(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

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9話 初めての……

 拝啓、リィン・シュバルツァー殿。

 

 この手紙が着くころにはお前が家を出て行って一ヶ月は経っているのだろう。

 お前からの手紙を拝見する限り、リベールで良き出会いに恵まれたようで何よりだ。

 だが、私たちがお前の心の支えになれていなかったことが申し訳なく思う。

 

 お前は自分で『力』と向き合いユン老師に弟子入りを望んだ。

 その時から私たちはお前のことをもう大丈夫だと、今で思えば高をくくっていたのだろう。

 いくらお前が前を向き、真摯であったとしても、まだ子供だったことを私たちは忘れていた。

 うまくいかないと、投げ出したくなる時もあっただろう。

 壁にぶつかりくじけそうな時もあっただろう。

 だが、お前は一言も弱音を吐かず、ユン老師の厳しい修行を耐え抜き、乗り越えた。

 お前は知らないだろうが、酒の席で老師はお前のことを絶賛してくれていたんだ。

 だからこそ、お前がそこまで思い詰めているとは思わなかった。

 

 不甲斐ない親ですまなかった。

 お前の悩みを分かち合うことを怠った父親である私こそが、お前を追い詰めた原因だ。

 だが、こんなことを言うのは不謹慎だと思うが、お前が家出をしたことでお前の本音を聞くことができてよかったと思っている。

 お前はシュバルツァーの家に自分は相応しくないと書いていたが私はそうは思わない。

 昨今の帝国は血筋こそが重要だという風潮となっているが、血などよりも遥かに大切なものがある。

 帝国の貴族の多くがそれを忘れている中で、お前はそれを間違いなく持っている。

 私はリィン、お前にシュバルツァーの名前を与えたことを誇りに思う。

 

 最後に、お前は必ず答えを見つけて帰ると先の手紙で書いていたがそんなことはどうでもいい。

 必ず無事に帰って来ること。それだけで私たちは十分なのだ。

 そして、答えではなくお前が語ってくれる冒険の話を今から楽しみにさせてもらう。

 

 それからユン老師の御孫さん、アネラス殿にもよろしく伝えてほしい。

 

 

 敬具、テオ・シュバルツァー。

 

 

 追伸――お前には言っていなかったが、エリゼにお前が養子であることを話した。

 あの子がお前に距離を取るようになったのはおそらくそれが原因だろう。

 あの子も多感な時期だから複雑な心境なのだろうが、お前を嫌うことはない。

 今度は私だけにではなく、ルシアとエリゼにもそれぞれ手紙を書いて欲しいと思う。

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 手紙を読み終えたリィンは知らずの内に溜めていた息を吐き出した。

 ユミルには帰らず、ボースの遊撃士ギルドで保護を受ける件については説得を帝国の遊撃士に任せきりにせず、自分の言葉で手紙を書いた。

 その返事を読み終えたリィンは自嘲を浮かべた。

 

「何を見ていたんだろうな……」

 

 迷惑しかかけていなかったはずなのに文面からも分かる慈しみ。

 この手紙で勘当を言い渡されることも覚悟していたのだが、その覚悟は杞憂に過ぎなかった。

 

「素直に頼ればよかった。それができなかったのは俺の弱さなんだろうな」

 

 ただ、がむしゃらに一人で走ってきた。

 老師の後を追っていれば、いつか必ず『力』を克服できるのだと妄信していた。

 だから、その導が突然なくなったことでリィンは迷走してしまった。

 エリゼのことももう少し冷静な目で見ることができていれば、彼女の動揺を察することができたはずだ。

 つくづく自分のことしか見ていなかったのだと、自嘲する。

 

「……答えは必要ないって言ってくれたけど、必ず見つけてみせる」

 

 父の言葉に甘えるわけにはいかない。

 家出をした迷惑に値する結果のためではなく、ただ少しでも胸を張って故郷に帰るためにリィンは改めて誓いを立てた。

 

 

 

 

「リィン君、今日は仕事せんでいい」

 

「え……? それってもしかしてクビって事ですか?」

 

 父からの手紙を読んで、改めてやる気になっていたリィンを迎えたのはルグランの非情な言葉だった。

 しかし、それはすぐに否定される。

 

「違う違う、単に今日は一日休みだと言っておるんじゃ」

 

「休み……?」

 

「お前さんも知っているだろうが、遊撃士への依頼はほぼ毎日ある……だが遊撃士も人間じゃからの、適度な休みは必要じゃ」

 

「でも、俺がやっている仕事なんてみなさんと比べたら全然簡単なものですし」

 

「それは関係ない」

 

 リィンの反論をルグランは耳を貸さずに却下する。

 

「ほれ、今日まで働いてくれた分の給料もやるから、今日は一日楽しんでこい」

 

 挙げ句にそれなりのミラが入った封筒を渡される始末。

 

「いや、こんなの受け取れませんよ」

 

 保護されている身だからと言ってタダ飯食らいになるのは気が引けたためにリィンはギルドの仕事の手伝いを申し出た。

 ある意味では住居と普段の食事がリィンにとっての報酬なのだから、それとは別にミラを受け取るのは気が引ける。

 

「いいから受け取らんか、それはお前さんの働きに対する正当な報酬じゃ」

 

 強引に封筒を渡される。

 それが正当であっても、そのつもりがなかったリィンからすれば過ぎた報酬だった。

 しかし、突き返したところでルグランが折れることはなさそうだった。

 

「そういえばアネラスさん、この間から借りている太刀のことなんですが――」

 

「あれは弟君に上げたの、だから返品もミラも受け取らないからね」

 

 リィンの言葉を遮ってアネラスはその申し出を拒絶する。

 

「でも……」

 

「でも、じゃなくて本当に気にしなくていいんだよ……あれは元々予備の、それも二本目の太刀だったし……

 お給料もそうだけど、お休みもちゃんと取ってくれないと、そっちの方が困っちゃうし」

 

