「おにー様、あれ、あれを見て! とても綺麗!」
「うむ。指輪か。確かに目を惹かれるのも分かるが、桜子にはまだ早いな」
「あー! また子供扱いした! 私だって立派なレディよ!」
「そうか、レディは大通りでそんな大きな声で叫ばないのだがな」
桜子のパワーは有り余っているようだ。いきなり外出しようと、寝ぼけ眼の娘を引っ張って出かけた甲斐があった。走り回る桜子の後をぜぃぜぃと息を切らしながらついて回る左霧。若いというのは素晴らしいかな。
「左霧様、運動不足でございます。そんな死にそうな顔でいられては、周りの迷惑ですよ」
「大丈夫だ。俺はどんな顔でも周りを誘惑する力を持っているからな」
「改めて思いますけど、ほんと最悪な能力ですね。ですが、それも雪子さんといることで緩和されると聞きましたが」
「ああ、光と闇は混ざり合い調和する。咲耶のように光側の力を持つ彼女は俺の魔力を弱めるからな」
「天敵、ということですか」
「……ふん。あの程度を天敵と呼んでいては、この先数え切れんほどの天敵が現れるだろう。それに、雪子は俺の敵ではない」
「……お言葉ながら、雪子さんを味方と断定するのは早計かと」
桜子はウィンドウ越しに宝石を眺めていた。色とりどりの石に目を奪われているのだろう。目が肥えているというか、高級志向なのは生まれつきなのだろうか。やっぱり将来が心配である。
「魔術師が手を取り合うなど危険すぎます。いつ背後から狙われるか分からないではないですか、それに二人も」
「その時はそれまでだろう。俺の見る目がなかっただけのことだ」
「危険因子は遠ざけるべきです」
「華恋、やめろ。今日はそんなことを話すために出かけたわけではないぞ」
「こういう時だからこそ、言わなくてはならないのです。普段、左霧様と密談できる機会など早々ありませんから、ね」
華恋は半眼で主を睨んだ。そういえばそうか、と左霧は自らの生活を省みる。寝る時間を除けば、四六時中彼女たちと行動を共にしている。昼間は学園、夕方は鍛錬、夜は夕食を囲む。ここ最近、華恋と会話をする時間すらとれていなかったか。
「御身は霧島の次期当主たる器なのです。外交よりも今は地盤を磐石にする時かと」
「別に霧島家のことなど関係ない。瑠璃や雪子は俺の信頼出来る仲間だ。ただそれだけのことだ」
「……部下がほしいのであれば、神楽や皐月を呼べばいいではないですか」
「あんな面白くない奴らと一緒にいて何が楽しいのだ。母の私兵など関わりたくもない――――強いていうなら、村雨嬢なら一緒にいてもいい。あいつは面白いし気が合うからな。流石俺の――――」
その時、強烈な殺気を感じた。探るまでもない。目の前の女中が豹変したように左霧を睨みつけていたのだ。冷静沈着な彼女にはふさわしくない怒気を纏った空気。
それは、華恋にとって禁句にもふさわしい名前なのだ。
「あの子は、もう死んだのです」
「――――華恋、お前」
「あなた様はあの子ばかりを寵愛しておりましたね。あの方もそうでした。口惜しい、口惜しい、妖気を纏った下劣極まりないあんな女……」
「勝手に殺すな! 村雨は本家に残してきているだけだ。必要な時がくれば呼ぶだろう」
「その時は、きっと血の雨が降るでしょう。私とあの子、どちらがあなたにふさわしいか……楽しみです……ふふふふふふふふふふふふふふふ」
村雨――村雨嬢は左霧の小さな頃からの付き人――――女中だ。育児放棄も等しい扱いを受けていた左霧の世話人として最初に宛てがわれたのが彼女だった。
性格は元気爆発暴走少女、と言ったところだろうか。左霧を色んなところに連れ回しては泣かし、いじめ、ど突きまくるというサディスティックな美少女だった(左霧談)
