「う……」
全身に気だるい疲労感を感じながらリィンはゆっくりと目を開く。
そこには目を閉じて近付いてくるオリビエの顔が目の前にあった。
「破甲拳ッ!」
「ぎゃふん!」
驚くよりも先にリィンはオリビエを殴り飛ばした。
「何してるんだアンタはっ!?」
ベッドから飛び起きてリィンは怒鳴りつける。
が、オリビエは何事もなかったかのように起き上がって、髪をかき上げて応えた。
「ふっ……古来より眠れる姫君を起こすのは王子様の熱いキスと決まっているのをリィン君は知らないのかい?」
「なっ!?」
絶句するリィンは思わず自分の唇を拭う。
しかし、それだけでは直前まで眠りこけていたリィンには事前なのか事後なのかどうか判断できない。
愕然とするリィンにオリビエはキザな笑みを浮かべるだけ。
と、そこにドタバタと騒がしい音を立てて誰かが近付いてくる気配。そして勢い良くドアが開いた。
「リィン君、目が覚めたのっ!?」
「よかった……心配させないでよね」
エステルとシェラザードがリィンの起きている姿を見て安堵する。
しかし、リィンは呆然としたまま彼女達を見て――
「エステルさん……シェラザードさん……俺……汚されちゃった」
「えっ……?」
「…………へえ」
訳が分からないと首を傾げるエステルに対して、シェラザードは絶対零度の視線を部屋にいたオリビエに向ける。
「や、待ちたまえ……リィン君、誤解だ。ボクはまだ何もしていない!」
「そう……まだ、なのね」
オリビエの言葉にシェラザードは青筋を立てる。
「オリビエ……ちょっと表に出なさい」
「……はい」
顔を蒼褪めさせてオリビエは震えた。
*
遊撃士協会の二階でリィンはシェラザードとエステルの言葉に耳を疑った。
「え……あれから二日も経ってる?」
「うん、あたしたちが空賊を捕まえてギルドに戻ってきたら、リィン君が戻ってきてないってルグラン爺さんが言うから驚いたのよ」
その後、アンセル新道を探したものの。
誰かが争った痕跡とリィンの折れた太刀を見つけることはできたが、肝心のリィンの姿はどこにもなかった。
悲嘆に暮れてギルドに戻ってくれば、当のリィンはギルドの前の道路に倒れていたらしい。
「いったいこの二日間、何処で何をしてたの?」
「俺は……」
リィンは記憶を振り返る。
琥珀の塔の近くで空賊の飛行艇を見つけ、オリビエの提案で忍び込むことが決まり、自分はそのことをギルドに報告するために残った。
「飛び立つ飛行艇を見送って……それから……それから……」
そこから先の記憶が頭にモヤがかかった様に出てこない。
「ちょっとリィン君っ!? 顔が真っ青だよ!?」
「だいじょう……ぶです……だいじょうぶ……」
そのモヤを取り除いて中を覗き込もうとすると頭痛が走る。
「街道を……半分くらい……走って……それで……それで……」
ぐにゃりと視界が歪む。
身体が傾いていることも分からず、リィンはそのまま倒れる――ところをエステルが抱き止めた。
「シェラ姉っ! ちょっと来てっ! リィン君がっ!!」
エステルの叫びが遠くに感じる。
うまく呼吸が出来ない。
まるで貧血を起こしたの様に視界が真っ白で、耳の奥にキーンという音が鳴り響く。
「しっかり――ゆっくり――吸をし――い!」
………………
…………
……
「すいません」
落ち着きを取り戻したリィンは再び迷惑をかけたことに頭を下げる。
「いいのよ別に。それよりも……」
「はい、すいません。あの夜に何があったのか全然思い出すことは――っ!」
再度記憶を辿ろうとして頭痛が走る。
「無理に思い出さなくていいわ」
そんなリィンにシェラザードは優しい言葉をかける。
「まず最初に謝らせてもらうわ。ごめんなさい、リィン君、私たちの軽率な判断があなたを危険にさらしたわ」
「ごめん」
頭を下げるシェラザードにならって、エステルも同じ様に頭を下げる。
「ちょっと、二人とも頭を上げてください。むしろ謝るのは俺の方です」
