今回はクーデター後から一ヵ月後になります。
32話 そらきゃん
リィン・シュバルツァー。現在十五歳。
遠い帝国の温泉郷ユミルから家出し、遊撃士協会ボース支部の世話になり、クーデター事件を経てもまだ帝国には戻らずリベール王国にいた。
そして現在、リィンはツァイス地方のトラット平原で軍用導力車の中にいた。
窓から見える景色は前にいた森に囲まれたボースとは異なり、見晴らしのいい草原が広がっている。
「すごい開放感だな」
「ん」
リィンの呟きにアルティナが頷く。
少し前からツァイスで過ごすようになったが、街からレイストン要塞へと続くリッター街道方面での行動ばかりだったのでツァイスの南側に来るのは初めてだった。
「こらこら、リィン君。気持ちは分かるけど仕事で来てるのよ」
「分かっていますよサラさん」
窓の外から視線を戻してリィンはサラの注意に気を引き締める。
「えとえと、そんなに危険な依頼じゃなかったはずですけど」
並んで座っているティータが申し訳なさそうに言葉をもらす。
「そういう問題じゃなくて、ただの気構えよ……
と、いう訳でリィン君。今日の依頼を復唱」
「今日の依頼主はアルバート・ラッセル博士……
内容はおよそ一週間、トラット平原での導力停止現象の実験中の護衛……
資材などは中央工房と王国軍が用意してくれるので、俺達の役目は実験中や夜間における魔獣の撃退です」
「本来なら一週間も拘束される仕事なんてギルドでは受けないんだけど、今回はリィン君を名指しされたから受けた仕事ね」
「あうーまたお祖父ちゃんが無理を言ってすいません」
「ティータちゃんが謝ることじゃないし、そもそも謝られることじゃないよ」
困った顔をするティータの頭を撫でて、リィンは彼女の言葉を否定する。
「そうそう、ラッセル博士経由の依頼だけど実際はカシウスおじ様、王国軍からの依頼なわけだしね」
クーデター事件の際に王城の地下において使われた《ゴスペル》と名付けられた黒のオーブメント。
その機能は周囲に存在するオーブメントを停める《導力停止現象》。
その原理を解明し、対抗策を見つけることが今回の実験の趣旨であり、その重要性はリィンも十分に理解していた。
「流石に街中でそんな実験を繰り返すわけにはいかないですよね」
「効果範囲は五アージュとはいえ、連鎖的に広がる以上絶対の保障はできないからね」
その機能の性質上、オーブメントがある街で実験はできないということで周囲にオーブメントがないトラット平原で実験することになった。
「現地にはアガットさんがいるんですよね?」
「ええ、先に周囲の魔獣を間引いているはずよ。それに今日だけは泊まって行くみたいね」
「はぁ……」
「どうしたのため息なんて吐いて?」
「アガットさんって苦手なんですよね」
最初の出会いのせいなのか、どうしても彼を前にすると萎縮してしまう。
目付きの悪さといい、纏う雰囲気がどうにも不良っぽく、これまで周囲にそんな人間がいなかっただけにどうにも距離感が掴めないのも苦手な理由の一つでもあった。
「あんまり気にしなくていいんじゃない?
男同士なんだから、それに向こうも馴れ合いは好きそうじゃないんだから」
「そうなんですけど、顔を合わせるたびに睨まれて」
「それはあれでしょ、ただの対抗意識よ……聞けばアガットもロランス少尉に痛い目に合わされたらしいから、そんな彼に一矢報いたリィン君を意識しているんでしょ」
「あれはたぶん百本の内の一回だけの奇跡だと思うんですけど」
「それでも勝ちは勝ちよ。そうやって自信がなさそうにしているからアガットが絡むのよ。もっと胸を張りなさい」
「はあ……」
サラの言葉にリィンは歯切れを悪くして頷く。
あのクーデターの日から時間が経つにつれて、自分がどうして《剣帝》と戦えたのかが分からなくなる。
剣術の腕では一つ二つでは足りない段階の差はあるし、肉体面でも大人と子供の差は歴然だった。
《鬼の力》の影響で身体自体の強度が上がっているが、それを差し引いても自分が戦えるような相手ではなかった。
次戦うことになれば、百回戦ったとしても一度も勝つことはできない。そんな気がした。
「リーン」
「……大丈夫だよアルティナ」
黙り込んだリィンを気遣うように服を引っ張って自分を呼ぶアルティナにリィンは笑顔を返して、彼女の頭を撫でる。
「あ、見えてきました」
と、そこでティータの喜びを含んだ声が車内に響き渡った。
正面の窓、その先には濃緑色の大きな軍用の天幕が見えてきた。。
その周囲には何人かの人が忙しく動き回って、導力車から機材を下ろして中へと入れていく。
