(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

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14話 銀の子供

「被告、リィン・シュバルツァー……何か申し開きはあるかな?」

 

「いや……これは何ですか、いきなり?」

 

「もちろん、おと――じゃなくてリィン・シュバルツァーの裁判だよ……

 リィン君、君は人としてやってはいけない罪を犯しました」

 

「それは……」

 

 厳かな口調から出てきた言葉にリィンはアネラスが怒っていることを察する。

 自分は潔白だ。

 そう言えないほどにルーアンでの行動は波乱万丈に満ちていた。

 

「えっと……メイベル市長の許可があったとはいえ、悪漢に自分から挑んだことでしょうか?」

 

「子供達を無事守り通したから、それはいい」

 

「……やっぱり皇族の名前を騙ったからでしょうか?」

 

「そんな瑣末なことじゃなくて」

 

 ――俺にとっては全然瑣末ではないのだけど……

 

「リィン君。私もね、リィン君の気持ちが分からないわけじゃないよ……

 可愛い子を見たら、ついお持ち帰りしたくなる気持ちはじゅーぶんに理解できることだよ」

 

「はぁ……」

 

「でも、それを本当にやっちゃったら犯罪なんだよ。お姉ちゃんはリィン君をそんな子に育てた覚えはないよっ!」

 

「いや……アネラスさん。言いたいことは分かるんですけど――」

 

「少しは落ち着け馬鹿者」

 

 肩を掴んで涙目で揺さ振って来るアネラスをなんとか宥めようとして、リィンの代わりにカルナの拳骨がアネラスの頭を叩いた。

 

「ううーカルナ先輩。だって弟君が……弟君がこんな可愛い子をお持ち帰りしてくるなんて……」

 

 アネラスが指を指したのはリィンの服の裾を掴んで張り付くように寄り添う小さな女の子だった。

 流れるような透き通る長い銀色の髪。

 透き通った白い肌。

 薄い緑の瞳には何の感情も感じない。

 そんな人形じみた容姿の女の子は騒ぐアネラスのことなど気にもしないのか、俯いて無表情を保っていた。

 

「その子については私からちゃんと説明してやる……

 ルグラン爺さんにも意見を聞きたいからすぐに呼んできて――」

 

「もう来とるぞ。リィン君が帰って来たようじゃが、何の騒ぎじゃ?」

 

「ルグランじいさん、弟君が……弟君がグッジョブなんです!」

 

「アネラスさん、本音が出てますよ」

 

 固く拳を握るアネラスにリィンは呆れつつ、女の子を促す。

 

「さ、ここに座って」

 

「……………ん」

 

 そう言うリィンの顔を女の子は数秒見上げ、こくりと頷いてリィンが引いた椅子に座る。

 よくできたと、リィンは女の子の頭を優しく撫でて自分の椅子を取りに行こうとして抵抗を感じた。

 

「えっと……少しの間だけ手を放してくれないかな?」

 

 未だに服を掴んで放さない女の子に頼むが、女の子はじーとリィンを見るだけで何の反応も示さない。

 

「リィン、君はその子と一緒に座っていろ」

 

 と、カルナがリィンが座る椅子を差し出してくれる。

 

「ありがとうございます。カルナさん」

 

 礼を言ってリィンは女の子の隣に椅子を置いて座る。

 

「ふむ……どうやら訳有りのようじゃな」

 

 女の子の様子にルグランは察してくれる。

 説明を聞くために、ルグランはリィンたちの対面に座り、アネラスは素早くジュースを用意して女の子の前に出していた。

 

「はい、どうぞ」

 

 しかし、女の子は無反応だった。

 アネラスの方を見向きもせず、真っ直ぐに虚空を見つめている。

 あまりの無反応振りにアネラスは困惑した表情をリィンに向ける。

 

「ほれ、アネラス。さっさと席に着かんか。話が始められないじゃろ」

 

「あ、はい」

 

 ルグランに促されてアネラスも席に着く。

 

「さて、それじゃあ話をさせてもらうよ」

 

 カルナが仕切り、事の経緯を話し始めた。

 

 

 

 

「うう……」

 

 リィンはボース行きの定期船の中で唸っていた。

 

「大丈夫、リィン君?」

 

「はい、なんとか……」

 