「そうじゃ――」
「そうだぞ、シェラザード。お前が謝る必要はねえ」
シェラザードの言葉を遮って、ぶっきらぼうな男の声が割って入って来た。
「あ、あんたはっ!」
「アガット?」
階段を上がって現れた赤毛の男は不機嫌そうにリィンを見下ろして続ける。
「おっさんと同門だかなんだか知らねえが、素人のザコのくせに調子に乗ったこいつの自業自得だろ」
「っ……」
事情を一通り知っているのか、アガットは容赦なくリィンをこき下ろす。
全くもって言い返せないリィンはその言葉を俯くことしかできなかった。
「民間人に協力を得る。それ事態は問題じゃねえ……
だがな、遊び半分の遊撃士ごっこで首を突っ込まれるのは、はっきり言って迷惑だ」
「遊び半分なんてそんな――」
「だったら、その日の夜、何をしていたかちゃんと言ってみやがれ!」
「ちょっとアガット! リィン君は覚えてないって言ってるでしょ!」
「そんな都合のいい言い訳があるかっ!
大方、大型魔獣にでも襲われて逃げ続けていただけだろ!」
「勝手に決め付けてんじゃないわよ。リィン君はそんな嘘をつくような子じゃないわよ!」
アガットの言葉に怯まずエステルはリィンの擁護をやめなかった。
「だったらどんな奴と戦ったのかちゃんと報告させやがれ! 戦っておいて記憶にないなんてふざけた言い訳が通じるかっ!」
「それは……っ……」
アガットの指摘にリィンは再び記憶を遡る。
が、すぐに頭痛がそれを阻む。
「ちっ、これだからプライドが凝り固まった帝国人は……」
舌打ちしてアガットはリィンの胸倉を掴んで吊るし上げる。
「うぐっ!?」
「ちょ!? 何してんのよっ!?」
「素人は黙ってろっ!」
一喝でアガットはエステルを怯ませて、リィンに向かって怒鳴りつける。
「俺はな、別にてめえがポムと死闘を繰り広げていたって構わねえんだよ……
だがな、手配魔獣の発見は重要な案件だ。他の犠牲者を出さないためにも、民間人の発見者には金一封だって出る……
だが、お前が無様に逃げた話をしたくないだけでとぼけるっていうなら、こっちにも考えがあるぞ」
「ち、ちが……本当に思い出せな――うぐっ」
アガットの脅しにリィンは違うと応えても、彼は聞く耳を持つ様子はなかった。
「ああ、そうかよ」
リィンの応えにアガットは不快そうに顔を歪めると、拳を固める。
「ちょ!? 何するつもりよっ!?」
「こいつが本当に何も思い出せないって言うなら簡単だ。よく言うだろ? 調子の悪い導力器は叩けば元に戻るってな」
「それは――あ……」
威勢良く噛み付いていたエステルはアガットの乱暴なものいいに心当たりがあるのか、視線を逸らす。
そのわずかな隙にアガットは威嚇するように大きく拳を振り被り――
「そこまでにしなさい」
その腕をシェラザードが掴んで止めた。
「それ以上はあたしが本気で怒るわよ」
「シェラザード……」
「リィン君は善意で協力してくれた。退くべきところではちゃんと弁えてもくれた……
夜の街道を伝令に走ってもらったのもあたしの判断で良しとした……
あんたが帝国人を嫌っているのは知ってるけど、度が過ぎるわよ」
二人が睨み合う事、数秒。
「ちっ……」
舌を打って、アガットはリィンを掴んでいた手を放す。
「っ……ゴホゴホっ!」
「リィン君っ!」
詰まっていた呼吸を取り戻して咳き込むリィンにエステルが支える。
アガットはそんなリィンから興味を失ったように、受付に向かって叫ぶ。
「爺さん、俺はこれからルーアンに向かうからなっ!」
「何じゃ、いつものことながら忙しないの。この間ラヴァンヌ村の村長が、たまには顔を見せろと言っておったぞ」
「ちっ……余裕があったらな」
「お前はこないだもそんなことを言って結局――」
「あーあーうるせえなっ!」
ルグランの小言をアガットは嫌そうにしながらギルドを出て行く。
その背中にリィンは呟いた。
「き……」
「あん……?」
「金色の……剣……」