その中には目立つ赤毛の男もいた。
程なくしてリィン達が乗る導力車もそこに到着する。
「アガットさーんっ!」
いの一番に降りたティータが満面の笑顔を浮かべて彼に駆け寄って行く。
「あらあら、すっかり懐かれちゃったわね」
そんなティータを微笑ましく見守りながらサラは呟き、ちらりとリィン達の様子を窺う。
「重いから気をつけるんだぞ」
「はい、了解しました」
導力車から荷物を下ろすリィンとそれを手伝うアルティナ。
アガットとティータが歳の離れた兄弟と称するならば、こちらはすでに親子といったやり取り。
独り身のサラは一抹の寂しさを感じながらも、いそいそと自分の荷物を下ろす。
「サラさん、そんなにお酒を持ち込んで大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫、仕事って言ってもこの辺りの魔獣はそれほど強くないし、魔獣避けの導力灯もあるんだから……
あたし達がいるのはあくまでも保険なんだから」
クーデター事件から一ヶ月余り、サラはリィンに生き残る術を教えるという名目でリベールに残り、半分は休暇のつもりで楽しんでいた。
「青い空、見晴らしのいい草原、そしてビールにこの日のために用意しておいた魔獣の燻製肉。しかも少し足を伸ばせば温泉まである……もう最高っ!」
独り身なのを良い事にこの長期依頼を別方向で堪能しようとしているサラにリィンはある意味で尊敬してしまう。
とはいえ、サラの用意も決して悪いものではない。
基本的にテントの周りには魔獣避けの機能もある導力灯は設置するし、自分達が一番警戒するべきなのは《導力停止現象》中の魔獣の襲撃。
もちろん夜間も警戒を怠るわけにはいかないが、博士が何かを作っている時など暇な時間も長くなる。
なので暇潰しは用意しておけとリィンも注意はされていた。
「どうせあんたのことだから自由時間は鍛錬なんて考えているんでしょう?」
「そんなことはないですよ」
目を逸らしながらリィンはサラの指摘を否定する。
「ダメよそんな若い内から仙人みたいな枯れた生き方なんかしちゃ。そうよねアルティナちゃん?」
「わたしは別に。リーンが望むのならそれを手伝うだけです」
そんな主体性のない言葉を返したアルティナにサラは深々とため息を吐いた。
気持ちは分からなくはないが、これでも随分と進歩しているのだとリィンは思う。
あの朝からアルティナは普通に話し始めた。
アネラスが興奮してお姉ちゃんと呼んでと詰め寄ったのはお約束だったりするし、リィンという発音がよく分からないのか《リーン》が呼び方として定着しているが、それでも意思疎通がちゃんとできるのは嬉しかった。
「これでおしまいだ」
荷台から荷物を降ろし終えたところでティータが戻ってくる。
「それじゃあまずは俺達が寝泊りするためのテントを張ろうか」
「はいっ!」
「了解しました」
「がんばれー」
リィンの言葉に年少の二人が答え、サラは傍観を決め込んだ。
「サラさん……少しは手伝おうって気はないんですか?」
「それは……ほら、子供達の貴重な体験に大人が出しゃばるものじゃないでしょ?」
「良いこと言ったみたいな顔してますが、椅子に座って酒瓶を片手に言うことじゃないですよ」
いつの間にかサラは折りたたみの椅子とテーブルを用意してくつろいでいた。
「安心しなさい。どうしても無理だったらちゃんと手伝ってあげるから」
ひらひらと手を振るサラにリィンはため息を吐いて、ティータ達に向き直る。
「それじゃあ、まずはこのペグを平たい地面の四方に刺そうか」
L字型の杭をそれぞれが持って地面に刺す。
「次はシートを下に敷くんですよね? アルティナちゃんそっちを持って」
「はい」
ティータとアルティナがシートの両端を持って広げる。そこにリィンはテント本体を乗せる。
「ポールを展開、スリーブに通します」
たどたどしい手付きながら慎重にアルティナはテントのポールを入れていく。
「ポールの差し込み、完了しました」
「よし、それじゃあ立ち上がるぞ」
ポールをテント本体の穴に固定して立ち上げる。
「あとは地面に刺したペグに固定して、フライトシートを被せて……これで完成だな」
いろいろなところでつっかえ、やり直しもしたがサラの手を借りることもなく無事に一つ目のテントの設営が完了する。
そして、二つ目のテントを設営しているところで声がかけられた。
「お兄さん達、何してるの?」
かわいらしい白いドレスに菫色の髪の女の子が物珍しげにリィン達を覗き込んできた。
「君は……?」
ツァイスでは見覚えのない女の子。
おそらくはティータよりも一つ、二つ下のアルティナと同じくらい。
