(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

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48話 《白面》

 

 ハーモニカの音が響く。

 曲名は《空を見上げて》。

 お世辞にも上手いとは言えないが、アルティナは集中して銀のハーモニカを吹く。

 青い空が夕日に染まる中、王宮へと続く橋の前で静かにリィンはその旋律に耳を傾ける。

 そして、一曲が終わり、ハーモニカから口を放したアルティナはリィンに尋ねた。

 

「どうでしょうか?」

 

「ああ……50点くらいかな」

 

「本当ですか?」

 

「ああ、後は何度も反復して練習すれば良くなっていくさ」

 

 音が混じることはあっても吹き間違いはなかった。

 正確な音を出そうとするあまりテンポが不自然に遅くなる部分もある。

 それでも通しで一曲を吹き切り、曲の体裁も整えている。

 一度、大目に見積もって点数を付けたが、それはアルティナのお気に召さなかったので感じた通りの採点だった。

 

「この限られた時間の中で随分と頑張ったな」

 

 リィンが魔獣の調査に行くのにアルティナも同行しているので、一日のわずかな時間しか練習できていなかったことを考えれば十分な進歩だろう。

 

「いえ、できるならこの日までに百点を取りたかったです」

 

「ハハ、目標が高いのはいいことだけど焦る必要はないんだぞ」

 

 百点が取れたら一緒にやるという約束だったのだが、それが果たせずに無念だと言わんばかりに肩をすぼめるアルティナの頭をリィンは撫でる。

 しばらくそれを無言でアルティナは受け入れる。

 

「…………リーン」

 

「何だアルティナ?」

 

 かつて彼女と釣りに興じた場所でリィンは彼女の呼びかけに言葉を返す。

 

「以前、ここでリーンは言ってくれましたね……リーンと一緒にユミルに来ないかと」

 

「ああ。その考えは今でも変わってないぞ」

 

 リィンの肯定にアルティナは一歩引いて、リィンの手から離れて背を向ける。

 

「わたしは《結社》の道具です」

 

「違う。アルティナは一人の人間だ」

 

「わたしは《結社》によって造り出された人造人間です」

 

「例え生まれがそうだったとしても、アルティナにはちゃんと心も魂もある」

 

「アルティナはわたしの他にも存在しています。その中でわたしは戦術殻に同調できなかった欠陥品です」

 

「だとしても、このリベールで縁を深めて絆にしたアルティナは一人だけだ」

 

「わたしは…………《教授》の命令を実行して、リーンを背後から撃って聖痕を刻む手助けをしました」

 

「…………それで?」

 

 リィンの問いかけにアルティナは黙り込む。

 長い沈黙を挟んでアルティナは口を開く。

 

「わたしにはリーンの傍にいる資格はありません」

 

「資格……か……」

 

「この半年……わたしには夢のような一時でした……

 廃棄処分されるはずだった人形には過ぎた、優しくて温かな幸せな夢……」

 

「それでアルティナはどうするつもりなんだ?」

 

「《結社》の拠点にはわたし一人で行きます。リーンはもう関わるべきではないと考えます」

 

「一人で行ってどうするつもりだ? 《結社》の目的は最初からアルティナではなくて俺だった……

 アルティナを自由にするためなんて提案は俺を巻き込むための口実だというくらいは分かっているだろ?」

 

「ですが――」

 

「なあアルティナ。俺が言ったもう一つの言葉を覚えているか?」

 

 その問いにアルティナは俯く。

 沈黙は肯定。そう捉えながらもリィンはあの時と同じ言葉を伝える。

 

「俺がアルティナに望むことは、幸せに笑っていられることだ」

 

「わたしの望みはリーンを守ることです……

 命令だからではなく、わたし自身がそうしたい、今はそう思っています」

 

「…………ありがとう、アルティナ。初めて会った時とは見違えるくらいに変わったな」

 

 半年ほど前にトランクの中から出てきた彼女の姿をリィンは懐かしむ。

 あの頃はまさに言われた行動の通りに淡々に動く人形みたいな女の子だったが、今目の前にいるのはリィンの身を案じる紛れもない人間の子供だった。

 

「……ええ。リーンやアネラス達と過ごす中でいつしか《変わった》んだと思います…

 だから、わたしはみんなを守るために一人で《結社》の拠点に行きます」

 

「それはダメだ」

 

 アルティナが一人で赴き、何をしようとしているかは分からない。

 ただ悲壮な決意を感じさせる感情に考えられる答えはそう多くない。

 

「アルティナ、君の気持ちは嬉しい。一人で行こうとする気持ちだって分かる……

 でも、俺もアネラスさん達も守られるだけの弱い存在じゃない」

 

「リーン……」

 

「だから怖がらなくていいんだ」

 

 リィンはアルティナの頭を撫でて語り掛ける。

 

「手に入れたものが大事で傷付いて欲しくないんだろ?

