魔導兵 人間編   作:時計塔

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守るべき者

 かくして、男は再びその地に足を踏み出す。その体には罪を、その心には罰を刻みつけ、かつて崩れ落ちた崖の上を登ることを決意した。

 霧島左霧は自分の体を確認する。相変わらず女々しい姿だと自嘲した。この数年間、右霧に好き放題に使われていたこともあり、自分の体だというのにまるで別の器に魂が宿っているようだ。手を握り締め、その場で軽く肩を回す。目を瞬かせ、足を伸ばす。

 しばらくすると自分の周りに死体が広がっていることに気が付いた。小規模の衝突があったのだろう。魔術師と思わしき者たちの無残な姿から目をそらすこともなく、左霧は前を見据えた。

 

「う……はぁ、はぁ……あ」

「気がついたか? 派手にやられたようだな」

「あ、あなたは……」

「ここで会うのは初めてだな。俺が霧島左霧だ」

「私の夢に出てきた変態ね」

「変態ではない。それにあそこは夢の世界などではない、修復状態に入った魔導兵の仮眠室のようなものだ」

 

 左霧は、目の前に倒れている少女の横で腰を下ろす。複雑な思いが駆け巡ってきたが、まずはこの場所を把握することが目的だ。右霧は左霧が無理矢理閉じ込めた。心の裏側、つい先程まで左霧が引き篭っていた場所に引きずり込んだのだ。

 悪いことをしたと、左霧は思っている。右霧という精霊は決しては悪い奴ではないのだ。右霧を悪い精霊と断定するのならばその他の連中にだっていくらでも悪事を働く者がいるはずだ。

 だが、あの精霊は致命的な欠陥を持っていると母が言っていたことを思い出した。

 

「母性に取り憑かれた精霊」

 

 魔導兵は不思議な願いを持つ。一般的に女性型に作られた破壊兵器はその目的に沿ってあらゆる行動を起こすのだ。

 それが、『母性』。

 母が子供に対して思う保護欲。愛したいという願望。

 右霧は、ある一人の少女のために己の全てを捧げたのだ。と、同時にそれらを奪いとってしまった。

 いや、今はいい。左霧は己の不始末が招いた結果を振り返っていただけだ。

 それよりも、やることがあるはずだ。目の前の少女と共に。

 一歩を踏み出すこと。そう決めたではないか。

 

「私、死んだのよね?」

「そうだ。そして生き返った」

「やっぱり、え?」

「お前の体が自己修復を開始したからな」

「どういう、こと? 勝手に治ったの? 私の、体が?」

 

 ここで魔導兵について話すべきなのだろうか、と左霧は躊躇していた。おそらく、一人の娘として育ててきた母親にとって娘が本当のことを知ってしまうのは相当なショックだろう。

 母親から話すべきだ。そして、それから彼女は自分の生き方を決めるのだ。

 

「全てはお前の母親に聞くべきことだ。俺にとっては先輩にあたるのか。俺もいくつか聞きたいことがある」

「そう、そうね、お母様を助けなくちゃ」

 

 雪子はようやく体を起こし、体に力を入れた。どこを見ても傷一つない。あれだけ派手にやられたというのに。いつもの貧相な胸と、最近ちょっと筋肉のついちゃった感じの体。

 

「セーレム、どこにいるの?」

「……お前の中にいる。霊力が足らないから実体化も難しい状態だ」

 

 セーレムは雪子の中から声を発していた。精霊は人間の中に宿り、霊力を回復する。セーレムは先ほどの戦いで霊力を使いすぎたため戦うことは出来ない。

 そんな雪子の不安を察したかのように、左霧は一歩前に出た。

 

「ここからは、俺が道を切り開く」

「できるの? ずっとニートだったんでしょ?」

「これでも一つの縄張りを守ってきた次期当主だ」

「でも、ニートになっちゃったのよね?」

「……ニートでもやるときはやる」

 

 雪子の意地悪がカンに障ったのか、左霧はムキになって答えた。

 可愛い人だなと、雪子は内心思う。怖いはずなのに、嫌なはずなのに、そんな自分と向き合いながら必死に戦おうとしている。

 ――私を守ろうとしてくれている。

「雪子、戦いなら任せろ。心は脆くても体は丈夫なんだ」

「何も心配していないわ。心なら私がいくらでも活を入れてやるから」

 

 左霧は僅かに口元を緩ませた。それは本当にわかるかわからないかくらいの小さな変化。

 笑い方を忘れてしまったわけではないらしい。これからリハビリが必要になるが、左霧はどんな男なのかくらい想像がつく。

 笑顔の素敵な、優しい人なのだと。

 

「しぶといわね、雪子さんったら」

「翔子……」

「雪子、下がっていろ」

 

 左霧は雪子の前に立つ。背後を気にして戦うなど久方ぶりの戦いにしてハードルが高いが、えてして戦いとはそういうものなのだ。幾千の戦陣を切り抜けていた左霧だからこそ、今の状態を冷静に観察し、判断できる。

 

