魔導兵 人間編   作:時計塔

12 / 43
それは闇の使者、魂を奪う者

 左霧は小部屋の扉を勢いよく開けた。生徒が一人いる。雪ノ宮雪子だ。少女は腰が抜けたのか、ガタガタと体を震わせながら壁に張り付いている。見たところどこにも怪我はない。左霧は胸をなで下ろした。

 

「んぁ? もーひとりいたのかぁ? 今日は大量だぜ! さっさと魂捕まえてクソ上司に報告だあ!」

 

 人目見ただけで異様な気配を持つ者が傍にいる。大きな鎌を担ぎ、鬼のような形相と逞しい肉体。背中には強靭な翼を持っている。神話にも、昔話にも、時を超えて現れる、空想上の怪物――そのはずだ。

 左霧は背中が凍りつくような感覚に襲われた。信じられない、まさか――――。

 

「あ、くま……」

「貴様……人間の分際で、俺様たち悪魔の名前を口にするんじゃねぇ! 劣等種が!!」

悪魔は苛立たしげに大きな鎌を振るい、その場の物を叩き壊す。その音に、雪子は更に怯えてしまったようだ。圧倒的な膂力で全てを破壊する使者が今、目の前にいるのだ。

 

「いやぁ~昔に販売中止になったはずの本がまだあったなんてなぁ~ラッキーだわぁ~。しかも女なんて嬉しすぎる! 何発かヤったあとにぶち殺し決定! ついてるわ~」

 

 本?……。左霧は目の前に落ちている本を手に取る。

 

「魔道書? いや……これは」

 

 その本の表紙は確かに魔道書だった。しかし内容は全てデタラメ。用法や場所、呪いに関するあらゆる内容がちぐはぐなのだ。とても魔道書と呼べるものではない。

 

「そいつはぁ悪魔の書って言ってなぁ~数年? いや数百年? まぁいいか! とにかく悪辣な方法で魂を狩る連中が増えたってんで中止になっちゃったチョー便利な本なんだよ! なんと、契約なしで魂を狩れるんだぜ!? アクマにとっちゃこれほど便利な本はないってのによ~!」

「契約なし……? どういうことだ……?」

 

 悪魔は不機嫌そうに鼻を鳴らし、億劫そうに説明をする。左霧は、その内容を聞き出しながら、雪子に近づくチャンスをうかがうことにした。

 

「だからぁ、お前ら劣等種の魂借り放題ってこと! 力もない知恵もない! 挙句に簡単に騙されるクソ種族! 俺らに蹂躙されるだけの可哀想なお前らのことだよ!」

 

 どうやら、何がしかの用途で魔道書を使用した雪子が、悪魔を呼び出してしまったらしい。それも礼儀作法も知らない暴漢のようなタチの悪い悪魔だ。

 

「あ、あ、せ、せ、んせ……」

 

 左霧を呼ぶ声は、怪物の鎌によって遮られた。首元に当てられた巨大な武器は、常人ではとても持つことなどできない。それだけでも彼が異質な存在なのだと確信させるには十分だ。

「おおっと動くなよ? これから俺とお楽しみなんだからよぉ? ほぉ~人間にしてはなかなかいい女じゃねぇか? どうだぁ? 一緒に悪魔界に行かねぇか?」

「い、いや、いやぁ!」

 

 悪魔の顔が雪子の体を舐めまわすように見る。その視線に、雪子は身の毛のよだつような嫌悪感を隠せない。

 後悔しても遅い。なぜあれだけ母親に注意されたのか、やっと分かってしまった。それは現実に存在するのだ。怪物が!! 悪鬼が!! 悪魔が!!

