真新しい太刀を手にリィンは一人、黙々と素振りを行う。
太刀の重さを腕に馴染ませるように、集中して太刀を振る。
「……」
時折、八葉一刀流の型を混ぜて調子を確かめる。
「…………」
実戦で使えなければ意味はないが、少なくとも淀みなく身体は動き実戦でも問題はなさそうな手応えがあった。
「………………」
「……さっきから何なんだ君は?」
一通りに鍛錬を終えて、リィンは途中から人形の様にそこに座って無言でじーとリィンの鍛錬を見ていたオライオンに声をかける。
「…………別に……」
「別にじゃないだろ」
相変わらず素っ気ない返事にリィンはため息を吐く。
避けているのか、構って欲しいのか、リィンから近付こうとすれば逃げるし、放っておくと近付いてくる。
よく分からないオライオンの行動はいつの間にか呆れになって、彼女への抵抗感が薄れていた。
「こうなったら……食べ物で釣るか?」
思い出した記憶の中にアイスのレシピがあったのを思い出す。
氷はアーツで作ればいいのでその気になれば作れるかもしれない。
そんなことを考えていると、慌てた様子でリースがそこに駆け込んできた。
「あれ……リースさん?」
リィン達の横をすり抜けて、止める間もなくそのまま第一星層への転移陣にリースは飛び込んだ。
タイミングが悪かったのか、中央の石碑付近に誰もいなかったせいか、リースの行動に気付いている者はいないようだった。
「オライオン、みんなにリースさんが第一星層へ向かったことを伝えておいてくれ」
返事を聞かずに伝言を頼み、リィンはこの世界で買ってもらった太刀を手にリースの後を追って転移陣へと飛び込んだ。
「リースさんは……いた……」
翡翠回廊に出たリィンはすぐに彼女の姿を見つけた。
幸い距離はそこまで離されていない。
入り組んだ回廊だが、見晴らしが良いため迷うことなく追い付けるだろう。
「目標確認、これより追跡を開始します」
リィンに続いて転移陣から現れたオライオンは、同じくリースを見つけるとクラウ=ソラスの腕に乗り込む。
「おい……何でここにいる?」
時間的にみんなに先程の伝言を伝えてきたとは思えない。
「何故、わたしがあなたの命令を聞く必要が?」
素っ気ない返事をしてオライオンはそれだけ言うと回廊の道を無視してクラウ=ソラスで一直線にリースの後を追い始めた。
「おい……」
呼び止めるもののオライオンはリィンを一瞥するだけで無視する。
その態度にリィンは顔をしかめ、ムキになるように駆け出した。
………………
…………
……
「リースさんっ!」
先行したオライオンがリースに追い付いたおかげか、彼女は翡翠回廊の最奥で立ち止まり、リィンを待っていてくれた。
「何をしているんですかあなた達は? 早く戻りなさい」
「それを言うならリースさんもでしょ?
方石もなしに一人で星層に出るなんて危ないですよ」
「それは……私はいいんです……」
リィンの指摘に頷きながら、目の前のリィンよりも背後の転移陣をしきりに気にしていた。
「ケビンさん達が気になるんですか?」
それにしてはひどく焦っているようにも見て取れる。
この数回は自分の記憶を探すことを手伝ってくれていたが、彼女のこんなに取り乱した様子は見たこともない。
「ケビンさんにはヨシュアさんにアガットさん、シェラザードさんもついています……
あの人達はベテランの遊撃士ですから、何かがあっても大丈夫だと思います」
「それは分かっています……ですが、胸騒ぎが……」
リースの焦りの根拠は理由にもならない勘だけだった。
自分でもそれを自覚しているだけにうまい説得の言葉は見つからなかったようだった。
「分かりました。それじゃあ俺も一緒に行きます」
「え……ですが……」
「一人で第四星層まで駆け抜けるなんてそれこそ無茶ですよ……