旅行者だとしたらこんな街道から外れた草原の隅に一人でいるのは明らかに場違いだった。
「こらレン、勝手に離れたら危ないじゃないか」
小走りで女の子の背後から駆け寄ってきたのは同じ髪の色の男性だった。
「ごめんなさいパパ。レン、この人達のことが気になっちゃって」
叱られた言葉に女の子は首を竦める。
仕方がないなぁ、と男性は苦笑を浮かべて女の子の頭を撫でる。
その背後からは赤い髪の女性、おそらくは女の子の母親も歩いてやってきた。
「どうもすいません。私はハロルド・ヘイワースといいます。こちらは妻のソフィアと娘のレンです」
「御丁寧にどうも、俺はリィン・シュバルツァーといいます」
丁寧な挨拶にリィンは名乗り返してアルティナたちを紹介する。
「私達はこれからこの先のエルモ温泉に行くところなんですが、みなさんはここでいったい何を?」
不思議そうに首を傾げるハロルドにリィンは彼の困惑に無理もないと苦笑する。
魔獣が出る街の外で寝泊りすることなど、それこそ猟兵などの一部の者たちくらいで好き好んで行う人はいない。
「俺達はツァイス中央工房の関係者です……
今回は街中ではできない実験を行うためにここで一週間ほどキャンプをすることになっているんです」
「危ないのではないですか?」
「危険には十分に備えています。魔獣避けの導力灯を設置しますし、遊撃士と軍からも護衛として数名ずつ待機していますので御心配には及びません」
サラに視線を向けてみると、先程まで持っていた酒瓶を隠してにこやかな笑顔でサラは手を振っている。
外面を良く振舞うサラをリィンは半眼で睨む。
「ねえ、パパ……レンもキャンプしてみたい」
唐突にそんなことをレンが言い出した。
「レン……」
ハロルドはそんな娘の言葉に困った顔をする。
「ねえいいでしょ? パパ、ママ」
子供らしく駄々を捏ねる女の子をリィンは諭すように話しかける。
「ごめんね。でも、いくら安全に気をつけていてもやっぱり街道の夜は危ないから」
「でも、レンと同じくらいの子もいるじゃない」
レンはアルティナに目を向けて主張する。
「この子もちょっとした関係者なんだよ」
「むぅ……」
リィンの説得にレンはぬいぐるみを抱えて頬を膨らませる。
ここにアネラスか、もしくはアンゼリカがいたら我を忘れて抱き締めているだろう可愛らしさだが、リィンはそんなことはしない。
「そうそう、街道は本当に危ないのよ。昼間でも街道から外れたら魔獣に襲われちゃうんだから」
「レンは魔獣なんて怖くないんだから」
「そんなこと言っている子が真っ先に頭からバリバリって齧られちゃうのよ」
「そんな風に脅されたって全然怖くないわよ、おばさん」
「おばっ!?」
言い返された言葉にサラは顔を引きつらせる。
「わ……わたしはまだ二十三よ」
「レンは十一歳よ。レンの二倍はおばさんね」
再び突き立てられた言葉のナイフにサラは大きくよろける。
「こらレン。すいません、娘が失礼なことを」
「レンは嘘なんて言ってないもん。お兄さん達もそう思うよね?」
「コメントは控えさせてもらいます」
「おばさんかはともかく、言動と行動がおじさんに近いのは確かかな」
「えとえと、サラさんは十分にお若くて綺麗だと思います」
「ちょっとあんた達! ティータちゃんを少しは見習いなさいっ!」
「そう言うならサラさんは普段の行動を少しは見直してください」
本気でいじけるサラにリィンは肩をすくめる。
「ふふ、おばさんたら本当に大人なの? おばさんよりお兄さんの方がずっと強そうに見えるわ」
「へー……そこまで言う……ならいいわよ特別に今日だけなら許可してあげるわ」
「ちょっとサラさん!?」
リィンは目をすわらせたサラの肩を掴む。
「止めないでリィン君。貴方にも分かるでしょ、人には退くことができない戦いがあるって言うことを」
「大人気ないこと言わないください」
「いいえ。こういうクソ生意気なガキは一度痛い目に合わせるべきなのよ」
「まさか、魔獣をけしかける気じゃないでしょうね?」
「そんなことしないわよ。どうせ日が暮れれば夜の暗さに泣き出すでしょ……
温泉に行くのを少し遅めにしてその時に突き返せばいいのよ」
理性的な答えにリィンはホッと胸を撫で下ろす。
「そもそも親御さんが許してくれないでしょ――」
「そうですか……それなら今日だけレンのことをお願いできますか?」
「え……?」
リィンの期待は空しく、至極あっさりとヘイワース夫妻はレンを預けることを決めてしまう。
「あの……良いんですか? 見ず知らずの自分達に娘さんを預けて?」
