封鎖区画。
グランセル城の地下深くに存在している古代ゼムリア文明の遺跡。
クーデター事件の際、そこに《輝く環》が封印されていると思い込まされていたリシャール大佐だったが、真実は《輝く環》を封印するための機構の一つでしかなかった。
すでにその封印が解かれているため、ここにはもう戦略的な価値は存在していない……はずだった。
最奥の広間。
黒い光を宿すゴスペルが置かれた台座の前には銀髪の青年が背中を向けて佇んでいた。
「古代人はどうやら余程《輝く環》の存在を隠していたかったようだ」
リィンが話しかける前に、彼は口を開く。
「各地の四輪の塔は異次元に追いやった《輝く環》を繋ぎ止めておくための杭……
だが、その杭を解除するには正しい順番で解除しなければならない……
それに加え最後の杭を抜くまでに一定時間が過ぎれば解除された杭は再起動するように仕掛けられていた……
一度は攻略された施設に安全装置とも言える統括機能を置いたことといい、随分と手の込んだことをする」
そう言って青年は振り返り、リィンと対峙する。
「《剣帝》レオンハルト……」
「よくここが分かったな。流石はカシウス・ブライトと言ったところか?」
「六人の執行者と四つの塔……姿を見せていない二人を警戒するのは当然だ」
「なるほど……確かにその通りだ……だが、そうと分かっていて一人で来るとは先日のことを忘れたのか?」
「忘れるはずない……だけどみんな地上のことで手一杯なことには変わりはない……だから俺が来たんだ」
見たところ、グランセル地方に大きな影響が出るような変化はない。
この施設の今の役割は彼が先程説明した通り、四輪の塔を制御するだけのようだった。
それだけ確認できれば、もうレーヴェを無視して戻ってもいいと指示されているのだが、レーヴェの眼差しはそれを許すつもりはないようだった。
「今日はいつにも増して感情的のようだな」
「気のせいだ。俺はそんな心などとっくに捨てた」
「捨てた……か……《ハーメルの悲劇》……」
ある種の覚悟を持ってリィンはそれを口にする。
「ヨシュアに聞いたか?」
しかし、激昂すると思いきやレーヴェは静かに言葉を返す。
「《結社》に協力してリベールを滅茶苦茶にするのは復讐のつもりなのか?」
「そんなことをしたところで死んだ者は戻ってこない……俺は人という可能性を試してみたくなっただけだ」
「人の可能性?」
「時代の流れ、国家の論理、価値観と倫理観の変化……
人という存在は大きなものに翻弄されがちだ。そして時に、その狭間で身動きを取れぬまま消えていく……俺たちのハーメル村のように」
レーヴェは祭壇の階段を降りる。それに合わせリィンも広間の入り口から奥へと歩を進める。
「お前はあの時体験したはずだ。《輝く環》がもたらす圧倒的な力を……
古代人はその力を利用して満ち足りた日々を送っていたという。だが、人は《輝く環》を捨て封印した。まるで都合が悪いものを忘れ去ろうとするように」
「随分と勝手な言い掛かりだな」
「言い掛かりなものか……
真実とは容易く隠蔽され、人は信じたい現実のみを受け入れる。それが人の弱さであり限界だ……
だが《輝く環》はその圧倒的な力と存在をもって人に真実を突き付けるだろう……
国家という後ろ盾を失った時、自分たちの便利な生活がどれだけ脆弱なものであったか……自己欺瞞によって見えなくされていた全てをな」
「…………詭弁だな」
「……なに?」
長ったらしいレーヴェの高説をリィンはその一言で切って捨てた。
「あんたやヨシュアさんの身に振り掛かった不幸は同情する。それが原因で復讐に走ったとしても仕方がないと納得できる……
だけど、あんたがしていることは何だ?
真実を隠蔽してリシャール大佐を利用して、信じさせたいものを押し付けて騙したあんたはハーメル村の存在を消した帝国の人間と何が違う?」
「…………ッ……………」
「《輝く環》なんか関係ない!
