帝国時報1204年第一号。
『奇蹟の生還! 新星現る! その名はリィン・シュバルツァー』
1203年最後を締めくくる式典が帝都ヘイムダルの闘技場で行われた。
今年は隣国リベールの《異変》という大きな事件はあったものの、無事にエレボニア帝国は新年を締めくくることができた。
その式典で今年から社交界に積極的に顔を出し、注目の的となっているオリヴァルト皇子が一つの発表を行った。
告げられたのは、皇子と共に浮遊都市に乗り込み、怪しげな組織との戦いで命を落としたはずだった男爵家の嫡男の奇蹟の生還。
※温泉郷ユミルのシュバルツァー男爵家の浮浪児と貴族界で噂になったことについては後述させてもらう。
オリヴァルト皇子の計らいにより、リィン・シュバルツァーは今年の新人御前試合の四人目として帝国正規軍、第四機甲師団指揮官、オーラフ・クレイグ中将と相対することになる。
彼は東方の太刀を使い、見事にクレイグ中将を降した。
しかし、それが彼の全力ではなかったとオズボーン宰相が指摘され急遽、彼のための特別試合が式典後に行われることになった。
抜擢されたのは本日の御前試合で彼以外の相手となっていた三人――
《光の剣匠》ヴィクター・S・アルゼイド、《雷神》マテウス・ヴァンダール、《黄金の羅刹》オーレリア・ルグィン。
この三人の中から一人を選ぶはずだったのだが、彼はあろうことか自分を含めた四人でのバトルロイヤルを提案した。
観客の多くから若者の無謀な蛮勇と嘲笑されながら試合が始まると、信じられないことに開始と同時にアルゼイド子爵が彼によって脱落した。
その後の戦いもヴァンダール子爵とルグィン伯爵との三つ巴に一歩も引くことなく立ち回った。
試合の結果も、アルゼイド子爵を落としたのみの戦果だが、ルール上では二位。
ユミルの得体の知れない浮浪児と後ろ指を指されていたリィン・シュバルツァーは鮮烈なデビューを果たすことになった。
以下それぞれのコメント。
リィン・シュバルツァー
「最初にアルゼイド子爵を狙った理由ですか?
最後に一対一になった時、一番厳しい戦いになると思ったからです……
ですがヴァンダールの剣の方が弱いと感じたわけではありません。ミュラー少佐とは何度か手合わせをしたことがあるので闘い易いと思ったんです……
ルグィン伯爵を狙わなかったのは、最初の一撃が失敗したら彼女との共闘を考えていたからです……
え? 浮遊都市での戦いですか? ええ……女の人と戦ったんですが御三方には申し訳ないですが彼女の方が強かったと思います」
ヴィクター・S・アルゼイド子爵
「まずは皆さんに無様な姿をさらしてしまったことをこの場を借りてお詫びしたい……
今回の敗因は全て私がリィン君を侮り、久方ぶりにマテウス卿と剣を交える悦びに浮かれていたことが原因だろう……
リィン君は私の事を高く評価してくれているようだが、此度の名誉挽回のためにも是非改めて剣を交えてみたいものだ」
マテウス・ヴァンダール子爵
「今回の試合では確かに私が勝者だが、その試合を最後までコントロールしていたのはリィン・シュバルツァーだった……
そういう意味では私は彼の策のおこぼれを貰ったに過ぎない……
彼が最初に倒すべき相手に私を選んでいれば、勝者はおそらくヴィクター卿だっただろう……
出来ることなら、すぐにでも再戦したいものだ」
オーレリア・ルグィン伯爵
「うむ、言い訳のしようのない完敗だな……
ああ、慰めは不要だ。落ち込んでいるわけではないからな……
むしろ新たな逸材が現れて昂っているくらいだ……
そう言っていただけるのは光栄だが、試合として全力を出していなかったのはお互い様だ。おそらく彼にはまだ上があるだろう……
今回のようなバトルロイヤルも良いが、彼とは一対一で存分に仕合ってみたいものだ」
上記のように彼と戦った御三方のリィン・シュバルツァーへの評価は高いものの、観客の中では貴族にあるまじき優雅さに欠けた戦い、トリックを仕組んでいたはずだと批難の言葉が多く上がっていた。
*
バルフレイム宮東翼。
湖のような堀が一望できるガラス張りの大空間――《翡翠庭園》。
夜の帳が降りた空には月が浮かび、それに合わせた照明と何処からか聞こえてくる管楽器の生演奏が幻想的な雰囲気を作り出している。
エレボニア帝国皇帝ユーゲント・ライゼ・アルノールによる祝辞と乾杯の音頭で晩餐会は始まる。
広いホールに並ぶテーブルには様々な料理が並べられ立食形式でそれぞれの派閥が集まり歓談している。
その中で直前の御前試合で活躍したリィンは多くの人に囲まれ――ることなく、わずか数人しかいなかった。
「ごめん……父さん」
「ははっ! 気にするなリィン。むしろありがたいくらいだ」
遠巻きにしてくる眼差しに込められた感情は猜疑心と軽蔑。
四人で行った御前試合が終わった時にリィンに投げつけられた言葉は賞賛するものではなく、むしろ困惑だった
開始と同時に《鬼気》と《裏技》を使ってアルゼイド子爵を倒したのだが、一瞬の出来事だったため、それを正確に見切れた人は会場にほとんどいなかったようだった。
そのインパクトが大き過ぎたせいで後のマテウスとオーレリアとの戦いも熱狂と言うよりも、現実逃避の放心している者の方が多かったくらいだった。
――アルゼイド子爵を倒すなんてありえないっ!
