(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

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15話 迷い子

 

 

 夜の闇が白んでいく空の下。

 ボースの街から離れた街道でリィンは太刀を正眼に構えていた。

 相対するのは想像の中の黒装束。

 あの時のことを思い出しながらリィンは胸の中の焔に意識を傾ける。

 

「っ……」

 

 少しずつ、焔を大きくするにつれて身体には力が漲り、髪が白く染まる。

 同時に理性は負の感情に塗り潰されていく。

 

「くっ……」

 

 必死に意識を繋ぎ止めようと抵抗してみても、それは空しくリィンの意識はあっさりと呑み込まれ――

 

「かはっ!」

 

 負担を度外視して無理矢理に焔を消し止める。

 反動に身体に重いハンマーで殴られた衝撃が走り、リィンはその場に大の字になって倒れた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……くそ……」

 

 呼吸を整えながらリィンは悪態を吐く。

 

「どうしてできないんだ?」

 

 ルーアンで黒装束と相対した時は抑え込む事に成功したのに、今は何度試みてもあの時のように鬼の力を使った状態で理性を保つことができなかった。

 アネラスとの鍛錬でもそれは同じだった。

 秘かな自信を持って望んだ手合わせは結局以前と同じで何も変わらなかった。

 

「偉そうなこと言っておいてこの様か……」

 

 ゆっくりとだが進めていた気がした。

 しかしそれは気のせいで、一歩進んで二歩下がったかのような虚しさが胸を苛む。

 毎夜、アルティナを寝かしつけた後にギルドを抜け出して一人で鬼の力を引き出しているが一度も理性を保ちながら鬼の力を安定させることはできなかった。

 

「…………そろそろ戻らないと」

 

 もうすぐ夜が明ける。

 休み休みの間に仮眠を取っているとはいえ、身体に受けた負担で節々は痛いし眠気もある。

 幸いというべきなのか、今のギルドの仕事はアルティナの世話が中心になっているため、そこで休むことはできる。

 我ながら無茶なことをしているとは分かっている。

 しかし、手にした何かの感触を逃さないためにこの秘密の鍛錬をやめることはできなかった。

 

 

 

 

「よし……ちゃんと眠ってるな」

 

 ギルドに戻ったリィンは最初に自分が貸してもらっている部屋で、ぬいぐるみを抱き枕にして眠っているアルティナを確認する。

 その後はさっとシャワーを浴びて汚れを落とし、朝食の準備を始める。

 

「今日は帝国風にしてみるか」

 

 買い置きのパンを用意しておき、サラダとオムレツを作っていく。

 ユミルにいた頃は母がしてくれていたことだが、改めて自分で準備してみるとその大変さがよく分かる。

 そういった細かなところで自分が本当に愛されていたのだと改めて思わされる。

 

「……起きたみたいだな」

 

 階上の物音にリィンはアルティナが起きたことを察する。

 程なくして軽い足音が階段を下りて来て、リビングの扉が開いた。

 

「おはよう、アルティナ」

 

「ん」

 

 リィンの挨拶にアルティナは頷いて返す。

 あれから二週間経つが、相変わらずアルティナは言葉を発することはない。

 それでも話しかければ頷くし、首を振ることで応えてくれるので意思疎通は一応できている。

 

「またそんな格好のまま、ほらちゃんと着替えてきなさい」

 

「ん」

 

 リィンがそこにいることを確認して安心したのか、アルティナは頷いて部屋に戻る。

 その後姿を見送りながらリィンは顔をしかめた。

 

「二週間か……もうって考えるべきなのか、それともまだって考えるべきなのか……」

 

 当初はすぐに身元が判明すると思われていた捜査は二週間が経つのに何の進展もなかった。

 リベール国内はもちろん、エレボニア帝国、カルバード共和国などの国々に手を広げても何の情報もなかった。

 

「どうするんだろうな……」

 

