魔導兵 人間編   作:時計塔

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心の傷

 静かに、誰に知られることもなく、その戦いは始まった。

 最強と言われた天王寺とまだ僅かな規模しかない雪ノ宮との、殺し合いが。

 この絶望的な状況に唯一教師たちの光となっている人物がいた。

 それは文字通り光の精霊だ。霧島一族に捕らわれ、長年左霧という少年の体に封じ込まめられていた哀れな精霊。

 その精霊は、天王寺秀蓮と戦い、苦節の末にその右目を抉りとったのだとか。

 それが本当ならばこの戦い、僅かでも勝算の確率が上がると思うのはきっと百合だけではないはずだ。しかし、それ以上に目の前にいる者に対して警戒心を持ってしまう。同じ学園の後輩、という間柄ではもういられない。

 

「右霧先生」

「左霧でいいですよ、砂上先生。私は存在してはいけないのです。僕のままで……」

 

 いつもの花咲くような笑顔を百合に向けた。それは昨日向けた冷徹な笑みの匂いを感じさせない。どちらが本物なのか、どちらも本物なのだろうか。

 百合の内心は複雑極まる状態だった。

 だが一番に確認しておきたいことがあった。

 

「さ、左霧君は、年上の女性は好みなのかな!」

「好みだと思いますよ。彼、お母さん子ですから……砂上先生? 絶叫を上げてどうしたんですか?」

「ううん、絶叫マシーンに乗りたいなって」

「百合、緊張感をもってください、遊びに来たわけじゃないんですよ」

 

 そうか、こいつもいるのか、と百合は反対側で目を三角にしている東野を睨んだ。金持ちのボンボン、というわけではないこの男。ルックスも性格も、何もかもが最高クラスに近い勝ち組一直線を現在独走中。そんな男が左霧の提案である西区襲撃計画に立候補した。砂上百合、東野時雨、霧島左霧。左霧を筆頭に、比較的年齢の若いチームを編成したのは、やはり学園の守備をおろそかに出来ないためだ。いつ天王寺の牙が襲いかかるか分からない状態で、安易に兵力を割くのは好ましくない。なにせ、六人しか戦闘員がいないのだ。守備は実質三人、これだけでも非常に危険な賭けである。

 天王寺領は中央区を中心に四方八方に陣を構えている。しかし統率性がバラバラなこともあり、北区、西区、東区、南区を統括する者が異なるのだ。

 つまり、どこかの区に雪ノ宮を襲った連中がいる。その派閥連中の撃破が今回の任務だ。しかしどの派閥がどこに位置しているのかまでは分からない。よって左霧曰く、守り手の薄い西区で情報収拾という形を取ることになった。迅速な行動が必須となり尚且、天王寺内部の情報を調べなくてはならない。それが牽制へとつながる可能性もあるのだから。

 果たしてそんなに上手くいくのだろうか、という不安を掲げたまま百合は左霧を凝視した。その姿はいつもの通り、少し頼りなく優しげな後輩だった。一体あの時のあれはなんだったのだろうか。とにかく腹に一物を抱えていることは確かなのだが。

 

「左霧先生、そろそろ西区に入ります。俺から離れないでくださいね」

「え、あ、ありがとうございます」

「ちょっと時雨? 私は? 私?」

「百合は心配ないでしょう? それでも敢えて言えせていただくなら、あまり暴れないで下さいね。今回は隠密調査なんですから」

「だからあんたは気に入らないのよ!ったく、左霧先生これはセクハラよ、訴えましょ」

 

 百合と時雨は一言で言えば腐れ縁だ。同じ小学校で同じ中学で同じ高校、そして狙ったかのように同じ大学に在籍していたとなればもはや人の縁というものはこれほど忌まわしいものはない。実際、百合は彼のせいで万年次席という汚名を演じなければならなかった。そしてこの学園は優秀な人物であり同時に魔術師としての才能を持つ者のみしか就くことが出来ない。非常に不本意極まりないがどうやらこれから先もこの男の眩しさを拝まなくてはならない。

 

「あんたさ、あの車何? 金持ちの自慢ってやつ?」

「就職祝いで貰っただけです。俺は何でも構わなかったんですけど」

「就職祝いにラン○ルギーニ貰うの!? 私なんてプ○ダのバッグなのに!」

 

 二人共やっぱりお金持ちなんですね、と左霧は恨めしそうに口論を聞いていた。もちろん左霧も由緒正しいお家柄なのだが、いかんせん家出してきたわけで、いかんせん実家からの援助もないわけで、いかんせん財布の紐を女中に掴まれているわけで、

 とにかく、お金って怖い。家出して一番に知ったことだ。

 