幸いなことに少しは戦えるようになりましたから、リースさんのサポートくらいはできると思います。それでオライオンは庭園に――」
「その提案は却下します」
言い切る前にオライオンはリィンの言葉を遮り、一足先に転移陣に入ってしまう。
その様にリィンはため息を吐く。
「とにかく今は問答している時間はないんですよね? でしたら先に進みましょう」
「……分かりました。ありがとうございます……
あなた達には後でクインシー・ベルのチョコレートを分けて上げます」
「はは、別に気にしなくてもいいですよ。それよりも急ぎましょう……
できればアネラスさん達が気付く前に戻りたいですから」
*
隠者の庭園から第四星層へと直接転移したケビン達はそれまで昼間だったル・ロックル訓練所が夜になっていた。
しかし、雄大な自然を一望することができていた景色は全て星の海という別の意味での絶景にすり替わっていた。
そしてそんな景色を背に影の皇子は待っていた。
「遅かったな」
訓練場の広場に倒れ伏した悪魔のてっぺんに座って影の皇子が声をかけてきた。
「出やがったな……
しかもそいつは聖典に記された七十七の悪魔の一匹、煉獄を守る門番のもう一柱にして恐るべき禁呪を使う魔導の使い手《深淵》のアスタルテか」
「その通りだ。お前たちがあまりに遅いせいでこの通りだ」
言いながら影の皇子は悪魔から飛び降りる。
悪魔は光になって消滅していくが、その光の粒子は影の皇子に吸い込まれていく。
「お前……いったいどれだけの悪魔を喰ったんや?」
思わず腰が引けてしまう程の黄泉の臭いにケビンは顔をしかめる。
以前に会った時も悪魔の一柱を喰らっていたので今回を合わせれば二柱目の悪魔喰い。
しかし、彼の纏う黄泉の臭いの濃厚さは二柱とは決して思えなかった。
「さて、十か二十か……それとも今ので七十七かもしれないな」
クククと喉を鳴らす影の皇子の姿は一見すれば以前と変わりがないように見えた。
しかし、むしろここではそちらの方が異常だった。
下位の悪魔であっても、一柱をその身に取り込めば発狂する。それが悪魔憑きの外法。
だが、影の皇子は下位悪魔などとは比べ物にならない高位の悪魔を少なくとも二柱以上は取り込んでいる。
にも関わらず、影の皇子との会話は成立しており、傍目に見ても彼は正気を保っていた。
「さあ、始めるとするか? だがその前に、ケビン・グラハム。そのままでいいのか?」
「……どういう意味だそれは?」
「フフ……汝の印を発現させる……それが王より与えられた試練……
まさか己を偽ったまま、俺に勝てると思っているのか?」
「……何を訳の分からんことを……悪魔をぎょうさん喰らったくらいで調子に乗り過ぎや」
「はは、強がりはやめておけ……それとも今更あの時俺に槍を突き立てたことを後悔しているとでも言うのか?」
「っ……」
「槍?」
ケビンと共に来ていたヨシュア達は影の皇子の言葉に首を傾げる。
彼の得物はボウガン。
そこに仕込んだ刃を武器にしても、槍を使っていたことは一度もない。
「ああ……そういうことか……」
そんな仲間たちの視線を背に、ケビンは暗い笑みを浮かべる。
「どこかで会ったことがあると思っておったが、俺が狩った外法の一人やったか」
道理で複数の悪魔をその身に取り込むという暴挙を影の皇子がしていることにケビンは納得する。
「影の国の亡者といい、黄泉路に迷うって出てきたゆうなら是非もない……
改めて貴様を《外法》と認定する。今度は迷ってこないように念入りに滅してやるわ」
「ククク……印を使う度胸もなく良く吠える……だがお前には無理だ」
影の皇子は呪文を詠唱すると次の瞬間、虚空に魔眼が現れ、ケビン達を包み込むように結界が展開される。
「うおっ!?」
「くっ……!?」
「こ、これはワイスマンの《魔眼》!?」
「多分あれの原型となった空間そのものを束縛する禁呪や!