 遊撃士協会は託児所ではない。

 一時的に預かることはできても、長期的に子供の世話をすることはできない。

 それはリィンにしても同じことだった。

 疎ましいわけではない。

 アルティナの境遇には同情もするし、親近感さえある。

 だが、目的があってリベールに来ている以上はリィンも自分の中の答えを出すのに集中したい気持ちもある。

 

「順当に考えるなら孤児院か、引き取り手を探すべきなんだけど……っと、こっちも来たか」

 

 思考を切り上げて、リィンは近付いてくる気配に苦笑する。

 昨日の鬼の力を使っての鍛錬のこともあり、心配していたのだが変わらない元気な様子に安堵する。

 

「おっはようっ! 弟君っ! アルティナちゃんっ!」

 

「おはようございます。アネラスさん」

 

 珍しく鎧姿ではないアネラスをリィンは笑顔で迎えた。

 

「あれ? アルティナちゃんは?」

 

「さっき起きてきたところですよ。今は着替えてますよ」

 

「そっか……じゃあちょっと手伝ってこようかな」

 

「ほどほどにしてあげて下さいよ。もうすぐ朝食ができますから前みたいなことはなしですよ」

 

「あはは……分かってるよ弟君。だからそんなに睨まないでよ」

 

 アルティナが来た翌日、さっそく彼女にリボンをプレゼントしたアネラスはいかにかわいくそれを結ぶかで大いに悩んだ。

 どれだけ悩んだかというと、その後の数日の間、アルティナがアネラスを避けるようになったほどだった。

 

「さてと……」

 

 アルティナの下へ行くアネラスの背中を見送りながら、リィンはパンを導力トースターにセットする。

 オムレツにスープとサラダ。それらにパンを含めた帝国風ブレックファースト。

 と胸を張るには見栄えが悪い。

 やはり母が作ったものとは雲泥の差だと少し落ち込む。

 

「さて……」

 

 まだ二人が下りて来るまで少し時間がかかりそうだった。

 手持ち無沙汰になったリィンはおもむろにりんごを手に取る。

 

「せっかくだから、りんごでウサギでも作ってみるか」

 

 と、りんごを剥いているとまた階上でドタバタと物音が騒がしくなる。

 ドタバタとした音が鳴り止むと、小さな足音が心なしか急いだ様子で階段を下りて来る。

 そしてアルティナが戻ってきた。

 

「ん……」

 

 無造作にアルティナがリィンに差し出したのは黒いリボンだった。

 その背後には泣き崩れたアネラスがいた。

 そんな最早慣れたいつもの二人の姿にリィンは苦笑した。

 

 

 

 

「なんか弟君、手慣れているよね」

 

 食後のアイスを堪能していたアネラスは唐突にそんなことを言い出した。

 

「いきなり何ですか、アネラスさん?」

 

 リィンはアルティナの髪を櫛で梳く手を止めずに聞き返す。

 

「いや、前から思ってたけど弟君って子供の世話に慣れてる?」

 

「そんなことないですよ」

 

「本当に? 妹さんの髪もそうやって梳かして上げたりしてたんじゃないの?」

 

 アネラスの言葉にリィンは少し昔を思い出して首を横に振って否定した。

 

「貴族の身でもそういうところは俺もエリゼも厳しく躾けられてましたから、あまりそういう機会はなかったですね……

 それにこの数年、俺はずっと剣の修行にかまけていましたから」

 

「うーん……それにしてはうまいと思うんだけどな」

 

「最初に散々ダメ出しをしたのは誰だと思っているんですか?」

 

 非難するような目を向け、リィンは梳き終わったアルティナの綺麗な銀色の髪に黒いリボンを結びつける。

 

「あはは……うん。七十点かな」

 

 アネラスは誤魔化すように笑って、リィンのつけたリボンに点数をつける。

 とりあえず及第点を取れたことにリィンは安堵する。

 すっかりアルティナはアネラスを避けるようになってしまった。

 それでもアネラスはアルティナにリボンを付けることを諦められず、結局リィンがそれをすることになった。

 見よう見真似でアネラスと同じ様に結んでみたものの。

 蝶々の形が悪いとか、結ぶ位置が悪いなど、小一時間ほど説教と教育を受けることとなった。

 剣の修行よりも厳しかったかもしれない授業のせいで、すっかりリボンのかわいい結び方を覚えてしまったリィンだった。

 

