(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

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8話 二人の八葉 前編

 

 

 正遊撃士を目指して旅に出たエステルたちを見送り、シェラザードは彼女が拠点としているロレントへ帰って行った。

 オリビエはそんなシェラザードと一緒にロレントへ新たな出会いを求めて去って行った。

 そしてリィンはボース遊撃士支部で下働きとして住み込みで働いていた。

 

「もうあれから一週間か……」

 

 協会の前でリィンは箒で掃除しながら物思いに耽っていると声をかけられた。

 

「お、リィン相変わらず早いな」

 

「あ、グラッツさん。おはようございます」

 

 声をかけてきた赤毛の男にリィンは頭を下げる。

 

「もう依頼書は掲示板に張り出しておきましたよ」

 

「……何度も言ってるが、お前はギルドで保護することになっているだけで、そんな雑用しなくたっていいんだぞ?」

 

「そういうわけにはいきませんよ。衣食住を賄ってもらっている以上、その分働くのは当然です」

 

「……まあお前が納得しているならいいがな。ギルドはいつだって人手不足、ルグラン爺さんも歳が歳だからな正直助かるよ」

 

 だが無理だけはするなよっと、肩を叩いてグラッツはギルドに入っていく。

 遊撃士協会は常に人手不足。

 酷い時はリベールで一番大きな都市の王都グランセルを正遊撃士と準遊撃士の二人だけで回していたこともあったらしい。

 とはいえ、今のボース支部も決して人数が足りているわけではない。

 正遊撃士はグラッツとアネラスの他に数名。

 その人数でリベールの第二の大きさの商業都市ボースとその周辺の村を賄うのは難しいのだろう。

 

「…………とりあえず、掃除はこんなものか……」

 

 通りに行き交う人の数が増えていく。

 掃除を切り上げて、リィンは嘆願書を投函するポストを覗き込み、昨日の夕方以降に投函された依頼書を回収する。

 そして、受付のテーブルでリィンは依頼書を分類別に分けていく。

 

「それにしても遊撃士の仕事って聞いてたようなものとはだいぶ違うな……」

 

 嘆願書の山を振り分けながら、リィンは思う。

 国の平和と民間人の安全を守り支える専門家。

 正義の味方のようなイメージで軍人よりも民間人に身近なことから、子供は遊撃士に憧れる。

 しかし、やっていることは落し物の捜索から配達、屋根の修理など雑用ばかり。

 危険な魔獣の目撃情報など、この一週間で数えるほどしか見ていない。

 

「地味な仕事ばかりだな……もしかして遊撃士が少ないのはこのせいなのか?」

 

 憧れる子供は多いが、実際の遊撃士の数は少ない。

 話に聞くだけなら遊撃士は正義の味方だが、普段の彼らは便利な何でも屋。

 その現実とのギャップが子供が遊撃士になることを諦める原因だと思うと、やるせなくなる。

 

「リィン君、茶を淹れたから一休みせんか?」

 

「ありがとうございます、ルグランさん。ちょうど終わったところです」

 

 整理した嘆願書をそれぞれの箱へと入れて、ルグランに渡す。

 

「うむ……仕事にはもう慣れたようじゃな?」

 

「はい。おかげさまで」

 

 と言っても、リィンに任される仕事はそう多くはない。

 遊撃士の資格を持っていないリィンができることといえば、協会内の掃除と嘆願書の整理。それから物資の買出しくらいなのだが。

 重要書類は当然触れないし、報酬の決定もリィンにはできない。

 しかし人手が足りないギルドにとってはそれだけでも助けになっているようだった。

 ルグランが淹れてくれたお茶を受け取り一息吐いて、リィンは呟く。

 

「……ユミルにいる時はこんなにのんびりした時間を感じたことはなかったのに」

 

 そう言ってからリィンはうすうす感じていた考えを口にしてから、それを否定した。

 

「いえ……思えば俺はずっと他人の視線に怯えていたのかもしれません」

 