記憶のモヤの中、それだけが見えた気がした。
「金色の剣か……ふん……」
アガットはそれを確かめる様に呟くと鼻を鳴らして、そのままギルドを出て行った。
そして、入れ違いにヨシュアが入って来る。
「ただいま戻りました」
「ヨシュアッ!? 今まで何処に!?」
「ちょっと気になることがあってね。それより今、アガットさんが出て行ったようだけど……何かあったの?」
「あいつが嫌な奴だって改めて分かっただけよ!」
エステルの物言いにヨシュアは首を傾げて、リィンを見る。
「よかった。目が覚めたみたいだね」
「……はい。ご迷惑をかけてすいませんでした」
「こら」
頭を下げるリィンをエステルは小突いて怒る。
「あたしたちは迷惑をかけられた覚えなんてないわよ。心配はしたけど」
「あ……ご心配をおかけしました」
改めて頭を下げると、エステルはよろしいと満足そうに頷く。
「むしろあたしたちが迷惑をかけているわね。ごめんなさい」
やれやれと肩をすくめてシェラザードが謝る。
「いえ……今の人も遊撃士なんですよね?」
「ええ、『重剣』のアガット。普段はもう少し融通が利くはずなんだけど、今日はどうも虫の居所が悪かったみたいね」
アガットのせいで倒れた椅子を直して、一息吐く。
そして――
「そういえばヨシュア、気になることって何だったの?」
「周囲の聞き込みをしたんだけど、昨日リィン君の姿を見た人は誰もいませんでした」
「え……それはそうじゃないの? リィン君はあの夜から昨日あたしたちが見つけるまでずっと行方不明だったんだから」
「エステル、思い出してみて……
リィン君を僕たちが見つけたのは街道の調査をしてきた夕方……
場所は遊撃士協会の前。協会の前はボースマーケットを挟んだ大通り……
僕たちがリィン君が戻ってきていないと聞いて、ギルドを出たのは昼過ぎ」
「昼から夕方の時間帯で目撃者が一人もいないなんておかしいわね」
ヨシュアの言いたいことを先取りしてシェラザードが頷く。
リィンが見つかったのが深夜や早朝ならまだしも、まだ人が行き交う時間帯で血塗れの少年が歩いていたとすれば必ず誰かの目に止まるはず。
誰かが運んだとしても、それだって人を担いでいる人間が目立たないはずがない。
「誰も気付かなかった……? リィン君のその時の記憶がないのと関係があるのかしら?」
「記憶がない……?」
シェラザードの呟きを聞いてヨシュアは何かを考え込む。
「どうしたのヨシュア?」
「空賊のボス、ドルン・カプアも定期船を奪ったことを忘れていた」
「あ、そういえばっ!」
「そういえばそうだったわね。言い逃れにしては本気で呆けていたとは思ったけど……」
「もし空賊のボスの言葉が本当なら、彼を操っていた人間はリィン君を襲った人間と同一人物かもしれない」
「あ、あんですってぇ!?」
ヨシュアの推理にエステルは叫ぶ。
「だ……だけど、空賊を裏から動かして何が目的だったわけ?」
「例えば、空賊が要求した身代金を横取りするとか……
そうすれば、最終的に捕まるのは空賊で、そいつは安全に大金を手に入れることができる」
「つまりジョゼット達もそいつらに利用された被害者だったってわけね……よし」
エステルは意気込むと踵を返した。
「エステル?」
「ちょっとハーケン門まで行ってくる。それでリシャール大佐に今の話を――」
「やめておきなさい」
今すぐ駆け出して行きそうなエステルをシェラザードが止める。
「でも、シェラ姉……」
「空賊事件がひとまず解決した。だからこそ、リィン君は解放されたと考えるべきよ……
変に藪を突っついて、そいつらに少しでもリィン君が記憶を取り戻したと知られるわけにはいかないわ」
「でも……」
「利用されていたかもしれないけど、彼女たちが飛行艇を奪ったのは事実よ……
同情はするけど、今はリィン君の安全を優先するべきよ」
「…………分かった」
肩を落としてシェラザードの言葉をエステルは受け入れる。
