「えぐ……えぐ……」
リィン・シュバルツァーは膝を抱えて嗚咽を漏らした。
その姿は想念に影響したせいか、彼が《影の国》に現れた幼児の姿になっていた。
「大丈夫ですよリィン君。もうお話は終わりましたから」
そんなリィンを慰めるようにクローゼが撫でる。
そんな光景を一同は何とも言えない同情的な目で見ていた。
「リィン君がこんな風になるなんて……ブルブランと初めて会った時以来ね」
「い、以前にもこんな惨いことがあったの?」
エステルの漏らした呟きにヨシュアは戦慄し、同情の目が憐憫に変わる。
事の発端は考えるまでもなく、《魔界皇帝》を名乗る存在だった。
『待たせたね諸君……
ようやく君たちを出迎える準備が整い連絡をさせてもらったよ』
正直に言ってしまえば、リィンは彼の言葉をまともに聞いていることはできなかった。
まるで胸に刻まれた大きな《聖痕》を見せつけるかのように上半身は裸で襟の高いマントを羽織、挙句の果てには頭に王冠を被っていた。
そんな痛々しいどころか、変態としか見えない自分の姿を見た瞬間、リィンは膝から崩れ落ちた。
《影の皇子》が遥かにマシな《魔界皇帝》の姿にリィンはいつかのように、そして思念体だったことが重なって幼児退行に陥ってしまった。
「俺達はワイスマンという人物を詳しくは知らないが、オリビエと同類のような人物だったのか?」
「それは酷い言い草だな親友。確かに《魔界皇帝》の衣装は中々の趣味だと言えるが、ボクならそうだね……
白い褌一丁に、ギラギラ光るスパンコートで着飾っているところだよ。リィン君、現実に戻ったら――」
「オリビエさん」
「はい、何でもありません」
クローゼに笑顔を向けられてオリビエは身を震わせて口を噤む。
「でもブルブランといい、黒騎士といい、結社って……」
「一応言っておくが、黒騎士や影の皇子の想念はお前達が俺達二人を死んでいるものとして、それから目を背けるために纏わせたものだ」
エステルの呟きに疑いの目を向けられる前にレーヴェは理論武装する。
「そして偽る方向性の決め手はおそらく《影の国》の根幹になるケビン・グラハムによるものだろう」
「ええ、オレかいなっ!?」
突然、振られた話題にケビンは狼狽える。
「いや、確かに黒騎士とか影の皇子とかは少しカッコいいとは思ったけど、《魔界皇帝》は流石にないやろ」
「生憎だけど、使徒の間では特殊な方法で連絡を取り合っていて、直接顔を合わせたことは数えることしかなかったから私から言えることはないわ」
そしてヴィータは飛び火してこないように予防線を張る。
「ただ陰謀や人を貶めることを好む反面、自分の技術を自慢したい自己顕示欲も強い面があったから、完成した《聖痕》を見せつけたいと思ってあんな格好をしているんじゃないかしら?」
「でも、今の《魔界皇帝》の状態って思考のフレームが教授に乗っ取られているようなもので、一番根っこの部分はリィンのはずだから――」
「レンちゃん、それ以上はやめた方が良いと思うけど」
冷静に分析し追い打ちを掛けようとするレンをティータが止める。
「と、とにかく宣戦布告をしてきたわけやから、そっちを考えような、な」
これ以上、その話題を続けるのは危険だと判断してケビンは強引に話題を逸らす。
「えっと、セレストさん。それで《魔界皇帝》が言っておった星層の外っていうのは?」
「《星層》とは《影の王》が《影の国》の中心に造り上げた多層的な構造物のようなものです。その構造物の外側にも《影の国》は続いています」
「そうね。私はあくまでも元からあった《影の国》の中に星層を造り出しただけで、実際の古代の《影の国》はそれこそ大陸規模の広さがあったわ」
セレストの説明にルフィナが補足を入れる。
「大陸規模って……とんでもない話やな」
「それだけ《輝く環》の力が壮大だったということです……
そして現在《星層》の外側は何もない荒野として放置されていましたが、確かに彼が言う《城》の存在を確認できました」
「私が最終決戦の場として用意していた《幻影城》を利用したみたいだけど……彼は《幻焔城》と呼び方を変えていたみたいだけど」
ルフィナが出した単語にその場の空気が冷える。