「左霧先生、時雨、ここからは私の指示に従ってもらうわ。一応班長として、ね」

「分かりました」

「まぁ、危なくなったら俺がフォローしますよ」

「あんたは一言余計なのよ! いい加減にしないと車叩き壊すから」

 

 どうやら本当に時雨の車が気に食わないらしい。こんな敵地のど真ん中であるにも関わらず緊張感がないことには多少の不安が残るが、その危惧もすぐに杞憂だと判断した。

 

「……どうやら、お出ましってわけね、朱雀」

「俺も久しぶりなんでどうなるか分かりませんよ? 玄武」 

「……お願いします二人共、作戦通りに」

 

 百合と時雨は自らの精霊を呼び起こし、魔力の波動が二人を包む。左霧はここで一つの勘違いをしていた。彼らは戦いを知らない素人だと思っていたのだ。雪ノ宮は出来上がったばかりの組織であり、実戦経験のない者がいてもおかしくはない。そこへ来てこの二人がこの作戦に立候補してきた理由がようやくわかった。

 

「何者だ!?」

「ここは西区、天王寺家の領域である! 結界を潜り無断で侵入した罪を償う覚悟は出来ているのだろうな!?」

 

 どのみち結界を破壊して潜った地点で見つかることは分かっていた。隠密行動などと言ったが、要は自らの正体がバレなければ問題はない。つまり自分で名乗ったり堂々と名前の書いてある名札をかざさない限り、正体などいくらでも隠せるわけで、

 

「雪ノ宮学園、英語科担当二八歳独身! 好きなタイプは可愛い男の子! 嫌いなタイプは東野時雨! 以上!」

「ちょ、砂上先生!?」

「なんで嫌いなタイプだけ名指しなんですか……まぁ俺も苦手ですけどね」

 

 ハイヒールをカツンと鳴らし堂々と自らの名前を明かしたのはリーダーの百合だった。なんだか合コンみたいな自己紹介だったな、というツッコミは残念ながらない。

 今まで何かとおかしな人だな、とかちょっとやばいかも……なんて感想を抱きつつもその仕事に前向きで凛とした姿に僅かでも憧れを抱いていた印象は、ここへ来て一転した。

 

(ああ、この人アホの娘だったんだ……)

(やっぱり、百合にリーダーなんて務まるわけありませんよね)

 

 ものっすごい満面の笑みを浮かべてどうだ、と言わんばかりに腰に手を当てている百合を二人の教師は遠い目で見ていた。これで完全に隠密行動は失敗した。この数日間の話し合いは一体なんだったのだろうか。左霧は途端に家に帰りたくなった。これが社会の理不尽なのだろうか? これが世の中の摂理なのだろうか?

 

「仕方ありませんね、こうなったら、とことんやるだけです」

 

 先に切り替えたのは時雨だった。付き合いが長いだけ、このアホの娘の扱いには慣れているらしい。白い歯を光らせて左霧に小さく謝罪し、自らも百合の隣へと繰り出した。もうその姿は教師ではなく、魔術師の顔になっていた。

 

「ええっと……この前、魔術を使ったのっていつぐらいだっけ?」

「確か、学徒隊にいた時ですから、五年前くらいでしょうか?」

「そっかぁ……ど~りで体が鈍るわけだわね」

「お二人は、侵略戦争の経験者だったのですか!?」

「おっと、その話はまたあとよ、後輩君。まぁ先輩の姿を見てなさい」

「左霧先生、俺たちにも色々あるんですよ。あなたと同じで、ね」

 

 鬼気迫るような闘気が天王寺の魔術師たちを圧倒している。出来たばかりの組織? 簡単に叩き潰せる? 本当に、本当にそうなのか? そう疑いたくなるほどに、二人には隙がない。手を出したその時が最後になると錯覚してしまうほどに。

 

「雪ノ宮如きが、天王寺に歯向かうなど……」

「しかし、聞いた話と違うぞ!? 我々だけでも対処できると」

「ごちゃごちゃ言ってんじゃないわよ、そら!」

 

 瞬間的に作り出した炎の弾丸が膨れ上がり百合の華奢な手の何倍もの大きさとなり浮かび上がった。

この短時間でここまでの規模の術式を描くことは並大抵の魔術師では不可能だ。

 

「なっ詠唱なしだと!?」

「早く術式を発動しろっ……が!」

 

 天王寺の魔術師は意表をつかれたことに慌て、戦闘体制に入ろうとした、がそれをさせなかったのが笑顔の悪魔、時雨だった。どのような魔術を使ったかは左霧には特定できなかったが、身体能力を極限まで上げ相手の懐に飛び込み、数発の掌底を放った。