「よし、もういいぞアルティナ」

 

「んっ」

 

 アネラスの合格の言葉に大人しくしていたアルティナは席を立つ。

 

「アネラスさんは今日は休息日でしたよね?」

 

「うん。そうだよ」

 

「それじゃあアルティナのことお願いできますか?」

 

「元からそのつもりだったけど、弟君はどうするの? 弟君も一緒に連れて行くつもりだったんだけど」

 

「なんとなくそうじゃないかと思ってましたけど、今後のことを考えると俺以外の誰かに慣れる様にした方がいいでしょ?」

 

「……理由はそれだけじゃないでしょ?」

 

 確信があるような言い方にリィンは思わず黙り込む。

 

「もしかして昨日の稽古のことを気にしてる?」

 

「それを気にしてないって言ったら嘘になりますけど……

 今はむしろこの手に掴んでいる何かを確かなものにしたいんです」

 

 リィンは正直に思ったままを口にする。

 アネラスを一方的になぶってしまったのは訓練の一環だと割り切るとしても、ルーアンで得た感触をこのまま放置して手放すのは惜しかった。

 

「何かあてはあるの?」

 

「霧降りの谷に行ってみようかと思います……

 あそこなら少し奥地に行けば人はいませんから鬼の力を試せます」

 

「なるほど……気持ちは分からなくもないけど。ダメだよ」

 

「アネラスさん?」

 

「今日は一緒にお買い物だって決まってるの、アルティナちゃんも弟君が一緒の方がいいよね?」

 

「んっ」

 

 アネラスの言葉にアルティナは強く頷く。

 

「だけど、アネラスさんっ!」

 

 リィンはテーブルを叩いて訴える。

 

「アルティナのことを調べ始めてもう二週間になるんですよ? もしかしたら――」

 

「弟君、その話は後でしようね」

 

 有無を言わせない言葉でアネラスは穏やかな顔のまま、リィンの言葉を遮る。

 リィンもアルティナの前で言うことではなかったと反省し、それでもと食い下がる。

 

「女王生誕祭まで二ヶ月が過ぎたんです……

 カシウスさんが帰って来る前に、せめて少しでもちゃんと鬼の力を抑え込めるようになっておかないと」

 

 二ヶ月という時間と後ろに戻ってしまった修行の成果に焦燥を掻き立てられる。

 

「たぶん、今を逃したらあの時の感覚は完全に抜け落ちてしまうと思うんです」

 

 夜の秘密の特訓でなんとか、それもいつまで保っていられるか分からない。

 場合によっては鬼の力を何度も引き出す荒療治が必要になるかもしれない。

 それを考えれば暴走させても被害のない場所などそれこそ山の奥くらいしかない。

 

「弟君の気持ちは分かるよ。私もそういう何かが掴めそうな手応えは経験があるし」

 

「それじゃあ……」

 

「でもダメだよ」

 

 しかし、アネラスの言葉はリィンの意見を認めるものではなかった。

 

「今日一日は私とアルティナちゃんに付き合うこと、これは決定なの」

 

 有無を言わせないアネラスの言葉にリィンはそれでもと反論しようとして――

 

「ああ、昨日木刀で殴られたお腹が痛いなー」

 

「うぐ……」

 

 わざとらしい言葉にリィンは唸る。

 訓練の一環なのだからリィンがそれを気に病むことではないのだが、それを言われると強くは出れない。

 それにアルティナが近寄ってきて、来たばかりの時の様に服の裾を掴んでリィンを見上げる。

 一見して気だるそうな眠たげな目だが、じーっと見つめられて彼女が何を訴えているのかは分かる。

 

「はぁ……分かりました」

 

 諦めのため息を吐いて、リィンは折れた。

 

 

 

 

 女性の買い物は長い。

 その格言をリィンは初めて実感していた。

 

「よしアルティナちゃん、次はこれを着てみて」

 