 

「た、助けて……助けて……」

「ぶぁぁか!! 誰も助けてなんてくれねぇよ! 俺様悪魔! お前は劣等種! 家畜の分際で俺様を呼んだことを後悔するんだな!」

「雪子さん、大丈夫だよ。落ち着いて? 大したことはないよ。もう大丈夫、心配しないで」

「ぐはぁははははははははは! そうだ落ち着いて……んあ?」

「せ……先生?」

 

 左霧は落ち着いていた。恐ろしいほどに落ち着いていた。この状況は誰がどう見ても異常だ。非現実的な怪物が現れ、命の危険が差し迫ろうとしている。普通の人間なら、パニック二陥っているはずだ。例え、胆力の強い者でも目の前の圧倒的な存在に立ち向かうことなど無謀と言っていい。

 人と、悪魔の違い――――。

 

「なぁぁに生意気なことほざいていんだぁぁクソがぁぁ!!」

 

 一瞬にして悪魔は左霧の目の前に移動した。凶暴な片腕を上から下に叩きつけ、地面をえぐる。左霧のいた場所は、あっと言う間に陥没する。

 ――無理だ、もう。雪子の心は折れかけていた。圧倒的に違いすぎるのだ。目の前にいれば、ひれ伏したくなるような、そんな感覚に襲われる。まるで、それが正しいような、誰にも頭を下げたことない雪子ですら泣いて謝りたくなるほどだ。

 

「せ、せんせい、霧島先生!!」

「バァッハッハッハッハッハ! ざまぁねぇな! 俺様に逆らうとこうなるんだぞ? わかったか小娘! よしお楽しみタ~イム!」

「いや、いやぁぁぁぁぁ!」

 

 巨漢の悪魔が大声をあげて雪子に襲いかかろうとした。もうダメだ。自分はここで殺されてしまうのだ。当然の結果だと雪子は思った。尊敬する母の言うことを聞かずに、日頃の退屈と好奇心に負けて紐解いてしまった禁断の力。それは到底人間に扱える代物ではなかったのだ。

 

「…………?」

 

 目を強く瞑ったまま時が経った。だが一向に悪魔が自分を蹂躙することはなかった。恐る恐る目を開けてみる。そこにはまた、雪子には到底信じられない光景が目に映っていた。

 先ほど叩き潰されたはずの左霧は、何かに守れながら姿を現したのだ。

 

「その子からどいてもらおうか。低級悪魔……!」

「てめぇ……魔法使い? いや、この世界では魔術師か? なぜ魔力が存在しない世界にてめぇみたいなのがいる?」

 

 左霧から光が溢れている。奇跡の力。魔術。どの呼び方でもいい。この世ならぬ力は、左霧の周りを循環し、円を描くように次々と不思議な粒子が溢れ出した。

 

「こいつぁ……おもしれぇ……てめぇを狩れば、俺ァ上級悪魔入りよぉ! 計画は変更だぁ! まずはてめぇをぶっ殺す!」

 

 悪魔は嬉々として飛び上がる。狭い室内はまるで砂塵が渦を巻いたように騒然とし、二人の衝突が始まった。

 雪子はその光景を呆然と見ていた。逃げることができない。今自分が動いたらそれこそ命の保証がないと思った。いや、それ以前に何だ? なんなのだこれは? 自分はまだ夢を見ているのではないだろうか。ゲームのやりすぎ? 雪子の頭は襲いかかる非現実な出来事に混乱していた。

 まるで映画のワンシーンだ。悪魔が勢いよく鎌を振り下ろし、それを左霧が不思議な力で受け止める。あれはなんなのだろう。人間なのか? 彼は本当にただの先生なのか?

 

「さっさとくたばれクソ魔術師がぁ!」

 

 悪魔は思い切り鋭い鎌を振り上げた。これを普通に喰らえば真っ二つに胴体は切断され、殺されるだろう。悪魔に魂を狩られる。それはつまり、悪魔界へ売られることを意味する。

 

「なぜ、悪魔が今、魂を欲しているかは知らない……けどやられるわけにはいかない」

 

 左霧は精神を集中させ、呪文を唱えだした。それは失われた言霊。あるはずのない文字。神秘を表す魔術の型。

 光が収束する。一つの球体に形取り、左霧の手から一気に放出された。

 

「消滅せよ!! 光爆!!」

「ちっ……!」

 

 悪魔の中心めがけて放たれた必殺の一撃は、光粒となり降り注ぐ。まるでマシンガンで打たれたように悪魔は吹き飛ばされ瓦礫の下敷きになった。

 

「雪子さん! 大丈夫!? 怪我はないかい!?」

 

 先ほど戦っていた左霧は、慌てたように雪子の安否を確かめた。固まったように左霧の顔を見たまま動かない。あの光景を目撃したのなら、当たり前だ。

 

