(完結)閃の軌跡0   作:アルカンシェル

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12話 夕暮れの攻防

 

 

 

 

「もうリィン君ったらずるいわ」

 

 夕暮れの林道を歩きながらメイベルは頬を膨らませていた。

 

「えっと……すいません」

 

 劇の後、カメラを返してもらいに行ったリィンは舞台の裏側に連れ込まれた。

 劇を行った全員を撮るためのカメラマンをさせられた後に、舞台衣装のエステルとヨシュア、クローゼと一緒に写真を撮られたりと楽しい一時を過ごすことになった。

 それをそのままメイベルに報告したら先の言葉通り、頬を膨らませて拗ねてしまった。

 

「お嬢様、そうは言いますが。劇の写真をたくさん購入されていたではないですか」

 

「リラ、そういう問題じゃないの。役者と一緒に撮ることに意味があるのよ」

 

 メイベル市長の言いたい事も分かる。

 テーマパークのマスコットと同じで、一緒に写っているからこそ思い出になる。

 しかし、リィンにとっても予想していた出来事ではなかったので見逃して欲しい。

 

「ところでリィン君はエステルさんとクローゼさん、それとセシリア姫の内、誰が好みだったのかしら?」

 

「そこでセシリア姫が出てくるのに悪意を感じるのは俺の気のせいですか?」

 

「気のせいよ。それで誰がタイプなの?」

 

「ノーコメントで」

 

「リィンさんは演劇の写真をエステルさんが写っているものを中心に数点購入していましたよ」

 

「リラさん!? 見てたんですか!?」

 

「メイドですから」

 

「あらあら、うふふ」

 

「べ、別に他意はありませんよ。エステルさんは知り合いですし、セシリア姫は中身がヨシュアさんだって知っているわけですから」

 

「ふふ、そういうことにしておくわね」

 

「そういうことって、本当にそれ以上の意味はないんですけど」

 

 当然、数は少ないがヨシュアやクローゼ。他の人たちの写真も買っている。

 なので特別エステルの写真を多く買ったつもりはない。

 

「これはもう写真が来たらアネラスさんと一緒に品評会ね」

 

 そう楽しそうにするメイベルにリィンは肩を落とすことしかできなかった。

 

「そういえば自然科の展示に相性占いマシーンがあったわよね?」

 

「ええ、ありましたね」

 

「やっぱりエステルさんとの相性を占ったりしたの?」

 

「しませんよ。どうしてそうなるんですか?」

 

「それはだって……ねえ」

 

 隣を歩くリラにメイベルは同意を求める。が、彼女は寡黙に口を閉ざす。

 

「そもそも俺はエステルさんの生年月日を知らないんですから無理ですよ……

 まあ、俺と妹のエリゼの仲を占ってみましたけど」

 

「あらそうなの? それで結果は?」

 

「たしか……っ!? 止まってください!」

 

 かすかに聞こえたそれに反応してリィンは意識を切り替える。

 

「どうしたのリィン君?」

 

 その言葉に応えず、リィンは目を閉じて耳を澄ませる。

 

「…………これは子供の悲鳴?」

 

「っ! リィン君。すぐに行って!」

 

「でも……」

 

 メイベルの言葉にリィンは躊躇う。

 リィンの仕事はあくまでもメイベル市長の護衛であり、その近くから離れるわけにはいかない。

 もしかしたら、転んだだけの泣き声かもしれない。暴漢だったとしても子供の悲鳴は囮の可能性だってある。

 それにルーアンの街道は遊撃士の人たちが巡回警備に当たっている。

 だから自分が行かなくても――

 

「いいから早くっ!」

 

「分かりました。メイベル市長、リラさん。とりあえず二人は学園の方に戻ってください……

 学園にはまだエステルさんとヨシュアさんがいるはずですから」

 

 そう捲くし立てて、返事も聞かずにリィンは荷物を置いて駆け出した。

 走るたびに子供の泣き声は確かなものとしてリィンの耳に聞こえてくる。

 林道を抜けて、海に面した街道に出る。

 

「声は……こっちか」

 

 ルーアンへ続く道ではない方にリィンは走り出す。

 一歩進むごとに子供の泣き声は確かなものとしてリィンの耳に届く。

 

「っ……」

 

 そして視界に捉えたのは帽子を被った男の子が黒装束の男に突き飛ばされたところだった。

 男は何かを叫ぶと、導力銃を男の子に突きつけ――

 