「その次はこれね」

 

 ボースマーケットの服飾コーナーでアネラスとメイベルがはしゃいだ様子で店内を行ったり来たりしていた。

 当のアルティナは試着室の前で呆然と立ち尽くしていた。

 二人の着せ替え人形にされながらも、アルティナは時々リィンの存在を確かめるように視線を送ってくる。

 それに手を振りながら、リィンは一人ごちる。

 

「メイベルさんも元気だなぁ」

 

 仕事があるため、午前中だけだがアネラスと休日を示し合わせたようだった。

 アルティナを見つけた現場に居合わせたこともあり、その日の内に彼女のことを気にかけて古着を持ってきてくれた。

 それはアネラスも同じだったので、アルティナが着る服は十分にある。

 にも関わらず、さらに買おうとしている様子に頭を悩ませる。

 

「理屈は分かるんだけどな……」

 

 二人の主張は誰かの古着ではなく、アルティナの服を着せて上げたい。

 アルティナの調査を開始して二週間が経つ。

 最初はすぐに身元が分かると思って自重していたが、二週間の時間は二人の我慢の限界だったようだ。

 リィンからすれば、荷物は最小限にしておいた方がいいと思うのだが、女の子には着飾る義務があるという二人の主張に折れることになった。

 

「でも、俺がここにいる意味ってあるのか?」

 

 二人が服を物色する様を頬杖を着きながらリィンはぼやく。

 

「こんなことならやっぱり修行していたかったなぁ」

 

 まだまだ時間が掛かりそうだとため息を吐く。

 

「弟君っ! 弟君っ!」

 

 しばらくぼうっと空を見上げているとアネラスに呼ばれた。

 ようやく終わったかとリィンはベンチから立ち上がって彼女達の下に向かい――絶句した。

 

「どう? どう? 弟君? 魔法少女まじかるアルちゃん」

 

 ピンクの衣装に身を包んだアルティナを差し出されてリィンは頭を押さえて唸る。

 

「却下です」

 

「ええっ! そんなっ!?」

 

「そんな仮装用の服じゃなくて普段着になる服を選んでください」

 

「でもかわいいでしょ?」

 

「可愛くてもダメなものはダメです」

 

 しょんぼりと肩を落としてアネラスはアルティナを連れて戻って行く。

 そして次にアルティナを連れて戻ってきたのはメイベルだった。

 

「今度はメイベル市長ですか」

 

「ふふふ……じゃーん」

 

 背中に隠したアルティナを声と共に前に差し出して、リィンは再び絶句した。

 そこには顔だけが出たペンギンの着ぐるみを着込んだアルティナがいた。

 

「メイベル市長……」

 

「どうかしら? ありえないくらいにカワイイと思うんだけど」

 

「そうかもしれないですけど、いくらなんでもこれはやり過ぎです!」

 

「え……あの……リィン君……?」

 

「いくらアルティナが嫌がらなくて、言えば何でもしてくれますけど……

 だからこそ、大人であるメイベルさん達がちゃんと自制するべきでしょ?」

 

「えっと……」

 

「カワイイければ何でも許されるわけじゃないですよ。こういうのは時と場合と場所を弁えて――」

 

「あーっ!?」

 

 リィンの説教を掻き消す大きな声でアネラスが叫んだ。

 

「メイベル市長っ! それは反則過ぎですっ!」

 

 アネラスは怒りながらも、アルティナに抱きついて頬擦りをする。

 我を忘れたようなアネラスの行動に、リィンは彼女の後頭部を掴んで無理矢理アルティナから引き剥がす。

 

「アネラスさん」

 

「え……あ、あれ? ……頭がミシミシいって痛いんだけど……弟君?」

 

「二人とも、正座」

 

「リィン君、ここは地面で……周りの人の目が……」

 

「その衆人観衆の中でアルティナにこんな格好をさせたのは誰ですか?」

 

「はい。すいません」

 

 メイベルは泣く泣く言われた通りに正座する。

 

「二人ともハメを外し過ぎです」

 