 それは俺たちも同じだ。俺もアネラスさんも、みんなアルティナにそう思っている……

 互いにそう思っているなら、傍にいる資格はそれで十分なんじゃないか?」

 

「ですが、何が待ち構えているか分かりません……

 最悪、リベールにいる執行者全てと一度に戦うことになるかもしれません」

 

「そうかもしれないけど、ここで退いたらアルティナは本当の意味で自由にはなれないと思うんだ……

 これでも結構な修羅場を潜ってきてそれなりに強くなった自信もある。《剣帝》にだって遅れを取るつもりはない……

 その上で聞かせてくれ、アルティナが本当に望むことを」

 

「わたしは………リーンやアネラス、皆さんの笑顔を見続けるために、生きていきたいです」

 

「そうか……」

 

 心の内を言葉にしてくれたアルティナにリィンは笑顔を浮かべる。

 

「ならアルティナも早まったことはしないでくれよ……俺たちもアルティナがいてくれないと笑顔でいられないからな」

 

「…………はい」

 

 リィンの言葉にアルティナは頷く。

 

「あ……」

 

「何か?」

 

 思わず声をもらしたリィンにアルティナは首を傾げる。

 

「いや……何でもない」

 

 リィンは首を振って、誤魔化した。

 おそらくは本人も自覚はしていないだろう。

 普段の無感情な顔にかすかな、それでも確かな笑顔があったことに。

 

 

 

 

 夜。

 ヴァレリア湖に面する波止場の片隅にレンは佇み、虚空へと向かって呟く。

 

「来て――パテル=マテル」

 

 その呼び声に湖が爆発した。

 

「なっ!?」

 

 正確には湖の中から巨大な機械人形が水面を割って現れた。

 見上げるほどの巨大な機械人形。

 

「フフ、紹介するわ。これがレンのパテル=マテル。パパのように大きくて、ママのように優しいの」

 

「これが……話には聞いていたけど、すごいな」

 

「《ゴルディアス級戦略人形兵器》……

 《結社》によって開発された最新鋭の巨大兵器……確か全高は15.5アージュだったと記憶しています」

 

 淡々とアルティナが補足説明を加える。

 どうやら驚いているのは、その場ではリィンだけのようだった。

 

「さあ、紹介も終わったことだし、早く出発しましょうか。のんびりしていたら兵隊さんたちが来ちゃうから」

 

 そう言うとレンはパテル=マテルの掌の上に飛び乗る。

 

「これに乗るのか?」

 

 レンが飛び乗った逆の掌を乗れと言わんばかりに差し出されてリィンは躊躇する。

 水面の上に飛んでいる巨人。

 その掌はとても人を運ぶのに適した形をしていない。

 が、そんなリィンを尻目にアルティナが補助アーツを発動させながらも、レンと同じようにしてパテル=マテルの掌に飛び乗った。

 そして振り返って不思議そうに首を傾げた。

 

「リーン?」

 

「どうしたのお兄さん?」

 

「…………いや、何でもない」

 

 小さな女の子二人が物怖じしないのだから、自分が怖気づくわけにはいかない。

 リィンは意を決してパテル=マテルの体を駆け上り、レンとは逆のアルティナが乗った掌に飛び乗る。

 

「それじゃあお兄さんたち、しっかり捕まっててね」

 

 レンがそう言うとパテル=マテルの各部のブースターが唸りを上げて高度を上げていく。

 

「う……あ……」

 

 どんどん小さくなっていく王都の夜景。

 空の旅は飛行船で何度も経験しているが、これはあまりにも違い過ぎた。

 狭く不安定な足場。

 月明かりが照らす王都の情景を意識することもできずに、リィンは早く到着することを祈った。

 

 ………………

 …………

 ……

 

「こんなところに《結社》の拠点があったのか」

 

 暗い空から見下ろすそこは一見すればただの岩場だったが、ある地点を通り過ぎると岩場しか見えていなかった場所に建物が現れた。

 レンによれば上空にダミー映像を映しているらしい。

 リィンは改めて《結社》の技術力の高さを知らされる。

 

