魔導兵 人間編   作:時計塔

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瑠璃

左霧さん、また会議であなたの話題が出ました。一体どれだけ私に迷惑をかければ満足していただけるのでしょう、か!」

「ぐっ、俺は、俺のやりたいようにやるだけだ! 誰にも邪魔はさせんぞ!」

「子供かあんたは!! 瑠璃もこの人を挑発しないでよ! 大体なによみんな嫁にするって!? ほんと意味わかんない!」

 

 夕餉の時間はかなりの大所帯となる。左霧の仕事が終わる頃には皆、修行を終え食卓を囲むように座る。少し大きめのちゃぶ台は五人の美女と一人の男が占拠することによりキツキツの状態だった。そんな状況下で怒鳴り声や誰かが自分の足を踏みつけて怒っているのだから溜まったものではない。

 

「左霧様が我が王にふさわしいかどうか判断するためでございます。だって魔術対決では九九戦九九勝0敗でしたから。疑ってしまうのも無理ありません」

「違う、初戦では俺の圧倒的な力のお前はひれ伏した。故に一勝したはずだ」

「と、こんな風に王の風上にも置けない小さな男ですから、ね」

「うるさい! というかなぜお前が家にいるのだ? 姉との暮らしはどうなった?」

「お姉さまは仕事が溜まっているそうです。どこかの誰かが変態的な行為をなさったそうで、変わりに事後処理を任されているそうですね」

「うむ、そうか。たくあん、食うか?」

 

 左霧はそっと瑠璃のお皿におかずを取ってあげた。まるで頭が上がらない。なぜだろうか? 

 違う、ここの女どもは皆、強気すぎる。左霧は戦慄を覚えた。華恋はまるで汚物を見るような目で主を見るし、瑠璃は授業で突っかかってくるわ、家に押しかけてくるわ、挙句どちらが主従なのかわからないような扱いを受けさせられてしまう。

 とんでもない女たちだ、左霧は癒しを求めるように隣に座る美しい黒髪の少女に縋った。

 

「雪子よ、俺のどこが悪いというのだ? 俺は常日頃から生徒たちのことを考え、安全面に配慮し、間違った物の見方を正している。具体的には体育の時間に望遠鏡で生徒たちの動向に異常がないか監視し、座学では身近に最いい男がいることを示唆する。俺のどこが悪いのか、一行以内で答えてくれ」

「死ね!」

「あがっ! 一行にすら満たない、だと?」

 

 雪ノ宮雪子はプリプリと文句を言いながら再び茶碗をすくい上げた。アホな男に構うほどの時間はない。彼女は今、学園の経営をしながら学生生活を過ごさなくてはならない状況下なのだ。多忙、などという言葉では収まりきらないほどの仕事量を、その天才的な頭脳と行動力で補っている。何よりも、彼女には守りたい者がいる。その為にこの道を選んだのだ。

 

「ママー? パパいじめないで」

「ち、違うわよ雪江。パパはね悪いことをしたの、だから叱っているのよ?」

 

 かつて自らの母だった少女は、もういない。そのことを悲しみ時間はもう終わった。今は一児の母として少女を我が子として見ることにした。

 まだ、未熟だけれど、精一杯の愛情を込めて。

 

「俺はお前のパパなどではない。どこをどうしたらそんな勘違いが出来るのだ?」

「っ! 左霧さん!」

 

 雪子は思い切り左霧を睨んだ。その迫力は左霧ですら思わず萎縮してしまうほどだ。大黒柱という肩書きの手前、なんとか踏みとどまったが、本当は桜子の後ろに隠れてしまいたかった。

 

「雪江を悲しませないでください!」

「……そもそも雪子が余計なことを吹き込んだからだぞ。ご近所さんからいらぬ誤解を受けてしまったではないか」

「私だって不本意ですけど、本当に不本意極まりないですけど、周りに男の人がいなかったからやむなく左霧さんがパパだと言ってしまったんです! 左霧さんは言えますか? 雪江がパパは? なんてつぶらな瞳で訴えてきたら本当のことを、あなたは言えますか?」