「ええ、見たところ遊撃士の方達のようですし……
娘は言い出したら聞かないところがありますから、あ……でも御迷惑をお掛けしたら報せてください。すぐに迎えに来ますから」
ヘイワース夫妻はレンに一言二言言い含めるとエルモ村の方へと歩いて行った。
その背にリィンは言いようのない不安を感じずにはいられなかった。
「ははーん……さては今夜は頑張るつもりね」
そんなリィンの横でサラがしたり顔で納得する。
何をと追究するつもりはないはないが、そういう下世話なところがおばさんというかおっさんくさいのだという言葉をリィンは飲み込んだ。
「よかったわねレンちゃん。もしかしたら弟か妹ができるかもしれないわよ」
「レンは……弟も妹もいらない」
サラの言葉にレンは拗ねたような言葉を返す。
一瞬、彼女の目が暗く淀んだように見えたが気のせいだったのか、レンはじっと見つめるリィンににっこりと笑う。
「あらあら、まだまだパパとママを独り占めにしていたいお年頃なのかしら?」
「ふん……おばさんには分からないわよ」
「っ……このガキ、またおばさんって言ったわね」
「はいはい。二人ともそこまでです」
一触即発になりそうな雰囲気にリィンは割って入り、無理矢理二人を離す。
「それじゃあレンちゃん。最後のテントを張るのを手伝ってくれるかな?」
「うん」
満面の笑みを浮かべて頷き、レンは用意をしているティータ達の方へ駆けていった。
「ねえ……リィン君……わたしってそんなに老けて見える?」
「そんなことはないですよ、ただ――」
「ただ?」
聞き返されてリィンは内心でしまったと叫ぶ。
否定だけで十分だったのに、続く言葉を加えてしまったのは明らかなミスだった。
答えを待つサラの眼差しにリィンは観念して先程の考えを口にした。
*
「何だこのチビは?」
テントの設営を終わらせ、次は火を熾す竈を作ろうとしたところでアガットがやってきてレンを一瞥して眉をひそめた。
「あ……アガットさん……」
睨んでいるわけではないと分かっているが、元々目つきが悪いことと初めて出会った時のことを思い出して身構えてしまう。
「あら、いきなりレディに対して失礼じゃない」
しかし、そんな眼差しを直接向けられたレンは少しも怯まずに言い返す。
「あっ?」
「えっと実は――」
顔をしかめるアガットにリィンが先程の状況を教えるとその顔はさらにしかめられた。
「おい、バレスタイン。何考えてやがる?」
「何よ。アンタだっておっさん呼ばわりされたら嫌でしょ?」
「それは……まあそうだが……俺達は遊びでやっているんじゃないんだぞ」
「あんたは今日一日だけだからいいかもしれないけど、一週間も気を張り詰めておくのは無理よ……
だいたいあんたみたいなガサツな人間に世話を見させるつもりはないわよ」
どの口が言うのだろうかと、リィンは呆れた眼差しをサラに向ける。
「そ、そんなことないですよサラさんっ!」
と、サラの主張に反論したのは彼に逃亡生活の際に世話になったティータだった。
「アガットさんはすっごく優しくしてくれましたっ!」
が、その主張にサラはアガットに白い目を向け、アガットも目元を手で覆って天を仰ぐ。
「あら、ティータったら大胆」
「意味不明です。今の発言にどのような解釈があるんですか?」
クスクスと笑うレン。アルティナはそんな周りの反応を理解できずにリィンに尋ねてくる。
「えっと……それは……」
アルティナの純粋な眼差しにリィンは困る。
「ああもう勝手に言ってやがれっ!」
居たたまれなくなったアガットが咆える。
「それよりもそっちの準備は何が残っている!?」
「もうほとんど終わっています。あとは竈を作って、少し早いですけど夕食の準備を始めてしまおうかと思ってますけど」
人数として軍人の二人にレンを含めて九人。
元々、護衛の他にもこのような雑事もリィンの仕事に含まれていた。
「あのリィンさん。今日のごはんはわたしが作っちゃダメですか?」
「ティータ? 手伝ってくれるのは構わないけど」
「あう……手伝うんじゃなくてわたしが作りたいんです」
突然のティータの申し出にリィンは首を傾げる。
竈を作っている通り、外には家のように導力コンロなどの便利なオーブメントはない。
火加減は薪の位置で調節しなければならないだけに家庭で料理するのとは勝手が違い過ぎる。
果たしてそれを踏まえてティータはサバイバル料理の経験があるのだろうかと尋ねると、ティータは得意気に頷いた。
「それなら大丈夫です。今日のために携帯型の導力コンロを作って来ましたから」
自慢気にそれらしいオーブメントを取り出して胸を張るティータにリィンは思わず天を仰ぐ。