左霧は村雨が嫌いではなかった。暗い屋敷では彼女のハツラツとした笑顔が輝いていたような気がした。幼少期から常に反抗期だった左霧と一緒になって色んな悪さを企てる、悪友のような存在だったか。
「相変わらず仲が悪いな、お前たちは」
「もちろんです。私たちは互いに相容れない存在ですから。会えば殺し合う――それが運命です」
屋敷にいた時から華恋と村雨の喧嘩は熾烈を極めるものだった。何人たりとも寄せ付けない刃のような闘気。全てを切り刻まんばかりの激しい死闘――――一ヶ月に一回は屋敷を半壊させるという傍迷惑な二人組だった。
「お前は桜子の女中だろう。何をそんなにムキになっているんだ」
「わかりませんか?」
「わからんな。お前も村雨も。根が深いのは確かだと思うが」
「そうですね。もう、深すぎて、私たちも忘れてしまいそうです」
いっそう、忘れてしまってはどうか。そんなことを言ってみたがそれは無理だと、断言されてしまった。
華恋と村雨は何を見てきたのだろうか。その両の目で、『人ならざるもの』として。この国の移り変わりを永遠と繰り返す日常を。
左霧が彼女たちについて知っていることは、彼女たちが昔神に仕えていたという逸話くらいだ。それがどう転んで、霧島家に仕えるようになったのかはわからない。書物を漁れば、何かわかるかもしれないがめんどくさいので却下。
「昔のことは、もう、随分朧気になってしまいましたから」
そう言いつつも華恋の瞳は何かを鮮明に映しているような気がした。華恋がこんな感じなので左霧も深くは聞かない。およそ、人知の知りえない場所に彼女たちは到達しているのだから。
「おにーさま! 華恋! 何をしているの!? 早く早く!」
洋服の裾をヒラヒラとさせながら天真爛漫の少女は両手をいっぱいに広げて二人を急かす。その笑顔を見ると、何もかもがくだらないと思える。少なくともこの時間だけは少女の笑顔のために存在するのだから。
「これから、忙しくなる」
「はい」
「俺は侵略する、制圧する、撃破する。全ては安息のためにだ」
「承知しております」
「堕とすは帝都。狙うは皇。そのためならばどんな犠牲も払う」
「そして、神になるのですね」
「そうだ。悪魔の道は悪道から。天使の道は善導から。そして神への道は――――支配から」
「雪子さんは魔王になるとおっしゃっていますが」
「くれてやれ。魔王は人間界を支配する神の一人。あの娘がそこまでの力量に達しうるのならば、な」
左霧の心はブレない。自らの野望――神への到達のためならば、修羅の道を突き進むまで。
例え、百万の帝国魔術師に責められようが、迎え撃つ。あの日、彼女と約束した誓いがあるのだから。
それは誰にも言うことのない。決して望んではいけない願いを叶えるために。彼はただそれを目指す。
世界の法則を越えたその先にある神秘の奇跡。
「これよりは――――獣道。華恋、桜子を頼んだぞ」
「お任せを。全ては、安息なる日々のために」
自然と口元に笑みを浮かべていた。襲いかかる敵の大群を想像し、彼は恍惚に浸っているのだ。既に、肉体は神へ昇華しつつある。その前兆とでも言うべきか。
果たして、殺さずにいられるか。そんな綺麗事がまかり通るのだろうか。チラつく雪子の泣き顔がやけに鮮明に脳裏に焼きついている。
(甘くなったわね。左霧)
「違うな。俺は厳しくなったのだ。殺さずに帝都を掌握するのだからな」
(ふふふ、私がいるわ。あなたを守ってあげる)
「ふん……足でまといにはなるなよ」
(それはこっちのセリフ。いつまでも子供の御飯事に付き合っている場合じゃないわよ)
「おままごと……か。お前にはそう見えるのか?」
(殺し合いのない戦いなんて、いくら経験を積んでも無意味よ)
「お前は変わらないな、あの頃のままだ。ずっと昔からこれらもずっと」
(……何が言いたいの?)