まさかアスタルテを喰って自分のものにしたのか!?」
「フ……そういうことだ……どうだ指一つ動かせないだろ?」
膝を着き固まる一同に影の皇子は嘲笑を浮かべる。
「ぐっ……」
影の皇子の言う通り、まともな身じろぎ一つできない状態では嬲り殺しにされるのが目に見えている。
しかし、彼は腰の剣を抜かずに言葉を投げかける。
「何をしている? お前の力ならその程度の結界など難なく破れるはず。まさか俺の油断を誘っているというのなら時間の無駄だぞ」
「っ……」
何がなんでも《印》を発現させたいと感じる影の皇子の煽りにケビンは迷う。
「おい! 不良神父っ! 何か手があるならさっさとやれっ!」
「くっ……この……」
アガットの野次が飛ぶが、シェラザードの抵抗の声が背中に聞こえる。
それでも踏ん切りがつかないケビンを見かねて影の皇子は、剣を抜く――ではなく徐にそれを取り出した。
「それは封印石っ!?」
真っ先にヨシュアがそれに反応する。
「さて、この中にはいったい誰が封じられていると思う?」
封印石を手の中で弄び、影の皇子は口元を楽し気に歪める。
「この状態で石を破壊すればどうなるか……それともそこの崖から落としてみるのも一興かな?」
「くっ……」
「てめえ……」
「性根が腐っているわね、あんた……」
消去法で誰がその中にいるのか想像したヨシュア達は影の皇子を睨み付ける。
「ふっ……」
そんな眼差しに影の皇子は不敵な笑みを浮かべ、封印石を真上に投げた。
そして腰の剣を抜き、刃に電撃を宿す。
「……くっ……」
ケビンがそれを使う覚悟をした瞬間、ケビン達の後ろから無数の刃が飛来して影の皇子に降り注ぐ。
「っ……」
「はあっ!」
彼が怯んだその瞬間、ケビン達と影の皇子の間に割り込んだリィンが太刀を抜き様に振り抜く。
その一撃を剣で受け止めながら、影の皇子はその場から飛び退く。
「リィン君!?」
「それにこの技リースかっ!?」
「よかった……間に合ったみたいですね」
結界に捕らわれながらも無事な様子の四人の姿にリィンは安堵する。
「あなた達はそこでケビン達を守っていてください」
そう言ってリースはケビン達を跳び越えて影の皇子へと斬りかかる。
「はああああっ!」
法剣を鞭のように巧みに使い、法術とアーツを織り交ぜた猛攻でリースが攻め立てる。
「リィン君。僕達のことは良いっ! それより封印石をっ!」
「封印石? どこに……」
ヨシュアの叫びにリィンは辺りを見回してそれを探す。
そして地面に無造作に転がっているそれを見つけるが――
「確保しました」
リィンが手を伸ばすよりも早く、オライオンが確保する。
手柄を取られた、とは思わないがリィンは無表情にそう報告するオライオンにムッと顔をしかめた。
「オライオンはここでケビンさん達を守っていてくれ、できるなら結界の解除を、俺はリースさんに加勢する」
「了解しました」
戦闘中だからなのか、オライオンはリィンの指示に素直に頷きクラウ=ソラスが現れる。
それを見届けてからリィンはリースへの加勢に向かった。
「ふ……流石は星杯騎士。だが貴様一人で俺を滅するというのは増長が過ぎるのではないか?」
「くっ……」
鍔迫り合いの最中で影の皇子は嘲笑を含ませた言葉をリースに投げかける。
余裕のある言葉だが、外法に頼る愚者のくせに剣の腕は驚くほどに真っ直ぐに綺麗なものだった。
さらには力に速さ。全てにおいて上回られている。
法剣が彼にとっては初見であることから拮抗しているが、おそらくはすぐに対応するほどの深みが彼の剣にはあった。
「どうした? 威勢が良いのは最初だけか?」
そう言うと影の皇子は何を思ったのか、リースの目の前で剣を鞘に納めた。
「っ……馬鹿にしてっ!」
リースは激昂して法剣を振る。
その刃を影の皇子は紙一重で避け、法剣を振り抜いたリースに剣を抜刀――
「あ……」
先程まで交えていた剣速を超えた一撃にリースは死を予感する。
「させるかっ!」
しかし、それをリィンが割って入って受け止めた。
「リィン・シュバルツァー!?」
「下がってくださいリースさんっ! 前衛は俺が引き受けますっ!」
「ですが――」
言葉を返そうとするが、リィンと影の皇子は次の瞬間には激しく打ち合い始めていた。
「っ……」
もしかすれば剣の腕で上を行っているかもしれないリィンの実力にリースは唇を噛みながら、聖典を開き彼を援護の用意をする。
「ククク、どうやら少しはマシな状態に戻れたようだなリィン・シュバルツァー」
「お前は……」
剣を交えながら嬉しそうな言葉を掛けてくる影の皇子にリィンは困惑していた。