自分はまだラッセル一家の底知れなさを理解していなかったのだと痛感させられた。
*
「おいしいトマトスープを作りますから楽しみに待っていてください」
そう言うティータに見送られたリィンは野営地から離れた場所にアガットに連れられて来られた。
「えっと……アガットさん。俺に用って何ですか?」
「ああ……そのことだが……その前にそいつらは何だ?」
「何だって言われても……勝手についてこられたんですけど」
リィンは彼女達に振り返る。
アルティナはついてくると思っていたが、レンもそこにいた。
「お気になさらずに」
「あら、レンは仲間外れなの?」
「危ないからティータたちと一緒にいてほしいんだけど」
アガットから感じる張り詰めた気配にリィンはおおよその用件は想像できていた。
流石にそれを小さな女の子に見せるのはどうかと思うのだが、好奇心旺盛な彼女を引き下がらせるだけの話術はリィンになかった。
「まあいい……そんなことよりもシュバルツァー。俺と戦え」
アガットは背負った重剣を手に、その切っ先をリィンに突きつける。
――戦う意味はない……
そう説く意味はないのだろうと、リィンはアガットの申し出にある意味納得していた。
今リベールにはいないエステルとアネラスの二人も来る戦いに備えて外国の訓練施設で己を鍛えている。
リィンもまた同じ気持ちで仕事の合間にサラと手合わせしたり、レイストン基地に赴き、剣の腕を磨いていた。
「分かりました」
アルティナに手出し無用だと注意を促してからリィンは二人から離れてアガットと対峙する。
「ルールはどうしますか?」
「はっ……細かいことなんてどうでもいいんだよ……最後まで立っていた方の勝ち、それだけだ」
大雑把な物言いにリィンはため息を吐きたくなるが、それを押し止める。
流石に寸止めはしてくれるだろう。
そう割り切ってリィンは太刀を抜いた。
………………
…………
……
勝負の結末はどちらが勝ったとも言えないもので終わった。
息を切らせた二人はそれぞれの獲物を地面に突き立てて膝を着いていた。
夕暮れに染まっていた草原はすでに夜の黒に染まり、程なくしてそこは完全な暗闇に閉ざされるだろう。
「ここまでにしましょうアガットさん」
これ以上視界が悪くなれば互いに手加減はできなくなる。
時間もそろそろティータが夕食を完成させている頃だろう。
「ちっ……」
まだやり足りないのか、アガットは不機嫌そうに舌打ちすると重剣を背中の帯に納めた。
向けられた殺意に近い眼差しが薄れ、リィンは一先ず緊張を解いて、太刀を鞘に納めた。
「お疲れ様、お兄さん」
「ずっとそこにいたのかいレンちゃん? 先に戻っていてくれてもよかったのに」
レンの背後にはアルティナもいる。
アルティナの方は戻らないと思っていたが、レンも最後までいるとは思っていなかった。
「ううん。なかなか楽しかったわよ……でもお兄さん本気じゃなかったでしょ?」
「いや……ちゃんと本気だったよ」
「そうかしら?
確かに手合わせの範囲での手加減はしていたから本当の意味で本気じゃなかったみたいだけど、お兄さんはもっと不思議な力を隠しているように見えたわ」
「それは……」
レンの物言いにリィンはまず自分の耳を疑った。
単純な手合わせのはずだったのに《鬼の力》の存在に気付いたレンの洞察力に脱帽する。
「驚いたな。まさかそこまで見透かされるなんて……
もしかしたらレンちゃんには武術の才能があるのかもな」
「ふふ、どうかしら……
ねえ、お兄さんはどんな力を隠しているの?」
好奇心旺盛な眼差しで詰め寄られてリィンは思わずたじろぐ。
どう答えればいいか、迷っているとアガットが声をかけてくる。
「おい、いつまで喋っている? 話したければ戻ってからにしろ」
「あ……すいません」
鋭い眼差しからの言葉にリィンはすぐさま頭を下げる。
そんな反応にアガットは眦を上げ、罵倒を――
「あー……シュバルツァー……」
口元を押さえアガットは顔をしかめる。
そして言い辛そうにしながら言葉を作る。
「お前は……もう少し自信を持て、少なくとも剣の腕前に関しては認めてやる」
「え……?」
出てきた褒める言葉にリィンは間の抜けた声を返していた。
「それから…………ボースでは悪かったな」
ぶっきらぼうに言い捨てるとアガットはリィンに背を向けてズカズカと足早に歩き出した。
「クスクス、レン知っているわ……ああいう人をツンデレって言うんでしょ?」
「え……? ああ、そう……なのか?」
レンの言葉にリィンは歯切れを悪くして首を捻る。
