魔導兵 人間編   作:時計塔

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すれ違いと優しさ

 それからしばらくして、雪子は霧島家から足を遠ざけていった。理由はおそらくあの日の出来事だろう。それでいいと思った。あの女は己の覚悟を鈍らせる。助けてもらったことは感謝しているが、それゆえに自分の傍に置いておくことは許されないことなのだ。

 自分の行く道に、彼女の安息はないのだから。

 

 そんな矢先、ついに帝都から勅令が出た。ありがたくないことに、予想通りの結果となった。左霧は赤紙で書かれて文字を流し読み、そのまま華恋に手渡した。

 

「坂上家、ですか。確か当主は左霧様と同い年でしたね」

「坂上和也、久しい名だ。子供の頃、よく遊びに来ていた」

「戦うのですか?」

「ああ、瑠璃の話だと、討伐の編成会議の際に率先的に手を挙げたらしい」

「まぁ……友情とは儚いものですね」

「そうだな。最も、あいつは俺ではなく――いやこれは野暮な話か」

 

 坂上は、天王寺と並ぶ古い旧家だ。非常に危険とされる雷の魔術を操り、その地位を確実なものとしてきた。雷は一度浴びれば、タダでは済まない。魔術の中でも扱いにくい部類に位置する。

 

「ここで、詰めてくるか」

「左霧様、今からでも遅くはないのでは?」

「華恋、お前まで戦争をやめろというのか?」

「いいえ、雪子さんと仲直りするなら、今しかないかと」

「……そんなことはどうでもいいだろう」

「どうでもよくありません。これから毎日左霧様の憂鬱そうな顔を見る私の身にもなってください。ただでさえ、おかしな顔をなさっているのですから」

「おい、読者が不安がるようなことを言うな。俺はかなりいい顔をしている、はずだ」

「結局はご想像にお任せるしかないんですよね」

「それは……遺憾なことにな――――何の話だ」

「え?」

「は?」

 

 なんというか、この女中と話をするといつも調子が狂う。天然なのかわざとやっているのか、判断しかねる。

 華恋といえど、流石に忘れようとしていた女の名前を挙げたことには多少の反感を感じた。この程度のことで一々苛立ちを感じてしまう自分もいかがなものかと思うが、そんな考えすらできないほど、今の左霧は様子がおかしい。

 

「華恋、黙れ。もうその話は終わったはずだ」

「あら、都合が悪いとすぐそうやってお怒りなるところ、誰かさんにそっくりですよ」

 

 華恋を鋭く見据えた。いつもなら流せるくだらない冗談も今日はどうしてか上手くいかない。理由は明確、それが冗談ですまない話だと左霧が意識しているからだ。華恋はそんな左霧の心境を見抜いている。

 

「誰かさん、だと? それはあの愚かな母親のことを言っているのか?」

「あら、左霧様ったら、私は誰かさんとしか言っていませんよ? まぁ当たりですけど」

 自然と怒気を含んだ声色になった。華恋はわざと挑発したように笑みを作りながら、冷たい眼差しを左霧にくれる。まるで、お前なぞ怖くも何ともないぞ、と言われているような気がしてそれが余計に腹立たしかった。

 

「ひどい瞳ですね。赤々として、今にも襲いかかってきそうな獣のようです」

「……お前が、望むのであればそのつもりだが?」

 

 

 互いにここまで不穏な空気を発したのは初めてかもしれない。それは自分の柔らかい部分に触れてくる華恋を拒絶したいという左霧のわがままが原因なのかもしれない。

 家族同然であるはずなのに、そうであるが故に話したくないことがある。近すぎる相手には、弱みを余計に見せたくない。左霧の心境としてはこんなところだろうか。

 本当に甘い。皐月や神楽に坊ちゃんと呼ばれているのはそのせいもある。

 自分は強い存在なのだと思い込む。思い込まなければ前に進めない。弱い部分は全て隠し通さなければならない。弱みに付け込まれたくないから。

 この人は強かがりで本当に弱い人なのだと、華恋は昔から知っている。だから華恋はこの人のなだめ方を分かっている。

 

「左霧様、さぁ」

 