「流石は《教授》……人の神経を逆撫でさせたら右に出るものはいないわね」
穏やかな言葉だが、誰がどう見てもヴィータは怒っていた。
そんなヴィータにうすら寒いものを感じながらもケビンは釘を刺す。
「えっと……殺したらあきませんからね」
「…………ええ、分かっているわ」
リィンの身体を取り戻すことが必要なだけに生け捕りが必須の条件なのだが、本当に分かってくれているのか怪しかった。
「それはそうと、彼は転移陣をそこと繋げてくれたそうですが、どう思いますか?」
「罠ね」
「罠だろう」
「罠だと思います」
「罠じゃないかしら?」
ヴィータ、レーヴェ、ヨシュア、そしてレンが躊躇うことなく言い切った。
「ですが、《星層》からだいぶ離れた場所に城は造られているので難しいと思いますが」
「セレストさん、具体的にどれくらいの距離があるですか?」
「はっきりとした数字は出せませんが、徒歩で進むとなると数ヶ月はかかると思います」
「補給がままならないことを考えると、数ヶ月分の食料が必要になる……さすがに現実的じゃないかも」
リースは深刻な顔をして俯く。
「だとすると、やはり罠と分かっていても奴が用意した転移陣を利用するしかないか」
それだけはやはり気が進まないと一同は黙り込む。
「あのあの、それじゃあ《アルセイユ》は使えないんですか?」
「《アルセイユ》……《第一星層》にあった偽物か?」
ティータの発言に一同は一斉に向き直り、ユリアが聞き返す。
「は、はい。えっと、この《影の国》って人の願いが反映されるんですよね?
確かにあの《アルセイユ》は偽物かもしれないですけど、形状や構造を含めて、みんな良く知っている船ですし、イメージは十分だと思うんです……
リィンさんやレンちゃんが騎神やパテル=マテルを呼び出したように、わたしたちも同じことができるんじゃないかなって……」
「なるほど、でもそれには一つ問題があるわ」
ティータの提案にヴィータが待ったをかけた。
「そうですか? オレは良い考えだと思いますけど」
「あら、忘れてしまったの?
リィン君と《鋼の聖女》が星層をまたいで大暴れをしたのよ、その《アルセイユ》がちゃんと無事なのか確認しなければ、いくら良案だったとしても意味はないわよ」
「あ……」
確かめに行った結果、すぐ横に回廊が崩れていたが《アルセイユ》そのものは無事であり、想念によって動かせる目途も立った。
*
「殺しましょう」
落ち着いて元の姿に戻ったリィンは宣言した。
「塵一つ残さず、全てを灰にして滅しましょう」
「えっと……リィン君、落ち着いてください……
生け捕りにしないとリィン君は現実に帰れないんですから、早まったことはしないでください」
「でも、クローゼさんっ!」
涙を目尻に浮かべるリィンにクローゼは苦笑をもらす。
騎神を用いて壮絶な戦いを演じた彼に気後れを感じていたが、こうして改めて見るとまだ十六歳の子供なのだと分かる。
「お姫様の言う通りよリィン君」
そしてヴィータが未だに取り乱しているリィンを諭すように口を挟む。
「せっかく拾った命、《教授》の悪ふざけで捨ててしまうなんて勿体ないわよ」
「……分かっています……分かっていますけど……」
理屈は分かっているのだが、人の身体を使ってオリビエ並みの変態行動をしていると思うと首を括りたくなる。
口では殺意を漲らせているが、とりあえず自制できていることにヴィータは安堵する。
「ところでリィン君、これを」
「これは……俺の戦術オーブメント?」
ヴィータが差し出した戦術オーブメントを受け取ると、一度光が灯ってリィンと同期する。
が、そこに普段とは違う何かを感じた。
「気付いたみたいね。その戦術オーブメントに少し細工をさせてもらったわ……
具体的にはその戦術オーブメントを介して、貴方達の仲間に霊的なリンクを作ったの」
「霊的なリンク……鉄機隊が使っていた《星洸陣》のようなものですか?」
「イメージはそれで構わないわ。効果はあの騎神の太刀が宿している《想念を斬り裂く》概念を分配するためのものよ……
もしも敵にあの三体と同じように想念の密度によって不死を与えられたしても、貴方を介した繋がりを持つことで止めを刺せるようになるはずよ……