重くなった場の空気に耐えかねて、リィンは話題を変えるついでに気になっていたことを尋ねる。
「あの……ところでエステルさんたちのお父さんはどうしたんですか?」
その質問にエステルたちは揃って苦い表情を浮かべる。
「もしかして乗客を庇って怪我をしていたとかですか?」
剣聖とて人の子であることには変わらない。
いくらすごくてもたった一人で数十人の乗客を守り切れるとは限らない。
「あーうん。そっちの方がまだよかったかもしれないわね」
「エステル……」
半眼になって毒を吐くエステルをヨシュアが嗜めて答えを言った。
「どうやら父さんはあの飛行船に乗っていなかったみたいなんだ」
「え……?」
「離陸直前に船を降りたみたいで、手続きも間に合わなくて。それで書類上は乗っていたことになっていたんだ」
「それじゃあ今、カシウスさんは何処に?」
答えは沈黙。それが何よりの答えだった。
「ほんとギルドにも家族にも連絡一つよこさないで何やってんだか」
エステルが不貞腐れていると、階下から声が響いた。
「ごめんくださーい」
「はいはい。御依頼ですかな?」
ルグランが応対すると、エステルたちを呼んだ。
「どうやらお前さん達宛ての手紙と荷物だそうだ」
「え……?」
「あの定期船のロレントへ送られるはずだった積荷がこちらに転送されたようじゃの、手紙はカシウスからじゃ」
「本当っ!?」
慌てて下に降りたエステルは件の手紙と小さな小包を持って、二階へ戻ってくる。
「席を外した方がいいですか?」
手紙を開けようとするエステルにリィンは気を利かせて尋ねる。
「ううん。いいよ別に。それにリィン君も父さんが何をしているか気になるでしょ?」
「まあ……はい」
「読むよ」
そう一言断って、エステルは手紙を読み上げる。
『エステル、ヨシュアへ』
その言葉から始まる手紙の内容は軽い口調ながら二人への慈しみと信頼が読み取れた。
読み終えたエステルはどこか嬉しそうで、それでいて照れた様子だった。
リィンが気になるカシウスの今後だが、しばらくは仕事で帰ってこないようだった。
「女王生誕祭まで帰ってこないってありましたが、その女王生誕祭っていつ頃のお祭りなんですか?」
「三ヶ月後に王都グランセルで行われるわ」
帝国での夏至祭のようなものだろうとリィンは納得する。
何にしても、リィンがリベールへ来たのは無駄足になりそうだった。
「ところでそっちの小包は何ですか?」
「父さん宛みたいだけど……あれ? 差出人が書いてない?」
小包を回して見ても、どこにもそれらしいものがなくてエステルは首を傾げる。
「…………開けちゃおっか?」
少し考えてエステルはそんなことを言い出した。
「エステル……」
「そりゃ父さんの荷物を勝手に調べるのはどうかと思うけどさ……
これが父さんがいなくなったことに関わりがあるかもしれないし。それに……」
「それに?」
「この中身がもしもナマモノで、父さんが帰ってくる三ヵ月後まで放っておいたら……」
「…………調べる必要はあるね」
「…………ええ、先生もきっと分かってくれるわ」
「…………無駄な被害は出さないに限りますね」
三人が三人ともエステルの提案を想像して同意する。
意を決してエステルが小包を開けると、中から出てきたのは黒のオーブメントと一通のメモがあった。
「メモには何て?」
「えっと……
『例の集団が運んでいた品を確保したので保管をお願いする。
機会をみて、R博士に解析を依頼していただきたい。K』……だって」
「それだけ?」
「うん。シェラ姉、このR博士とKって人に心当たりある?」
「それだけじゃあ、正直お手上げよね。この黒いオーブメントは何なのかしら?」
「一般に出回っているものではなさそうですが、どんな機能があるか形状から想像できませんね。スイッチの類も見当たりませんし」
帝国製のオーブメントにしても王国製のオーブメントにしてもそれが製品化されたものなら操作方法はある程度見れば分かる。
