「この世界は夢なんかじゃないけど、人の望みに反応し、それを実体化させるそんな世界……」
新たな封印石から現れた結社の執行者《殲滅天使》レンは、解放直後は一触即発になったものの、ティータの仲裁のおかげで何とかその場は治まり彼女の協力を得ることができるようになった。
その類まれな分析能力を当てにして、これまでのことを一通りレンに説明すると彼女は瞬く間に《影の国》の謎を紐解いた。
「だから、それを証明するためにリィンを五歳の姿にしてみようと思うの」
「……いや、そんなことしなくてもいいと思うんだけど……」
いたずらを思い付いたと言わんばかりのレンの小悪魔的な笑みにリィンは顔を引きつらせる。
「あら? 実験と検証は大切よ……
もしそれができればレンが説明したことの証明になるし、それに今のリィンが想念体なのかどうか、調べるのは重要なことじゃないのかしら?」
「それは……そうかもしれないけど……」
「そうだよね! すごい重要なことだよねっ! レンちゃん、私にできることがあれば何でも言ってね!」
渋るリィンに対してアネラスはやる気に満ちた様子で鼻息を荒くする。
「アネラスさん……」
先程思い出した記憶の扉でのイメージが音を立てて崩れていくように感じた。
もっとも、レンの提案に乗り気なのはアネラスだけではなかった。
ティータやクローゼにオリビエなど最初の姿を見ていた人もそうだが、後半に解放されて話でしか聞いていないシェラザードとエステルも興味津々だった。
乗り気な彼女たちに悪いが、リィンとしてもせっかく取り戻した記憶を一に戻すことは遠慮したい。
「レン……やっぱりやめた方がいいんじゃないか?
仮にまたあの姿になったとしても、せっかく取り戻した記憶をなかったことにするわけにはいかないだろ」
「それは大丈夫じゃないかしら?
自己をしっかりと保っていれば記憶はそのままの状態で服を着替えるように想念の外見を変えられるはずよ」
「その理屈だと、エステルさん達も同じことができるんじゃないのか?」
「それは無理じゃないかしら……レン達はそもそも肉体という《器》が存在しているから、それこそ大佐さんのように服くらいを変えるのが限界じゃないかしら?
その点、リィンは五歳から記憶の扉を解放に伴って自分の姿を取り戻していることを考えると、リィンには《器》がない状態と考えるのが妥当じゃないかしら」
「……そう……か……」
覚悟はしていたが、改めてそれを言葉にされリィンは唸る。
「ふふふ……だから、リィンがその気になれば姿かたちは自由に変えられるはずだから、試してみましょう」
「いや、だからって無意味にそんなことをしてもだな……」
レンの仮説が正しく、記憶を保持できる状態で年齢を下げることができれば《器》のない何よりの証明になるだろう。
しかし、リィンはそれが怖くて尻込みしているわけではない。
あの時は記憶も曖昧で姿に精神が引きずられていたのか、気にならなかったが幼い自分の姿をみんなに披露するのは抵抗がある。
それに時折、その時の事を名残惜しそうな視線を向けてくる彼女たちの視線のことを考えると、その後の自分の末路が容易に想像できてしまう。
「リィンってば、レンと一緒にクロスベルに行ってくれるって約束したわよね?」
「う……」
レンの顔を見た時に連鎖的に思い出した記憶の一つを思い出してリィンは呻く。
浮遊都市で交わした約束。
当然、現実世界で死んでしまったリィンがその約束を果たせるわけがない。
「うそつき」
「すまない」
彼女の非難の言葉にリィンは頭を下げることしかできなかった。
「それじゃあレンの実験に付き合ってくれるわよね?」
「…………分かった。それでレンの気が済むのなら」
こちらを揶揄う笑みを浮かべたレンにリィンは観念して頷いた。
そんな二人のやり取りにエステルは顔をしかめて尋ねた。
「ねえレン、それにリィン君……二人っていつのまにそんなに仲良くなったの?」
「えっと確か……」