 華恋は自分の膝を叩きながら主を呼んだ。それが何の意味なのか、悔しいが左霧にはわかってしまう。小さな頃、本当に弱く毎日のように泣いていた頃。華恋にそうやって慰めてもらったことを思い出してしまった。

 

「何の、まねだ?」

「あなたを大人しくさせるには、女の肌が一番だと言っていましたから」

「……咲耶か?」

「いいえ――――右霧様ですよ」

「……そうか」

 

 その名前は特別な意味を秘めている。胸に秘めた微かな記憶が揺れ動く。名前を聞くたびに自らを奮い立たせようとする小さな野望の火が燃え上がる。

 

「あなたを動かすのは、昔も今も、あの方なのですね」

「……おかしなことだろうか。俺は、あの人ともう一度会うために、世界を壊そうとしているのだ」

 

 吐き出したのは誰にも言ったことのない願いのカケラ。神になることは、あらゆる願いを叶えるということ。それはどんなにやってはいけない禁断の願いすら、可能に出来る力を秘めている。

 ――――ただ。

 

「……左霧様、それはルール違反です。そんなことを言ってもあなたは絶対に諦めないでしょうが、それは願いの範疇を超えるものです」

「できないのなら、俺は世界を壊すだけさ。神どもですら恐れを抱かせるほどの闘神になる。そう、それしかないのだ……」

 

 いつの間にか華恋の前に横たわるように左霧は目を閉じた。懐かしい記憶にしばらく浸るのも悪くはないと思ったからだ。華恋は昔と全然変わらない。体の柔らかな部分も、世話焼きで毒舌な部分も、『自分を通して誰かを見る眼差し』も全ての時が巻き戻ったような気持ちになる。

 でも、決定的に違うことがある。

膝の右には誰かがいた。

その人は、弱かった自分を守り続けてくれた。

本来、存在するべきはその人だった。

 

「私は、あなたの中にいる……ずっと、一緒。だから泣かないで」

 

 最後は嘘つきだった。次に目が覚めたら、自分の体は自分ではなかった。その人はもうどこにもいなかった。

 代わりに、一匹の精霊が自分の目の前に現れた。

「…………淋しい、怖い、苦しい、妬ましい、おぞましい」

 

 ありとあらゆる呪怨を口に出し、世界を呪おうとしていた。精霊に体はなかった。ユラユラと揺れ動く濁った光を放ち、彼女は左霧の下に寄ってきた。

 己とあの人が命をかけて作り出した、人工精霊。

 それがこんな気味の悪いものなのか。

 あの人は、こんな物のために。

 こんな奴のために……。

 

 

(左霧、私を作ってくれてありがとう)

「その声で、俺の名を呼ぶな。お前はただ、俺に従っていればいいんだ。俺に従い、そして朽ち果ててしまえば……」

(うん。ずっと一緒だから。ずっと離れないから)

 

 おめでたいやつだ。頭の中も花畑なのかもしれない。出会った時からずっとこんな調子だった。彼女は自分の名前すらない。生まれたばかりの赤子同然だったからだ。

 母親は彼女を右霧と名付けた。それが余計左霧が彼女を嫌う原因になったのかもしれない。

 いずれにせよ、この精霊は左霧の人生を滅茶苦茶にした。あの人を犠牲にし、妻を殺し、それでもなお、己と共に居続ける生き地獄のような日々を繰り返し続ける。

 その中で、雪子という少女は唯一左霧を癒してくれた、のかもしれない。

 咲耶という女に惚れ、ひと時の間だけ成すべきことを投げ出したことがあった。あの時の心地よさが舞い戻ってきたかのようだった。

 

「雪子……」

「あら、女の膝で他の女のことを考えているなんて、最低ですね」

「……さっき仲直りしろとボヤいていたのはどこのどいつだ」

「おや、する気になったのですか?」

「ふん……しないとずっとボヤかれそうな気がするからな。それに、心にわだかまりがあればこれからの戦いに支障をきたす」

「と、御託を並べておりますが雪子さんに会いたいだけなのでは」

「戦いに! 支障を! きたすから! さっさと会いにいってやるのだ仕方がなくな!」

 