しかし、その黒のオーブメントには起動させるスイッチは一つもない。
「あーもう、まったくもうっ!」
突然、エステルが苛立った声を上げる。
「あの不良親父ときたらっ! 心配ばかりかけてくれちゃって、もう……
こんな差出人不明の怪しげな品が送られてきて……
一体、どんな事件に首を突っ込んでいるいるんだか……」
声音が一転して不安に触れる。
そんなエステルの姿を見せられてリィンはいたたまれなくなる。
両親や妹にもこんな顔をさせているのかと思うと、胸が苦しくなる。
彼女の父親と同じ事をしているリィンは何も言えなかった。
そして意気消沈する彼女に最初に声をかけたのはヨシュアだった。
「ねえ、エステル。少し考えたんだけど、このまま旅を続けない?」
「え……?」
「父さんの手紙にも書いてあったじゃないか。正遊撃士の資格を目指して旅をするのもいいだろうって……
僕達はロレントとボースで推薦状をもらった。残るは、ルーアン、ツァイス、王都グランセルの三つだけギルドの仕事をしながら回っていけば父さんの行方も分かるかもしれない……
それにR博士だって見つけられるかもしれない」
ヨシュアの言葉にエステルは名案とばかりに顔を輝かせてヨシュアに抱きつく。
「ヨシュアってば天才っ!
それって一石三鳥どころか十鳥くらいあるじゃない!
もー憎らしいくらいに頭が冴えてるんだからっ!」
「それって、賛成と考えてもいいのかな?」
「賛成、賛成、大賛成っ!
正遊撃士めざして修行しながらリベール中を歩き回って……ついでにあの不良中年が何をしているのか暴いてやるわっ!」
「あの……微妙に目的がズレてきてない?」
ヨシュアが呆れた眼差しを向けるが、エステルの勢いは止まらない。
「そうだ! リィン君。あたしたちと一緒にリベールを周らない?」
「え……?」
「父さんが帰ってくるまで三ヶ月くらいあるしさ、せっかくだから一緒にリベールを周ればいいと思うんだ」
「何馬鹿なことを言っているのよ」
エステルの提案にシェラザードが怒る。
「半人前のあんたたちがリィン君の面倒をみながらで正遊撃士の資格を取ろうだなんて、そんな簡単なものじゃないのよ」
「で、でもシェラ姉……
リィン君は言わばうちのお客さんなんだし、このまま放っておくわけには……」
気弱に反論するエステルだが、当のリィンもシェラザードの言い分に賛成だった。
「いえ、シェラザードさんの言うとおりだと思います」
「リィン君……」
「元々、俺が後先考えずに押しかけようとした身です……
それにエステルさん達にとって大事な仕事の邪魔をこれ以上するわけにはいきません」
「邪魔って……空賊の時のことを気にしてるなら――」
「いえ、それは関係ありません」
気遣うエステルの言葉をリィンは先に否定する。
空賊の時の無様などなくても、彼女達の旅に自分が邪魔だということくらい理解できる。
「それじゃあリィン君はこれからどうするの?」
「それは……」
流石に三ヶ月は長い。
「一度家に帰るか、クロスベルに行こうかと思います」
そう言ってから、リィンは首を傾げた。
力の制御ができるまで決して帰らないと決意して家を出た。
まだそれは成されていないのに、口からは自然と家に帰ると出ていた。
「クロスベルというと、父さんの兄弟弟子のアリオス・マクレインさんを訪ねるつもりかな?」
ヨシュアの問いに、リィンは思考を切り上げて頷く。
「はい。実はリベールの方に先に来たことに深い理由はないんですよ」
それこそ、50ミラコインを投げた裏表で決めた程度の理由でしかない。
なのだが、何故だろう。
三ヶ月もあればクロスベルへ行って戻ってくるだけの時間は十分にあるはずなのに、リベールを離れることに後ろ髪を引かれる。
家に帰ることへの抵抗感がなくなっていることといい、自分の心情がよく分からなくなってくる。
――まさかエステルさんに悩みを話しただけで悩みがなくなったっていうのか?