「で、でも弟君。このアルティナちゃんはカワイイすぎると思うんだけど」

 

 しかし抵抗をするアネラスにリィンは冷めた視線を向ける。

 

「だから何ですか?」

 

「か、カワイイは正義……だから……その……」

 

「それならさっきの服をアネラスさんが着ますか?」

 

「さっきのって……この歳で魔法少女の服はちょっと恥ずかしいんだけど」

 

「それならペンギンになりますか?」

 

 リィンの言葉にアネラスはアルティナを見る。

 顔が出ているバケツを頭にかぶった青いペンギンの着ぐるみ。

 確かに二人が言うようにカワイイが無表情なアルティナの顔に諦観とも言える疲れの色が見て取れる。

 

「メイベル市長にも言いましたけど、アルティナは言われたことに素直に従ってしまうんですから俺達がちゃんと節度を守ってあげないでどうするんですか?

 だいたいアネラスさんはアルティナが来てから少し、いえかなり弛んでいますよ!

 構うなとは言いませんが、遊撃士の仕事を疎かにしていい理由にはならないでしょ」

 

「あうあう……」

 

「ちゃんと聞いているんですか?」

 

 リィンの糾弾は止まらず、アネラスがちゃんと謝るまで続いた。

 後にアネラスは語る。

 あれは鬼を背負っていたと。

 

 余談になるが、アルティナの服は半ズボンに何故かあったみっしぃのフード付きパーカーとなった。

 

 

 

 

 昼食を摂り、仕事があるメイベルと分かれたリィンたちはボースの街を宛てもなく散歩する。

 そんな中でリィンはふと目に入ったオーブメント工房の看板を見て呟いた。

 

「そういえばアルティナって導力魔法が使えるんですかね?」

 

 それにアネラスも思い出したと手を打った。

 

「そういえばそれを確かめてなかったね」

 

 今更ではあるのだが、わざわざこんな小さな子供の戦闘能力を確かめる必要性も感じなかった。

 

「アルティナはどれくらいアーツを使えるんだ?」

 

 手を繋いだままリィンはアルティナに尋ねる。

 アルティナはんーっと悩んだ後に手を大きく広げた。

 

「そっか、すごいアーツが使えるのか?」

 

「ん」

 

 そうリィンが翻訳するとアルティナはコクコクと頷く。

 

「せっかくだから少し街道に出てみる?」

 

「アネラスさん? いくらなんでもそれは」

 

「別に魔獣と戦おうとかじゃないよ。適当な的を用意してそれを撃てばいいし、それに七スロットの戦術オーブメントのアーツがどんなものか少し気になるから」

 

「それなら、まあ……」

 

 もしもの時が会ってもこの辺りの魔獣なら自分とアネラスの二人でどうとでもできる。

 アルティナにアーツを見せて欲しいと頼むと、頷いてくれたのでギルドに武器を取りに戻ってから街道へ出る。

 

「この辺りでいいかな?」

 

 街道から少し外れた広場で的になる丸太をアネラスが立てる。

 

「それじゃあアルティナ。あれに向かってアーツを撃ってみてくれるか?」

 

「ん」

 

 頷いてアルティナは戦術オーブメントを前に突き出すように構える。

 鬼の力とは別の、導力の力の励起を感じる。

 その様は幼い子供とは思えないくらいに堂に入ったものに見えた。

 

「オーバルアーツか……」

 

 今まで縁がなかったが、やはり魔法というものには少し興味が湧く。

 ルーアンで治癒術を受けたが、自分であれができるとなるとやはり便利だと思う。

 

「でもちょっと信じられませんね。アルティナみたいな小さな子が魔獣に通じる攻撃ができるなんて」

 

「アーツ自体はオーブメントが自動で構築してくれるから、少しの訓練で誰でも使うことができるんだよ」

 

 リィンの呟きにアネラスが解説をする。

 

「アルティナちゃんの戦術オーブメントは全部のスロットが一つのラインで繋がっている……

 それは高いアーツ適性があるっていうことで、繋がるラインが多いほど高位アーツを使えるの」

 