俺たち剣士はそれこそ簡単に人を殺せる《凶器》を持っている……
現にあんたたちは各地で実験と称して好き勝手に振る舞ってきた……
アルティナのことだってそうだ。あんたたちは自分たちが作り上げた人形だから簡単に利用した……
ふざけるなっ! いつまで被害者面している!? お前はもうとっくに加害者だっ!」
声を荒げてリィンはさらに捲し立てる。
「放火した孤児院から院長や子供たちを助けて、ボース地方でも古代竜の被害を最小限に留めた。自分は帝国とは違うとでも言い聞かせていたのか?」
「お前の指摘は的外れだ。全ては《実験》を正確に行うための《結社》の指示だ。そこに俺の思惑などはない」
「それは嘘だ。あの《教授》がそんな些末なことを指示するはずがない」
リィンの断言にレーヴェは押し黙る。
「心がない? それこそあんたの《欺瞞》じゃないか」
リィンとレーヴェは互いの間合いに一歩踏み込んで立ち止まり、睨み合う。
「……随分と生意気な口を叩くようになったな。お前に何が分かると言うんだ?」
「心って言うのはそんな簡単に捨てられるものじゃない……
どんなに痛くて苦しくてもずっとそこにある。それから逃げるためにはそれこそ心を壊すしかない……
あんたは《修羅》の肩書に逃げているだけだ」
「……試してみるか?」
「望むところだ」
互いが剣を抜くのは同時。
二人だけの静かな空間に鋼を叩き付ける音が木霊する。
意地を張るように足をその場に止めて、剣を交える。
何合の打ち合った末に、身体ごと剣撃に弾かれたのはリィンの方だった。
「どうした? 大口を叩いておいてその程度か?」
「まだだ……」
《疾風》の歩法を使って一息にリィンはレーヴェの懐に入り込む。
それを待ち構えていたレーヴェはカウンターを合わせる。
が、リィンは振り被った太刀の軌道を変えて鞘に叩き込み、カウンターを避けて太刀を抜き放つ。
一瞬早く、レーヴェはその場から強引に後ろへ跳んで《残月》の一撃から逃れた。
「少しはやるようになったみたいだな」
「あんたたちが用意した修羅場の数は多かったからな」
「なら、これはどうだ?」
次の瞬間、レーヴェは四人に分かれる。
分け身の戦技。
リィンも同じ技をすでに使えるが、戦闘に耐えるほどの練度ではない。
しかし、その手の戦技に対しての戦技はリィンは考えてある。
「そんなもの、まとめて吹き飛ばしてやるっ!」
闘気を練り、炎を太刀に宿す。
さらに螺旋の力を加えて、太刀を大きく振り刃に風を宿す。
孤影斬と鳳凰烈波擬きの合わせ技。
放たれた極大の炎の刃は四人のレーヴェを飲み込み薙ぎ払う。
「ちっ」
その炎の中から飛び出したレーヴェにリィンは追い縋り、斬撃を浴びせる。
「そういうあんたは随分と剣筋が鈍っているじゃないか……心がないとか言っていたくせにアルティナに誰かを重ねたのか?」
「黙れっ!」
鍔迫り合いの最中に投げかけた言葉にレーヴェは感情を剥き出しにしてリィンは弾き返す。
また剣筋が乱れる。
以前に戦った時とは見違える程に酷い。
息を吐かせない連続の攻撃をリィンは見切って捌く。
「っ……」
捌けてしまう事実にリィンは何とも言えないやるせなさを感じずにはいられなかった。
彼は《結社》の《執行者》であり、アルティナを殺す片棒を担いだ共犯者、リィンが憎む敵でしかない。
しかし他の《執行者》よりもリィンにとって《剣帝》は特別でもあった。
四輪の塔を巡り、数々の強敵と戦い少しは強くなったと思っていた。
今度こそ勢いや運ではなく、実力で届いてみせると意気込んだが、リィンが強くなった分だけレーヴェは弱くなっていた。
「どうしてそこまで意地を張る!? 《結社》にいたところで第二、第三のハーメルの悲劇を起こすだけだって何で分からない!?」