「二ノ型『疾風』」

 

 走る勢いを緩めず、むしろ急加速してリィンは抜刀して斬り込んだ。

 突き出された導力銃を下から斬り飛ばす。

 さらに加速した勢いを乗せて掌底を胸に叩き込んで、黒装束を大きく突き飛ばした。

 

「ちっ……時間を掛け過ぎたか」

 

 もう一人の黒装束が距離が近いからか、導力ライフルからブレイドに武器を持ち返るとリィンに斬りかかる。

 それを太刀で受け止めながらリィンは周囲の状況を素早く確認する。

 

 ――子供たちが四人。倒れている女性が二人、その内の一人は胸に遊撃士のバッジをつけている……

 

 彼女がどれだけの腕前か分からないが、彼女の導力ライフルを見て先程から一度も銃声を聞いてないことから抵抗させずに無力化したのだと当たりをつける。

 

「お前……あの時のっ!?」

 

 顔を寄せた黒装束がリィンの顔を見て驚く。

 しかし、リィンにはこんな黒尽くめの知り合いはいない。

 

「あの時は油断したが、今度はそうはいかないぞっ!」

 

「何のことか分からないなっ!」

 

 鍔迫り合いからリィンは黒装束の胸を蹴る。

 一旦距離を取り、改めて黒装束を見る。

 

 ――敵は二人……周囲には伏兵の気配はない……

 

 もっともそれがどこまで精確に読み取れているか自信はない。

 最初に突き飛ばした黒装束が立ち上がって、もう一人と同じ様にブレイドを構える。

 

 ――導力ライフルを使わない? もしかしてさっき子供に向けたのは威嚇のためか?

 

 もしそうだったとしても、子供に銃を向けた時点で彼らが敵であることは変わらない。

 しかし少なくとも見境のない外道や通り魔ではないことはリィンにとってありがたい情報だった。

 もっともそれを考えている余裕はすぐになくなった。

 ブレイドを構えた黒装束たちが左右に分かれ、同時に仕掛けてくる。

 その踏み込み、太刀筋には油断は一切ない。

 むしろ、何が何でもリィンを倒すという気概が伝わってくる。

 

 ――俺に目標が変わったならむしろ好都合だ……

 

 黒装束の二人は連携して、リィンを追い詰める。

 一方の攻撃を防げば、もう一方が別の角度から追撃を仕掛けてくる。

 隙を見つけて斬り込んでももう一人に阻まれる。

 油断も慢心もなく、確実にリィンの身体に傷を作り、深追いはしない。

 

「くっ……」

 

 背後に子供達がいるから自由に動けない。

 突き出された刃を太刀で逸らすが、刃先は肩を掠める。

 お返しと言わんばかりにリィンは太刀を振るうが、もう一人に受け止められる。

 ならばと蹴りを放つが、その時にはもう二人は間合いの外に退避していた。

 

「くそ……」

 

 決して黒装束が特別に強いわけではない。だが戦い方がうまい。

 このまま二対一で戦えば確実に負けることが想像できる。

 

 ――なら多少の手傷を覚悟して大技で一人潰すか……?

 

 起死回生の案を考える。が不意にアネラスの言葉を思い出した。

 

『いい弟君。護衛の仕事は敵を倒すことじゃない。依頼人を守ることだよ』

 

 本来の護衛対象ではないが、今のリィンにとっては四人の子供と倒れた二人がそれだった。

 

『もしも襲われたとしても、無理に倒そうとしないでとにかく援軍を待つこと』

 

 アネラスの教えを思い出して、リィンは頭を冷静にして太刀を構え直す。

 

 ――とにかくエステルさんたちが来るまで耐え切ってやる……

 

 身体を張る覚悟を決めたその時、背後で動きがあった。

 

「なっ!?」

 

「あのガキッ!」

 

 睨み合うリィンたちを無視して帽子の男の子が走り出した。

 これがもし逃げる行動なら黒装束たちは見逃していただろう。

 しかし、帽子の男の子が駆け出した先には地面に投げ出された鞄があった。

 

「止まれ、クソガキッ!」

 

「馬鹿っ! やめろっ!」

 

 黒装束の一人が使わなかったはずの導力ライフルを抜き、相方の制止を無視して男の子に向ける。

 男の子は黒装束の警告を無視して、いや警告など耳に届かず男の子は鞄に手を伸ばす。

 

「やめろっ!」

 

 リィンも叫ぶが、黒装束は引き金を引いてしまった。

 乾いた炸裂音。飛び出した弾丸。

 咄嗟の集中力でリィンはそれを認識して身体を動かすが、意識だけが先行して身体の動きは緩慢でその意識に追いつかない。

 弾丸は男の子の頭に直撃する。

 直感でリィンはそれを悟るが、どうしようもない。

 

 ――本当にそうか?