「そうなんですか?」

 

「うん。弟君がずっと休まず働いていると、私たちが休みを取りづらくなっちゃうし……

 ギルドが子供を馬車馬のようにコキ使っているなんて噂だって流れかねないからね」

 

「確かにそうですね……」

 

 肩を落として、リィンはルグランやアネラスの言い分を認めるしかなかった。

 しかし、なんともタイミングが悪い。

 父からの手紙を読んだばかりで、決意を新たにしたばかりなのに休めと言われるのはせっかくのやる気の行き場がない。

 いっそ――

 

「あ、街道に出て剣の鍛錬もダメだからね」

 

 思考を先回りされて、アネラスに釘を刺される。

 

「え……」

 

「ボースマーケットに行くでもいいし、少し足を伸ばしてヴァレリア湖に行くのだって全然構わないから、弟君は今日一日羽根を伸ばすのが仕事だよ……

 お給料も自分のために使うこと、いいね」

 

 結局、遊撃士一同によってリィンは強制的にギルドから放り出されてしまった。

 

 

 

 

 

 

 することがないリィンは落ち着かない様子で街をキョロキョロと忙しなく周囲を見渡していた。

 その姿は来たばかりの観光客のようだった。

 

「休めって言われてもな……」

 

 ずっと修行か、家の手伝いばかりをしていたリィンにとってその指示はなかなかに困難だった。

 せっかくなので商業都市ボースの代名詞でもあるボースマーケットに来てみたのだが、相変わらずの賑わいと大きさに圧倒される。

 

「考えてみれば、食料品や日用雑貨しか行ってないな」

 

 ギルドの仕事の一貫で何度か来ているが、決まった店しか見ていないので具体的にどんな店があるのか詳しくは知らない。

 元々物欲が多いわけではないし、必要最低限のものさえあれば満足してしまう。

 それに居候の身であるのだから、積極的に周りの物を増やす気もなかったのでこれまで興味を感じてはいなかった。

 

「そもそも、何かが欲しいって言ったのはいつが最後だったかな……」

 

 そんなことを考えてみる。

 

「ああ…………太刀が欲しいって言ったのが最初で最後だったか……」

 

 拾われた子供だからいつも何処かに遠慮があった。

 『力』の存在を知ってから、その気持ちはより強くなった。

 唯一の例外は、ユン老師に弟子入りしてしばらくした時、いつも木刀ばかりを振っていたリィンが何気なく呟いた言葉だった。

 

「そういえば、あの時の父さんは妙に張り切っていたな」

 

 その時のことを思い出してリィンは苦笑する。

 太刀は元々帝国では珍しい武器なためユミルに出回ることはなく、それを探しに家族旅行も兼ねて帝都まで出た。

 しかし、帝都の武器屋を何件回っても、何処も太刀を取り扱っている店はなかった。

 結局、ユン老師の伝手で取り寄せてもらったのだが、その時の父のバツの悪そうな顔はよく覚えている。

 

「…………そうだよな。別に俺の物を買わなくたっていいんだよな」

 

 自分のためではなく、家族に何か贈る物を買えばいい。

 記憶から連想した思いつきに、天啓を受けたようにそれまで燻っていたやる気のスイッチが入る。

 考えてみれば、これ以上ないミラの使い道にリィンはさっそく行動を開始する。

 

「まずは父さんのだけど……趣味は狩猟だけど……」

 

 しかし、すぐに行き詰った。

 狩猟の役に立つものが思いつかない。

 自分の引き出しの底の浅さに心の底から嘆く。

 

「あら……リィン君」

 

「え……?」

 

 呼ばれた名前に反応してリィンは顔を上げる。

 

「あ……リラさんに、メイベル市長。こんにちは」

 

 そこにいたのは物静かなメイドを従えた若い女性だった。

 ボース市を取り仕切る若い女市長。

 オリビエがただ飲みしたワインの持ち主であり、牢から出してくれた恩人だった。

 ボースで働き出してからも何度か顔を合わせ、何かと気にかけてもらっている。

 

「もしかしてギルドの買出しかしら?」

 

「いえ、実は――」

 

 リィンは給料をもらったことと、今日一日休みにさせられたことを話した。

 

「あらいいわね。一日休みだなんて……私もたまには羽を伸ばしたいわ」

 

 チラリとメイベルが背後のメイド、リラの顔を見る。

 

「お言葉ですがお嬢様、今週末の学園祭へ訪問するために現在の過密なスケジュールになっています……

 訪問を中止なされるのなら、今すぐにでも休暇を取る事はできますが、いかがいたしましょう?」

 

「言ってみただけよ、もう……」

 

 理路整然と反論するリラにメイベルはため息を吐く。

 そんな二人のやり取りに苦笑しながらも、リィンは聞き慣れない言葉を聞き返した。

 

「学園祭、というのは何ですか?」

 

「ええ、海港都市ルーアンにジェニス王立学園という所があって、年に一度学生が主催したお祭りが開催されているのよ」

 

「へえ……学生が……」

 

 学ぶ機会といえば日曜学校くらいのリィンにとって、あまり想像ができない世界だった。

 

「あら? もしかして興味ある?」

 

「ええ、でもギルドの仕事がありますから」

 

 日曜学校ではない。大きな学園というのは確かに興味が湧く。

 しかし、居候の身であるし、観光目的でリベールにいるのではないのだから、わざわざ行く理由はない。

 

「ところでリィン君。何か悩んでいたようですが?」

 

 学園の話が途切れたところで、リラが話題を元に戻す。

 

「ええ、給金と休みをいただいて、せっかくだからユミルの家族に今度出す手紙と一緒に何か贈ろうかと考えたんですが……

 なにぶん、この数年はずっと剣の修行漬けだったんで何がいいのか分からなくて」

 

「なるほど……」

 

 リィンの言葉にメイベルは少し考え込む。

 

「それなら私のオススメを紹介しましょうか?」

 

