魔導兵 人間編   作:時計塔

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二人三脚

 ――――心肺機能停止。

 ――――緊急のため魔術回路を切断します。これにより精霊からの霊力供給は停止し、損傷部分の修復に移ります。

 ――――ポーン。

 ――――ポーン。

 脊髄の損傷部分、修復まで残り八〇%、

 大脳部分、修復まで七〇%、

 腕、脚、胴体、その他主要箇所の修復、未定。

 魔導石の動力部分に損傷アリ。これにより、著しく修復機能の低下を予想。

 ――――ポーン。

 ――――ポーン。

 魔導兵一〇〇番に未知数の機能アリ。

 動脈あり、静動脈あり、血流あり? 脈拍数正常。

 魔導兵一〇〇番のシステムをアップロード。

 魔導兵一〇〇番に人としての機能を追加しました。

 これにより、修復に必要な要素を再検索……。

 ――――ポーン。

 ――――ポーン。

 検索終了。一件のデータを抽出。

 データ回覧……。

 魔導兵一〇〇番の修復に必要な要素は、『奇跡』です。

 『奇跡』を自動検索……検索できません。ロックされています。

 光の魔術で検索……一件のデータを抽出。

 精霊王から見放された神。

 神の代行者は奇跡を起こす。

 黒い光の精霊。

 ――――ポーン。

 ――――ポーン。

 負荷が多いため、システムを一時的にダウンします。

 ―――――。

 ―――――。

 

 

 ノイズが聞こえる。

 私はだぁれ?

 生まれた場所を私は知らない。

 私は、私を確固として確立することは不可能だ。

 立たされた場所はいつも出来上がった物ばかりに溢れ、私は何も作れない。

 

 それでもよかった。

 それでもいいと言ってくれた人がいたから。

 ――――お母様。

 ずっと守られていた私。

 血の繋がらない私を、まるで我が子のように、育ててくれた。

 子宮を痛めるのと同じくらいの愛情をくれた。

 それは時に恐ろしいと感じてしまうほどの絶対的な母性。

 

 

「雪子さん」

「……先生?」

「雪子さんは、諦めてしまうのかしら?」

「だって、もう」

「雪子さんの夢はなんだったのかしら?」

「私の、夢」

 

 先生が目の前に立っていた。黒いスーツを血だらけに汚したまま、先生はそこに立っていた。

 やっぱりキレイだ。先生はとても綺麗だ。私はとても敵わない。そう思えてしまう。

 女のように艶やかで、優しくて、

 でもどこか、冷たい。氷のような瞳で、私を見つめる。

 

「――――お前は」

「……あなたは誰?」

「霧島左霧……だ」

 

 その時、先生ではない誰かが私を見下ろしていた。

その瞳は、黒く沈み、全てに対して諦めてしまったかのような悲しい色をしていた。 

 なんとなくだが、この人の心は壊れてしまったのだと思う。胸が張り裂けそうな出来事があり、それに耐え切れなくなって心を閉ざしてしまったのだ。

 私はその時、その瞬間、なぜだか泣きそうになった。

 私ではない何かが、叫んでいるような、とにかく言葉にできない感情に支配され、溢れ出てきた。

「――――大丈夫よ」

 私は彼に言った。泣きそうになった自らの顔に笑顔を作った。虚空を見つめる黒い眼差しは、僅かに見開く。

 ああ、この人を守らなくてはならない。

 私の中で何かが弾けた。ずっと胸に刺さっていた刺がなくなったような、爽快な気持ち。

 それに従うように、私は彼を抱きしめた。

 ――――霧島左霧という男を。

「あなたは、私が守るわ。だから何も心配しないで」

「――俺は、俺にそんな資格はない」

「そんなことない、あなたはきっと生まれてきてよかったの」

「俺は、俺は人を殺した。たくさん。俺がいると皆が迷惑になる」

「私は大丈夫よ。私はあなたといても大丈夫、ね? そうでしょう?」

 なぜだろうか。子供をあやすように私は彼の髪を撫でた。かつて母にされたようにそっと、そっと。

 生まれた初めての、感情。私はそれに戸惑いつつも抗うことをしない。胸が熱くなる。また涙が溢れそうになる。

「彼はね、あなたといる時だけ力の衝動を抑えられるみたい」

 その空気を遮るように、女の声が聞こえた。

 私の腕からすり抜け、先生はいつもどおりの優しい瞳で私を見つめた。

 あのひどい作り物の笑顔で。

 あらゆる感情を押し込めた歪極まる最高の笑顔で。

 

