バルフレイム宮の一間、絢爛でありながら重厚極まる謁見の間の玉座への階段の前にリィンとその父であるテオは片膝を着いて頭を垂れていた。
玉座にはエレボニア帝国の現皇帝ユーゲント三世が座っており、その隣本来ならプリシラ皇妃が座る席には特例としてクローディア王太女が着席していた。
その背後にはそれぞれオリヴァルト皇子にカシウス准将が控えている。
そして謁見の間の左右に並ぶ面々もまた強烈な顔ぶれだった。
玉座から見て左側には四大名門の四人の当主が、右側にはアルゼイド子爵、ルグィン伯爵、ヴァンダール子爵の三人が並んでいる。
そしてエリゼもまた特例ということでルグィン伯爵の隣に同席させてもらったのだが、その膝は緊張で震えていた。
「面を上げよ」
「はっ」
謁見の間にいる全ての人間の注目を集めながら、兄リィン・シュバルツァーは少しも臆した様子はなく皇帝陛下の声に応え、伏せていた顔を上げる。
「先日の御前試合、見事であった……
それと改めて言わせてもらうが、《リベールの異変》でも大した活躍をしたそうだな?」
「もったいないお言葉です……ですが、自分が果たした役割は微々たるものでしかありません」
そんな空気の中でリィンは堂々とした口調で皇帝の言葉に応える。
もっとも堂々としているように見えるのはエリゼだけで、リィンもしっかりと緊張して面持ちを固くしている。
「貴殿の働きはオリヴァルトとクローディア王太女からも聞いている……テオよ。よくこれ程の子を育てた。褒めてつかわす」
「はっ……ですが、息子がこれ程大きく成長したのはお恥ずかしい話ですが、私の元から離れた後……
私が息子にしてやれたことなど微々たるものであり、全てはリベールでの良き出会いがあったからでしょう……
クローディア王太女殿下にカシウス准将には本当に感謝してもし切れません」
「いえ、私たちの方こそ彼には多くを助けられました……
《異変》の時には不幸もありましたが、無事な姿を見られて心から嬉しく思います」
「なんとも謙虚なものだ……我が国の者たちも見習ってもらいたいものだ」
そんなリィン達の態度にユーゲントは嘆く。
しかし、すぐに憂いに満ちた顔を引き締める。
「宰相」
「はっ」
ユーゲントに呼ばれ、レクターを従えてギリアスが前に出る。
そして賞状を読み上げる。
「リィン・シュバルツァー……
汝の功績を讃え、ここに《銀槍聖十字勲章》を授ける……
この勲章は彼のドライケルス皇帝が殉職したリアンヌ・サンドロットを讃えるために作った勲章であり、武勇に優れたものに贈られる。受け取るがいい」
「謹んで受け取らせて頂きます」
内心で複雑な気持ちを感じながらリィンは恭しく頷く。
そんなリィンの胸元にギリアスは勲章を付けながら、この式典の中でリィンだけに聞こえるように話しかける。
「よもやあの時リベールで会った少年に私自ら勲章を付けるとは思っていなかったよ」
「オズボーン宰相……」
「あの時、君は否定したがやはり実の親は今頃手放したことを後悔しているだろうな」
「…………そのことですが、宰相閣下……あの時の言葉は撤回させてください」
「ん……?」
「自分は《鬼の力》のせいで捨てられたのだと思っていました……
でも思い出したんです。たぶん父さんだった人の言葉を――」
『《リィン》……どうか健やかに育ってくれ……女神よ……願わくばこの子だけは――』
「その人は自分が健やかに育ってくれと、女神に祈っていました……
だからきっと……《鬼の力》なんて関係なく、別の理由があったから……
それは決して自分のことを疎ましかったから捨てたのではないと、今なら分かります」
「…………そうか」
リィンの言葉にギリアスは頷き、勲章を胸に付け終わるとそれ以上何も言わずに一歩下がる。
リィンは勲章をつけた姿を皇帝と王太女に見せるように立ち上がる。