「……今は詳しく話している暇はないんだ。とりあえずここを出よう、ね?」

「……せ、先生、わ、私……」

「うん、怖かったよね。大丈夫僕に任せて! 僕が君を――――守るから!」

 

 守るから! その言葉を雪子は生涯忘れることはなかった。決して恋に落ちたわけではない。だがこの時に放たれた言葉は、何よりも力強く、自分の心に残っていた。まるで弱さを吹き飛ばしてしまうような綺麗な笑顔。大丈夫と思わせるような雰囲気を、彼は纏っていたのだ。

 

 

 

 

「……そうか、だからこんなところに悪魔が……」

「ゴメンなさい先生、私……とんでもないことを」

 

 雪子は涙ぐみながらその顔を手で覆った。長い黒髪ははらりと崩れ落ち、やつれているようだった。左霧はその気持ちを労わるように優しく体を抱きしめた。

 

「せ、先生?」

「確かに君はいけないことをした。だけど、ここにいる悪魔はどのみち放っておくわけにはいかなかった。だからといって君が反省しなくていいというわけではないけど」

 

 抱きしめられて恐縮してしまった雪子にまたあの笑顔で左霧は言い切った。

 

「まぁ僕に任せて! 学生は間違っても大丈夫! 大人がちゃんと責任を取るから!」

「……クス……はい!」

 

 雪子と左霧は走りながら教会の敷地内から出ることに成功した。建物がいつ崩れるかわからないほどのダメージを受けたのだ。そろそろ警察や消防が駆けつけて来るはず。雪子は内心関わりたくなかったが、自分がしたことから逃げるわけにはいかない。――他の人に信じてもらえるかは分からないが。

 

「……おかしい」

「? 何がですか?」

「随分時間が経っているはずなのに誰も来ない。警備員さんがすぐ駆けつけてくるはずなのに。それに……」

 

 まるで気配という気配を感じない。木々が揺れると音、風の感覚すらも――――。

 しまった! 左霧は足を止めた。そのあとに雪子も不思議な様子で左霧の横に止まった。

 

「先生?」

「雪子さん……申し訳ないけどもう少し恐いことになるかもしれない」

「え、ど、どういうことですか?」

「こぉ~いうことだよ~!」

「ひっ!?」

 雪子の後ろから覗き込んだのは、あの悪魔だった。そんな馬鹿な! 先ほどあの不思議な力でやられたはずではなかったのか? 再び雪子の頭は混乱状態に陥り、絶望の色に塗り固められた。

 

「……低級悪魔と言えど、流石に上手くはいかない、か……」

 

 かばうように左霧は雪子の前に足を出す。その言葉に悪魔は不快そうにしながらも、あの凶悪の大鎌を下げたまま、こちらの様子をうかがっているようだった。

 

「ん~……そっちの小娘はいいとして。お前、お前だよ。ムカつくな~俺様は低級悪魔なんかじゃねぇ」

「……悪魔は人型になるにつれ上級悪魔へと成長していくと聞いているが?」

 

 すると悪魔は途端に煙を上げ出した。雪子を庇い呪文を唱えようとしたが、次の瞬間、一人の男が姿を現したのだ。その男は顎を上げながら左霧の方を睨みつけた。これで満足か? そんな具合に悪魔は人間に変身したのだ。

 

「……この姿は嫌いなんだよ。なぜ、俺たちは成長するにつれて劣等種の姿になるのか……。だがこれでわかっただろう? 抵抗しても無駄だということがな」

 

 燃えるような赤髪に二本の大きな角がある。こちらがおそらく本当の姿なのだろう。腕を組み、先ほどのとは態度が違うような気がした。下卑な笑みも、闘気も見せない。だがなぜだろう、その姿には容赦しないとばかりに危険な空気が漂っているのは。

 

「例え、そうだとしても彼女に指一本触れさせるわけにはいかない」

 

 あくまでも事務的にそう左霧は答えた。上級悪魔――――その力は数千の低級悪魔たちが束になっても勝つことは出来ない。悪魔界を統括する幹部候補なのだとか。以前どこかで聞いたことがあった。