 気遣ってくるメイベルに言葉を返すリィンだがその顔色は血の気が失せていて白い。

 それは乗り物酔いのせいではなく、昨日のルーアン市長の逮捕劇の疲労が後を引いていたからだった。

 慣れない徹夜に、連日で鬼の力を行使したこと、極め付けは自国の皇族の名前を騙った心労でリィンは倒れた。

 丸一日眠ってしまったが、メイベル市長も事情聴衆を受けたりして、ボースに帰る予定は翌日となっていた。

 もっともリィンの体調が完全に快復したわけではなく、当初の仕事である市長の護衛という役割は果たせる状態ではなかった。

 

「リィン君、こちらをどうぞ」

 

「ありがとうございます。リラさん」

 

 差し出された飲み物を受け取って礼を述べる。

 それを一口飲んで、息を吐いて傍らに控えるカルナにリィンは改めて頭を下げた。

 

「すいません、カルナさん。お手数をお掛けして、それに護衛まで代わってもらって」

 

「気にしなくて良いよ。君には市長の逮捕で随分と負担をかけてしまったからこれ位は当然だ」

 

「私もごめんなさい」

 

 メイベルも一緒に頭を下げる。

 

「本来なら私が止めるべき立場だったのに」

 

「いえ、最終的に決めたのは俺ですから」

 

 実際にダルモア市長の行為に憤りを感じていたのはリィンも同じだった。

 方法は確かに問題ばかりだったが、成果は出ているのだから文句はない。

 強いてあげる問題は最後の最後で自分が心労で倒れてしまったことだろう。

 王国軍にダルモア市長の追及について詳しく話すことになり、当然リィンが帝国の皇族の名前を騙ったことは知られてしまった。

 そして最悪なことにその場に新聞記者が居合わせて居たことだった。

 

「終わった……」

 

 それを聞いた時のリィンの第一声はそれだった。

 新聞記者はエステルたちの知り合いで口止めはしてくれたらしいが、会ってもいない他人をそこまで疑わずに信じることはできない。

 

「まあ、アランドールさんが上司に掛け合ってくれるらしいですから、期待しないで沙汰を待ちますよ」

 

 ルーアンを出る際に、ふらりと現れたレクターがそんなことを言ってくれた。

 自信満々でオリビエと関係がある家柄みたいだが、流石に一貴族が皇族を説得することができるとは到底思えない。

 

「今度の手紙には勘当していたっていうことにしてくれって書かないとな……」

 

 そうしておけば罪は自分の首一つで済むはずだ。

 そう開き直ったらもう何も怖くなくなってきた。

 

「ちょっとリィン君しっかりしてっ!」

 

「はっ……」

 

 ネガティブな方向へ堕ちかけた思考が身体を揺すられて我に返る。

 

「大丈夫です。俺が勝手にやってみんなを騙していたことにしておきますから、エステルさんたちやメイベル市長にも迷惑は――」

 

「とにかく落ち着きなさいっ!」

 

 一喝されてリィンは肩を竦ませて黙り込む。

 

「今回の件に関しては、私も帝国政府に手紙を送ります」

 

「いやそれはまずいですよ。主犯は俺とアランドールさんってことにしておかないと国際問題になってしまいますよ」

 

「だからと言って、リベールの内政の問題に帝国の子供達を利用して、何もしないなんてそれこそ問題よ……

 大丈夫、話を聞いたリシャール大佐とユリア中尉も帝国に感謝状を送るみたいだから、もちろん遊撃士協会もね……

 だから、そんなに悪いことにはならないわよ」

 

「…………何というか……申し訳ありません」

 

 自分の軽率な行動でそれだけの偉い人たちがフォローに回ってくれていると聞くと居た堪れなくなる。

 

「むしろそれは私達のセリフなんですけどね」

 

 それでも念のために家族にいざという時は勘当して欲しいと手紙は書いておくべきだろう。

 そんなことを密かに決意していると、視界の隅に違和感を覚えて意識がスイッチが入ったように切り換わる。

 

「カルナさん……」

 

「ん、どうした?」

 

「あの男なんですが……怪しくないですか?」

 

「…………確かに」

 

 一見すればどこにでもいる壮年の男性。

 しかし、彼の脇に置いてある手荷物のトランクがありえなかった。

 保安管理のため、一定以上の大きさの荷物は貨物として預けることが決まりになっている。

 しかし、そのトランクは規定で考えるならどう見ても船内には持ち込めない大きさだった。

 不意に男が立ち上がる。

 