「レンたちも早く戻りましょう。もうレンはおなかペコペコよ」
「分かった分かった」
手を取って引っ張るレンにリィンは苦笑して歩き出した。
途中でアルティナがまるで対抗するようにレンとつないだ逆の手を繋いでくる。
それに苦笑して、リィンは二人に手を引かれるように野営地に戻ると、そこには泣いているティータがいた。
「おい! 何があった!?」
それを見つけるやいなやアガットはすぐさま駆け寄り問い詰める。
「アガットさん……ぐす……」
涙ぐんで要領を得ないティータは応えられそうになく、リィンは残っていたサラに尋ねる。
「どうしたんですか?」
「大したことじゃないわよ。ティータが料理に失敗しただけよ」
「え……?」
ツァイスで過ごすようになって、何度かラッセル家に招待されてその時に彼女が作った食事を御馳走になったことがあるだけにその彼女が失敗料理を作ったことに首を傾げてしまう。
確かに外で作るのでは勝手は違うかもしれないが、料理器具から自作してきた彼女が泣くほどのミスをしたとは思えなかった。
「ぐすん……わたしいつもと同じ様にちゃんと作ったのに……
見た目も同じなのにすっごく苦くなっちゃって……」
大きな鍋によって煮込まれた赤いトマトのスープは見た目は何の変哲もないそれだった。
が、立ち昇る湯気からは薬のような苦味のある匂いが漂っていた。
リィンは試しに味見をしてみると、匂い通りの苦さに顔をしかめる。
「これはちょっと食べるのは難しいですね」
「あう……」
「ああ、そんなことで泣くなっ!」
肩を落とすティータを慰めるようにアガットは一喝する。
「でもでも……せっかく作ったのに……」
「ふーん」
レンはおもむろにスープを味見して、その味に顔をしかめる。
「これなら……ねえお兄さん。ホットペッパーはあるかしら?」
「え……ああ、調味料の類は一通り持ってきてるけど」
「そう、なら少し借りるわね」
そう断り、レンは止める間もなく荷物の中からそれを探し出して赤い粉末を鍋に入れた。
「ティータ、これを切りなさい」
「えっ? う……うん」
突然のレンの指示にティータは面を食らいながらも頷いて差し出された万能ネギを切る。
それをレンは鍋に入れ、塩を振り、味見をしてからさらにホットペッパーを投入した。
「こんなものでどうかしら?」
完成したのか、レンは味見の小皿にスープを取り分けてティータに差し出した。
恐る恐るそれに口をつけたティータは覚悟していた苦味がなかったことに驚いた。
「おいしい……」
そう呟いたティータに続いてリィンも味見をさせてもらう。
苦味は残っているがホットペッパーの辛さと合わさっていい味になっている。
「レンちゃんすごいっ!」
「ふふふ、レンは天才なんだからこれくらい当然よ」
誇らしげにレンは胸を張る。
「たしかに……これなら大きくなったら良いお嫁さんになれるんじゃないかな」
「あら、お兄さんってばレンを口説くつもりかしら?」
「そんなつもりで言ったんじゃないんだけど……」
ませたことを言うレンにリィンは困ったように頭をかく。
「でも原因は何だったんだ? あんな風に苦味がある食材はなかったはずだけど」
「それはきっとこのトマトのせいね」
レンはティータが残った野菜の切れ端を指す。
「見た目は普通のトマトと変わらないし、傷んでいたわけじゃないからそういう品種なのかしら?」
「何でもいいが、食事が出来たならじいさん達を呼んでさっさとメシにするぞ」
「もう、赤毛のおじさんはせっかちね」
「おじっ……俺はまだ二十四だっ!」
そう叫ぶアガットにサラがいい笑顔を浮かべてその肩を叩いた。
*
夕食を済ませて、リィン達はエルモ村にやってきた。
それを最初に迎えたのは金髪の青年、オリビエだった。
「ああっ! これも女神の導きなのだろうか、リィン君……
君とこんなところで再会できるなんて、まさに運命の――」
「破甲拳」
その顔を見た瞬間、飛びかかってきた彼にカウンターの要領でリィンは躊躇いなくその拳を振るった。
が、オリビエは腕を交差してその一撃を受け止める。
「ふっ……甘いねリィン君。いつまでもボクが良い様に殴られてばかりだと――」
「落葉」
「ぐはっ」
不敵な笑みを浮かべるオリビエの懐に入り込み、下から上へと蹴り上げる。
アネラスの落葉はそこから追い縋って剣を叩き込むが、そこまではせずただ落ちるに任せる。
「んがっ」
「ふう……」
墜落したオリビエの悲鳴にリィンは一仕事終わったと言わんばかりに額の汗を拭う。
「さ、みんな。温泉に入ったらすぐにキャンプに戻ろう」
何事もなかったかの様にリィンは一同を促す。