その姿にユーゲントは頷いて、謁見の間に
「若き騎士の誕生に、皆の者盛大な拍手をっ!」
皇帝の号令に溢れんばかりの拍手がリィンに送られた。
リィンの存在のことに含むものがある者たちも皇帝陛下の前でそれを取り繕い、勲章の授与は拍手で祝福される。
「おめでとう兄様」
エリゼは小さく呟き、周りに倣って手を叩く。
浮浪児としていわれのない誹謗中傷を受けていたリィンが認められた瞬間。
例えそれが皇帝の顔色を窺っているからの行為だったとしても、少なくとも自分の周りにいる人達は心から祝福してくれている。
思わず目に涙が浮かぶ。
ようやく実感が湧いて来る。
リベールで死んだはずの兄が帰って来てくれたこと。
そして皇帝や多くの人に認められるほどに強く大きくなった。
「おめでとう兄様」
堂々と立ち振る舞うリィンにエリゼは何度も同じ言葉を繰り返した。
*
式典も終わり、クローゼ達が王国へ帰還する日に合わせてリィン達もユミルに帰ることにした。
「本当にいいのか? 俺もアリオスもそれを君が名乗ることは認めているのだが?」
その最後の挨拶ということで集まった場でカシウスがリィンに尋ねた。
「俺にはまだ過ぎた呼び名です……それにアネラスさんを差し置いて自分だけそこまで特別扱いをされるわけにはいきません」
「やれやれ、お前もアリオスと同じで真面目過ぎるな」
リィンの答えにカシウスは肩を竦めて苦笑する。
「でも本心です。心の強さと言う面では俺はまだまだアネラスさんやエステルさんには届いていませんから」
「そんなことはないと思うが……まあ、それもいいか」
そんなリィンの言い分をカシウスは納得して頷く。
「この際だ。俺やアリオスが辿り着けなかった《理》の果てに、老師の領域に至ってみせるがいい」
「《理》の果てですか……そう言われても想像ができないんですが」
「ふっ……さっきも言ったが君はすでに《理》に至っているも同然だ……
ならばその先を目指すのは道理のはずだ、違うか?」
「それは……」
思わず口ごもるリィンにカシウスは苦笑を浮かべて肩を叩く。
「ま、そんなに気を張る必要はない。今は目の前のことに集中するといい……
結社の次の計画は帝国で行われるのだろ? それに備えて進学することにしたそうだな?」
「はい」
「トールズ士官学院だったか、確か帝国の名門校に進学するらしいな?」
「シュバルツァー家を継ぐにしろ、継がないにしろ高等教育を受けておくことに悪いことはないということで進学することにしました……
でも試験まで一ヶ月くらいしかないので受かるかは分かりませんが……
すいません、本来ならアリシア女王やメイベル市長に直接会いに行くべきなんですけど」
「気にするな。顔を見せるのは時間が出来た時で構わないさ……手紙はちゃんと渡しておくから安心して勉学に励むと良い」
「あんまり自信はないんですけど――」
「フフ、大丈夫よ。レンが教えてあげるんだから絶対に合格させて上げるわ」
気弱なリィンの言葉を遮ってレンが二人の会話に入って来る。
「ははは、話に聞いていたが頼もしいお嬢ちゃんだ……
エステル達は君を追ってクロスベルに行ってしまったが一杯食わされたようだな」
「フフ……だったらどうするの? レンがユミルにいるって告げ口をするのかしら?」
「とんでもない。存分に振り回してやるといい。あいつらにはまだまだ上を目指してもらわないといけないからな……
しかし、リィン君が君の事をエステルに伝えていないのが少し意外だな」
「この件に関してはレンの味方でいると決めていますから」
「そうか……なるほど。ならばいっそうレンちゃんも一緒に学生をしてみるのもいいのではないか?」
「あら……?」
「カシウスさん。それはいくらなんでも無理があるんじゃないですか?」
いきなりのカシウスの提案にレンは目を丸くし、リィンは思わず聞き返す。
「おかしいかな?
