「ダメダメ、もっと動きに抑揚をつける! 指の先まで神経を張り巡らせて意識しなさいっ!」
「は……はい」
イリアの叱責にリィンは荒い息を吐きながら舞台の上を駆け回る。
「リィン君、ペースが落ちて来てますよ。分け身の基本は離れた場所に自分のイメージをすることが大事なんです……
だからまず他人の動きをトレースすることから始めるんです」
後ろに目がついているかのようにリーシャはリィンの遅れを指摘するが、あえて置き去りにするように踊るペースを上げてリィンを引き離す。
「くっ……」
リィンは歯を食いしばり、それに追従する。
「いかんぞリィン・シュバルツァー。追従している分け身の制御が乱れている。集中したまえっ!」
「うるさい黙れっ……」
ブルブランの野次に反発するようにリィンは分け身の操作に意識を振る。
「クスクス……ダメよリィン。分け身の維持に気を取られ過ぎ、纏っている焔が小さくなっているわよ」
「レンまで……」
「ほらちゃんと集中しなさい! リィン君、貴方はこのイリア・プラティエを超えられる逸材なのよ」
「は……はい……って何ですかそれはっ!」
リーシャを追い駆けることをやめてリィンは着地してイリアに怒鳴る。
「ちっ……」
イリアは目を逸らして舌打ちした。
「それにブルブランもレンもどうしてここにいるんだっ!」
いつの間にか当たり前のようにいる二人の執行者にリィンは汗を拭うことも忘れて半眼で睨む。
「ふ……何を異なことを……イリア・プラティエが望む魅せる戦技と言えば私が最も優れたアドバイザーだということは論ずるまでもないだろ?」
「レンはおじいさんが人形を卸しているアルカンシェルを利用しようだなんておバカさんがいるみたいだから、ちょっと協力して上げようと思ったの」
悪びれた様子もない執行者二人にリィンは言葉を詰まらせ、立ち入りを許可したイリアに矛先を向ける。
「ブルブランはともかく、どうしてレンまで立ち入りの許可を出したんですか?」
「え……だって明らかに普通と違う子供でしょ?
ヨルグさんとこの子って言う時点で無碍にできなかったし、人形繰りの戦技を教えてくれるって言うから別にいいかなって」
事も無げに言うイリアにリィンは思わず膝を着く。
「あ……あはは……」
そんなリィンの背後にリーシャは苦笑いを浮かべて降り立った。
「あら…………ふふ、お久しぶりね。一年ぶりくらいかしら?」
「え……?」
レンの含みのある言葉にリーシャは固まる。
「な、何のことでしょうか?」
「そんなに警戒しないで良いわよ。リィンが分かってて一緒にいるみたいだから、貴女じゃないのは分かったわ……
でも気を付けた方がいいんじゃないかしら? 分かる人には判っちゃうものよ」
「…………ふふ、ご忠告ありがとうございます。レンちゃん」
かすかな驚きをすぐに覆い隠し、リーシャは笑顔でレンに言葉を返す。
「それで……イリアさん、もう十分でしょ?」
不穏な気配を振り払うようにリィンは自分を舞台に上げたイリアに尋ねる。
「うん……そうね……分け身の見え方、闘気が作り出す焔や光の映え……うん、だいぶ参考になったわ」
イリアは顎に手を当て、今のリィンの動きを反芻しながら頷く。
「それはよかったです」
安堵の息を吐いてリィンは舞台から観客席に降りる。
リィンが舞台に上がって素人の演技をしたのは戦技を駆使した舞台映えの確認のため。
リーシャは未だに舞台で本気を出すつもりがないため、必然的にその確認作業はリィンがすることになった。
リーシャに先導されながら舞台を跳び回った時間はそこまで長くはない。
にも関わらず、リィンは全身にかなりの疲労を感じていた。
「それにしてもリィン君、随分と目が良いのね。リーシャの先導があったとはいえ、かなり近い良い動きだったわよ」
「ふ……それは当然だよイリア君。リィン・シュバルツァーはリベールの異変を生き抜いた《英雄》の一人……
数多の達人たちと戦い、その技を盗み取り、我が物にしてきた超帝国人にかかれば――」
「だ・ま・れ」
「おふ……この私を捉えるとは……また腕を上げたというのか……がくり……」
鳩尾を叩かれたブルブランはがくりと膝を着く。
「超帝国人? 何それ?」
「何でもありません」