「ああ、リィン君ってばこんなにも強く逞しくなって……ボクは嬉しいよ」
「ちっ……」
殴られ慣れたせいなのか、明らかにそれは以前よりもしぶとく、そして復活が早くなっていることにリィンは思わず舌打ちしてしまう。
「ふふふ、なかなかおもしろいお兄さんね」
地面に倒れ伏せながらもめげないオリビエにレンは笑う。
リィンは深々とため息を吐いて、嫌々ながらもオリビエに話しかけた。
「何でオリビエさんがここにいるんですか?」
「ふ……あれから実はこのエルモ温泉で逗留していてね。温泉と山の幸を堪能していたのだよ」
「…………そうだったんですか」
この一ヶ月、ツァイスを中心に生活をしていたがエルモ村の方へ来たのは初めてだった。
こんなに近くにいて遭遇しなかったのは幸運なのかもしれないが、ここで会ってしまったのは間違いなく不運だった。
「ところで君達は随分と大所帯のようだね、それに見知らぬ仔猫ちゃんもいるし……
むむむ、何だか楽しそうなことをしている予感が」
「ふふふ、レンたちは街道でキャンプしているのよ」
誤魔化す間もなく、レンが答えてしまう。
「ほほう……」
面白いものを見つけたといわんばかりにオリビエは笑みを浮かべる
「ダメですよ。子供のレンちゃんならともかく、オリビエさんが寝泊りするスペースなんてないんですから」
「ははは、そんな連れないこと言わないでくれたまえ……
ボクはむしろ狭いテントでリィン君と二人きりで身を寄せ合うなんて大歓迎さ」
相変わらずの平常運転なオリビエにリィンはため息を吐く。
「おい、シュバルツァー」
「アガットさん。ここは自分が引き受けますから先に行ってください」
「何を言うんだい、リィン君? 君達は温泉に入りに来たのだろう? 実はボクもちょうど入ろうと思っていたところなんだ……
ここは一つ裸の付き合いをしようじゃないか。あ、ちなみにここの温泉の露天風呂は混浴だよ」
「ええ、ティータからそう聞いています。だからオリビエさんは大人しくしてましょうね」
首根っこを掴んでリィンはオリビエを引き摺ってその場から離れる。
――確か荷物の中にロープがあったはず……
それで木か、街道の導力灯にでも括りつけて見張っていればいいかと考えたところで掴んだ腕を外された。
「なっ……今のは化剄っ!?」
「ふ……やはりまだ甘いねリィン君。その程度の拘束などミュラーの足元にも及ばないよ……
ボクに掛かれば抜け出すことなど造作もないことなのだ」
「余計な特技を誇らしげに語らないでください」
もう一度捕獲を試みようと身構えたところで、それを察したオリビエはポーズを解き、リィンに背を向けた。
「いざ楽園へっ!」
「行かせるかっ!」
颯爽と駆け出したオリビエをリィンは追いかけた。
*
「はぁー」
広い湯船に一人で浸かったリィンはそれまでの疲労を吐き出すように息を吐いた。
「温泉なんて久しぶりだな」
故郷のユミルもエルモ村と同じで温泉がある地であり、それこそ毎日の様に入っていた。
リベールに来てからはほとんどがシャワーだったため、こうして広い湯船で足を伸ばせるのは本当に久しぶりだった。
オリビエを追い掛け回していたせいで夜も更け、営業時間までには余裕があるとはいえ他の客の姿はなく貸切状態だった。
ちなみにオリビエは簀巻きにしてキャンプの近くの木に吊るし、アガットに見張りを頼んでおいた。
彼と二人きりで温泉など身の危険を感じずにはいられない。
「ん……?」
引き戸が開く音にリィンは警戒心を強めて振り返る。
簀巻きの状態、その上アガットの監視を抜けてオリビエが来たのかと身構える。
彼の場合、どうしても想像の斜め上を越える予想外のことを仕出かすので不思議ではない。
しかし、予想に反してそこにいたのはタオルで身を隠した二人の女の子だった。
「二人とも、子供はもう眠る時間だぞ?」
リィンは動じることもなく、言葉を投げかけた。
「あら、もっと驚くかと思ったんだけど」
残念そうに笑うレンにリィンは肩をすくめる。
「俺の故郷の温泉の露天風呂も混浴だったからな」
それにちゃんとタオルは巻いているし、レンとアルティナのような子供ならば驚くこともない。
「それよりも、まさか二人だけで来たんじゃないだろうな?」
少なくとも彼女達以外に続けて露天風呂に入ってくる誰かの気配はない。
「あら、リィンはサラおばさんの方がよかったかしら」
「茶化すな。夜の街道は本当に危ないんだぞ……それでわざわざ何でまた?」
すでに二人はリィンがオリビエを追い駆けている間に入浴は済ませていたはず。
二度目の温泉にしては間隔が短過ぎると、リィンは首を傾げる。
