魔導兵 人間編   作:時計塔

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少女は学園長

「し、失礼します」

 

 左霧は呼ばれた通りに学園長室へのドアを開いた。新任教師はまず学園長へのお目通りを済ませ、『副担任』として担任教師の助手を務めるのがこの学園の基本らしい。臨時教師なので、このままでは一生副担任で終わってしまう可能性もある。

 つまり、彼の修行は、ここから始まったばかりなのだ。

 

 「入れ」

 

 扉を開けた先には、眼鏡をかけた――――少女が座っていた。それ以外に誰もいない。つまり先ほど聞こえた声は、少女から発せされた声なのだろうと左霧は判断した。

 執務机で何やら高速で羽ペンとインクを行き交いながら、涼やかな顔で腕を動かしている、初等部くらいの少女。チラリとこちらを横目で見たが、それから再び自らの仕事へと戻っていったようだ。

 

 その間、左霧はと言えば、当然困ったことになった。学園長室に行けと言われて来たと思えば、ちんまい少女が優雅に学園長ごっこをしている最中だった。

 ――やれやれ。左霧は、自分が緊張しているのもバカバカしくなり、肩の力を抜いて少女へと近づいていく。

 

「もしもし? お嬢ちゃん? 初等部の生徒かな? ここは学園長室だから、勝手に入って来ちゃダメだよ?」

 

 もし勝手に入ってきてしまったのなら、お咎めを食らってしまうであろうが、こんなに小さな子なら自分が注意するだけで十分であろう、この年頃ならイタズラの一つ二つで怒っていてはキリがない。そう思って優しく諭してあげた、のだが、

 

「たわけ」

 

 何やら不穏な声が聞こえたような気がした。鋭く尖った声が、彼の方を睨んだかと思うと、また自らの作業へと戻っていく。

 気のせい――? 幻聴かな? その仕草が自然すぎて、左霧は幻覚でも見たのかと思い、再び少女に問いかける。

 

「君は初等部の生徒だよね? 僕は今日赴任……来たばかりの先生なんだ。よかったら一緒に初等部へ戻ろう? 大丈夫、さっき行ったばかりだから道は覚えているんだ。ここにいたら怖い先生に見つかってしまうからね。さぁ一緒に――」

 

「たわけと言ったのだ、青二才が」

 

「――!?」

 

 今度は、幻聴などではない。完全に聞こえた。左霧を罵るような声で、はっきり、くっきりと、睨むような目で。

 その年齢にしては、ものすごい威圧感だった。まるで何歳も年上なのではないかと、錯覚してしまうほどの眼光だった。左霧は、額に冷や汗をかいていたが、内心は穏やかではない。

 

(ここは、しっかり注意してあげるべきだよね)

 

 いくら相手が異様な空気を漂わせていようが、所詮は子供。それに少女とくれば、扱いは容易い。桜子に毎日接している分、左霧には他愛もない作業だった。

 再び左霧に興味をなくした少女は、羽ペンを走らせている。左霧はこれ幸いと思い、素早く少女の後ろへとまわりこみ、豪華な椅子の上から、その体を抱きかかえた。抱えてしまったのだ。

 

「言うことを聞かないと、恐ろしい魔法使いが君を食べてしまうよ? そら、一緒に初等部へ戻ろう?」

 

 ニコリと、左霧は笑った。その笑顔は、男性ですら魅了してしまうほどの威力を称えている。左霧の容姿は、中性的、いやむしろ女性的な魅力の方が多い。色白の素肌、整った顔立ち、細長い眉、小さな口……これで胸部が膨れ上がっているなら、誰もが彼を女と見間違えても致し方ないであろう。

 

 しかし、今はそんなことは全く関係ない。彼の笑みにも、少女は反応しなかった。いや、反応した。ゾッとするような殺気を込めた瞳で。

 

「貴様、下ろせ」

 

「こらそんな言葉使いで話してはいけません。大人と話すときは敬語を使いましょう、ね?」

 

「ね? ではない! 下ろせ、こら、馬鹿者が!」

 

 両手を振り上げて、あらんばかりの力で暴れる少女に、流石の左霧も何やら事情があるのではないか、と察し、遂には、少女の言いなりになってしまった。

 陸地に到着した少女は、黒いレースのドレスを手で払いながら怒りを滲ませている。よく見たら、年相応の服装とは思えない。どちらかといえば、大人向けのパーティードレスのようだ。

 