「いいんですか? 助かりますが、お忙しいのでは?」

 

「少しくらい大丈夫ですよ。それにあなたには個人的にもきちんとお詫びをしたいと思っていましたから……

 リラは先に礼拝堂に行って、私の分まで祈っておいてちょうだい」

 

「…………分かりました」

 

 慣れた様子でメイベルの突飛な提案を受け入れてリラはその場を後にする。

 

「さて……」

 

 その後姿を見送ったメイベルは解放されたといわんばかりの晴れやかな表情でリィンに尋ねた。

 

「それじゃあ、まずリィン君の御家族のことを少し教えてくれるかしら」

 

 すでに彼女が同行するのは決定事項のようで、リィンは観念した。

 

「分かりました……俺の家族、シュバルツァー家は――」

 

 一通り説明を終えると、メイベルは少し考えてから提案した。

 

「私の勧めはやっぱりワインね」

 

 そう言って案内されたのは酒屋だった。

 

「リィン君の家が貴族なら当然お酒も嗜まれるでしょう? だったらいいんじゃないかしら」

 

「でも、お酒って確か未成年の購入は制限されていませんでしたか?」

 

「そこは私が店に口利きをしてあげるから大丈夫よ」

 

「それはありがたいですね……」

 

 趣味の狩猟とは離れてしまうが、悪くない案だと思ってリィンは頷く。

 問題があるとすれば、リィンが酒の良し悪しが分からないくらいなものだった。

 それはアドバイスしてもらえばいいと割り切ってリィンはこの店で最初の贈り物を買うことを決めた。

 

「それで……これなんてどうかしら?」

 

「え……?」

 

 メイベルが何処からか持ってきたワインの瓶に目を向けたリィンはそこに書かれている名前に顔を引きつらせた。

 

「グラン=シャリネって!? 50万ミラのワインなんて無理ですよっ!」

 

 トラウマを刺激され、思わず叫んでいた。

 そんなリィンにメイベルは苦笑して訂正する。

 

「これはオリビエさんが飲んだものと年代が違うからそこまで高くはないわよ」

 

「あ……そうだったんですか」

 

 リィンはその言葉に安堵する。

 オリビエが絶賛していたワイン。年代は違っても味の保障はされているも同然だろう。

 

「ちなみにいくらですか?」

 

「4万ミラね。帝国で買うならもう少し高くなっているでしょうね」

 

「よっ……」

 

 何気なく言われた値段にリィンは絶句する。

 50万ミラは当然だが、4万ミラも給料の全額を出しても足りない。

 そんなリィンの様子を見て笑っているメイベルにからかわれているのだと気付くと、メイベルはそれを察して弁解する。

 

「安心していいわ。このワインの料金は私が個人的に出してあげるから」

 

「え……?」

 

「これはボース市長としてシュバルツァー男爵への御詫びの印よ」

 

「御詫びって……」

 

「結果はどうであれ、あなたを事件に巻き込んで危険な目に合わせたのは私の判断によるところ……

 ボースの市長としてはこれくらいしないとね」

 

「いや、でも最終的に協力することを選んだのは俺自身ですから……」

 

 と反論してみたものの、これが実利の問題ではなく体裁、面子の話だということは理解できる。

 

「リィン君が気に病むことはないわよ。それに私にとっては帝国の貴族の方と縁を結べるチャンスでもあるわけですから」

 

 そう言われてしまえば、リィンも強くは反論できない。

 打算もあるかもしれないが、やはり純粋な好意からの行動だと分かるから断り辛い。

 

 ――どうしようか……贈り物の価値を考えたら、グラン=シャリネ以上は考えられないけど……

 

 少し考えて、リィンはメイベルの提案に首を横に振った。

 

「お気遣いはありがたいですが、やはり遠慮させてください」

 

 物としては確かにグラン=シャリネは魅力的だった。

 心配をかけている父にこれ以上ない贈り物に思えるのだが、その誘惑をリィンは撥ね退けた。

 

「あら……? やっぱりこういうものじゃ誠意は伝わらないかしら?」

 

「いえ、メイベル市長の心遣いは嬉しいんですが……その……つまらない拘りと言いますか……

 今回の贈り物はこのミラの中から出したいと思って……すいません、変な意地を張ってしまって」

 

「……いいえ」

 

 恐縮して頭を下げるリィンにメイベルは首を横に振った。

 

「私の方こそ、ごめんなさい……確かに今回の贈り物に私が乗っかるのは無粋だったわね」

 

 メイベルは持っていたグラン=シャリネを棚に戻すと店員と一言二言話して別のワインを持ってきた。

 

「それならこのワインはどうかしら、値段も安くて飲みやすいワインよ」

 

「そうですね……」

 

 値段を見て考える。

 店の中で下から数えて三番目くらいのワインだが、予算を少し出るがそれくらいはあとで調整できると思いリィンは頷いた。

 

「それじゃあ、それにさせてもらいます」

 

 メイベルからワインを受け取って会計に向かうと、提示された金額は値札よりも安かった。

 

「あの……値段間違えてませんか?」

 

「いいや。この値段で間違いないよ。それからこれはおまけだ」

 

 そう言って店員はボース特産の干し肉を一緒に止める間もなくワインと一緒に包んでしまう。

 

「えっと……」

 

 差し出された袋にリィンは困惑していると後ろからメイベルが言葉をかけた。

 

「これくらいのお節介はいいでしょ?」

 

 どうやら彼女の口利きのおかげだったらしい。

 流石にその好意まで無碍にするのは気が引けた。

 

「すいま――いえ、ありがとうございます。メイベル市長」

 

 

 

 

 

「それで、他には何を買うのかしら?」

 

 酒屋を出て、メイベルが次を尋ねてくる。

 

「後は母さんと妹のエリゼの二人ですね……ん?」

 