 

 左霧は雪江のつぶらな瞳とやらを見据えた。確かにあどけなさの残った幼子のような格好をしている。見た目が見た目なだけに普通の人なら保護欲とやらをそそられるのではないだろうか。

 

「俺はお前の父親などではない」

「……パパ? パパじゃないの?」

「!? この鬼畜! あなたって人は言ったそばから!」

 

 雪江は無垢な瞳で左霧をじっと見つめていた。雪子にはそれがひどく哀れに映っているのだろう。

 左霧の見解は違う。左霧は彼女を対等な者として、魔導兵として認識しているのだ。一旦記憶を新しくした魔導兵は赤子も同然だが、その成長段階は人間に比べて遥かに高い。おそらくあと四~五年もしたら、元の雪江に戻るくらいには脳が発達するだろうと予測している。

 今もそうだ。左霧と雪子の齟齬を見極めようとしている。どちらの言っていることが正しいのかを判断しているのだ。普通の子供なら戸惑い、衝撃を受ける事実でも魔導兵はそれを論理的に組み合わせ、答えを導き出す。

 

「左霧は、パパじゃないのね」

「その通りだ」

「でも、パパって呼んでいい?」

「……どうしてだ?」

「わかんない。でも、きっと、左霧はパパになるもの」

 

 どうやら、魔導兵も論理的に考えるには時間がかかるらしい。子供らしい回答だ。それくらいなら別に構わない。自分が本当のパパではないという事実を認めてくれたのなら僥倖だろう。

 

「別に構わな――――」

「絶対にダメです!!――あう!」

「……うるさい」

 

 桜子は先程から聞き耳を立てていたようだ。わが娘ながら声がでかい。行儀も悪い。迷惑この上ないので躾として頭を叩いてあげた。可愛いだろうがなんだろうが、容赦はしない。全ては生まれた時から平等なのである。

 

「左霧おにー様は私のおにー様なの!」

「パパは雪江のパパだもの!」

「むむむむ……この泥棒猫!」

「なによ! 正妻面しちゃって!」

 

 頭が痛い。なぜこんなくだらないことで頭を悩ませなくてはならないのか。最近の幼子は末恐ろしい。このままでは教育上よろしくないのではないか……と考えたところで左霧に何が出来るわけではない。諦めて食事にありつくことにした。

 

 

 

 教職というのはどうしてこんなに忙しいのだろう。今日は歴史の小テストがあり、受け持っているクラス分の用紙が机の上に盛り上がっていた。これを明日まで返さなくてはならない。時刻は九時過ぎ、絶望的だ。

 

「なになに? ブルボン朝第三代のフランス国王の名前? ルイ14世だったかな……なんでフビライ=ハンと書いてあるのだ……」

 

 生徒の解答欄には毎回驚かされる。真面目に解答してあるのかそれともふざけているのか……ふざけているのならいずれ矯正しなくてはならない。若い時からそう言ったメリハリがつけられなくなると大人になったとき、色々と苦労をするのは彼女たちなのだから。

 

「最も、あの子達に未来はあるのか」

 

 独り言のように左霧は呟いた。彼女たちは後三年したらどこかの家に嫁がなくてはならない。有数の名家ばかりが集められた雪ノ宮女学園の創設理由は、「優秀な遺伝子の思想統一」などという表に出ても恥ずかしくないような内容が含まれているのだ。

 

「母がいれば、泣いて喜びそうな被検体の山だな」

 

 

 自然と皮肉を口にしてしまう。自分の悪い癖だ。今更何の感情も持たないが、どうしてか身内のこととなると胸にこみ上げてくるものがある。

 特に、母親のこととなると――――激情を未だに抑えきれない。未熟であることを認めざるをない。

 

「左霧様――――」

「瑠璃か……もう夜も遅い。そろそろ帰ったらどうだ」

「そうします。ですが、一つ言っておかなければならないことが」

 

 

