魔導兵 人間編   作:時計塔

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屈辱、忘れぬ

 男は歓喜した。

先の総会にて遂に念願の勅令が出されたことに対してだ。

願ってやまない、この日のために全てを捧げてきた男にとって、今日ほど食の進む日はない。現に、男は三枚目のステーキを右手のフォークで抑えながら食らいついている。

そして左手に持ったナイフには、男の殺したくてやまないある人物が映し出されていた。

写真は幼い頃の自分自身も写してある。ひ弱で、脆弱だった頃の自分を思い出すと虫唾が走るが、それでもこの頃の思い出が、何よりも自分という存在をこの世に生きながらえさせることできた唯一の宝物になった。なってしまった。

 

「左霧……霧島、左霧」

 

 忌まわしき名前を言葉に出す。幼少期から奴のことが大嫌いだった。その性格は傍若無人で常に色んな女と共にいた。

笑顔など見せたこともなく無愛想で無口。おまけに根暗ときた日には絶対に関わりたくないと思っていた。

あの人に出会うまでは。

 

「左霧、おいで」

「…………」

 

 一瞬で恋に堕ちた。

 男にとっての初恋。

 その少女は白いワンピースを着ていた。髪は大嫌いなあいつと同じ真っ黒な色。歳は男よりも少し年上でスラッとした綺麗な肢体が魅力的だった。

 きっと、今も生きていたら絶世の美女として名を広げていただろう。だが、男にとってそんなことは二の次だ。

 笑顔。

 彼女の笑顔が大好きだった。

 自分にだけ見せてくれるあの満面の笑顔が、大好きだった。

 

「和也君、偉いね。また学校でかけっこ、一番だったんだね」

「うん、おねーちゃんのために頑張ったんだよ」

「わぁ! そうなの! ありがとね! 和也君が左霧の友達でよかった……」

 

 少女は屈託のない笑みを浮かべて憎たらしい奴の名前を呼んだ。

 奴は屋敷からひょっこり出てきた。体は歳をとるごとに丸みを帯びてきて、まるで女のような姿になっていく。気持ち悪いと思った。死ねと思った。いなくなれと思った。だけど少女の手前そんなことは言えなかった。

 なぜなら。

 

「左霧……私の左霧」

 

 少女の笑み。

 少女の手

 少女のぬくもり。

 少女の全て。

 あの人の存在そのものは、

 奴のためにあったのだから。

 

「相変わらず気持ちの悪い体だな、左霧」

「和也……少し痩せたか」

「痩せもするさ……毎年功績をあげ、皇帝に嘆願しているというのに、いつも棄却された。あの日から毎年、毎年だ。ただ、ただ、そのために俺は生きてきた……」

 

 写真に突き刺さった男は、目の前に大人となって現れた。あの日と変わらない瞳。あの日と変わらない憎たらしい性格。

 大人になっても何も変わりはしない。

 坂上和也は、霧島左霧が大嫌いである。

 唯一、変わったとしたら。

 もう、少女がこの世にいないこと。

 あの日は戻ってこないこと。

 つまり、こいつを生かしておく必要がないことだ。

 

「やっと勅令が通った。俺は勝った。お前をこの世から殺す日を待ちわびていたんだ」

「殺したければいつでもかかってくればいい。わざわざ勅令を待っている辺り、お前らしいな」

「知ったような口を聞くな、障害野郎。社会からも魔術師からも爪弾きされた劣等人種の分際で」

「……そうやっていつも俺を蔑んでいたな、お前は」

「本当はあの人の前でお前をボコボコにしてやりたかった。俺の方がいいと、俺の方が君にふさわしいと、俺の方が愛される資格があるのだと」

 

(気持ち悪い……何あいつ)

 

 右霧は目の前の男を軽蔑した。

完全に自分に酔ったナルシストだった。

 何でこんな男に会いにいかければならなかったのか。

 それは至極簡単だ。王たるもの、宣戦布告せずして戦争はできん、という左霧のメンドくさい性格が災いしたためだ。

 右霧と左霧は体を共有した魔導兵。聞きたくなくても男の耳障りな演説が聞こえてくるのだ。

 左霧との会話が聞こえている、ということは左霧が魔術回路を開いている証拠だ。いつもは固く閉ざし決して己との会話を聴かせることなどしないはずなのに、どうして今日に限って――――。

 こんな遠路遥々、汽車を繋いで会いにいく程の価値などあったのか。

 

「結婚はしていないのか?」

「そんなくだらないことを聴きに来たのか? 相変わらず劣等種だな、お前は」

(左霧、あいつムカつく。殺そうよ)

「黙っていろ」

「何だと?」

「いや、こっちの話だ」

 

