「煌々たる天の光よ! 放て! 光爆!」
目の前が光で真っ白になった。世にも珍しい光の魔術と呼ばれる力は、魔術師の天敵とも言える効果を発揮する。
端的に言えば、術式の解除だ。どんな魔術師でも術式という、いわば魔術を形成するプログラムが存在する。基本的な術式から複雑な術式まで、魔術師の技量により術式は魔術となり様々な効果を発揮する。
上級の魔術師なると、術式が複雑すぎて本人以外は大抵理解ができない。理解ができないと対応する術がない。だから魔術師は一つでも多くの言語を身につけなくてはならないのだ。
「雪子さんは、その過程をぶっ飛ばし、術式とは何たるかを理解しなくても術を解除できる力を持っているのです」
「ふふん。それってつまり最強ってことよね?」
「はい、おそらく魔術師にとっては一番戦いたくない相手かと」
「魔王になる日も近いわね! あう!」
「はい――――あと百年くらいしてから出直してください」
瑠璃と雪子は霧島家で模擬戦を行っていた。ルールは簡単。致命的な一撃を与えられる状況になったら一本。単純明快だからこそ、己の力量を存分に発揮することができるのだ。
「ど、どうして勝てないのよ!」
「あなたごときに負けてしまっては天王寺――元当主として自害しなくてはなりませんから」
「く、悔しい! セーレム! あんたしっかり働いているんでしょうね!?」
「わ、私のせいにするな! そ、それよりも早くこの無礼な龍をどけてくれ!」
結果は明瞭だった。いくら雪子が珍しい力の持ち主であったとしても、最強の名高い天王寺瑠璃には赤子の手を捻るようなものだ。アクビを押し殺しながら雪子の攻撃を躱し、術式を瞬間的に発動する。明らかに手を抜いている。だが、そこには一点の隙もない。少なくとも雪子にはそう見えるのだ
「あなたの精霊は大変よく働いています。隙あらば私の首元に噛み付かんばかりの霊力を感じました。最も、クロちゃん(黒龍)を怖がっていただけならば話は別ですが」
「こここここここわがってなどいない! あ、鼻息、生暖かい……」
セーレムは瑠璃の精霊である黒龍に遊ばれていた。まるで小動物で遊ぶ肉食動物だ。完全に怯えきっているセーレムの姿を、黒龍のクロちゃんは純粋な瞳(充血した)で不思議そうに眺めていた。
「私にあってあなたにないもの、それが何かわかりますか?」
「む、胸の大きさ? あう!」
瑠璃の脳天チョップを再び喰らい、涙目になる雪子。そんな状況でもどうやら瑠璃のスタイルが羨ましいらしい。
「教えを請う気がないのなら、もう何も教えませんが」
「嘘嘘! え~と今考える!」
瑠璃にあって自分にないもの――――それを探すのは簡単だ。技術や能力の面で圧倒的な差をつけられているのだから。ふてくされて、ふざけたくもなる。
先ほどの戦いでは一時的にとはいえ瑠璃の術式を解除した――ように見えたが、その次の術式、また次の術式と矢継ぎ早に技を出され、成すすべがなかった。雪子の魔術は単発、単発の魔力消費が大きすぎて連続で唱えることなど出来ない。
ようやく人並みの魔力を血の滲むような努力で手に入れた。セーレムの霊力を借りずとも何とか術式の形成を可能にした。
だが、それだけだ。自分はそれだけしか出来ない。瑠璃のように多彩な術を使うことも、それを使う魔力も、戦術も、何もかもが劣っている。
当たり前だ。彼女は生まれた時から魔術師で、自分はこの数ヶ月でようやく魔術師という存在に近づけただけだ。それが分かっていても、悔しい。生来の負けず嫌いがそれを許さない。
「精霊と魔術師は一心同体――――あなたは、自分の精霊を使いこなせていないのです」
「……だって、こいつ勝手に動くんだもの。私の命令なんて聞かないわよ」
「……雪子はまだ未熟だ。私の言うことだけを聞いていればいい」
「はぁ? 何それ? それであんたの言葉を聞いていれば勝てたの? 実際、あんたあの黒いのに転がされているだけだったじゃない!」
「それは雪子の魔力供給が滞っていて力が出せないからだ!」
「なによ! 全部私のせいして! しょうがないでしょ!? 自分のことで精一杯なんだから!」
実のところ、セーレムと雪子は毎日こんな感じだった。屋敷にいてもセーレムの小言に付き合わなくてはならない。それでなくても学園の経営や、学生生活、おまけに雪江の世話と既に雪子のキャパシティは限界に近い。ストレスくらい貯まる。
