魔導兵 人間編   作:時計塔

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こんばんは

「よし……こんなところかな」

 

 当番だった日誌を付け、左霧は備え付けの時計を見上げた。

 十一時過ぎ。深夜といっても差し支えない時刻と言っていいだろう。手のうちにある鍵を握り締め、重たい腰を上げる。当然他の先生はいない。残業と称してこの時間まで教務室にいることは本来なら有り得ない。

 

「何もなかったらそれでよし。あった場合は……」

 

 左霧はゆっくりと首を横に振った。生徒たちを疑るのはよくない。もし何かあった場合でもきっと事情があるはずなのだ。だからといって夜中に学園へ侵入していいというわけではないのだが。きっと興味本位のことだろう。学生ならそのくらいの好奇心があった方がむしろ後々大物になるのではないだろうか。色々とプラス思考にモノを考え、気を紛らわせた。

 

 

 深夜の学園は何か別の建物のように感じる。昼間あんなに騒がしかった校庭がひっそりと佇み、リノリウムで出来た廊下はまるで奥の見えない暗闇が広がっている。時折点っている消防感知器のランプや誘導灯のランプが、怪しい雰囲気をより一層引き立てていた。

 

「えっと、確か玄関を出て裏側へ回るんだった……よね」

 

 暗い夜道を左霧は一人歩く。とりあえず家にいる家族には電話で連絡しておいた。その際に華恋はかなり不満気に文句を口にしていたのを思い出す。

 

「まさか浮気ですか!? あんなに愛していると布団の中で言ってくださったのに!」

「浮気じゃないし、そんなのと華恋に言った覚えもない。勝手に捏造しないで」

 

 一通り事情を話したはずなのに、なぜかおかしな方向に話が進むから華恋は面白い。ちょっとメンドくさいなと思う左霧だが、とりあえず会話を合わせておいた。

「そんな大役をもう新米のヘナヘナのけちょんけちょんの左霧様に任せたのですか?」

「けちょんけちょんって言わないで。うん僕もそう思ったんだけど、いきなり任されちゃって」

「分かりました。では今晩は桜子様と私で、寂しく、さ・み・し・く・! 夕餉と致します。ちなみに今日のおかずは左霧様の大好きなカレーです。華恋特性のルーにじっくりと煮込んだ野菜とお肉……思わず頬っぺたが腐って落ちてしまいます」

「うん、腐ったらおかしいよね。じゃあ今日は二人で留守番お願い」

「――――左霧様」

 

 急に先ほどとは違う真剣な声が電話越しから聞こえた。何事かと左霧も切ろうとした携帯を持ち直す。

 

「どうしたの?」

「嫌な予感がします。くれぐれもお気を付け下さいませ」

「それは……嫌な情報だね。華恋の勘はよく当たるから」

「今日は新月。夜の守護が最も薄れる日。考えすぎかとは思いますが」

「うん、わかった。気をつけるよ。ありがとう華恋」

「いえ、食い扶持がいなくなると困るのは私なので」

 

 残念すぎる一言を残し華恋との会話を終えた。どうやら桜子がつまみ食いをしたらしくバタバタとした騒がしい音が聞こえた。その微笑ましい光景を想像しながら再び左霧は夜の闇へと足を運ぶのだった。

 

「これはまた……なんというか、出そうだね」

 

 古びた南京錠に鍵を差込み、苦戦すること五分。ようやく鍵を解くことに成功し中に入った。中と言っても教会の外を囲っている門を開けただけでまだ教会内部に入っていない。

 ぐるりと周りを見渡しただけでも、庭は荒れ果てていて鬱蒼としている。どうやら管理自体も全くしていないようだ。

 教会自体は大きな門を中心としたヨーロッパ風の建物だ。建てたのは相当前のようで所々から小さな破損が見られ、哀愁が漂っている。

 懐中電灯を持ちしばらく立ちすくんでいた左霧だったが、ようやく勇気を振るい立たせ入口へと手をかけた。

 

「よ、よし……が、頑張れ、僕」

 

 ブツブツと傍から見れば不審な様子の左霧だが、幸い辺りには人一人いない。思い切って扉を開け、暗闇が続く教会へと遂に足を踏み入れた。

 

 

 ギシギシと歩くごとに床の板が軋む。抜け落ちて穴になっている場所を見極めながらゆっくりと奥へ進んでいく。月の光もない新月では懐中電灯の心細い光だけが道しるべだ。埃っぽい室内と蜘蛛の巣を払いながら教会の奥――――祭壇らしき場所へ近づいていった。

 