――何かインチキをしたに決まっているっ!
――優雅さの欠片もない恥知らずがっ!
――これだから得体の知れない浮浪児は!
流石に声を大にして罵倒するものはほとんどいなかったが、リィンの戦いぶりをきちんと評価する者は少なかった。
まだお披露目が終わっていないエリゼをこの場に連れて来なくて良かったとリィンはつくづく思う。
リィンの周りにいるのはテオの他に三人。
その三人は貴族ではなかった。
「ふん……お前が気にすることではないだろ。騒いでいる奴はただの無能だ……しかし流石はエレボニア帝国の晩餐会、良いワインだ」
ガラの悪いシスターは周囲の目など意に介さずワインを堪能していた。
「アインさん……でも、インチキをしたというのは間違ってはいないですから」
「もぐもぐ……気にする……はむはむ、ごくん……必要はありません。もぐもぐ……今や姉様はリィン君の力の一部……はむ……
《鬼の力》も含めて……ぱくぱく……全て貴方の力なのですから胸を張っていいんですよ……はあ、宮廷料理、おいしい……」
「あー言いたいことは分かるんやけど、リース喋るか食べるかどっちかにしとこな? ここ上流階級の社交会なんやから」
「もぐもぐもぐ、ぱくぱく……ゴクン……」
注意されたリースは食べることに集中する。
そんな姿にケビンはため息を吐いた。
「すまんなリィン君、テオさん……招待されたっていうのにこんなんで」
「いえ、むしろ俺の方こそすいません。まさかこんなことになるとは思いませんでした」
「そもそもお前ならもっと無難に済ますことができたんじゃないかルフィナ?」
リィンがアインと呼んだ女性の声に応えたのはリィンだったが、その口から出て来た言葉は彼のそれではなかった。
「あら、そう言われるのは心外ね。それぞれの派閥に信者がいる以上、多少の罵倒は想定の内よ……
それに私が提案したのは四人でのバトルロイヤルで、ルグィン伯爵と共闘することだったのよ」
「ほう、ならどうしてああなった?」
「それはリィン君本人に聞いてくれるかしら?」
スイッチを切り替えることを意識して、彼女から体の制御権を戻す。
「それは俺の我儘ですね。あまり大っぴらには使いたくはなかったですけど、《鬼の力》をちゃんと制御できていることを父さん達に見せておきたかったんです」
「いや、速過ぎて何がなんだか分からなかったんだがな」
リィンに向けられた視線にテオは苦笑いを浮かべる。
自然な笑みを浮かべる今のリィンを見て、家出する前に見せていた笑顔がどれだけ歪だったのか分かる。
改めて、テオはリベールの人達に感謝する。
「ふふ……エリゼとミュゼも最初何が起きたのか分かんなくて目を丸くしていたわよ」
「レン? どうしてここに、エリゼ達と一緒のはずじゃないのか?」
先程別れたはずのレンがいつの間にかそこにいた。
「ええ、そうだけど……せっかく教会のお兄さんたちが来てるから顔を見せにきたのよ……
レンにはお披露目なんて関係ないから構わないでしょ?」
「俺としてはあまり夜更かしをしてほしくないんだけどな」
「子供扱いしないでもらえるかしら?」
リィンの物言いにレンは口を尖らせて抗議する。
そんな彼女にアインが声を掛ける。
「君が《殲滅天使》か……やれやれ、どうやら0.1%の確率を掴ませてしまったみたいだな」
「0.1%……? 何のことですか?」
「フフ、リィンが気にすることじゃないわ……初めまして《紅耀石》さん。まさか星杯騎士団の総長が来るとは思ってなかったわ」
アイン・セルナート。
星杯騎士団に所属するケビンと同じ《守護騎士》の第一位。
つまりは彼女も《聖痕》を宿す者であり、騎士団を纏める総長であり、ケビンの上司だった。
「それだけリィン・シュバルツァーの存在が教会にとって大きなものとなっているということでもあるが……個人的にはルフィナの存在を確かめる必要もあったからな」
「教会の……それ程にですか?」
「未だに君をワイスマン憎しで排除しようと叫んでいる者もいるくらいにな……