「ところでリィン君、話は変わるが――」

 

「はい。何でしょうか?」

 

 通路をこちらに向かって歩いてくる男からリィンは視線を外し、カルナが振った他愛のない雑談に乗る。

 男がすれ違うその時、リィンたちを見てかすかに笑う気配がした。

 そのまま男は甲板に通じる扉から出て行く。

 

「カルナさん」

 

「ああ……」

 

 会話を切り上げて、二人は席を立つ。

 甲板に出ることは何も珍しいことではない。

 しかし、一見すれば相応の貴重品とも思えるトランクを置いていくのはどう考えてもおかしかった。

 

「リィン君。君はあのトランクをここから見張っていてくれ。誰かが触ろうとしたり、近付いたら止めてくれ……

 リラさんは乗組員を呼んできてくれ」

 

「私はどうしますか?」

 

 矢継ぎ早に指示を出していくカルナに呼ばれなかったメイベルが尋ねる。

 

「メイベル市長は大人しくしていてください」

 

「そんな……」

 

「お嬢様、御自重ください」

 

 しょんぼりとするメイベルは肩を落とすが、こればかりは譲れない。

 もっとも、リィンのすることはその場から動かないのでやっていることは地味だった。

 一抱えもある大きなトランク。

 

「ねえ、リィン君。あの中に何が入っていると思う?」

 

「メイベル市長、もしかして楽しんでませんか?」

 

「実は少しだけね」

 

 そうおどけて見せるが、彼女の目は言葉とは違って真剣みを帯びていた。

 

「でも、ちょっと信じられませんね……

 まだ空賊事件から一ヶ月くらいしか経っていないはずなのに、あんな荷物を見過ごすなんて」

 

「そうね。特別な許可を得て持ち込むことができるケースもあるんだけど、その場合はそれが分かるようにタグをつけられるんだけど」

 

「少なくとも、ここからは確認できま――え?」

 

「どうかしたのリィン君?」

 

「今、動いた」

 

 と言った所でまたトランクが揺れた。

 定期船の震動によるものではない不自然な揺れ、トランクは独りでに揺れて重そうな音を立てて倒れた。

 

「わっ!?」

 

 近くにいた乗客がその音に驚き、場違いなトランクに気が付く。

 リィンは席を立って、トランクに近付く。

 

「触らないで下さい。今遊撃士の方が対処しています。どうか慌てずに離れていてください」

 

「は……はい」

 

 不気味なトランクの存在に乗客たちは距離を取る。

 その間にも、トランクは二度三度と不自然に動く。

 まるで、その中に生き物でも入っているかのようだった。

 

「まさか……」

 

「リィン君、警備の方をお連れしました」

 

「ありがとうございます。リラさん。メイベル市長と一緒に少し離れていてください」

 

「それが怪しい荷物ですか?」

 

「はい。これの所有者らしき人物は今、遊撃士の方が探しています……

 ですが、これは許可をされて持ち込まれたものなのでしょうか?」

 

「いや、今日の乗客にそんなものを持ち込んだ人はいなかったはずだ」

 

「それじゃあ、目を盗んで運び込まれたもので間違いないですね」

 

 と、そこでカルナが出て行った扉とは逆の扉から戻ってきた。

 しかし、件の男の姿はどこにもなかった。

 

「カルナさん、さっきの男は?」

 

「おかしなことに何処にも見当たらなかった。その様子だと私が甲板に出ている間に戻ってきたわけじゃないだろうな」

 

「ええ、一応は気に掛けていましたがそれらしい人物は戻ってきてません」

 

 空の上で逃げ場なんてないはず。

 甲板の扉は二つあるから、カルナが外に出た時に逆の扉から戻ってくることも可能だが、そこはリィンも注意していた。

 

「まさか飛び降りて脱出したとか?」

 

「いや、そんな目立つ行動をしていれば騒ぎにならないはずがない。そっちは何かあったのか?」

 

「実は――」

 

 リィンはカルナにトランクが勝手に動いたことを説明する。

 

「……その場合、トランクの中身で考えられるものは二つだ」

 

「二つもあるんですか?」

 

「一つは魔獣の密輸」

 

