武術大会四日目、予選最終日。
どんよりとした空気を背にリィンは控え室のベンチで項垂れていた。
「あーそんなに落ち込まなくたっていいじゃない。リィン君は病み上がりなんだし」
「そんな言い訳できませんよ……
あんな高価な太刀を頂いた手前、クレアさんにはちゃんとした戦いを見せないといけなかったのに……」
サラの慰めの言葉にリィンは嘆き、さらに落ち込む。
初日は開始早々、見た目が一番幼い理由でか真っ先に狙われることになった。
初めての大舞台ということもあり緊張はあった。
それでも、相手の攻撃はしっかり見えていたし身体もちゃんと動いていた。
気負いもなく、隙だらけで振り下ろそうとする剣にカウンターを合わせた。と、思ったらカウンターを食らっていたのはリィンの方だった。
しかも当たり所が悪かったのか、一撃で気を失ってしまうという醜態をさらしてしまった。
次の二回戦では最初でやられるなんてことはなかったが、終始攻め立てられ、結局他の三人を倒してきたサラ達の横撃で決着が着いた。
そして、三戦目など試合中に勢い余って転倒し、クレアにぶつかってしまった。
「ここまで俺……まったくいいところ無しですよ。むしろ足を引っ張ってるだけです」
「しかし羨ましくもあったね。まさかあんな大衆の面前でクレアさんの胸に飛び込むだなんて、なかなかできることじゃないよ」
「うぐ……」
ぐさりとアンゼリカの言葉がリィンの胸に突き刺さる。
決してわざとではない。
それはクレアも分かってくれたし、アリサのように悲鳴を上げて叩かれることもなかった。
むしろ試合が終わった後に慰められたのだが、余計にそれが惨めになる。
「こうなったら鬼の力を使ってでも……」
「はい。落ち着きなさい」
思考が物騒な方向へ行こうとするリィンの頭にサラがチョップを落とす。
「でも、サラさん……」
「あんたはこの大会で最年少なんだから少しくらい失敗してもいいのよ」
「そうですよリィン君。昨日のことは私も気にしてませんから、気負わずに戦いたいように戦ってください」
サラとクレアの慰めに、リィンはそれ以上何も言えなくなる。
少し一人にして下さいと一言断って、リィンは邪魔にならない部屋の隅で瞑想を始める。
身体の調子は初日から決して悪くはなかった。
緊張はあったかもしれないが、それでもちゃんと動いたつもりだった。
だとすれば考えられることは一つ。
――鬼の力の影響か……
鬼の力を限界以上に使った反動で気付かないところに不具合が起きているのかもしれない。
元々、得体の知れない力なのだから何があってもおかしくはない。
――アネラスさんに相談したいけど、流石に今はな……
今日の敵になるかもしれない彼女に自分の不調の原因を尋ねるのは憚られる。
大会が始まってからは、顔を合わせたら挨拶はしても必要以上に馴れ合わない様にしている。
黒装束のことについてはすぐに報告したが、同じ姿で騙られたのか判断できないため注意はするが保留する方針となっている。
「はぁ……何か自信なくすな……」
リベールに来てから、元々戦歴なんて大層なものはないが、黒星ばかり。
勝ったといえるのは猟兵の先見隊の男の子ぐらいだろうか。
それも後の団全体での戦闘まで含めると負けに括れてしまいそうだが。
八葉一刀流の名を汚してしまっている自分が情けなくなる。
『皆様……大変長らくお待たせしました。これより武術大会、最終予選を始めます』
そんな風に嘆いていると控え室にまで届く司会の声に合わせて、歓声が響き渡る。
「それでは早速、栄えある第一試合のカードは――」
対戦カードが読み上げられて、そのチームが気合を入れてグランアリーナに踏み込んで行く。
リィンは瞑想をやめて、サラ達と合流し周囲のチームの数を数えて首を傾げた。
「そういえば、こっち側には七チームしかいませんね?」