 

 無理に決まっている。

 引き金が引かれる前ならともかく、すでに撃ち出された弾丸を止める術はリィンにはない。

 

 ――本当に?

 

 自問してから答えが一つだけあることに気がつく。

 当然、それを使うリスクは高い。だが、このまま見過ごせば確実にリィンの予想は現実のものとなる。

 だから――

 

「おおおおおおおおおおおおっ!」

 

 リィンは咆え、胸の中の焔を滾らせる。

 黒髪は瞬く間に白く染まるが、変化が終わるのを待たずにリィンは踏み出していた。

 その一歩は鋭く速い。

 地面に足跡が刻まれるほどに強く蹴り、リィンは銃弾に追いつき太刀でそれを叩き落とす。

 

「なっ……!?」

 

 黒装束が変わり果てたリィンの気配に当てられてそのままライフルを乱射する。

 

「ひっ!」

 

 銃声に驚いた男の子が耳をふさいで伏せる。

 が、リィンは全く動じずに無造作に何度も太刀を振るう。

 

「この化け物がっ!?」

 

 全ての銃弾を切り払ったリィンに黒装束は狼狽する。

 その姿にリィンは喜悦を感じて口角を釣り上げ笑みがこぼれる。

 

「…………ははっ」

 

 今なら難なく黒装束の二人を斬れる。

 この『鬼の力』なら黒装束たちに何もさせず、それこそ一方的に斬り伏せることができるだろう。

 

 ――ダメだ……

 

 胸を押さえてリィンは踏み出そうとした一歩を押し止めた。

 もしもこのまま黒装束を斬れば、歯止めが利かずこの場の動く者全てを斬り殺す予感がある。

 

「これ以上……呑み込まれてたまるか……」

 

 エステルやヨシュアの言葉を、アネラスとの訓練を思い出す。

 それだけはない。

 リベールで会った多くの人たち。

 そして何よりこの剣は今、敵を斬り殺すために振っているんじゃない。

 

『いい、弟君。これは弟君が個人的に雇われた護衛の仕事かもしれないけど、弟君は――』

 

「……今の俺は……遊撃士なんだから……」

 

 資格を持っているわけではない。

 それでも心ではそのつもりで、仕事を全うしろと言われた。

 だからこそ、暴虐の力に身を任すわけにはいかない。

 

「ぐぅ…………」

 

 衝動を抑え込み、白く染まった髪は元の黒髪に戻る。

 全能感に満ちていた身体は一転して鉛の様に重くなったが、呑み込まれかけた意識ははっきりと自分を取り戻した。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 とてつもない疲労にリィンは喘ぐ。

 正直、『鬼の力』を使った反動で今にも膝を着いてしまいそうな程に消耗している。

 

 ――だけど、ここで弱味を見せるわけにはいかない……

 

 幸い黒装束たちは『鬼の力』を警戒してすぐに襲い掛かってこない。

 ならばと、リィンは太刀を鞘に納めて腰溜めに構える。

 

「なっ!?」

 

「貴様……」

 

「……?」

 

 八葉一刀流五の型『残月』。

 後の先を取る抜刀術。

 流石に手練だけあって、この構えの意味を初見で見切ったようだった。

 

 ――寄らば斬る……

 

 本気の意志を込めてリィンは黒装束を睨み付ける。

 それでも黒装束たちは緊張にそれぞれ武器を構えながらにじり寄って来る。

 『鬼の力』を使った時に銃弾を切り払ったことが効いているのか、迂闊な銃撃もない。

 あと半歩。間合いに入れば太刀の間合いに届くところまで黒装束がにじり寄り、不意に屈んだ。

 

「あっ!」

 

 背後の男の子が叫ぶ。

 黒装束は先程、男の子が拾おうとした鞄を掴むと、銃をリィンに向けたまま後ろに跳び退いた。

 

