出来ますかね?」
「スペースコロニーとかアクシズ、自分達の住んでいた家を、ポイと地球へ投げ捨てるのがスペースノイド流です」
「宇宙人の暗黒面、ですね」
「言いますな、ユウ大佐……」
「どうも……」
歳が近いせいか、自分達の波長が妙に合うのを、ユウもブライトも感じている。
「彼らがアースノイド、地球人を悪く思う気持ちは多少は解りますが」
「五十歩、百歩?」
「そうですね、私から見たスペースノイドは」
「エゥーゴは宇宙人、スペースノイド寄りの組織だったのでしょう?」
「ええ、ですから」
ブライトも残りの茶を一気に飲み干した。
「多少は気持ちが解ると」
「アースノイド寄り、ですね。ブライト艦長は」
「私がですか?」
「ええ、思っていたよりも遥かに」
「当然じゃあないですか……」
そう、おどけたように言いながらブライトがテレビの方向へチラリと視線を向ける。
「地球に家族が住んでいるんですよ」
「そうでしたね」
「大丈夫ですよ、彼女達は」
「信じておられるので?」
「私よりも、遥かにしっかりとした人間ですから、ね」
カチ…… カチ……
時を古時計の針が刻む。
「家内、ミライと言いますが」
「ミライ・ノア?」
「ええ、旧姓ヤシマ」
ブライトの視線が痩せさばらえたユウの顔をしかと見つめる。その目の中に一瞬に宿る鋭い光、その眼光へユウが軽く目を細めた。
「カジマ家と並ぶ名門です」
「カジマ、家?」
「ええ、ユウ・カジマ大佐」
「……」
その言葉に、ユウの顔が苦渋、困惑の色に染まった。その彼の様子を見て、ブライトの両目が僅かに拡がる。
「ご存じでは無い……?」
「お恥ずかしい話」
ユウは、一目だけ見た限りではもはや青よりも白と言った方が正しい頭髪にその手を差し込みながら、申し訳なさそうに軽く掻いた。
「ちょっとした、記憶喪失なのです、俺は」
「ホウ……」
歴戦の艦長、ブライト・ノアのその細い目がさらに狭まる。
「ミステリーですね」
「俺の時折のヒステリーは、その影響もあるかもしれません」
「根が無い人間ですか……」
「そちらこそ」
ブライトのその不躾とも言える質問、しかしユウはなぜか悪い気はしていない。
「よくも言ってくれますな……」
「すみません」
「怒ってはいませんよ、ブライト艦長」
ガッ…… ガガッ……!!
「ん?」
二人が見つめるテレビの画像が一瞬、かき消える。
「失礼、ユウさん」
そう断りながら、ブライトがポケットの携帯情報端末を取り出して、その画面に視線を這わす。
「何が?」
「連邦が戦略核を放ちました、です」
端末から目を離さず、ブライトはユウへ答える。
「ピナクル、ゼダンか、はたまたアクシズへ向けてか……」
「危険な状態だったのでしょうか?」
「おそらくは、ね」
テーブルへ携帯端末をトントンと音を立てて軽く叩きながら、ブライトは一つため息をついた。
「大規模な核は、さすがにそうそう使えません」
「切り札、ですか」
「もう少ししたら、詳しい経過が伝わってくるとは思いますが」
ブライトの声を耳へ入れながら、ユウのテレビに舞う砂嵐へ視線を向ける。その瞳はあまり定まってはいない。
「ミノスフキー粒子に強い、中継衛星から送られる短距離電波のテレビ放送でも、さすがに影響が出るようですね」
「今の情勢なら」
ユウは「しばらくお待ちください」のテロップが流れるテレビの画面を見ながら、その口の端に軽く笑みを浮かべた。
「贅沢な娯楽ですよ……」
そのユウの侘しい微笑むに、ブライトの瞳が微かに揺らぐ。
「少し、この事についてクルーへ説明をしてきます」
「天国なのに、お忙しい事です」
「地獄があってこそ、の……」
そう言いかけながら、ブライトが空になった湯飲みをユウへ手渡す。
「これの片付け、お願いしていいですか?」
「もちろん」
ユウはブライトへニコリと微笑かける。
「地獄があってこその、ね」
「はい、ブライト艦長」
「天国のアーガマです」
そう言ってから、そのアーガマの艦長であるブライトはやや駆け足で食堂を立ち去っていく。
「あいた!!」
「ブライト艦長さん……」
慌てていたのか椅子の足に引っかかり、つまずくブライト。その様子を見てユウは苦く笑った。
「お恥ずかしい……」
「食堂の掃除くらいは、俺がやっておきますよ」
「ありがとうございます、大佐」
「大佐、でありますか……」
「記録では、あなたはそうなっていますよ?」
そのブライトの言葉にユウは曖昧な表情をその顔に浮かべた。
「では、ユウさんは、御ゆっくりと」
「はい」
バタバタと駆けていくブライトの後ろ姿を眺めながら、ユウは一人となった食堂の空間の中で、微かなため息をつく。
「地獄にいる、ストゥラートの面々か……」
カチ…… カチ……
ユウの独り言を笑うかのように、時計の針は音を鳴らして、時を刻む。
「覚えてろ、ジオニック社……」
底知れぬ恨みのこもった声に、ユウはギョッとして振り返った。
「なぁんだ、アニメか……」
局地的に人気があるアニメ「ジオテクニック」の再放送が復旧したテレビから流れてくる。
「地べたを這い、ドロ水すすってでも ゴースト・ファイターから戻ってきてやる……」
「……」
そのヅダ子というアニメのキャラクター、その台詞にユウは自分の心を満たしている灰が微かに動くのを感じた。
「ゴースト・ファイター、生きた亡霊、か」
ユウの灰色の心に宿る、微かな、小さな火種。
「お掃除、お掃除に掃除、と……」
しかし、その火はユウが自ら舞わした灰によりかき消されてしまう。ユウは軽く腕を伸ばしながら、食堂の片隅の用具入れへ歩いて行った。