魔導兵 人間編   作:時計塔

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 左霧にとって戦いとは最高の喜びである。それは左霧の意志によるものではもちろんなく、鬼として相手を葬ることに喜びを感じるのだ。

 いつもの自分ならその力を遺憾なく発揮し、華麗に敵を仕留めることが出来るのだ。

 言い訳がましいが、いつもの自分なら、だ。

 

「左霧さん! わかってるわよね!? 殺しちゃダメですよ!? ずっっっっっと見てるからね!!」

 

 雪子はもう泣き止んで、母に寄り添いながら左霧と瑠璃の戦いを見ていた。命に別状はないと判断したのだろう。

 まぁ魔導兵に死の概念は存在しない、という理屈は正しい。そのことを雪子に話すのは自分の役目ではない。

左霧が果たすべきは、目下――――。

 

「どうしたのですか? 霧の申し子、いえ、鬼子ですか? 足が止まっていますよ?」

「お前の精霊が暴れるせいで迂闊に動けんのだ。育て方が悪いぞ」

「クロちゃんは賢い子です。あなたこそ、精霊はどうしたのですか?」

「喧嘩中だ。なに、小娘一人俺だけで十分」

 

 強がりだけは一人前だなと、誰もが思っている。実際、左霧は瑠璃を相手に対等に戦っていた。霧の魔術で体を消しては、ひたすらに本体を狙う。正々堂々とは言い難いが、確かに精霊を駆使する者にとってこれほど戦いにくい相手はいない。

 が、しかしそれは小細工の効く相手だけなのだ。

 

「隠れんぼはもうおしまいですよ――蛇火」

「――――! しまった!」

 

 大規模の炎でたちまち霧を振り払い、瑠璃は標的を定めた。精霊を使役すると同時に瑠璃は自らも呪文を錬成する。並の魔力ではこうはいかない。才能と努力を同時に持ち合わせた瑠璃だからこそ出来る芸当なのだ。

 

「受けなさい――――黒花火」

 

 連続して唱えた呪文に隙はない。瑠璃にとって詠唱は無駄な時間だった。頭の中で詠唱し、それを発動と同時に終了させる。一流の魔術師はこれが出来なくては話にならない。

 

 黒い炎の弾丸が左霧を包み込む。絶体絶命。体力はもはや残されていない。

 自分はこれほどまで弱くなったのか、と認めたくない現実に直面した。

 否、諦めることは許されない! 左霧は決死の覚悟で必殺の呪文を口にする!

 

「深淵よりも尚暗き光届かぬ……忘れた」

「「忘れた!?」」

 

 瑠璃と雪子は同時に驚いた。その途端に爆発が左霧を襲い、男は満身創痍の状態で膝をつく。

 なんというか、何なのだろうかこの男は……。出てきたと思ったら何の役にも立たずに倒れてしまった。呪文もロクに唱えられないのに!

 

「ちょっと左霧さん!? さっきあんなに自身たっぷりだったじゃない!? どういうことよ!」

「違う。これを唱えれば間違いなく勝てるんだ。ただ、その、呪文を忘れた」

 

 ちょっと恥ずかしそうにもじもじする左霧さんを殴り飛ばしたい雪子だった。ダサい、ダサすぎる……やっぱりニートはどうやってもニートのままなのだろうか? なぜ自分はこの男を守ろうと思ったのか? 早くも男の威厳と疑惑を抱かれた左霧に名誉挽回の余地はあるのか? 

 

「やはり、こうしないとあなたは本気で戦えませんか?」

「――――瑠璃! やめなさい! 彼女は関係ないはずよ!?」

 

 瑠璃が標的に選んだのは左霧――――ではなくその向こう側にいる人物。そう、左霧が背後で守ろうとしていた女――――雪子だ。百合は掠れた声を張り上げて義妹を咎めるが、その声が届くことはなかった。

 先程からの戦闘で左霧が本気で戦っていないと見抜いたのだろう。ならば戦わざるを得ない状況にさせるまで、と標的を変えたのだ。体を強ばらせ、それでも雪子は圧倒的な敵の目を離さずに真っ直ぐ前を見る。これが、魔術師として生を受けた者との差なのか、と内心雪子は歯がゆく思う。

 策謀によって常に相手を弱体化させることが瑠璃の戦略なのだが、この時ばかりは違った。父を殺した時の実力で自分とぶつかって欲しい。そしてその先にどちらが生き残るのか、ただそれだけが彼女の希望だった。

 

「――――お前は、死にたいのか?」

「――――何を言っているのかしら?」

「お前はなぜ戦う? 魔術師だからか? 父の敵だからか? 天王寺だからか?」

「――――その全てよ」

「違うな、お前はただ不満なのだ。思い通りにならないことが多いから全てを壊したいのだ。それが不可能なら自分自身が破滅してしまいたい」

 