「そうね。確か本戦は八チームでやるって話だったけど」
噂をすれば影、廊下の方から騒がしい声が聞こえてくる。
「ほら、キリキリ歩かないか!」
「ったく、うるせえな。そんなに急かすんじゃねえよ」
「ああ……どうしてこんな事になったんだろーな」
「兄ぃ、気合入れなよ!」
兵士達がドアを開けて入ってくると、それに引っ立てられるようにして同じ髪の色の男女と帽子を被った一人、八チーム目が現れた。
「あら……?」
「お……?」
その中の青年を見て、クレアは虚を突かれた声をもらす。
その声に釣られて顔を上げた青年もクレアの顔を見て言葉を失う。
「クレアさん、知り合いですか?」
「ええ、まあ……学生時代の一学年上の貴族生徒……
帝国の没落したカプア男爵家、今は空賊に落ちた犯罪者たちですが、それも元が着くようですけど」
「空賊……」
その言葉にリィンはもしかしてと思うと同時に新しく出会った帝国人が犯罪者なことに嘆く。
「は……言ってくれるじゃねえか。家族を処刑台に送り込んだ『氷の乙女』さん」
痛切な毒を吐いたのはクレアと同年代に見える次男の男だった。
「っ……」
「キール兄の知り合い?」
「ああ、学生の頃の後輩でな……
貴族、平民関わらず人を拒絶する氷の女……成績も優秀で貴族を差し置いてその学年の主席になったが――」
「そこまでにしてください」
彼の話が進むにつれて表情を険しくし、唇を噛むクレアを見かねてリィンは男を止めた。
「貴方がクレアさんの何を知っているか知りませんが、それ以上は俺が許しませんよ」
「は、ガキがいっちょまえに騎士気取りか? 知ってるぜ、女チームの黒一点……最年少のへっぽこ侍」
「だったら何だって言うんですか?」
鼻で笑ってくる男をリィンは睨み付ける。
が、それ以上の言い合いは続かなかった。
「そこまでにしておけキール」
「兄貴……」
「誰にだってそれなりの事情はある。それを他人に触れられたくはないもんだ」
大柄の男の言葉に次男は黙り込んで――
「悪かった。小僧も言い過ぎた」
「いえ、私も少々不躾でした」
次男が謝り、クレアも同じ様に謝罪する。
が、今度は大男の長男が無遠慮な視線をアンゼリカに向けてくる。
「それにしても、こんなところでログナー家の御息女と会うとはな」
「おや、私のことを知っているとは光栄だね。ところで仔猫ちゃん、試合が終わった後は暇かな?」
「うえっ!? ボクッ!?」
「ほう……ボクときたか……これは中々にポイントが高いな」
意味深な笑みを浮かべるアンゼリカに身の危険を感じた末娘は身を震わせて長男の影に隠れる。
「はいはい。アンゼリカさん、自重して下さい」
さらに構おうとするアンゼリカの首根っこを掴んで引き剥がし、リィンは改めて空賊達に向き直る。
「すいません。不躾なのは承知しているんですが、もしかして貴方達は定期飛行船失踪事件の犯人ですか?」
いきなりの指摘に長男は少し困惑しながら頷いた。
「ああ、そうだ。武術大会に出れば恩赦として刑を軽くしてくれるって提案されてな」
「そうですか。それはいいんですが、貴方達に聞きたいことが一つあるんですが――」
『南、蒼の組。エレボニア帝国のアンゼリカ選手以下四名のチーム!』
「あ……」
そのアナウンスにリィンは言葉を止めた。
「出番だ。リラックスして行こうリィン君」
リィンの背中を叩いてアンゼリカが颯爽とアリーナに踏み込む。
「そういうこと、あんまり考え過ぎちゃダメよ」
「今日もちゃんとサポートして上げますから頑張ってください」
サラとクレアはリィンの頭を一撫でしてアンゼリカの後に続く。
「お前も行かなくていいのか?」
「……はい。そうさせてもらいます」
尋ねるタイミングを外されたリィンは仕方なく意識を切り替えて彼女達の後に続く。