「はぁ……左霧様に言われた事とは言え、これでは先が思いやられます」
「……悪かったわね迷惑かけて! ところで左霧さんはどこにいるの?」
「さぁ……私が来た時にはもうお出かけになってましたから……」
「なんだ、せっかく雪江が会いたがってたのに」
「パパいないの?」
「うん、ゴメンね雪江」
娘がもってきた水を一気に飲み干して雪子は縁側に座り込んだ。今日は休日のはずだ。学園の教師は部活動の顧問などもあり休日出勤は当然ある。だが、左霧には顧問を任せた覚えもないし、そんなことをしたらあのむっつりスケベはまた問題を起こしかねない。そんな危惧もあり、一応毎日定時に上がらせているのだ。
「そういえば、華恋も桜子もいない……って家の者が誰もいないじゃない」
「はい、ですから合鍵を使って入りました」
「は? 瑠璃、なんでそんなもの持ってるのよ!?」
「なぜって……私、左霧さんの妻ですから。正しくは後妻ですけど」
「それはあんたが言ってるだけでしょうが! 信じられない! まるで愛人みたいじゃない!」
「愛人ではありません、正妻です。まぁあの人の勝負に勝って、強制的に作らせただけですけど」
「左霧さん、情けなさすぎよ……」
霧島左霧はあの戦い以来、力を使う機会はなくなった。仕事をしているだけマシだが、生活そのものはニートのそれと同じだ。少なくとも雪子にはそう映ってしまう。端的に言うとカッコ悪いのだ。仕事はダラダラやる、生徒にセクハラをする、会議に毎回名前が出る、仕事から帰るとテレビを見る、愛人を囲う(?)、お尻を掻く、茶の間で寝る、いびきをする、歯ぎしりをする!!
おっさんなのだ。顔と体は見目麗しい乙女の姿で、その性格はおっさんそのものだった。加齢臭がしないだけまだマシというものだ。
「はぁ……もう、何なのよ……」
なんとなく。なんとなく雪子は失望してしまった。こんなことを言っては左霧に失礼かもしれないが、もう少しマシな男だと思った。凛とした表情、その中にある不器用な優しさ、絶対的な力。少なくとも、あの時の左霧は雪子にはそう映っていた。
――――守ると、言ってくれたから。信じようと思えた。
「殿方とは難しい者ですね。この数ヶ月間、あの方と共にいましたが、何を考えているのかさっぱり……もうすぐ、帝国魔術総会が始まりますのに……」
「確か、情報の共有を目的とした国の魔術師たちが全員集まる会議よね?」
「そうです。ですがそれは表向きの理由。真の目的は帝国に忠義があるかどうかを確かめるだけの集まりです」
「なんか、めんどくさそうね……それ、私も行くんでしょ?」
「ええ、今まで雪江さんが参加していましたから、当然そうなるでしょうね。最も、私はもう関係ありませんけど」
天王寺家は霧島に吸収された。それが今回の大きな議題になるだろう。今まで狼のように隙あらば噛み付かんばかりの連中からすれば、霧島家は獲物を横取りしたハイエナのような存在だ。瑠璃は計算高く、他の連中を牽制していた。最強の家系とはいえ、全てを敵に回してしまっては勝てるものも勝てない。外交的にも上手く退けていた。
その天王寺が陥落したのだ。力の均衡が一気に崩れたといってもいい。
「今、霧島家は複雑な立場にいます。現当主、霧島霧音は総会に一度も出たことがありません。にも関わらず、帝国魔術師の地位を高めた。これは反逆分子とみなされても仕方がないのです」
「霧音さん……正直言って、あの人が一番厄介な気がする。何を考えているのかわからないから」
雪子は霧音に会った時のことを思い出した。まるで自分を物か何かを見るような目で見つめ続けていた。少女のように笑い、女のように微笑む、絶世の美女。
霧島左霧の母――――。
「雪子さんは運がいいです。霧島霧音に会うことのできる者は、本人のお眼鏡に適ったものだけなのです」
「正直、もう会いたくないけどね。それにしても霧島家ってこれから大変じゃない。左霧さんったらだらけてて大丈夫なのかしら?」
「人ごとではありませんよ、雪子さん。霧島左霧と最も近しい関係にあるのは雪ノ宮家なのですよ? 当然、あなたも左霧様と同じ目で周りから見られるのです」
「ま、待ってよ。私、何もしてないわよ? それに雪ノ宮は今、人材不足で」
「実に、潰しがいのある敵ですね」