 おそらく武術の心得があるのだろう。的確に人間の急所を定めた完璧な封じ込めだ。

 

「まぁさせませんよね、普通は」

「ちょっと時雨、邪魔しないでよ! 私の怒りはどこへぶつければいいわけ?」

「うーん……あそこ、とか?」

 

 時雨は困ったように指差した方向には侵入者を倒さんと躍起なっている魔術師たち数人。どうやらくだらない会話をしている最中に数が増えてしまったようだ。

 

「我が名に従い悪しき輩を滅ぼさん! くたばれ! 火炎陣!」

 

 一人の魔術師が遂に詠唱を終わらせて燃え盛る火炎の壁が三人を包んだ。百合の規模には及ばないが、それでも十分な威力はある。さすがは、天王寺の精鋭といったところだろか。

 だが、それを三人が喰らうことはなかった。光の粒が、全てを守るかのように三人の体に降りかかる。

 不思議な現象だ。今まであったはずの灼熱の壁は瞬間的になくなってしまった。まるで最初からなかったかのように。

 

「光の魔術……失われたはずなのに」

「神に最も近い力が故に、人はその力を奪われた」

「けど、精霊なら納得がいくわ」

「……そうですね。本当に、敵に回したくないですよ」

 

 光の術者は粒子を操る。まるで一つ一つが生きているかのように主の名に従いやがて大きな力と化す。本来、精霊だけでは成し得ない魔術という技を人間の器に入れることで可能にした、人工的な光の魔術師。

 それは、美しくも巨悪な兵器。神に抗う力。

 

「守りは任せてください、二人共」

 

 人間のように振る舞うのは、果たしてなぜなのか。どうしてそこまでして人間を守ろうとするのか。

 それは本人にも分からないと言っていた。

 

「それじゃ、一気に片付けましょうか」

「はいっ!」

「あんまり壊さないでくださいね、あと処理が大変なんですから」

「それは無理な相談っね!!」

 

 持て余していた強大な炎の弾は遂に百合の手から離れた。それは地面に触れたとたん大きな火柱となり、天高くそびえ立つ。周囲はまたもや灼熱の渦に巻き込まれた。いや、先ほどの規模ではない。朱雀の咆哮と共に、それは更に威力を増していく。

 

「ばっ化物! 化物だ――――!! 逃げろ! 退避! 退避――――!!」

「逃げんじゃねぇ! 同胞の報い受けてもらおうか!」

「百合、落ち着きなさい。いくら相手が天王寺だからって」

「うっせぇ! 私に指図すんな!」

 

 魔力の気に犯された百合は言動を荒くし、更に追い立てるかのように火柱を上げていく。

 本来、魔力は人に強い力を与える物。それは強力であれば強力であるほど、強靭な精神力でなくてはならず、

 

「……何も聞かないでください。私も、百合もどこか壊れている。今は百合の好きにさせてほしい」

「……わかっています。魔力を帯びた者たちは、皆その心に大きな穴があるのです」

「あなたも、ですか」

「……さぁ」

 

 察するところ、百合は天王寺に何かの恨みがあるのだろう。しかしそれを聞くことは許されない。相手のことを知る、ということは自らのことを話さなくてはならないから。

 人間は普通に生きて普通に生活し、普通に死ぬ。この魂の循環こそが本来、あるべき姿なのだ。普通の人間はそれに何の不満も持たない。

 彼らは皆、普通に生きることを許されなかった者たち。力を求めることしか出来なかった者たちの集まりだ。

 

「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね」

 

 呪詛は死体の数だけ降り募る。地獄絵図、とはこういうことを言うのだろう。

 百合が立候補した理由は、天王寺に恨みがあるから。

 時雨は、そんな百合のことが心配で同行した、ということなのだろう。

 

「愚かな……」

「そうですね。何の意味もない。だけど百合の心には少しの平穏が訪れるのです」

「僕には分からないです」

「人と精霊は、決して交わることがない。それは体も、心も」

 

 時雨が放った言葉は、なぜか左霧の心に突き刺さった。その理由は分からない。だけどその刺は深く、深く突き刺さり、次第に苦しくなっていく。そして左霧は突発的な衝動に動かされ百合の下へと駆けていった。

 

「やっぱりあなたは精霊にはとても見せませんね」

 

 百合の肩を抱き、宥める姿は友情の輝きそのものだった。

 狂乱と殺戮だけしか得ることない魔術師の世界。

 それは少しだけ違うのかもしれない、と時雨は思う。

 その世界だからこそ、日常では感じることの出来ない人との絆をより一層感じ得ることが出来るのではないか。

 例えば、そう、人を理解したいと思うおかしな精霊なんかと仲良く出来たりも、する。

 


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