「物は回収した撤収するぞ」

 

「了解」

 

「待てっ!」

 

「ダメだっ! 行くなっ!」

 

 男の子が叫んで駆け出そうとするが、リィンはその小さな肩を掴んで止める。

 鞄の中身が何か分からないが、そんなものよりもここにいる全員の安全を考えてリィンは見逃すべきだと判断する。

 だが、それを男の子に伝える間もなく、黒装束は缶のような物を投げてきた。

 

「っ……」

 

 咄嗟に男の子を引き寄せてリィンは抱き締めるようにして庇う。

 投げられたそれは炸裂したかと思うと、強い閃光を撒き散らした。

 

「…………閃光弾だったか……」

 

 殺傷性のものではなかったことにリィンは安堵し、閃光が消えた周囲を改めて見渡す。

 黒装束の姿はもう何処にもない。

 

「放せっ!」

 

 とりあえず危機は去ったと判断して男の子を腕の中から解放する。

 男の子は真っ先に鞄が落ちていた場所に駆け寄ると、黒装束たちの姿を探す。

 が、男の子もリィンと同じで彼らの姿を見つけることはできなかった。

 

「っ……何で邪魔したんだよっ!」

 

「……あの中に何が入っていたか分からないが、あのまま戦っていたら奴らは形振りかまわなくなったかもしれない……

 それだと俺は君たちをきっと守りきれなかった」

 

 リィンは倒れた女性に縋りつく三人の子供達を一瞥する。

 黒装束たちも外道ではなかったのか、率先して子供を狙うようなことはしなかった。

 もし彼らが形振り構わず戦えば、リィンはこの人数を守り切る事はできなかっただろう。

 

「だけど……あの中には……あの中には……」

 

「ごめん……」

 

 悔しそうに俯き、拳を握り締める男の子にリィンはそれだけしか言えなかった。

 

「おうおう、こんなところで何やってんだ?」

 

「っ!?」

 

 突然背後からかけられた声にリィンは身構える。

 

「あ……アランドールさん、それにミリアム?」

 

 黒装束かと思ったが、そこには赤毛の青年と水色の髪の女の子がいた。

 

「よ、また会ったな。少年」

 

「やっほーりーちゃん! さっきぶりっ!」

 

「ミリアム……とりあえずその呼び方はやめてくれ」

 

 リィンはとりあえず呼び方を訂正して、今ここであったことを説明する。

 

「なるほどな……ミリアム。お前、この先の村に一足先に行って人を呼んできてくれ」

 

「らじゃー」

 

 元気良くミリアムは返事をすると指示通りに駆け出した。

 

「あの二人は――」

 

「安心しろ。脈拍、体温、呼吸も正常。どうやら薬で眠らされただけみたいだ」

 

 簡単に診察するレクターの横顔は学園でのいい加減さが嘘のように真面目だった。

 

「さてと、ガキンチョ共。ここにいると危ないからマノリア村まで移動するぞ……

 シュバルツァー、お前はテレサ院長を背負ってくれ」

 

「それはいいですけど、もしかしたらまだ黒装束たちが潜んでいるかもしれないですよ」

 

「ああ、それはたぶん大丈夫だ」

 

 何か確信があるのか、自信ありげなレクターの言葉には有無を言わせない説得力があった。

 レクターは遊撃士らしき女性を背負い、子供達に声を掛けて歩き出す。

 リィンはもう一人の女性を痛む身体で背負って、その後に続いた。

 

 

 

 

 マノリア村に着き、宿屋に事情を説明して未だに眠り続けている二人を二階のベッドに寝かせる。

 

「ふう……」

 

 ようやくリィンは緊張を解き、息を吐き出した。

 

「これでひとまず安心か……」

 

 流石に村の中で襲ってくるとは思えない。

 それに黒装束の目的は彼女達の荷物だったようだからそれを手に入れた以上深追いはしてこないだろう。

 とにかくこれで一安心だと気を抜くと、身体が思い出したように痛みを訴え始める。

 

「派手にやられたからな……」

 

 簡単に止血はしたが、ちゃんと処置した方がいいだろう。

 宿の店主にお願いして水でももらってこようとリィンは踵を返す。が、レクターに呼び止められた。

 

「おいシュバルツァー。ちょっとこっちに来い」

 

「はい? 何ですか?」

 