「母はなぜ、お前に右霧と名づけたのだろう。それが不思議でならないのだ」
左霧は頭に響く女の声に耳を傾けるのをやめた。脳裏に映し出した幼き頃の記憶。そこにいる女と、今左霧の体にいる精霊は似ても似かない。
――――やめよう、今更。何を考えているのか。最近、どうも思い出に浸ってしまう時間が多くなっている。妻のことにしろ、彼女のことにしろ……。
失った時は取り戻せない。失った人は戻っては来ない。
それが、世界のルールなのだから。
いや、違うな。左霧は桜子と華恋の後ろから彼女たちを見る。次第に遠くなっていく背中。それに永遠に追いつけないような気がする。そんな錯覚を覚えた。
間違ってはいない。いずれはそうなる。その時に、彼女たちは自分の味方なのか――果たして……。
「左霧さん、欠席するってホント!? 信じられないバカじゃないの何考えてんのよ!!」
「……うるさい。俺は誰の下にもならん」
「私はどうすればいいのよ! 一人で帝都まで行けっての!? か弱い乙女が、道中襲われる可能性もあるのに? 正気の沙汰じゃないわね」
「か、か弱い乙女は、俺を足蹴になどしない」
結局、帰ってきた左霧は堂々と魔術総会の欠席を断言した。帝国に反旗を翻すことが目的であるならば他の魔術師と馴れ合うつもりなどない。もちろんそのあとに起こりうるであろう事態も想定済みだ。
――――戦争。帝国近衛魔術師、宮廷魔術師、国家魔術師……流石に国家魔術師までは出てこないと予測するがそれでも戦いは避けられないだろう。
帝国近衛は、その名の通り帝に忠誠を誓う帝国軍人だ。普段は軍務に辺り、必要なら秘密警察のように民に混じって反乱分子を探し当てる犬共。
宮廷魔術師は、いわゆる文官のような存在だ。新しい魔術を開発し、先端医療などに役立てたりと、その多様性は国家の宝とも言うべき者たちの集まり。ちなみに魔術師たちがなりたい職業ランキング一位に常に輝いている。
国家魔術師……その名のとおり、国家の魔術師だ。その人物一人で国家が動くほどの権力を持つと言われている。基本的に一国に一人という原則に基づいて選ばれる、エリート中のエリート。なろうと思ってなれるような職業ではないので、ランク付けはできない。
「お前は雪ノ宮家の当主なんだぞ。行くか行かないはお前が判断しろ。それができないのなら当主などなるな」
「っ……! だ、誰のせいで行きづらくなっていると思ってんのよ! 左霧さんが反乱分子なんかなったら、私だって狙われちゃうのよ! ううん、私ならまだいいわよ! 雪江だって」
「知らん。襲いかかる火の粉すら振り払えないのなら魔術師などやめてしまえ。何のための鍛錬だ。この数ヶ月のお前の努力はその程度の覚悟だったのか?」
「どうして……どうしてそんなこと、言うの? 左霧さん……」
雪子は両手を前で繋いだままテレビを見ている左霧を見下ろしていた。背後にいるため、その姿は特定出来ない。だが、声は上ずっている。それが分かれば十分だ。
雪江が母親にしがみついて左霧を見つめていた。痛々しいほど潤んだ瞳で。
「左霧さん、あの時言ったことはウソだったの?」
「……何の話だ?」
ポタリ、と畳に滴る音がした。瑠璃と華恋は黙ったまま、静かに目を閉じている。桜子は疲れらしくもう床についていた。
――――心を乱すな。
――――心を動かすな。
冷静たれ。この先は、優しい世界などではない。卑劣な罠やおぞましい結果だって想像できる。そんな思いを、彼女にさせるのか?
帝国に忠誠を誓うのなら、彼女の身柄は保証される。己との接触を断つことによって彼女は無関係と断定されるのだ。
「分かりました。私、総会に出ます」
「……そうか」
「もう、あなたになんか助けてもらおうなんて思いません」
「……そうか」
「っバカ!! 減棒にしてやる!!」
「それはやめて!?」
思わず振り返って叫んでしまったが、そこにはもう雪子はいなかった。伸ばした手は空を切ったままプラプラと宙を舞う。テレビの雑音が妙にうるさくてテーブルを叩き割りたくなった。
残念、ただのいい訳だ。また、まただ。それを彼女たちに悟られまいと必死に冷静を装う。
「――――瑠璃」
「はい、左霧様」
「――――頼んだ」
「……本当に、不器用な方」
「それが左霧様のいいところ、では全くありませんね」
「うるさい女共だ全く……」
クスクスと笑う女たちはさておき。これで雪ノ宮家は総会に出席することになった。危険なことがあっても瑠璃が同伴しているため何とかなるだろう。仮にも最強の魔術師として君臨していた彼女がいるなら他の者も口出しなどしないはずだ――――とこんなに上手くいくわけがない。
おそらく、瑠璃や雪子たちの関係を洗いざらい聞いてくるだろう。そして霧島との関係をつついてくる。
総会で一番危険なのは帝国近衛魔術師だ。奴らは総会で集まった地方魔術師たちの粗を探して、更迭するのが仕事だ。おそらく、今回の最も大きな標的は間違いなく雪ノ宮家だろう。
前皇帝を殺した者の娘――――そして王位継承権第十位という肩書き。
一体、帝国はどこまで把握しているのか……。
「お任せ下さい、左霧様。この天王寺瑠璃がいる限り、必ずやよい報告を持ってきて差し上げますわ」
こんな時、瑠璃がいてくれてよかった。彼女もやぶさかではないのだろう。他でもない雪子のためなのだから。
その力、見せてもらうではないか。