「全く……様子を見てやろうと思ったが、またとんでもない奴が来たものだ……」

 

 少女は溜息を尽きながら再び執務椅子にどっかりと座る。足を組み、いかにも偉そうに威張り散らしている。どこに置いてあったのか、パイプを加えるとそれをゆっくりと吸い――勢いよく左霧に向かって吐き出した。

 

「げほっ! げほっ! ちょっと、げほ!? いくらなんでもその年で喫煙はっげほ!」

 

「ほんっとうに鈍い奴だな君は! 私が学園長だ! このマリアナ学園の、が く え ん ち ょ う だ! いい加減気づけ、阿呆!」

 

 プリプリと頬を膨らませこちらを叱りつける少女は、誰がどう見ても、年相応の女の子だった。おそらくこのまま何事もなく話を続けていたら、左霧は一生この少女を『学園長』だと認識しなかっただろう。一概に、左霧が悪いという訳では、決してないのだが。

 

「そんなことを言って僕を困らせても無駄だよ? ほら、一緒に教室へ行こう? 何があったか知らないけど、よかったら聞かせてほしいな。あ、でも僕は高等部の先生だったね。まぁいいや、今はここから出るのが先決だ」

 

「ええい私の手を握ろうとするな! いい加減にしないと解雇だ解雇! いいのか!?」

 

「こら、大人を舐めてはいけないよ。その言葉にどれだけの人の生活がかかっているか、ゆっくり教える必要があるみたいだね」

 

「ああこら、頭を撫でるな……気持ちいい……ではない、ふん!」

 

「痛い! 何てことするの! もう注意だけじゃすまないよ? お尻ペンペンの刑だ!」

 

 少女の恐るべきジャンプ力により、左霧はパイプで頭を叩かれてしまった。しかし、左霧は日頃から桜子の教育にも携わっているため、よくこういった反抗にも遭遇する。その時は、いつも『お尻ペンペンの刑』と相場が決まっていた。そしてこの場合も、それが教育的指導にふさわしいと思った。多少の身体的ダメージは、躾という面では効果的だ。だが、それには、怒り以上に、『思いやり』が伴わなくてはいけない。よって、左霧は、この見ず知らずの少女のために愛を込めて刑を執行しようとしているのだ。

 

「あ、こら! や、やめろ! 何をする気だこの阿呆! 砂上! 砂上百合! 砂上百合、二八歳! 助けてくれー!」

 

 誰かの名前を呼んだ途端、隣の教務室から一人の女性が血相を変えて飛んできた。

 ビシッとした白いワイシャツにタイトな黒いスカート、を着た美人だった。髪は薄茶色に染めていて、今が旬のキャリアウーマンを醸し出している。その女性が、美人が台無しな程に、眉を歪ませて――学園長の元へ歩み寄り、一言だけ、

 

「私はまだ、二七です!!」

 

 と必死な思い出告げるのであった。

 

 

                    ※

 

「全く最悪だ! 『霧島』というからどんな奴が来たかと思えば、ただのナヨナヨした男女ではないか! もう少し余計なことをしていたら、クビにしてやったところだぞ! え? わかっているのね? 君!」

 

「はい……大変ご無礼を、申し訳ありませんでした……」

 

「いいか? 世の中見た目だけで判断していてはダメなのだよ? この内面からにじみ出る、ほら、わかるだろ、君?」

 

「分かりません……」

 

「わかれよぉ! わかってくれよぉ霧島くぅん? 私の体からにじみ出る、大人のオーラを、感じてくれよぉ!」

 

 結果的に、左霧は、少女の前で正座をしなくてはいけなかった。そう、少女こそこの学園の創立者であり、学園長の『雪ノ宮(ゆきのみや) 雪(ゆき)江(え)』その人なのだ。左霧の拙い情報によれば、今年で確か四〇歳だと聞いていたのだが、

 

「ん? なんだその目は? まさかまだ疑っているんじゃないだろうな? もしそうなら、君の評価を今一度考えなければいけなくなるが?」

 

「い、いえ……雪ノ宮学園長は……そのとてもお若く見えますね……」

 

「ふんっ、これでも一児の母だ!」

 

 嘘だろう! と思わず口を開きかけたが、これ以上は藪ヘビだろうと我慢した。この場は大人しく首を縦に振っていた方が正解に違いない。社会というには認められないことも認めなくてはならない恐ろしい場所だ。左霧はそう習っていた。だが、その小さな体でどうやって稚児を産んだのか、それが左霧にとって最大の謎になってしまった。この男は無駄に物事を考えやすいたちなのだ。