 ふと、リィンは何かの気配を感じて振り返る。

 が、そこには行き交う人たちばかりで違和感を感じさせるものは何もなかった。

 

「あら、どうかしたの?」

 

「いえ……視線を感じた気がしたんですが……気のせいだったみたいです」

 

「視線……ああ、なるほど……」

 

 リィンの呟きにメイベルは少し考えると、合点がいったといわんばかりに頷いた。

 

「心当たりがあるんですか?」

 

「いいえ、それよりもごめんなさい。ちょっと急ぎの用事を思い出したの。ごめんなさいね、最後まで協力できないで」

 

「とんでもないです。おかげで良いものが買えました、このお礼はいつか必ず返させていただきます」

 

「お礼……そうね楽しみにしているわ」

 

 どこかいたずらを思いついた。そんな顔をしたメイベルと別れてリィンは次の行動に移る。

 

「さて……次は母さんへのプレゼントを選ぶか……

 確か母さんは菜園をやっていたはずだけど……喜びそうなものは……」

 

 苗や種は気候の違いがあるからあまり好ましくはない。

 

「だとすれば……リベール産の堆肥……いやないな」

 

 贈り物に土をプレゼントするなど常識を疑われる。

 

「……とりあえず歩いてみるか」

 

 黙って考え込んでいても変わらない。

 店先のものを見ていれば何か妙案が浮かぶかもしれないと考えてリィンは歩き出した。

 

「服は……ダメだな」

 

 リベールは帝国の南に位置するため比較的暖かい。

 それもユミルと比べてしまえば、その差は大きい。

 リベールの服ではユミルでは過ごしにくいだろう。

 

「食品は……日持ちのする加工品ならありかもしれないな」

 

 それこそ酒屋でおまけしてもらった干し肉のようなものならいいかもしれない。

 候補の一つとして考えて、リィンはさらに足を進める。

 

「花屋か……流石に無理だろ」

 

 輸送のことを考えれば、運ぶ間に枯れてしまう。

 素通りしようとしたが、ふと違和感を感じてリィンは足を止めた。

 

「この花……もしかして……」

 

「おや、気付いたかい?」

 

 店番をしていたおばさんがそんなリィンに声をかけた。

 

「その花は造花って言ってね。布とかを使って作った花なんだよ」

 

「そんな花があるんですか……」

 

 一見では本物と見間違うほどに造り込まれた偽物の花にリィンはどうしようもなく引かれた。

 

「すいません。この造花を……これくらいの予算内でいただけますか?」

 

 流石に普通の花よりも少し高めだったが、エリゼの分を残した予算内で出来る限り買って花束にしてもらう。

 

「毎度ありがとうね」

 

 小さめの花束を受け取ってリィンは店を出る。

 

「よし、後はエリゼの――」

 

「お、リィンじゃないか」

 

 最後のプレゼントを選ぼうと意気込んだところに声をかけてきたのはグラッツだった。

 よう、と片手を上げて近付いてきたグラッツにリィンは挨拶を返す。

 

「グラッツさん、こんにちは……珍しいですねこんなところで」

 

「ああ、ちょっと急に必要なものができてな……

 それより聞いたぞ。ルグラン爺さんから給料をもらったんだってな」

 

「ええ、正直心苦しいんですが……せっかくなので家族に何か贈ろうかと思っていろいろ探していたんです」

 

「なるほどな……それでワインと造花か……リィン。ちょっといいか?」

 

「はい?」

 

 首を傾げつつも、グラッツに促されて後をついていくと一軒の店に案内させられた。

 

「ここは……香水屋ですか?」

 

「ああ、だが見せたいものは香水じゃなくてこれだ」

 

 そう言ってグラッツが見せたのは小さな布の袋だった。

 

「香り袋って言ってな。造花を贈るなら一緒に贈るのが定番だな」

 

「なるほど……でも……」

 

 給料と手持ちのミラの合わせて考えて、それまで買うのは少しきつい。

 

「すいません。これください」

 

「え……グラッツさん」

 

 しかし、リィンが頭を悩ませている内にグラッツは勝手に匂い袋を買ってしまった。

 

「ほら、受け取れ」

 

 そしてグラッツは自分でミラを払ってしまうと、小さな袋に包装されたそれをリィンに差し出してきた。

 

「いや受け取れって……」

 

「なに人生の先輩としての心尽くしってやつだ……

 もう買ったもんだし、花の匂い袋なんて俺が持っていても仕方がないから遠慮するな」

 

「それならちゃんと俺が払いますよ」

 

「いいって、この程度の出費なんて大したものじゃない……

 それでも納得いかないっていうならこの前のアップルパイの料金だと思っておけ」

 

 この前のアップルパイと言っても、材料はもらいものとギルドにあったもので作ったもの。

 レシピを読みながら四苦八苦して作ったそれの出来は、お世辞にもよい出来とは言えないものだった。

 正直、割に合っていないと思うのだが、リィンがそれ以上抵抗するよりも早くグラッツは背を向けていた。

 

「それじゃあな」

 

 そして、止める間もなく歩き出したグラッツにリィンはため息を吐いた。

 去っていく彼の背中にベテラン遊撃士の貫禄というのを感じさせられた。

 依頼に対して依頼主が想定していた以上の成果を上げてこそ、優秀な遊撃士と言える。

 報告書をまとめていて、どうしてそこまでするのかと思った案件があったが、その理由が分かった気がする。

 

「グラッツさんっ! ありがとうございます」

 

 それにグラッツは足を止めることなく、片手を上げて応えた。

 

 

 

 

 

 

「あとはエリゼのか……エリゼももう十二歳だし……父さんの手紙では大分心配させてしまったみたいだからな」

 

 気合を入れて考えないといけない。

 そう意気込みながら、先程と同じ様にリィンは歩き出す。

 まず目に入ったのは大小様々なぬいぐるみを扱っている店だった。

 

「ぬいぐるみ……はもうそんな年じゃないか」

 