 基本的に精霊である右霧の声が他の者に届くことはない。周りにはいきなり暴言を吐いたおかしな男としか映らないのだ。

 和也はこちらを睨んでいたが、特に気にしたふうもなく再び蔑みの目で左霧を見下ろした。

 

「お前は結婚したんだってな。お前に似てさぞブサイクな女だったのだろう」

「俺にはもったいないくらいのいい女だった」

「確かに、メス犬にしてはなかなかのようだったな――――調教のしがいがあった」

 

 いつからこんなに歪んでしまったのだろうか。おそらく最初からそうだったのだろう。

 和也は左霧と二人きりの時は、しきりに暴力を振るった。流石に魔術を使うことまではしなかったが殴られ、蹴られの散々だった。これがまた、見た目では分からないところを執行に狙うからたまったものではない。今でも体の節々に和也からの暴力の痕跡が残っている。

 昔から、人をいたぶることに関して和也の右に出る者はいなかった。

 とんでもない下衆と知り合ってしまったことに左霧は溜息をつく。

 

「お前の女はな、俺を見て怯えていたな」

「そうなのか?」

「ああそうさ。おそらく俺の魔力にビビっちまったんだな。悪いことをした。お詫びに犯してやったよ」

「そういう冗談はあまり関心できんな」

「つまらない奴だ。咲耶、とか言ったか? 平凡な、ただの平凡な人間だったな」

「俺はそこがよかった。あいつの普通なところが何とも」

「――――黙れ」

 

 

 外はいつの間にか真っ暗だった。ゴロゴロと雷の轟く音が遠くから聞こえてくる。それが段々近づいてくるのは、おそらく聞き間違いではない。

 なぜなら、坂上和也本人が、電撃を纏っていたからだ。

 金色の髪を逆立たせ、怒りに体を震わせていた。既に食事の時間は終わり、食後の運動とでも言いたげな様子だ。

 

「今日は挨拶に来ただけなんだがな」

「黙れ黙れ黙れ!! さっきからお前の声が汚らしくて耳障りなんだよぉ! もう喋るんじゃねぇよクソ野郎が!」

 

 雷撃が左霧を襲った。咄嗟に身を翻し焦点から体を僅かに逸らす。

 狙っていた。殺しに来ていた。脅しではなく、確実に。

 冷静なやつだとは思っていなかった。

 思いを馳せはいつもいきなり襲われた。左霧に殺戮衝動があるように彼には破壊衝動があるようだ。

 実は共通点が多いことに左霧は好感を持っていた。だからずっと耐えてこられた。

 

 

 ――――例え、あの人が全て分かっていたとしても。

 左霧は、坂上和也を唯一の友達だと思っている。

 

 

「てめぇは……あの人に愛されるだけじゃ、足らなかったとでも言うのか?」

「満たされた。そして失い。それを補うように、俺は結婚した」

「許さねぇ、絶対にだ。俺は、お前を地獄に叩き落とす。そしてあの人に認めてもらうんだ」

「もういない者にか? どうやって?」

「黙れっつってんだろ! 天国でも見てるさ! 俺がお前に勝つところを! その勇姿をな!」

「現実的ではないな。俺はあの人に会いにいくぞ。闘神になってな」

 

 和也は開いた口が塞がらないかのようにしばし左霧を呆然と見ていた。

 長い年月は、彼の心を壊した。復讐心に駆られ、霧島左霧を殺すことだけに囚われて生きてきた。

 

「そうか……お前も」

 

 和也は初めて男に対して同情の感を示す。魔術を中断し、再びゆったりと席に腰を下ろした。

 

「帰れ。今日は土足で俺の城に上がったことを、許してやるよ」

「寛大な処置、感謝する。いずれ、相まみえよう、旧友よ」

 

 旧友という言葉に訂正を示したかったが、それすらも今はどうでもよかった。

 なぜなら男は今さっきまで憎たらしくて殺したかった男が急に可哀想になってきたからだ。哀れで、脆弱な、ただのさみしい男の姿だったからだ。

 

「闘神? 気でも狂れているとしか考えられん」

「……そうかもしれない。俺自身、俺の行動に意味があるのかすら分からない。だが、俺が生きる意味は、今も昔も変わることはない。俺は――――あの人に」

「――――言うな、左霧。それ以上の言葉をお前に言わせるわけにはいかない。お前はあの人を亡き者にした。お前はあの人を奪った。お前は――――人殺しなんだよ」

 

 和也は穏やかな口調で語る。それは幼い子供が駄々をこねているのを説得しているかのようだ。

 左霧は和也の言葉に何も言うことは出来なかった。和也の言葉は正しく、自分の言っていることは狂人の戯言なのかもしれない。自分の生は誰かの犠牲の上に成り立っていること。