 そのまま案内されたのは隣の部屋だった。

 

「あの……どうしたんですか?」

 

「よし。脱げ」

 

「は……?」

 

 リィンは汚物を見るような目でレクターを睨んだ。

 

「やっぱりアランドールさんもオリビエさんと同類だったんですね」

 

「おいおい、変なこと言うなよ。俺はしっかり女の子にしか興味はないって……ん、オリビエ?」

 

「俺と一緒にリベールに入国した帝国人ですよ。性格はアランドールさんとよく似た変人です」

 

「あーなるほど……そういうことか……」

 

「アランドールさん?」

 

「いや、おっさんがいきなり休暇をくれてリベールに行ってこいなんて言った理由が分かっただけだ」

 

「もしかしてオリビエさんの知り合いだったりしますか?」

 

「一応はな……直接の面識はないが大枠で言えば俺はあの人の下の人間だな……

 って今はそんなこといいんだよ。それよりも治療するから服を脱げ」

 

 先程の発言の意味はそれだったのかと納得して、いつのまにか穢れてしまっていた自分の思考にリィンは嘆く。

 

「いえ、これくらいの怪我は慣れてますから自分でできます」

 

 そう言ったところで階下がドタバタと騒がしくなる。

 

「リィン君っ! いるの!?」

 

 叫び声はエステルのものだった。

 

「エステ――っつ!?」

 

 声に応えようとして部屋を出ようとしたリィンはレクターに右腕を掴まれて悲鳴を押し殺す。

 

「まあ、そう言うなって。アーツは応急処置にしかならないがやらないよりはマシだろ?」

 

「アーツって、たしか戦術オーブメントを利用した導力魔法のことですよね?」

 

「あん? 何を当たり前なこと言ってんだよ。お前だって戦術オーブメントくらい持ってるだろ?」

 

「いえ、俺は――」

 

 言いかけたところで部屋の前の廊下を複数の人間がドタバタと駆けて、隣の部屋に入って行った。

 途端に子供たちが泣き叫ぶ声が聞こえるが、それは安堵によるものだった。

 

「話は後だ。とにかく治療してやる」

 

「いえ、別にこれくらい大したことじゃないですから大丈夫ですよ」

 

「んなわけないだろ」

 

「っ……」

 

 レクターは無造作にリィンの肩を叩く。走った激痛にリィンは顔をしかめる。

 

「ほれ、さっさと脱げって」

 

「……分かりました」

 

 観念してリィンは上着を脱ぐ。

 

「お前……真面目な顔して刺青なんて入れてるのか?」

 

「この聖痕は物心ついた時からあったんですよ」

 

 胸の痣。その上の文様の刺青を指摘するレクターにリィンはいつものように応えた。

 物心着いた時からあるそれはシュバルツァー家に引き取られた時からすでに有った。

 自分を捨てた家族が着けたものだと思うが、痣の傷跡も含めてリィンにはもはや馴染みの――

 

「あれ……?」

 

 不意にリィンはおかしな違和感を覚える。だが何がおかしいのか分からない。

 考え込むリィンだが、意識はすぐにレクターの声に逸れた。

 

「ふーん……ま、何でもいいか。それより早く治療しちまうぞ」

 

「は、はい。よろしくお願いします」

 

「おいおい、別に緊張するようなものじゃないだろ?」

 

「別に緊張なんてしてませんよ。まあ、強いて言うならアーツを受けるのが初めてだってことくらいですかね?」

 

「お前、やっぱり戦術オーブメント持ってないのか?」

 

「ええ、だってあれは個人用の調整が必要なんですよね。それに結構高いし、民間人が持つには資格がいるとかって聞きますけど?」

 

「ま、確かに戦術オーブメントはオーダーメイドで値が張るが……つまりこれはシュバルツァーにとって初体験だってことか?」

 

 気のせいだろうか、心なしかレクターの声がわざとらしく大きく聞こえた。

 

「そうなりますね」

 

「ほう……」

 

 レクターが意地の悪い顔をしているのだが、背中を向けているリィンには分からない。

 

「それにしてもシュバルツァー、良い身体つきしてるな」

 

「まあ、鍛えてますから」

 

「だな。無駄のないいい筋肉だ……ほら、力を抜いてリラックスしろよ」

 

「はい……」

 

「大丈夫だって、痛いのはすぐに治まるからお前はそこの壁のしみでも数えていろ」

 