 ありえないことではないだろう。

 ダルモア市長が魔獣を飼っていたことはリィンの記憶に新しい。

 

「もう一つは?」

 

「子供の誘拐だ。だが、どちらも定期船を利用するなんてリスクが高い運搬を行うとは到底思えないがな」

 

 確かにトランクの大きさを考えれば、小さな子供くらいなら入れられるだろう。

 それにしてもルーアンから飛び立って、一時間ほど経つ。

 もしもトランクの中身が子供だとしたら、逸りそうな気持ちを抑え込んでリィンはカルナに指示を仰ぐ。

 

「…………どうしますか?」

 

「とりあえず、中身を確かめてみる必要があるのは確かだ」

 

「それなら俺が開けますから、カルナさんは一歩下がって警戒をしてください」

 

「いや万が一を考えるなら私が――」

 

「それならなおのこと、カルナさんはすぐに対処できるように構えていてください」

 

 もし中身が魔獣なら開けたと同時に襲い掛かってくる可能性は高い。

 今のリィンは護衛ではないので、太刀は貨物として預けて手元にはない。

 なのでサポートとして後ろに控えても大したことはできない。

 むしろ、カルナに迎撃してもらった方が安全だろう。

 

「……そうだな……だが、あたしの指示に従ってもらうよ」

 

「はい」

 

「まずは外見をよく観察しろ」

 

「はい……止め具が二つ。鍵の類はありません。名札のプレートには『Oz70』と刻印されています。それから側面には穴……?」

 

 よく見るとトランクの側面には複数の網状の穴が空いていた。

 何のためにと首を傾げながらリィンはそこに耳を寄せてた。

 

「カルナさん」

 

「どうした?」

 

「呼吸音が聞こえました……カルナさんが言ったとおりこの中には生き物が入っています」

 

「臭いは? 獣臭ければ魔獣で間違いはないが」

 

「いえ、特にそういう臭いは感じません」

 

「そうか……なら三カウントで開けてくれ」

 

 カルナは許可を得て持ち込んでいる導力銃を構える。

 

「分かりました」

 

 両脇の止め具を外し、リィンは緊張に息を飲んでからカウントを開始する。

 

「3……2……1……っ!」

 

 トランクを開ける。

 リィンが最初に見たのは突然の眩しさに目を細める薄緑の瞳だった。

 

 

 

 

「それがこの子か」

 

 ふむっと、ルグランは銀髪の女の子を見て唸る。

 ぼうっと虚空を眺めている様はそれこそよく造られた人形のようで人間味はない。

 出されたジュースにまったく手を出そうとしないし、会話の合間にアネラスが何度か彼女の気を引こうとしていたが、全て空振りに終わった。

 しかし、彼女が本物の人間だということは触れた手の温かさから疑いようはない。

 

「ちなみに名前は何と言うんじゃ?」

 

「それが何もしゃべってくれないんですよ」

 

「それは……いや無理もないか。想像する限りでは相応の怖い目にあったはずじゃからの」

 

「ええ、俺もそう思います」

 

 今もなおリィンの服を掴んで離さない無表情な女の子。

 誘拐され、大きなトランクとはいえそんなところに押し込まれた女の子の恐怖は想像もできない。

 おそらくはその時の心の傷が原因で心を閉ざしてしまったのだろう。

 

「――せない」

 

「アネラスさん?」

 

 そういえばいつからかずっとアネラスが黙っていることにリィンは気が付く。

 正義感の強い彼女がこんな話を聞けば、それこそ――

 

「許せない!」

 

 声を大にしてアネラスは勢いよく立ち上がる。

 弾かれた椅子が音を立てて倒れ、それらの音に女の子はびくりと身体を震わせる。

 

「あ……ごめんね……」

 

 憤慨した表情は一変して女の子に申し訳なさそうに笑いかける。

 

「まあ、アネラスの気持ちは理解できるがカルナよ。まだ話には続きがあるんじゃろ?」

 

「ええ、その後ボースに着いてから乗客を全員チェックしたんですが、やはりそれらしい男はいませんでした」

 

「ふむ、そうか……あとで人相書きを作るとしても、そやつを見つけるのは難しいじゃろうな」

 

 空の上から消えた段階で普通ではない。

 また、乗客の名簿にもそれらしい男の名前は存在していなかった。

 