『北、紅の組。王国情報部、特務部隊所属。ロランス少尉以下四名のチーム!』
読み上げられた名前と、リィン達がいた控え室の向かい合い側から出てきた四人の姿にリィンは目を見張る。
「あいつらか……」
赤いヘルメットをした男、ロランスを先頭に中央まで堂々と歩いてくる黒装束の三人。
その装いはやはりルーアンでダルモア市長に雇われていた者と同じだった。
そして――
「あーっ!! キール兄、ドルン兄、あいつっ! あの赤いのっ!」
背後で空賊の娘が騒いでいることでリィンは確信する。
「サラさん」
「ん、どうしたの?」
アリーナの中央へ歩きながら、リィンはサラに声をかける。
「あいつらのことなんですけど」
「ええ、分かっているわ」
リィンの呼びかけにサラは先程までのふざけた調子を一変し、鋭い眼差しをロランスに向けていた。
「クレア、プランBよ。あの赤いのをあたしが抑えるから、あんたは二人のフォローをお願い」
予め決めておいた計画変更にクレアは頷く。
「分かりました。サラさん、気をつけてください」
前三回の試合以上に緊張した面持ちでクレアは頷く。
リィンの言いたいこととは違うが、口をつぐんだ。
ルーアンの事件のことは伝えていたが、そこにボースでの定期飛行船失踪事件にも関わっている可能性も空賊の反応から分かった。
しかし、一言で説明できる内容ではない。
「ふふ、予選最終日に優勝候補と当たるなんてついてないね」
「そう言う割りに楽しそうですね、アンゼリカさん」
周囲に手を振って余裕な様子のアンゼリカの調子にリィンは呆れる。
「せっかくのお祭りなんだから楽しまなければ損だよ」
「楽しんでいる余裕なんてありません」
一歩ずつ進むたびにロランスに近付く。
アンゼリカやクレア、サラも気付いていないのか彼から感じる静かな殺気にリィンは胸の焔が疼くのを感じた。
――ユン老師、猟兵のボスと同格かそれ以上ということなのか?
リィン自身には実力の程は測り切れないが、鬼の力がそう言っている気がした。
果たして絶不調のリィンが彼らと何処まで戦えるのか不安になってくる。
「これより武術大会、予選最終日第4試合を行います。両チーム、開始位置についてください」
リィンの不安を他所に手順が進行して行く。
「ふん……あの時のガキが相手か、ちょうどいい」
一度中央に整列し、離れる背中にそんな呟きをリィンの耳が拾った。
――やっぱりルーアンの時の……
試合が終わった後に報告することが増えたと考えながらリィンは剣を構える。
「双方、構え! 勝負始め!」
そして、リィンにとって忘れられない試合が始まった。
*
「よし……」
黒装束の一人に良い一撃を入れてリィンは思わず拳を握る。
相変わらず身体の調子はいいのにうまく戦えない違和感が付き纏っているが、それでも何とか自分で白星を挙げられたことに状況を忘れてリィンは嬉しくなる。
しかし、いつまでも喜んでいられない。
横目で一対一で赤い仮面の男、ロランス少尉と戦うサラの姿を確認する。
大振りの剣を片手で振り回す膂力に豹のようなしなやかな身のこなしでサラのブレードと拳銃による連続攻撃を難なく凌いでいる。
「っ……」
その姿にリィンは既視感を感じると同時に頭痛が走った。
「リィン君、大丈夫ですか? 今、治癒術を――」
「大丈夫ですっ!」
すかさず戦術オーブメントを構えるクレアに必要ないと叫び、二人が戦っている黒装束たちに向かって加速する。
「二の型《疾風》」
二人に一撃ずつ打ち込んで駆け抜け、そこにアンゼリカとクレアが畳み掛ける。
「ドラグナーハザードッ!!」
「モータルミラージュ」
二人の一撃が炸裂し、二人の黒装束は壁まで吹き飛ばされる。
「二人とも、すぐにサラさんの援護に向かいます」
喜ぶ間などないと言わんばかりのクレアの言葉にリィンとアンゼリカはすぐに応じる。