 ユミルは決して大きくはない里だ。

 六年前にリィンのしたことは関わった全ての人間に口止めできていたとしても、噂となってユミルの里に尾ひれをつく形で浸透していた。

 領主の子供だったから目に見えた迫害は受けなかったが、その日からリィンから距離を取った友達は一人や二人ではない。

 それは仕方がないことだと思う。

 誰だって、自分の倍以上ある身の丈の魔獣を惨殺した異常な子供に近付きたくはないだろうし、親だって近付けさせたくはないだろう。

 

「ここでは俺のことを知っているのは遊撃士の人たちだけですから。だからユミルよりも居心地がいいのはそのせいかもしれません」

 

 寝食を忘れてとにかく剣の鍛錬に時間を費やしたのはそんな視線を振り払うためだったのかもしれない。

 

「……リィン君、お前さんは……」

 

「大丈夫ですよ。ルグランさん……俺はちゃんとユミルに帰ります……

 ただユミルを離れてみて分かったことがあるっていうだけの話です」

 

 これがただの被害妄想なのか、自分が思っている通りに影ながら疎まれているのか。

 その答えから逃げるつもりはない。

 

「やれやれ……その歳でそこまで悟ってしまうとは難儀なものじゃな……

 それならもし故郷に居られなくなったら遊撃士にならんか?」

 

「俺が遊撃士ですか……?」

 

「遊撃士の資格は十六歳から取れる……リィン君の仕事振りは真面目じゃし、人との応対もよくできておる。意外と天職かもしれんぞ?」

 

「無理ですよ。俺にはあの『力』がありますから」

 

 いつ暴発するかも分からない『力』のことを考えれば、守るべき民間人に凶刃を向ける可能性がある自分では遊撃士に相応しくない。

 

「あの『力』がある以上、俺は…………」

 

 それは遊撃士に限った話ではない。

 シュバルツァーの家を仮に継げたとしても、そんな爆弾を抱えた人間が人の上に立って良い訳がない。 

 

 ――それに俺はきっと、ずっと独り身だろうからな……

 

 別に好きな人がいるわけではないのだが、養子とはいえリィンも貴族の身である以上考えてしまう。

 家を継ぐことは当然その後の子供を作り、シュバルツァーの名を後世に繋げていかなければならない。

 だが義理ではあるが妹にさえ避けられているような男に伴侶を作ることができるとは到底思えなかった。

 それに社交界の場でも、自分のことはいくら悪く言われてもいいが、養父やエリゼのことを目の前で貶されたら自分を保っていられるかどうかも怪しい。

 結局、どう考えてみてもリィンがシュバルツァーの家を継ぐには相応しくない。

 それがリィンの結論だった。

 

「そう結論を急ぐこともなかろう」

 

「ルグランさん……」

 

「まだお前さんは若い……そんな悲観的なことばかり考えていては息が詰まるじゃろ」

 

「いや、でも……覚悟はしておかないと」

 

「お前さんは『力』の前にその生真面目さをどうにかした方がいいんじゃないかの?」

 

 どこか呆れた口調にリィンは困った顔をする。

 

「戒めてばかりでは、いつか身動きできなくしてしまう……

 それに案外どうにかなるかもしれんぞ。エステル・ブライトも言っておったのだろ?

 わしら『支える篭手』、お前さんほど支え甲斐のあるやつはそうはおらんよ」

 

 ほほほ、と朗らかに笑うルグランにリィンは反論の言葉が浮かんでこなかった。

 

「それこそうちのアネラスを少しは見習うといいじゃろ」

 

「アネラスさんを、ですか?」

 

「うむ。実はの、あの子も人には言えない悩みを抱え、重い枷をつけておるのじゃ」

 

「アネラスさんが?」

 

 それは意外なことだった。

 いつも明るく元気なアネラスに今まで影らしいものを感じたことはなかった。

 

「それは俺が聞いてもいいものなんですか?」

 

「かまわんかまわん」

 

 何故だろうか。人の秘密を話すというのにルグランのノリは軽過ぎるような気がした。

 

「アネラスはの……準遊撃士のころに朝っぱらからアイスを三個も食べて腹を壊したんじゃよ」

 

「…………えっと……」

 

「その日は当然使いものにならなくての……

 それからというものアイスは一個までと決めたそうなんじゃが、そもそもアイスは朝から食べるものじゃないと思わんか?」

 

