夕暁のユウ   作:早起き三文

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第51話 天国はここにある

 

 ザアァ……!!

 

 コロニーの円筒中央に設置された、降雨用の散水器が狂ったように水飛沫を放つ。

 

 少年から青年の間、その位の歳であろうと思われる男が必死でその散水器の近くにある足場に掴まっている。

 

――嫌だ――

 

 地面が霞んで見える眼下の彼方、そこには禍々しい色をした霧が立ち込めている。地獄の悪魔が吐き散らす死の吐息、それに捉えられたらそのまま瞬時に奈落へと引きずり込まれる。彼にもそれが直感により理解が出来た。

 

 ズゥ……

 

 正気を失ったコロニーの天候管理システム、散水器から伸びる連絡路、その鉄製の通路を満たしている水の暴流に彼の手がズルリと滑る。

 

――嫌だ!!――

 

 この高さなら、霧が身体を侵す前に地面へと叩きつけられて命を失うのが先であろう。

 

 サァ……

 

「大丈夫か?」

 

 若い、神経質そうな男の声。それとともに差し伸べられる細い手。

 

 

 

 彼は必死にその男の腕を掴んだ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……?」

 

 目が醒めたユウはゆっくりと辺りを見回した。

 

「何だ……?」

 

 見覚えの無い、雑風景な部屋。目に入る物と言えば、鉄パイプで作られた簡易な運搬台だけ。

 

「ストゥラート、ではない……?」

 

 モヤがかかったままの頭で、ヨロヨロとユウは部屋から這い出る。

 

「うわ……!!」

 

「邪魔だ、どけ!!」

 

 数人の男女が、通路へ出てふらついているユウを弾き飛ばす。

 

「ん……?」

 

 その集団の内、ユウを弾き跳ばした男が振り返った。

 

「ユウ、さんかい?」

 

「ジェリド……?」

 

 ユウの視点は未だに定まらない。

 

「ジェリド、何をしている!?」

 

「先に行け、カミーユ!!」

 

「分かった!!」

 

 ジェリドは先に進んだ若者へそう叫びながら、ユウへ手を差し伸べる。

 

「立てるか?」

 

「ああ……」

 

 声にも、足にも、そしてその顔にも力が無いユウ。

 

「病人、だな……」

 

 白い上っ張り姿のユウを丁寧に立たせてから、ジェリドは軽く頭を下げた。

 

「すまない、ユウさん」

 

「あ、ああ……」

 

「また、会おうぜ」

 

「おい……」

 

 か細い声でそう息を吐くユウを振り返らず、ジェリドは通路を疾走していく。

 

「何だよ……?」

 

 そう呟いたユウの耳へ、再び数人の人間の足音が入る。また弾き飛ばされないように、ユウは通路の片隅の壁へ張りつくようにその身を預ける。

 

「ピナクル、最前線第一防衛ラインを突破!!」

 

「FAZZ(ファッツ)、あいつの増援は来たのかしら!?」

 

「隣の艦に満載だ!!」

 

 互いに怒鳴りながら、連邦とティターンズ、そしてエゥーゴ、それらに加えて見慣れない軍服の男女が駈けていく。

 

「状況が不明の時の、把握方法……」

 

 昔、軍の学校で習った授業をユウはぼやつく頭で思い出そうとする。

 

「つまりは、何故に俺がストゥラートにいなくて、ジェリドの馬鹿に弾き跳ばされた事、ピナクルやら何やらを誰かに訊ねれば良いのか……」

 

 ブツブツと呟いているユウの脳裏へ強い痛みが襲いかかる。その激しい頭痛と共にユウの視界へ暗闇が覆い被さってきた。

 

「うっ……」

 

「誰だ!! ユウ・カジマの隔離室のカギをかけ忘れたのは!!」

 

 どこかで聴いたような声をその耳へ入れながらも、ユウは見知らぬ場所の通路で膝を付き、そして倒れ伏す。

 

「ユウ……?」

 

 通路を走っていた女性パイロットの内の一人がユウの元へと戻り、彼の顔へ軽くその手を添える。

 

「ブルー、か……?」

 

 目の前の色彩が薄くなり閉ざされていく視界の中、ユウは見覚えのあるその細い手を見つめつつ、その意識を霧散させていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フゥ……」

 

 前よりは、目覚めが良い。

 

「同じ部屋、だな」

 

 ユウは少し自分の頭を叩き、どうにか意識をハッキリとさせようとする。

 

「どこだろう……?」

 