「位置的にはヴァレリア湖の北西か……」

 リィンは懐のあらぬ方向を向いているコンパスを一度確認してからポケットにしまい込む。

 

「さあ、お兄さん。着いたわよ」

 

 レンはそういうとその建物の屋上にパテル=マテルを着陸させて、掌から飛び降りる。

 リィンとアルティナもそれに倣って飛び降りると、一人の青年が彼らを出迎えた。

 

「よく来たな。リィン・シュバルツァー」

 

「《剣帝》レオンハルト……」

 

「どうやらあの時から相当な修羅場を潜り抜けて来たようだな。正直、見違えたぞ」

 

 開口一番の誉め言葉にリィンは面を食らう。

 そうしている内に彼の背後に別の男が現れる。

 

「クカカ、良いじゃねえか。あの時と比べて随分と歯ごたえがありそうじゃねえか。流石は超帝国人ってところか?」

 

「《痩せ狼》ヴァルター」

 

「ハハハ、それでこそ私が見込んだ超帝国人。教授の試練を乗り越えてきただけはある」

 

「《怪盗紳士》ブルブラン」

 

「フフ、数日ぶりだね超帝国人。ようこそ《結社》の仮初めの宿へ、歓迎させてもらうよ」

 

「《道化師》カンパネルラ」

 

「あなたたち、ふざけるのも程々にしておきなさい」

 

「《幻惑の鈴》ルシオラ」

 

 そして、自分をここに案内した《殲滅天使》レン。

 これまで出会った執行者たちが立ち並ぶ姿にリィンは思わず太刀に手を伸ばす。

 

「やめておけ」

 

 その動きをレーヴェが言葉で止める。

 

「別にお前を殺すために集まったわけじゃない……

 客人として招かれて以上、こちらからお前を害するつもりはない……

 出迎えは俺だけのはずだったが、こいつらは勝手について来ただけだ」

 

「……え? どうして……?」

 

「それは皆、君に興味があるからだよ」

 

 リィンの呟きに新たな声が応えた。

 執行者の背後からゆっくりと歩いて来る男。

 眼鏡をかけた中年の男。その形相や雰囲気もリィンが記憶にあるものとは違っていた。

 しかし、それでもリィンは彼の顔を見た瞬間、その存在を思い出した。

 

「アルバ教授……貴方だったのか」

 

「ほう、どうやら自力で封鎖された記憶を思い出したようだな……流石は超帝国人というべきなのかな?」

 

 揶揄う言葉を無視してリィンは彼を睨み付ける。

 その反応に彼は一層笑みを深めて、本当の名前を名乗る。

 

「本当の名前は、ゲオルグ・ワイスマンという……

 《身喰らう蛇》を管理する《蛇の使徒》の一柱を任されている」

 

「《蛇の使徒》……」

 

 アリアンロードと同じ結社の幹部。

 しかし、高潔さが一目で見て取れた彼女と比べて、腐ったような醜悪な雰囲気に決して相成れないとリィンは早くも判断する。

 

「ともかく歓迎しようリィン・シュバルツァー……

 よく私の試練が与えた試練を全て乗り越えてこの場に辿り着いた」

 

 その労いの言葉さえも、リィンには胡散臭くにしか聞こえなかった。

 

 

 

 

「すまないね。こんな殺風景な部屋で」

 

 案内された部屋はワイスマンの言葉通り、秘密組織とは思えないほどに何もなかった。

 

「もう引き払う準備は終わっているということか?」

 

「ほう……」

 

 リィンの言葉にワイスマンは楽し気に目を細める。

 

「執行者達ではないが、琥珀の塔で会った時とは比べものにならない程の落ち着きぶりだ……流石は剣聖の系譜と言ったところか」

 

「御託はいい。あんたには聞きたいことが山ほどあるんだ」

 

「確かにそうだろう……

 ならばまずは掛けたまえ、長い話になるだろうからね」

 

 ワイスマンは対面のソファを指して促す。

 リィンはわずかな逡巡をしてからそこに腰を下ろし、アルティナが横に座る。

 

「さて、何から聞きたい? 私には君の質問に答える用意がある」

 

「それならまずは確認させてもらう……

 半年前のクーデター事件。リシャール大佐を唆したのはあんただな?」

 

「その通り……全ては《福音計画》のため」

 