「リィン君、オーバルカメラで二、三枚この子を撮ってくれるかの」

 

「はい。分かりました」

 

 荷物からカメラを取り出して、女の子を撮る。

 

「それじゃあ俺はこれを現像してきますけど……」

 

 リィンは席を立つが、当然のように女の子は掴んだ服を放さない。

 

「大丈夫だよ。ここには君を怖がらせる人は一人もいないから、安心してくれ」

 

 頭を撫でながら諭すが、女の子はじーっとリィンの目を見つめたまま、やはり手を放してくれない。

 

「えっと……」

 

「…………(じー)」

 

「いい子だから、な」

 

「…………(じー)」

 

「えっと……」

 

「ふむ、アネラスや」

 

「はーい」

 

 ルグランの呼声に応えてアネラスはひょいっとリィンの手からカメラを抜き取った。

 

「あ……」

 

「現像は私が行って来るよ。弟君は……そうだね。その子をシャワーに連れてって洗って上げて」

 

「分かり――って、ちょっと待ってください」

 

「どうしたの?」

 

「何でそこで俺が変なことを言ったみたいな顔をするんですかっ!

 俺は男ですよ。普通頼むならカルナさんでしょっ!?」

 

「私は構わないが、あんたから離れようとしないだろ?」

 

「うむ、おそらくは刷り込みの一種じゃろうな。トランクを開けたリィン君を親ではないが、それに似た存在と認識しておるのじゃろ」

 

「それでも――」

 

「弟君、まさかこんな小さな子に不埒なことを考えているんじゃないよね?」

 

「そんなわけありませんっ!」

 

 年の背は先日会ったミリアムと同じか、少し下くらい。

 当然、妹のエリゼよりも幼いし、異性を意識するには幼過ぎる。

 健全な男として、女の子に興味がないわけではないが特殊性癖なわけではない。

 

「なら大丈夫だよね?」

 

「うぐ……」

 

 自分が言った手前、それ以上の反論はできなかった。

 

「わかりました」

 

 無理矢理引き離す。とも考えたが、助けられたばかりでそれをやってしまうのは気が引ける。

 

「あ、でも……」

 

「まだ何かあるんですか?」

 

「不埒なことしちゃダメだからね」

 

「しませんよっ!」

 

 

 

 

「どうしてこうなったんだろ……」

 

 何だか近頃その言葉が口癖になっているような気がした。

 

「はぁ……」

 

「ん?」

 

 リィンのため息に女の子は首を傾げる。

 

「ああ、君のせいじゃないよ」

 

 目の前の女の子が悪いわけではない。

 諸悪の根源は定期船ですれ違ったあの男だろう。最後に見せたあの蛇のような笑みに今更ながら腸が煮え繰り返る。

 が、今はそんなことを考えている場合ではないと意識を切り替える。

 

「さてと……」

 

 この子がどれだけの時間あのトランクの中に入れられていたか分からない。

 感情が欠如、麻痺してしまっていたとしてもそこはやはり女の子だから身綺麗にしてあげないといけないことはリィンも分かる。

 ここで仮にアネラスやカルナに代わってもらったとしても、この子が自分から離れようしない限り、それは問題の先送りにしかならないだろう。

 昔、エリゼと一緒にお風呂に入っていた時のことを思い出しながらリィンは女の子に話しかける。

 

「服は自分で脱げるかな?」

 

 リィンの問いに女の子はやはり無反応だった。

 

「嫌だったら、嫌がってくれよ」

 

 そう言い聞かせはしたが、女の子は抵抗らしい抵抗もせず、言われるがまま、されるがままに服を脱がされていく。

 

「身体に暴力の痕はないか……」

 

 身体中に痣がある。

 なんて想像をしてもいたのだが、服の下の肌にそれらしい傷跡は見当たらなかった。

 ほっと一息吐いて、リィンは脱がした服を置こうとして固い感触に気が付いた。

 

「何だ……?」

 

 探ってみると、懐中時計に似たオーブメントが出てきた。

 

「これは、戦術オーブメント?」

 

 何でこんなものが女の子の服の中に入っていたのだろうか。

 戦術オーブメントはその名の通り、戦闘のためのオーブメント。

 まだ二桁に届くか届かないかの女の子が持つものではない。

 それでも彼女の持ち物だったことから、何か彼女の身元が分かる手がかりがないかと思ってリィンはそれを調べる。

 そこには型式番号と思われる刻印と、名前だと思われる文字の刻印があった。

 