学力の面では博士号を取っているくらいだ。何の問題もあるまい。そして実技に関しても言うまでもない……
君にとって、学院生活は得難い経験になると俺は思うが」
「それでエステル達の援護のつもりかしら?」
「いやいや、帝国の学生となればエステル達も手を出せなくなるだろう……
無理に付き纏われたら憲兵に通報すればいいさ」
「カシウスさん」
本気なのか冗談なのか分からないカシウスの言葉にリィンは顔を引きつらせる。
「ふうん……それもいいかもしれないわね」
「レン……本気か?」
そして意外にも好感触なレンの答えにリィンは驚いた。
「ええ。少なくても一考の余地はある提案だと思うわ……
もっともレンが学校に通う意味なんてあると思わないけど」
「…………確かにそれも良いかもしれないけど」
レンが乗り気ならとリィンも納得する。
エステルとのやり取りもそうだが、この子はもっといろいろな人との関りを経験することが必要だとリィンも思う。
そういう意味では学院生活は格好の場であり、リィンも無事に入学できれば彼女のフォローもできる。
「とりあえずオリヴァルト殿下に相談を――」
もっとも良案だったとしても、執行者であるレンを責任者が受け入れてくれなければ意味がない。
リィンはクローゼと話しているオリビエを振り返り――次の瞬間、世界が歪んだ。
「っ!?」
「いやいや、帝国の学生となればエステル達も手を出せなくなるだろう……
無理に付き纏われたら憲兵に通報すればいいさ」
「ふうん……それも面白そうだけど遠慮しておくわ……
クロスベルに《パテル=マテル》を迎えにいかなくちゃいけないし、かくれんぼで鍵をかけたお部屋に隠れるのはルール違反だもん」
「え……?」
カシウスが繰り返した言葉とレンの先程とは異なる答えにリィンは戸惑う。
「そうか。それは残念だが確かにフェアではないか……ん、どうかしたかリィン?」
レンの言い分に納得したカシウスは固まるリィンに首を傾げる。
「いや……どうかしたかって……」
まるで先のやり取りなどなかったかのように振る舞う二人にリィンは困惑する。
「あらリィンたらそんなにレンと一緒に学校に通いたかったの?」
「……ああ。レンと一緒に通ってみたかったな」
からかうレンの言葉に同意してリィンは取り繕い、内面の彼女に向けて話しかける。
『ルフィナさん。今の気付きましたか?』
『ええ……因果律の操作、事象の書き換えといったものかしら?
こんなことができるアーティファクトなんて伝承の中でしか聞いたことはなかったけど、まさか実在するとは思わなかったわ』
『やっぱり《黒の騎神》ですか?』
『どうかしら……あの子は自分とは違う力の質だったと言っているから《黒》の可能性は低いと思うわ……
それにレンちゃんをトールズ士官学院に入学させないことが目的なのか、それとも別の事柄を操作した煽りなのかが判断しきれないわね』
現状でリィンにできることは静観するしかないと言われて歯がゆく感じる。
「そのうちエステルたちと一緒にロレントの家に遊びに来るといい。楽しみにしているぞ」
「バカみたい……そんなことあり得ないんだから」
そんなリィンの苦悩も知らず、カシウスとレンは微笑ましいやり取りを交わしていた。
リベールでの戦いが終わり、その事後処理もようやく終わりが見えてきたところに自分しか認識できていない予兆にリィンは表情を硬くするのだが、それ以上の変化はなかった。
いったい何だったのか、リィンは周囲を見回すとクローゼと目が合い……逸らされた。
「…………え?」
クローゼらしからぬ素っ気ない態度にリィンは首を捻るのだった。
*
年明けの中央会議も終わり、各地の領主たちはその地方へと帰り、クローディア王太女達もリベールに帰って行った。
リィン達もユミルへの帰路に着いたのだが、どういうことかシュバルツァー家は深紅の列車《アイゼングラーフ号》に乗っていた。
しかも車両一つ丸々使う形で造られた豪華な食堂車にはシュバルツァー家だけではなく、《鉄血宰相》とその《子供》と呼ばれるクレアとレクター。さらにはセドリックも同乗していた。
「すいません。リィンさん、なんだか押し掛けるみたいになってしまって」
「いや俺は別に構わないんだけどな」
