「なるほど……《影の国》ですか……」
一通りの説明を終えて納得してくれたアルティナ・オライオンにアネラスは尋ねる。
「それで……オライオンちゃんはこれからどうするつもりかな?」
「自己保存プログラムに則り、工房への帰還の手段を探すつもりです」
淀みなく淡々と答えるアルティナ・オライオンにリィンは違和感を覚えずにはいられない。
「えっと……一人で行動するのは危ないんじゃないかな?」
アネラスの言葉にオライオンは首を傾げる。
「問題ありません。そもそもあなた達とわたしたちは敵対関係だったはずですが?」
「それでも、だよっ! 良いですよねみんなっ!?」
「まあいくら結社側の人間とはいえ、こないに小さな子を放っておくわけにはいかへんやろ」
「結社の人間ならば、あのギルバートにでも預ければ良いのではないですか?」
「おいおい、リース……それ本気で言っとるのか?」
「……もちろん冗談です」
しれっとした顔でそんなことをリースが言うが、その言葉は本気に聞こえた。
「えっと……そういうことだから、歓迎するよ。オライオンちゃん」
「勝手に決めないで欲しいのですが……ところで――」
「ん? 何かな?」
「この行為に何らかの不埒な意味は?」
説明中、ずっと頭を撫で回しているアネラスにオライオンはジト目で抗議するのだった。
*
「なるほど……普通では考えられない空間であることは間違いないようですね」
第三星層の金の道を黒い傀儡、クラウ=ソラスに乗って移動するオライオンは無感情に納得する。
「えっと……君は――」
「君ではありません。アルティナ・オライオンです」
恐る恐る呼びかけるリィンを咎めるように鋭い視線をオライオンはリィンに向ける。
「それじゃあ、オライオン……何でついてきているんだ?」
「先程口頭で伝えた通り、《影の国》というものをこの目で見るためです」
「だったら何でわざわざ俺の方に来るんだ?」
リィンは胸の奥に感じる妙な不快感に苛立ちを感じながら、語気を荒くする。
「特に理由はありません……そもそもわたしは一人でも構わなかったのですが、引き留めたのはそちらの女性です」
そう言ってオライオンはアネラスを目で指す。
「だったらさっきから俺の様子をずっと見ているのは何なんだよ?」
「…………気のせいです」
オライオンはそっぽを向いて、リィンからあからさまに距離を取る。
しかし離れ過ぎないという微妙な距離が余計にリィンの中の思い出せない何かを不快にさせる。
「アネラスさんっ!」
「えっと……ごめんね弟君」
八つ当たりするような抗議の声を上げるリィンにアネラスはバツが悪い顔をして謝る。
アネラスはその時、気絶していて見ていなかったが目の前のアルティナ・オライオンは同じ顔の自分たちがよく知るアルティナを殺した張本人だと聞かされている。
直接その場面を見ていたわけでもないし、彼女の存在の特殊さと同じ顔立ちに憎み切れない感情を持て余しているアネラスはそう答えるしかなかった。
幸いと言って良いのか分からないが、リィンはその時の記憶が朧気にしかないため明確な憎悪を彼女に感じてはいない。
しかし、拒絶感はあるのかオライオンの行動がそれを刺激していた。
「えっと……オライオンちゃん――」
「敵性体を発見。排除します」
話しかけられたオライオンは無視して現れた魔物に突撃する。
黒い傀儡、クラウ=ソラスに乗ったまま、鋼の腕が魔物を瞬く間に叩き伏せていく。
「あれが結社の人形遣いですか……年不相応ですが、戦闘力はなかなかなものですね」
そんな彼女の戦いぶりをリースは冷静に見定める。
「ですが、信じられませんね。あの子がアルティナちゃんの仇だったなんて……
あの子をリィン君と戦わせた《教授》が改めて許せなくなりましたね」
「ええ、どうやら正真正銘根が腐った外道だったようですね」
今回同行することになったクローゼとユリアが当時、リィンに降り掛かった試練を思い、その首謀者に苛立ちを露わにする。