幸いと言って良いか分からないが、一度の未遂をエレボニア帝国とリベール王国、両方に知られてしまったのだからすぐに動くことはないだろう……
ここで君を害せば、両国はまずうちを疑うからな。後は影のルフィナでは信用できないと、護衛兼監視を付けることも考えているな」
「何だかすいません」
「君が謝ることではない……元はと言えばあの《破戒僧》を世に出してしまった教会の不始末……
出来れば中立を保っている《守護騎士》の何人かをこちら側に引き寄せたいんだが、何か案を出せルフィナ」
「あらあら相変わらず人使いが荒いわねアインは」
丸投げしてくる親友にルフィナは呆れた声を返し、それならと続ける。
「まずライサンダー卿を引き込みましょうか」
「ほう? あいつか、何か宛はあるのか?」
「《庭園の書架》、写本になってしまうけどここではある程度の想念があれば好きな書物を呼び寄せることができるわ……
まだ彼の趣味が変わっていないのなら、興味を示すはずよ」
「なるほど……しかし話には聞いていたが、なかなか快適そうな空間のようだな?」
「ええ、それはもう《影の王》をやっていた時にはできなかったことを楽しませてもらっているわ……
リィン君も《星層》を自由に作れるからって各地の温泉地を再現できるんじゃないかって――余計なことは言わないでください」
ルフィナの言葉をリィンは途中で無理矢理止める。
しかし時は遅く、ルフィナの言葉の意味を理解したアインは声を殺して笑う。この場が貴族の社交界でなければ声を上げて笑っていただろう。
「ククク……まさかあのワイスマンの《聖痕》の力をそんなことに使うとは……これはこれで教会の阿保どもが騒ぎ出しそうなことだが、実に面白い」
「それから今通用するか分からないけど、当時の私が握っていた司教の何人かの弱味を教えておくわ」
「ほう……それはそれは、実に楽しそうだ」
ルフィナの言葉にアインは楽しそうに口角を釣り上げる。
「総長……ルフィナ姉……やり過ぎんようにな」
やばい方向にスイッチが入りそうな総長にケビンは戦々恐々する。
つくづくこの二人を組ませて敵に回したらいけないとケビンは心に刻む。
「楽しんでいるようだなシュバルツァー」
そこにオーレリアが現れると、リィン達を見回し、ほうっと獰猛な笑みを浮かべる。
しかし、すぐにそれを引っ込めるとまずはテオに向かって挨拶をして、改めてリィンに向き直る。
「なかなか興味深い者たちを招いているようだな……教会の騎士達にそちらの幼子も含めて、実に興味深い」
「ああ、特にそちらのシスターとは是非手合わせ願いたいものだ」
「やれやれ陛下から諫められたばかりだというのに、自重しろヴィクター」
「お前たちは存分に剣を交えたから気分が良いだろうさ、マテウス……
文句を言うつもりはないが、私は実質何もできなかったのだぞ」
オーレリアを皮切りにマテウスとヴィクターもリィン達のところにやってくる。
「申し訳ありませんアルゼイド子爵閣下……一応手加減はしたのですが、御身体は大丈夫でしょうか?」
「ほう……もしやと思っていたがやはりあれが全力ではなかったか……
安心したまえ、私もそれなりに鍛えている。あの程度で壊れるほど柔ではない」
むしろヴィクターは楽しそうに笑う。
「気に病むようなら領に帰る前に改めて手合わせを願おう。今度は一対一でな」
「自分はこの後、リベールから来る王太女と会う予定がありますけど、それ以外はユミルに帰るだけですから構いませんが子爵閣下は大丈夫なんですか?」
それぞれの領主はむしろ年が明けてからの会議こそが本番。
「ふ、構わんさ……同じ子爵でも守護役でもなければ、伯爵でもないからな……
立場上は最後までいることになるが、それくらいの時間は作れるだろう」
「くっ……」
「むっ……」
身軽いヴィクターの発言に他の二人は悔しそうに顔を歪ませる。
「えっと……っ」
好戦的な御三方のアプローチにリィンがたじろいでいると、離れた場所から敵意の篭った視線を感じて振り返る。