「違うっ! 俺はそれを防ぐために《身喰らう蛇》に身を投じた! そのためには《修羅》と化しても悔いはないっ!」
「そうして今度はあんたがカリンさんを殺すのかっ!?」
「っ……そうだっ! それで答えが出るのなら俺は何人ものカリンを殺してみせる!」
「この……大馬鹿野郎っ!」
居合の構えからリィンはレーヴェの懐に飛び込む。
「無想覇斬っ!」
すれ違い様に無数の刃を返した斬撃を見舞う。
何処かでリィンは彼がそれを受け切ってみせるのではないかと期待したが、そんなことはなくリィンの太刀はレーヴェに届いた。
「くっ……」
膝を着くレーヴェを見下ろしてリィンは目を伏せる。
不完全燃焼な気持ちを感じながらリィンは太刀を納め――ようとしてその場から跳び退いた。
「何だ……?」
かなり強めに叩いたのだから気絶はしていなくても動けなくなるほどのダメージを入れた手応えはあった。
しかし、レーヴェはリィンに背中を向けたまま何事もなかったかのように、ドス黒い靄をその身から溢れさせ始めた。
「ククク……」
《鬼の力》に似た陰の気をもらすレーヴェはらしくない乾いた笑い声を上げる。
異様な雰囲気にリィンは警戒心を募らせて身構える。
その瞬間、背中を向けていたはずのレーヴェは目の前にいた。
「っ!?」
振り被った剣に遅れて太刀を盾にして受け止めるが、受け流す間もなくその剣撃にリィンは吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。
「ぐっ……」
背中を強打して息が詰まる。
その息を整えるよりも速くレーヴェはリィンに追い縋る。
剣を持つ左腕に陰の気を纏い突き出した剣を紙一重でリィンは避ける。
壁に深々と剣は突き刺さるが、レーヴェはそのまま剣を壁の存在を無視するような速度で振り抜いた。
「《鬼の力》なのか……?」
堪らず距離を取ったリィンは肩で息を吐きながら、レーヴェの変化に戦慄する。
見た目こそ変化はしていないが、彼はそうとしか思えない程に禍々しい気配を振り撒いていた。
「ようやく至れたか……」
レーヴェはそんな陰の気を纏いながら、どこか満足げにその気を受け入れていた。
「ああ、そうだ……拭い切れない小さな良心などいらない……俺はもうとっくに人間には戻れない……そうだな。全てをコロソウ……そこから始めよう」
「レオンハルト?」
誰かと話すように虚空に向かって語り出すレーヴェにリィンは訝しむ。
「村を襲った猟兵どもはすでに皆殺し、首謀者も鉄血宰相が全員処刑してハーメルの名を地図から消した……
認めたのは皇帝、黙認したリベールの女王……全て等しく斬り捨てよう」
「させると思うか?」
リィンを無視して踵を返したレーヴェの前にリィンは回り込む。
そんなリィンに一切の警告もなくレーヴェは斬りかかる。
「っ……」
それまでの不調が嘘だったかのように鋭く、そして今までよりも遥かに強い斬撃。
数合打ち合っただけで太刀を持つ腕は痺れ、リィンは堪らず叫ぶ。
「神気合一っ!」
髪を白く染めるように変身したリィンは守るのではなく、攻めるようにレーヴェと正面から斬り合う。
「おおおおおおおおおおっ!」
「はあああああああああっ!」
二人の雄叫びが、放つ尋常ではない剣気が広間を揺らす。
壁や床には斬撃が刻まれ、踏み込みに耐え切れなかった床石は砕ける。
剣を交える度にレーヴェは左腕に宿る黒い何かに体を侵されていくが、気にしない。
むしろ全ての雑念が消えていく感覚に身を委ねてさえいた。
何にも囚われず、呼吸をするように目の前のものを斬る。それこそレーヴェが至りたかった《修羅》の境地。
「受けて見ろ《修羅》の一撃……」
そこに至らせた存在に、礼を尽くすように最高の技をレーヴェは繰り出す。