依然として、むしろ前よりも胸の中の焔の感覚がはっきりと捉えられるようになっている。
しかしそれを制御できる自信は未だにない。
にも関わらずこの心境の変化にリィンは首を傾げる。
「でも……うーん……」
頭を抱えて唸るエステルにリィンは苦笑する。
「俺のことは気にしなくて良いですよ」
「その話、ちと待ってくれるかの」
と、ルグランが階段を上げって来てリィンに話しかける。
「リィン君じゃったな……実は帝国のギルドから問い合わせがあって、家出息子を探して欲しいと依頼があったんじゃ」
「あ……」
「年は十四歳、黒髪に紫の瞳。武器は太刀を使うそうじゃ」
「それって……」
みんなの視線が黙り込んだリィンに集中する。
その視線にリィンは観念して頷いた。
「はい。俺はたぶんその家出息子で間違っていないはずです」
「ま、名前も偽っておらんようじゃったしの」
そもそも偽名を名乗ること事態、リィンは考えてもいなかった。
「えっと、リィン君は武者修行で父さんを訪ねてきたんじゃなかったの?」
「いえ、それも理由の半分なんですが……改めて事情を説明した方がいいですね」
琥珀の塔でエステルに少し話したが、あの時のリィンは思考が滅茶苦茶で漠然とした説明しかしていなかった気がする。
「改めて名乗らせてもらいます……
エレボニア帝国、シュバルツァー男爵家の長男、リィン・シュバルツァーです。とはいえ俺は養子なんですがね」
そこから先、リィンは包み隠さずに自分のことを話した。
十年ほど前にシュヴァルツァー家に拾われた、雪山に捨てられていた浮浪児であること。
そんな子供を引き取り、養子にしたことで養父は貴族の社交界のゴシップの的にされたこと。
六年前に魔獣に襲われ奇妙な力が発現し、その魔獣を返り討ちにした事。
その力を制御するためにユミルを偶然訪れた、八葉一刀流の開祖、『剣仙』ユン・カーファイに弟子入りしたこと。
その修行を先日打ち切られたこと。
そして、その頃から妹のエリゼが余所余所しい態度を取って、自分を避けるようになったこと。
「これは俺の考えですが、こんな力があったから捨てられたと思ってます……
だから……この力を制御できなければいつかシュバルツァー家からも捨てられるんじゃないか、そんなことを考えるようになってしまったんです」
だけど、それは杞憂に過ぎないと今なら思える。
その心変わりができただけでもリベールに来た甲斐があった。
「やっぱり帰るべきなんでしょうね」
行方を暗ました父親を案じて不安になるエステルを目の当たりにしてリィンは思う。
「名残惜しいですが、これ以上みなさんに御迷惑をおかけするわけにいきませんから……ユミルに帰ります」
やはりその言葉はリィンが思ったほどに抵抗なく口から出てきた。
「まあ、そう結論を急ぐでない」
しかし、リィンの決意とは裏腹にルグランは言葉を続ける。
「お前さん達はリィン君の失踪をどう考える?」
「どうって……さっき空賊を影で操っていた黒幕がいるんじゃないかって話になったけど?」
「ふむ……わしも同意見じゃが、ここでリィン君を一人にするのはちとまずいと思わんか?」
「それはどういうことですか?」