「サラさん、お待たせしました」
「あら、遅かったじゃない? もう少しでこっちも終わってたのに」
そんな軽口で迎えるサラは肩で息を吐いており、対するロランスは息一つ乱した様子はなかった。
「あの三人を退けてきたか……」
四人に囲まれながら、ロランスは落ち着いた様子で呟く。
「ふふ、確かに貴方は強いかもしれないが、流石に四対一では分が悪いのではないかな?」
圧倒的に優位な状況で気を大きくしたアンゼリカが話しかけるのに対して、他の三人は一層に気を張り詰めさせていた。
一見すれば無造作に立っているだけ。
なのにその佇まいに異様な寒気を感じる。
「…………来ないのか?」
「当然、行かせてもらうっ!」
血気盛んに飛び出したアンゼリカに合わせてサラとクレアが銃口をロランスに向ける。
が、引き金を引くよりも速くロランスはアンゼリカに肉薄し剣を薙ぎ払い――リィンがそれを受け止めた。
「不用意に前に出ないで下さいっ! こいつはあの三人とは格が違うんですっ!」
「す、すまない……助かった」
アンゼリカを背後に押しやってリィンは叫びながら、直前の感覚に戸惑っていた。
サラ達が追い切れなかったロランスの動きをリィンはむしろ遅いと感じるくらいに見えていた。
アンゼリカを庇えたのも、ギリギリではなくかなり余裕があった。
「まさかここまでとはね、あんたさっきまで手を抜いてたの?」
「それはお互い様だろう《紫電》」
サラの問いをロランスははぐらかす。
その答えにサラは顔を引きつらせて覚悟を決めた。
「あたしのことは調査済みってわけ? じゃあいいわ。ここからは全開よっ!」
叫ぶと同時にサラはその身体に紫電を纏う。
「リィン君」
「はい」
アンゼリカの言葉にリィンは頷き、同時にロランスに仕掛ける。
この中で最高戦力は間違いなくサラ。時点でクレア。
彼女達に劣る自分達が捨石となって、強引にロランスの隙を作り、それを二人が狙う。
それが予め決めていた作戦だった。しかし――
「ふ……」
ロランスは不敵な笑みをもらしたかと思うと四人に増えた。
「なっ!?」
技で言えば分け身のクラフト。
一時的に幻の自分を作り出し敵を幻惑する技。
それを一度に四体作り出したロランスの行動に、本体を見失った一同は一瞬怯む。
その間に、四つに分かれたロランスがそれぞれに襲い掛かった。
「がっ!?」
最初にアンゼリカがロランスの一撃を受けて吹き飛ばされる。
「このっ!」
冷静にクレアはアンゼリカを斬り飛ばしたロランスを本体と判断し、自分に向かってくるロランスを無視して銃口をそちらに向ける。
が、次の瞬間分身と判断したロランスの一撃を受けて吹き飛ばされた。
「実体がある分け身っ!?」
その技の正体に気付いたサラは自分に向かってくるロランスを銃撃で迎撃する。
「ちっ!」
素早く左右に駆けるロランスを捉え切れず、それでも接近してくるロランスに合わせて剣を振り下ろすが空を斬った。
「くっ!」
咄嗟に剣と銃を交差させて身を固め、そこに凄まじい衝撃を受け剣と銃は一撃で砕け散った。
そして――
「ほう……」
サラを戦闘不能にしたロランスは振り返り、分け身の一つが霧散して消えていく光景を見て感嘆の言葉をもらした。
「……何だ……今のは……?」
分け身のロランスを斬り伏せたリィンは直前の自分の感覚に戸惑っていた。
それは先程アンゼリカを助けたのと同じ、ロランスの動きが異様な程に遅く見えた。
そのおかげでリィンは分け身の一撃を避け、斬り返すことができた。
だが、今はその手応えの余韻よりも身体から溢れてくる力に戸惑っていた。
「何だこれは……?」
ふつふつと身体の奥底から力が湧いてくるのを感じる。
鬼の力を使ったかの様な全能感があるが、鬼の気は漏れていなければ髪の色も黒いままだった。
「っ……」