 片隅に観葉植物が置いてあるだけの、飾り気の無い部屋の中をユウはぐるりと見渡した。

 

「ムラサメ・コーヒーか」

 

 病院等でよく見かける、パイプで出来た運搬台の上に置かれている缶コーヒーを眺めながら、ユウはニヤリと笑う。

 

「ん?」

 

 そのムラサメ・コーヒーの脇に二つの御守りが置いてある。

 

「なん、だろう?」

 

 軽く頭を押さえながら、ユウはその二つの御守りを白い上っ張り、恐らくは病院着だと思われる服のポケットの中へ無造作に放りこむ。

 

「しかし、な」

 

 どうにか、ユウのその両の瞳へ力が宿り始めた。

 

「どこだ、ここは……?」

 

 缶コーヒーも胸ポケットへ強引に入れ、ユウはベッドから身体を降ろす。

 

「ちっ……」

 

 脚に力が入らない、ユウは壁を伝いながら部屋を出ようとする。

 

「軍艦、だな……」

 

 ヨロヨロと、ユウは軍用艦の内部と思しき通路を這い歩く。

 

「んっ…… しょっ……!!」

 

 どうにか気合いを入れながら、ひたすらユウは壁に手をやりながら通路を歩く。

 

「人の声……?」

 

 どうやら、前方に広い空間があるようだ。

 

「食堂、か……?」

 

 その空間の中から、賑やかなテレビの物と思しき音声が聴こえる。荒い息でユウはその広間に滑り込む。

 

「ハァ……!!」

 

 その場所、広間に入った途端、近くにあった椅子へ崩れ落ちるように身体を預けるユウ。

 

「食堂、だな」

 

 長テーブルの上には調味料の類いが置いてある。誰もいない食堂には、アニメを流しているテレビの音だけが響く。

 

「ん……?」

 

 息を整えながら眺めていた、再放送のアニメ「ガンダム・ヒーローズ」の画像が強く乱れた。

 

「最近、多いんですよ」

 

 背後から、落ち着いた感じの男の声がユウへかけられる。病院着に包まれた彼のその身体が僅かに強ばる。

 

「初めましてです、ユウ・カジマ大佐」

 

 ゆっくりと振り返って見た、自分と同じ位の歳の男、微かに薄く髭を生やしたその顔には見覚えが無い。

 

「どなた、ですか?」

 

「ブライト・ノアです」

 

「ああ……」

 

 名前だけは知っている、一年戦争時からの名キャプテン、英雄アムロ・レイの上官。

 

「初めまして、ユウ・カジマです」

 

「あなたの方が上官でしょう、ご丁寧に……」

 

「そうではありますがね……」

 

 そのやつれた顔に薄く笑みを浮かべているユウを、ブライトは穏やかな目で見つめる。

 

「では、ここは……?」

 

「アーガマですよ、ユウ大佐」

 

「ユウで構いませんよ、ブライト艦長」

 

「ありがとう、助かります」

 

 そう言いながら、ブライト艦長はユウの隣の席へ座った。

 

「コーヒー、私も飲んで良いですか?」

 

「あなたの艦でしょうに」

 

「私の私物ではないですよ、母なる艦は」

 

 穏やかな顔で淡々と話すブライトに、ユウは何か心が落ち着く物を感じた。部屋から持ち出したムラサメ・コーヒーの蓋を開くユウ。

 

「私に質問、おありでしょう?」

 

「ありすぎましてな、ブライト艦長……」

 

 自分の缶コーヒーを旨そうに飲んでいながら訊ねるブライトへ、ユウは苦く笑う。

 

「ドクターストップですよ」

 

「俺、いや私の事ですよね?」

 

「病気です」

 

 その言葉にユウの両目、ガサガサに周囲が荒れたその瞼が閉じられる。

 

「フィリップの奴が言いかけた事はそれか……」

 

「今日、明日には死にはしませんが」

 

「難病で?」

 

「タチの悪すぎる、異ガンの変形みたいなものらしいですな」

 

「あの心の友が、死神だったのか……」

 

 そう呟きながら、ユウはムラサメ・コーヒーの缶へ皮肉げな笑みを浮かべた。

 

「発見が、極端に遅れてしまったらしいですな」

 

「隠し武器に頼った本人が、その隠し武器にしてやられたような物だな」

 

 そう口ごもったユウの脳裏に、先日のニムバスとの死闘の記憶が甦る。

 

 コチ…… コチ……

 

 食堂の壁に備え付けられた、骨董品の大きな古時計が静かに時を刻む。

 