 

「霧島さん、先程は失礼しました。私は、あなたの担当する一年三組の担任、『砂上 百合』といいます。以後私の指示に従って行動するように心がけてください」

 

「はいっ! よろしくお願いします先輩!」

 

 元気よく左霧は砂上の手を握った。彼女も先輩と呼ばれてまんざらでもなかったらしい。軽く咳払いをして左霧の手を快く握り返してくれた。

 

「ところで霧島さん……は男よね? とても男性には見えなくって、不快に思ったらごめんなさいね」

 

「あ、いえ、よく間違えられるので……。はい、正真正銘の男です」

 

 左霧は少し恥ずかしそうにもごもごと喋った。毎回、会う人に女性ですか? と尋ねられる自分に少なからず羞恥心があった。それは、彼の容姿だけではなく一挙一動からも女性らしさが滲み出ていることを、彼は気づいていない。現に、ナヨナヨとした喋り方や、恥じらう仕草などを教師二人が見て呆れている。

 

「大丈夫なのか? こいつは?」

 

「年下! 男の娘! 黒髪! 僕っ子! これは、まさかの豊作!?」

 

 いや、一人はかなり喜んでいた。そんな様子を見て、雪江は若干引いている。これが、婚期を逃そうとしている女の本性なのだ。

 

「砂上! ほれ、新人教師が困っておるぞ?」

 

「は!! またもや失礼しました。霧島さん、この学園のほとんどの生徒は世間に名を馳せる大企業の令嬢や、旧華族の淑女、はたまた海外のVIPからの留学生など、とにかくその命で国一つが動かせるほど方たちばかりです。故に、どんな危険が起きようとも、常に生徒たちの生命が第一です。つまり、もしその命を狙う者が現れたなら、あなたの取るべき行動は、わかりますね?」

 

「……はい! 私は命を懸けて、生徒たちを危険から守ります!」

 

 この学園の創設には、ある理由があった。それは、国の命運を担う若者たちを、あらゆる危険から守ることである。その為、学園内の敷地にはあらゆるセキュリティシステムを搭載し、監視カメラを取り付けている。一歩たりとも敷地内に入らせる訳にはいかないのだ。

 

「ふふ……そんなに固くならないで霧島さん、一応心意気だけは十分伝わったから」

 

 砂上は左霧の緊張した表情を解きほぐすように肩を軽く叩いた。その自然な仕草に思わずドキリとしたが、それよりも真剣な話題であるのに砂上が笑顔なのである。

 

「この学園が設立して以来、犯罪なんて一回も起こったことなんてないの。それよりも問題なのがねっ、あの小娘たちっ! いえ、お嬢様方のことなのよ……!」

 

 笑顔のまま、砂上の後ろから悪鬼の類が出現したかと思ったが、一瞬で雲散した。どうやら思い出したくないことを回想してしまったらしい。ブツブツと何やらいけない単語を喋っているところを見ると、この教師、ちょっとバカンスにでも羽根を伸ばすべきなのでは? と精神的な面に不安を覚える左霧だった。

 

「まぁ……多少癖のある生徒が多いのは確かだ。花よ蝶よと育った世間ことなど何も知らない小娘ばかりだからな。だからこそ、この学園が必要なわけではあるのだが、な」

 

 学園長は腰に手を当て、頷きながら砂上のフォローをする。未だに学園長なのか信じられない左霧は、黙って様子を窺うしかなかった。

 

「時に、左霧とやら……『霧島』に男児は生まれていたのか?」

 

「はい」

 

 左霧は躊躇なく端的に言い切った。その表情をジッと学園長は見ていたが、やがて面白くなさそうに、ふんっと鼻を鳴らした。

 

「まぁいい、数々の無礼があったわけだが、私は君に期待しているんだ。せいぜい、私を裏切らないでくれたまえよ? 霧島の」

 

「……精一杯、頑張ります!」

 

 この時、左霧はあることに気づいていた。自分という個人に期待しているのではなく、彼女は『霧島』という言葉にのみ固執していたことに。

 自分はもう、あの家とは関係のない赤の他人なのだ、と言うことは出来なかった。それは、自分がその性を捨てきれていないことと、あの家に多少の未練があること、両方の理由があったからだ。

 だからこそ、認められたいと思った。霧島ではなく、自分自身の価値を。その為に、彼は探し出すのだ。自分の、可能性を――――。

 


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