「そうなると、アルティナは一番強いアーツが使えるってことですか?」

 

「それははめたクォーツにもよるんだけど、そのクォーツもよく分からないものもあるからどれくらいのアーツが使えるのかちょっと分からないかな」

 

「そうですか……それにしても長いですね」

 

 駆動状態で動かないアルティナにリィンは呟く。

 アーツの発動にこれだけ時間が掛かるなら、自分には向いていないかとリィンは思う。

 

「そこも個人差かな。帝国の遊撃士には駆動をかなり短縮してアーツを使える人もいるみたいだから……

 それに簡単に駆動できるって言ってもある程度は導力の流れを自分で制御しないといけないからたぶん使えるアーツは初歩の――」

 

 気楽な言葉を途切れさせて、アネラスは呆けた顔をしてそれを見上げた。

 上空に現れた大きな光の球体。

 それはゆっくりと落ち、的の丸太に接触した瞬間に爆発する。

 轟音を立て、舞い上がった土煙が晴れると丸太は消滅していた。

 

「…………アネラスさん……今のは?」

 

「えっと……たぶん空属性の高位アーツだと思うけど、あんなアーツはマニュアルにも載ってないんだけど……」

 

「そうですか……とりあえず気軽に使わないように言い含めておきましょう」

 

「そうだね……」

 

 呆然としながら、アルティナにこれを使わせないように決める。

 そして当のアルティナはふんすっと無表情ながらも誇らしげに胸を張っていた。

 

「すごかったよアルティナちゃん、でも――」

 

 アネラスが頭を撫でようとしたが、直前にアルティナは一歩下がる。

 

「あ、あれ……?」

 

 空を切った手にアネラスは首を傾げる。

 アルティナはアネラスの横をすり抜けて、リィンの下にやってくる。

 何かを期待するようにアルティナはじっとリィンを見上げる。

 

「えっと、すごいなアルティナは」

 

 そう言ってリィンはアネラスと同じ様に手を出してみる。

 が、今度は避けることなく、アルティナはリィンの手を受け入れて頭を撫でられる。

 

「ぐぬぬ……」

 

 アネラスが悔しそうに拳を握り締める姿にリィンは苦笑いを浮かべることしかできなかった。

 

 

 

 

「たっだいまー!」

 

「ただいま戻りました」

 

 遊撃士ギルドに戻ると、ルグランが導力通信で話をしている最中だった。

 邪魔しては悪いと、軽く会釈で挨拶をすませて二階へ行こうとしたが、ルグランはリィンを呼び止めた。

 

「リィン君、ちょうど良い所に戻ってきたな」

 

「どうかしましたか?」

 

「うむ、実は今ツァイスの遊撃士ギルドから連絡があっての」

 

「もしかしてアルティナの身元が分かったんですか?」

 

「いや、そうじゃなくての。例の戦術オーブメントについてラッセル博士が実物を見せろと騒いでいるようなのじゃ」

 

「ラッセル博士?」

 

 聞きなれない名前にリィンは聞き返す。

 

「あれ、弟君は知らない?

 リベールに導力技術をもたらした『導力革命の父』って呼ばれている人で新型導力器発明の第一人者、リベールでは有名人なんだけど」

 

「ま、他国の技師についてなどそんなものじゃろ」

 

「そのラッセル博士という方がどうしてアルティナの戦術オーブメントを?」

 

「そこはまあ技術屋の血というものじゃろ。エプスタイン財団が知らない戦術オーブメントに興味があるようじゃろうな」

 

「目的が戦術オーブメントということはアルティナのことではないんですね?」

 

「そうなるの。じゃが一度きちんと戦術オーブメントについて調べてみるのも悪くはないかもしれん」

 

 その言葉にリィンは考える。

 戦術オーブメントを作っているエプスタイン財団が分からないのなら、リベールのツァイスで調べたところで大したことが分かるとは思えない。

 ただ誰かの知的好奇心を満たすためだと思うと抵抗感が強くなる。

 しかし、それを表に出さずにリィンはその提案を受け入れる。

 