「…………『Oz70』……あ、アルティナ……?」

 

 その名前に女の子は反応した、気がした。

 

「君の名前はアルティナって言うのかい?」

 

「ん」

 

 リィンの問いかけに女の子、アルティナは小さく頷いた。

 

「そっか、ありがとう。教えてくれて」

 

 小動物みたいな動きに苦笑してリィンはアルティナの頭を撫でる。

 

「そういえば俺の名前を教えてなかったな。俺はリィンって言うんだ。分かるかな?」

 

「ん」

 

 アルティナは頷いて口を小さく開く。

 しかし何度も口を動かすが、そこから音が発せられない。

 そんな痛々しい姿にリィンは顔をしかめた。

 

「無理しなくて――」

 

「くしゅん」

 

 小さなくしゃみをするアルティナに言葉を遮られたリィンは思わず固まり、苦笑する。

 

「とりあえず、先にシャワーを浴びるか」

 

 考えるのは後でいいと割り切って、戦術オーブメントを置く。

 リィンはそのままアルティナの手を取ってシャワールームに連れて入った。

 

 

 

 

「ただいま、上がりました」

 

 リィンは袖を幾重にも折ったぶかぶかのズボンと同じくぶかぶかのシャツを着せたアルティナを連れて談話室に戻る。

 そこにはすでにアネラスが戻ってきていた。

 

「くっ……このアンバランスさがなんとも言えない位に可愛い」

 

 胸を押さえて蹲るアネラスにリィンはなんとも言えない気持ちになる。

 可愛いものが好きなのはすでに知っていたが、アルティナを前にしてから尊敬できる姉弟子の威厳が音を立てて崩れていっている。

 一人で身悶えているアネラスにため息を吐いて、リィンは男の人相書きを作っているルグランとカルナに言葉をかける。

 

「この子の名前が分かりました」

 

「本当? しゃべったの?」

 

 が、真っ先に反応したのはアネラスだった。

 

「いえ、名前はこの子が持っていたこれで分かりました」

 

 リィンはテーブルの上に先程の戦術オーブメントを置く。

 

「え? 何でこんな物をこの子が? 本当にこの子のなの?」

 

「少なくともそこに刻印されている名前に反応してくれたのは確かです。な、アルティナ?」

 

「ん」

 

 呼びかけられてアルティナは頷く。

 

「そっか、アルティナちゃんって言うんだ。よしよし」

 

 嬉しそうにアネラスはアルティナの頭を撫でる。

 

「ふむ、それにしても戦術オーブメントが唯一の持ち物とはの……」

 

 ルグランがそれを手に取って調べる。

 

「どうやら型式番号もしっかり登録されておるようじゃな……これなら案外早く、親御さんの下に――むっ」

 

「どうしたのルグランじいさん?」

 

「アネラス、これは戦術オーブメントなのか?」

 

「何言ってるのルグランじいさん、少し大きいけど戦術オーブメントの形を――えっ?」

 

 操作盤を覗き込んでアネラスも同じ様に顔をしかめた。

 

「何これ? スロットが7つもある……それに中央の大きなクォーツは何?」

 

 困惑するアネラスにリィンは首を傾げる。

 

「もしかして戦術オーブメントじゃなかったんですか?」

 

「何言ってるの弟君、もうクォーツ盤から別物じゃない」

 

「って言われても、俺は戦術オーブメントをちゃんと見たことないから分からないんですけど」

 

「……え?」

 

「何じゃと?」

 

「おいおい……もしかしてあんた、戦術オーブメントを持ってないのかい?」

 

「はい。あれは民間人が持つには資格が必要でしたし、オーダーメイド製だから高い物ですから」

 

「そういえばそうだったね。遊撃士なら当たり前に支給されるけど弟君はそうじゃないもんね」

 

 ――あれ? それを考えると民間人なのにオリビエさんとクローゼさんは当たり前のように持っていたな……

 

 そんな疑問が浮かぶ。

 オリビエは一応貴族のようだし、クローゼの立ち振る舞いは上流階級の人間だと予測できる。

 そう思えば護身用に持たされていてもおかしくはないのかもしれない。

 と、そんなことを考えているとアネラスが自分の戦術オーブメントをテーブルの上に置いた。

 