「っ……」
遠くのテーブルからリィンを睨んでいた彼女はリィンが振り返ったことに慌てて顔を逸らす。
「ラウラ……?」
控え室で気安く話しかけてきてくれた彼女らしくない反応にリィンは首を傾げる。
「良いのか?」
「これも良い経験というものだ」
マテウスとヴィクターは彼女の心情を理解しているように、意味深な言葉を交わす。
「そういえば明日、新年の会議の最初の議題はリィン君の勲章と渾名を決めることになったらしい」
「何ですかそれは? 自分はすでに新人賞の勲章は頂いているんですが?」
オーレリアの突然の言葉にリィンは耳を疑う。
「むしろ当然のことだろう。我ら三人の中であれだけの大立ち回りを演じたのだ。新人の勲章で済ませてしまえば他の者たちもそうだが、来年以降の子供たちにも差し障る」
「もっともあの試合をインチキだと言うものも少なからずいるようだがな」
「そのことは今は良いでしょう。それよりもそなたは何か名乗りたい渾名はあるか? 私としては《白銀の剣鬼》などというのがお勧めだが」
「オーレリア……お前は……リィン君は焔の戦技を得意としている。ならば《焔神》か《焔帝》辺りが妥当だろう」
「いやリィン君には《閃光》こそが相応しいだろう」
「えっと……」
御前試合の時のように睨み合う御三方にリィンは再びたじろぐ。
「もう何を言っているのかしら、リィンにはもうちゃんとした渾名があるっていうのに」
「ちょ――レンッ!?」
嫌な予感がしてレンの口を塞ごうとするが、その手をひらりと避けるとレンは小悪魔な笑みを浮かべて言った。
「リィンは結社で《超帝国人》なんて呼ばれているのよ」
「わああああああああっ!!」
大声を上げてレンの声を掻き消そうとする。
そんなリィンの突然の奇行に周辺の貴族たちは顔をしかめるが知ったことではない。
もっともリィンの抵抗は空しくその名はアインやテオを含めた五人にしっかりと聞こえてしまうのだった。
*
年越しの晩餐会は普段のそれとは少し異なっていた。
最後の日だからこそ、翡翠庭園は日が変わるまで解放されている。
もっとも最後までそこにいる者は少なく、四大名門などの大貴族は日が変わる瞬間などには興味を示さず、明日の会議に向けてそれぞれ宛がわれた部屋に戻って休息を取っている。
オリヴァルトもその例にもれず、リィン達と別れて就寝の準備を進めていた。
そしていよいよ眠ろうとしたところで、彼が訪ねて来た。
「兄上……お話があります」
「おや、セドリック。こんな夜更けにどうしたんだい……というか、まさか離宮を抜け出してきたのかい?」
彼が来ることそのものはおかしくはないのだが、この時間帯は初めてのことだった。
セドリックもそうだが、アルフィンもまだお披露目を済ませていないため晩餐会には参加していない。
代わりにエリゼやミュゼ、クルトを彼らが普段生活しているカレル離宮に招いてささやかなパーティーを行っていたはずだった。
普段は特別列車で二人とも学園に通っているが、決して徒歩で歩けない距離ではない。
しかし、行動力のあるアルフィンならともかく、押しの弱いセドリックがそんな大胆な行動を取るとは思えなかった。
ましてや、護衛役のクルトを伴っていないことも珍しい。
「ふむ……取り合えず、何か温かいものでも用意させよう」
セドリックの顔にある種の覚悟を感じ、叱ることよりも非常識な訪問を受け入れることにする。
「あ……」
決意の中にあった怒られるのではないかという怯えた部分が安堵する。
メイドを呼んで二人分の飲み物を用意するように頼む。
気が急いているのか、それを待たずに話を始めようとするセドリックを落ち着かせ、運ばれてきた温かな飲み物で一息つかせる。
「さあ、話というのは何だい?」
そこでようやくオリヴァルトは弟に尋ねた。
セドリックは深呼吸を一つ挟み、力強く己の思いを口に出した。
「兄上、僕を来年のトールズ士官学院に入学させてください」
「それはまたどうして? 君は再来年に入学することになっているはずだが」