 結局、華恋はからかいたかっただけなのかもしれない。それでも幾ばくか、心の枷を解いてくれたことに変わりはない。

 霧島家の全てを知り尽くした女、華恋。彼女ほど心強い仲間はいないと左霧は思っている。もちろん思っているだけで口に出すことはないのだが。

 

「私は、あなたがやりたいことをやればいいと思います。その先に何が待っていたとしても、ご自分の心と体を大切にしてくださるのであれば何も言うことはありません」

「言われなくても、そうする」

「それでは、一つだけ約束してくださいませんか?」

 

 左霧の髪を愛しげに撫でていた華恋は、不意に左霧の頭部を抱きしめ、瞳を潤ませながらたった一つの願いを口にした。

 

「神になっても、人であっても、私を置いていかないでください。もう、一人ぼっちは嫌なのです」

「――――ああ」

 

 曖昧に左霧は返事をした。それだけで華恋は心が満たされたのだろうか。それからはただ黙ったまま再び左霧の髪を撫で始めた。

 左霧は複雑だった。自分と共に生きることは、彼女の生き方に反するものだからだ。それでも彼女は自分についてきてくれるというのだろうか。それが叶うのであれば、そうありたいと願った。

 

 

 

 

 

 

「雪子さんはモテモテだったんですよ左霧様。皇帝から直々に言葉を賜ったんですから」

「べ、別にそんなんじゃ……」

「私の下に来てくれませんか? あなたならきっと素晴らしい魔術師になれると思います! なんてプロポーズじゃないですか」

「る、瑠璃! いい加減にしなさいよ。もう緊張して何が何だか分からなかったんだから」

「左霧様、どうしたんですか? そのようなところに立ったまま? どうぞ隣の席に」

「……私の屋敷なんだけど?」

 

 雪子は書類の山に埋もれた部屋で瑠璃と共にお茶を飲んでいる。

 二人と見目麗しい少女たちがティーカップを手にする仕草というのは、何とも絵になる光景だ。

 最も、今この場にいる男というのはそんな感性など欠片もない。

 楽しそうに笑い合っている子供たちを冷めた目で見るどこぞのサラリーマンのような気分なのかもしれない。俺も、あんな頃があったな、みたいな感じの。

 

「……総会は、滞りなく終わったのか?」

「左霧さんには関係ありません」

「関係ある」

「どうしてですか」

「どうしてもだ」

「ただお喋りして、お茶を飲んで、自分たちの情報を交換し合っただけです。そんなに気になるなら、行けばよかったじゃないですか」

 

 雪子は左霧に見向きもせずに、ただ淡々と書類に目を通している。その姿は立派なキャリアウーマンだ。室内ではメガネを着用しているらしく、時折ずり下がったメガネを何度も直しながら一枚一枚に印を押す。

 

「左霧様、坂上家の話は聞きましたか?」

「ああ、問題はない。本家とも連絡をとってある」

「まぁ、相手は坂上の坊ちゃんですから。そこまで固くなる必要もありませんか」

「……年上に向かって坊ちゃんなどと言うな。だが、その通りだ。あの程度の勢力、何の問題もなく叩き潰せる」

 

 瑠璃は涼やかな顔を崩さず、優雅に茶を嗜む。この少女と死闘を繰り広げた左霧なら分かる。

 瑠璃は帝国魔術師の中で最強である。自分の実力を過信するつもりはないが、左霧とて魔導兵というポテンシャルを最大限に活かしてもなお、勝つことが難しかった。遠距離からは溢れんばかりの魔術を繰り広げ、中距離からは黒龍と共に攻守兼ね備えた技を繰り出し、苦手とする接近戦に持ち込むことが出来ない。