 その言葉に、何か満足したのか上級悪魔は手を広げ、道化のように笑い出した。

 

「いい。実にいい。取引をしよう魔術師!」

「取引? 悪魔とか? からかっているのか?」

「貴様にとっては悪いことではないはずだが? この場は見逃してやる。だが、その命尽きるとき、貴様の魂は俺がもらうことにしよう」

「……なっ……」

「だ、ダメですよ先生! 悪魔と取引なんて、わ、私が」

「お前のような小娘の命、もらったところで何の価値もねぇ。黙ってな小娘」

 

 凄んだ悪魔の言葉に再び怯えてしまった雪子を守るように左霧は悪魔を睨みつけた。

 

「まさか、その小娘を庇って、この俺の結界を潜り抜け、尚且この俺様を倒せるなんて……思っているわけないよなぁ?」

 

 内心、左霧は焦っていた。勝算などあるはずがなかった。自分は人間で、悪魔は高等種族。その力の差は歴然としている。例え、自分が『魔術師』であろうとも――――。

 それに、雪子を危険な目に合わせるわけにはいかないのだ。そのことが、左霧の天秤を素早く傾けた。

 

「……いいだろう。その契約、結んでやる」

「先生!?」

「大丈夫だよ雪子さん、何も心配いらないから」

「でも! でも!」

「ウワハハハハハハハハハハ!! いいだろう魔術師! 第六級悪魔、『ヴェルフェゴール』が貴様の命貰い受ける! 死のその時まで楽しみに待っているがいい!」

 

 雪子の泣き出しそうな声をかき消すように、高々とヴェルフェゴールは笑い出した。左霧の心は静かだった。不意に彼女の声が聞こえたような気がした。構いはしない。自分はどのみち――――。

 

「……なぜ、僕の魂を欲する?」

 

どこからか、書類を取り出した悪魔は、左霧を片目で盗み見たあと、深刻な声で呟いた。

 

「……王が欲しているからだ。上等な兵隊を、な」

 

 それに、と悪魔は書類を書き上げ、指でサインをくれとはやしたてた。左霧は口で親指をかんだ後、血の滴る指をしっかりと書類に押さえつけた。その様子を、ただ雪子は黙って見つめていた。

 

「それに、貴様からはどす黒い気配を感じる。こりゃ掘り出し物だ」

 

 ふざけたことを! 左霧は悪魔を鋭く睨みつけた。だが、これ以上この悪魔を刺激するのは危険だと判断した。悪魔は約束をしっかり守るというが、悪魔だけに信じられた話ではない。まるで悪徳業者に無理矢理サインを書かせられたような嫌悪を感じる。

 

「用が済んだのなら、さっさと帰ってもらうか」

「っけ! 誰が好き好んでこんな魔力のすくねぇ薄汚れた場所にいたいと思うか! だが、まぁ今日は気分がいい。この次はてめぇの命が尽きる時に現れるが……間違っても天使と契約を交わしてみろ? お前の大事なもんを根こそぎ奪いに来てやるからな!」

 

 大事そうにその書類を封筒に入れ、悪魔は遂に次元の裂け目から去っていった。と同時に辺りからいつもの気配が戻り始めた。今度こそ、左霧は安心して雪子の方へ振り向いた。当然、彼女の表情は硬いままだった。

 

「先生……大丈夫なんですか? 私、先生にとんでもないことを……」

「……心配しないで。でも雪子さんが無事で本当によかった……詳しい話は明日聞くとして、今日はもうお家に帰ろう?」

「……はい」

 

 雪子は終始硬い表情のままだった。心労も溜まっているだろう。一度に凄まじい体験を経験してしまったのだから。タクシーで送るまで、ずっと左霧の顔を見つめていた。

 一方の左霧はそこまで深刻ではなかった。なぜなら、あの契約がなくとも、自分はおそらく地獄に落ちることは確定していたからだ。自嘲気味に笑いながら、左霧も帰宅することにした。

 だが、この出来事は生涯雪子にとって決して忘れられない後悔になることは、まだ知る由もなかった。

 こうして、運命の鎖は絡み合う。それはまるで必然であったかのように。絡み合う、二本の鎖は、やがて数本に絡み合い、そして崩壊していくのだった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。