「分かりました。アルティナをツァイスに連れて行けばいいんですね?」

 

「ああ、すまんが行ってくれるか?」

 

「構いませんよ。ロレントの時の様にツァイスの遊撃士の方と合流すればいいんですか?」

 

「いや、わざわざそんなことはせんでもいいんだが、ギルドには顔を出しておいてもらえるかの」

 

「分かりました」

 

「急ぎではないが、明日の定期船で行ってもらって構わんかな?」

 

「明日……ですか……」

 

「不都合なら少し遅らせるが?」

 

「いえ構いませんよ。アルティナも大丈夫だよな?」

 

「ん」

 

 ちゃんと話を理解しているアルティナにリィンは笑いかけて頭を撫でる。

 

「それにしてもツァイスか……」

 

 ふと、アネラスが感慨深く呟いた。

 

「たしかリベールの導力器を一手に製造している工房都市でしたよね?」

 

「うん。でもツァイスと言えばやっぱりエルモ温泉っ!」

 

「温泉ですか?」

 

「あ……温泉っていうのはね――」

 

「いえ、それは知っていますよ。ユミルにも温泉はありましたから」

 

「そうなんだ。ふふ……アルティナちゃんとお風呂……ふふふ……」

 

 なんだか不埒なことを考えているアネラスにリィンは白い目を向け、首を傾げた。

 

「あれ? もしかしてアネラスさんも一緒に来るんですか?」

 

「当然っ!」

 

 さも当たり前だと親指を立てるアネラスだが、すかさずルグランがそれに異を唱えた。

 

「何を言っておる。お前さんは来月の武術大会の出場のために休暇申請を出しておるじゃろ?」

 

「…………え゛っ……?」

 

「当然、それまで長期休暇はなしじゃ」

 

「ええっ!? そんなぁっ……」

 

 心底残念そうな悲鳴がギルドに響き渡った。

 

 

 

 

 

 二人分の旅支度を終わらせ、リィンはアルティナを寝かしつけるといつものように気配を消してギルドから抜け出す。

 

「今日中に何とかものにしないとな」

 

 夜の静寂に満ちた街道を歩きながらリィンは独り言を呟く。

 我侭を言うならばツァイスに行くことをリィンは反対したかった。

 誰かの知的好奇心のためにというのも納得がいかないが、何よりも鬼の力を制御する機会がなくなってしまうのが嫌だった。

 

「もう少し……もう少しなんだ……」

 

 ツァイスに行ってしまえば、こうして一人で鬼の力を引き出す特訓をすることはできない。

 ルーアンで得た感覚を逃さずに自分のものにするにはもう今日しか時間がない。

 

「こうなったらもう少し踏み込んで――っ!?」

 

 突然の殺気にリィンは前に転がるように地面を蹴った。

 直後、リィンが呑気に歩いていた頭上から黒装束が剣を振りかぶって落ちてきた。

 

「黒装束っ!?」

 

 ルーアンでやりあった衣装と似た装備の襲撃者にリィンは太刀を抜いて身構え、周囲をうかがう。

 目の前の黒装束一人以外に気配はない。ないのだが……

 

「黒装束……?」

 

「はぁっ!」

 

 口上もなしに襲い掛かってきた黒装束の剣を受け止める。

 

「くっ……いきなり何をっ!?」

 

「おいおい敵を前に随分と呑気だなっ!」

 

 鍔迫り合いから前蹴り。

 突き飛ばされ、バランスを崩した所に黒装束はすかさず追撃を仕掛けてくる。

 

 ――強い……

 

 ルーアンで戦った黒装束よりも強い目の前の敵にリィンは危機感を募らせる。

 何故、自分が襲われているのか理解できないが好都合でもあった。

 あの時の再現。この敵になら鬼の力をぶつけても構わないと暗い思考が過ぎる。

 

「させねえっての!」

 

 しかし、黒装束はそれに意識を集中させないように息を吐かせない連続攻撃を浴びせてくる。

 

「はっ、やっぱり異能がなければただのガキだな」

 

「くそ……」

 