「そ、そうですね……あの、それがアネラスさんの戒めですか?」

 

 思わず確認すると、ルグランは鷹揚に頷いた。

 

「ま、ワシらから見れば下らんことだが、アネラスにとっては重要なことらしいぞ」

 

「そ……そうですか……」

 

 その話をしてルグランが何を言いたいのか分からずリィンは困惑する。

 

「ほれ、そこで真面目に考えておるじゃろ? こういう話は笑ってすませればいいんじゃよ」

 

「そう言われても……」

 

 リィンの前でアネラスは立派な姉弟子を心掛けているのだが……

 

「別に意外でもなんでもないと思いますけど」

 

「お前さんも中々に言うのう」

 

 仕事が終わった後のアイスはこの一週間で欠かしてないし、昼食もデザートとしてアイスを食べている。

 傍から見ていても、その食べぶりから彼女の好物だと分かる。

 

「ただいまー!」

 

 と、話していると依頼を終えてきたアネラスがギルドに入って来た。

 

「ルグランじいさん、そこで果物屋のおばさんにみんなで食べてちょうだいって、完熟りんごこんなにもらっちゃった」

 

 抱えた紙袋を嬉しそうに見せるアネラスは荷物をテーブルに置くと、リィンの前にやってきて手を伸ばす。

 

「弟君はいい子にしていたかな?」

 

 そう言って頭を撫でてくるアネラスをリィンは受け入れる。

 最初こそ子供扱いしないでくれと拒絶したのだが、抵抗は聞き届けてもらえず最早諦めてしまった。

 そんな風にいつもお姉さん振っているアネラスにされるがままにされながら、直前の話を思い出して温かい目を向けてしまう。

 

「……? どうかした?」

 

「いえ、ルグランさんからアネラスさんの話を聞いていたんです」

 

「ええ!? 私の話をしてたの? 何だか恥ずかしいな……それで何の話を聞いていたの?」

 

「アネラスさんが朝からアイスをたくさん食べてお腹を壊した話です」

 

「ええっ!? ルグランじいさん、何で弟君にあの時のこと話ちゃうかなぁ」

 

 照れた顔が一転してむくれて抗議する。

 当のルグランは、ほっほっほっと笑いを残して受付の奥に引っ込んでしまった。

 

「ううう……弟君の前では凛々しくてかわいいお姉さんでいたかったのに……」

 

 むくれるアネラスにリィンは苦笑する。

 

「すいません……お詫びに今度アイスを作ってあげますからそれで許してください」

 

「え、弟君アイス作れるの?」

 

「今は料理の勉強をしている最中ですが、レシピがあればその通りのものくらいは作れると思いますよ」

 

 その言葉にアネラスは目を輝かせてリィンの手を取った。

 

「絶対だよ。約束だよ」

 

「は、はい」

 

 鬼気迫る眼差しに頷くと、アネラスはやったーと諸手を挙げて喜ぶ。

 その子供っぽさにリィンは思わず苦笑をもらす。

 と、それに気付いたアネラスはコホンと咳払いして、取り繕う。

 

「そういえば弟君、身体はもう大丈夫なんだよね?」

 

「ええ、ただ記憶の方は相変わらずです」

 

 アネラスの問いにリィンは頷く。

 空賊事件の日から、すでに身体は全快している。

 しかし、やはり記憶の方には霧がかかったまま剣のこと以上のことは思い出すことはできない。

 

「そっか……」

 

 リィンの答えにアネラスは考え込む。

 先程までの明るい顔が一転して、深刻な顔をするアネラスにリィンは不安を感じて呼びかける。

 

「アネラスさん?」

 

「ねえ、弟君。あとで私と手合わせをしない?」

 

 そんなことをアネラスは突然言い出した。

 

 

 

 

 東ボース街道。もうすぐ完全に日が落ちる夕方。

 二人の剣士は街道から外れた広場で木刀を手に手合わせをしていた。

 試すような打ち込みから始まり、その勢いは次第に苛烈な技の応酬へと激しくなっていく。

 そして最後に――

 

「焔よ……我が剣に集えっ!」

 