「あら、霧島先生、こんにちは。残念だけどここは通しませんよ」

「元よりそのつもりはない。押し通るまで」

「……なんだか雰囲気が違いますね。今は何だかとても魅力的ですよ」

「ならば、道を開けろ」

「残念ですが、私は瑠璃様に忠誠を誓った身ですので。例え心を奪われようともその血一滴残らず主に還すつもりです」

 

 交渉決裂。左霧の淫魔の力が僅かに翔子を揺れ動かしたが、魔力の強い者は耐性ができているため、効力は低い。

そしておそらく――――。

 

「殺してはダメよ、左霧さん」

「難しい注文だな」

「それでもよ。私は殺すことを認めない」

「あいわかった。お前の望む通りにしよう」

 

 あの、咲夜と同じように左霧の力を受け付けない少女。

  

『咲夜と瓜二つの魔導兵』

 

 心配そうに身守る、かつての妻の面影を追い求めていた。

 少女は一体何者なのか。

 俺は、一体何を手に入れたいのか。

 運命はどこにたどり着くのか。

 

「魔術、解放」

 

 一瞬にして霧が世界を包み込む。光を閉ざし、白の世界が全てを支配した。

 

「これが霧の魔術……」

「警告したはずだぞ。悪いが、手加減している暇はない」

「戯言を!」

 

 その世界を破壊するように精霊サラマンドラは躍り出た。愚かな敵を駆逐するために強大な紅炎は勢いよく左霧に降りかかる。

 しかし、左霧はその場を離れない。待ちかねるように待ちわびるように精霊と対面している。

 そして遂に衝突した。一人の魔術師が、強大な精霊と真っ向から衝突した。

 焼け付く肌。燃え盛る肢体。肉の焦げた匂いが辺りを充満する。

 

「左霧さん!!」

「大丈夫だ雪子。久しぶりの戦いなのだ。少し楽しませてくれ」

 

 雪子が見守る中、左霧は精霊との戦闘を開始してしまった。

 本来なら精霊の戦いは精霊で立ち向かおうのがセオリーだ。しかし、右霧は今閉じ込められている。ならば一人で戦うしかない。

 両手を使い、怪人の攻撃を押さえつけている。ありえない膂力。それだけでも人間離れした者なのだとひと目でわかる。

とはいえ、このまま精霊の相手をしているわけにはいかない。目的はこの精霊を使役する魔術師のみ。

 

「悪いが、付き合っている暇はない」

 

 そう言うと左霧の体は霧に覆われて姿を消す。辺りには更に深まる霧によってどこにいるかすら把握できない。

 

「どこにいる!? 姿を表せ!」

隠業。それこそが霧の魔術。

慌てる翔子をあざ笑うかのように霧は更に深く、深く、敵を包み込む。

 

「サラマンドラ!? 私を守りなさい! 早く!」

 翔子は標的を探しているサラマンドラに助けを求める。だが図体のでかいサラマンドラは鈍足だ。

「――――遅い」

 

 翔子の背後から目だけが見下ろしていた。そして次々に現れる左霧の体。霧散した一部がどんどん結合されていく。もはや勝敗は決した。

 左霧は翔子の白い首を掴み、ゆっくりと力を入れる。ギリギリと骨が軋む音を楽しみながら――。

 

「あ、がぁ、ぎぃ、たす、げ」

「鬼に助けを求めるのか? それは愚か者のすることだ」

 

 自然と笑みが溢れる。自分の存在を唯一確かめるために、左霧は衝動に従う。

 殺戮と死こそが、自分の象徴――――。

 

(ダメよ、左霧。その衝動に負けてはダメ。あなたは優しい人よ。私の大好きな旦那様)

 

 妻は俺を咎めた。その妻はもういない。ならば俺を押さえつける楔はもうない。

 力を込める。それだけで簡単に少女は死ぬ。牙を向けたのだ。当然の報いだ。

 戦いに情は必要ない。そう習ったし、俺もそう思う。

 だからもう――――。

 衝動に身を任せよう――そう左霧の脳が判断した瞬間、

 

「ダメだって言ったでしょう!? どうして人の言うことが聞けないの!? やっぱりニートってダメね! この社会不敵合者!」

 

 雪子は左霧の耳元で大きく声を荒げた。霧の深くなった世界で、左霧を探したのだ。それは簡単なことではない。見渡す限りが白の世界。常闇の、白の世界で異なるものを見つけ出すことなど出来るわけがない。

 その少女が、左霧に説教するために、危険を顧みず現れた。

 ああ、そうだ。俺は雪子と約束をしたではないか。どうして忘れてしまったのかという後悔の念が左霧を襲う。

 左霧は途端に力が出せなくなり、腕を下げた。それと同時に敵は大きく息を吸い込み、懸命に生きようと足掻く。もはや左霧にとっては何の興味もない。

 

「やっぱりダメ。あんたは私がいないと絶対ダメね」

「そんなことはない。敵は倒した」

「倒した、じゃない! 殺そうとしたでしょうがっ!」

「俺には殺戮衝動がある。どうにもできん」

「言い訳すんなっ! 約束も守れない人をどうやって信用すればいいのよ! ちょっとは人の気持ちも考えなさいよ!」

 

 左霧は呆然と泣き叫ぶ雪子を見つめていた。どうして少女は怒っているのだろう? そんな疑問も虚しく、自分に浴びせられる罵声をひたすらと受け入れていた。

 何よりも、どうして少女は泣いているのだろう? 