「ティータが言っていました。お世話になった人に感謝を伝えるためには背中を流して上げるのが効果的だと……
わたしもリーンにはお世話になっているので、背中を流しに来ました」
「ふふ、レンはおもしろそうだから特別よ」
リィンは思わず星空を仰ぐ。
自分がオリビエを捕まえようとしている間にここで行われたことが大方予想できる。
アガットの背中を流すのだと意気込むティータと、たじたじになりながらも押し切られて仕方なく従ってしまったアガット。
そしてそれを見ていたアルティナが自分もと思ったのだろう。
「それに男性は女性に身体を洗われるのが至上の喜びだと聞きましたが?」
「それは誤情報だ。すぐに忘れるように」
それを教えただろう男を後で二、三発殴ることをリィンは決意する。
「そうですか……では、どうぞ」
椅子を用意してアルティナはリィンをそこに座るように促す。
何とか回避することはできないだろうかとリィンは模索するも、結局はアガットと同じ様に折れることしかできなかった。
「それじゃあ、レンは前を洗ってあげるわ」
「それはやめてくれ」
レンの申し出だけは断固とした態度で拒絶した。
*
翌朝。野営地。
「それじゃあ、みんな楽しかったわ。ありがとう」
レンはスカートの裾を持ち上げて、優雅な仕草で頭を下げる。
「みなさん、レンがお世話になりました」
「いえこちらこそ」
頭を下げてくるハロルドにリィンも頭を下げる。
料理のこと以外でもレンの存在はいろいろと影響は大きかった。
特に年の近いティータとアルティナは彼女に振り回されて、リィン達はその光景を微笑ましく見守っていた。
「写真を撮ったんですが、よろしければお住まいを教えていただければ後日、送りますけど」
「いえ、それは結構です」
「そうですか……」
遠慮するハロルドに無理強いするのもどうかと思い、リィンは引き下がる。
「レンちゃん、またね」
「ん、ばいばい」
「ええ、また会いましょう」
手を振り合うティータとアルティナ、そしてレン。
その光景にリィンは改めて平和を実感する。
「さて、リィン君。和む気持ちは分からなくはないけど、とりあえず仕事よ」
「はい」
パンパンと手を叩き注意を促すサラにリィンは頷いて自分の役目を振り返る。
「それじゃあ、まず見回りに行って来ます」
「ええ、よろしく」
腰に太刀を差し、戦術オーブメントを確認する。
一通りの準備を済ませ、いざ行こうとしたところで声がかけられた。
「お兄さん」
「レンちゃん?」
何故か戻ってきたレンにリィンは首を傾げる。
「どうしたレンちゃん、何か忘れ物でもしたか?」
「そんなところかしら……」
小悪魔的な笑みを浮かべるとレンはリィンの肩に手を置き、耳元に口を寄せて囁いた。
「また会いましょう、超帝国人のお兄さん」
それだけ言うと、レンは小走りで去って行った。
「……………え?」
何を言われたのか、すぐに理解できなかったリィンは去って行くレンに向かって手を彷徨わせた。
「……………え?」
リィンの胸中の疑問に答えてくれるものは誰もいなかった。
*
マードック工房
「以上が本日の業務報告になります」
「うむ……ありがとう」
報告書を受け取ったマードックはざっと目を通して、改めて今日一日が何事もなく終わったことを実感する。
しかし、業務時間が終わったからと言って油断できないのがラッセル一家だった。
昼夜を問わずに実験を行うあの家は、こちらの都合などお構い無しに騒動を起こす。
記憶に新しいものでは、夜中に街中の導力を停めた実験がそれだった。
「ふぅ……」
報告書を読み終えてマードックはおもむろに立ち上がり、夕陽が差し込む窓の前に立つ。
今朝から変わらず穏やかな光景がそこに広がっていた。
今日一日、爆発がなければ警報も響かない。
そして、それは今夜も静かな夜になるだろうツァイスの街を見下ろしてマードックは呟いた。
「平和だ……これから一週間……ツァイスは平和なんだな」
以前に彼が攫われた時は心配のあまりそんなことを考えてはいられなかったが、マードックは改めてそれを実感する。
「マードック工房長……」
哀愁漂うその背中に受付嬢は思わず目頭を押さえた。
いつかのトールズ士官学院IF take.2
サラ
「改めて久しぶりね《ロリコン》のリィン・シュバルツァー」
リィン
「…………ええ、久しぶりですね。《ファザコン》のサラおばさん」
サラ
「……………(無言でブレードと銃を取り出す)」
リィン
「……………(無言で太刀を抜く)」
サラ
「私はまだ二十五よっ! ノーザンイクシードッ!」
リィン
「誰がロリコンだっ! 終の太刀――暁っ!」