 その店を一瞥して素通りしようとした瞬間、リィンの背中に悪寒が走る。

 

「っ……!?」

 

 先程から時折感じていた気配、その強い視線。

 咄嗟に振り返るが、やはりそれらしい人物はいなかった。

 

「…………まずいな。まさかこんな街中で仕掛けてくるつもりか?」

 

 心当たりは一つある。

 空賊事件の際にリィンを拉致して記憶を消した何者か。

 

「すぐにギルドに戻らないと」

 

 異常を感じたらすぐにギルドに戻ってくるように言い含められているリィンはその通りに行動しようとして前を向く。

 そこに満面の笑顔なのに妙な凄みを感じさせるアネラスの顔が目の前にあった。

 

「うわぁあっ!?」

 

 思わずリィンは後ろに跳び退いた。

 

「ア、アネラスさん……驚かさないでくださいよ」

 

 驚いたリィンは高まった動悸を整えると、背後を窺う。

 先程の気配はなくなっている。

 

「アネラスさん、実はさっき――」

 

「弟君……一応聞いておくけど、何をしているのかな?」

 

 リィンの言葉を遮って、普段の明るい口調を忘れたかのように感情を押し殺した平たい口調にリィンは戸惑う。

 

 ――何かあったのかな?

 

「えっと、実はいただいた給料でユミルの家族に贈り物をしようと考えたんです……

 その……アネラスさんは自分のために使えって言ってましたけど、ダメですか?」

 

 まるでいたずらを告白して判決を言い渡される子供のような気持ちでアネラスの顔色を伺う。

 

「うん、それはいい考えだと思うよ」

 

 お許しが出てリィンは安堵するが、アネラスの無言のプレッシャーは止まっていない。

 

「えっと……何か気に障ることしたかな? あ、アイスの試作ならギルドの導力冷蔵庫の中にありますけど」

 

「え、本当!? じゃなくて、あとは妹さんへの贈り物でしょ?」

 

「ええ、そうですけど……何で知っているんですか?」

 

「それは今は良くて、それでどうしてあそこのお店を素通りしたの!?」

 

 あそことアネラスが指差したのはぬいぐるみのお店だった。

 

「いやエリゼももう十二歳ですから、ああいったものは卒業してるんじゃないかって思って……」

 

「そんなことないよっ!」

 

 アネラスは詰め寄ってリィンの言葉を強く否定した。

 

「想像してみて、可愛く着飾った年下の女の子がぬいぐるみを抱いている姿を」

 

 言われたとおり、エリゼの姿で想像してみる。

 

「ぎゅっと抱き締めたくなるよね?」

 

「えっと……ノーコメントで」

 

 迫るアネラスの熱い視線から目を逸らしながらリィンは答えを濁す。

 

「昔の人もこう言っていたんだよ……

 可愛いことは正義……

 可愛いものには福がある……

 可愛さあまって好きさ千倍……良い言葉だと思わない?」

 

「それは何処の昔の人の言葉ですか?」

 

 リィンは肩を竦めて、諦めた調子でアネラスの言いたいことを要約してみる。

 

「とにかく、アネラスさんはぬいぐるみを贈るべきだと言いたいんですね?」

 

「むしろそれ以外の選択肢はないと思います」

 

 拳を握って力説するアネラスにリィンは肩を竦めた。

 先程の気配をもう一度探ってみるが、気配の主は見つからない。

 

「どうしたの弟君?」

 

「いえ、何でもありません」

 

 ぬいぐるみ選びに張り切るアネラスに水を差すのが何だか怖いため、先程の気配については一応警戒を忘れないようにすることを決める。

 

「それにしてもぬいぐるみか……」

 

 ざっと店内に並んでいる数々のぬいぐるみを見渡し、改めて見ると種類の多さに圧巻される。

 定番のクマやうさぎのぬいぐるみ。

 魔獣のシリーズではヒツジンやポムなど帝国でも見かけたことのあるものもあった。

 ふとその中の一つに見慣れないものがあった。

 

「アネラスさん、このポムは何ですか?」

 

 白い毛玉に羽と天使の輪がついたポム。

 修行時代の時に様々なポムと戦ったが、こんな姿のポムは見たことがなかった。

 

「それは遊撃士に大人気のシャイニング・ポムのぬいぐるみだよ」

 

「へえ、リベールにはこんなポムがいるんですか」

 

「……え? 帝国にはいないの?」

 

「少なくとも俺は遭遇したことはないですね……そういえば、特殊な餌があると現れるポムがいるっていう噂話は聞いたことありますけど」

 

 普通のポムのぬいぐるみは帝国でも見たことはあるだけに、地方での魔獣の差にリィンは歓心する。

 とはいえ、男の感性ではどれがいいのか分からないので、参考までにアネラスのオススメを尋ねる。

 

「ちなみにアネラスさんのオススメは何かありますか?」

 

「それはもちろん――」

 

 そうアネラスは陳列棚を睥睨して自信満々に口を開きかけて――止まった。

 

「アネラスさん?」

 

「こ……これは……」

 

 固まるアネラスの視線の先にはまん丸い猫のような白と灰色のぬいぐるみが座っていた。

 

「私が知らないぬいぐるみがあるなんて……むむむ……」

 

 それを凝視したアネラスは止める間もなく、店員に突撃する。

 

「おじさん、この子はどうしたの!?」

 

「お、アネラスちゃんじゃないか。流石に耳が早いね」

 

 常連なのか、おじさんはアネラスの突然の行動に驚くことなく対応する。

 

「そいつはみっしぃって言ってな。今度クロスベルで開店するテーマパークのマスコットキャラだ……

 その宣伝にリベールにも少しだけ入荷したんだが、うちではそれが最後の一個なんだ」

 

「最後の一個……」

 

 それを聞いてアネラスは身体を揺らした。

 

「……弟君、これにするべきだよ」

 

 涙を飲んでみっしぃを差し出してくるアネラスにリィンは苦笑する。

 