「壁のしみ?」

 

 綺麗に清掃されている部屋にそんなものはないのだが、レクターは何を言っているのだろうかとリィンは首を傾げる。

 

「それじゃあ……いくぞ」

 

「っ……」

 

 懐中時計のような導力器をかざすと光が溢れる。

 初めに強い痛みを感じたが、それは次第に治まっていき、完全に消える。

 

「すごい……」

 

「おっと、まだ動かすなよ。痛みが引いても一時的なものだから、ゆっくりと動かして調子を確かめろ」

 

「すごいですね……痛みがなくなっていきます」

 

「まあな……何だったら別のやつもここで体験してみるか? 新しい世界が見れるぜ」

 

「何をやっているんですかっ!? レクター先輩っ!」

 

 バンっと大きな音を立ててドアが開かれた。

 そこにいたのは顔を真っ赤にしたクローゼだった。

 

「何って、それは見ての通りシュバルツァーの治療だぜ」

 

「……え?」

 

「おやおや、ドアの前で聞き耳を立てていた真面目な後輩は何を想像していたのかな?」

 

「そ……それは……」

 

 意地の悪い笑顔で彼女を迎えるレクターにクローゼはうろたえる。

 

「まさかあの真面目で堅物なクローゼがそっちの道に堕ちているなんて、お兄ちゃんは悲しいぞ」

 

「誰がお兄ちゃんですかっ! それに堕ちてませんっ!」

 

 顔を真っ赤にして否定するクローゼにリィンは思わず同情する。

 そして同時に申し訳なくなる。

 

「アランドールさん、何をネタにクローゼさんをからかっているのか分かりませんが、そこまでにしておいてください」

 

「ちっ……ここにも真面目な堅物がいたか」

 

 レクターは舌打ちを一つして、クローゼへの口撃をやめる。

 

「クローゼさん、うちの国の人が迷惑をかけて本当にすいません」

 

「いえ、そんなリィン君が謝ることじゃないですよ」

 

 レクターの代わりに頭を下げるリィンにクローゼは恐縮してしまう。

 

「ところでクローゼさん、エステルさん達は?」

 

「ここにいるわよ」

 

 そう言って、クローゼと同じ様に顔を赤くしたエステルと、苦笑を浮かべたヨシュアが部屋に入って来た。

 

「ごめん、メイベル市長たちから話を聞いて急いで来たんだけど、間に合わなかったみたいで」

 

「いえ、それは仕方がないことですよ。そのメイベル市長とリラさんは? 一緒じゃないんですか?」

 

「二人には学園に事情を説明して、そこで待っていてもらうことにしたよ……

 それで子供達から話は聞いたけど、リィン君からも事情を説明してもらえるかな」

 

「はい……でも、俺が分かっていることはほとんどないんですが」

 

 そう前置きをしてからリィンは一連の出来事を話した。

 

「――というわけで逃げる黒装束を追い駆けなかったんです……

 すいません、俺がもっとうまく立ち回れていればそこで捕まえられたんですけど」

 

「いや、相手はベテランのカルナさんを抵抗させずに無力化したくらいの手練……

 状況から考えれば、リィン君の判断は間違っていないよ」

 

 悔やむリィンにヨシュアがフォローの言葉をかける。

 と、そこに元気良くドアが開かれてミリアムが現れた。

 

「レクター、そこでこんなのが落ちてたよ」

 

 手には黒装束が持ち去った鞄があった。

 

「おう、でかしたミリアム。ちなみに何処に落ちていた?」

 

「ボクたちが来た側とは逆の出口の隅に捨てられてたよ」

 

「そうか、クローゼ。こいつはテレサ院長の鞄で間違いないな?」

 

「はい。間違いありません」

 

 クローゼはミリアムから鞄を受け取ると、中身を改める。

 

「…………ない」

 

「何がないんですか?」

 

「寄付金が入った封筒が……ないんです」

 

「寄付金?」

 

「うん……実はね」

 

 事情を把握していないリィンにエステルが神妙な顔をして事情を説明してくれた。

 子供達と、女性は孤児院に住んでおり、先日放火でその家を失った。

 家を建て直すためにミラが必要なのだが、孤児院にそんな貯えはあるはずもなかった。

 だが、学園祭で集まった寄付金はそのまま福祉活動として孤児院の再建に使われることとなった。

 しかし、その百万ミラが入った封筒が鞄から抜き取られていた。

 