もっとも、太刀の方の切れ味は少し落ちると思うけど、大丈夫よね?」
「ええ、むしろ切れ味が良過ぎるくらいでしたから」
中のクォーツ盤を見ると中央のマスタークォーツ以外は見慣れない六個のクォーツがはまっていた。
「そのクォーツがそれぞれの個人に対応しているわ」
「つまりこの六人が想念に特効の力を得るということですね」
「ええ、《教授》が何を用意しているか分からない以上、こちらも相応の準備をしておく必要があるからね……
それとリィン君が身体を取り戻すための工程の説明をしておきたいんだけど、良いかしら?」
「はい、お願いします」
リィンは戦術オーブメントを懐にしまい、頷いた。
「それじゃあクローゼさん、また後で」
「はい……」
一言断ってヴィータに従って歩き出したリィンの背中にクローゼは感慨深いものを感じる。
初めて会った時は互いに迷い、悩んでいた小さな少年がすっかりと見違える程に成長していた。
あの時は自分よりも小さかった背が同じくらいになっているのだが、それ以上に今は大きく感じる。
「あの、ヴィータさん」
「何かしら?」
クローゼが呼び止めた声にヴィータは振り返る。
「リィン君のこと、よろしくお願いします」
リベールの恩人のリィンに対して今クローゼができることはほとんどない。
だからこそ、敵の組織の一員であるヴィータにクローゼは真摯に頭を下げて頼んだ。
「ええ、最善を尽くすことを約束するわ。クローディア王太女殿下」
*
彼が《影の国》に取り込まれたのはつい先ほどのことだった。
突然呼び付けられ、与えられた役割だが彼は特に嫌そうな顔はせず、むしろ《想念》によって成り立つこの世界に呼び出されたことに喜びさえ感じていた。
「うんうん、想念が影響する世界か……実に興味深い、わざわざ招いてくれた《白面》殿には感謝しなければならないね」
眼鏡の掛けた白衣の男は楽しそうに笑う。
そんな彼の前にはずらりと大小様々な人形兵器が並んでいる。
まだ設計段階のものもあれば、致命的な欠陥が発生してお蔵入りになってしまったもの。
その中でも近いうちにある一族へと売り出す最新機体の実戦的な稼働試験ができる。
しかもお誂え向きにも彼が任されたのは城の外の荒野。
いくら無茶な武装も試し放題なのだから言うことはない。
「稼働率は70%……《至宝》のバックアップがなければろくなテストもできないと思っていたが、これなら良いデータが取れそうだ……
旧型との性能比較にはちょうどいい機会だなぁ……それに《騎神》もようやくこの目で見ることができると思えば……フフフ……」
早く来て欲しいものだと、転移陣に彼らが現れるのを年甲斐もなくワクワクしながら待ち構える。
しかし――
「おや?」
その頭上を《白い翼》が駆け抜けた。
「ふむ……たしかあれはリベールの高速巡洋艦《アルセイユ》だったかな?」
振り返り、荒野に佇む異形の城へと向かっていく船を彼は冷静に見定める。
「なるほどなるほど、《白面》殿が用意した道を使わずにこちらを出し抜いたというわけか……
しかし、その程度で私を突破できたと思われるのは心外だなぁ」
楽しそうに頬を緩めながら彼は背後の機械人形に指示を出す。
群れの中から白銀のドラギオンが飛び出し、アルセイユを追い駆ける。
そして彼――結社、《身喰らう蛇》の第六使徒、ノバルティス博士は光に包まれ、特別大きな白い機体の胸部ユニットに吸い込まれる。
「ふむ……霊的な位相空間からのコントロールは順調のようだな」
機体と一つになった《博士》は調子を確かめるように呟くと、細部が違う二体の機体を伴って飛び立った。
*
「出でよっ! 蒼穹よりもなお青い! 雲海を切り裂く僕の翼よ!」
ギルバートは虚仮の一念を通すかのように、想念により結社の飛行型人形兵器を呼び出すとそれに颯爽と乗り込み、追い縋る白銀のドラギオンを迎撃する。
「フッ……これぞヒーローの醍醐味……ああっ! 僕ってばなんて格好イイッ!」
機動力で白銀のドラギオンを翻弄するギルバートは調子に乗って歓声を上げる。
しかし、そこに新手のドラギオンが二体現れる。
「ちょ、ちょっと待った! それは幾らなんでも反則だろ!?