「静かですねぇ……」

 

「地獄の反対側ですから」

 

「地獄?」

 

「ここから見た、地球の裏側ですよ」

 

「地獄があると?」

 

「大戦争です」

 

「フム……」

 

 コチ…… コチ……

 

「チキュウバクハツ作戦、らしいです」

 

「センスがありませんな」

 

「もっと哲学的な名前が、あるにはあるらしいですが」

 

 苦笑しながら、ブライトは缶コーヒーを飲み干した。

 

「本質は変わりません」

 

「シャアの奴、ですかな?」

 

「他に誰がいると?」

 

 その目に笑みの色を浮かべながら、ブライトは懐から小さな豆本を取り出す。

 

「アクシズを始め、とにかくあらゆる物を地球へ叩き落とす作戦らしいですね」

 

「フーン……」

 

「ゼダンとか、ピナクルとか」

 

「ピナクル?」

 

「ゼダン・ゲート、旧ア・バオア・クーの下部の大きなトゲですよ」

 

「上の円盤みたいな部分がゼダン?」

 

「そう呼んでいます」

 

「なるほど……」

 

 ブライトが読む、何やらコーヒーの作り方の事が書いてあるらしいその豆本の表紙を見ながら、ユウは残った缶コーヒーを飲み干す。

 

「あれ?」

 

「どうしました、ユウ」

 

「アクシズって、あのネオ・ジオンのアクシズですよね?」

 

「そうですよ、あのアクシズ」

 

「あんな重たい物を含めて沢山に、もろとも隕石みたいに地球に落ちたら、駄目じゃないですかね?」

 

「駄目ですね」

 

 そう言いながらも、ブライトの目は本から離れない。

 

「地球が無くなります」

 

「ヘェ……」

 

 生返事をするユウの視線の先のテレビの画像、それが再び乱れた。

 

「多いんです」

 

「何の影響ですか?」

 

「連邦か、ネオ・ジオンのどちらかが放った核ですね」

 

「核、かぁ……」

 

「ソラの模様が、荒れてましてな」

 

 天候不順の事でも言うように、軽くそう口を開きながらブライトが微笑んだ。

 

「まあ、ゆっくりしていて下さい」

 

 パタンと本を畳んでから、ブライトが静かに席から立ち上がる。

 

「このアーガマは、補給ポイント兼見張りの為の艦ですから」

 

「だから、地獄の反対の天国にですか」

 

「ええ、天国ですよ、ここは」

 

「そうみたいですね」

 

 軽く笑うユウの顔の先のテレビ、再放送のアニメの画像が復活した。

 

「最後に」

 

「はい」

 

「俺がここへ運ばれてから、どのくらい経ちましたか?」

 

「病院船に空きがなく、代わりにこの艦へ来てから」

 

 少し眉間に皺をよせながら考えるブライト。

 

「約、一月です」

 

「一月、ですか……」

 

 その言葉にユウは軽く唸った。

 

「病気の影響で、俺は寝っぱなしだったので?」

 

「だとは、思います」

 

「ホウ……」

 

「今までの疲れもあったのかもしれません」

 

 ブライトが椅子を丁寧にテーブルの下へ押しながら、背筋を大きく伸ばした。

 

「パイロットを止めて、御自愛をすることですね」

 

「はい」

 

「どちらにせよ、今のアーガマには予備モビルスーツの一つもありませんので」

 

「そうですか……」

 

「御、ゆっくりに……」

 

 そう言って、食堂から立ち去ろうとするブライト。

 

「最後の最後に質問」

 

 その声に振り返ったブライトの顔を見上げながら、ユウは少し自分の息をゆっくりと整える。

 

「ありましたね、さすがです」

 

「俺の艦、ストゥラートは?」

 

「地獄に居ます」

 

「ありがとうございます」

 

 そう言ってから、ユウは深々とブライトへその頭を下げた。

 

「ユウさん……」

 

 ユウの下げられた頭を見つめるブライトの目には底知れない哀しみがある。

 

「雑務がありますので……」

 

「はい」

 

 ブライトの足音が消えると同時に、再び食堂には空虚だけが訪れた。

 

 コチ…… コチ……

 

「天国、かあ……」

 

 再放送のアニメである「ガンダム・ヒーローズ」はかつての部下であるサマナとカツが好きな番組。

 

「フフ……」

 

 そのアニメを笑いながら見ているユウ、彼はその瞳から一筋の涙を流していることを自分でも気がつかなかった。


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