 ドア越しに瑠璃の声が聞こえた。咄嗟に考えていたことを中断する。従者に弱みを見せてはならない。それも瑠璃のように自分の価値を見定めるような賢い者は常日頃から己の行動を観察しているのだ。ここで貴重な戦力を失うことは避けたい。

 

「……入ってもよろしいでしょうか?」

「構わん」

「失礼します」

 普通の部屋の普通の男の部屋だ。何もない。あるのはベッドと机。照明器具と数冊の本くらいだ。

 何の変哲もない。それでも瑠璃は辺りをキョロキョロと見渡すようにゆっくりとこちらへ向かってきた。

 

「それで、何の用だ?」

「はい、ところで私、殿方の部屋に入ったのはこれが初めてです」

「ところで、ではない! さっさと要件を話せ!」

「つれないですね。あんなに私が欲しいとねだっていた癖に、自分の要求だけはする。会いにもこない。勝負も負ける。そんなことで私が言うことを聞くとでも?」

「……それは」

「王よ、私に命令したくば私の願いを聞いてください」

 

 そう言うとふわりと瑠璃は左霧の目の前まで寄り添ってきた。蒼色の髪が肩にかかり、女性特有の甘い香りが鼻腔をくすぐる。油断していると酔いしれてしまいそうだ。

 

「な、何だ、願いとは」

「接吻を」

「ぶっ……何を言って」

「大事なことです。あなたは私を従者として、妻として迎えてくれたのではないのですか? それでなかったらあの死闘は一体なんだったのですか?」

 

 本当に雪子と同い年なのだろうか? と疑いたくなるほど、彼女は魅力に満ちていた。艶っぽい瞳、上気した頬、豊満とは言い難いがそれなりに膨らんだ胸、くびれた腰。何よりも彼女の強さこそが、左霧の脳を刺激するのかもしれない。

 

「私は知っています。あなた様いつも本気を出さないことを、私は知っています、あなた様は慈悲深く、そしてお優しい――――ですがそれは同時に愚かでもある」

「俺は慈悲深くも優しくもない。俺は神になる男として当然の行いをしているだけだ」

「私は知っています。あなた様は自分を恐れていることを、何よりもあの子たちを失うことを」

 

 左霧は瑠璃の瞳をようやく見つめ返すことができた。彼女は左霧の首に手をかけていた。優しくもしっかりと力の入った具合で解こうとしても上手く解けない。振り払うこともできるが、何故か出来なかった。 

 それは瑠璃の純粋な訴えをようやく理解することが出来たからだ。

 

「……いらぬ心配をかけたな」

「妬ましいです。あなた様はいつも雪子さんのことばかり気にしてらっしゃいます」

「……そんなことはない」

「嘘。あの子に並々ならぬ想いがあるはずです。最も、あの子ではなく、あの子を通して他の誰かを見ているのかもしれませんね」

 

 女とは、恐ろしい生き物である。瑠璃の推察は的確だ。左霧は雪子という少女と出会ってからこの数ヶ月間、忘れようにも忘れることのできないある女の姿を追っていた。いや、意識せざるを得なかった。

 少女は妻に瓜二つだったからだ。死んだはずの妻がまるで現世に舞い戻ってきたかのように目の前に現れた。性格や仕草は別人だが、時折見せる笑い顔や泣き顔、それを見ると名前を間違えそうになる。

 だが、妻は死んだ。間違いなく。自らに宿る精霊の力によって。男と娘を残して。

 何よりも少女は自分と同じ魔導兵だ。魔術を追求した魔術師たちにより生み出された最強の兵器。神に抗う力。

 

「雪子さんが気になりますか?」

「気にならない、と言えば嘘になる。彼女は魔導兵としてはおかしな点が多すぎるからな」

「魔導兵、ですか。本当に実在したのですね。いえ、私こそがその力の驚異を知ることになった」

「魔導兵は神の仮初の器だ。その心は人間の感受性よりも遥かに劣る。必要最低限の感覚を持つだけに過ぎない」

「だけど、雪子さんは涙を流した」

「……ああ、俺ですらそんなことはなかった。俺は魔導兵の中でも比較的人間に近いポテンシャルを持っているらしい。例えば」

「精子を与えることができる」

「……そのとおりだ」

「素晴らしい機能ですね!」

 瑠璃はズバリと口にした。別になんということはないが、この女には羞恥心がないのだろうか。平静とした表情で口にしていい言葉ではないような気がする。なぜそんなに嬉しそうなのかは、怖いので聞かなかった。