「《福音計画》?」

 

「こう言い変えた方が君には分かり易いかな……

 女神の《至宝》の一つ《輝く環》をこの世界に呼び戻すための計画と」

 

「《至宝》……本当にそんなものが存在するのか?」

 

「存在するとも、リベールの《空》の……そしてエレボニアには《鋼》の至宝……

 私は君の《鬼の力》に関わるものだと睨んでいるがね」

 

「なっ、それは本当なのか!?」

 

「落ち着きたまえ……その可能性が高いというだけの話だ……

 だが、《福音計画》が終われば是非とも調べてみたいものだ」

 

 思わず立ち上がってしまったリィンは座り直す。

 気味の悪い笑みを浮かべているが、少なくてもその言葉には嘘は感じない。

 もっとも《至宝》に関わる力だと言われても、リィンには今一つ実感は沸かない。

 

「あんたは《鬼の力》について何を知っている? そして俺に何をしたんだ?」

 

「私が把握していることは先程も言った通り、憶測によるものでしかない……

 しかし、何を根本にされていたとしてもそこに存在している《力》である以上、干渉することは可能だ……

 私は君に聖痕を刻み、《鬼の力》を抑制する壁を作ったのだよ」

 

「そんなことができるのか?」

 

「完全に封じることは不可能だがね……

 しかし、干渉の閾値を上げることで余程の感情の爆発がなければ《鬼の力》は君の体に影響を与えることはできなくなっていたはずだ」

 

「そうだな……それ自体は俺にとってありがたいことなのかもしれないが、本人の断りも入れなかった以上それは善意ではなく悪意でしかない」

 

「これは手厳しい。私は君が望むものを与えて上げたつもりだが?

 話さなかったのは、完璧な封印ではないため期待を持たせないようにするためだったのだが」

 

「白々しい」

 

「ふむ、どうやらお気に召さなかったようだね……

 それなら、君から完全に《鬼の力》を引きはがすことができると言ったらどうするかね?」

 

「それは……」

 

「俄かには信じられないかね?

 私も《鬼の力》そのものに干渉することはできない。しかし《鬼の力》を取り込んだ《聖痕》になら干渉することは可能なのだよ」

 

 そう説明を加えるもののの、やはり信じることはできなかった。

 その迷いを見透かしてワイスマンは説明を続ける。

 

「ふむ。まずは《聖痕》について少し説明をしようかね……

 《聖痕》とは魂の刻印……

 それを持つ者は恐るべき異能を持ち、通常では考えられない肉体の強化や高度な法術の使用を可能にしてくれる力の源泉……

 その点では君の《鬼の力》とよく似ているが、君のそれは《聖痕》ではない」

 

「だったら何だって言うんだ?」

 

「それは先程の憶測の通りだよ……話を進めよう……

 私の《聖痕》はそのオリジナルを研究して作り出した、いわばレプリカ……

 ヨシュアにも刻んだが、肉体の強化には成功したものの異能を獲得させることはできなかったよ」

 

「ヨシュアさん?」

 

 唐突に出てきた名前にリィンは問いただしたくなるが、それを飲み込んでワイスマンの説明を聞く。

 

「私の研究はそこで行き詰ってしまってね……

 《福音計画》のこともあり、研究は一度中断してリベールに来たのだが、そこで君と出会った」

 

 どこか熱に浮かされたようにワイスマンは続ける。

 

「最初はただの異能に振り回され自滅の道を歩んでいた子供だとしか思っていなかった……

 しかし、君はあの大舞台の土壇場でそれを克服し、果てには完全に制御することに成功した」

 

「武術大会を見ていたのか?」

 

「ああ、実に素晴らしい戦いだったよ……

 そして同時に私は私の《聖痕》に足りないものを理解した……

 《聖痕》の力の源になる魂の特別な質……

 だが、流石に魂を操作する術など私は持ち得ていない。そこで目を付けたのが君の《鬼の力》だ……

 魂の質を上げられないのであれば、《聖痕》の質を向上させればいい……

 君に刻んだ《聖痕》は実はまだ完成していない。いうなれば君のそれは《刻印》であり……

 《鬼の力》を異能として取り込んだ時に、初めて《聖痕》として完成する……そしてそうなれば、私の術理で取り除くことができるというわけだ」

 

「最後が随分と飛躍しているな」

 

「《聖痕》は他人に継承することができることはすでに実証されているのだよ」

 