「じょ、冗談じゃないわよ……どうしろってのよぉ!」
一難去ってまた一難。言葉通りとは行かず、雪子には一難どころか十難も襲いかかってくる。いくら雪子が優れた頭脳を持っているとしても、限界だった。頭を抱えた雪子に、瑠璃はそっと手を差し伸べる。
「雪子さん、安心してください。私がいますから」
「瑠璃……あんた」
「罪滅ぼし、とはいきませんが私は、私に出来ることをやるつもりです」
蒼色の魔女は静かに微笑んだ。味方には最大の恩恵を、敵には最大の災厄を。かつて自らの敵として対峙した炎の魔人はこんなにも頼もしい友となった。
――――許されざる咎を背負って。
「竜胆家、加賀家、篠田家は雪ノ宮から縁を切った。元々、お母様に仕えていたのだから当然といえば当然だけど」
「三家へ謝辞に出向いたのですが、事務的に話すだけでした」
「……大変だと思うけど、でもそれはあんたの罪よ。誰も見てなくても、私がずっと見てるから」
「雪子さん……ありがとう」
お礼を言われるようなことではない。瑠璃はたくさんを殺しすぎた。この学園では三人の魔術師が犠牲になった。姉への嫉妬心と怒りだけが少女を突き動かしたのだ。
普通の人間なら裁判を受け、相応の罰を与えられるはずだが、相手は魔術師。強いものが勝ち、弱い者が負ける世界だ。当然、勝者である瑠璃は、何の罪にもならない。
「人として生きるのは、大変なことですね」
「そうね。でも、大切なことよ」
雪子はそれを嫌った。魔術師とて人と同じ命だ。失っていいわけがない。当たり前過ぎて誰も気がつかなかった事実。それを、彼女は瑠璃に教えてくれた。
母親を、犠牲にして――――。
「瑠璃お姉ちゃんの魔術、かっこいいね!」
無邪気に瑠璃へ近づく雪江。最初は戸惑った。自分が危害を加えたはずの者が何の躊躇いもなく近づいてきたことに。
それは当たり前のことだ。少女は記憶を失っているのだから。そのことにホッとした瑠璃は、自分自身を殴りたくなった。罪は、決して消えないのだから……。
「あなたも、きっと使えるようになるわ」
「ホントにー? 私魔術なんて使えるのかなぁ?」
「使えますとも、私がちゃんと教えてあげるわ。あなたのお母さんも一緒にね」
「うげっ……と、当然よ。私は、魔王になる女だからね!」
「精進しろ、雪子。早く私を使いこなしてみろ」
「うるさいのよあんたは! そ~れさっさとクロちゃんのところに行っといで!」
「こ、こらやめんか! あ、息が、生暖かい……」
うるさいセーレムをクロちゃんのところへ投げ飛ばし、雪子は再び瑠璃と対峙する。瑠璃は自分に出来ることを考えた。今まで自分のために生きてきた彼女は、今度は誰かのために生きることを決めた。
二度と同じ過ちを犯さないために。
今度は、誰かを守るために。
最強の魔術師は、その力を使うのだ。
「あと、正妻の座を確実なものにしなくては、ね」
「瑠璃? 何か言った?」
「いいえ、雪子さんには絶対に負けません、と」
「ぐぐぐ……その鼻っ柱へし折ってくれる」
当然、恋に関しては譲る気はないが。
「桜子よ。なぜ、俺たちがこんなところにいるか知っているか?」
「ショッピングのためです! おにーさま!」
「その通りだ! 普段うるさい女どもから解放され、俺は今、フリーダムな状態だ。もう誰にも邪魔をすることはできない!」
「何だか危険な香りがしますねおにーさま!」
「なに、なんのことはない。黙って俺について来い! まずは、そうナンパだ!!」
「おにーさま、桜子はお腹がすきました。朝から何も食べていません……」
「何だと!? そういえばそうだったな。仕方がない、腹が減っては戦はできぬと言うからな。まずは食事にする! いくぞ桜子!」
「はい、そのあとはお店を巡って買い物ですね! 今日は買って買って買いまくります!」
「そうだ、その意気だ! だが桜子よ、手加減してね……」
一方の左霧たちが休日を満喫していることを、彼女たちは知るはずがない。
華恋は子供二人を見ているような気がして軽く憂鬱な気分になった。
「左霧様、かなりストレスが溜まっていたのですね……はしゃぎすぎです」
桜子の手を引っ張りながらあちこちへ飛び回る当主は、ただの童子だった。
少なくとも、家に引きこもっているよりはマシか、と美しき女中は頬に手を当てて微笑んでいた。