「はい、それは分かっています……でも……」
「急ぐ必要はない。まだまだ夜は長いのだから落ち着いて君の考えを聞かせてくれたまえ」
「…………最近、このままでいいのかって思ってしまう時があるんです……
兄上に比べたらまるで勉強不足で力も、機転も全然足りなくて、こんな僕がいずれ父上の跡を継いでいいのかって……」
「フフ……同じようなことを、リベールのクローディア殿下も仰っていたよ」
「え……」
「彼女も王太女という、次期女王の立場を継ぐにあたり相当迷い、悩まれたそうだ……
しかし、己の力不足を受け止めた上でそれでも前に進む決断をなされた……
我が弟にもそれと同じことが出来ないと決して思わない」
「ありがとうございます、兄上。何よりも心強い言葉です」
「それでその悩みが士官学院への入学を早めることとどう繋がるんだい?」
「兄上が書いたリィンさんの物語……とても感動したんです」
身分を隠し、多くの人と触れ合い楽しそうにしている兄の姿。
《異能》という大きな力を持ちながらも、少しづつ成長していくリィンの姿。
まだ結末まで読んでいないが、彼が無事に帰ってきたことから物語はきっとハッピーエンドで幕を閉じるのだと思う。
そして同時に思う。
今日の彼の御前試合はそんな物語の最初の彼と同一人物だとは思えない程に力強く、とても大きな存在だった。
「だから思ったんです。僕も兄上やリィンさんのような冒険がしたいと、皇族のセドリック・ライゼ・アルノールではなく一人の人間として何かを成し遂げてみたいと……
そうすれば僕ももっと強くなれるんじゃないかって思うんです!」
「それがトールズ士官学院への入学を早める理由になるのかい?」
「名前はもちろん変えます。士官学院は寮生活だったはずですから身の回りのことも自分で全部やります……
ワガママを言っているのは分かっています。でも、もしかしたらこれが最後のチャンスなのかもしれないんです……お願いします。兄上っ!」
頭を下げるセドリックにオリヴァルトは苦笑を浮かべる。
普段から聞き訳が良く、ワガママらしいワガママも言わないできた弟だが、行儀が良過ぎてもう少しワガママになるべきだと思っていた。
トールズ士官学院の理事長の権力を使えば、セドリックのワガママを叶えることは容易だ。
しかし、オリヴァルトは首を横に振った。
「その理由では、私を納得させることはできないな」
「兄上……」
「確かに君は未知への冒険をしたがっているのだろうが、本音はそれじゃないだろ?」
「っ……」
「それをちゃんと口にしない限り、私はトールズ士官学院の理事として、君の早期入学を認めることはできない」
優しい兄の初めて見る厳しい顔にセドリックは怯む。が、唇を噛み締めその威圧に耐えるように声を振り絞る。
「《激動の時代》……」
「うん?」
「オズボーン宰相閣下が近頃よく口にするようになったお言葉です。兄上はそれがもうすぐやって来ると、何かが起きると思っているはずです」
「ああ、その通りだ」
「その時、その中心にいるのは兄上ではなく、リィンさんだと思っているんじゃないですか」
「…………続けたまえ」
「僕は兄上やアルフィン、クルトみたいに何の取り得もない……
でも、何もないからと言って、何もしなければ、何も変わらない……
このまま守られるだけの皇族……《傍観者》でいるのは嫌です! 僕はお姫様じゃない! 僕は……僕は《英雄》になりたい!」
はっきりとそれを口にしたセドリックにオリヴァルトは笑みを噛み殺す。
「まさか《英雄》と来たか……」
「はい」
迷いなく真っ直ぐに頷くセドリックにオリヴァルトは眩しそうに目を細める。そして意地の悪い笑みを浮かべる。
「盛り上がっているところ悪いけど、まだリィン君が来年度のトールズ士官学院に入学するかは決まっていないよ」
「…………え?」
「生還したばかりだし、テオ殿とルシア殿と話し合ってから返事をすると、あの時話していたのを忘れたのかい?」
「あ……」