 リィンの質問にワイスマンはよどみなく答える。

 

「どうかね? リィン・シュバルツァー……

 私の実験に協力すれば君は忌々しい《鬼の力》から解放され、私は私の研究を進めることができる。私に協力しないかね?」

 

「それに答える前に、アルティナの件の説明をしてもらおうか?」

 

「良いだろう……

 気付いていると思うが、《結社》にとってその子供はどうなってもいい存在でしかない]

 

「そうだろうな……だが、俺がアルティナを守れなかったらどうするつもりだったんだ?」

 

「その時は君の下に新たな《Oz》を君を慕うように命令して送り出していたよ」

 

「なっ……!?」

 

「だが結果はこちらの予想を遥かに上回るものだった……

 絶望を繰り返させ、力への渇望から《鬼の力》と《刻印》を馴染ませ、昇華させるはずだった……

 オリジナルの《聖痕》は強い精神的なトラウマによって刻まれることを考えれば良い方法だとおもったのだが、君は封じられたまま《鬼の力》をさらに引き出すことに成功した……

 これは流石に私も予想することはできなかった。素直に脱帽しよう」

 

「…………あんた、性格が悪いって言われないか?」

 

「私は合理的で効率の良い行動を心掛けているだけだよ。そう言われるのは心外だね……

 その証拠に《Oz70》と交わした約束を守る用意をしてある」

 

「アルティナとの約束?」

 

 警戒心を募らせながらリィンはその言葉にアルティナを見る。

 

「戦術殻《カラド=ボルグ》、本来必要とされる機能を取り除き、シンクロすることのみを考えて調整した個体だ……

 これならばおそらく欠陥品であった彼女にも同期することができるだろう」

 

 その説明にアルティナの顔に喜びの感情が読み取れた。

 

「今すぐにでも調整を行うことは可能だが……少々重大な問題が発生してしまってね」

 

「重大な問題?」

 

「元々戦術殻を作る部署は私とは別でね……

 これは彼女との約束を取り付けた後に私も知ったことなのだが、戦術殻との接続は使用者との神経系の深い部分と結合させる必要がある……

 例えそれが別の戦術殻に乗り換えるものだとしても、一から脳にその動かし方を刷り込ませる必要がある程の大手術……

 その結果、戦術殻と同期した《Oz》はそれまでの記憶を初期化されてしまう」

 

「初期化……それはつまり」

 

「そう、これまで培った記憶は全て失うことになる」

 

 その説明にリィンは忌々しく彼を睨み付ける。

 

「勘違いしないでもらいたいが、私も決して騙すつもりはなかった。こうして事前に説明しているのがその誠意だと思ってもらいたい……

 その上で君がこれまでの記憶を対価にして戦術殻を得たいというのならそれを尊重するし、結社からの解放の約束も守ろう……

 何、彼ならば記憶を失ったところで君を見捨てたりはしないだろう」

 

 その問いかけにアルティナは固まったまま答えない。

 言葉こそ謝罪しているが、メガネの奥の目はこの状況を楽しんでいるように笑っている。

 リィンは内心で先程、性格が悪いと発言したことを訂正する。

 この男は性根から腐っている。

 

「さあ、どうするかね《Oz70》? どちらの選択であっても私は君の答えを尊重させてもらうよ」

 

 その言葉にアルティナは目を伏せて、即答していた。

 

「わたしは戦術殻よりもリーン達の記憶の方が大事です」

 

「ほう……それでは戦術殻は諦めるのかね? 君が生まれた理由だというのに?」

 

「はい」

 

 真っ直ぐに、そして迷うことなく言い切ったアルティナにワイスマンは目を細めて頷いた。

 

「なるほど、では君の意志を尊重するとしよう……

 しかし、こちらから言い出したものでもあり、リィン・シュバルツァーの頑張りを無碍にするのも気が引ける……なのでこうしようと思う」

 

 そう言ってワイスマンはテーブルにそれを置く。

 

「それは……ゴスペル?」

 

 記憶にあるものとは一回り大きな黒のオーブメント。

 

「四つの試練、一度も《Oz》を失うことなく勝ち抜いた君へのささやかな賞品だ。受け取ってくれるかね?」

 

「随分と気前がいいな? これはそちらにとっても重要なものじゃないのか?」

 

「もちろん重要な物であることには間違いない。しかし量産していることもあり、これそのものにはそこまでの価値はないのだよ……

 そして、これを君に渡したところで計画は次の段階に進む以上、何の損害にもなりはしない」

 