鼻水が若干汚いが、そんなに綺麗な顔を台無しにしてしまったのが自分ならばそれは本当に悪いことをしてしまった。

左霧はどうすることもできずオロオロするばかり。とりあえず理由を聞こうと傍に寄った。

 ――――ふわりと甘い香りがした。女性特有の甘い、ねっとりとした濃厚な香り。熱を持ったその香りは、おそらく雪子から発せられたのだろう。左霧は自分が抱きしめられていることに気がついたのはその後だった。

 

「なぜ泣く?」

「知らないわよ泣きたいからよ」

「なぜ抱きしめる」

「知らないわよそうしたいからよ」

「そうか」

「そうよ」

 

 左霧は為すがままにそれを受け入れた。不思議と抵抗はなかった。どうしても少女を引き離すことが出来ないのだ。

 

(左霧……)

 

 ――――決して重ねているわけではない。

 だとしても、この暖かさに。この感情に。このひと時を。

 どうして抗うことが出来ようか?

 

「私がいないとあなたはダメよ」

「そうだな」

「絶対に離れないわ」

「お前は俺の特性に惹かれているだけだ」

「自惚れないで。あなたを愛しているなんて一言も言ってない」

「ならばなぜ俺を抱きしめる?」

「あなたを守りたい。そう思ったからよ」

 

 心が、共鳴したような気がした。

 守りたい。

 それは魔導兵が起動するための魔法の合言葉。

 雪子はそれを無意識に理解した。

 きっと自分は一人の人間を守るために生まれてきたということを。

 もしかしたらそれは一人ではないかもしれない。だけど、そう。

 魔導兵は『母性』により強くなる。

 一体誰が考えたのだろうか。その心は人形のそれであることは間違いない。

 しかし、ああ、とても人間らしいではないか。

 人間よりも、人間らしいではないか。

 

「なら、俺もお前を守る」

「当然ね。さっさとお母様のところに連れて行きなさいよ」

「わかった」

「!? ちょっと、なにこれ!?」

 

 左霧はその腕で少女を抱き上げた。背中と足を支えたとても恥ずかしいであろう抱えかた。

 世間ではお姫様抱っこと呼ぶらしい。

 どうしてこんなことをしたのかと左霧に問えば、答えは至極簡単だ。

 

「年上は敬うものだ」

「はぁ? にーとの癖に何言ってんの? きゃぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 少女は少し生意気だったからだ。かつての妻と面影が似ていること以外は全くといっていいほど正反対の性格。

 つまり仕返しがしたかったのだ。

 

「今触った? お尻触ったわよね!? 死んでよもう! 最低!」

「さっき生きろといったばかりだが」

「それとこれとは話が別よ! なにこの恥ずかしい格好!? ああ……もういや、お嫁にいけない」

「安心しろ、世の中にはな、胸が小さくても尻がでかくてもうるさくても鼻水を人の服に付ける奴でももらってくれる人はいるものだ」

 

 お約束と言わんばかりに左霧は淡々と語った。腕の中に雪子を抱えたまま。

 だがそれは一応年配としての意見を学生である雪子伝えようとする純粋な気持ちだった。

 これほどに魅力的な女性に惹かれないわけがない。魔術だろうが特性だろうが、自分では敵わないほどのカリスマ性を少女は秘めているのだから。

 

 ということを伝えたかったのだが、

 

「死ね! 最低男! さっさと走れ! この、この!」

「何を怒っている? 顎に頭突きをかますな、二つに割れてしまう」

「……絶対にいい女になってみせるわ。ここまで侮辱されたのは初めてよ。見てなさいようふふふふふふふふふふふふふ」

 

 どうやら変な方向に話が進んでいき、尚且雪子がよからぬ方向にやる気を出してしまったようだ。

 行き交う魔術師たちを交わしながら、ヘンテコな二組は颯爽と死戦をくぐり抜けていく。騒がしく時に怒鳴り声を出す雪子なので、全く色気などない。

 しかしそんな二人を襲うことはしない。例えその後ろががら空きだったとしても、だ。

 ――――容赦しない。

 そんな覚悟が左霧から溢れ出ているからだ。

 そうとも知らず、おバカたちはひたすらに学園を駆け抜けた。

 左霧は今まで抱え込んでいた負の感情が知らず知らずになくなっていることに気が付いた。とても体が軽い。自然と踏む出す足が軽快になる。

 雪子は左霧を上から覗き込む。初めて守りたいと感じた人。それは一体どんな感情なのか知る由もない。ただ、この人を放っておけない。守れるのは私だけなのだという覚悟だけを携えて。

 

 例え、彼ら彼女らが人間ではなく、人形であったとしても。

そこに一体何の違いがあるのだろうか?

まるで出会うために生まれてきたお互いの存在を。

彼らはこの先確かめていく。

絶望の、その先へと。 

 

 

 

 


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