 左霧の言葉に瑠璃は答えられなかった。今まで考えたことがなかったからだ。自分が本当は何をしたくて何が欲しいのか。何が嫌で何がやりたくないのか。

 ――――そんなこと考える暇なんてなかった。

 ああ、そうか。私はただ、死にたかったのだ。この世界で生まれ、両の足で立った時から全てが確定されていた。天王寺という檻に縛られ、喜びも悲しみを抱くことなくただ母の言うことに従っていた日々。姉を、父を失った時でさえ瑠璃は己の成すべきことをやり遂げるため戦った。

 少し、疲れてしまったのかもしれない。だから義姉の居場所を突き止め、恨み言を吐きたかった。

 自分は生きている、だから早く助けてほしい。心の叫びをぶつけてたかった。

 いや、甘えたかった。ただ、あの頃感じていた義姉のぬくもりを忘れたくなかった。

 

「人は弱い、とうちの精霊がよく愚痴をこぼしていた。しかしそれ故に人は誰かと助け合うことが出来る。精霊は常に孤独だが、人はいつも一人ではない、と」

 自分の愛した女を殺めた精霊。その精霊をどう扱い、またどう向き合っていけばいいのか、左霧とて分からない。

 だが、生きようと決めたのならば、彼女の力もまた左霧には必要だ。あの精霊を許すことは今の左霧にはできない。

「私は、どうしたらいいのかしら」

「それはお前が決めることだ。お前はたくさん殺した。今更あとに引くこともできない」

「――――そうね、それ以外」

「だが、おそらくそれも無理な話だろう」

 

 不敵に微笑む左霧。既に満身創痍の体であるにも関わらず大した男だと瑠璃は関心を通り越して呆れてしまう。このまま殺すには惜しい男であることは確かだ。自分に歯向い、尚且生存している者など今までいた試しがない。

 侵略を決めた決断を覆すことなど出来はしない。天王寺を裏切ることなど今更できるわけがない。歪な関係だったとしても生を受けた時から瑠璃の体にはその匂いが染み付いて離れないから。

 

「瑠璃様!! で、伝令です!」

「翔子、生きていたの」

 

 自らの右腕が生存していたことに瑠璃は僅かな安らぎを抱いた。翔子は左霧を一瞥したあと、すぐに瑠璃へと向き直り慌てたように言葉を繋いだ。

 

「る、瑠璃様、今すぐにお逃げください!!」

「翔子、落ち着きなさい。これが終わればすぐに帰れるの。今回は予想以上に犠牲者を出してしまったわ。大丈夫、今度はきっと上手く」

「天王寺が――――天王寺が陥落しました」

 

 擦り切れた心を自ら鼓舞し、部下の前では平然と立つ。父に教わった教訓が自然とにじみ出る自分が、この時ばかりは憎かった。

 瑠璃は体からゆっくりと魔力を抜いた。

敗北、その言葉の意味すらわからない。

 自分が負けることなどあるはずがないなどと思ったことはない。戦いになればいつ死ぬか分からないのは最強の魔女である瑠璃も同じことだ。

 ただ、意味が分からなかった。今、ここで戦っている自分が生きているにも関わらず、天王寺が陥落した、などという言葉が紡がれたことに。

 

「翔子、私は生きているわ」

「恐れながら、瑠璃様。これ以上の戦いは不可能でございます。中央区の本拠地が突然襲撃されました! 敵は“霧島家”と名乗る魔術師の集団です!!」

 

 目の前の男を見る。不敵に笑っていた。この短時間で一体どんな策略を練ったのか。最初から本気で戦う気がなかったのはこういうことだったのか。

 瑠璃は失望した。どんな男かと見定めていたが、やはり期待はずれだったのだ。

 

「俺も一応次期当主だからな。悪いが部下を使わせてもらった。あとで母からお仕置きを食らってしまうが、まぁそれは置いておこう。観念しろ、天王寺瑠璃」

 

「……私が、家を盾に取られた程度で引くとでも?」

「ちょっと左霧さん!? 聞いてないですよ!? 卑怯者!」

 

 後ろから何やら野次らしきものが飛んできたが気にしない。それよりも目の前の少女が引かないことに対して内心焦っていた。これでダメなら覚悟を決めるしかない。

「瑠璃様……」

「翔子――――すぐに戻るわよ。今回は私の負けということにしておいてあげる」

 

 部下の瞳で心変わりをしたのか、果たしてその心は分からない。当主たる者、自らの独断のみで動くことなど問題外のことだ。しかし瑠璃は間違いなく戦いの先にある死という安らぎを求めていた。聖人のような表情は、未だにその未練を抱えたままだった。

 

「待って、瑠璃! 行かないで!」

「義姉様、さようなら。もう次に会う時は――――」

 

 その次に出るべき言葉が見つからない。いや、あるはずだ。これが決別の時だ。そう心に言い聞かせ、瑠璃は必死に言葉を紡ぐ。

 声が出せない。

 視界が滲む。

 あれ? これは確か……。

 

「ダメ、絶対に嫌よ! あなたをまた一人にするくらいならお姉ちゃん死んじゃうから! もう、嫌なの! あなたをそんな顔にさせたくないの! これ以上逃げたく、ないの……」

 