オリヴァルトの指摘にセドリックは最初に会った時のことを思い出して顔を赤面させる。
先程の御前試合で感じていた胸の熱さが急激に冷えてくる。
「それにもしリィン君が入学の件を引き受けてくれたとしても、試験があるからね……
推薦点は上げるけど、裏口入学は互いのためにならないからするつもりはない……
その代わり試験に受かるための勉強面でのサポートはするという話もしたはずだね」
「あうあう……」
先程までの威勢の良さは何処に行ったのか、セドリックはいつものように右往左往と顔を揺らす。
可愛い反応を返してくれる弟を堪能したオリヴァルトは佇まいを直す。
「セドリック……取り合えず君の意志は了解した……
だがリィン君が仮に良い返事をくれたとしても、君は君でトールズ入学の基準を満たす必要がある……
まずは試験で合格、それもただの合格ではダメだ……
父上や宰相閣下を説得するためにも、実技と座学、二つの総合で上位五位の中に入ることを条件にさせてもらうとしよう」
「上位五位……」
「一年早い君には厳しい条件だと思うが、その程度の試練を超えることができずにリィン君の横に並び立つつもりかな?」
「っ……」
「それから当然、クルトを巻き込むのはなしだ……
ヴァンダールの彼が傍にいれば例え名前を偽ったとしても、君が皇族であることが気付かれてしまうからね、それでもいいかい?」
「はい、それは覚悟の上です」
狼狽えていた顔を引き締めてセドリックは強く頷く。
いつの間にか男の子の顔をできるようになった弟にオリヴァルトは嬉しくなる。
「それにしても……」
「え……?」
まだ何かあるのかセドリックはオリヴァルトの呟きに首を傾げる。
「《英雄》になりたいか……我が弟ながら言うじゃないか」
「あ……」
セドリックは自分が言った言葉を思い出す。
十五にもなって物語の主人公に本気で憧れているとも取れる言葉にセドリックは震える。
「セドリック……」
「は……ひゃいっ!」
オリヴァルトの呼びかけにセドリックは声を上擦らせる。
またからかわれる。それを覚悟したセドリックは――
「頑張りたまえ」
「え……?」
予想とは違う優しい言葉に目を丸くする。
「彼を追い駆けることは大変だよ」
「……はいっ!」
尊敬する兄の言葉にセドリックは強く頷いた。
*
「とうとうこの時が来たか」
晩餐会はつつがなく終わり、飲み足りない話足りないという宛がわれた部屋で二次会を行っている者もいる。
マテウスは職務に戻ったが、シュバルツァー家に宛がわれた部屋ではおそらくヴィクターとオーレリアの二人が赴き、彼のリベールでの旅路の話を聞いている頃だろう。
「《灰の騎神》……《根源たる虚無の剣》……《鋼の至宝》とその呪い」
式典が終わった後、すぐに行われたシュバルツァー家と皇帝陛下との謁見は何の問題もなく終わった。
しかし、その後のオリヴァルト皇子によるリィン・シュバルツァーを交えた話し合いはギリアス・オズボーンの度肝を抜く内容の話だった。
この十数年、心を鉄にして保っていた鉄面皮も剥がれ落ちてしまいそうな程の衝撃だった。
「どのような方法を使ったか分からないがヴァリマールと契約を交わし、《影の国》で《鋼の至宝》の意思を宿すか……」
驚くべきことの連続だったが今のところ《黒の史書》を大きく逸脱している様子はない。
《黒》は《リベールの異変》で予備は死んだと言っていたが、ギリアスが見た限りでは《呪い》が完全にリィンに飲み干されたように見えた。
だから《黒》はそれで繋がりが途切れたことでリィンの死と認識したのだろう。
「新たな《贄》が生まれることになるだろうが……さて、いったいどうなることか……」
ギリアスは口元に抑え切れない笑みを浮かべる。
これから先の未来は確定している。
だが、何の根拠もないのに《未来》に胸を躍らせている自分がいることに驚く。
「私も……向き合わねばならないか」
今までそんなことを考えたことは一度もなかった。