 ――どうしようか……って考えるまでもないか……

 

 強いアネラスの勧めだが、明らかに彼女自身が欲しいと目が言っている。

 

「せっかくのオススメですが、リベールにいるのにクロスベルのものを贈り物に選ぶのもどうかと思うんで、別のものにさせてもらいます」

 

「本当っ!? それじゃあこの子は私が買っちゃおうっと!」

 

 悲しげな顔が一転して花が咲いたような笑顔に変わるとアネラスは一足先に会計に行ってしまう。

 その背中を見送る。

 最初はぬいぐるみなんて子供っぽいかと思ったが、あの笑顔を見るとそれでもいいかと思えた。

 

「リベール特有のものとなると……リベールの国鳥のシロハヤブサのぬいぐるみか、シャイニングポムの二択か……」

 

 とりあえず、リィンはこれらを抱えたエリゼを想像してみる。

 近頃はすっかり余所余所しくなってしまった妹が恥ずかしがりながらもぬいぐるみを抱き締める様はアネラスではないが、頭を撫でたくなってしまう。

 妹に魔獣型のぬいぐるみはどうかと思ったのでシロハヤブサのぬいぐるみをリィンは選んだ。

 

「ピュイ」

 

 余談だがお腹を押すと鳴いた。

 

「はぁ……このしっぽのもふもふ……癒される……」

 

 買ったばかりのぬいぐるみのしっぽに頬ずりしながらアネラスは顔をだらしなく緩めていた。

 しかし店を出ると幸せ一杯の顔を突然、しかめさせた。

 

「どうかしたんですか?」

 

 もしかしたら、自分では察知できなかった先程の気配をアネラスが察知したのかとリィンは警戒心を高める。

 が、彼女の口から出てきたものはまったく別の言葉だった。

 

「えっとね……弟君が買ったプレゼントだけど……

 お父さんにワインと干し肉。お母さんには造花と匂い袋だったよね?」

 

「はい、そうですけど」

 

 答えてから、リィンは何故それをアネラスが知っているのか首を傾げた。しかし追究するよりも先にアネラスの言葉が続く。

 

「お父さんたちは二つなのに、妹さんだけぬいぐるみ一つなのはどうなのかなって思ったの」

 

「それは……」

 

 アネラスの言いたいことは分かるが、そもそも干し肉はメイベルの口利きとその店の好意によるおまけ。

 匂い袋に関しては、グラッツに強引に押し付けられたもの。

 リィンの予定ではそれぞれ一品ずつのはずだった。

 それを説明すると、アネラスは相槌を打って、本音を出した。

 

「うん……単刀直入に言うとね、私も弟君の妹さんに何かプレゼントしてあげたい」

 

「いや、そんな悪いですよ。それにできれば今回の自分のミラだけで贈るつもりですから」

 

 グラッツには強引に押し切られてしまったが、メイベルの誘いは断った手前、アネラスの申し出を受け入れるわけにはいかない。

 しかし、アネラスの言い分にも一理あった。

 

「でも、確かにエリゼだけが一つなのはまずいか」

 

 ただでさえ仲が微妙になっているのだから拗ねさせる要因は少しでも潰しておきたい。

 

「とは言っても、年頃の女の子が欲しがりそうなものなんて、これ以外にあんまり考えられないですよ」

 

 腕の中のぬいぐるみもそれなりの値段がして、ルグランからもらった給料はほとんどなくなった。

 残っているのはリベールに来る途中で狩った魔獣から拾ったセピスを換金したミラが少しだけ。

 それではもう大したものは買えないだろう。

 

「ちなみに弟君はぬいぐるみじゃなかったら何にしていた?」

 

「そうですね……アクセサリーなんかどうですか?」

 

「うん……いいと思うな。それならリボンなんてどうかな?」

 

「リボンですか?」

 

「それならそこまで高くないし、弟君の妹さんにも似合うんじゃないかな?」

 

 会ったこともないのに何故分かるのか問い詰めたいのだが、何故だろうかアネラスだからの一言で納得してしまいそうになる。

 

「……ちなみに私情は入っていますか?」

 

 リィンはアネラスの黄色い大きなリボンを見ながら尋ねた。

 

「そ、そんなことないよ」

 

 目を逸らしながら応えるアネラスにリィンはため息をもらす。

 

「とりあえず見るだけ見てみましょう。買うかどうかは値段次第ということで」

 

「流石弟君、話が分かるね」

 

 意気揚々に先導するアネラスはふいに足を止めてリィンに振り返った。

 

「ところで弟君……リボンつけてみない?」

 

「つけません」

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

「結局、買ってしまった」

 

 エリゼの黒い髪に似合いそうな白いリボンを見つけたリィンは衝動的に購入に踏み切っていた。

 これで給料は使い切ったが、元々持っていたミラのほとんどがなくなってしまった。

 ギルドで寝泊りしているのだから路銀の心配をしなくてもいいのだが、やはりミラはある程度あった方が安心できる。

 

「今度、暇な時にでも街道に出て適当な魔獣でも狩るか」

 

「弟君、お祖父ちゃんみたいなこと言わないでよ」

 

「そうは言っても、これが手っ取り早くミラを稼ぐ方法ですし」

 

 もっともそこまで大金を稼げるものではない。

 基本的に魔獣は街道に近付かない。

 なので魔獣がいるのは獣道など木々の生い茂った場所が多い。

 もっとも決まった場所に必ず現れるわけではなし、魔獣を探さなければならないのだから決して効率のいいミラ稼ぎとは言えない。

 しかし、やらないよりはマシだろう。

 

「さあ、ギルドに――あ……」

 

 買うものは買った。

 後はギルドに戻って、配送の手続きとそれに添える手紙を書くだけ。

 今度の手紙には何を書こうかと思いながら帰路に立ち、不意にリィンは足を止めた。

 

「どうしたの弟君?」

 

「いえ、何でもありません」

 

 一瞬目を奪われたが、リィンは首を振って何でもないとアネラスに応える。

 

「さ、早く。ギルドに戻りましょう」

 

 歩き出したリィンにならってアネラスも歩き出す。

 が、彼が何を見て固まったのか、しっかりと見ていた。

 

「ふむ……」

 

 リィンの後を追いながらも、アネラスはリィンが見ていたものを見て少し考え込んで、次の瞬間には名案を思いついたと言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 拝啓 エリゼ・シュバルツァー様

 

 久しぶりだな。元気にしているか?