 今まで出来なかったはずの技。

 何故かできると確信して放った技は、しっかりと手応えを感じて形になる。

 木刀を構えるアネラスに向けて、一閃、二閃、三閃と叩き込む。

 

「うん……弟君の実力はだいたい分かったかな」

 

 それを受け切り朗らかに笑うとアネラスは、次はこっちから行くよ、と言って斬りかかる。

 リィンは木刀を正眼に構えてアネラスの攻撃に備える。

 

「剣技――八葉滅殺っ!」

 

「ぐっ……」

 

 息も吐かせない連続斬り。

 最後にアネラスは跳び上がり、体重を乗せた一撃をリィンが持つ木刀に叩き込んだ。

 

「っ……」

 

 それを受け切れずに木刀は弾き飛ばされ、リィンは尻もちを着く。

 

「勝負あり、だね」

 

「はい。俺の負けです」

 

 木刀を突き付けられてリィンは潔く降参する。

 

「流石、お祖父ちゃんに鍛えられていただけあるね。基礎の部分は私から見ても十分だったよ」

 

 木刀を戻し、地面に突き立てながらアネラスはリィンのことを褒める。

 

「ありがとうございます。アネラスさんの剣技もすごかったです」

 

「そ、そんなことないよ」

 

 リィンに褒められてアネラスは照れながら謙遜するが、その顔をすぐに引き締めてリィンに向き直る。

 

「でも、弟君……」

 

「はい?」

 

「剣を合わせて分かったけど、弟君の剣には『畏れ』があるね」

 

「それは……」

 

「剣を振って誰かを傷付ける事が怖い? 攻撃を受けて痛みを感じるのが怖い?

 ううん、それ以上に対峙して気持ちを昂ぶらせることさえ、無理に抑え込んでいるように感じたよ」

 

「……流石ですね」

 

 自分の内心を言い当てるアネラスにリィンは感服する。

 『武』の道を進む者なら当然感じる強敵と戦う高揚感も、リィンにとっては忌避するものに過ぎなかった。

 

「弟君は剣は好き?」

 

「分かりません……俺は自分の力を律するための精神を鍛えるために剣の道を進むことにしたんです……

 だから、技を鍛えて強くなりたいっていう気持ちは正直あまりないのかもしれません」

 

 それが偽らないリィンの本音だった。

 ユン老師から修行を打ち切られた時も、剣の才能がないと落ち込むよりも先に考えたのはこれから先の不安だった。

 

「『武』の道を邁進しているユン老師やアネラスさんから見たら、不純な動機から剣を取ったに過ぎないんです俺は。すいません」

 

「それは別にお祖父ちゃんは気にしてないと思うけどな」

 

 真面目なリィンの物言いにアネラスは思わず苦笑し、その顔を神妙にした。

 

「ねえ弟君……」

 

「何ですか?」

 

「あの『力』をここで見せてもらってもいいかな?」

 

「なっ!?」

 

 アネラスが言い出したことにリィンは耳を疑う。

 

「アネラスさん、あれは本当に危ない力だって言ったはずです」

 

「うん、それは分かってるけど。いざという時のためにどれくらいの強さになるのか知っておきたいから……

 あ……もしかして自分で使うことはできない?」

 

「いえ……たぶんできます」

 

 リベールに来てから何もしてないのに胸の中の焔は一度勝手に大きくなり、そして記憶のないあの日から確かに感じ取れるようになった。

 

「それじゃあお願い」

 

「でも……」

 

「大丈夫大丈夫、得物は木刀だし、私は軽鎧を着てる。それに少しくらい怪我したって導力魔法だってあるんだから……

 それに私はリィン君の姉弟子、お姉ちゃんを心配するなんて十年早いよ」

 

 先程までの手合わせでアネラスの実力が自分よりも高いことは分かっている。

 雲を掴むような老師の力と違って、自分とアネラスの差は十分に理解できる。

 

「…………分かりました」

 

 少し考えてリィンはアネラスの提案に頷いた。

 避けてばかりではいつまで経っても制御なんてできるはずがない。

 以前なら考えることさえできなかった前向きな考えを認めていたことにリィンは自分でも驚いた。

 

「いきます……危ないと思ったら逃げてください」

 

