魔導兵 人間編   作:時計塔

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行ってきます。行ってらっしゃいませ。

 満開の桜、その並木道を霧島兄妹と女中が歩いている。周りには、桜子と同じ年の子や、もう少し上の子が、朝日の下、元気に登校していた。

 そう――今日は桜子の入学式なのだ。訳あって、保育園には通えず、自宅で過ごす日々が多かった桜子は、この日を今か今かと待ちわびていた。新品の制服と帽子に身を包み、背中には真っ赤なランドセルを背負い、少し緊張気味に前を歩く桜子を、暖かい目で見守る二人。まるで子供を見守る親のような心境だ。

 

「桜子、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。桜子ならすぐ友達が出来るはずさ」

 

「そうですよ桜子様。私が昨日教えた挨拶で、友達一〇〇人、いえ二〇〇人は堅いです」

 

「はい! おうワレ、ちょっとツラ貸せや、ですね! ちゃんと覚えました!」

 

「桜子の小学校デビューが黒歴史になっちゃうよ!?」

 

 子供にも容赦なく自らのネタを仕込む恐ろしき女中。左霧は慌てて華恋が教えたワードは絶対に使ってはいけない言葉、むしろ忘れなさいと注意した。危うく入学そうそう、桜子の夢が潰えるところだったのだ。

 

「華恋、頼むから桜子に変なことを吹き込まないでくれよ」

 

「ちょっと一癖あった方が、周りから注目されると思うのですが……」

 

「変な子って思われるだけだから! 桜子、いつも通りに生活していればいいんだよ。特別なことなんて何も必要ないさ」

 

 不安そうな妹の手をそっと握りながら左霧は微笑みかけた。この子ならきっと上手くいく――左霧には、そう断言出来るほどの自信があるのだ。

 

「……はい、おにーさま!」

 

 兄の励ましに、少し気持ちが落ち着いたのか、桜子はいつもどおり眩しい笑顔でまた並木道を歩き出した。

 

「左霧様……見てください。桜子様の姿を」

 

「ああ、本当に、良かった……」

 

「はい……」

 

 先ほどの雰囲気とはうって変わり、慈愛に満ちた表情で、華恋は桜子の姿を目で追っていた。目にはうっすらと涙を浮かべながら。

 

「あはは、華恋は泣き虫だなぁ」

 

「む……乙女の涙を侮ってはいけません。これは罠です、わざと見せているんです」

 

「ふふ……はいはい」

 

 華恋は不満そうな表情で軽く左霧を睨んだ。それが本当なら、わざわざ言う必要なんてない。嘘が下手な華恋の気持ちを察し、左霧は追求することをやめた。素早く他の話題に切り替える。

 

「カメラもあるし、入学式が終わった後、三人で写真を撮ろう」

 

「そうですね。桜子様の晴れ姿ですから、学校をバックにお二人で」

 

「華恋、僕は三人って言ったんだよ? もし遠慮しているのなら、その必要はどこにもないよ」

 

 華恋は、少し複雑そうに左霧と桜子を交互に見ていたが、やがて嬉しそうに小さく頷いた。彼女が左霧たち兄妹の下に来てから、かなりの月日が経った。だが、依然として華恋は自分たちに遠慮している節があるのは、同居している左霧にとって、少し残念に感じることの一つだ。

 遠慮する必要なんてない――そうは言っているのだが、華恋自信がどこまで踏み込んでいいのかわかりかねている。実際、霧島という家が、どれだけ複雑な環境にあるのか、それを知っている地点で、華恋は物怖じしているのかもしれない。何にせよ、献身的に、自分と妹に尽くしてくれている彼女に、左霧は感謝しても足りないくらいなのだ。

 

「華恋、君は桜子にとって、母であり、姉でもある。僕たちには君が必要なんだ」

 

「もったいないお言葉です。あの日、あなた様にいただいた命、この華恋、精根尽き果てるまで、あなた様と桜子様に御使い致します」

 

「重いなぁ」

 

「私は重い女ですか。分かりました、首を吊って死ねばいいのですね」

 

 どこから持ってきたのか、桜の木に太いロープをくくり付けようとしている華恋を羽交い絞めで止めた。どんな時でもジョークを絶やさない彼女は、本当に女中の鏡なのだ。ただ、本音なのか、冗談なのかが分からないので、一応体を張って止めなくてはならない。

 

「……せっかく綺麗に咲いているのだから、そんなことをしたら台無しじゃないか?」

 

「離してください左霧様。重い女などと言われたら男性に嫌がれる女ランキング一位確実です。死んだほうがマシです!」

 

「君は僕たちによく『尽くしてくれる母親』のような存在だよ。お、重くなんてないよ!」

 

「最初からそう言ってください。全く、冗談がお好きですね、左霧様は」

 

 どうやら今のは本気だったらしい。軽く冷汗をかいた左霧は、今さっき瞳孔を開きながら暴れていた華恋を必死でなだめた。どうやら、彼女にとってNGワードだったらしい。密かにメモを取りながら左霧は溜息をついた。

 

「おにーさま? 華恋? どうしたのですか?」

 

 気がつくと桜子は兄の下に寄っていた。彼のスーツを掴みながら首を傾げ、キョトンとした瞳を二人に向けている。

 

「何でもございません。ただ、左霧様が私をいじめて楽しんでいるのです。何でもないのですが」

 

「おにーさま! めっ!」

 

「ええ!? 僕? 僕が悪いの!?」

 