 ホコリのかぶったオルガン、救世主、神の像。大きな十字架……かろうじて教会としての体裁を整えているぐらいの機能しかない。巡礼者用の場所も少ない。普通の教会の間取りとどこか違う。直感的に左霧はそう感じた。電灯で更に辺りを見渡す。と、光に反射して暗闇の中から大きなステンドグラスが姿を現した。

 

「天使……」

 

ステンドクラスは美しい天使の姿を体現していた。羽は六枚で黄金の杖を振りかざし人々に祝福をもたらしている。人々は荘厳な天使の姿に跪き、感謝しているようだ。

 

「……これは……」

 

 その隣にもステンドグラスがあるのだが、そちらの方は残念ながら欠けてしまっている。天使たちが武器を持ち、何かと戦っているようだ。おそらく『ラグナロク』と言う、人類最大の過ちを犯した時代の出来事だろう。

 ラグナロク――――力を持った人類は、神々に戦いを挑んだ。人類はやがて『悪魔』と呼ばれる者と契約を結び、天界へたどり着く。数万の天使たちと神々に愚かにも人々は牙を剥いたのだ。結果は人類と悪魔の負けに終わる。この時、二度とこのようなことが起こらないように神は天界の門を閉じたのだ。神は人類に罰を与えた。それにより、人は弱く脆い生き物として生まれることになった。

ここまでが、左霧が知っている話。いつか大切な人に聞かせてもらった遠い記憶。

――――彼女は、天使になれただろうか。

あの、優しく甘い花のような匂いのする少女は。

全てを愛し、慈しむような笑顔を持つ少女は。

左霧は少しの間、昔の出来事に思いを馳せていた。

 

「……は! こんなことしてる場合じゃなかった!」

 

 しばらく物思いにふけっていた左霧は、思い返したように現実に戻る。ブルブルと頭を振り、頬を叩き、気合十分。いくつかある小部屋を調べて回ろう――――そう思った矢先。

 

「キャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

 

 つんざくような悲鳴が教会内に響き渡った。

 左霧は咄嗟に悲鳴の聞こえた位置を把握する。

 一番手前の部屋。考える暇などない。生徒の悲鳴。それに間違いはない。

 悲鳴と共に赤く歪な光がドアから溢れ出している。嫌な予感がする。華恋の言った言葉を反芻した。

 グッと手に力を込め、左霧はドアの方へ向かった。迷うことなどあろうか。例え、その先に危険が待ち受けていても。彼は躊躇しない。妥協しない。後退しない。

 そういう風に出来ているのだから――――。

 

 

 

 

 血の契約書、呪文、魔道書。全ては彼女――――雪ノ宮雪子の下にある。

 彼女は力を欲している。『魔術』という忘れ去られた力を。

 ラグナロクによって消失した、元々人類が持つことを許された力。それは時代と共に風化した。しかし今のなお知る人ぞ知る、神秘なのだ。

 

「我が声に耳を傾けたまえ……」

 

 ナイフで薄く切りつけた腕から血が滴る。その血で召喚術の『門』を作る。『セイレイ』と呼ばれる存在を呼ぶための門。セイレイ界と人間界を繋ぐ糸。

 魔道書で得た知識を、拙く辿り、ようやくここまでたどり着いた。読み解くのにかなりの時間を費やしたことが苛立たしい。一分一秒でも惜しい。自分は早く力を手に入れたい。

 そして――――そして。

 

「雪ノ宮雪子が命じる。我が前に御身を現したまえ! セイレイよ!」

 

 魔導書に書いてあるとおりにやった。後は待つだけだ。雪子は、興奮と恐怖の入り混じったような感情を持て余している。鬼が出るか、それとも蛇が出るか……いずれにせよ、自分に強大な力が手に入ると疑わなかった。

 

「……? どうして! どうしてよ! 書いてある通りにやったじゃない!」

 

 何も起こらなかった。埃だらけの室内はただ静まり返っている。先ほどと何一つ変わっているものなどなかった。

 

「また……失敗。……くっ! いつになったら私は!」

 奥歯を噛み締め、雪子は悔しさを滲ませた。腕の切り傷からはまだ血が滴っている。ここまでしたというのに、何も変化は起きなかった。

 

「バカバカしい、何が魔術よ! 大嘘つき!」

 

 魔道書として大事にしていた本が途端に悪意の対象となった。乱暴に叩きつけ気を紛らわせる。

 また最初から――――。自分の情けなさに泣きたくなる。何年も、何年も、必死で追い求めてき物が、また消失してしまった。

 雪子はその場にペタンと座り込んだ。スカートは埃だらけ、足は泥だらけ。別にいい。自分が洗うわけではない。メイドには悪いが、今はそれどころではなかった。

 