 絶対の自信があるのか、ワイスマンはリィンの質問に事も無げに応える。

 リィンの、ひいてはリベールにとってこの取引は願ってもないものだろう。

 例え手遅れだとしても、完成されたゴスペルを手に入れることは重要な意味を持つ。

 しかし、ここで取引を成立させていいものなのか、もう少し踏み込んだ何かを掴めるのではないのかと思ってしまう。

 

「リーン」

 

 迷っているとアルティナがリィンの服を引っ張り、目を合わせてくる。

 その眼差しにリィンはいつの間にかため込んでいた息を吐き出して、肩から力を抜いた。

 

「分かった。アルティナの戦術殻の代わりはこのゴスペルとして受け取らせてもらう」

 

 欲を出して何も得られなかったでは意味はない。

 相手の手札がどれほど存在しているのか分からない以上、欲を見せるのは会話の主導権を握られる悪手に繋がるだろう。

 

「ではリィン・シュバルツァー。改めて問わせてもらおう、私の実験に協力してもらえるかね?」

 

「それは断る」

 

「ほう……理由を聞いてもいいかね? 利害は一致していると思うのだが?」

 

「確かに《鬼の力》を完全に取り除くことができるという話は魅力的だ。おそらく成功率もそれなりに高いと踏まえての提案だということも分かる」

 

 少なくても一方的に騙してというつもりはないことは、これまでのやり取りで理解している。

 歪んだ性格をしているが、取引においては誠意を見せていることからそこは疑う必要はないだろう。

 

「だが今は敵同士だということを忘れていないか?」

 

「それは見解の相違ではないかね? 私は別に君を、ひいてはリベールを滅ぼす気など全くないのだがね……

 君への実験も《福音計画》が終わった後に行うことを考えればいがみ合う理由はないと思うが?」

 

「そうかもしれないが、一番の理由は他にある」

 

「ほう……」

 

「俺はあんたのことが嫌いだ」

 

 蛇のような眼差しを向けるワイスマンにリィンははっきりと告げた。

 理由はそれだけ。

 リィンにとっては千載一遇のチャンスであり、リベール側にとっても敵側の手札を探る貴重な機会かもしれない。

 しかし、これ以上のやり取りは危険だと冷静な思考が告げている。

 これまでの譲歩やアルティナに対してのケアも全て計算され尽くした上での行動なのではないかと思わずにはいられない。

 このまま関われば、その嫌いだという感情もワイスマンは利用してリィンをうまく動かすのではないかと思えてしまう。

 そんな不気味な底知れなさが彼にはあった。

 

「ふむ……それは残念だ……ではせめて私が刻んだ《刻印》だけは消しておくかね?」

 

「それも結構だ」

 

 ワイスマンの提案をリィンは鋭く拒絶する。

 確かに《刻印》の力によって《鬼の力》には制限がかかっているが、それも猟兵の技によって解消されている。

 彼の《刻印》をそのままにしておくことには一抹の不安があるが、彼に《刻印》ひいては自分の精神に干渉させる機会を与えることの方が不安は大きかった。

 

「なるほど……では君の意志を尊重するとしよう」

 

 ワイスマンはあっさりと引き下がる。

 あまりにあっさりとし過ぎて、逆に不信を感じたリィンは口を開く――そこに警報の音が重なった。

 

「ふむ。どうやら侵入者のようだな」

 

 徐にワイスマンは立ち上がる。

 

「君たちはここで待っていてくれたまえ……

 くれぐれも勝手な行動は慎んでくれたまえ、君たちは客人であるが君たちが刃を向けてくるのならそれなりの対処をしなくてはいけなくなるからね……

 無事に帰りたければ、何もしないことをお勧めするよ」

 

 そう言い残してワイスマンは部屋から出て行った。

 

「…………アルティナ」

 

「はい。おそらくは侵入したアネラス達が発見されたのだと思います」

 

 考えるまでもないことだった。

 自分の位置を知らせるコンパスの指針に従って、アネラス達が追い駆けて来ることは予定通り。

 その潜入も気付かれてしまったようだが、彼女たちもプロ。

 きっと逃げることはできるはずだと、リィンは祈る。

 しばらくすると、施設を揺るがすほどの激しい戦闘の余波が一度だけ響き渡り、静まり返る。

 

「…………どうなったんだ?」

 