 何だか釈然としない左霧だったが、今度は本当で泣き真似をして、桜子にすがりつく華恋は、完全に悪女だった。桜子が頬を膨らませながら兄を叱責してる。部が悪い左霧は押し黙るしかない。ただ、やっぱり少し重いなと、密かに華恋への感想を抱いたのは、秘密だ。

 

「みんな仲良くが一番です」

 

「はい、流石桜子様です」

 

「うん……納得いけないけれど、その通りだね」

 

 桜子の手が、左霧と華恋の両方の手を掴む。そして、三人の手が重なる。途端に、桜の花びらが風に舞い、人々を包み込んだ。それはまるで、これから始まる彼ら彼女らの物語を、祝福してくれるかのようだった。

 

                 ※

 

 教師になりたい――それは始め、彼の夢ではなかった。元々、彼には自分の道があらかじめ定められていると諦めていた時期があったのだが、その折に、ある人物と出会い、影響を受けた。それが今になって彼の夢を叶えたのだ。もちろん猛勉強した。教養という教養を受けてきた訳ではない。もちろん最低限の知恵は、『霧島家』という家から授けてもらったが、それ以外はひたすらに命令に準じる毎日だった。

 その知恵を授けてくれた人が、他でもない、後に彼が教師を目指すことになるきっかけとなるとは、彼も、その人も予想はしなかったであろう。左霧は、今自分が立っている場所が本当に現実なのか、判断がつかなかった。もし本当なら、少しは彼女の思いに報いることが出来ただろうかと、鏡に映った自分の姿を眺めながら目を細めた。

 

「左霧様、おはようございます。あら……」

 

「おはよう華恋、少し早く目が覚めちゃったよ」

 

 額をポリポリ掻きながら、にへらと緩みきった笑みを浮かべた主人に、華恋は口を抑えてクスリと笑った。主人にしては珍しく、早起きだった。自分が起こしに来るまで、絶対に布団から出たことない男が、黒いスーツに身を包みながら鏡越しに、必死に見繕っている。その光景が、華恋には滑稽に見えた。

 

「今日からお仕事ですね。左霧様、最初が肝心ですよ。変にカッコつけたり、モテようとしたり、話かけたりするのはNGです。あくまでも自然体に接することをおすすめします」

 

「うん……華恋が普段どんな目で僕を見ているのかわかったよ……」

 

「冗談です。左霧様はもう少しグイグイ押していったほうが女性は喜ぶと思いますよ」

 

「ちょっと、何か違うよ。僕は別に合コンに行くわけじゃないからね?」

 

「はい? 何を言っているのですか左霧様? 朝からそういうふしだらな話はやめてください。桜子様に悪影響を及ぼします」

 

「…………ごめん」

 

 なんだが、朝から災難だった。せっかく早起きしたのに、これでは損な気分になる。早起きは三文の徳なんて言われているが、明日からは華恋が起こしにくるまで、寝ていようと左霧は後ろ向きな決心をした。

 

 

「行ってきます」

 

「いってきまーす!」

 

「行ってらっしゃいませ。左霧様、桜子様」

 

 まだ春にしては肌寒い。それもそのはずだ。四月といえど、そう初めから急激に暖かくなるわけではない。ついこの間までは、手がかじかむほどの寒さをたたえていた風が弱くなっただけでも感謝しなければならない。桜子の小さな手は、手袋を外し、その白い肌を晒しても今は平気なようだ。この間まで、左霧のコートのポケットに手を入れて離れたかったのに、少し寂しい気持ちの左霧だった。

 華恋のかしこまった見送りに手を振りながら、霧島兄妹は仲良く学園への通学路を歩く。桜子は初等部へ、左霧は高等部の教師として、目的は違えど通路が同じなのは幸いだった。

 

「おにーさま! おにーさまは桜子の先生ではないのですか?」

 

「うん。僕は高等部の先生だからね。桜子よりもずっと年上の生徒が多いだろうなぁ」

 

「ええー!! じゃあおにーさまには学園では会えないの?」

 

「うーん……用事があれば会えると思うけど、多分難しいだろうね」

 

 初等部と高等部は同じ学び舎だが、距離が離れている。桜子に会うためには、中等部の学舎を抜けなければならない。それだけでもだいぶ時間がかかるのだ。

 それに、学園では教師と生徒という形になる。生徒として桜子に接しなくてはならない分、甘えが許されない立場だ。その為、あまり顔を合わせるのは好ましくないのではないかと、この男、覚悟だけは立派なのだ。

 

「おにーさまと一緒に給食、食べたかったな」

 

「桜子、給食はお友達と食べるものだよ。友達と食べる給食は美味しいよ」

 

「そうなの?」

 

「……きっとね」

 

 桜子の疑問には曖昧に答えるしかなかった。自分は桜子のように学校で勉学に励んだことなど一度もない。そのため、桜子がどのような生活を送るのかも分からなかった。頼りない兄であることは自覚しているが、経験がない以上励ますことも出来なかった。

 

「そっかぁ……お友達、出来るといいな」

 

そんな兄の気持ちは露知らず、桜子は期待に胸を抱いているようだ。およそ、不安など感じさせない笑顔に、左霧は安心した。

 

(この子なら大丈夫だろう)

 

 桜子のことより、多分自分の方が緊張している。左霧は、これから始まる教師生活に期待、六割、不安七割の中途半端な数値で自らの職場へと足を踏み入れるのであった。

 


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