 胸の中の焔に意識を集中し、気持ちを昂ぶらせる。

 少しずつ、試すように徐々に焔を解放していく。

 

「くっ……」

 

 視界が赤く染まり、凄まじい破壊衝動が膨れ上がる。

 

「違う……あれは倒すべき敵なんかじゃない」

 

 目の前の女を殺せとざわめく焔にリィンは必死に言い聞かせる。

 だが、リィンの抵抗は空しく思考がどんどん鈍くなり霞がかかり理性が塗り潰されていく。

 

「おおおおおおおおおおおっ!」

 

 髪が真っ白に染まりきったその時にはもう、リィンの意志は残っておらず獣のような雄叫びを上げていた。

 

 

 

 

「うわ……これは予想以上だったかな」

 

 リィンの変化、そして彼が発する変質した闘気にアネラスは身を震わせた。

 とりあえず意識がちゃんとあるか確認するためにアネラスは声をかける。

 

「っ……リィン君、聞こえ――っ!」

 

 呼びかけを遮って、リィンは信じられない速さで踏み込んできた。

 その目はぎらついた殺意に染まっていて普段の優しげな眼差しが嘘のようだった。

 

 ――リィン君が怖がるのも分かる……

 

 初撃の一撃を木刀で受け止め、その衝撃を利用して後ろに下がったアネラスは思う。

 リィンはそれを追ってさらに木刀を振る。

 

「くっ……」

 

 リィンの一撃を木刀で受け止める。

 その膂力も信じられないくらいに上がっている。

 リィンの勢いは止まらない。すかさず二撃、三撃とアネラスを防御の上から叩く。

 むしろ一撃を受けるごとにその斬撃は重く、速くなっていく。

 幸いなのはその斬撃に鋭さがないこと。そして荒々しい太刀筋であっても繰り出されるのが八葉一刀流の型から繰り出されていることだった。

 同じ流派であり、同じ人から習った技だからこそ、スペックが自分より遥かに超えた今のリィンの攻撃を防ぐことができた。

 しかし――

 

「あっ!」

 

 一撃ごと受けるごと腕にダメージを蓄積した結果、剣を握る握力が弱まり木刀はアネラスの手から弾かれた。

 

「弟君! スト――」

 

 咄嗟に声を上げるが、今のリィンはそんなものでは止まらない。

 

「がっ!?」

 

 横薙ぎの一撃がアネラスの脇腹を捉える。

 軽装鎧の材料になっている魔獣の皮がその衝撃を幾分か吸収するが、突き抜けた衝撃にアネラスは苦悶の声をもらす。

 そんなアネラスにリィンは容赦なく追撃をかける。

 斬り抜けて背後に回ったリィンは無防備な背中に躊躇いなく、木刀を叩き込む。

 

「あうっ!」

 

 咄嗟に前の転がることでアネラスはその衝撃を最小限に食い止めるが、運が悪く身体は木にぶつかって距離を取ることはできなかった。

 木に体を逆さにして寄りかかる形になったアネラスは目の前に鬼の形相のリィンが木刀を構えて――

 

「あ、それはまずい」

 

 型は突きの構え。

 例え木刀であっても、それを今のリィンの状態で受ければ最悪命を落とす。

 しかし、アネラスの状態は咄嗟に動けるものではなかった。

 もうダメかと思った瞬間――

 

「やめろぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 リィンが叫んだかと思うと、アネラスの顔面に突き刺さるはずだった木刀は耳のすぐ横の地面に突き立った。

 

「はあ……はぁ……はぁ……」

 

 突き立てた剣に身を預け、アネラスの顔を覗き込む様な体勢でリィンは喘ぐ。

 その髪の色は元の黒に戻っていた。

 

「……弟君……だよね?」

 

「…………すいません……アネラスさん」

 

「謝らなくていいよ。私が言い出したことだから」

 

「でも、俺……もう少しで取り返しのつかないことに……」

 

「うーん……それじゃあ――」

 

 

 

 

「えへへ……弟君の膝枕……」

 

「本当にこれで回復するんですか?」

 

「もちろん。でもぬいぐるみもあれば完璧だったんだけどなぁ」

 

 アネラスが言っていることは意味不明なのだが、痛めつけられた本人がそう言っている以上突っ込む気にならない。

 