「これが私が使ってる戦術オーブメントだよ」

 

 同じ手の平大の大きさだが、先程アネラスが言ったとおり一回り小さい。

 しかし、フレームの造りは同じに見える。

 

「俺には大きさくらいしか違いが分からないんですけど」

 

「戦術オーブメントは中のスロットにクォーツをはめる事で導力魔法、アーツを使えるようになる……

 他にも身体に様々な効果があるんだけど、それは今は置いておくとして……

 私の戦術オーブメントのスロットは6個。でもそのオーブメントのスロットは7個あるの、しかもその内の一つは見たこともないクォーツが嵌っている」

 

「確かにそうですね」

 

 アルティナのオーブメントを見れば、その中央のクォーツが周りのそれに比べて大きく、中に文様が刻まれていた。

 

「もしかすれば新型戦術オーブメントかもしれんな」

 

「新型オーブメント?」

 

 ルグランの言葉にアネラスとカルナが反応する。

 

「うむ。まだ確定した話ではないのだが、エプスタイン財団が新しい戦術オーブメントを開発している話がある……

 数ヵ月後に、7スロットの戦術オーブメントを発表する話があるらしい」

 

「仮にこの戦術オーブメントがそれだったとしても、どうしてこの子がそれを?」

 

「もしかして、アーツ適正が高いからテスターに選ばれたのかな?

 ツァイス工房でも、私が準遊撃士の頃にいた時、アルティナちゃんと同じくらいのすっごく可愛い子が普通に工房に出入りしていたし、ありえない話じゃないと思いますよ」

 

 アネラスの意見にルグランは少し考え込む。

 

「とりあえずエプスタイン財団に連絡をしてみるかの。一応写真は各地方のギルドに掲示しておくようにはしておく。当面はそれで様子見じゃの」

 

「写真はルーアンに戻るついでに各地を回って、私が配っておこう」

 

 そう言ってカルナが現像してきたばかりのアルティナの写真を受け取る。

 

「それじゃあ、アルティナちゃんは当分うちのギルドで預かるんですか?」

 

「ま、リィン君から離れんからそうなるじゃろ……

 迷子、ではないが子供の保護も遊撃士の立派な仕事……その子の世話、頼んでもいいかの?」

 

「ええ、構いませんよ」

 

「はいはいはいっ! 私もアルティナちゃんのお世話しますっ!」

 

「お前さんは遊撃士の仕事があるじゃろ」

 

「でも……」

 

 名残惜しそうにこちらを見るアネラスにリィンは苦笑する。

 

「手の空いている時に、アネラスさんも手を貸してくれるとありがたいですよ」

 

「うん、やるやる」

 

 コロコロと表情を変えて嬉しそうにするアネラスにリィンは苦笑する。

 果たしてアルティナの親御さんを無事に見つけて引き取られる時、アネラスはどんな顔をするのか、今から少しだけ不安だった。

 

 だが、当初はすぐに判明すると思われていたアルティナの身元は予想に反して何も進展しなかった。

 アルティナの戦術オーブメントはエプスタイン財団で開発されているものとは全くの別物であり、『Oz70』という型式番号もそもそもそんな製品は存在していない。

 各地方に掲示した写真からも目撃情報はなく、また捜索願を出されている子供もどこの地方にもいなかった。

 結局、アルティナは身元不明のまま、ボースでそのままリィンが世話をし続けることとなった。

 

 

 




 このアルティナは『Oz70』でありますが、原作の『Oz74』とはほぼ外見は歳の差以外はほぼ同じです。設定は九歳前後。
 彼女の名前が次代の原作のアルティナに再利用されたのか、それとも彼女が記憶を消されてアップデートされて『Oz74』となるかはまだ秘密です。
 クラウ=ソラスは出てきません。



黒兎「不埒です。不埒過ぎます」

リィン「そういうことは一人でシャワーができるようになってから言うんだな」


テオ
「息子の手紙を楽しみにしていたら、もしもの時は勘当していたことにしてくれと書かれていた。
 次の日にはリベール女王とその国の有力者達と遊撃士協会からの感謝状。そして皇帝陛下からのお褒めの言葉を賜った書状が届いた。
 息子にいったい何があった?」



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