 百合は瑠璃の足に僻みついて離れなかった。義姉の言葉が気になり、瑠璃は自らの顔に触ってみた。

 その顔は濡れていた。あの日、忘れたはずの感情がグルグルと駆け巡ってきた。仕事に行く姉。帰ってくる姉。休日に遊んでくれた姉。一緒に寝てくれた姉。

 その姉が、目の前の傷だらけで汚らしい女となぜがダブって見えた。惨めであるはずの今の彼女を振りほどく力は、とうに消え失せていた。

 

「貴様! 瑠璃様の体に触れるな!」

「あぅ! いや、離して、瑠璃! 瑠璃!」

「あ……義姉、様……」

 

 部下に手を挙げられても尚、執行にその行く手を阻む百合の執着に、瑠璃は恐怖すら覚えた。だが、それは痛くない。決して痛くなどなかった。

 だから涙が止まらなかった。暖かすぎて、切なすぎて。

 

 その前に一人の男がまたしゃしゃり出て来る。その男はまた意味の分からない発言をかまし場を混乱させた。

「おい、誰が帰っていいなどといった? 俺は天王寺を乗っ取るためにお前の家を襲撃したのだぞ? ここでお前を倒さなくては何の意味をないではないか?」

 

 ポカン、と皆が男を見た。明らかにボロボロで誰が戦っても勝てる自身がある。その男はあろうことか、再び瑠璃に戦いを挑んできた。

 天王寺を滅ぼすなどという大それた発言をかましてしまった!

 

「なぜあなたは天王寺が欲しいの? 魔王になりたいから? 名誉のため?」

「そんなものは野心の塊である雪子にでもくれてやる。俺はお前が欲しい」

「なっ! 誰が野心の塊よ! ていうか左霧さん!? 何ですかそれ!?」

「クスッ……面白い男。いいでしょう。私が負けたら天王寺もそれから私も――――あなたのもの」

 

 瑠璃は僅かに頬を赤くしながら言った。今まで求婚をかけられた数は幾知れずとも、この瑠璃を前にして勝負を挑んできた男などいなかった。最強であるが故にその力を前にすれば誰もがひれ伏すしかなかった。

 雪子は意味が分からなかった。さきほどは真剣に自分を守ると言って誓い合った仲であるにも関わらずこの数分で壁に打ち付けられたような衝撃を受けた。

 

「左霧さん、あとでちょっと話がありますから」

「なんだ? どうしてそんなに怖い顔をしているんだ? 雪子、あまり顔にシワを寄せるとな、歳を取ってから大変なことに」

「うっさい! さっさと行け! この浮気者! 変態!」

 

 雪子の回し蹴りを喰らい、訳も分からず戦場に立った左霧。相変わらず体はフラフラだが、気持ちはスッキリしていた。

 なぜなら目的がはっきりしているからだ。

 自らの野心のために、勝たなくてはならない。いい女というのは力づくで手に入れて支配してこそ面白みがある。最も、左霧は出来た試しがない。根っからの尻に敷かれてしまうタイプの男だ。

 それに――――。

「瑠璃……瑠璃」

 

 姉妹の悲痛な叫びは聞きたくなくとも聞こえていた。左霧には関係のない話だ。よくある姉妹同士のいざこざだ。姉は妹を取り戻したいが、妹は背負う物があり、また姉の好意を受け入れられない。

 なら壊してやろう。生憎と左霧はその方面に関しては得意中の得意だ。

 やはり、家族は笑わなくては――――。

 それは冷たい家庭で育った自分の戒め故なのか、左霧は放っておくことが出来なかった。

 

「どんな奇跡を見せてくれるのかしらね? 今のあなたに一体何ができるの? 本当に私を手に入れることが出来るの?」

 

 瑠璃の挑発は何の意味もない。

 既に言葉を不要。そう悟ったのだ。

 かつて殺戮の限りを尽くした男は、今一度その力を体内に宿す。

 それは、平安より続く悪意の権化。

 鬼の生まれ変わりである左霧を支配しようと力。

 魔導兵ではないと制御しきれない古代兵器。

 

「神降ろし、願い奉る――――」

 

 それは決して使ってはならない禁呪。魔道書にも書かれていない。口伝のみで伝えられた呪われた魔術。

 

「宿れ――――悪鬼」

 

 霧の魔術は一番弱い。それは魔術師なら誰もが知りうる話だ。こそこそと隠れて敵を狙う卑しい魔術師たち。女系でありまた美貌を持つが故にいつも彼女たちは力で押さえつけられ、恥辱の限りを尽くされていた。

 あるところに、一人の男が森に迷い込んだ。それが霧島家の始まり。

 

「降参するなら今のうちだ。小娘」

「――――本当、嫌な男ね」

 

 瑠璃は魔術を使うことが出来なかった。いや、その暇を与えてもらえなかった。魔力で作った防護壁を無理矢理壊され、赤裸々になった喉元へ、そっと手を当てられた。

 この世には、理解出来ない現象が時として人を襲う。

 だが、瑠璃に与えられた現実は三つだけ。

 天王寺は滅びたこと。

 自分は負けたこと。

 この男は、いつか神を殺すだろうということだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 


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