「あの時、捕まえておけばと今更ながら思いますね。今も何処かでのうのうと生きていると思うと腸が煮えくり返ってきます」
「え……ですが報告では――」
ユリアの言葉にリースは何かを言いかけるが寸でのところで押し留める。
「あの……こんなこと本当は言っちゃいけないかもしれないんですけど……
あまりあのオライオンちゃんのことを責めないで上げてくれませんか?」
「アネラスさん……はい。もちろんそのつもりですが、アネラスさんの気持ちは少し違うようですね?」
「うん……まだほんの少ししか見てないから絶対とは言えないんだけど……」
言いながらアネラスは前を歩くリィンとクラウ=ソラスの背中を見る。
「あの子は……私たちと会ったばかりのアルティナちゃんと同じなんだと思うんです」
アルティナ・オライオンの存在に複雑な気持ちを感じるのはアネラスも同じだった。
リィンに次いで一番多く接していたからこそ、彼女の姿に時折見えるアルティナの面影にアネラスは胸が痛くなる。
そしてだからこそ、彼女を結社から引き離して真っ当な道へと連れ出したいと思ってしまう。
彼女がアルティナと同じようになれるのだと思うと、どうしても憎み切れそうになかった。
*
「お前さんがリィン・シュバルツァーか?」
「…………おじいさん……だれ……?」
膝を抱え、己の殻に閉じこもっていたリィンは突然現れた老人に生気のない目を向ける。
いつからいたのだろうか。
いや、そもそも近付いてくる誰かにまで怯えていたリィンはドアを開けられたことにも気付かなかった事実に驚きながら、老人に聞き返した。
「ふむふむ……なるほど……」
互いの質問に応えないが、老人は特に気を悪くした素振りもなくむしろ無遠慮にリィンをまじまじと見定める。
何の意図があるか分からないが、リィンは無気力なまま忠告を口にする。
「俺に……近付かない方が良いですよ」
「ほう、それは何でじゃ?」
か細いリィンの言葉に、今度は返事が返って来た。
「…………俺の中に……《獣》がいるから……そいつがあばれたら……おじいさんもあの魔獣みたいにころしちゃうから……」
あの事件からずっと胸の中で燻っている《焔》をリィンは感じていた。
その存在がいつどんな時に再び燃え上がるのではないかと、ずっと怯えていた。
両親や妹と顔を合わせる時こそ取り繕っているが、あの日からリィンは郷の同年代の子供たちとの関係を断ち切ってずっと部屋に閉じこもっていた。
「カカカ、言うな小童。わしを殺すと?」
「ほんとうだよ……それに……みんな俺のことを怖がっているから……」
ユミルは決して大きな郷ではない。
いくら領主が緘口令を敷いても、リィンが魔獣を虐殺した話は完全に隠すことなどできなかった。
養子とはいえ、領主の息子だから積極的に排除されることもなかったのだが、郷の中にはリィンの存在が危険だと養父に訴える人もいた。
その人たちは決して悪意を持ってリィンを排除したかったわけではない。ただ領主の身を案じての進言だった。
社交界の場であった養父に向けられた誹謗中傷が、そこにはあった。
あの日から鋭くなった五感、その聴覚が郷の中での噂をリィンに聞かせる。
その根も葉もない噂はリィンの心を少しずつ摩耗させていった。
「ふん……馬鹿馬鹿しい」
しかし、老人はそんなリィンの言葉を鼻で笑って一蹴した。
「おぬしの目の前には今、二つの道がある」
「おじいさん……何を言ってるの……?」
「一つはこのまま心を壊し本物の《獣》となって、このユミルを滅ぼす道」
「それは……」
「もう一つは自分の命を絶つ道じゃな」
「いのちを……たつ……」
それはリィンにとってこれ以上ない誘惑の言葉だった。
「だが、それをすればおぬしの両親も妹子も悲しむじゃろう」
「あ…………」
続く言葉にリィンは傾きかけた心が踏み止まる。
「ふ……どうやら見込みはあるようじゃな」
そんなリィンの様子に老人は満足そうに頷く。
「おぬしにその気があるのなら、わしがお前の前に道を作ってやろう」
「みち……?」