 例え、接近戦になったとしても、彼女の防御壁を砕くことが出来なければ話にならない。

 防御壁を破ることは、魔術の質で勝つということ。

それは、左霧でも不可能なことだ。左霧は認めている。魔術師として彼女に勝つことは出来ないことを。

 だから左霧は神降ろしを使った。卑怯な方法で、彼女のプライドを地に落としたのだ。

 それと同時に、当主という責務からも、鬱屈した感情からも、間違った戦いの意味からも。

「左霧様、私をお使いください。坂上ごとき、瑠璃一人でひねり潰してやりましょう」

「……人が死ぬぞ。お前は雪子と約束したのではないのか。平穏な学園生活を送る、と」

「……それは……左霧様、まさか」

「学園に残れ。瑠璃がいなくとも俺一人で十分だ。精鋭もいる、何の心配もない」

「左霧様!! 何をおっしゃいます!? る、瑠璃は左霧様の妻ではないのですか!?」

「違うわ!」

「愛人ではないのですか!?」

「……違う、従者だ」

「……その論議はまた今度に。とにかく、納得いきません。私は魔術師です。確かに雪子さんと約束はしました。平穏な学園生活を送ることを。ですが、私はあなたの従者でもあるのです。あなたが戦うというのであれば、地獄でも天国でもついて行きます」

 

 瑠璃の目は真剣だった。

若々しく愚かしいくらいに澄んでいた。

それならば尚の事少女の目を濁らせることなど出来るはずがない。

左霧が瑠璃を従者にした理由は『別に』あるのだから。

言うことを聞く便利な従者など、最初から欲してなどいない。

自分の夢の礎にすることなど絶対にやってはならない。

 

「主の言うことが聞けんのか、瑠璃」

「……左霧様、どうされたのですか? それでは暴君です! 私は言うことを聞くだけの従者になるつもりなどありません!」

 

 その通りだ。本来、お前は俺の傍にいるべきではない。だが、誰かが傍で見守っていなければ、また同じ過ちを犯す可能性もある。

左霧は瑠璃の弱点を知っている。

寂しがり屋なところだ。

彼女は頂点に立っているが故に、孤独だ。

でもそれは瑠璃がそう思い込んでいるだけだ。少し視野を広げれば、そんなことはないと気がつくだろう。

 今は、左霧に依存しているだけ。要は、誰でもいいのだ。

 

「瑠璃、放っておきなよ。左霧さんがいいって言ってるんだし」

「雪子さん、でも」

「それよりさ、また魔術の特訓付き合ってよ。今度はセーレムを巨大化させるようなのがいいな」

「私は巨大化などしたくない!」

「……分かりました。付き合いましょう」

 

 セーレムがいきなり出てきたことをきっかけに、二人はどちらともなく立ち上がり、庭へと足を運んでいった。雪ノ宮家の庭は整備してあり、昼の陽気に誘われてとても気持ち良さそうだった。

 良さそうだったというのは、左霧はその方へ行くことはなく立ち去ったからだ。当たり前だ、これ以上話すことなどないわけだし、気持ちのいい話に花を咲かせていたわけでもないのだから。

 

「雪子――――その」

「左霧さん、気をつけてね。怪我、しないように」

「……ああ、俺に限ってそんなことはない」

「そう、ならいいの」

 

 それは喋るなという、拒絶だ。雪子は左霧の問いを遮り何も言うなとプレッシャーをかけた。

 自分ならまだしも、瑠璃をも傷つけた左霧に怒りを通り越して、呆れてしまったのだろう。

 どうしてだろうか。戦うことも、争うことも、全ては願いを叶えるためだと決めたはずなのに。

 一人の女に始終無視されたことが、ここまで堪えるなんて知らなかった。

 そういえば、妻に無視された時もこんなモヤモヤが左霧を襲ったのだったか。

 その時は、確か村雨に慰めてもらった。あの馬鹿女は時折大人びたように左霧に語りかける。実際、かなりの歳を食っているのだが。

 

「華恋に報告しなければ」

 

 その後、左霧は家に帰り、華恋にその話をした。

 華恋は何も言わず左霧を抱きしめた。

 自分の本当の気持ちを知ってくれる人がいるということは大切なことだと知った。

 

「おにー様が華恋に甘えてる!? いいなぁ! いいなぁ!」

「桜子、帰ってきたら手を洗ってうがいをしなさい。最近インフルエンザが流行っているからな。体調管理のできない者はクズだと教えたはずだがな」

 

「だが、断る! 突撃となりの昼ごはん!」

「ぐはぁ! 我が血縁ながら、恐ろしき女よ……」

「……ホントに、あなたの血縁は微笑ましいかぎりです」

 

 守るべき者がいるというだけで、力が湧いてきた。

 小さな体に乗っかられながら、左霧はしばしの休息を楽しむのであった。

 

 

 


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