「はぁ……」

 

 何だか毒気が抜かれる。

 あっさりと『力』を暴走させてアネラスを痛めつけたのに、当の本人は膝枕を要求してきた。

 それだけで上機嫌となり、痛みを忘れたかのように自分の膝にじゃれつくアネラスの様子に罪悪感とか引け目に感じるのを忘れてしまう。

 

「それにしてもここまですごいとは思わなかったな……性質は猟兵が使う『ウォークライ』に似てるかな」

 

「そんなものがあるんですか?」

 

「一時的に闘気を活性化させて、身体能力を上げる技っていう意味ならわりと武術の流派では珍しくはないんだけどね……身体の負担はどれくらいなの?」

 

「使った直後はすごく消耗しましたが、十分に休めば特に問題はなさそうです」

 

「そっか……よかった」

 

 アネラスは目を瞑り熟考してからそれを口にした。

 

「ねえ、弟君……来週にまたあの力を使って私と戦ってくれないかな?」

 

「なっ!? 何を言ってるんですか!?」

 

 信じられないことを口にしたリィンは思わず叫ぶ。

 

「俺が今、何をしたか忘れたわけじゃないでしょ!? 下手をしたら死んでいたんですよ!」

 

「でも、弟君は最後の最後で剣を逸らしてくれたでしょ?」

 

「そんなの運がよかっただけです。次も大丈夫だという保障はどこにもないじゃないですか」

 

「大丈夫、大丈夫……お姉さんが保障してあげる」

 

「アネラスさんっ!」

 

 楽観的過ぎるアネラスにリィンの声は大きくなる。

 

「まあ、一応ちゃんとした理由があるから聞いてくれるかな」

 

 そう言われてしまうと、リィンはとりあえず耳を傾けるしかない。

 

「ルグランじいさんに確認しておいて欲しいって言われたんだけど、『D∴G教団』って知ってる?」

 

「いえ、知りません」

 

「七耀暦1195年から96年にかけて攫われたりしてない?」

 

「されてません」

 

「そっか……」

 

 リィンの答えにアネラスは安堵して、改めて話し始める。

 

「その教団はね。数年前に各国の遊撃士教会、軍、警察とかが協力して殲滅された組織なんだ」

 

「それは穏やかな話じゃないですね……でもそれが俺とどんな関係が?」

 

「その組織が戦力として使ってきたのは各地で誘拐してきた子供たちだったの……

 ただし、薬を使って弟君みたいな力を使わせて……」

 

「なっ!?」

 

「聞いた話だとすごい酷かったみたい……

 ベテランの遊撃士の人たちでも、最悪の手段を取るしかなくて……

 例えうまく無力化できても薬の副作用で助けることもできなかった」

 

「さっきの質問は俺がその教団の被害者じゃないという確認ですか……」

 

 背筋を冷たくしながらリィンは自分の胸に手を当てる。

 あの『力』は確かに強力だ。

 だが、それを使った直後は身体の節々が痛む程度で済んでいる。

 

「ごめん……弟君を怖がらせるつもりはなかったんだけど。ちゃんと確認しておくべきだと思ったんだ」

 

「いえ、そういうことなら……」

 

 考えてみれば、『力』のことを落ち着いて考察したのは初めてだった。

 今まで誰かを傷付けることばかり気にしていたが、この力で自分の身体が壊れてしまう可能性を考えたことはなかった。

 

「それでその話が、どうして再戦に繋がるんですか? むしろ余計に使わないようにするべきじゃないんですか?」

 

「今はあの力を使っても大丈夫かもしれない。でも、リィン君が大きくなった時の保障はどこにあるの?」

 

「それは……」

 

「弟君が『力』を抑え込もうしているのは分かってる。でも抑え込む事だけじゃなくて、『力』を自分の意のままに使えるようにするのも、同じくらい大事なことじゃないかな?」

 

 アネラスの質問にリィンは答えられずに黙り込む。

 できることなら一生封印しておきたい。

 しかし、アネラスはそれは無理だとリィンに改めて突き付けた。

 

「あとは私の我侭……」

 

 そう目をつむってアネラスは静かに続ける。

 