ルグランが言い出した不穏な言葉にヨシュアが聞き返す。
「リィン君を拉致して記憶を消した何者かがリィン君を解放したのは、遊撃士協会と事を構えるのを嫌ったためじゃろう……
あのままリィン君が行方不明のままなら、わし等は他の支部と連携してリィン君の行方を探していたじゃろからな」
「そうですね……今でこそ空賊事件に黒幕がいたって結論になったけど、その時は空賊の残党がいたと考えていたわね」
「だが、ここでリィン君をギルドの庇護から放せば、確実な証拠隠滅のために再びリィン君をそいつが襲わないという保障がどこにある?」
「あ……」
「それに今は思い出せなくとも、時間が経てば思い出せるかもしれん」
「えっと……それじゃあ俺はどうすればいいんでしょうか?」
「ギルドとしては君の身柄は重要参考人として当分の間、保護したいと思っておる」
「それは構いませんが、それではギルドの依頼はどうするんですか?」
「確かに依頼が出されている以上、一刻も早く君を家に帰すのが筋だろう……
しかし、さっき言った通り、君をこのまま帰すのも問題じゃ。それに、それでは君の抱える悩みも解決しとらんじゃろ?」
「それはあくまで俺の個人的な問題では?」
「なに、遠い帝国のユミルから、若者がこのリベールまでうちの遊撃士をわざわざ訪ねてきたのじゃ……
何の持て成しもせずに帰れと言うのも悪いじゃろ」
「それじゃあ、やっぱりあたしたちと一緒にリベールを周ればいいんじゃないかな?」
「何を言っておる、シェラザードが言った通り、お前さん達は自分のことに集中するべきだ」
「でも、それじゃあリィン君はどうするの?」
「それについては適任がおる。上がって来てくれ」
「はーい」
ルグランに呼ばれて、一階でいつから待っていたのか、元気のいい女性の声が返ってきた。
声と共に上がって来たのは、大きな黄色いリボンを髪に結ったのが特徴的な女の人だった。
「シェラさんに新人君たちはこの間ぶりだね。それでそっちの子は初めまして、私はアネラス・エルフィード。よろしくね」
「リィン・シュバルツァーです。よろしくお願いします」
挨拶を返してリィンは聞き覚えのある名前に首を傾げた。
――あれ? どこで聞いたんだっけ?
しかし、それがいつ、どこで聞いたか思い出せない。
考え込むリィンに対してアネラスは感極まった様子でリィンの手を取った。
「辛かったんだねリィン君。もう大丈夫だよ」
「え……はい……?」
「もうお祖父ちゃんったら、こんなかわいい弟弟子ができたなら教えてくれれば良いのに」
「お祖父ちゃん? 弟弟子……あ、もしかしてユン老師のお孫さんの?」
「うん。そうだよ」
思い出した心当たりをそのまま言葉にすると、アネラスは嬉しそうに頷く。
「ところでリィン君、私のことは是非アネラスお姉ちゃんって呼んで欲しいかな」
ひまわりの様な笑顔でアネラスはそんなことを言ってきた。
エステル
「これからのあたしとヨシュアの旅が気になるみんなは『英雄伝説空の軌跡FC』をプレイしてね」
ヨシュア
「リィン君はボースに残りますが、次の話はヴァレリア湖での休暇の一日、いわゆる絆イベントを予定しているので、まだ僕達も登場します」