「雪子さん。あなたを助けてあげる」

「先生、あの人は一体何ですか? 先生は何者ですか?」

「……今はあなたの命の方が大切よ」

「それが先生の本当の姿ですか?」

「雪子さん――――」

「あなたは、誰? 一体何が目的なの? あなたを最初見た時から思っていた。作り物の笑顔と時折見せる吐き気がするほどの悪意」

「…………」

「あの人は誰なんですか? 先生はどうしてあの人と同じ体にいるんですか? 私に近づいたのはなぜ? 私に優しくするのはなぜ?」

 

 私は倒れたまま、精霊右霧の仮面を徐々に剥がしていく。初めから、ずっと初めから思っていた。

 笑顔で教壇に立ち、生徒たちを愛し、花のように美しい霧島先生。勤勉で、実直で、誰も認めるであろう完璧超人。だけどどこか抜けているところもあり、愛嬌もある。

 だから私は思った。人見知りで、誰よりも人の感情に敏感な私は。

 ――――この人は危険だと。だから警戒した。距離を置き、様子を伺った。話しかけられても冷たくあしらった。

 だけど、あの夜。私を助けてくれた。悪魔に襲われ、怯えていた私をこの人は助けてくれた。自らの体を盾にして。

 

「先生として生徒を助けるのは当然のことだよ」

「なら、今のは何ですか?」

「今の?」

「その、吐き気がするほどの殺意です。あなたは助けると言いつつも私を殺そうとしています」

「何を言っているの雪子さん? 私はあなたを助けるためにやってきたのよ? 私の力ならあなたを助けることができるの。私の奇跡の力なら」

「あの人に会わせてください」

「そんなこと、言っている場合じゃ」

「先生は、私に魔術を教えたんじゃない。私は先生の魔術にかかっていたの」

 

 先生はさっきまで焦った『ふり』をしながら私を説得していたが、真実に辿りついた私をしばし見つめていた。

 そして、笑った。

 今度はあの作り物の笑顔ではなかった。正真正銘の笑い顔だ。

 まるでそれを待ちわびていたかのように嬉々としていた。

 

「小娘が、よくもまぁペラペラと……なーんにも考えずに私の言うとおりにしていれば良かったのに」

「あいにく頭はよく回るのよ。あんたは私の体に光の力を流し込んだ。大した訓練もせずに自分がもう魔術を使えた時は嬉しかった。でも使ってわかったわ。これはただ、与えられた餌だってことに」

「筋肉増やしたからって魔術が使えるなんてこと、あるわけないでしょ? それなのにあんたってば私の言うことホイホイ聞くんだから! 可愛いったらもう!」

「セーレムの霊力を借りなければ私は魔力を失い空の状態になるところだった」

「あら、まだその体には魔力が残っているの? 弱すぎてわからないわ」

「その状態で私に奇跡の力を使い、魔力を注ぐ」

「そうするとどうなるの?」

 

 先生はワクワクしながら私に聞いてきた。もうあの優しくて、ドジで、みんなの好きな先生ではない。

 人を人とも思わない。自らの善意を盾に取り、駒にして遊ぶ女王。

 そんなことは、最初から分かっていた。

 なんてただの強がり。ちょっと悔しいけど、先生のことはとても尊敬していた。例えどんな理由があろうとも自らを盾にして自分を守ってくれた存在なのだ。

 

「私という存在は消え、この体は先生のモノになる」

「大正解!!」

 

 笑った。何がそんなにおかしいのか狂ったように笑った。

 悔しい。さっきよりも泣きたい気分だ。

 裏切られた。いや、信用などしていなかったが。それでも裏切られた。

 

「あなたがいるとね、左霧がうるさいのよ。会わせろ、出せって」

 

 先生、だった人は私を睨みつけ脅すように前に出てきた。私は多少怯んだが、なんとか持ちこたえた。理由は一つ、この人は私を傷つけることはしないと思ったからだ。

 この人にとって私は器なのだ。自分がいずれ取り込むための器。

 