「選ぶが良い。リィン・シュバルツァー……
その道はここで果てるよりも遥かに厳しく険しい道……
それでも《獣》になることよりも、死ぬことよりも大切なものがあり、そのために生きることを諦めないというのなら、わしの剣をおぬしに教えてやろう」
「…………剣?」
あの事件が起きる以前は養父に騎士剣術を教えてもらっていたが、もうその時から木剣は握っていない。
養父は何も言わずそれを受け入れて、無理にリィンに剣を持たせようとしなかった。
しかし、目の前の老人は逆に剣を取れと言う。
本来なら、拒絶していたはずなのにリィンは老人の眼差しに引き込まれるように尋ねていた。
「…………おじいさんは……誰……?」
「わしはユン・カーファイ……しがないただの剣術家じゃよ」
それがリィンと《八葉一刀流》の出会いだった。
*
「へえ……本当に小さくなっちゃたのねリィン君てば」
封印石から解放されたシェラザードはリィンの姿を見て笑みを浮かべる。
「今何歳くらいなのかしら?」
「たぶん……十歳前後だと思います」
「ふーん……でも、あたしのことは覚えているのよね? どういうことなのかしら?」
「俺も良く分からないんですが、所々覚えているという感じで……うまく説明できません」
ユン老師との出会いの記憶を取り戻したリィンの体はその時の姿に戻ったのだが、記憶の方はそれ以上に元に戻っている。
どういう原理なのかは分からないし、シェラザードの顔を見てようやくその名前を思い出せた程度で完全にとは言えない。
現にアガットやエステルという名前が彼女たちの会話の中に出てくるが、名前そのものに覚えを感じても顔などは思い出せない状態だった。
「そう……でも、こんな形でもまた会えて嬉しいわリィン君」
そう言ってシェラザードはリィンの頭を撫でる。
「シェラザードさん……みんなもそう言っていましたが、現実の俺にはいったい何があったんですか?」
「っ……それは……」
言い淀むシェラザードの様子にリィンは察してしまう。
「現実での俺は……もう死んでいるんですね?」
「弟君、それは……」
「大丈夫です……アネラスさん……今の俺の状態が普通じゃないことは分かっていますから……
ただ……すいません。俺が死んだことで皆さんに迷惑を掛けてしまったみたいで」
リィンは一同に向き直って頭を下げる。
自分がどんな戦いをして死んだのかは思い出せないが、彼女たちのこれまでの溺愛ぶりから考えれば壮絶な死に方をしてしまったと予想することは容易い。
「…………あ~もうっ!」
重くなってしまった空気にシェラザードは頭を掻く。
「オリビエッ!」
「ははっ! 既に準備は整っております」
「よろしい」
シェラザードが彼の名を呼ぶと、風を巻き上げて颯爽とオリビエが膝を着いて酒瓶を差し出す。
そんなオリビエにシェラザードは鷹揚に頷き、リィンに笑顔を向ける。
「とりあえず飲むわよ」
「…………え?」
そうシェラザードに言われた瞬間、リィンの脳裏に彼女と彼女の親友がにこやかに酒盛りをしている場面が過り、命の危機を感じて体が震える。
「ちょ、シェラザード先輩!? 弟君は今十歳ですよ!? いや生きててもまだ未成年ですし、とにかくダメですよ!」
「幽霊にそんなもの関係ないでしょ……ふふふ、今日はとことん飲むわよ」
「シェラザード先輩っ! ってお酒臭い……そういえばさっきアイナさんと一緒に飲んでいたって……もしかして酔っぱらっているんですか!?」
とにかくリィンに酒を飲ませようとするシェラザードを宥めるために騒然となるが、重くなった空気はいつの間にか払拭されていた。
リィンの現状
身体
十歳前後(八葉一刀流を学び始めたくらい)
記憶
おおよその人間関係と思考力が戻ってきた。
しかし、切っ掛けがないとその人物の顔や細かい部分は思い出せない。
だがアルティナの部分に関してはオライオンと顔を合わせても明確には思い出せていない状態。
これはアルティナとオライオンが別の存在だとリィンの中で認識していることが起因しています。