考え事をしている間に、残った二体の分け身がリィンに殺到する。
咄嗟に身体が反応する。むしろその反応速度と行動に頭がついてこないことでリィンは混乱する。
目の前で剣を振り被った分け身を剣を振り下ろさせるよりも速く突き、霧散させる。
その背後から分け身を両断して剣が薙ぎ払われるのを身を屈めて避け、剣を斬り上げて二体目も同じ様に消し去る。
そして――分け身とは比べものにならない斬撃を繰り出してきたロランスの一撃を木刀で受け止め、その衝撃を逃がすようにリィンは大きく後ろに跳んで着地する。
「……しばらく見ない間に随分と混ざったようだな」
「しばらく……? やっぱりボースで俺を襲ったのはお前達だったのか!?」
ロランスの言葉にリィンは記憶のない日のことを思い出す。
「お前達は俺に何をした? この武術大会でいったい何を企んでいる?」
「さて……どちらの質問にも答える義理はないな」
「…………それなら力尽くで聞き出してやる」
「できると思うのか?」
「三ヶ月前の俺と同じだと思うなよっ!」
好戦的にリィンは叫ぶ。
同時に今まで感じていた感覚のズレがようやくはまったことを自覚した。
猟兵との戦いの経験。
普段の状態にも関わらず鬼の力が混じり始めた身体。
そして鬼の力への心構えの変化。
様々な要因でリィンは剣士として次の段階へ進んでいた。
しかし、それを自覚しないまま以前のように戦おうとしていたせいでおかしな動きになっていた。
「八葉一刀流《初伝》リィン・シュバルツァー、参るっ!」
リィンは強く地面を蹴って踏み込む。
その一歩は今までにないほどに鋭く速い。
瞬く間にロランスとの間合いを詰めたリィンはそのまま剣を一閃、その一撃はサラのものよりも速かった。
ロランスはそれを寸前で受け止めるが、剣を持つ腕は大きく弾かれる。
堪らず後ろに跳んで距離を取ろうとするロランスに追い縋り、振られる剣を紙一重で避けて斬り返す。
ロランスもまたリィンの剣を紙一重で避け、そこから二人は激しく剣をぶつけ合う。
「はは……」
リィンは鬼の力を使う昂りとは別の高揚感に戦いながら笑いが零れる。
身体がいつになくよく動き、敵の動きがはっきりと見える。
先の三回の試合でも調子は悪くないと感じていたが、今ならはっきりとそうではなかったのだと言える。
そして、剣を振ることがこんなに楽しいと思ったのは初めてだった。
昂ぶった気持ちがリィンの背中を押すように高みへと押し上げる。
半端な人間が相手だったら試合は早々にリィンが勝利し、その昂りもすぐに治まっていただろう。
だが、ロランスは淡々とした様子で年不相応に成長し続けるリィンの剣を受け切ってみせる。
それがさらにリィンを高みに導く糧になる。
すでにリィンの頭からは事件の黒幕と対峙している意識などなかった。
最高潮のテンションで、思考はただ目の前の男を打倒することのみにだけ集中され、発揮される。
剣を一振りする度にそこに様々な試行を乗せ、防がれれば次に生かしてさらに試行を深める。
そして――
「焔よ……我が剣に集えっ!」
剣に焔を纏わせて、リィンは必殺を繰り出す。
「燃え盛る業火であろうと、砕き散らすのみ」
対するロランスは剣に極寒の闘気を纏った一閃を繰り出した。
二つの戦技がぶつかり合い、リィンは後ろに大きく吹き飛ばされ――空中で体制を整え危なげなく着地した。
「防いだか……どうやら三ヶ月前と違うのは言葉だけではないようだな」
「と……当然だ」
三ヶ月前のことは思い出せないが、気持ちで負けてはダメだとリィンは強がってみせる。
「ならこれで――どうだ?」
正面に捉えていたはずなのに、声の最後は背後から。
咄嗟に振り返りながらも剣を両手で身構え、そこに凄まじい衝撃が走ってリィンは弾き飛ばされる。
宙に飛ばされたリィンにロランスは追い縋り、剣を振る。