目の前の誰かはまるで靄がかかったかのように誰なのか分からない。
しかし、剣を交える度にリィンの中の何かが響いて、急速に剣の腕が――否剣の勘が刺激されたように引き上げられていく。
いくつもの悪魔を喰らったこともあり膂力の差は歴然なのだが、不思議なくらいにその剣筋は読み切れるおかげで何とか拮抗を保つことができた。
「だが、マダ足リナイ」
「っ!? 螺旋撃っ!」
名状し難い黒い何かを感じてリィンは咄嗟に技を繰り出す。
回転の動きを利用した強烈な一撃。
しかし、リィンの技に対して同じような動きを持って迎撃した。
「ラセンゲキ」
「っ……」
同じ技のぶつかり合いで弾かれたリィンは素早く態勢を立て直すと太刀を一度鞘に納めて抜き放つ。
「孤影斬っ!」
「コエイザン」
二つの剣閃が空中でぶつかり合って相殺される。
すかさずリィンは駆け出して――
「疾風っ!」
「ハヤテ」
同じく突撃して来た影の皇子と刃を交わしてすれ違う。
「ぐっ……業炎撃っ!」
腕に走る痛みを無視してリィンはさらに技を繰り出す。
「ゴウエンゲキ」
焔を纏った一撃の激突により、リィンは仰け反る様にたたらを踏む。
怯んだリィンを畳み掛けるように影の皇子が襲い掛かる。
「ムソウ――」
「残月っ!」
影の皇子の一撃を紙一重で避けて、カウンターの一撃が彼を捉えた。
「ムッ……」
刃を立てていたにも関わらず、固い鉄を打ったような衝撃が腕に走るが影の皇子はその衝撃を受け止め切れずに吹き飛ばされる。
そこに――
「戦場を駆ける金色の翼よ……
彼の地に舞い降りて、虚ろなる魂を救え――ヘブンストライクッ!」
リースが召喚した極大の雷撃が影の皇子を捉えた――次の瞬間、影の皇子はその場から消え雷撃は空を切った。
「なっ!?」
「消えたっ!?」
絶句するリィンとリースの背後に影の皇子は現れる。
「後ろっ!」
「え――あうっ!」
リィンが先に気付いて声を上げるが、リースは薙ぎ払われた剣を受けて吹き飛ばされる。
リィンは何とか太刀でその奇襲を受け止めるが、睨みつけてくる影の皇子を前に倒れたリースに駆け寄ることはできなかった。
「足リナイ……《相克》ニハマダ足リナイ……オオオオオオオオオオオオオオオッ!」
影の皇子は胸に手を当てて獣のような咆哮を上げる。
すると黒い髪は白く染まり、ゴーグルの奥に二つの赤い光が灯る。
「っ……」
思わずリィンは自分の胸を抑えて、変身した影の皇子が叩きつけてくる殺気に息を飲む。
しかし、その圧倒的な気配に耐えられないものがいた。
「イヤアアアアアアアアアッ!」
「アル――オライオンッ!?」
手に持っていた封印石を落とし、顔を両手で覆って取り乱すオライオンにリィンは何事かと息を飲む。
悲鳴に釣られて彼女を見た影の皇子は、一度リィンに視線を戻すと口元に笑みをつくった。
「っ!」
動いたのは同時だった。
しかし、影の皇子の方がオライオンに近かったために必然的に彼の方が先に彼女の前に辿り着く
クラウ=ソラスがそれを迎撃するように鋼の拳を振り回すが、剣の一閃がそれに合わせて振り抜かれ吹き飛ばされる。
「あ……」
自分を守ってくれるはずの盾を失ったオライオンは呆然と剣を振り上げた影の皇子を、あの時の様に見上がる。
しかし、振り下ろされた刃はリィンの背に遮られた。
「ぐっ!」
盾にした太刀をへし折られ、刃がリィンの胸を裂く。
しかし、リィンは体に走る痛みを無視して前へと、柄だけが残った太刀を投げ捨て拳を固めて踏み込む。
「破甲拳っ!!」
拳は影の皇子を捉えて吹き飛ばす。
「くっ……」
その拳の残心をする間もなく、リィンはその場に膝を着く。
「あ…………ああ……」
腰を抜かして震えるオライオンを背後に庇いながら、リィンは息を整えて叫ぶ。
「ケビンさん、方石で離脱してください!」
「あ……その手があったか……いや、でもリースが――」
「あの人は俺が何とかします。皆さんはアルティナと庭園に一度戻って、他の皆を――」
リィンは足元に落ちた封印石を取ろうとして――手が空を切った。
「フ……それは困るな」
目の前にあったはずの封印石はいつの間に影の皇子の手の中にあった。
「王からは印を発現させろと命じられた。ここでケビン・グラハムに退場されては困るな」
再び、封印石を手に影の皇子は笑う。
「さあ、どうするケビン・グラハム? 誰から貴様の供物に捧げて欲しい?」
そんな彼にケビンは冷酷な眼差しを向けて呟いた。
「調子に乗り過ぎだアホウ……」
「ほう……」
「そんなに見たいなら見せてやるわ……」