例えそれが自分の意思とは関係のないところで起きていたとしても。

左霧の命は、かけがえのない一人の女性の命を使って生まれた物。

「お前なんて死ねばよかったんだ……どうしてあの人が死んで、お前何かが」

「何度も考えた。俺はなぜ生きているのか、どうして俺だけが取り残され、あの人がいなくなってしまったのか……」

「それで、答えは見つかったのか」

「分からない。だから俺は闘神になる。あの人の魂を再びこの世に呼び戻すために」

「――――――愚かな……それが、お前の贖罪になるとでも?」

「贖罪、か。そうだな、それが俺の罪だ。俺が生きていることそのものが、罪だ」

 

 長い時間の中で幾度も考えた。どうしたら自分の映し出す世界が色とりどりに輝くのか。

 キラキラと輝いていた時間を取り戻すことが出来るのか。

 逃げ出したこともあった。

 代わりに縋る者と過ごした時間があった。

 だが、その心の根底ではいつもあの人の笑顔が左霧を救ってくれていた。

 間違った望みなのかもしれない。

 人を、生き返らせることなど許されないことなのかもしれない。

 例え、そうだとしても。

 愚かな魔導兵には決して譲れぬ願いがあった。

 

「この国の頂点に立つ。それが闘神に、神になる条件だ。和也、俺に協力してくれ。お前だって会いたいだろう?」

「――――会いたいね」

「なら」

「――――左霧よ。何か、勘違いをしているようだが」

 

 和也の眼差しには怒りが篭っている。それは先ほどの憎しみを抱き、左霧を殺したいと願っていた時とは違う。

 完全なる、敵に対する義憤からくるものだった。

 

 

「俺は皇帝直属の帝国魔術師だ。俺はお前を処分しろと命令されている。この勅令が覆されることは決してない。決して、だ」

「だが、お前はその勅令がなくとも俺を殺したくて堪らないのだろう?」

「そうだな――――確かにそうだ。俺はお前を殺したい。それは私憤から来るもので、勅令とは一切関係がない」

「しかしお前は勅令が出されるまで俺を襲うことはなかった。隙などいくらでもあったはずだ」

「――――俺もな、あの人を手に入れるんだ」

「何?」

「俺だけの、あの人を作るんだよ。禁じられた方法で」

「貴様……まさか」

「おい、何キレてんだよ? 俺もお前も変わらねぇんだよやっていることは。ただ、お前のやっていることは実現不可能で、俺のやることは簡単なだけだ」

「それをさせるわけにはいかない。それだけは、決してだ」

 

 自然と怒気を孕んだ声を発してしまった。常に己を律することを崩さなかった左霧だが、その言葉に対してだけは耳を疑わずにはいられなかった。

 いや、そもそもそれこそ不可能なことだ。まさか『魔導兵』を作ることはもう不可能ではないのか。それこそ、一〇〇番目の雪子で打ち止めではなかったのか。

 その生産方法は母親しか知らない。その母親は精神を壊し、秘法は失われてしまったのではないのか……。

 

「何を吹き込まれた、和也?」

「おいおい、妙なことを言うんじゃねぇ。俺は皇帝に成功の報酬を貰う約束をしただけだ」

 

 妙な胸騒ぎがした。

自分の知らぬところで得体の知れぬ何かが急激に動き出している。

「俺の任務はお前をこの世から排除すること――――だと思っただろう?」

「…………こ、殺してやる……! 外道がっ!」

「さっきも言ったがそれは私憤だ。俺が皇帝に出された本当の命令は」

「言うな! 貴様、貴様――――!!」

 

 左霧は怒りで頭がおかしくなりそうだった。

 どうしてだ。どうしてこうなる。

自分の傍にいれば危険だから遠ざけた。

迷惑をかけるからわざと突き放した。

もう、失うものを見たくなかったからだ。

彼女たちが傍にいるだけで力が湧いてきた。

彼女たちの笑顔が左霧を闇から救いあげてくれた。

 

「弱くなったな、左霧」

「どうしてだ……どうして俺じゃない? お前の目的は俺じゃないのか……俺の命だったのではないのか!!!」

「お前の命なんざ、いつでも奪い取れる。俺はお前のその、苦しみにのたまう姿を永遠に見ていたい。だからお前の最も大切にしている物を壊してやりたいんだよ」

 

 和也は穏やかな笑顔で床に座り込んだ左霧を見下ろした。

 穏やかで、静かな、どす黒い悪意が今度こそ伝わってきた。

 