ただそれを忌まわしい存在だと嫌悪し続けていた。それこそその在り方に哀れみを感じる程に。
しかし、その生い立ちを聞かされればそれの在り方にもようやく合点がいった。
「…………イシュメルガ」
誰もいない執務室の中で、ギリアスは初めて自分からそれを呼んだ。
「イシュメルガ」
『何ノツモリダどらいけるす?』
二度目の呼び掛けでそれは応え、ギリアスの目の前に黒い何かとして現れる。
「何、少し話をしようと思ってな……思えばお前と腰を落ち着けて話したこともなかった……
お前の起動者として、まずは名乗らせて貰うとしよう。かつてドライケルスと呼ばれていたが、今世の名はギリアス・オズボーン……
以後、ギリアスと呼んでもらえるかな?」
『…………クダラン』
それは一言残すと、現れた時と同じように煙のように消えてしまう。
「ふふ……」
最初の接触は失敗に終わったが、これくらいは想定の範囲。
むしろ自分の呼び声に反応しただけでも十分な収穫だった。
「さて……愉しくなりそうだ」
絶望に突き進むだけのはずだった道にはいつの間にか光が見えていた。
こんな結末IF
七耀歴1280年8月
《相克》に負けたギリアスはようやく解放されたが、女神のいたずらか生前の記憶を持って三度目の人生を歩み直すことになった。
付き纏う《黒》の声はなく、面倒な血筋にも縁のない平民の家で生まれた彼は自由な生を謳歌していた。
しかし――
「リアンヌさん、今度の夏至祭ではギリアスはわたくしと一緒に回るんです。邪魔しないでいただけますか?」
「邪魔はむしろ貴女でしょうイヴリン。彼にはその日、デュバリィ大祖母様と会ってもらうことになっています」
ギリアスの目の前で身目麗しい二人の少女が穏やかな笑みを浮かべて火花を散らしている。
片方は皇族。もう片方は子爵と格式は低いものの、皇族の権威に一歩も退く様子はない。
ちなみにギリアスにはどちらともその日の予定を約束していない。
「今日も大変ですね、ギリアス」
「そう言うなら助けてくれフランツ」
「ククク……あんな美人な二人に言い寄られているのに何が不安だっていうんだ?」
「ルトガー……」
楽しそうに笑い助ける素振りも見せない同級生たちに思わずため息を吐く。
生前に関わったことのある名前と面影を宿す風貌。
しかし、彼女たちにも彼らにも前世の記憶はない。
それが普通であり、自分が異常なのは分かっているのだが時々それが酷く寂しく感じる。
「のう、そこ行く女難に満ちた少年よ。ババアが占ってしんぜよう」
「…………台無しだ。何をやっているロゼ?」
「はて? ロゼとは誰のことだ? 私はそんなクールでビューティフルな魔女とは何の関係もない、ただのしがない占い師じゃぞ」
そう言い張るフードで顔を隠しても見覚えのある色の髪を垂れ流しにしている魔女は白々しく惚ける。
「ふふ……まあ良い。ところでドライケルス」
「おい……」
「小僧からの伝言じゃ……今、幸せか?」
魔女の質問にギリアスは彼女たちを振り返る。
「こらっー! 先輩たち、またこんなところで喧嘩してっ!」
「カ、カーシャ!? 違うのよこれは……えっと……」
「おはようございます。カーシャ。私は悪くありません。イヴリンが勝手に突っかかってきただけです」
皇族や貴族という立場など関係ないと言わんばかりに二人を叱る平民の後輩、二度目の人生で最も愛しかった女性の面影を持つ少女。
ギリアスは空を見上げ、そこに愛しい息子の顔を思い浮かべて呟いた。
「ああ、私は今幸せだ……ありがとう、リィン」
しかし何故か思い浮かんだ息子の姿は《魔界皇帝》の姿をしていた。
「orz」
本日のNG
セドリック
「僕は兄上やアルフィン、クルトみたいに何の取り得もない……
でも、何もないからと言って、何もしなければ、何も変わらない……
このまま守られるだけの皇族……《傍観者》でいるのは嫌です! 僕はお姫様じゃない! 僕は……僕は《超帝国人》になりたい!」
オリヴァルト
「よく言った我が弟よ。この兄が全力で手助けをしようじゃないかっ!」