何とか反応して剣を盾にする。が、ぶつかる直前に剣は寸止めされ、リィンは蹴り飛ばされて地面に叩きつけられた。
「ぐっ……」
痛みに喘ぐ間もなく、リィンの頭上に剣を突き立てるように落ちてきたロランスから転がるように身を逃がす。
「どうした、もう終わりか?」
「まだだっ!」
高まり切った熱は今の攻防でも冷め切っていない。
だが、そんなリィンの気概は空しく先程までとは逆の展開となった。
余裕があったロランスに対して、リィンには全く余裕はなく少しずつ傷が増えていく。
無駄な行動一つが命取り、余計な雑念を交えれば勢いに飲まれる。
何度も剣を打ち付けられ、何とか致命傷だけは回避する。
これが試合でなければすでに何度死んでいたか分からない。
浮わつき、全能感に支配されていた思考が現実を思い知らされる。
だが、それさえも今のリィンにとっては糧となっていた。
叩かれるたびにリィンはロランスの動きを目に焼き付ける。
少しずつ、その速度、呼吸、癖を覚え――
「ここだっ!」
一撃を狙い済まし、今のリィンにとっての最高の一撃をカウンターとして繰り出し、ロランスを捉えて――幻を斬った。
「なっ!?」
渾身の一撃は空振りに終わり、リィンの思考に空白が生まれる。
その背中にロランスは容赦なく一撃を叩き込んだ。
大きく舞い上がったリィンの身体は受身を取ることなく地面に叩きつけられた。
これで試合は終了だと言わんばかりにロランスはリィンに背を向け――振り返った。
「この気は……」
痛恨の一撃を受けたにも関わらず、リィンは立ち上がった。
もっともその様子はおかしく、強打された背中ではなく左胸を抑え咆えた。
「おおおおおおおおおおおっ!」
リィンの黒髪が白く染まり、目は灼眼に変わる。
そしていつかの時のように獣となって襲い掛かってきたリィンの攻撃をロランスは余裕で避けた。
「無様だな……」
口から出てきた言葉は嘲笑。
「結局最後はその力に縋るか……お前は三ヶ月前と何も変わっていないようだな」
「がああああああっ!」
がむしゃらな動きは確かに先程までのリィンとは比べものにならないくらいに速く力強い。
だが、ロランスの目にはそれだけに過ぎなかった。
「無駄だ。《修羅》となりその流れに身を委ねるならともかく、《理》に至ってもいないお前にそれを御するのは不可能だ」
ロランスはリィンの剣を掻い潜り一撃を与える。
怯んだリィンは距離を取り、このままでは勝てないと悟ったのか胸に手を当て、再び咆哮を上げる。
灼眼が金と黒に染まり、顔に赤い紋様が浮かび上がる。
彼の言葉通り、力に身を委ね《修羅》と化したリィンは――
「くぉらぁぁぁぁぁぁ!! リィィィィィンッ!!」
グランアリーナの大歓声を押し退けて一つの声がリィンを震わせた。
*
声に反応して勢いよく顔を上げたリィンが目にしたのは蒼い空に輝く太陽だった。
「あ…………」
そのままリィンはゆっくりと視線を降ろし、観客席を見渡す。
沢山の人達がそこにいて、リィンたちの試合を息を飲んで見ている。
先程、名前を呼んだ彼女が何処にいるかは分からない。それでもこの何処かで彼女が見ていてくれると思うと胸に力が灯る。
「弟君っ!」
「リィン、しっかりしろっ!」
いつの間にかリィンを飲み込もうとしていた闇は晴れ、代わりに鬼の力によって研ぎ澄まされたままの感覚が彼らの声をリィンに届ける。
控え室から顔を覗かせてアネラスとグラッツが叫んでいる。
振り返れば、戦闘不能の判定を受けていたサラ達もまた声援を送ってくれていた。
さらに見回せば、観客席の最前列にらしくない顔をしたオリビエの姿まであった。
「はは……」
真面目なオリビエの顔を見て思わず笑いが零れる。
きっと試合が始まった時から応援の声を上げていてくれたはずなのに、全く気付かなかった自分の滑稽さにやはり笑いが込み上げてくる。