「いや……何か面白そうだから――」
「何でもありません」
「…………はい」
有無を言わせないリィンの笑顔にイリアは冷や汗を浮かべながら追及することをやめた。
「あー……うん、それだけの目と真似をする才能があるなら本格的に舞台に上がってみるつもりはない?」
「遠慮しておきます。俺はこんな大舞台で演じるよりも、剣を振っている方が性に合っていますから」
観客のいない広いホールを見回してリィンは答える。
大舞台という意味では御前試合で同じような経験をしたが、あの時は観客よりも目の前の相手に集中していればよかった。
しかし、演劇の舞台となれば話は異なる。
「うーん顔立ちも良いし、絶対舞台映えすると思うんだけどなあ……」
「イリアさん、あんまり無理を言わないで上げてください……
それよりイリアさん、そろそろ時間です」
「あら、もうそんな時間?」
「確か通し稽古でしたよね? でも良いんですか?」
ブルブランとレンの二人に視線を送りリィンは尋ねる。
「ええ、構わないわよ。少しでもお客がいるならあたしたちも気合いが入るってものだし……
戦技の達人の視点から見てもらう舞台の感想もせっかくだから聞かせてもらえるかしら?」
「それくらいお安い御用さ……あの名高いアルカンシェルを貸し切りで観る事ができるならば安いものだ……
ふ……これも日頃の行いが良いおかげかな?」
「どの口が言うんだ」
すくっと立ち上がって、ブルブランはS席と区分される一番いい席に臆面もなく座る。
「ふふ……良いじゃない。ブルブランをここで味方につけておけば、当日の警備は万全になるんだから」
「それは……確かに……」
レンの指摘にリィンは不承不承に頷く。
そうこうしている内に観客席の照明は落ち、本番さながらの通し稽古が始まった。
「――ここは『ラの国』。天の女神の祝福と慈愛により大いなる繁栄を誇った古の王国」
男性のナレーションから始まった第一幕。
舞台衣装を纏ったイリアは鈴の音を鳴らして舞い踊る。
「っ……」
「これは……」
「へえ……」
これまで稽古でのイリアの舞は何度も見ていた。
その時もその圧倒的な舞に目と心を奪われたが、本番さながらの舞台はそれでさえ気が抜けていたのではないかと思わせる程に違った。
ものの数分でリィン達はイリアが演じる舞台に惹き込まれ、時間を忘れるように没頭する。
「…………ふむ……これはいかんな」
「え……?」
第一幕が終わりに差し掛かったところでブルブランが徐に呟き、同時にそれは起こった。
高く跳び上がったイリアの腰の辺りでボンッと小さな炸裂音が起こり、態勢を崩す。
もっともリィンが動くまでもなく、態勢を崩したイリアをリーシャが空中でキャッチして事なきを得た。
「イリアさん大丈夫ですか!?」
「あー……大丈夫、大丈夫だから落ち着きなさい」
「だって爆発が! 衣装に細工をされたんですか!? くっ……こんなことを見落とすなんて」
「だからそういうのじゃないって、とりあえず落ち着きなさい。ほら、みんなもっ!」
稽古を中断して、集まって来る役者たちにイリアはため息を吐く。
「まったくもう……騒ぎ過ぎだって」
「脅迫状があったんですからむしろ当然の反応ですよ……
それで何があったんですかイリアさん?」
「う~ん、たぶんだけど――」
ごそごそと爆発があった辺りをまさぐってイリアはそれを取り出した。
「やっぱりこれか……」
「それは戦術オーブメントですか?」
イリアが取り出したのは小さな懐中時計を思わせる戦術オーブメントだった。
「半分外れ。これは舞台用の言わば演術オーブメントよ……
導力魔法をロックされてるくらいしか、差はないらしいけど舞台で使うには十分だったんだけどなぁ」
「もしかして故障ですか?」
「そんな感じね……あーあ、こないだ整備に出したばかりなのに。団長、代わりのオーブメント持って来てくれる?」
「ちょっと良いかしら?」
いつの間に舞台に上がっていたレンがイリアの手から壊れたオーブメントを取ると真剣な眼差しで観察を始める。
「あの……どうかしたんですか?」
あまりに真剣な様子にリーシャが不安に駆られて尋ねる。
「たぶん交換しても同じように爆発しちゃうんじゃないかしら?