 

「これは魔導兵の力を子々孫々へと繁栄できる画期的な発明だ。俺を作った研究者はそれを利用することで魔導兵の大量生産を実現可能にした」

「……それは、実現可能になったのですか?」

 

 どうやらおかしな方に話が進んでしまった。瑠璃は自分が聞いてはいけないことを聞いてしまったことにようやく気がつく。だが、好奇心を抑えることは出来なかった。再び詰め寄るように左霧に近寄る。

 

「――――失敗した。俺の精子を含んだ女は妻以外全員死んだよ」

「……そう、ですか」

「九九人だ」

「え?」

「九九人が生贄となった」

「…………」

「魔導兵の生産は不可能という結果になった。だが、雪子は俺以上に人に近い魔導兵だ。当然、その体は人のそれと同じだ。ありえない。魔導兵の研究は、俺を作りあげたあと頓挫したはずなのだ……」

 

 つまり、ヒトゲノムを持つ魔導兵は左霧一人のはずだ。それを作った研究者――――霧島霧音はそう言っていた。最も、それが嘘か誠かを定めることはできない。だが、嘘をつく理由もわからない。

 彼女は、一体何者なのだ? 考えれば考えるほど泥沼に浸かってしまう感覚。そしてつい都合のいい方向に考えてしまう。妻が、帰ってきたのではないか、と。

 

 

「左霧様、申し訳ありません」

「なんだ突然?」

「立ち聞いたことをしてしまいました。私はただ、雪子さんばかり気にしているのは懸想しているのだとばかり」

「バカな。相手は学生だぞ」

「学生では、あなたは振り向いてくれないのでしょうか?」

「いや……俺はもう、そういうことは」

 

 雪子は確かに妻に似ている。だが、別人なのだ。赤の他人。重ねてしまうこと事態それは雪子に対して失礼な行為だ。

 忘れよう、何もかも。何度もそう思った。でも暖かい記憶と染み付いた匂いはそれを許さない。永遠に左霧を回帰させる袋小路に閉じ込めてしまうのだ。

 

「私が忘れさせて差し上げます。私はあなたの従者なのです。お使いになってください、どんなことでも。肉便器にもなります」

「おい、それ以上真顔で言うな! お前は一応、帝国で最強の魔術師なのだぞ?」

「関係ありません。今は恋するフォーチェンクッキーですから」

「フォーチュン・クッキーだ」

「……横文字は苦手です」

 

 以前はテレビのない生活だったらしいが、左霧の家で食事を共にすることが多くなり、瑠璃はテレビの興味津々だ。桜子や雪江と取り合いになることもある。最強の魔術師が聞いて呆れる話だ。

 左霧はそっと瑠璃の髪を撫でた。親が子供にしてあげるように優しく、ゆっくりと。瑠璃は驚いていたが、やがて目を細めて受け入れた。

 

「桜子さんの気持ちがわかります」

「ほう? あのじゃじゃ馬の気持ちが、か?」

「ええ、左霧様に撫でられると何でも許してあげたくなってしまいますから」

「それは、言いことを聞いたな」

「もちろん冗談です。でも、とても気持ちいいです」

 

 自分の手はそんなにいい代物ではない。血塗られて意地汚い下衆の手だ。その手で何人もの罪なき者たちを殺してきた。それは瑠璃とて同じことだ。それを分かっていて敢えてそう口にしたのだろうか。

 二人はしばらくそのままの状態でいた。何だかうやむやにされたような瑠璃であったが、とりあえず今日のところは許してあげたようだ。

 最強の魔術師も、一人の男も前では甘えたくなるらしい。

 


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