記憶を思い出そうとしようとしたところにレンがこれ見よがしにリィンの腕に抱き着いてエステルに煽る様に答える。
「フフフ、気になるのエステル?」
「そりゃあ……まあ……」
「レンとリィンは同じだもの、仲が良いのは当然よ」
「むむむ……」
「えっと……」
想い人に嫉妬の眼差しを向けられることになったリィンは何とも言えない複雑な気持ちになる。
「それにリィンはレンに家族にならないかって言ってくれたのよ」
「あんですってーっ!!」
叫ぶエステルにリィンは頭を抱える。
「レン、その言い方だと誤解を招くだろ……」
もっともその誤解をするようにわざと仕向けての言葉なのだろう。
「ちょっとリィン君っ! それどういうことっ!」
「家族になる……リィン・シュバルツァー。色々な意味で評価を改める必要がありそうです」
取り乱したエステルに胸倉を掴まれて揺すられるリィンはオライオンのジト目に言葉を返すことはできなかった。
そしてその後の実験は最初はうまくいかなかったが、レンのサポートがあって不幸にも五歳児の姿になることに成功してしまった。
当然、記憶と意識はそのままだったのだが、その直後に起きることを考えるとその結果にリィンはため息を吐くことしかできなかった。
*
「ウフフフ、殲滅完了ね」
星層の探索を行うリース達に代わって、記憶の扉を開放するためにリィン達は第四星層の偽グリンゼル要塞を訪れていた。
「悪魔っていうのも大したことないわね、ティータ、アルティナ」
悪魔を見たいと主張するもリースとエステルと一緒に探索に行かなかったレンはリィンの方に同行し、それにティータ達を巻き込んだ。
「あうう……待ってよレンちゃん」
「《殲滅天使》、先行のし過ぎだと具申します」
身の丈以上の大鎌を軽々と操り、行く手を阻む下級の悪魔や獣人を簡単に薙ぎ払って進むレンにティータは涙目になって追い駆け、オライオンもクラウ=ソラスに乗ってそれに続く。
「ったく、ガキ共が……」
そんな彼女たちをアガットとリィンが追い駆ける。
「でも、味方になると心強いですね」
「確かにそうだが、ティータを巻き込んで怪我でもされたら俺がエリカの奴に殺されかねないんだよ……たく……」
「…………アガットさん……」
「あん? 何だシュバルツァー?」
「誰に言い訳しているんですか?」
「…………うるせぇ!! それよりいい加減ガキ共の前に出るぞっ!」
アガットは吠えて走る速度を上げて、一気にレンとティータを追い抜いて前に出た。
そんな彼の背中にリィンは苦笑を浮かべる。
現実でどれだけの時間が経っているのか、具体的に聞いていないが変わらないその姿にリィンは人知れずに安堵するのだった。
………………
…………
……
『くぉらぁぁぁぁぁぁ!! リィィィィィンッ!!』
赤い特務兵と戦い、《鬼の力》を暴走させかけたリィンは大歓声を突き破って聞こえて来たエステルの声を切っ掛けに正気を取り戻した。
直前の無様さに苦笑を浮かべながらリィンは改めてその光景を見渡した。
場所は王都のグラン=アリーナ。
対峙している敵は赤い装束を来た特務兵。
彼との試合に負けかけ、情けないことに再び《鬼の力》を暴走させたリィンは観客席にいる彼女の言葉によって最後にして最初の一歩を踏み出すことができた。
そして自分の名を呼んでくれていたのは彼女だけではない。
「エステルさん……アンゼリカさん……サラさん……クレアさん……」
彼女だけではない。
自分の身を案じて名を呼んでくれている。
控室の方では顔を覗かせたアネラスにグラッツ達も同じように叫んでいる。
観客席の最前列にはらしくもない真剣な顔のオリビエまでいる。
こんなにも多くの人に支えられていたことを、リィンは改めて嬉しく思い、そんな彼女たちに応えたいと思った。
だからこそ、過去のリィンは彼女たちの声に背中を支えられて、そこに辿り着く。
「神気合一」
記憶の再生が終わる中で、リィンは観客席を見回して誰かを探していた。