「百万ミラ!? グラン=シャリネ二本分っ!?」

 

「リィン君。気持ちは分かるけど、ワインの本数で数えられると大した額じゃないと思っちゃうからやめて」

 

「あ……すいません」

 

 顔をしかめるエステルにリィンはバツが悪そうに頭を下げ、もう一度頭を下げた。

 

「すいません。そんな大切なものが入っていると知っていれば何が何でも奪わせるべきじゃないかったですよね」

 

「いえ、そんな頭を上げてくださいリィン君……

 あなたがいてくれたおかげでクラムや他の子供達も怪我がなく無事だったんです。むしろお礼を言わせてください」

 

「でも……」

 

「そうだよリィン君の判断は間違ってない……

 さっきも言ったけど、襲撃者を見逃した判断は間違いじゃない。それは確かだよ」

 

「そうそう、それにまだ諦めるのは早いわよ」

 

「エステルさん?」

 

「奪われたなら奪い返せば良いのよ! というわけだから行くわよヨシュア」

 

「行くって、当てもないのにどこに行くつもりなの?」

 

「う……それは……」

 

「それならクローゼの友達に頼むんだな」

 

 ヨシュアの冷静な指摘に怯んだエステルに助け舟を出したのはレクターだった。

 

「クローゼの友達って……もしかして?」

 

「ああ、あいつが黒スケたちを追い駆けて行ったぞ」

 

 その言い方にリィンは首を傾げる。

 あの場に自分達以外の人間はいなかったはず。

 だが、そのいるはずのない存在にエステルたちは納得して頷き合う。

 

「えっとよく分からないですが、それなら俺も――」

 

「いやリィン君はここに残ってくれないかな? カルナさん、遊撃士の人に事情を説明して欲しい……

 それに君の本来の仕事はメイベル市長の護衛のはずだ」

 

「あ……」

 

 ヨシュアの指摘にリィンは本来の自分の役目を思い出す。

 思い出したらすぐに学園まで彼女を迎えに行かなければいけないのだが、このまま黒装束たちのことを任せきりにするのも納得がいかない。

 

「えっと……っ!?」

 

 何を優先して動くべきなのか混乱し、とにかく動かなければと立ち上がると全身に治したはずの激痛が走る。

 

「リィン君!?」

 

「おいおい、あんまり激しい動きはするなって言っただろ。お前、傍から見たら結構重傷だったんだぞ」

 

「いや……でも……」

 

 待っているメイベルのことを思えば一刻も早く迎えに行かなければいけない。

 ルーアンにとったホテルの予約に明日の定期船のチケット。

 忙しいスケジュールを調整して作り出した休日のこの旅行を彼女は楽しみにしていた。

 もう遅いかもしれないが、これ以上それに水を差すようなことをしたくない。

 

「お……俺なら大丈夫です……ですから悪いですけど黒装束たちのことはよろしくお願いします……

 俺は遊撃士の方に状況を説明したら、すぐに学園に戻ります。それでいいですか?」

 

 痛みを堪えながら虚勢を張る。

 この身体ではエステルたちについていったところで足を引っ張るだろう。

 しかし、それでも当初の仕事の虫除けくらいにはなれるはず。

 

「いや、その役目。あたしが代わりに引き受けるよ」

 

 その言葉と共に、レクターが運んだ女遊撃士が部屋に入って来た。

 

「カルナさん。目が覚めたの!?」

 

「ああ、どうやらみっともないところを見せてしまったみたいだね」

 

 エステルに応え、カルナと呼ばれた遊撃士はリィンに向き直る。

 

「リィン君だったな。私は正遊撃士のカルナだ。今回は私が不甲斐ないせいで君に助けられた、礼を言わせてくれ」

 

「あ……いや……その恐縮です」

 

 大の大人に頭を下げられてリィンはうろたえる。

 

「その御詫びというわけではないが、メイベル市長の護衛はあたしに任せてほしい……

 君はここで少し休むといい。それに一度不覚を取ったあたしよりも君がいてくれた方が子供達も安心するだろう」

 

「あ……私からもお願いします」

 

 カルナの提案にクローゼが乗って頭を下げる。

 

「……分かりました。メイベル市長のこと、よろしくお願いします」

 