 防戦一方になりながらリィンは打開策を必死に考える。

 もっとも、意図して引き出さなくてもこのまま追い込まれれば勝手に鬼の力が暴走する予感もあった。

 それならば状況に流されてもいいかと消極的にリィンは考えて――

 

「八葉一刀流も大したことないなっ!」

 

 その言葉にリィンの意識が変わった。

 

「…………舐めるな」

 

「っ……」

 

 黒装束の剣を弾き、返す刃で一閃。

 咄嗟に退いた黒装束に届かなかったものの、距離が生まれる。

 鬼の力を引き出す余裕ができるが、それをせずにリィンは呼気を整え、丹田に力を込め太刀を正眼に構える。

 

 ――馬鹿か俺はっ!

 

 意識を研ぎ澄ませながらもリィンは自分を罵倒する。

 いつの間にか鬼の力を使うことばかり考えていた自分を恥じる。

 

「八葉一刀流『初伝』……参るっ!」

 

 リィンが斬りかかり、黒装束はそれを剣で受け、斬り返す。

 激しい剣戟の音が夜の森の中に何度も響く。

 

「おおおおおっ!」

 

 雄叫びを上げ、リィンは渾身の力を込めた一閃を薙ぎ払った。

 刃を返した、峰の一撃を受けた黒装束のその場に崩れ落ちる。

 リィンは荒くなった息を整えながら太刀を鞘に納め、月光に照らされた黒装束を見下ろした。

 

「……一つ言わせてもらいますが」

 

「くっ……俺など所詮は下っ端、重要な情報など――」

 

「その黒装束にそのリボンはどうかと思います」

 

「…………」

 

「…………」

 

 奇妙な沈黙が二人の間に流れる。

 黒装束は無言で頭に手をやり、手探りでそれを見つけると無造作に解いて懐にしまった。

 

「あーっ!」

 

 草むらの中からよく知った声が聞こえてくる。

 

「えっと……そのお疲れ様でした。お先に失礼します」

 

「おう……」

 

 居たたまれなくなったリィンは黒装束に頭を下げて、ボースへ踵を返した。

 

「ああ、そうだ。これだけは言っておく」

 

 しかし、何かを思い出したかのように黒装束に呼び止められて足を止める。

 

「お前は鬼の力なんかに頼らなくても十分に強い。それだけはちゃんと覚えておけ」

 

「…………ありがとうございます」

 

 もう一度頭を下げ、リィンはその場を後にする。

 背後で二人の男女が言い争いをしているが、聞こえないふりをしてリィンは空を見上げる。

 

「はぁ……敵わないな本当に……」

 

 歩きながらリィンは改めて自分の未熟さに嘆く。

 秘密にできていたと思っていたが、それは見逃されていただけだった。

 今の一戦で鬼の力への手応えは完全に抜け落ちてしまったが、今はむしろ清々したような気持ちだった。

 むしろ別の手応えが確かなものとしてリィンの中にあった。

 ギルドに戻り、いつものように極力音を立てないように身を綺麗にし、アルティナが寝ていることを確認してから自分のベッドに横になる。

 

「ん……」

 

 不意にアルティナが身を起こす。

 

「アルティナ?」

 

 眠たげな眼を擦りながらアルティナはリィンを見ると自分のベッドから抜け出て、そのままリィンのベッドに潜り込む。

 

「お、おい……何を?」

 

 隣で丸くなるアルティナに何かを言おうとするが、すぐに彼女の寝息が聞こえてきてやめる。

 

「……アルティナにも心配をかけたみたいだな」

 

 服の裾を掴んで放さないアルティナにリィンは苦笑しながら、その頭を撫でる。

 改めて横になるとすぐに眠気はやってきた。

 この二週間、騙し騙しに寝てはいたが身体の疲労は限界のようだった。

 

「おやすみ……アルティナ……」

 

「ん……」

 

 返ってきた寝言のような返答にリィンはもう一度苦笑し、眠りについた。

 翌朝、リィンはボースに来て初めて寝坊した。

 

 

 

 

 

 


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