 思えばエリゼにこうして手紙を書くなんて初めてのことだな。

 

 なんだか随分と心配をかけてしまったようだが、俺は元気にやっている。

 周りの人たちはみんな親切で、むしろ親切過ぎて戸惑ってばかりだ。

 

 思えばあの日から俺はエリゼの顔をちゃんと見ていなかった気がする。

 それはたぶん俺が怖がっていたからなんだと思う。

 表では笑っていても、本当は俺に怯えているんじゃないか。

 そんな嫌な想像を振り払うために剣の修行に明け暮れていたんだと今なら思える。

 なんてことはない、先にエリゼのことを余所余所しく避けていたのは俺の方だったんだろう。

 

 今まですまなかった。

 たぶんあの日からずっとエリゼには寂しい思いを強いてきたんだろう。

 だけど、もう少しだけ待っていて欲しい。

 ユミルの地では得られなかった答えがリベールなら見つけられる気がするんだ。

 確かにリベールに来て大変なことは沢山あった。

 変な同郷人に絡まれたり、さっそく『力』を暴走させてしまいもした。

 だけど、それを差し引いても良い人たちと出会えたと確かに言える。

 だからきっとユミルに帰れるころには、お前の顔をちゃんと見ることができるようになっていると思う。

 

 最後になるが、実はギルドの仕事を手伝って給金をもらえた。

 せっかくなので家族にプレゼントと思い、エリゼにはリベールの国鳥のシロハヤブサのぬいぐるみとエリゼの黒い髪に似合いそうなリボンを選んでみた。

 もうぬいぐるみなんて歳じゃないかもしれないし、リボンも安物だからエリゼの好みに合わないかもしれない。

 気に入らなかったら処分してくれてぜんぜん構わない。

 

 それじゃあ、くれぐれも風邪など引かないように身体には気をつけて。

 

 敬具 リィン・シュバルツァー

 

「ふぅ……こんなものか……」

 

 妹への手紙を書き上げたリィンは息を吐く。

 手元には同様の手紙が二つ。それぞれ父と母に当てたもの。

 

「あとはこれをプレゼントと一緒に送れば――」

 

「弟くーん! ちょっと来てっ!」

 

「アネラスさん?」

 

 下から呼ぶ声にリィンは首を傾げた。

 呼ばれた以上は応えなければ、と階段を下りたが、受付には誰もいない。

 

「こっち、こっちっ!」

 

 呼ぶ声は外からだった。

 呼ばれるがまま、外に出るとそこにいたのはアネラスだけではなかった。

 

「みなさん……どうしたんですか?」

 

 グラッツを始めとしたボース支部を拠点にしている遊撃士たち。

 それにルグランもいれば、メイベルとリラもいた。

 そんな彼らを背にアネラスは笑顔でリィンに話しかけた。

 

「えへへ……実は弟君にプレゼントがあるんだ」

 

 はいっと差し出されたのは小さな箱だった。

 

「プレゼント、ですか?」

 

 ただでさえ今日はいろいろ貰っているのに、これ以上何かを貰うのは流石に遠慮したい。

 

「うん。家族のプレゼントは断られちゃったけど、弟君にならいいでしょ?」

 

「その理屈はどうなんですか?」

 

 とはいえこうなったアネラスはちょっとやそっとの言葉で止まらない。

 短い付き合いながらもすでにアネラスの押しの強さを十二分に理解してしまった。

 半ば強引に小箱を渡されて、開けてみてと催促される。

 

「あ……」

 

 出てきたのは手の平ほどの大きさのオーブメントだった。

 

「オーバルカメラ……どうして……?」

 

 買い物の最後に見かけた写真機。

 それを見て、ヴァレリア湖の絶景を見た時にあったらよかったことを思い出した。

 もっとも、欲しいものを見つけたのが家族へのプレゼントを決めてからだったと言うのは間の抜けた話ではある。

 

「弟君、昨日オーバルカメラのコーナーを見てたでしょ? お姉ちゃんの目は誤魔化せないんだからね」

 

 あの時の反応をしっかりと見られていたようだった。

 

「だけどこれは昔ギルドで使ってたものだから遠慮しないで使ってくれていいんだよ」

 

 確かに渡されたそれは新品ではなく、所々の塗装が剥げて年季を感じされるものだった。

 おそらくは新品なら遠慮してしまうことからの配慮なのだろうが、そこまで自分は分かり易いのだろうかとリィンは見透かされている気持ちになる。

 

「それじゃあ、さっそく撮ろうか?」

 

「え……? 撮るって何を?」

 

「それはもちろん写真をだよ」

 

 アネラスは楽しそうな笑顔でリィンの手から渡したばかりのオーバルカメラを取り、用意していた三脚に設置する。

 

「それじゃあ、みんなも並んでください」

 

 すでに段取りは済ませているのか、ルグランやグラッツ、メイベルたちは楽しそうに笑いながらギルドの前に並ぶ。

 

「え……? ええ!?」

 

「ほら、お前は真ん中だ」

 

 戸惑っている内にグラッツに腕を引かれみんなの真ん中に立たされる。

 

「弟君、写真は笑顔じゃないとダメだからね」

 

「笑顔って……いきなり言われても」

 

「難しく考えることはないぞ」

 

「グラッツさん……?」

 