凍気を漲らせた剣を足元に突き立て、敵を含めた周囲全てを一瞬で氷漬けにする。
そして一瞬だけ氷像となって動きを止めたリィンに業火を宿した剣戟を見舞う。
「冥皇鬼炎斬」
「――――――終の太刀、暁」
体に纏わりついた氷を気合いで吹き飛ばしたリィンは炎の一撃を避けられないと判断した瞬間、己の最高の技を《修羅の一撃》にぶつけた。
「…………ちっ」
剣を振り抜いたレーヴェはリィンを斬っていない手応えに舌打ちをする。
対するリィンは再び壁に叩きつけられながら、それを支えに立っていた。
――危なかった。アリアンロードさんの一撃を経験してなかったら今ので終わっていた……
技の原理はかつて受けた聖技とよく似ていた。
相手を戦技の技で止め、そこに渾身の一撃を叩き込む。
レーヴェの今の技はそれこそ彼女のそれに勝るとも劣らない一撃だった。
「まだ足掻くか?」
「……当然だ」
リィンは少し考えてレーヴェの言葉に頷く。
カシウスからは威力偵察で止め、無理に阻止する必要はないと言われていた。
これ以上危険を冒して戦う理由はリィンにはないのだが、ここで退いてはいけないと太刀を握り直す。
「ならば今度こそ斬り捨てる」
レーヴェは剣を構えて闘気を漲らせる。
先程のが100の一撃とするのなら、次は200の一撃。
息苦しさを感じさせる重圧の中、リィンは己の太刀に向かって語り掛ける。
「力を貸してくれ、アルティナ」
その言葉に応えるように太刀は白い光を宿す。
その様子にリィンは苦笑を浮かべ、表情を引き締めて叫ぶ。
「うおおおおおおおっ!」
《ウォークライ》。
今までは封じられていた《鬼の力》を強引に使うための呼び水として使っていたそれを本来の用途で使う。
《鬼の力》によって強化された体にさらに上乗せして自己を強化して全身に闘気を漲らせる。
そして――
「冥皇鬼炎斬っ!」
「灰の太刀、暁っ!」
二つの必殺技が激突し――二人は互いの横をすり抜ける。
互いの技が完全に相殺された二人は同時に振り返り、二の太刀を繰り出す。しかし――
「なっ!? カリ――」
《修羅》に至ったはずのレーヴェは何かを見て不自然にその動きを止めた。
その一瞬の隙を逃さずリィンは新たな技を繰り出す。
まだ数秒しか維持できない分け身を使い身体を増やし、そしてそこから繰り出される技は――
「双覇十文字斬りっ!」
*
『デバイスタワーの停止を確認……《第二結界》が解除されます……
《リベル=アーク》の現出に伴い、本施設は完全に機能を停止します。全要員はすみやかに退去してください』
気が付けば、祭壇のゴスペルは光を失い、広間にはそんなアナウンスが繰り返し流れていた。
「すぐにここから出ないと」
おそらくカシウスたちが予見した《大規模導力停止現象》が起きる。
一応、導力を使わない光源を用意しているが何が起きるか分からない上にエレベーターで降りて来た距離を梯子で登るのは遠慮したいリィンはすぐに動こうとして、足を止めた。
「…………これでよかったのか?」
リィンの呟きは誰もいない空間に解けて消える。
そこにはもう《剣帝》の姿はない。
リィンの一撃を受け、倒れはしたものの意識を奪ったわけでも無力化できたわけでもない。
あれだけ昂っていたはずのレーヴェはそれがまるで嘘だったかのように消沈して、ゴスペルが役目を終えるのを見届けるとその場を去って行った。
その足取りは幽鬼のようで、今にも消え去ってしまいそうな背にリィンは何の言葉もかけることはできなかった。
その頃のグランセル
リシャール
「地面が揺れている……これが超帝国人同士の戦いか。凄まじいものだな」
いつかの煌魔城IF
リィン
「双覇十文字斬りっ!」
クロウ
「……………………もうあいつ一人でいいんじゃね? っていうか、何で騎神で分け身が使えんだよ!?」