「やっぱり……お母様に教えてもらうしか、ないのかしら……でも」

 

 母、雪江は『魔術師』である。そして雪子とは血が繋がっていない。これは誰にも話したことがない雪ノ宮家の極秘情報だ。人に知られる訳にはいかない。ちなみに雪子という名前も雪江に与えられたものなのだ。当時はネーミングセンスのない母を呪った事もあったが今はそんなことはどうでもいい。

 とにかく、自分は孤児だったということだ。なぜ雪ノ宮家に引き取られたのは分からない。小さな少女に手を引かれるまま、小さかった雪子は孤児院を後にした。以来、雪江とは母子という縁を結んでいる。今ではどちらが母なのか分からないほどに雪子は成長した。

 雪江は自分のことを何も話さなかった。しかし自分をとても愛してくれた。何にせよ、自分の場所を確立出来たのは、孤児であった自分にはありがたいことだ。そして雪ノ宮家とは、

 

「魔術師の家系……」

 

 母の話を盗み聞きしてしまったことがあった。縁者同士の話で血の繋がりのない雪子は参加することが出来なかった。偶然立ち寄ったドア越しに、雪子は聞いてしまったのだ。

 

「魔術師の血が絶えようとしている。何としても防がなくてはならない。今世紀こそ、我ら雪ノ宮が……の座を手に入れるのだ」

 

 何かおかしな宗教でもはまっているのかと最初は思った。だが、それは勘違いだと思い返した。

 

「! 何をしている雪子! その本をこちらに渡さんか!」

 

 絶対に入るなと言われていた屋敷の一部屋に立ち寄ったことがあった。いつもなら鍵がかけられていたのに、その日は何故か開け放たれておりこっそり入ることにしたのだ。

 その部屋は異様だった。おかしな像や石。大量の書物。極めつけは、地面に描かれた紋章だ。書物を一つ手に取ったとき、雪江の慌てた声が響き渡った。

 

「お母様、これは何ですか?」

「本だ」

「いえ、ですから何の本かと」

「くだらん本だ」

「そうですか。ではお借りしてもよろしいですか?」

「ダメーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 

 子供のように大きな声を上げ、雪子を押しながらドアの向こうへやろうとする。だが、雪子の方が身長も力も強かった。負けじと踏ん張りながら雪子は聞きただす。

 

「お母様は魔術師なの?」

「雪子、ゲームのやりすぎだ。もっと現実を見なさい。近頃は何もやる気のないニートとかいう若者が増えていて大変なのだ。別にニートでも構わんが何か一つ、やりたいことを見つけるのだ。金はあるからな!」

 

 小さな手を丸く丸めて雪江は自慢していた。しかしそれだけでは雪子は諦めない。次の言葉が雪江を絶望に叩き落としたのだ。

 

「でしたら私、尊敬するお母様の後をついで『魔術師』になります」

「ダメだ! じゃ、なかった。そんな職業はない! ゲームのやりすぎだぞ雪子!」

「ゲームなど私の部屋にひとつもありません。お母様、どうして私に隠し事をなさるのですか?」

「隠し事なんてしてない! とにかく『魔術師』なんてダメだ! ダメ、ダメ、ダメ! ブブブブーーーー!」

 

 手でバッテンを作り、雪子の顔に近づける。雪江は隠し事が下手だ。特に我が子に対しては甘さが滲み出てどうしても弱ってしまうらしい。そんな母が、雪子は好きなのだが。

 

「分かりました。お母様の言うことなら従います」

「そうか! わかってくれたか! 流石は我が子! 一生働かなくても楽して暮らせるように、お母さん頑張るからな! アッハッハッハッハッハ!!」

 

 だけど母親として失格だった。

 何にせよ、雪子は諦めてなどいない。手に隠し持った一冊の魔道書を大事に抱えながら雪子は自分の部屋に戻って行くのであった。

 

 

「お母様は絶対に教えてくれないし……」

 

 無理を言うことなど出来るはずがない。拾って育ててくれた親にこれ以上の負担をかけることなどしたくない。

 いや、こんなことがバレたら、雪ノ宮家として失格だ。途端に雪子は自分がここにいることに恐怖を覚えた。

 

「……帰ろう」

 

 埃まみれのスカートを払い、髪にかかった蜘蛛の巣を払いながら、雪子はキビキビとした動作でその場をあとにしようとした。屋敷へこっそり帰って、シャワーを浴びて、ベッドに潜り込みたい。そう思うとさっさとこの場を立ち去りたかった。

 

「こんばんは、お嬢さん。そして――――」

「え……?」

「――――さようなら」

 


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