ユミルに帰るその日、見送りに来ていたオリヴァルトは突然セドリックを一ヶ月ばかり預かって欲しいと言い出した。
特に断る理由もなくテオはそれに了承したのだが、同行者は彼だけに留まらなかった。
「おいおい、どうした二人とも元気がねえぞ」
「レクターさん……セドリック殿下になんて口を聞いているんですか」
気安く声をかけるレクターをクレアが諫める。
二人とも式典の時に着ていた礼服や軍服ではなく、それぞれ私服を着てこの場にいた。
「硬いこと言うなよクレア。これは殿下にとってはお忍びなんだから肩肘張らなくていいんだよ……
だいたいその調子で一ヶ月も過ごすなんて息が詰まっちまうぜ。なあ、坊ちゃんもこれくらい砕けていた方が良いよな?」
「え……ええ、僕のことはセドリックと呼び捨てにしてくれて構いません……
これから一ヶ月、僕は御二人の生徒になるわけですから。でもできれば坊ちゃんはやめてください」
それがセドリックがユミルに来る理由だった。
どんな理由があるのかまでは説明されていないが、セドリックは飛び級をしてトールズ士官学院に入学することを決めたらしい。
そのため今通っている学校を休学し、集中して勉学に励むため、同じ目標を持つリィンと一緒に勉強の合宿をすることになった。
レクターは政治経済についての講師として、クレアは軍略や数学の講師としてリィンのついでにセドリックの家庭教師をすることになった。
さらには中央会議が終わったことで皇帝陛下は宰相に短いながらも休暇を与えることにし、その行き先がユミルとなった。
そのギリアスとテオは食堂車の一角のバーカウンターで静かに杯を傾け、何かを話している。
「やれやれ……」
御前試合に伝位認定の儀など年明けから様々なイベントをこなしてきたリィンは疲れた息を吐く。
予想外の客人を迎えることになったが、帰ったら一日くらいは羽を伸ばして休みたいとリィンは思う。
ユミル山麓に到着するとそこからケーブルカーに乗り換え、山岳中腹にある小さな里、《温泉郷ユミル》に到着する。
「……そんな……」
帝都に行く前に一度帰って来た故郷に改めて帰って来た感慨に浸る間もなくリィンは言葉を失った。
「ようやく帰ってきたか」
ケーブルカーの駅舎の前の足湯場で右目を眼帯で覆った《赤の戦鬼》が一番にリィン達を出迎えた。
「シグムントさん……それにリア――……」
「人がいるところではアリアンロードと呼んでくださいリィン」
リィンの言葉を遮って《鋼の聖女》が微笑む。
「ククク……待ちわびたぜシュバルツァー」
そして《劫炎》が獰猛な笑みを浮かべる。
「ふむ……御主が今代の灰の起動者か……」
更には見知らぬ女の子がリィンを不躾な眼差しで観察する。
皇帝陛下への謁見が終わりようやく一息吐けると思ったのだが、リィンの受難はまだまだ続くようだった。
ありえなかったIF
中間試験
一位 レン・ヘイワース 1―Ⅶ 1000pts.
二位 エマ・ミルスティン 1―Ⅶ 975pts.
二位 マキアス・レーグニッツ 1―Ⅶ 975pts.
マキアス
「負けた……というか中間試験満点って……ハハハ……」
エマ
「マキアスさん気をしっかり持ってください。ほら、マキアスさんも私と同点の二位ですから十分に立派ですよ」
クロウ
「あのおチビ、飛び級だから頭良いのは分かっていたけど満点って、まるで去年のトワみたいだな。背の高さといい」
ジョルジュ
「はは……自分より背の低い後輩だからトワが随分と可愛がっていたけどね」
アンゼリカ
「リィン君……グッジョブ」
NG
ギリアス
「なんだロゼ、いつの間に縮んだんだ?」
ロゼ
「…………開口一番でそれか、相変わらずじゃの――って、何だと……?」
ギリアス
「おっと失礼お嬢さん……もしかして迷子かな?」
ロゼ
「……………………パパーッ!」
ギリアス
「ちょ!? やめろロゼ! 抱き着くな!」
アリアンロード
「ギリアス・オズボーン宰相……お話があります。聞いてくださいますね?」
ロゼに抱き着かれ、肩をアリアンロードに掴まれてギリアスは引きずられていく。
テオ
「ギリアス兄さん……まさか……貴方は……」
レクター
「…………あの鉄血宰相に隠し子……この写真は売れる!」