一般に普及している補助オーブメントは戦術オーブメントと比べると出力上限は低く設定されてるし、耐久力も低い……
今回の事故はお姉さんが戦技を覚えたことで負荷が上がったのが原因だと思うわ」
「戦技で負荷が上がった?」
「戦術オーブメントは使用者と同期しているから闘気の影響も受けてるの……
レンの見立てだと、お姉さんの闘気は武芸者のそれとは違っても量も質も引けを取らない程に濃い……
それこそこんな非戦闘用の補助オーブメントでは受け止め切れない程にね」
「そっか……なら仕方ないオーブメントはなしでやるしかないか」
「え……?」
「イリア君!?」
イリアから出た妥協の言葉にリーシャや劇団長たちは耳を疑った。
「何よ?」
「正気ですかイリアさん! だってイリアさんが舞台で妥協するだなんて! さっきの爆発で身体を悪くしたんですかっ!」
「これはいかん! すぐにウルスラ病院に連絡をっ!」
「落ち着きなさい。そんなんじゃないわよ」
取り乱す仲間たちをイリアは一喝して黙らせると、何故かリィン達に向き直る。
「あたしだって妥協するのは嫌だけど、問題が出て来ちゃったのよ。貴方は気付いていたんでしょ?」
「ふ……舞台の上からだと言うのに大した観察力だ」
イリアの言葉にブルブランが答えた。
「何か問題があったのかね? 私の目にはイリア君の演技のクオリティがさらに上がったようにしか見えなかったのだが」
「それが問題なのだよ劇団長殿……
イリア・プラティエは戦技を覚えて更なる高みに至ったのは確かだ……
今回の舞台ではまだ付け焼刃であり、そのほとんどを使っていないが基礎能力の向上という形での影響力は大きく出ているだろう……
それ故に、イリア一強のパフォーマンスの劇に成り下がってしまったのだよ」
「…………あ……」
「これで《月の姫》との対決の山場を迎えたら、ただ観客はその演技に心を奪われるだけで、ストーリーも何も心には残らないだろうな」
「そういうことよ……
確かにあたしやリーシャは舞台の主役だけど、それ以外の配役にだってみんな意味があるの……
それを無視してあたしだけワンマンで演じていても、そんなものは劇として二流よ」
ブルブランの意見を肯定するイリアはそれでもやるせないため息を吐く。
戦技を取り込んで覚えているのは何もイリアだけではない。
リーシャは始めから使えるとしても、他の団員達も練習の合間に気息の訓練をして闘気の運用を学んでいる。
異常なのはむしろイリアの成長速度の方だろう。
わずかな時間で闘気の操作を会得し、長足の進歩でその運用を身に付けてしまった。
「ところでイリア女史……
オーブメントについては私も口出しをできないが、舞台に関しては貴方が手を抜かずにクオリティを上げる案があるのだが、聞いてもらえるかな?」
その瞬間、リィンは嫌な予感を感じた。
「へえ……大した自信じゃない。良いわ言ってみなさい」
「今回の問題はいわば《動》の光が強過ぎるためにおきてしまったことだ……
ならば逆に《静》の影を濃くすることで意識をストーリーに注目させればいいのだよ」
「具体的には?」
「ナレーションを舞台に立たせ、隠形で気配を極限まで消しつつ、スポットライトを当てて存在感を持たせる……
そして暗転させて舞台から消えるのではなく、明るい舞台の中で煙のように消える……
それだけではない。分け身を駆使して舞台の端から端へと動かずに消えては現れる……
そんなイリュージョンを駆使して物語を語る《語り部》がいれば観客達の心を物語に引き込めるだろう」
イリアたちは熱を込めて訴えるブルブランの案を目を閉じて想像する。
「…………良いわね。それ……やるじゃないあんた」
「ふ……人の心の盗み方は私の得意分野なのだよハッハッハ!」
意気投合したようにブルブランはイリアたちの意見交換の輪に混ざる。
「姿を消す戦技の適正はたしかニコルが一番よね?」
「ああ、だけど今からプレ公演に間に合わせるのは無理だぞ? それにオレだって別の役があるんだからな」
「そうよね。なら見習いにプレ公演までにその技術だけ詰め込むか……」
「何を言っているのかなアルカンシェルの諸君!? 君たちが求める人材はそこにいるではないか!」
「…………え?」
ブルブランは仰々しい動作をつけてリィンを指差すと、一斉にイリア達はリィンを見た。
「分け身が使える……」
「隠形は分かりませんが、舞台で通用するレベルのものならリィン君だったらすぐに覚えられると思います」
「武術やっているから姿勢はいいし、声の通りも良いわよね」