待ってアルセイユ! ゴメン! やっぱり今のなし! うわああああん! 助けてヴィータさまぁあっ!」
通信機から聞こえてくる情けない悲鳴に、アルセイユのブリッジの中は微妙な空気になる。
「どうする……?」
誰ともなく呟いた言葉に、ケビンが応える。
「どうするって言われても、まああんなでも見殺しにするのは後味が悪いやろ?」
ケビンの提案に誰かが異論を挟むことはしなかった。
そしてそれに名乗りを上げたのはレーヴェだった。
「ならば俺が行こう」
「レーヴェ?」
「ドラギオンはこちらの足止めに先行してきたんだろう……展開されていた軍団の中にはゴルディアス級が三体いた」
「おそらく《幻焔計画》に使う予定だった《神機》でしょうね。そうなると《博士》を取り込んだということかしら?」
「おそらくな。ここで《博士》を放っておけば背後から襲われるだろう。ならばドラギオンを呼び出せる俺が適任だ」
有無を言わさずにレーヴェはブリッジから出て行こうと踵を返す。
「待ってレーヴェッ!」
それをヨシュアが呼び止めた。
レーヴェは振り返り、苦笑を浮かべる。
「そんな顔をするな。すぐに追いつく」
「…………うん。待ってるから」
短いやり取りをして、レーヴェは今度こそブリッジから出て行った。
そして、彼が出て行って閉じた扉をヨシュアはじっと見つめる。
「むう……」
そんな、まるで物語のヒロインのようなヨシュアにエステルは複雑そうに口を尖らせた。
「フフ、エステルったらもしかしてレーヴェに嫉妬してるの?」
「べ、別にそんなわけないわよっ!」
レンの指摘にエステルは慌てた様子で両手を振って否定する。
そんなエステルのオーバーアクションにレンは笑いながら、レーヴェの後に続くようにブリッジの扉へと歩いて行く。
「レン……?」
「フフ……ヨシュアが心配性で仕方がないからレンも行ってあげる……
あの金色じゃないのはちょっと残念だけど、代わりに殲滅してくるわ。それと――」
レンはリィンに向き直り、何かを言おうとして半端に口を開く。
「どうかしたか?」
「……ううん、何でもない」
レンは首を横に振って踵を返す。
その背中にリィンは言葉をかける。
「レン、気を付けて……それからまた後で」
「…………うん」
レンは振り返らずに小さく頷いて、ブリッジから出て行った。
「ふーん……」
「じー……」
「えっと……エステルさん、それにオライオンどうかしたのか?」
非難するような半眼に睨まれてリィンはたじろぐ。
「別に何でもないわよね、ねーオライオンちゃん」
「ええ、別にリィン・シュバルツァーが不埒なのは今に始まったことではないですから」
何となく言いたいことは分かるのだが、これから自分を振るエステルと、自分を振ったオライオンにそんな目を向けられて複雑なリィンだった。
魔界皇帝の姿が気になる方は《地球皇帝》を検索してみてください。
おおよそのイメージはそれになります。