そう言うと、赤い禍々しい光がケビンを中心に広がり、彼らを包み込んでいた結界に亀裂を走らせる。
「おおおおおおおおおおおおッ!!」
ケビンの背に深紅に輝く光の紋様――《聖痕》が浮かび上がり、次の瞬間結界が音を立てて砕け散った。
「よくも好き放題勝手にやってくれたな……
貴様は祈りも悔悟も果たせぬまま! 千の棘をもってその身に絶望を刻み! 塵となって無明の闇に消えるがいい!!」
「これは……?」
「何なの……?」
ケビンの頭上に無数の槍が浮かび上がる。
アガットとシェラザードは結界の拘束から解放されたものの、その圧倒的な光景に意識を奪われる。
「フ……ようやくか……しかし果たして貴様にそれが撃てるのか? ここにはお前たちの――」
影の皇子がこれ見よがしに左手に握った封印石を差し出して見せると、次の瞬間その腕は音もなく忍び寄ったヨシュアの双剣によって断ち斬られた。
宙に舞った封印石を回収し、さらには倒れたリースを抱いてヨシュアはその場から離れて彼の名を叫ぶ。
「ケビンさんっ!」
「砕け、時の魔槍っ!」
ケビンが構えたボウガンの一射を合図に、現出した魔槍が一斉に撃ち出される。
「おおおおおおおおおおっ!」
左腕を失った影の皇子は怯みもせずに、残った右腕で剣を振って魔槍を迎撃する。
圧倒的な物量にも関わらず、力と速さで強引に千の魔槍の群れを撃ち落としていくが、打ち漏らしが一つ二つと影の皇子の体に突き立つ。
さらには影の皇子を外した魔槍は地面を抉り、彼のいた崖の一角を崩壊させる。
足場が傾き、剣筋が乱れ打ち落とし損ねる。
そこから最早態勢を戻すことは敵わず、その身に雪崩れ込むように無数の魔槍を穿たれ、星の海となった崖の下へと落ちて行った。
*
「フフ……上出来だ、ケビン・グラハム」
第五星層への転移陣の前にはいつの間にか影の王がいた。
「貴様……」
「『次なるは獣の道。新たなる供物を喰らい、汝が印を発現させるがいい。さすれば煉獄の炎はさらに猛り、我が王国は真の完成に近づく』
……クク、奴に任せてみたがまさに伝えた通りだったであろう?」
影の皇子がやられたというのに特に気にした素振りもなく、彼と同じように影の王は人の神経を逆撫でするように言葉を投げかける。
「お前……何者や……?
その悪趣味な仮面……いいかげん外したらどうなんや?」
しかし、ケビンはそんな挑発を無視して冷淡な言葉を返した。
「フフ、お望みとあらば。しかしケビン・グラハム……
本当にそなたはそれを望んでいるのかな……?」
「え……」
「そなたが望むのなら私はいつでも仮面を取ろう……
どうかな、ケビン・グラハム。お前は本当に……私の素顔を知りたいのかな?」
その問いかけにケビンは沈黙する。
そしてそんな彼に代わって、リースが声を上げる。
「影の王……! 戯言はそれぐらいにして……!
何があるのか知らないけどケビンを惑わすのは許さないっ!」
「フフ……私が惑わせているのではない……
彼自身が惑うことを選び続けているだけのことさ」
「……っ……」
影の王の指摘を無視して威嚇するようにリースは法剣を構える。
しかし、影の王は少しも動じた素振りを見せずに言葉を続ける。
「クク……これで太陽の娘が解き放たれる。そちらの駒も一通り揃い、本格的な遊戯盤が用意できるというものだ」
影の王の足元に転移陣が浮かび上がる。
「次なるは夢魔の道……光と影の狭間を渡りながら白と黒の駒を揃えるがいい。さすれば新たな盤上へと進めるであろう」
そう言い残して影の王は転移して消えた。
それを横目に見ながら、治癒術で傷を塞いでもらったリィンは呆然自失の状態で未だにへたり込んでいるオライオンに近付く。
クラウ=ソラスがその気配を察して振り返るが、何も言わずにオライオンの前をリィンに譲る。
目の端に涙を浮かべ小さな体を震わせるその姿はそれまでの人形然としたものとは掛け離れて人間的だった。
「あー……その……何だ……」
犬猿の仲のような間柄なのをそこで思い出すが、リィンはそれでも彼女をこのままにしておけないと思い手を伸ばす。
その左腕に記憶にない傷痕があったが、気にせずリィンはその手でオライオンの頭に触れる。
「もう大丈夫だ」
震えるオライオンの頭を慰めるように優しく撫でる。
「あ……」
一瞬、オライオンは身を強張らせるが抵抗することなくその手を受け入れた。
その様子にリィンは安堵するが、彼はまだ終わっていないことを知らなかった。
「お帰り弟君」
《隠者の庭園》にケビン達と一緒に戻ったリィンをアネラスが笑顔で出迎えるのだった。