胸の中の焔は未だに激しく燃え盛っているというのにそんな余裕があることにリィンは驚いた。
不思議な感覚だった。
身体は何処までも猛り昂ぶっているというのに、思考は逆に波一つないくらいに静かに凪いでいる。
「…………ようやく分かった」
白く染まった髪が黒く戻り、それでいて今感じた何かは胸の中に確かに残っていた。
その存在を噛み締めながら、リィンはロランスと向き直る。
「観念したか……だがよくあそこまで堕ちて戻ってこれたものだ」
「悪いが、まだ諦めたつもりはない」
「何……?」
「貴方は例え鬼の力に身を任せたとしても、俺には届かない高みにいる。それは十分に分かった」
「なら――」
「だからこそ全身全霊で挑ませてもらうっ!」
リィンは胸に手を当て、焔を燃え上がらせる。
すぐにリィンから黒い鬼気が溢れ出し、懲りずに鬼の力に縋りつくリィンにロランスは失望する。
「無駄だ。欺瞞を抱えるお前がその力は扱うのは不可能だ」
その言葉を無視してリィンは自分の内面に向き直る。
ずっと強くなれば鬼の力に負けない、御せるようになると信じて剣の腕を磨いてきた。
だが、それは間違いだった。
ただ漠然と強くなれば結果が得られるはずだと、そんなものは都合のいい夢でしかない。
そんな地に足が着いてない考えでは、いくら腕力を鍛えたところでいつまでも変わらない。
本当に必要だったのは剣の力ではない。
――俺の……重心は……
脳裏に思い浮かべるリベールでの数々の出会い。
尊敬できる多くの人々。
彼女達の姿を思い浮かべてリィンが思うことは一つ。
――あの人たちのように強く、気高くありたい……
その決して揺らぐことのない一心を持って、リィンは至る。
「神気合一」
リィンの髪が黒から白へ再び染まる。
瞑った目を開けばそこには灼熱色に染まった瞳が理性の光を宿して鋭く細められる。
荒々しい気を纏いながらも、リィンの佇まいはあくまでも自然体。
その姿にロランスは目を見張る。
「まさか……」
「悪いが、問答している余裕はない」
リィンはそれ以上の言葉は必要ないと剣を正眼に構える。
そんなリィンにロランスは口を噤み、右手で剣を構える。
それまで歓声が絶える事のなかったアリーナから音が途切れて、静まり返る。
そして、何の合図もなく二人は動いた。
二つの剣がぶつかり合い、結果――
両方の剣が砕け散った。
「なっ!?」
剣を振った姿勢でリィンは驚きわずかに固まる。
しかし、ロランスは競技用の木剣二本分の木片が舞う中に躊躇いなく突っ込み、肉薄してその拳でリィンを殴りつけた。
「っ……くっ……」
右と左を交互に打ち込まれたリィンはたたらを踏んで、すかさず拳を握って反撃する。
しかし、咄嗟の反撃として突き出した正拳は難なく避けられ、それどころかその腕を取られてリィンは宙を舞った。
「がっ!」
一本背負いで背中から地面に叩きつけられたリィンはそれでもすぐに起き上がろうとして、首に手刀を突きつけられた。
「そこまでっ! 勝者紅の組、ロランスチームッ!」
審判の声が響き渡り、ロランスは突きつけていた手を放す。
リィンの髪は白から黒へと戻り、体は今になって疲労を思い出したように重くなる。
ロランスは立ち上がると何も言わずにリィンに背を向け歩き出した。
そして、ようやく大歓声がグランアリーナに響き渡った。
*
青年が荒々しい足取りでグランアリーナから飛び出してきた。
まだ予選だというのに決勝戦でも行ったかのような盛り上がりが聞こえてくるアリーナに街を歩く人達は首を傾げ、その青年の荒れた様子に気付いてはいない。
「こらっ! 気をつけろネギ頭っ!」
人にぶつかっても謝る余裕もなく、青年はがむしゃらに足を動かして人気の無い休憩所に辿り着いた。
「何やあれ……あんなんありえへんっ!」