「私もいつかそんな風に無理矢理戦わせられた人たちと戦うことがあるかもしれない……

 ううん、そうじゃなくても私より強い人と戦うことだって普通にあるはず……

 そんな時にちゃんと命を奪わずに相手を制することができるようになっていたい、そう思うんだ……

 そういう意味では弟君は練習相手にちょうどいいの。それに――」

 

「それに?」

 

「あーうん……えっと、もうすぐ女王生誕祭があるのは知ってるでしょ?」

 

「ええ、それは知ってますけど」

 

 あからさまに話題を逸らしたがリィンは黙って続きを待つ。

 

「毎年王都のグランアリーナで王国主催の武術大会があってね……私は今年、それに出場しようと思ってるんだ」

 

 アネラスは拳を空に突き上げて、意気込みを語る。

 

「出場するからには頑張って優勝するつもりなんだけど、遊撃士の代表としてクルツ先輩っていう人が出ることになってるの」

 

「クルツ先輩ですか……その言い方だとかなりの腕前のようですね」

 

「リベールNO.2の凄腕なんだよ。準遊撃士の時に何度か手合わせしたけど一本も取れなかったんだ」

 

「それは確かに強敵ですね」

 

「だから武術大会に向けて、今できることは全部やっておきたいの」

 

 真っ直ぐな目でそう言うアネラスは、次の瞬間にはバツが悪そうに苦笑する。

 

「ごめんね。こんな即物的な理由で弟君を利用しようとして……だから弟君が嫌だったら断ってくれていいんだよ」

 

「いえ……」

 

 バツが悪そうにするアネラスにリィンは首を横に振った。

 

「正直、あの『力』がそんな風に誰かの役に立つだなんて思ってもみなかったです」

 

「弟君……」

 

「俺もいい加減……向き合わないといけないのかもしれません」

 

 普通の状態でいくら精神を鍛えたとしても、それは見たくないものから目を背けて作ったハリボテに過ぎない。

 抑え込むにしても、操るにしても、結局あの『力』を引き出してみなければ何も得られはしないだろう。

 

 ――俺は力を使う機会が得られて、アネラスさんは格上の相手と稽古ができる……

 

 条件は吊り合っている。

 これがもし、アネラスの善意だけの申し出だったらリィンは断っていただろう。

 だが、アネラスにも目的があって、そのために自分を利用したいというのなら文句はない。

 

 ――今できることは全部やるか……

 

 カシウス・ブライトに会ってから、などという考えでは変わらないのかもしれない。

 ただユン老師がいなくなった空白に誰かを置いて、安心が得たかっただけなのかもしれない。

 それじゃあいけないのだと、リィンは思う。

 こんな自分を温かく支えてくれると言ってくれた彼女達に報いるためにも、リィンは自分の足でまず立たないといけない。

 

「分かりました……アネラスさん、その申し出受けさせてもらいます」

 

「うん、よろしくね。でも、今日は初見で不覚を取ったけど、お姉さんだってそう何度もやられてあげるつもりはないんだからね」

 

「ええ、是非あの状態の俺を倒してください」

 

 意気込むアネラスにリィンは苦笑しておかしな返事をする。

 と――

 

「あ……」

 

 思い出したかのようにアネラスは声を上げる。

 何事かとリィンは視線を下ろすと、えへへっと笑うアネラスと目が合った。

 

「お祖父ちゃんと比べれば頼りない相手だけど、その分弟君が頑張ってくれないとお姉ちゃんが大怪我しちゃうから、頑張ってね」

 

「アネラスさん……貴女はやっぱり老師のお孫さんです」

 

 だだ甘な姉かと思えば、シビアな無茶振りをしてくれる。

 

 ――でも、それでいいのかもしれないな……

 

 老師が相手だったら、きっと自分は心の何処かで安心して必死になれなかっただろう。

 

「ええ、それはひどいよ弟君ー!」

 

 しかしその評価が不服なのか、アネラスは頬を膨らませて抗議する。

 その顔にリィンは苦笑して、思う。

 

 ――ようやく一歩を踏み出せた気がする……

 

 誰に言うでもなく、リィンは胸の内で呟いた。

 

 

 

 


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