「あの女といい。あんたといい。ほんといい迷惑だわ。私は左霧がこんなにちっちゃい時から傍にいるの! なのにあの子ったら咲夜と結婚して子供まで作って!」

 

 プンスカプンスカと起こる先生、だった人の仕草を呆然と見ることしかできない私。だって何を言っているのかわからないからだ。

 ただ、一つだけわかる。こいつは嫉妬に狂った醜い女だということだ。

 

「咲夜はね、素敵な女だった。左霧の側室一〇〇人の中から選ばれた優秀な実験体。気高く、気品に満ちた最高の女そして――」

 

 顔を歪めてそいつは歯ぎしりをする。いい加減幻滅させないで欲しい。そう思いつつも私は耳を傾けてしまう。

 

「左霧の愛した女」

「――その人は、どうなったの?」

「死んだわ。私の器になる前に! ほんっとに人間って脆いわね! 実験動物の癖に私を顎で使って、せっかく魔力を流し込んでいたっていうのに! でもね、最高だった。あいつの死に顔! 自分は御産で弱ったのだと思っていたらしいけど」

「つまり、あなたが殺したの?」

「そうよ? 何か文句ある? だって邪魔なんだもの」

「そう」

 

 雪子は目の前の外道を真っ直ぐ射抜く。不思議と怒りは募らない。怒るべきは自分ではないということを知っているからだ。

 この事実を知るべき者に伝えなくてはならない。

 聞こえているのだろうか? 自らの妻を殺された哀れな男は?

 泣き寝入りを決め込んでいるのだろうか? 自らの無力さに打ちひしがれた悲惨な男は?

 もしそうならば――――。

 

「いつまでも、いじけてんじゃなわよ!!!!」

 

 大声を出した。元々私はお嬢様などではない。育ちの悪い孤児なのだ。

 それに今声を上げないでいつあげるのだ。

 男のくせに女に利用され、じっと隠れている仕様のない男など知ったことではない。

 だが、どうしてか、私はその男を助けたいのだ。どうしても、どうしても助けたいのだ。

 そもそも、私の命は大丈夫なのか? という大前提は置いといて。

 とにかく叫ぶ。

 

「あんたがしっかりしなくてどうするの!? 今のあんたを見て、奥さんが喜ぶと思ってんの!? 大体子供を放っておくとか最低! 意気地なし!」

 

 私は何を言っているの?

 何も関係ないじゃない。

 

「無駄よ、彼の心は壊れているの」

「うっさい黙れ負け犬」

「――貴様、人間の分際で」

「人間様の何が悪いってのよ? 霊長類最強の生き物よ? 文句ある? 私は左霧さんに話があるの。黙ってなさいよ、負け犬」

「このっ……え? 左霧、どうして? きゃっ」

 

 殴りかかろうとした下衆は寸前のところで動きを止めた。

 私には分かった。この人が左霧さんなのだと。私の言葉を聞いてくれていたのだと。

 

「知っている」

 

左霧さんは、私に焦点を合わせて答えた。その目は生気を感じられないが、赤い瞳が特徴的だった。

 

「だけど、俺は右霧がいなければ周りに迷惑をかけてしまうから」

「だから許したの? 大好きだった人を殺されて、いいように体を使われて?」

「……わからない。どうでもよかった。いや、逃げたかったのかもしれない。咲夜の死と授かった命のどちらからも」

 

 情けない男なのだろう。親になるという覚悟を持たないまま体を重ねてしまい、子供を作ってしまった。

 ただのできちゃった結婚じゃないか!

 

「あなたは迷惑って言うけど、それはどういうこと?」

「……俺は、淫魔の血を引く男だ。そして同時に鬼の血を引く者」

「で?」

 

 何のこっちゃという感じだ。淫魔ってサキュバスとかいうやつかしら? 鬼ってあの一本角とか二本角とかで鬼はー外!ってやつでOK?