「肩肘張る必要なんてないんだよ。笑顔なんて普通にしてれば勝手に出てくるもんだ」

 

 そう言いながら、グラッツはリィンの頭に手を置いてぐしゃぐしゃにかき回す。

 

「ちょ、やめてください。グラッツさん」

 

「はは……それじゃあ一つ聞くけど、リベールに来て良かったか?」

 

 その言葉にリィンは迷うことなく頷いた。

 

「はい」

 

 リベールに来て多くの人と出会った。

 その人たちはみんな親切で、こちらが逆に恐縮してしまうほどだった。

 

「それじゃあ撮りますよ」

 

 アネラスはタイマーをセットして駆け足で戻ってくる。

 

「弟君の右手もーらいっ!」

 

「えっ!? うわっ!?」

 

 言葉通りにアネラスはリィンの右腕に抱き付く。

 

「あらあら、それじゃあ私は左手に」

 

 くすくすと笑いながらメイベルはアネラスと同じ様に左腕に抱き付く。

 

「ちょ!? 二人とも――」

 

 助けを求めるようにリラを見るが、彼女は諦めてくださいと言わんばかりに首を横に振る。

 

「ははは、両手に美女二人なんて羨ましいなリィン」

 

 グラッツはそんなリィンの頭に手を乗せる。

 ルグランはそんな風にもみくちゃにされるリィンを見て笑うだけ。

 

「はぁ……」

 

 ため息を吐いて、リィンは諦めてこの状態を受け入れる。

 

「それじゃあ、みんな。1+1は?」

 

 アネラスの音頭にリィンたちは全員で声をそろえて答えた。

 

 

 

 

 

 

 温泉郷ユミル

 

「あなた、リィンから荷物が届きましたよ」

 

「おお、そうか……む、荷物? 手紙ではなくて?」

 

 心待ちにしていた息子からの連絡にテオは荷物だと聞いて首を傾げる。

 

「はい。食堂に置いておきましたからエリゼも呼んで開けてみましょう」

 

「うむ。そうだな」

 

 リィンが何を送ってきたか分からないが、便りが来たことには変わりない。

 テオはそそくさと仕事を切り上げて、食堂に向かう。

 と、部屋を出たところで音を立てて、向かいのドアが開いた。

 

「父様、兄様から手紙が来たって本当ですかっ!?」

 

 淑女にあるまじき大きな声を出すエリゼにテオは苦笑して、見なかったことにする。

 

「ああ、食堂にあるようだ。一緒に行こうか」

 

 エリゼと、彼女を呼びに行ったルシアと合流し、三人揃って食堂へ入る。

 テーブルには一抱えもある大きな箱があった。

 

「随分と大きなものを送ってきたな」

 

「父様早く」

 

「分かった分かった。そう焦るな」

 

 エリゼに急かされてテオが箱を開けると、中からさらに三つの箱が出てきた。

 

「ふむ……どうやら一人一人に送ってきたようだな」

 

 箱に書かれた宛名を見てテオはルシアとエリゼにそれぞれの箱を配る。

 エリゼは待ち切れないと言わんばかりに箱を真っ先に開ける。

 まず出てきたのは白い鳥のぬいぐるみだった。

 そして一通の手紙と小さな包装がエリゼの箱の中身だった。

 

「ふむ……」

 

 テオは自分の箱を開ける。

 まず目に入ったのはワインの箱だった。

 一緒に入っている包みは見ただけでは分からないが、とりあえずそれは置いておくとして手紙を開ける。

 ざっと中身を軽く読むと、箱の中の品々はギルドの仕事によってもらった給金で購入したものらしい。

 

「まったく自分のために使えば良いのに」

 

 息子の生真面目さにため息をもらすが、テオの顔は嬉しさを隠し切れていなかった。

 

「む……」

 

 ふと、手紙が入っていた封書にまだ何かあることに気が付く。

 何かと思って取り出してみると、それは一枚の写真だった。

 

「ああ……」

 

 思わず安堵の息がもれ、目頭が熱くなった。

 

「あなたどうしました?」

 

 ルシアの呼びかけにテオは佇まいを直して応える。

 

「手紙と一緒に写真が入ってたよ」

 

 二人に見せるようにテオはテーブルにその写真を置く。

 支える篭手の紋章を看板に飾った店の前。

 見知らぬ人たちに囲まれたリィンは二人の美しい女性に挟まれて笑っていた。

 作り笑いではない屈託のない年相応の笑顔がそこにあった。

 リィンのそんな顔を見たのはいつ以来だろうか。

 

「あらあら、まあまあ」

 

 その写真を見て、嬉しそうにするルシア。

 だが、同じ様に嬉しそうにしながらも頬を膨らませているエリゼにテオは苦笑した。

 

 『探さないで下さい。必ず『力』をどうにかして帰ってきます』

 

 そんな書置き一つ残していなくなった時には不安で仕方がなかった。

 遊撃士に捜索願を出し、遠いリベールの地で見つかったと知らされた時はリィンの行動力に驚かされた。

 残念なことにリィンはリベールで何らかの事件に巻き込まれ、また帝国内では猟兵団による遊撃士協会襲撃という事件が各地で起こっていることもあり、当面はリベールの遊撃士協会で保護されることとなった。

 手紙では大事無いと伝えられていたが、不安は拭い切れなかったがその写真で大丈夫なのだとはっきり分かった。

 

「頑張れよ、リィン」

 

 窓から見える空を見上げ、テオは激励の言葉を呟いた。

 

 

 

 

 




 男が一人、己の野望のために大き過ぎる試練に挑む。
 それはあまりにも無謀な戦い。
 全てを飲み込むその姿はまさに怪物。
 その前には男などちっぽけな存在に過ぎなかった。
 だが、それでも男は決して退かない。
 その先に薔薇色の桃源郷があることを信じ、最も危険な死地へと踏み出した。

 次回、地方都市ロレントへの出張。

 偉大なる馬鹿者に合掌……


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