何故だろうか、この光景に不足なものは何もないはずなのに、誰かがいないとリィンは思った。
*
「ふーん……これでリィンはエステルに惚れ直しちゃったのね」
扉から出たレンはからかうような笑みを浮かべてリィンに早速言葉をかける。
「ああ……そうだな……」
リィンは上の空でそれを肯定していた。
思っていた反応と違うことにレンは首を傾げる。
そしてそれはアガットも同じだった。
「おい、シュバルツァー。どうした?」
「アガットさん……あの記憶……誰かがいないような気がしたんです」
何かが足りない。
これまで記憶の扉を解放した後には失っていたものが満たされる充足感があったのだが、その充足感の中に奇妙な穴があることに気がついてしまった。
具体的に何なのかは分からないが、それはとても大切だったような気がする。
「…………悪いが、今の記憶の時には俺達はそこにいなかったから、おかしなところがあったかは分からないな」
「そうですか……すいません……変なことを言い出して」
記憶の大部分が戻って来たからこそ、その空虚な穴の存在が明確に感じることができてリィンは戸惑う。
そんなリィンはふと背後に感じた気配に振り返る。
「アル――オライオン……」
「はい。そうですが、何か御用ですがリィン・シュバルツァー?」
当たり前のようにその位置に佇むオライオンにリィンは違和感を覚えずにはいられない。
そんな、傍から見れば必死に何かを思い出そうとしているリィンを見兼ねてアガットが提案する。
「とりあえず一旦拠点に戻るぞ」
「あ、それならレンに方石を使わせてちょうだい」
そう言うと、流れるような動きでレンはアガットの手から方石を奪っていた。
「おい……」
「ふふふ、こうかしら」
そうレンが呟くとリィン達は光に包まれて転移した。
しかし、移動した先は《隠者の庭園》ではなかった。
「ここが《第五星層》の最前線みたいね」
確信犯のレンは周囲の様子を見て楽しそうに呟く。
「レ、レンちゃん……」
「おい、このチビ助……いったい何のつもりだ?」
「フフフ、そんなに睨まないでよ……レンはちょっとここで確かめたいことがあるだけよ」
「確かめたいことって……あ、もしかしてパテル=マテルのこと?」
「ちっ……それならそうと先に言いやがれ」
アガットは舌打ちして重剣から手を放す。
「ふふふ……ごめんなさい……
でも、赤毛のお兄さんだって次の探索に参加できないんだから別にいいでしょ?」
「それは……」
「それにパテル=マテルを探すのに迷って先に進んでも仕方ないわよね?」
「……まあ、いつまでも《悪魔》が出る度に神父とシスターに押し付けるわけにはいかないからな……って、話をすり替えてんじゃねえ」
的確にアガットの隙をついて、探索の手を進めようとするレンにアガットは流される寸前に我に返る。
「とりあえず方石を返しやがれ」
レンから乱暴にアガットは方石を奪い返す。
とはいえ、来てしまったものは仕方がない。
リィンの記憶の扉もあっさりと見つかってしまい、不完全燃焼なアガットはレンの要望に少しだけ応えるのだった。
………………
…………
……
「あれが《悪魔》みたいね……フフ、そこら辺を徘徊している雑魚と違って少しは強かったけどレンの敵じゃないわね」
頭上から襲い掛かってきた三体の蜘蛛と後から現れた大きな親蜘蛛を倒したリィン達はこれ以上の増援がないことに安堵して戦闘態勢を解除する。
「悪夢の紡ぎ手、迷宮に迷い込んだ魂を喰らう三姉妹。七十七の悪魔の眷属《暴食の》アルケニーと母親の《シグマ》だったかしら?」
博識に知識を振る舞うレンにアガットはため息を吐いてその首根っこを掴み上げる。
「おい……このクソガキ……パテル=マテルのところに行くんじゃなかったのか?」
「こっちにいると思ったんだけど違ったみたいね」
悪びれた様子のないレンにアガットは眦を上げ、怒鳴ろうとしたところで音が鳴り響き封印石が現れる。
「あ……封印石……レンちゃんの封印石で終わりだと思ったけど……」