 見誤っていたのか、この男を。いや、違うと左霧は訂正した。

 見誤ったのではない。見損なったのだ。

 かつて少年だった頃よりも尚、この男は下衆に近い存在と化したのだ。

 権力を持ち、財力を持ち、今左霧の目の前に現れた男を、今度こそ倒すべき相手と認識した。

 和也は一枚の写真を左霧に見せた。

 そこには穏やかな表情で眠っている一人の少女。そのお腹の上でヨダレを垂らしながら眠りこけている可愛らしい小さな少女。

 

二人の人質が映し出されていた。

 

 

 

 

「交渉だ、左霧。さっさと屈服しろ。お前が魔導兵の研究に協力してくれるのであれば、彼女たちは解放しよう、と皇帝は仰っているが……俺は嫌だ。お前を殺し、その女を犯し、お前の娘を永遠の慰み物にしてやりたい」

 

 交渉の余地など一切なかった。左霧はゆっくりと立ち上がり呆然とした表情で前を見つめ続けた。光を失い、目には生気が篭っていない。

 

「本当に……弱くなったよお前は。作らなければ良かったんだよ。自分の弱みになるものなんざ」

 

 そうだ、作らなければよかった。

 こんな思いをするくらいなら。

 敗北を味わうくらいなら。

 自らの願いの邪魔にしかならない存在なら。

 いっそ切り捨てても――――。

 

(ダメよ、左霧)

(……なに?)

(諦めてはだめ。あなたは闘神になるのでしょう)

(そうだ……だからここであいつらを切り捨てる。それが神になる方法で)

(しっかりしなさい。あなたは神になるんでしょう? 人一人、救えなくて本当に神になんてなれるのかしら? あなたは本当にそれを望んでいるの?)

 

 驚いたことに。

 誰よりも憎むべき対象である精霊から説教を受けてしまった。

 その声は、そう、大切なあの人と同じ声で。皮肉なことに、その言葉もあの人が言いそうなことだった。

 

(――――さん)

(え?)

(お前に言われるまでもないと言ったのだ。わかったらさっさと引っ込んでいろ)

(もう、ツンデレなんだから、きゃ!)

 

 魔術回路を切断し、無理矢理音声を切った。今の会話が和也に聞かれることはない。

 左霧は再び体を折り、床に足をついた。

 そして雄叫びのような悲痛な声で下劣な笑みを浮かべる犬畜生に懇願したのだ!

 

「言うとおりにする! だから頼む、この子達を開放してくれ!」

 

 全力で頭を冷たい大理石にぶつけた。体を丸め、心を縛り上げ、目線は常に下を見るばかり。

 震え上がった。自分が土下座をしていることに。自分が今、底辺の存在になっていることに。

 

「嫌だ」

 

 殺してやる殺してやる殺してやる。

 屈辱で噛み締めた歯が砕けそうだ。

 耐えろ、霧島左霧。抑えろ、霧島左霧。

 

「――――と言いたいところだが、いいだろう。今回はお前の情けない面が見れただけで満足だ。人質を開放してやる、好きにしろ」

「ほ、本当か? ぐっ!」

 

 僅かに上がった頭を無理矢理上から押さえつけられた。和也の革靴が頭部をギリギリと圧迫し強烈な痛みが前後から襲いかかる。

 

「分かっているのか、左霧? お前は負けたのだ。つまり、霧島家は俺の物だ。今後は俺の言うとおりに動いてもらうぞ、それを約束しろ」

 

「――――ああ、約束する、だから彼女たちを」

「犬が俺に命令するんじゃねぇよ! 忠誠を誓え、俺に二度と逆らわないと」

 

 差し出されたのは汚らしい男の足だった。

 左霧は顔色を変えずにその靴にキスをした。傍から見れば見目麗しき美女が、男に頭を垂れているように見えるだろう。

 和也は十分に満足したらしく左霧を蹴り倒し、その姿を嘲笑った。

 

 

「今日は最高に気分がいい! 犬は大人しく自分の家に帰るがいい! だが、明日からお前の体は俺の物だと言うことを忘れるな。その心も何もかもだ!」

「――――はい」

 

 左霧は主人に対して深くお辞儀をし、和也の前から去っていった。

 その姿はまるで負け犬が逃げていく光景に、和也には見えた。

 

 忘れぬぞ、坂上和也

 この屈辱を。

 

 男の赤い瞳は、残念ながら後ろ姿を見送っている和也には見ることができない。

 

 左霧はこの日、敗北を噛み締めることになった。

 そしてここに誓った。

 必ず数日で己の前に引きずり出し、同じことをさせるのだと。

 その時は、倍返しだと。

 

 

 


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