 少し考えた末にリィンはカルナの提案を受け入れた。

 メイベルの依頼を途中で放り出すのは心苦しいが、今のフラフラな状態ではそれこそ本当に危険が迫った時に対処し切れない。

 

「ああ、任せてくれ」

 

「それじゃあ、あたしたちは黒装束を追い駆けるわよ」

 

 部屋を出て行く彼女達を見送り、リィンはふと思い出したことを伝えるためにエステルを呼び止めた。

 

「そういえば、エステルさん」

 

「ん、どうしたの?」

 

「これは今、関係ない話かもしれないんですが。あいつら、俺を見て『あの時』って言ってたんです」

 

「え、それってつまりリィン君の顔見知りだってこと?」

 

「いえ、俺にはあんな奴らと会った記憶はありません。でも――」

 

「空賊事件の時の空白の記憶のことだね」

 

 リィンの言葉を先取りしてヨシュアが答えた。

 

「はい。人の記憶を消せる相手です。十分に気を付けてください」

 

「うん、分かった。ありがとうねリィン君」

 

 今度こそエステルたちは部屋を出て行く。

 

「っ……」

 

 息を吐いたリィンはぐらりと身体を傾けた。

 

「おっと」

 

 あわや倒れそうになったところをレクターが抱き止める。

 

「あ……すいません」

 

「気にすんな……それにしてもアーツは効いているはずなんだがな」

 

「身体の傷、というよりも精神的な消耗の方がきついみたいです」

 

 その身体も現金なことに休んでいいと言われた途端に疲労を訴え始める。

 改めてカルナの提案を受けてよかったとリィンは思う。

 こんな状態では最悪途中で倒れ、それこそメイベルやリラに迷惑をかけることになったかもしれない。

 

「そういえば……俺……抑え込むことができたんだよな?」

 

 あの時は無我夢中だったし、気にしている暇もなかった。

 だが、今反芻した記憶の中では『鬼の力』を引き出しながらもそれを抑え込むことに成功していた。

 今の状況で喜ぶのは不謹慎なのは分かっているが、これまでの確かな成果にリィンは笑みを浮かべた。

 

「ねえねえレクター。ボクたち何もしないでいいの?」

 

「ああ、今は俺たちが出る幕じゃないな……俺の出番はおそらくこの後だ」

 

 悪巧みをしているレクターの顔にリィンは気が付かなかった。

 もっとも、ここで気付いていたとしてもこの後の彼の行動を止める力などリィンにはありはしなかった。

 

 

 

 

 翌日……

 ルーアン市長邸にて、リィンは内心で冷や汗を垂らしながら厳格な表情を顔を貼り付けていた。

 

「お初に御目にかかります。ルーアン市長。モーリス・ダルモア殿……

 私はエレボニア帝国で書記官を勤めております。レクター・アランドールといいます」

 

 ピシリとした礼服を着こなして、さわやかな笑顔を浮かべて流暢な美辞麗句を連ねるレクターに誰だお前はと問い詰めたくなる。

 それは背後に控えているクローゼやエステルも同じ心境だったが、それを今共有することはできない。

 リィンはレクターに続き、できるだけ威厳のある声を意識して口を開く。

 

「昨日はお世話になりましたね、ダルモア市長」

 

「いやいやあれくらい当然のことだよ……それで別荘について聞きに来たそうだね?」

 

「ああ、そのことも是非詳しく聞きたいと思って訪問させてもらったのだが……

 実はその前に私の本当の名前を名乗らせてもらえるかな?」

 

 用意していたセリフを緊張を悟らせないように努めながら口を動かす。

 

「本当の名前?」

 

「ええ、リィン・シュバルツァーとはお忍びの時に使う偽名でね……

 本当の名前は……オリヴァルト・ライゼ・アルノールという」

 

 ――どうしてこうなったっ!

 

 不敵な笑みを浮かべながら、リィンは内心で何度も叫ぶ。

 隣に控える元凶が浮かべる爽やかな笑顔をリィンは今すぐ殴りたい。

 背後にいる常識人三人はどうして止めてくれなかったのか。

 徹夜明けのテンションのせいなのか、それとも演劇の余韻がまだ続いているのか、どちらなのかリィンには分からない。

 頼まれたら断れない自分の性格をリィンは心の底から悔やむ。

 だが、すでに賽は投げられてしまったのだった。

 

 

 


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