「ふーん、それじゃあレンもあんな綺麗な宝石の中に閉じ込められていたのね。うふふ……おとぎ話のお姫様みたい」
まったく動じないレンにアガットはため息を吐く。
「シュバルツァー、こいつを掴まえておけ」
アガットはリィンにレンを押し付けて封印石を拾う。
「とにかく一度拠点に戻るぞ。パテル=マテルは今度の機会にするんだな」
そう言って振り返るアガットにリィンは厳しい目を返して首を横に振った。
「いえ、それにはまだ早いみたいです」
「何……?」
「隠れてないで出てきたらどうだ?」
リィンが虚空に向かって呼びかけると、声が返って来た。
「クク……相変わらずの鋭さだな」
「なっ!?」
背後に現れた禍々しい魔法陣に驚いてアガットはその場から飛び退く。
そしてその中から黒騎士が現れた。
「……え……」
レンがその姿を見て声をもらすが、黒騎士は彼女を一瞥もせずにリィンに向かって言葉をかける。
「順調に本当の姿を取り戻しているようで何よりだ……
しかし、神父の方はいまだに人事不肖の身か。それにここに辿り着くのはシスターを伴ってだと思っていたが、新たに得た駒はいささか規格外だったようだな」
「あら……新しい駒ってレンのことね」
「フフ、その駒のせいで私の登場は予定よりも早まった。さすがは《お茶会》を開いた主人と言うべきか」
「うふふ……なかなか判っているじゃない」
黒騎士に褒められてレンは誇らしげに胸を張る。
「さて……役目を果たすとしようか……
その石は一揃いの駒を手に入れたお前たちへの褒美と考えるが良い。封じられしは駒ではなく、ルールブックの類ではあるがな」
「ルールブックだと……」
黒騎士の言葉をアガットは意味が分からないと言わんばかりに繰り返すが、レンがそんな彼に代わって応える。
「遊戯を対等に進めるための知識と約束事をまとめたもの……
ふふ……どうやら本格的な遊戯はここから始まるということかしら?」
「それはお前たち次第だ。一つ言えるとするならば……
次なる遊戯盤で、お前たちは全員、《試練》に直面することになるだろう」
そう言うと、黒騎士は詠唱を始めて転移の魔法を起動する。
「待ちやがれっ! 《試練》っていうのはどういう意味だっ!?」
「クク、大小様々な乗り越えるべき《試練》……その中にはこの私も含まれる」
「…………ふぅん……」
「果たしてお前たちに乗り越えることができるのか……フフ、楽しみに待っているぞ」
そう言い残して黒騎士は転移して消え去った。
「……ちっ……どこのどいつか知らねえが随分と舐めた真似してくれるじゃねえか」
いなくなってしまった黒騎士にアガットは舌打ちして重剣を背中に戻す。
「とにかく今度こそ拠点に戻るぞ。いいな?」
普通の子供ならそれだけで泣き出してしまいそうな顔と強い言葉でレンに向かってアガットは威圧するが、レンは全く堪えた様子もなく笑っていた。
いつかどこかでIF
オリビエ
「リィン君。ボクは重大なことに気が付いてしまった」
リィン
「何ですかオリビエさん、藪から棒に?」
オリビエ
「レン君の補助があったが、影の国でリィン君は想念を纏うようにしてその姿を変容させることを成功させた……
その技術を分け身に応用すれば多種多様なリィン君を作り出すことができるのではないかと!」
リィン
「…………」
アネラス
「オ、オリビエさん! それってもしかして出せる分け身が一人じゃなければ……」
オリビエ
「ふ……流石だねアネラス君。その可能性にいち早く気付くとは……
そうっ! 作り出す分け身の数次第ではリィン君のハーレムも夢ではないっ!
しかも今ならショタリィン君はもちろん、女装などしない本物のリン・シュバルツァー(ロリータ)さえも再現可能だということに違いないっ!
と、いうわけだからリィン君、さあっ!」
リィン
「…………」
リィンは無言で拳を握り込んだ。
………………
…………
……
アンゼリカ(土下座)
「リィン君、一生のお願いだ。私にリン・シュバルツァーのハーレムをっ!」