「たしかまだ16歳だったよな? 衣装次第で性別を誤魔化してよりミステリアスな存在にできそう」
「ちょ……ちょっと皆さん落ち着いてください」
まるで肉食動物の群れから標的にされた草食動物のようにリィンはたじろぐ。
「あらあら、もしかしてリィンも役者としてデビューかしら?」
他人事のようにレンは楽しそうに微笑む。
「む、無理ですよ。俺は完全に素人なんですからっ!」
「大丈夫大丈夫、この役ならやることは動かずに台本を読み上げるだけだから、何だったら聖典みたいなものでも作って持ち込ませるのもありでしょ?」
「薄いベールで顔の輪郭はぼかして、髪はウィッグで増量して、服は性別が分からないようなゆったりとしたローブかな……
あはっ! 良い感じにできそうです!」
「俺はこの仕事が終わったら帝国に帰るんですよっ!」
「それも大丈夫よ。本公演までにはそれ用の子を育てれば良いし、プレ公演だけでいいから、ね」
「分け身に関しても最初は無理をせずに、同じ衣装を纏った人間を揃えればクリアできるだろう」
すかさずブルブランはイリアの案を補強する。
「い、依頼の内容から完全に逸脱しています」
「それならその依頼を更新しに行きましょうか」
イリアはリィンの右腕を取る。
「お付き合いしようイリア女史」
ブルブランがリィンの左腕を取る。
「くっ!」
「おっと、やめておきたまえ君が本気で抵抗すれば私はともかく、か弱いイリア・プラティエが怪我をしてしまうかもしれないだろう?」
「ぐぬぬ……」
「それに遊撃士側にもメリットはあるはずだ……
君が舞台の上にいれば、不届き者が乱入しようが、事故を装ってイリア・プラティエを害する仕掛けがされてあったとしても守ることができる。違うかな?」
「そんな取って付けたような言い訳で――だいたい何でそんなに協力的なんだっ!?」
苦し紛れにリィンはブルブランに向けて怒鳴る。
イリア達は舞台のクオリティを上げたいという気持ちなのだろうが、ブルブランの意図が今一つ読めない。
「ふ……そんなこと決まっているではないか……
我が宿敵が絶賛した《リン・シュバルツァー》の姿をこの目で見たいからだっ!!」
臆面もなく言い切ったブルブランにリィンは――
「ふっ――」
「ごはっ!?」
震脚で床を踏み締め、力を足から腰、肩、そして掴まれている肘を打点にしてブルブランに寸勁を叩き込んで吹き飛ばした。
「うわっ! 今の技なに!?」
間近で突然吹き飛んだブルブランを見てイリアが目を輝かせる。
「ちょ、イリアさん。近いです……放してください」
「そうはいかないわよ。今回の舞台、戦技が魅せてくれる可能性のためならあたしは何だってするわよ。リーシャッ!」
「ごめんなさいリィン君」
謝りながら呼ばれたリーシャはブルブランから解放された左腕を抱え込む。
「くっ――」
リーシャならブルブラン同様に遠慮なく寸勁を、と考えたがリーシャは巧みな重心移動でリィンの踏み込みを阻害して不発にさせる。
「そうね……ただ《語り部》だけじゃちょっとつまらないから、《太陽》と《月》に因んで《空の語り部》、もしくは《空の御子》なんて呼び方も良いかもしれないわね」
そんな高度な駆け引きが隣で行われていることも知らずに、イリアはまだ見ぬ新たなステージを夢想して歩き出した。
「っ……だけどきっとミシェルさんなら断ってくれるはず」
一縷の望みを掛けてリィンはイリアに引きずられるようにアルカンシェルを後にした。
「……ふふ、分かってないわねリィン……
こうなった人達はどんなことをしてもリィンを舞台に上げるわよ」
イリアやリィン達がいなくなった舞台の上では早速、《語り部》の役回りを巡って熱い議論が交わされている。
そんな一同の様子をレンは楽しそうに見守るのだった。
*
「あっ! 分け身が得意で、隠形も得意な人がここにいます!」
「え……ちょっとリィン君!?」
「ああ、そういえば昔ヨシュアは演劇でお姫様役をやったことがあったもんね」
「ふむ…………ありね」
「イリアさん、それはちょっと節操なさすぎです」
いつかのクロスベルIF
リーシャ「スペックだけなら劇団最強」
ニコル「舞台上の存在感を自在に操る黒子」
テオドール「五体の人形を人間のように操る人形遣い」
プリエ「神秘の歌で舞台を彩る歌姫」
イリア「説明不要の炎の舞姫」
ニコル
「この子が新しく入った新人か」
テオドール
「闘気の性質は《風》かな?」
プリエ
「これは染め甲斐が――いいえ、鍛え甲斐がありそうね」
イリア
「さーて、何から仕込もうかしら」
シュリ
「なんかオレが知っている劇団と違うっ!」
リーシャ
「…………強く生きてください」