 リィンの独り言にアルティナは動き、部屋の隅に設置されていた端末を操作し始める。

 

「…………各所の監視カメラの映像を取得……見つけました」

 

 淀みのない動きでアルティナがそれを操作すると画面にどこかの格納庫の映像が映る。

 そこには執行者たちに囲まれているアネラス達がいた。

 

「どうしますか?」

 

「アネラスさん達からはこの場合は見捨てるように言われている」

 

 出発の前にもし、自分たちの潜入がばれて追い詰められていたとしてもリィンは絶対に手を出すなと彼女たちに厳命されていた。

 その時は一応頷いた。

 しかし、まるで誰かに見せつけるかのように彼女たちを痛めつける様に黙っていられるほど、リィンは物分かりはよくなかった。

 

「アルティナ、すまないが付き合ってくれるか?」

 

「無論です。今地図を出します」

 

 リィンの言葉にアルティナは躊躇わす頷き、さらに端末を操作してこの施設の見取り図を出す。

 それを瞬時に頭に叩き込み、リィン達は行動を開始する。

 ドアを開けるが見張りの姿はない。

 それどころか、彼女たちがいる格納庫への道へ進んでも誰とも出くわすこともなかった。

 

「誘われているんだろうな」

 

「おそらくはその考えで間違っていないかと」

 

 リィンの考えをアルティナは肯定する。

 ワイスマンの目的が元々こちらだったのなら、先程の交渉にあっさりと手を引いたことに納得する。

 周りくどい方法だが、部屋の端末を自由に操作できたことも、監視がいないこともそれが理由だろう。

 そして、おそらくリィン達が痺れを切らせるまでアネラス達への責め苦は続くだろう。

 

「やっぱり性格が悪い」

 

 改めてワイスマンに嫌悪の念を感じる。

 

「アルティナ……《鬼の力》を使って奇襲を仕掛ける。アネラスさん達から執行者を放すからその間にみんなを回復させて撤退するように」

 

「了解しました。リーンも十分にお気をつけください」

 

 簡単な作戦を決め、リィン達は格納庫の広い空間に出る。

 その奥でアネラスが今まさにヴァルターの拳を受けて倒れるところだった。

 

「おおおおおおおおっ! 神気合一ッ!」

 

 ウォークライを使って、感情を爆発させ《刻印》を超えて《焔》を猛らせる。

 ヴァルターを始めとした執行者達が一斉に振り返る。

 すでに変身を果たしたリィンは彼らが身構えるよりも早く、広い空間を一瞬で走破して技を繰り出す。

 

「秘儀――裏疾風」

 

 執行者達に一撃ずつ打ち込み、アネラス達を背に衝撃波を撒き散らすように薙ぎ払う。

 堪らず距離を取った執行者達。

 そしてそれを待ち構えていたように上から黒い傀儡がリィンの技の終わりを狙って殴りかかってきた。

 

「甘い――っ!?」

 

 気配を隠しもしない未熟な奇襲。

 警戒を緩めていなかったリィンは難なくその一撃を避け、反撃に太刀を振る。

 しかし、その黒い傀儡が抱える女の子を見て、その太刀筋を乱した。

 黒い傀儡はふわりと重力を感じさせない動きでその場から飛び退き、距離を取って女の子を下ろす。

 銀色の長い髪に、黒い《兎》を思わせるスーツ。

 その姿は今までずっと過ごしてきた彼女と瓜二つ。

 女の子はまるで初めて会った時のような彼女と同じ目で淡々と名乗りを上げる。

 

「形式番号《Oz74》……コードネーム《黒兎》アルティナ・オライオン。これより侵入者の排除を開始します」

 

 ここにリィンの最後の試練が始まった。

 

 

 

 

 





いつかのアイゼンガルド連峰IF

リィン
「灰の騎神ヴァリマールか……」

セリーヌ
「そう、帝国の古い伝承の一つ、《巨いなる騎士》の由来になった存在よ」

リィン
「《巨いなる》という割には随分小さいんだな。パテル=マテルの半分くらいか?」

セリーヌ
「……え?」

リィン
「機体のダメージは起動者にフィードバックされるのか……
 パテル=マテルは回復してくれるシステムがあったけどな……」

セリーヌ
「…………え?」

リィン
「武装もないのか、パテル=マテルは――」

セリーヌ
「それ以上はやめておきなさいっ!」

ヴァリマール
「パテル=マテル……その名前、覚えておこう」




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