木に胸の中に渦巻くドス黒い感情をぶつけるように青年は拳を叩きつける。
「あんなんあるわけないっ!」
聖痕保持者の候補として上がった少年を計るため、青年は初日から彼の試合をずっと見ていた。
最初はまさかの一発で戦闘不能だった。
相手の選手は決して強くはなかった。その証拠に少年が気絶した後でも四対三でも彼の仲間は危なげなく勝利した。
次の二回戦も大したことはなかった。
攻撃をやたらと空振り、防御も下手くそでおもしろいくらいにボコボコにされていた。最後まで立ってはいたがその試合も仲間達のおかげで勝てたようなものだった。
三回目に至ってはもう外れだと判断し、気楽に観戦していた。
現に少年は勢い余って仲間に激突し、羨ましいことに綺麗なお姉さんの胸に顔を埋めるなんて珍行動を行い、笑わせてもらった。
そして、今日の四回目の試合で今まで彼の試合を見ていた者は目を疑った。
彼の力が教会が求めているものかはまだ判断はできない。
だが、それに類する異能を持っていることは確定した。
確定したが、同時に青年は認めたくなかった。
「何の知識もない……何の心構えもできておらん……特殊な訓練も受け取らんあんなガキが! 御せるはずないやろっ!」
試合中、加速度的に異能に支配され暴走寸前まで行った瞬間、青年は少年を外法と判断して自分の武器に手をかけた。
だが、それを構えるよりも早く。アリーナの歓声を突き破った声が発せられた。
その声を聞いただけで少年は踏み止まり、それどころか異能を御することにまで至った。
「ただの気持ち一つでやった? ……できるわけない……そんなんできたら――」
声を大にして否定する。
それを認めてしまえば青年の中の何かが壊れてしまう。だから必死に否定し言い聞かせる。
「いやーまだ予選だというのにすごい試合でしたねー」
叫び疲れて息を荒げていた青年に声が掛けられた。
青年は蒼白な顔を上げて振り返り、息を飲む。
丸い眼鏡をかけた気の弱そうな学者。
「っ……」
彼が見た目通りの人間じゃないことをよく知っている青年はすかさず武器を取ろうとして、そこに何もないのに気付いた。
動揺のあまり荷物を全て観客席に置きっぱなしにしてきてしまったと、自分のアホさ加減を呪う。
「ああ、安心したまえ。ここで君とやり合う気はない」
蛇に睨まれたカエルのように固まる青年は何とか動揺を押し殺して言葉を作る。
「《蛇の使徒》の一人……《白面》のワイスマンが何でワイに?」
「なに、仕事熱心で間の抜けた新米星杯騎士にアドバイスと忠告をと思ってね」
「忠告はともかく、アドバイスやと?」
「ああ、リィン・シュバルツァーの異能は教会が求める聖痕ではない……
あれは帝国の《呪い》に由来するもの。なので彼に手を出すのは遠慮してもらおうか」
「……断るゆうたらどないするんや?」
「別にどうもしないさ。君が彼のことを上司に報告している間に私は私の聖痕をじっくりと彼に刻ませてもらうだけのこと……
結果は変わらない。だが、余計なことをされてせっかくのモルモットを壊されたくないのだよ」
「くっ……」
今あの少年を保護するには戦力も人員も足りない。
そしてそれを整えるまでの時間があれば、深層心理の奥深くにまで聖痕を刻む時間は十分だろう。
「言いたいことはそれだけだ。では失礼するよ」
無防備な背中を見せて去って行く男を追い駆ける気力は青年に湧いてこなかった。
青年は木に背中を擦らせて座り込み、乾いた笑みをもらす。
「ハハ……想定外の接触やったけど好都合や」
武器を忘れ、間抜けさに震える自分を恐怖に震えている新米と勘違いされたのは嬉しい誤算だった。
そして付け入る隙も本人が直接教えてくれた。
「せいぜい利用させてもらうわ。ま、そんな力を持っていた自分を呪うんやな、リィン君」
そう呟く言葉は暗く重く、目は濁っていた。