 そんなこと言われてもへーとしか言えないんだけど。

 

「異性を惹きつけそして近づくだけで魔力のないものを殺す」

「…………それだけ?」

 

 私の至極当たり前の反応に、遂に左霧さんは興味を引いたらしい。

 残念ながら悪い方に。どうやらかなりご立腹のようだ。逆ギレっていうやつね。

 

「お前になにがわかる? 俺は色んな者を殺した。優しかった人、元気だった人、うるさかった人、親しかった人、強い人、弱い人。人である以上、あらゆる災厄が降りかかるのだ。俺がいるだけで! その人たちにどうやって顔向けしたらいい? こんな思いをするくらいなら俺は一生引きこもっている。咲夜も死んだ、もう思い残すことはない」

 

 ニート宣言をした左霧さん。でも安心したことがある。

 彼は純粋で、子供みたいで、とても優しい人だということだ。

 それは、そう。左霧先生に感じていた優しい部分。おそらく人格を乗っ取られていても根本的な部分では何ら変わりはないのだろう。

 

「でも、あなたの好きな人を殺したのは誰なの?」

「――右霧だ」

「あなたは、あなたが許せないと思ったことを他人がしたら許せるというわけ?」

「許せるわけがない。だが俺は右霧がいなければ体を維持できないのだ、同時に忌まわしい力を押さえ込むことも出来ない」

「あなたの事情はよくわからないけれど。私は別に右霧とかいう外道を殺せと言っているわけではないの」

「ならば、ならば、どうすればいいのだ? どうすればよかったのだろうか?」

 

 左霧さんの声は相変わらず平坦だった。おそらくむやみに声を荒げるなとでも躾けられていたのだろう。なんとなく、気品の高さを感じる。

 そんな左霧さんでも、わからないことを、私がわかるわけがない。

 クラスで一番でも、頭が良くても、世間に出れば何の役にも立たないじゃないか。

 教科書に書いてある言葉のどれを辿っても答えなど見つからない。

 だから私はこう答えた。

 

「一緒に生きましょう?」

「生きる?」

「そう。そして探しましょう? その外道の力を借りなくても生きていける方法を探しましょう? だからまず、立ちなさい」

 

 二四歳のいい大人に説教しちゃったわ。だって頑張ってほしいから。負けないで欲しいから。

 私の言葉に、諦めるなんて文字はないの。諦めたことなんてないから。

 努力をしたことも、あまりないんだけど。

 

「生きる」

「そう」

「俺は、生きる」

「ええ」

「あいつの分まで」

「うん」

「立ち、あがる」

「頑張れ」

「からの」

「からの?」

「よっこらしょ」

「ふん!」

「痛い、何をする」

「何座ってんのよ! せっかくいい話で終わるはずだったのに!」

 

 からのとか使っちゃったよ! 随分余裕があるじゃない。でも、明らかに今の場面に必要なかったわよね。イラっとしたもの。

 

「随分座りっぱなしだから足腰が弱ってしまった」

「ニートはみんなそういうのよ。ほら、さっさと立ちなさい。手、貸してあげるから」

 

 左霧さんの手を取り、私はゆっくりと引っ張り上げた。立ち上がった左霧さんは、なんだか男らしくてビックリした。人格が変わるだけでもここまで雰囲気が違うのか。

 ずっしりとした男性特有の重みを感じる。なるほど、これが男としばらく手を握ってしまっていることに気がつき慌ててその手を振り払った。

 

「雪子」

「な、なによ」

「この世界から出るぞ」

「あ、そうか、私死んだんだ……」

「いや、お前は死んでなどいない。俺たちは死なないからな」

 左霧さんは少し寂しげにそう言った。残念ながら意味がわからない。そう目配せをしたが彼はゆっくりと首を振った。

「今はその話は置いておこう。とりあえずここから出られるようになった」

「死んでなかったってのは嬉しいけど。どうやって出るの?」

「簡単だ」

 

 何をトチ狂ったのか左霧さんは私を片手で抱きかかえてそのまま空高く――空が存在するのかわからないが、とにかく上へと真っ直ぐ上がっていく。

 

「ちょっと! 勝手に触らないでよ!」

「大丈夫だ。性欲など湧きもしない体だから安心しろ――謝るから首から手をどけてくれ」

 

 次言ったら殺すからなお前。

 左霧さんはデリカシーにかける最低男でした!

 

 

 

 

 


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